Armored Core farbeyond Aleph   作:K-Knot

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最後の安息

不気味な敵を倒した翌日ガロアは案の定身体中の痛みで目覚めた。

 

「あー……いてぇ」

威力を何とか軽減させたとはいえ至近距離であの馬鹿げた兵器を身体中に浴びたのは痛かった。

あちこちに青あざが残っている。以前の不明機戦ほど痛くはないが結局アレフはボロボロ。ウィンは休めばいいだろう、と言っていたがどうしようか。

 

「おはよう。やっぱり身体は痛いのか」

セレンの右手を起こさないようにそっと離したが野生動物のようにぱっと目覚めてしまった。

 

「そこまでじゃないけどな」

 

「今日はどうするんだ?ちなみに日曜日だぞ」

 

「……訓練はしない。一応」

 

「しないことを聞いているんじゃない」

 

「……」

 

「ほら、あるだろう。やることが」

 

「ああ。部屋の掃除しないとな」

自分はなるべく綺麗に使っているつもりだがセレンと一緒にいる以上やはり散らかってしまっている。

 

「……お前」

一分程度のやり取りでセレンはみるみる不機嫌になっていく。

自分は何か間違えているのだろうか。

 

「何か言いたいことでもあるのか」

 

「約束しただろう!この前!」

 

「あ……。デートに行こうって」

 

「女の口からここまで言わせるのはどうなんだ」

 

「……じゃあ、行こうか」

 

「ふん。ずっと楽しみにしていたと言うのに、お前はすっかり忘れていたのか。脳みそまで筋肉になってしまっているんだろ」

 

「悪かった」

朝からベッドの上で女性にねちねち文句を言われることほど疲れることは無い。

とはいえこれは確かに自分が悪い。

 

「……。お出かけでも買い物でも無く、からかいでも言葉遊びでも無く本当にデートなんだな?」

 

「う…、うん」

改めてそう言われると照れてくる。顔を少しずつ赤くしていくガロアを見てセレンはようやく満足したのか鼻を鳴らした。

 

「私はデートなんかしたことない。しっかりエスコートしてくれよ」

俺もしたことねえ、エスコートなんてどうすりゃいいか分からん……と言えばまた不機嫌になるんだろうな、と思ったガロアは腹痛に苦しむようにうんうん言うしかなかった。

 

 

朝食もそこそこにしてさっさと着替える。

ガロアは20秒で済んでしまったが、セレンはじっくりと服を選んで楽しそうに化粧をしてた。

ああやばい、本当にデートなんだなと今更になって悩み始めるガロア。なにをすればいいかなんて本当に1mmも知らない。

とりあえずは機嫌の良さそうなセレンを連れて悩みながらトロリーバスに乗り込んだ。

 

「どっちがいい?」

どうせガラガラを超えて自分とセレンしか乗客がいないのだから悠々と座ればいいのだが、隣に座らないってことはまずないだろうと思う。

 

「窓際は暑そうだから通路側にするよ」

 

「そうかい」

 

「しっかし、のんきな乗り物だな」

 

「ネクストに比べるとなぁ」

動きもさることながら扉の閉まる速度までもがゆっくり。

昨日は時速2000kmで飛び回って今日はこれ。緩急のあり過ぎる人生だ。

 

「がらがらだな」

 

「こっちから行くやつも来るやつもいないみたいだ。なのになんでこんなバスあんだろう」

 

「理由はあるぞ」

 

「?」

 

「私たちが住んでいるあの建物はそもそも新築のリゾートホテル、そしてあそこは観光地にする予定だったそうだ」

 

「え、そうなの!?」

確かに台所も小さいしシャワー室しかない割には食堂や銭湯、果ては一階に水着を売っている売店のある浜辺まであっておかしいとは思っていた。

 

「だからバスもあるんだ。ラインアークは財政や立場が苦しいとは言え位置的に考えればゆったり過ごして泳いで食事をするにはいい場所だ」

 

「ふーん…俺たちはそこに住んでいるのか……」

 

「観光客を呼ぶよりもリンクスが金を稼いでくれた方が100倍は効率がいいからな」

 

「なるほどなぁ……」

ガロアはこんなんだし、ダンやパッチのような人物もいるがそれでもリンクスは医者や弁護士、音楽家などよりも遥かに選ばれた者しかなれないし、

時間当たりの稼ぎで言えばこの地球上でもトップに入る職業だろう。命をかけて戦っているわけだし緩やかなコジマ汚染で命を削っていることを考えれば当然とも言えるが。

 

