Armored Core farbeyond Aleph 作:K-Knot
扉を開いてそこにいた男が最初にしたことは口を開くことだった。
「! 鼻血が出ているぞ……大丈夫か」
「いや……お前……」
来客はメルツェルとオッツダルヴァだった。その二人が来た時点でもう要件は察しているのだが。
自分の鼻血を指摘する前にまず鏡を見てこいと言いたかった。
オッツダルヴァは顔があちこち腫れあがり頬には赤い手形、メルツェルもメガネのレンズが片方ないし髪の毛が不自然に引き千切られた形跡がある。
「正当防衛くらいはいいと思うんだが…」
「お前が連れてきたあの女が……大暴れをしてお前を連れてこいと言って聞かないのだ」
そういうオッツダルヴァの口からは血が歯の隙間に浸透しているのが見える。
「行ってくれないか」
メルツェルが口を開くともう片方のレンズもメガネから落ちてただの耳かけとなった。
「…………わかった」
ふざけんじゃねぇ、働き詰めなんだぞこの野郎、とはとても言う気にはなれなかった。
シャミア・ラヴィラヴィは元々ある地方を支配していた一族の正統後継者だった。
父はシャミアが生まれる前に死んでいたが、それを継いで母がその地方を治めていた。
世界情勢を見るに、民衆の意見を全く取り入れていなかった一方的な支配だったとはいえその支配はそう悪い物では無かった。
不満もそこまで大きくなく、罪に対する罰が異様に重いこと以外は識字率も幸福度も高く地方政治としてはかなりのレベルに達していた。
実際窓割れ理論を元にした罪に対する罰の異様な重さに対しての批判はそれなりにあり、巷ではブラッディウィドウなんて蔑称で呼ばれたりもしたが、犯罪の抑止に一役買っていたことに間違いはなかった。
その面だけで言えば独裁者として、政治家としてシャミアの母は理想的だったのかもしれない。
だがどうしてかこの女は重犯罪者を自分の手で刻んで処理することを好む異様な性癖があり、死刑宣告を受けた罪人が出るたびに嬉々として目的のない拷問を繰り返しては殺していた。
一人で家を支えて地方を治めるストレスがあったから、若くして夫が死んだから、と理由をあげればキリがないしもちろん許されることでは無い。
だがそれでもその支配に満足していたはずの民衆はその女の所業が白日の下に晒されたとき、自分達が受けた恩恵を全て忘れ、一方的に暗君の烙印を押し付けて処刑した。
それでもシャミアはそんな母が大好きだったし母もシャミアを大層可愛がっていた。
その女が悪だったのかどうかの判断は難しいが、少なくともシャミアにとっては何よりも大切なものだった。
そんな母の元で育って幼い頃からその姿を見てきたからなのか、民衆に一方的に嬲られ処刑される母の姿を見てしまったからなのか、
シャミアの三大欲求に新たに暴力への欲求が植え付けられていた。それはド・スの元で育てられても消えることは無かったし、
サディスティックな性格をしたイルビスというパートナーを得てしまいむしろ開花してしまった。
(何を聞けばいいのか聞くの忘れていた……。……頭痛い……頭……)
(着いてきてしまった……)
そう考えながら歩くガロアの10歩後ろではセレンがそーっと着いて行っている。
追い返さなかった自分も悪いのだが、あんな凶暴な女の元にガロアを送って何かされてはたまらない。
いざとなれば乱入も辞さない所存だ。
部屋の前に辿り着いて扉を開くとそこには褐色金髪の女が椅子にがっちりと縛りつけられてこちらを金目で睨んでいた。顔は真っ赤であり相当に暴れた事が伺える。
「こんなところに私を縛りつけて……私を犯す気でしょう! 変態!」
「ふざけたこと言っているぞ……お前が呼んだんだろ」
開口一番、もう帰ろうかなという気分になってくるような事を言ってくる。
だが驚いたのはシャミアの方だった。
「呼んだ!? 呼んだって……あなたが? ガロア・A・ヴェデット?」
「そうだ」
頭を下げながら部屋に入ってきて扉を閉める大男は確かに顔はシャミアの知るガロアとほぼ一致している。
(聞いてない……聞いていないこんなこと……)
シャミアがガロアの事を知ったのは自分がリンクスとしてデビューしてすぐの三年前。
化け物染みたAMS適性を持つ少年がいずれリンクスになるということをド・スに聞かされた時だった。
その時に見た一枚の写真は男だが女だが分からない顔をした小さな少年であり、その才能あふれる少年を戦場で打ち負かして連れ帰り踏みにじることを楽しみにしていた。
その嗜虐心ゆえ、先輩であったイルビスとも気があったしリンクスが自分の天職なのだと思っていた。
どこで間違ったのか。天井に頭がつくほどの大男の顔はあの写真とあまり変わっていないが一言で言えばアンバランス。男の子が遊ぶ兵隊人形に女の子が遊ぶ着せ替え人形の頭を付け替えたようだ。
だがその顔には怒りとも不機嫌ともとれない悪感情で満ちており、シャミアは今の自分の置かれた状況と、自分が今までそういう人達に何をしてきたかを思い出して一気に冷や汗が出た。
「おいガキ。お前がアルゼブラのシャミア・ラヴィラヴィで間違いないな?」
「…………」
お前より二つ年上だ、と口を開けない。
あの目。ごみでも見るかのような目だ。きっと何をしても心は痛まないだろう。
「答えろ」
「……そうよ」
「ふん。なんだ。出された物を食べていないのか」
机の上には食事とコップ一杯の水があるが、手を付けた形跡はない。
「あなたたちが縛ったんでしょう……!」
暴れたのは自分という事は棚に上げる。
あんないたいけな少年ならば二人きりでいれば篭絡する自信があったが突破口が見いだせない。
「喉乾いたろ。飲め」
「ふん! どうせ自白剤でも入っているんでしょう!」
どちらにせよ手足も縛られていては飲めない。
「質問にペラペラ答えるような都合のいい薬なんて存在しねーよ」
「敵地で出された物をそう簡単に口にすると思う!? 毒かもしれないのに!」
「そんな面倒なことするならあそこでてめぇを殺していた。早く飲め」
「手が縛られているのが見えないの……!」
「首が動くだろ。犬みてーに這いつくばって飲むんだよ」
「……!……!」
三日も水分を取らなければ人は死に至る。
それをよく知るシャミアは芋虫のように縛りつけて一日以上放置した捕虜の前に皿に入れて水を出したということが何度もある。
中にはそれでもプライドを捨てずに顔から飲もうとしなかった者もいたが、結局自分の見ていない場所では鼻を皿に突っ込むようにして水を舐めていた。
監視カメラで見ていた自分はそれを見て心の底から随喜していた。だがこの男の目にはそんな歪んだ欲望が一切ない。
自分とは違い目的では無く、手段としてプライドを裂こうとしているのか。
「そうか。最初に言っておくが決して殺しはしない」
「……」
「死体は喋れないからな。じゃあ飲ましてやる」
コップをずいっと口元に差し出される。
傷だらけの長い手、揺れる水面に反射する水。
水にもにおいがあったとは知らなかった。
もう何時間水を飲んでいないだろう。アルゼブラの基地を出発する前に飲んだきりだから7時間は水を飲んでいない。
「いや……」
顔から迎えに行くのはいやだが、敵の手で飲まされるのもごめんだ。だが縄をほどけと言っても無理な話だろう。
「手間かけさせんな」
「……」
喉が渇いた。カラカラに貼りついてしまっており、舌からも水分が失われている。
今意地を張ってもどうせあと一日放置されたら自分も獣みたいに顔から迎えに行くことになるのだろう。
最悪の二択に散々葛藤した後、シャミアは生理的欲求に屈して水に口をつけた。
「はっ。意地張らずにいりゃあいいんだよ」
「ふっ!!……ざまぁないわ」
やってしまったかもとは少し思ったがその言葉に頭に来たシャミアは口に含んだ分の水を全て霧にして顔に吹きかけてやった。
表情は変わらないが前髪から水滴を垂らしながら呆然としており、コップの水面が静かに揺れていた。
だがシャミアはそんな表情をする人間を知っている。
そこらのぽんち不良とは一線を画した本物の人殺しの顔だ。
キレるときは喚くこともせず無表情で爆発し、次の瞬間には全てが終わっている。
(くっ、くる!!)
シャミアの予想した通りのいきなりの暴力。……ではなかった。
もっと性質が悪いかもしれない。椅子に縛られているというのに、あろうことかガロアはそのまま椅子を蹴っ飛ばしてきたのだ。
外でのぞき見しているセレンは青ざめ、シャミアは覚悟を決める時間もなく一秒後に後頭部に訪れるであろう衝撃を想像して歯を食いしばった。
「……!! ふざっ、うぶぅ!! むゔっ!!」
床に激突する10㎝手前で椅子の一部を掴まれたおかげでぶつからなかった。
だが暴言を吐きだそうと口を開いた瞬間に口にコップをねじ込まれた。
「ぐっ! ぶっ!! んんっっ!?」
径が小さいコップだったおかげで歯が折れたり口の中が傷つくようなことは無かったが、
それでも急激に食道に流しこまれた水分を女性の小さな喉が処理できるはずも無く、鼻から水が逆流する。
「……」
しかしご丁寧に鼻をつまんできており、結局生物としての反射をなんとか抑えながら水を飲み切るしかなかった。
「がほっ、うぶっ、げぇっ……うっ…あ……」
コップが空になってようやく起こされ、乱暴にコップを引き抜かれる。
逆流した水と胃液がどろりと縁についていた。
シャミアの顔は涙と水で一気にぐちゃぐちゃになっておりすでに心の半分以上が恐怖に屈していた。
「……」
コップの縁についた粘ついた胃液を指で拭きとりながらこちらを見るガロアの目は相変わらず虫でも見るかのよう。
「ぐっ、はぁ…はぁ…どうする…つもり……」
「腹も減ったろ。普通出撃の前には食わないもんな」
この男が何を考えているのかさっぱり分からない。聞きたいことがあるのならばさっさと聞けばいい。
正しく答えるとは限らないが、それでもいきなり拷問を始める方がどうかしている。
だがその原因は自分にあると言う事も因果が巡り巡って自分に帰ってきていることもシャミアは気が付かない。
「ふざけないで……ど」
「毒なんか入ってねぇよ。ほら」
置いてあったシチューを一口スプーンですくって見える様に口に入れて飲みこむ。
「ほれ、あーんしろ」