隣に座るのんきそのものの顔をしたガロアを見ながらセレンはじっとガロアの手を見ていた。

 

(……)

ぼけーっとした顔で窓から差し込む日を顔に受けているガロアの無防備な右手に手をやる。

恥ずかしさもあるが、正真正銘のデートと言うからには手ぐらい繋いでもいいのではないだろうか。

 

「……!」

 

(あ、照れてる)

聞いているこっちが絶句するような恥ずかしい言葉を平然と言う癖に、こういう『普通の事』にはとことん弱いのはどうしてだろう。

年相応の男の子らしく顔を少し赤らめ黙ってしまっている。

何故か、となればそれはやはり人間社会で過ごした時間が短いために、色んな感覚がズレてしまっているからだろう。

それに加えて所々は初めて異性の存在を意識した子供のように初心なのだ。

 

(肌が固くなったなぁ)

昔は雪国育ちらしくきめ細やかで滑らかな白い肌だったのに今は傷だらけでごつごつとした男の肌になってしまった。

感慨にふけりながら手の肌をすりすり触っているとさらにむすっとした顔をして照れ隠ししはじめた。

 

「……」

いつまでも海と道路しかない窓を眺めながら鼻の頭を赤くしているガロアを見てふいに胸が高鳴る。

 

(少しはこっち見ろよ、バカ)

真面目に話しているときの真剣な視線と灰色の目を思いながらセレンは自分の頭の高さにある肩にそっと頭を乗せた。

 

 

 

日曜日だからなのか、この前リリウムと来た時よりも騒がしいラインアーク中心街にやってきた。

パフォーマーが好き勝手に歌を歌い芸をしているのは見ているだけでまぁ面白い。

 

「よし、……どこに行くか」

 

「適当に歩こう、ガロア」

 

「えっ」

それでいいの?と頭に浮かぶ。

あれこれと以前来た時にあった店とかを思い出しながら考えていたのにそんな適当でいいのか。

 

「お。見ろ。猿まわしだ」

セレンの指さす方を見ると数匹の猿を操る男がいて、周囲の観客が空き缶にお金を投げている。

 

(そういや猿って食ったことないなぁ)

セレンが純粋に楽しみながら見ている隣でそんなしょうもないことを考えだすガロア。

猿まわしというもの自体は知っているがガロアにとって動物は食って食われてする存在であり、それ以上でもそれ以下でもない。

あれもあれで猿は餌が貰えるし飼い主も金を稼げるからそれでいいのか。

 

「お前……何を考えている」

 

「え? あ、いや……楽しいなと」

 

「もう終わっているんだが」

 

「……」

鋭い。だがいくらガロアでもここで『猿を食べたらどんな味がするのか考えていました』なんて言ったらセレンがどんな顔をするのかは分かるので沈黙。

 

「……。何か食べるか」

 

「魚料理が美味いぞ」

 

「前に来た時の感想か?」

 

「いや……小耳に挟んでな」

 

「? まぁ、そう言うなら海鮮料理にしようか。でも折角だから色々食べたい」

 

「分かったよ」

 

適当に見つけた料理店に入り机が埋まる程の量を頼んで二人で胃袋にどんどんと入れていく。

ソイソースをかけると美味い、生でも美味いと二人で言い合いながらガロアは思う。

 

(リリウムとも楽しかったけど……やっぱ……セレンと飯食った方がいいな。沢山食べるし)

どちらかというとセレンがガロアの胃袋を拡張していったのだが二人してテンポよく食べて感想を言い合うのはそれだけで楽しい。

一人で食べるより誰かと、誰かと食べるよりセレンと食べた方が美味しい。

街にきて大分経った今でも金を出して食事するより自分で食料を調達した方がいいと思っているが、これだけは森にいては分からなかっただろう。

 

「なぁ」

 

「ん?」

やたら歯ごたえのいいタコが入った謎の球体を頑張って噛んでいるとセレンが声をかけてくる。

 

「料理がしたい。今度こそ」

 

「……本気か?」

今までも何度かそんなやる気は出していたがその度にどういう発想をしたら出来上がるのか、そもそも何を想定して作ったのか分からないものが出来上がっていた。

そしてその後片付けをするのは全部自分なのだ。本音を言えば頼むからそんな気を起こさないでほしい。

 