「…………」
歯を唇を巻き込んで食いしばり精いっぱい拒否の意志を示す。だがもう既に涙目であった。
「手間かけさせんなって言ったろ」
「…………」
何よりも怖いのは絶対に助けが来ないという事実。この狭い部屋は敵地のど真ん中に存在し、自分はと言えば企業から飛び出すようにしてここまで来てしまったのだ。
目の前の男を殺したいがばかりに。しかし目の前の男は少し面倒くさそうな顔をしただけで殺意も敵意も無い。
静かな部屋で古ぼけたライトから出る橙色の光の中で泳ぐ埃がやけに目についた。
「食事を拒む精神病患者ってのもいるんだ」
「な……何の話?」
「どうすると思う?」
「こうやって無理やり縛りつけて食べさせるっての?!」
「それもあるけどな、非効率的なんだよ。19世紀末のドイツでは実に画期的な方法が作られた」
「…………」
「細かく砕いてケツの穴からぶち込んで蓋をするんだ。時間もかからないし患者も傷つかない。どっちがいいんだ」
もう一度スプーンが口元に近づけられてくる。これを拒めば先ほどのように前触れなく椅子を蹴っ倒されて服を千切られて今の言葉通りの辱めを受けることになるのだろうか。
そして腹は確かに空いている。もう半日は何も食べていないし出撃に備えて胃袋も空っぽにしてある。
「うぅ……」
結局恐怖と空腹に屈してスプーンを口にした。
今まで1週間以上食事を抜いて寝かせないでも耐えたものもいるのに自分のなんて情けない事か。
「また吐きだされたらたまらんからな」
そんなつもりは全くなかったのに口元を馬鹿力で大きな手で塞がれる。
「んんっ!! んーっ!!」
自分でやって見ると分かるがそうされると口内の物を咀嚼するのも難しいのだ。
なんとか飲み込んだ喉の動きが見えたのかたっぷり20秒かけてようやく手が離れていった。
「うっ……うっ……」
「泣くなよ。まだ始まったばかりだろ」
ほんの一時間前まで自分を優しく抱きしめていたガロアの口から出た言葉にセレンは震えた。
自分にだけ優しい、というのは悪くないがこれは少々やり過ぎのような気がする。
「お願い……普通に食べさせて……」
「普通に食べさせているだろ」
「片手! 片手だけなら逃げられないから!」
「ほどけってか」
「……」
「いいぜ」
かと思えばさらりと大の男が二人がかりで1時間以上かけてなんとか縛った縄をほどいてしまった。
しかも全部である。
「何を考えているの……あなた?」
「さっさと食え」
実のところ何を考えているわけでもなく、ここでシャミアがどんな抵抗をしてきても抑え込む自信がガロアにはあるし、逆に何かしてきた方が遠慮する必要も無くなっていいと思っているだけなのだが。
結局食べている間ただ見ているだけで何かをしてくる訳でも無く、シャミアも食事を投げたり机をひっくり返すような真似はしなかった。
水のお代わりを頼んだらちゃんととってきてくれた。水道水だったが。
「どうだった」
「全然美味しくなんかないわよ……」
空腹だったことも手伝ったとはいえ完食して言うセリフでは無いなとは自分で思った。
「だろうな。今日の味付けは俺も悪いと思った」
(何が目的なの? この男……)
あろうことか和やかな雰囲気すら流れてしまっている。
今ここで暴れようという気が全く起きないのは先ほどのほんの短い時間に刻まれた恐怖からかまた別の感情からか。
「お前、育ちいいだろ」
「! ……なぜそう思うの」
「食べ方がいい」
唐突な話題だがこの男、実によく見ている。だが今この男がしている行動の意味が分からない。
使い終わったスプーンをシャツの裾で綺麗に拭いているのだ。世界のどこにそんな行為をする文化があるのだろうか。
「メリハリのある味はやはり自然に美味しい物を食べて育った物を使うに限る」
「?」
「まずは血抜きだ。逆さに吊るして喉を裂く」
「次に腹を開いてモツを抜く。食べられる部分と食べられない部分を分けなきゃいけないし、洗浄も必要だ」
「……お肉の処理の話?」
今の手順は子供の頃に行った食肉処理場で従業員がブタにやっていたものとそのまま同じだ。
空中に向かってすっ、すっと手で肉を捌いていくその姿は何故かとても似合っており、あろうことか新鮮な血の臭いまでするような気がした。
「綺麗に解体したら軽く火で炙ると毛が消えてくれる。そうすると皮もパリパリになって一石二鳥だ」
「……」
そんな話を聞いて、昔食べた中華料理がそんな作り方だったことを思い出しまた腹が減ってくる。
実はあれだけでは全然足りなかった。お代わりといえばくれるのだろうか。水もくれたのだからもしかするともしかするともしかするかもしれない。
「俺が作ってやる」
「あなた料理が出来るの?」
「少なくともこれより美味い。ただ……生きたままやるのは初めてだ。切断するのと炙るのどっちが先がいいか……」
「なんの話……? お肉は切ってから暫く置いておかないと美味しくないのよ」
自分が何の為に何故ここにいるのかも忘れて間抜けにもそんなことを口にした瞬間だった。
綺麗に拭いたスプーンをガロアが大きく振り上げたのが見えた。
ダァンッッ!!
覗いていたセレンは驚きで20cm、シャミアは驚きと衝撃でその場から30cm浮かび上がった。
机の上に乗せられた手のほんの数ミリ横にスプーンが深々とめり込んでいた。
「『お前』の肉を解体すんだよ。生きたまま切り裂いて目の前で肉を焼いてやる」
「……!!」
理解しがたい言葉と後には灰すらも残さない程に燃え上がる残虐性の浮かぶ目に射抜かれ、怯え竦み動きが止まっている間に、ガロアはまるで水あめ細工の形でも変えるような気軽さで突き刺したスプーンをひん曲げ、シャミアの手首は曲がったスプーンに覆われてしまった。
もうこれでまともに見動きは出来ない。
「しっかり料理した肉をお前の知り合いに一人ずつ食わせてやる。感想を聞いた後にお前の肉だと言ってゲロを吐いた音まで録音してお前の耳元で24時間延々流し続けてやる」
「先に両腕から料理する。自分のケツも拭けなくなった状態で最低でも1年は生かしてやるからな」
「ひっ、はっ、本気!? ラインアークでそんなこと、でき、出来ないんじゃ」
本気、と目に書いてあった。自分と同じ種類の人間だと感じた。
やると言ったら本気でやるし、やめてくれという懇願をたっぷり聞いてからやるタイプの人間だ。
「確かに法律もルールも人を守る。罰と言う形で『後から』な。戦争屋のくせにそれもわからないのか? いつだって暴力が先にくる。切り取られた自分の手足が人の腹に収まった後に訴える気力があるか」
言葉に合わせてごりごりとひん曲げられたスプーンが手首に食いこんでくる。
この力なら例え刃物がなくても自分を解体することが出来るだろう。
「お、お願い、やめ、やめて……」
手足を失い精神が壊れた後にこの男が罰されてももう何も救いになりはしない。
そうなりたくなければ今この男にひたすら懇願するしかない。
今になってシャミアは自分が今まで何をしてきたのかを理解し始めた。
「一度だけチャンスをやる。俺の質問に全ていいえと答えろ」
「……」
動かせなくなった手首には指が当てられており、脈を測られている。
一度心音を異常にしてから平常に戻し、そこから嘘を見抜くという尋問方法だろう。
何か一つでもへまをすればすぐに拷問に移るに違いない。
「分かったか」
「わ、分かったから……だから、ぁがっ!?」
言葉を言い終わる前に上前歯を掴まれていた。
「いいえ、だ」
「……!」
みきみきと音を立て痛み始める前歯が力ずくで抜かれる未来を想像してプライドを捨ててぶんぶんと頭を縦に振る。
「ちっ……頭悪いな……」
「いいえ!! いいえ!!」
「そうだ。これから俺の言葉にアホみてぇにいいえとだけ反応してりゃいい」
(怖い……!)
怒りやプライドを押しつぶすほどの圧倒的な恐怖という物を生まれて初めて感じていたシャミアは既に壊れたカスタネットのようにガチガチと歯を鳴らしていた。
一応激しい暴力を振るう事無く、シャミアの心を潰したガロアは静かに質問を始めた。
先ほどまで頭が爆発するほどだった痛みは不思議なことにすっかりと消えていた。
「残りのカブラカンは普段通りの巡航ルートにいるのか?」
「……いいえ」
どうやら普段通りでは無いらしい。だがそれはガロアが一機壊したからなのかもしれない。
「お前はカブラカンのルートを知っているな?」
「いいえ」
これについて本当に知らないらしい。思えばBFF製のマザーウィルを守っていたネクストはBFFの機体では無かったし、リザイアにしてもそうだったが、
アームズフォートとリンクスはあまり企業で関わりがないのかもしれない。
「こいつらを知っているか」
ガロアが今までに見た未確認機の写真を見せていく。
「いいえ」
「……最悪の想像ばかりが……当たるのか」
だがノーマルとネクストが全く同じ現場に立たないなんてことは無い。
ORCAもオーメルもBFFもアルゼブラも知らないし、インテリオルの機密情報室に入ることが出来たウィン・Dでさえも知らないと言っていたこれらの機体。
ガロアの中でいくつも答えの候補はあったがその中でも最悪の想像が正解である可能性が高まる。
「……」
「まだ聞くべき事はあるのかもしれねえが……最後だ」
「……」
「イルビス・オーンスタイン、死んでないだろ」
「! いいえ……」
「やっぱりか。なんかおかしいとは思っていたが……何だったんだ? お前は」
確かに撃破はした。だがマロースを撃破した場所は支配領域だったし、コアを貫いた訳でも無い。
極寒の地域ではあったがノーマル部隊もまだ残っていた。あれで死ぬはずがないと思ってはいたが。
「……」
「俺の事が好きなのか?」
「いいえ!!」
「ふーん。まぁいいや。これで終わりだ」
顔を真っ赤にして否定するシャミアを見て、こんな手の込んだことをしなくても顔だけ見ていれば大体の嘘は見抜けたかもしれないなと思う。
(しかし……これで確信できた。あの機体どもは既存の技術じゃない。いや、人間が乗れる機体じゃない、どれもこれも)
考え込んでいるガロアにシャミアが何秒か躊躇った後に何かを言おうとした時、扉が派手な音を立てて開いた。
「ガロア! 敵ネクストの襲撃だ!」
「また? 俺じゃなきゃダメなのか」
「格納庫に一番近いところにいるのがお前だから、らしい。急げ」
「ラインアークの守りはザルなのか? ったく……」
文句を言っている間にも状況が変わってしまいそうなのでとりあえずシャミアはその場に置いて出撃した。
奇妙なことに、敵機に居住区のごく近くまで侵入されたという割には被害が全くないという事だった。
全く攻撃をせずにここまで高速で侵入できる機体と言ったらせいぜいアスピナの変態ネクストか、あるいはVOBか。
だがこんな訳の分からない作戦にVOBまで使う価値があるのだろうか、と思っていたら敵機が見えた。
「なんだありゃ……」
一見して軽量級ネクストだが、両手両肩はもちろんのこと、脚から腰まで無理やりにECM発生装置を付けており、
視認できる距離では完璧にレーダーが潰されていた。積載量オーバーの歩くECM発生装置だが、確かにあの機体ならば視認さえ避ければここまで侵入できてもおかしくない。
「そこのネクスト。何しに来たのかしらんが魚の餌になりたくなかったら帰れ」
だがその警告に言葉が返ってくることは無く、代わりにそのネクストは腰の後ろから棒状の何かを抜いた。
(! 腰部に取りつけるブレードなんか開発されていたのか?)