「教えてくれ」

セレンが特に菓子が好きで自分で作ってみたいと思っているのは知っている。

今まで自分が喋れなかった時は一から十まで書いて教えるよりも自分が作る方が100倍早かったし美味かったからそれで良かったのだが、

確かに今ならそこは違うあれはこうだと逐一指示できるからハードルが少し下がったかもしれない。

 

「……ちゃんと言うこと聞いてくれれば」

 

「本当か!? じゃあ帰りに材料買っていこう」

 

「じゃあ最初は簡単な奴から始めような」

 

「えっ、クイニーアマンが作りたい」

食べたいの間違いじゃないのか。

どうして自転車でF1レースに挑むような真似をするのか。

 

「簡単な奴から始めような」

 

「でも」

 

「始めような」

 

「分かったよ。優しくない奴め」

 

「……」

その挑戦を認めただけでも十分な優しさなのだ。

恐らくそんな物を作り出したら謎物体が出来上がるか自分が作っているかのどちらかだろう。

 

「さて……どこに行くかな。前に来ただろう? 何か面白そうな場所はあったか?」

 

「面白そうな、ねぇ……」

リリウムの買い物に付き合って子供に金をあげただけだった。

レジャースポットみたいな場所はあったにはあったが自分もリリウムも見向きもしなかった。

 

「……思えば、そんな場所は一度も連れて行ってやらなかったな」

 

「まぁ……」

自分と同い年くらいの少年がゲームセンターに入っていく横で自分は自転車に乗ったセレンに怒鳴られながら走っていた。

だがそれが良かったのか悪かったのかと問われれば断然良かったのだが。

 

「同年代の友達どころか知り合いすらいなかったのに、漫画やテレビの話にも付き合ってやれなかった」

 

「漫画なんか1ページも読んだことなかったしテレビなんて俺の家になかったから別にそれは……」

ガロアは気にするなという意味を込めて言っているのだが、その言葉はますますセレンの心に刺さる。

 

「……もっと可愛がってやればよかった」

 

「いやー、十分だ。……ああ。確かカジノがあったぞ」

 

「カジノ」

レオーネから出て一年の間でセレンは男遊び以外の遊びは大体やったがカジノには年齢制限があり行ったことがない。

もう18歳はとうに過ぎたのでいつでも行けたのだが、ガロアと出会ってからは毎日があっと言うまでそんな暇自体がなかった。

 

「行くか? 俺はカジノが何なのかさえよく分からないけど、派手だったぞ」

 

「はで」

完全に外見しか見ていない感想だが、育ちと生活を考えれば仕方が無い。

金もぶっちゃけ有り余っているわけだしいいかもしれない。

 

「じゃあ行くか」

 

「そうだな」

 

 

会計を済ませて記憶を頼りに少々迷いながら歩くこと20分、そのカジノとやらに辿り着いた。

確かにガロアの言葉通り見た目は派手だった。

 

(ラインアークの経済状況がいまいちわからん)

こんなものぶっ潰して工場にでもした方がいいんじゃないか、と思うが一時期ラインアークの経済を追い込んだのは他でも無い自分達なので黙っておく。

ただ客不足なのは否めないのか、服装のチェックも年齢確認も無くどうぞどうぞで入れられた。

子供(に見える人間)以外は全部入れてむしりとるつもりなのかもしれない。

 

「なにをやればいいのかさっぱりだ」

 

「ルーレットか?」

 

「ルーレット?」

それなりに人が集まっている台を指さすセレンだがガロアはルーレットなんて言葉しか知らない。

 

「ルーレットには必勝法がある」

 

「はぁ」

必勝法なんてあったらカジノ儲からないんじゃないか、とガロアは思ったがとりあえず聞いてみることにした。

 

「赤か黒か、好きな方にかけて負けたら次の賭け金を倍にしていくんだ。そうすれば資金的に青天井の私達に負けは無い」

 

「無理だろ」

 

「え?」

 

「だってほら……赤と黒じゃない場所が二個ある。0と00って書いてあるな。あれで期待値下げて儲けてんだろ。それにカジノ側が最大賭け額を決めてしまっている……んだよな? あれは」

どういう視力をしているのか、20mは離れているルーレットの文字を読んでずばり正しいことを言うガロア。

 

(……適当に知識をひけらかすのはもうやめよう…)

本に書いてあった知識をそのまま言ってみたセレンだがまさしく生兵法は大怪我の基。危うく大損するところだった。

少ししょげながら席に着く。

 

「でも賭けようと思えば車が買えるくらいの金まで賭けられるんだな」

ディーラーがボールを投げてボールがくるくると盤の上で回っているのをぼけーっと見ながらガロアがつぶやく。

 

「まぁ……最初だし……ちびちびと、!!? 何やってんだお前!!?」

そう言った矢先に既にガロアは賭けてしまっていた。しかも最大限度額を一点張り。

 

「え?」

 

「根拠でもあるのか?!」

 

「ない」

 

「わああああああ!! と……」

 

「ここまでです」

取り消しと叫ぼうとしたが間に合わず既にベットは動かせなくなった。

 

「ギャンブルって一か八かなんだろ」

 

「ああああ!! なんてことを!!」

車を買える分のお金が溶けていく。そうだった。こういう馬鹿だった。

ガロアがリンクスになって金の管理の苦労を知ってから大分ケチになった自覚があるセレンだが、ガロアは全く金に頓着がない。

食材はなるべくいい物を安く買っているのは単にウォーキートーキーの教育が良かっただけ。

金なんてケツを拭く紙にもなりゃしないを地で行く生活を十年以上送っていたのだ。今も平然とした顔でボールを眺めているがセレンは顔が真っ青だった。

 

「お。当たった」

ころん、とボールがくぼみに落ちたのを見てガロアが呟いた。

 

「は? え?」

終止ムンクの叫びのような表情になっていたがそういえばどの数に賭けたのかを見ることすら忘れていた。

ギャンブルの醍醐味であるどこまでも落ちていくような感覚を初っ端から味わってふわふわとした頭で数を見ると確かにガロアが全ての金をぽんと置いた場所にボールが入っていた。

周囲から歓声が上がりベルがけたたましく鳴っている。

 

「なんだこりゃ。全然つまらん」

36倍、一気に高級車を新車で買えるだけになって返ってきたのを見てつまらんで一蹴。

隣でちびちびのんびりと賭けていた老夫婦が二人して心臓麻痺でも起こしたかのような顔で見ていた。

 

「お……? お……あ、お前……」

 

「別のゲームにしよ」

 

「ちょっと、待て。もう一度賭けてみろ」

 

「えぇ? もういいよ。これつまらん」

 

「いいから。どうせ勝ったんだから今から35回負けても損にならない。だろ?」

ちんちんがしゃがしゃと頭の中で生々しい計算をしてガロアに迫るセレン。

いつになく脂ぎった様子のセレンにちょっと引きながらもガロアは言われた通りまたマキシマムで一点賭けをした。

今度は回っているボールすら見ていない。ディーラーの顔が少しだけひくついた。

 

(……)

 

「また当たった。なんだこれ」

0.1%以下の確率のはずの一点賭けの二連勝をしてしまい周囲の人間はガロアと同じ場所に賭ける為にとうとう席に着き、ディーラーの顔が歪んだ。

 

(……もしかして)

 

「よく分からん。他のところに行こう」

 

「よ、よし。ちょっとスロットやってみろ」

 

「? うん。……? どうやるんだこれ」

 

「先に台を選べ」

 

「え? んじゃこれ」

 

「コインをそうそう、入れて。で、ここのボタンを押して止めるんだ」

このコイン一枚で大体三日分の食費なのだがここは三枚入れさせる。

 

「じゃあセレンがやんなよ」

 

「いや、お前が止めろ」

 

「? はぁ。どうすりゃ勝ちなんだこれ」

目押しどころかルールすら分かっていないガロアが適当にボタンを押していく。

 

(まさか……)

ぺし、ぺしと押したらいきなり『JACKPOT』の文字が二つ並ぶ。

 

(まさか!!)

最後のボタンをぶっきらぼうに押すと見事に『JACKPOT』の文字が三つ並んだ。

 

「ん? 当たりなのか? でもなんも出ないな」

コインが出るはずの場所をちらっと見ながらぼやくガロアだが店内に豪奢な音楽が響き天井のジャックポットの数字が光った。

すぐに店員がすっ飛んでくる。

 

(どういう運をしているんだこいつ?!)