そのネクストが棒状の何かを掲げた時、夜の闇に白が広がった。
「は?」
『白…旗か……?』
パタパタと風に揺られるだけでは無く、規則的に腕で揺らすそれはよく見れば肌着や雑巾やらをつぎはぎに紡いでネクストサイズにした白旗だった。
『あれは……ランク19スタルカだ』
「わざわざ解体されに来たのか」
『取引に来た。話を聞いてくれんか?』
「何言ってんだ? 百歩譲って取引したいことがあったとしてネクストに乗ってここまで来て取引だと? バカか?」
『非礼は承知の上じゃ』
「まぁいい。なんだ」
『シャミアを返してくれんか』
見た目はだいぶ変わっているしあの時は霧でよく見えなかったが、確かにこの機体は最初にレッドラムと戦った時にコンビだったネクストだった。
「返せだと? あの女から捕まりに来たんだぜ。おいそれと渡すわけにはいかんなぁ」
実はもうシャミアに興味が無くなっていたガロアだったが、確かに返せと言われてはいそうですかとリンクスを渡すわけにはいかない。
周りもそれを認めることはないだろう。
『あんたらにシャミアを御しきれるとは思えん。噛み千切られる前に』
「リンクスだぜ? そんな事するよりも価値のある使い方があるだろ」
『……どちらにせよ、そちらの言う事を聞くとは思えん。暴れたじゃろう』
「……。お前、さては……企業が止めるのを振り切ってここまで来ただろ?」
企業からの通信で取引を持ちかけるのではなくこの男が一人でここまで来た理由となると、時間を惜しんで一刻も早くあの女を取り戻す為だろう。
度重なる命令違反をしてネクストまで失ったリンクスを企業が下手に出て取り返そうとしてくるとは考えにくい。
だがその価値を値踏みしている間にも、女性としての尊厳を踏みにじられているのではと考えるのは間違いでは無い。
この男は果たしてあの女の何なのだろうか。
『……隠すつもりは無い』
「で? お前は何を代わりにくれるんだ」
『この機体をやる。ラインアークの為に戦えというのならワシは戦おう』
リンクス、ネクストの価値が落ちたとはいえ未だにネクストの資産価値は非常に高い。
売り飛ばせば数十年は遊んで暮らせる金が手に入ることは間違いない。
もっとも……売り飛ばせるルートがあるのならばの話だが。
「自分から捕虜になりに来るのか? もうネクストもないあの女を取り戻す為に? お前になんの得がある? そんな話をどう信じろってんだ」
例えばこの男の身体に小型の爆弾でも埋まっているかもしれない、などなど疑いだせばキリがない。
『示せる証拠は一つもないが……あの娘が親を亡くしてからワシが育ててきた』
「……」
『口が悪くとも、全く言う事を聞かなくともワシにとっては大切な娘なんじゃ。信じてくれ。……信じてくれとしか……言えん』
(……そういうことか)
食事の様子を見ながら一つ疑問があった。
リリウムと似た隠せない上品さと食事作法。自分のような根なし草とは違って相当に育ちがいい事が伺えるのにどうしてリンクスなどやっているのだろう、という事だ。
無論ウォルコット家のように元々が兵器開発で富を得たからこそリンクスを輩出して……という話もあるかもしれないがリンクスの数を考えるにそれは少数派のはずだ。
何よりも、親を失くして育てられるという話をガロアが頭から否定するのは難しかった。
「いいだろう。だがお前、無事で済むとは思うな。リンクスなんか手足切り落としても脊髄と頭さえ残っていりゃ戦えるんだからな」
むしろ人権を無視すれば逃走などされない分そっちのほうが都合がいいはずだ。
最後の質問だった。我が身を犠牲にしてでも救いたいのか、と。
『構わん』
淡々と告げた恐ろしい言葉にノータイムでイエスと答えた。
シャミアがそれで解放されるのならそれでもいいと言うのか。
(……どいつもこいつも……)
ガロアにはもうスタルカを撃破しようという気が持てなかった。
シャミアを尋問しているときには治まっていた頭痛がまたちくりと頭を刺した。
「武器をワシから没収しないのか」
ド・スは拘束もされず武器も没収されなかったことに驚いていたが。
「武器に手をかけた方が分かりやすい」
ガロア・A・ヴェデットだと名乗った男が三年前に見た写真からは想像も出来ない程大きかったことに殊更驚いていた。
一見細身に見えるが、鋼のような腕、傷だらけの手、打撃の要の背筋は服の下からでも分かる程鍛え上げられている。
視線にも歩き方にも一切の隙が無く、自分が銃やナイフに手をかけた途端に殺されるだろう。
下手くそな兵士10人で囲ませるよりはずっといい。
(……強い)
16歳から軍にいたド・スはサンボの達人でもあり、大会でも戦場でも自分より大きな男などいくらでも倒してきた。
だが磨き上げた格闘家としての勘が告げている。自分が武器を持とうとも、この男が片手しか使わなかろうと絶対に敵わない。
歳で言えば自分の半分のはずだが、余程桁外れの才能と訓練に打ち込む執念があったのだろう。
「解放するのはいい。だがネクストだけじゃ足りねえ」
「そうなると思って、全て持ってきた」
16歳から今日まで働いて働いた全ての金が入ったカードを渡す。
特にリンクスになってからの稼ぎを考えるにかなりの額があるはずだ。
「ちゃんと入ってんだろうな」
やはりノータイムで出されたカードを受け取りながらそんな事を言うが、ガロアは既に疑ってなどいない。
確認すればすぐに分かることだし、こういう部類の人間がここに来てそんな狡い嘘を吐くとはガロアには思えなかった。
「ワシは無駄遣いは好かん」
そのお陰でド・スはシャミアに散々文句を言われたし、シャミアがリンクスになってからも浪費癖はついに直らなかったが。
「あの女は何が出来る? 暫くはネクストは使えないんでな」
働いてもらうとなればバラバラにしたレッドラムを直さなくてはならないがいかんせん、バラバラにしすぎた。
買った方が早いくらいかもしれない。
「一応ノーマルの操縦と修理が出来る。……じゃが」
「あ?」
「あの娘は押えつけても怒鳴りつけてもやりたくないことはやらんだろう。……人じゃ。リンクスだとてのう」
「……」
「……その分、ワシが戦おう」
「ふーん……」
全てを捨てて何を得る?などという愚問をする気にもなれなかった。
シャミアのいる部屋の前には先にセレンが待っていた。
「「……」」
あのやり取りは全てセレンも聞いていた。お互いに目だけ見てうなずき扉を開く。
机に刺さったスプーンをなんとかとろうとするシャミアがいた。
とろうにも片手ではどうすることも出来ず、強く引っ張っても机の方が持ち上がってしまう。
「終わりだ。行け」
さんざんシャミアが難儀していたスプーンをガロアはいとも簡単に引っこ抜く。
「……!? ド・ス!? どうし」
ゴン、と鈍い音が響いた。
「馬鹿たれが!」
少なくともこれくらいの年になったらまず受けないであろうげんこつを頭に受けて目をちかちかさせるシャミア。
話している途中だったから舌を噛んだかもしれない。
「!! ……何を」
と言いきる前に跡が残る程強烈なビンタがシャミアの頬にささった。
「……」
今まで散々わがまま言ってもあまり怒らなかったド・スがシャミアに手をあげたのは思えばこれが初めてだった。
少し冷静になってようやく状況が分かってくる。特に偉くもなんともないド・スがどうやって敵地の中心であるここまで来たのか。
何の感情も無い目で見ているガロアの視線に気が付いてようやくド・スが何を捨てて何の為にここまで来たのかを理解した。
「……ごめんなさい」
「もうええわい」
じんじんとする頬をさすりながら呆然とした顔で謝るシャミアを見てド・スは鼻から息をふん、と漏らしてそう言った。
(俺も……そうだったな……)
怒られるような事は言えなかったし、怒られるようなこともそうそうしなかったガロアだったが、散々入るなと言われていたオオカミの縄張りに兎を追って入った時は烈火のごとくアジェイに怒られた。
その時はただ引っ叩かれた頬が痛くて泣いていたがその意味が分かったのはずっと後になってからだった。
そう、大きくなってアジェイがいなくなってからだった。
「後々ラインアークからお前らに指示が来るだろう。それまではどっかのホテルにでも泊まれ」
先ほど受け取ったカードをガロアが投げるとド・スは上手いこと受け取ったが不思議そうな顔をしている。
「ええのか」
「ここはそういう場所じゃないらしいんでな。後は知らん」
もう興味は失せた、と言わんばかりに背を向けるガロアを見てシャミアは先ほど一瞬でもこの男に屈服した時の屈辱を思いだした。
実際には痛いことなどほとんどされていないのに、ただの啖呵だけで自分が普段やるよりも余程効率よく情報を引きだされてしまったのだ。
これほどの屈辱は後にも先にも存在しないだろう。今まで捉えた全ての人間を痛みと苦しみでひれ伏させ、足を舐めさせてきたというのに。
これから先、この屈辱は永遠に消えないだろう。この男をなんとしても倒さない限りは。その機会は今しかない。そう考えた時にはもうシャミアはド・スの腰にあったナイフを抜いていた。
頸動脈に向かって突きだされたナイフをガロアはやけにゆっくりと見ていた。
(馬鹿なのか、この女)
そう思う反面、なんだかこれを望んでいた自分もいるような気がしながらその腕を掴む。
「この、殺してやるわ!」
(っ…痛、いた……あ、いてぇ…っ……)
ぴきぴきと頭にヒビが入る様な頭痛がして視界が赤く染まっていく。
さっきまでの言葉は本当にただのはったりだったか?