セレンは飛んできた店員とガロアのやりとりをBGMに今一度ガロアの人生を振り返っていた。

そもそもはガロアが生まれた日。あの作戦で生き残ったのは裏切り者の男とオッツダルヴァ、そしてガロアだけだった。

まだ研究員に逃されたオッツダルヴァはいいとして、0歳ではいはいすら出来なかったガロアだけが偶然にも生き残って偶然にもサーダナに見つけられ静かに育て上げられた。

そして偶然にも広い広い街で自分に出会い欲していた力を身に着けた。AMS適性も桁外れだった。

 

「え? いいのですか?」

 

「だって税金とか分からん」

 

(こ、これは……)

今までも数々の強敵にぶつかりながらも命だけは落としていない。

つまるところガロアはとんでもない強運の持ち主なのではないか。

 

「あ、ありがとうございます!」

 

「うん、もういいから」

何事かを話し終えた店員は来た時と同じ速度でどこかへ行ってしまった。

 

(これから毎日ここに来てこいつに賭け事をやらせれば……)

得てしてこういったギャンブルというのは欲深い人間ほど負けて、興味がない人間ほど勝つのだ。

金への関心の無さでいえばガロアに敵う人間など地球上にほとんどいないだろう。

だが興味が無いという事は。

 

「セレン、次行くか」

 

「……あ? あれ? お前、何も貰って……ないのか? 店を出るときに受け取るのか?」

 

「いや、税金がーとか手続きがーとかうるさいからあれに寄付した」

ガロアが指さす先には恵まれない子供・孤児への支援のポスターがある。

 

「……は?」

そう。興味が無いという事は。

失うことにも関心がないという事なのだ。そういう人間だからこそ勝つ。世の中は上手くできていた。

 

「くぁ……あふ……」

下手したら家一件買えるほどの金が一瞬で手のひらから抜け落ちたという現実に目の前が真っ白になったセレンはその場に崩れ落ちガロアは頭を掻いていた。

リセットされた天井の数字がやたらと眩しかった。

 

 

 

「お前は経費管理の苦労を少しは知ればいいんだ……くそ……この馬鹿野郎……ああ……なんてことを……」

他にもゲームはあったがどんなに賭けてももうあれ以上の当たりはあり得ないのでセレンはやる気すら起きなかった。

ギャンブル狂が卒倒するほどの大当たりをしたはずなのに肩を落として出て行くセレンとけろっとした顔のガロアを見て他の客は首をかしげていた。

僅か10分の出来事だったのにセレンは寿命が10年は縮んだような気がした。

 

「悪かったって」

損したわけでは無い。むしろ金は増えたというのにカジノを出てからずっとぐちぐちと文句を言っている。

この様子ではこの前子供に持っていた金を全部渡しちゃったなんて言った日にはどうなるか。

 

「あ、おにーさん!」

 

「?」

 

「!!」

スピークオブザデビルどころではない。ちょっと考えただけなのに声をかけられた方を振り向けばあの時の少女が新聞を持って立っていた。

 

「この前は、!!」

余計なことを言う前にマッハで口を手で塞ぐ。

 

「……? なんだ? この子は」

 

(……! 分かったよ。ちゃんと口裏合わせてあげる。おにーさんも隅に置けないねぇ)

ぽかんとしているセレンを見て多分何かを勘違いした少女がひそひそと言ってくる。

 

「この前ぶつかってこけそうなところに手を貸した。そんだけだ」

 

「そうそう」

 

「ふーん? まぁお前はデカいからな」

少々腑に落ちないがどこが納得いかないのかよく分からないという顔をしながら一応言葉を返してくる。

 

「学校はどうしたんだお前」

 

「行っているよ。ありがとう」

 

「??」

何故お礼を言われるのかやはり分からないセレンは蚊帳の外だ。

 

「昼間だぞ。早速さぼんなよ」

 

「今日は日曜日だよ」

 

「……?」

 

「日曜日は学校ないんだよ?」

 

「あ、ああ。そうだったな」

学校なんて行ったことがないので基本的なルールも身についていないガロアは今聞いてそんな当たり前のことを思い出した。

 

「邪魔しちゃ悪いからもう行くね。またね」

 

「ああ」

盛大に勘違いしたまま走り去っていく少女の背を見る。

日曜日も仕事とは恐れ入るが学校に行けているのならよかった。

 

「なんだ? あの子は。やたらお前のことを気に入っていたな」

最近やたらとガロアの周りに好感を抱いている女性が多い気がするセレンはちょっぴり言葉に棘が混じる。

 