ただの脅しじゃなくて本当の本当に解体してやるつもりだったんじゃないか?
そしたらきっと凄いスッキリしたんだろうな。そんな幻覚に呻きながら視界の中で赤く染まるシャミアの腕を掴んできりきりと足の届かない高さまで持ち上げる。
「シャ……!」
ド・スはその光景を見て一も二も無く飛び出そうとした。
どう見たってシャミアが悪いのが分かったが、どうしてか今から間違いなくシャミアが殺されると直感が告げていたのだ。
「動くな」
だが、何もしゃべらずにいた黒髪の女がいつの間にか自分の背後にいて頭に拳銃を突き付けていた。
トリガーには既に指がかかっており、抵抗どころか身じろぎ一つで頭が吹き飛ぶだろう。
しかし自分が拳銃を突き付けられるまで気取れないとは、この女も相当強いというのか。嫌になってくる。
セレンが銃を男に突きつけながらもセーフティーを外していないのを見てガロアは努めて気持ちを落ち着けようと努力する。
(殺すな、殺しちゃダメだ……)
だが頭の中の考えとは裏腹にシャミアの腕を掴んでいた手にはどんどん力が込められ、あと数百グラムでシャミアの腕の骨が砕けるのが分かった。
このまま肉団子にしちまおう、と頭の中で何かが言っている。それはダメだ、とガロアはシャミアの命の為に、そして何よりも自分自身の為に右手を伸ばした。
ガロアの右手の伸ばした四本指がシャミアの胸を突くように触れた瞬間。
「きゃあっ!!」
開かれていた手が拳になっていたと思ったらシャミアが数m先の廊下で尻餅をついていた。
対象物に指先をつけて、指の長さだけ勢いを付けて相手を吹き飛ばす技、寸勁。
派手に吹き飛んではいるが、衝撃は全て体外に逃されている。せいぜい尻が痛いくらいだろう。
(痛い、クソ……バラバラにしてやりたい……)
近づいたら次は間違いなくこの女を殺してしまう。
そう思っているのに地面にへたり込んでいるシャミアの元へと歩んでしまう。
「この……!」
今まさに命の危機が迫っていることも知らず、立ち上がり反撃しようとしたシャミアの左膝を踏みつける様に足を出すと、立ち上がり損ねてシャミアは自分に跪くような形になってしまう。
何かが頭の中にいる。恐らくは自分を突き動かしてバックを殺させたり、セレンを強姦しようとした男どもを惨殺した凶暴性とか獣性とか呼ばれる物だ。
自分の一部のはずの『それ』はいつからか独立して意思を持ち、あろうことか自分を操ろうとすらしてくる。どうしてそんなことを?
自分としてはもうこの女には興味もなかったしどこへなりとでも行けと思っていた。だがこのままでは自分が死んでしまう。頭が食い破られてしまう。最大限の『譲歩』が必要だ。
ガロアは真っ赤になる景色の中で自分に憎悪の視線を向けるシャミアへと湧き上がる殺意を抑えながら手を伸ばした。
「そんなことをしてゆ、あ゙っ!?」
膝を足蹴にされ、肩を手で押えつけられて全く動けない所にシャミアは更に舌を掴まれて呼吸も出来なくなった。
引き千切られるのか、手をこのまま突っ込まれるのか。どちらにしても無事では済まない。そんな想像をして震える。
「お前は俺に負けた。三度も。そうだろ。どういうことか分かるか。教えてやる」
「こ……ぉあ……」
ぎりぎりと舌を挟まれ力づくで引っ張り出される痛みと息苦しさに目じりからじわじわと涙が出てくる。
電灯の光を背から受けて灰色の目だけが爛々と光を反射しており目が離せない。
だがどうしてか、その時シャミアはガロアから散々与えられた痛みと恐怖、屈辱によって胸の奥がじんわりと滲むような感覚がしていた。
何もかもが初めてでそれがどういうことか全く分からなかったが……
「俺が王だ! お前の全ては俺の物だ! 黙って俺に従え!!」
どくん、とその言葉でシャミアの金色の瞳が揺れる。
「あ!!……は……」
シャミアは自分が望んだ世界が、幾重にも鮮血が咲く地獄がこの男の目の奥にあるのを見た。
きっとこの男は自分を解体するのに本当に何の感慨も抱かないのだろう。
なぜここまで執着してたのか自分でも分からなかったが今、分かった。
この男は自分よりも、自分の母よりも遥かに格上の存在、自分の焦がれた世界を作り出す者だったのだ。
魂がそれを鋭く感知していたのだろう。燃えるような赤毛が光を受けながら揺らめいている姿は信じがたいほどに悪魔染みている。
この男と一緒にいれば自分の望む世界を見せてくれる。それなら全てを捧げてもいい。心拍数が上昇して身体の中から声が響くかのように自然にそう思えた。
「はい!!!」
そしてシャミアは落ちた。
「「あ」」
冷静に事を見守っていたセレンも、拳銃を頭に突きつけられているド・スも同時に声をあげた。
シャミアの瞳がハート型に変わったのではないのかと思う程見事な落ちっぷりだった。
「いいだろう」
ガロアが手と足を離してもシャミアは跪いたまま目を輝かせている。
「お前は俺の言う事を全て聞く。そうだろ」
「なんでも命令してください!!」
「よし。じゃああの男と一緒に行動しろ」
「はい!」
(シャミア……馬鹿か……)
(ガロア……お前……どうしてそんな悪い子に育っちゃったんだ……)
言葉を変えただけで結局それはラインアークの指示を聞けというのと何も変わっていない。
「セレン、行こう」
「あ、ああ」
あれどうなるんだろう……と三度ほど振り返ってようやくセレンは前をすたすた行ってしまうガロアに着いて行った。
「シャミア……」
どう頑張ってもシャミアの残虐な性格は直らず、せめて男でも作ればまだなんとかなるかもと思っていたが、
リンクスになって見つけたのはイルビスというシャミアに負けず劣らずの拷問大好き男。
そしてお互いに異性として意識していないというよりは相手を切り刻むのに忙しすぎて目に入らないという感じだった。
ようやく普通の年頃の女の子らしく恋をしたのかと思えばよりにもよってあんな男である。
「………え?」
未だに目がハート型のシャミアはほとんど上の空で答える。
「あの男はお前に合わん。やめておけ」
「なによ!!」
親の心子知らずとでも言うのだろうか。
ド・スは結局溜息しかつけなかった。
おまけ
今になって思うのは、お前たちは人のせいにすることしか出来ないのか、ということだ。
生活基盤の崩壊はリンクス戦争の余波であり、確かに彼らのせいではないし、自分達ではどうしようもなかったことだろう。
だがそれは私の母にとっても同じだ。領主だろうと王だろうと、一機で国すらもひっくり返せる化け物をどうすることが出来る?
そんな言い訳すらも許されなかった。
彼らは常に誰かのせいにしていたいのだ。自分が生きていること、死ぬことを納得して母が作るルールに任せていたくせに、望み通りにいかなければそれに怒る。
だったら何故自己責任で生きていかなかったのか、それを問うには遅すぎた。
「ここまでのようね」
「お母さま?」
とうとう屋敷の端、寝室にまで追い込まれた。
かんぬきをかけた扉を叩く音は一秒ごとに激しくなり、ミキミキと今にも砕けそうな音がする。
使用人も全員殺されたようで、民を狂気に飲みこんだ濁流は止まる気配はない。
「ここに入って、少しだって動いてはダメよ」
服が沢山かかったクローゼットに自分を押しこんで扉を閉めると同時に母は服を脱ぎ始めた。
僅かな隙間から見たその光景はあまりにも現実離れし過ぎていて、今でもはっきりと細部まで思いだせる。
寝るときに着用している生地の薄いキャミソールとガーターを着けた身体中にベルトが巻かれて、そこには数えきれない程の刃物と銃が取りつけられていた。
「聞きなさい」
押し寄せる人々を止める扉は軋んでおり、外からは怒号が台風のように飛んでくる。
落ち着ける要素などまるでないのに母は風呂上がりに熱いコーヒーでも飲むかのようにゆっくりと平然と銃の弾を一つ一つ確認しながら口を開いた。
「お星さまは願いを叶えない、神はちっぽけな人間など見てはいない、真の平等など実現できない、人は他人を助けない、思い続けても夢は叶わないから勝つしかない、どんな不幸が起きても太陽は昇るし、どんな幸せもいずれは時間が全てを消し去る。連綿と紡がれて生まれた命は簡単に踏みつぶされ殺されるし生まれればどうしても最後には死ぬ。私達は獣の頃から残酷と怨嗟を重ねて進化した。それでも人も生物ならばこの世界に誰もが認めるハッピーエンドは一つしか無い。沢山の子孫と愛する人達に囲まれて死ぬこと……。なのにバッドエンドは何百何千万とある……何故?」
「人が悪と決めた物は本能に根ざす物ばかり……。つまり」
「人の」
「本質は」
「『悪』」
それはおよそ10歳前後の子供に言う言葉では無いだろう。
だが今思えば、自分には……いや、世界にはそれが必要だった。
子供に綺麗事ばかり並べる大人ではなく、たまにはえげつないほどの現実を見せつける大人が。
そうでもなければこの残酷極まる世界でのんびりぼけっと成長した子供は何も出来ぬままあっさりと死ぬことになる。
「悪虐の限りを尽くしたものが一番人間だということを忘れてはいけない」
「見なさい。アナトリアの傭兵……この世界で一番強い男の戦いの余波、ほんの身震いで私達はこの理不尽の沼に叩き落とされた」
忘れようたって忘れられる物では無い。
命を作るための鍬を担いで叫びながらこちらに向かって走る民を、全ての怒りを何かのせいにして荒れ狂う人々を。
「限りなく人の命を蹂躙する者こそがこの星の頂点、王よ。いつか見つけて」
「動物だった頃から何も変わらないわ。どこの誰さまがどんな綺麗事を宣おうが、結局一番強い者が偉い。どうしても」
「人の本質は『悪』。それでも……シャミア、遺言」
開け放ったベランダの縁に立った母の最後の言葉だった。
「愛しているわ」
そして母はナイフと銃を抜いて飛び降りた。
企業を名乗る集団が助けに来た時にはもう遅かった。
母はまさしく嬲り殺しという言葉に相応しいほどに徹底的に踏みにじられて殺されていた。
人の命をまるで消しゴムのカスのように消し飛ばす、この世界最高の強さの塊に出会ったのはそれから数年後のことだった。
ガロア君が精神汚染によってどんどん壊れていきますが彼は戦争後もまともに生きていけるのでしょうか。