「さ、さぁな」

 

「学校……か。どうしてそんな話に?」

 

「ど、どうしてだろうな」

 

「……お前さ」

 

「え?」

 

「もうすぐ最終作戦も始まるだろ」

 

「ああ」

 

「終わったらネクスト売っぱらって大学に行け」

 

「……」

 

「普通に子供は学校に行くべきだと思っているんだろう?」

 

「……」

単純な人なのにどうしてこう勘は鋭いのだろうと思いながら首の後ろに手を回したらリンクスの証のジャックに手が触れた。

 

「行けよ。正直お前が戦争屋で腐っていくのはもったいない」

 

「いや、俺は」

 

「自分は普通の子供じゃないつもりか? もうぶっ飛ばして強要はしないしここまでお前のわがままも聞いた。だから今度こそ言う事を聞け。お前は……」

 

「セレン!」

 

「!」

 

「……全部終わってからにしよう。そういう話は。戦争屋に未来の話をするな」

 

「……。まぁ、どうせあと一、二回の出撃で終わるはずだからな。ちゃんと考えておけよ。しっかりと勉強したいんだろう?」

 

(……分かってんだ、そんな事は)

自分には本当の両親という物がいて優秀な研究者で難解な本の内容をすらすらと理解できる頭も自分だけの物では無くその親から貰ったものだろういう事も、

だからこそしっかりと勉強してまともな進むべき道を選んだ方がいいという事も。

 

(ああ……また……)

ずきん、と頭痛がはしり脳内で鮮血の惨状が描き出される。

もういいから思考停止して戦えと言わんばかりに。

いっそいつかの白昼夢のように戦う機械になれたら楽なのだろうに。

立ち止まって目を開きながら何も見ていないでいるとセレンの冷たい手が右手に触れた。

 

「大丈夫か?」

 

「あ、ああ」

 

「まぁ……18歳って言ったら本当は進路に悩む時期なんだ。ゆっくり考えればいいさ」

 

「セレンは……」

 

「これが選んだ道ということだ。選ぶのも自由なら嫌になって投げるのも自由というのはいい事だ」

 

(……ありがたいな、本当に)

自分なんかと一緒にいていいのか、と言いそうになったが多分蹴っ飛ばされて不機嫌になるんだろう。

 

「そういや……、あー……なんでもねぇや」

 

「言え」

 

「……セレンいつ21歳になるんだ?」

セレンには恐らく誕生日がないということに考えが至ったのに言葉の圧力に屈してしまった。

 

「そうだなぁ……じゃあ21歳でいいや。私は今から21歳だ」

 

「え、そんな適当でいいのか」

一瞬だがすごい悩んだというのにこのフランクさ。

ついこの前までは本当はセレンにとってデリケートな話題だったのだが今はそこは明確になっている。

 

「お前が年をとったら私も次いで年をとる。分かりやすいじゃないか」

 

(なんかすごいこと言っている)

そのアバウトさもすごいが、それってプロポーズみたいじゃないか。

多分指摘したら……やっぱり顔を真っ赤にして蹴っ飛ばされるのだろうなと思ってガロアはまた沈黙した。

 

「小腹が空いたな」

 

「……だな」

既に普通の人間が一日に摂取して苦しむ量を食べたというのに二人して腹をぐぅと鳴らす。

 

「カフェがある」

 

「カフェだって?」

 

「そう言えば連れて行ったことなかったな」

セレンはまだ一人だった時に腐る程ある時間をつぶす為に頻繁にカフェに行っていた(そしてナンパされていた)が、

ガロアと一緒になってからは行ったことない。食事をするにもとにかく体の小さかったガロアには沢山食べれる店に連れて行ったからだ。

そして当然ガロアは行ったことがない。

 

「はぁ」

 

「行くか」

 

「食い物あるのか」

 

「ある」

 

「へぇー」

 

 

セレンの言う通り、軽食ではあるがそれなりに食事がありガロアは紅茶とクロワッサンを、

セレンはピザトーストとコーヒーを頼んだ。

 

「お前、紅茶が好きなのか?」

 

「……いや、慣れている飲み物と言うか」

 

「?」

 

「小さい頃から紅茶だけは家にあった。……多分、父さんが好きだったんだろうな」

 

「なるほどなぁ」

セレンも口を動かしながらミルクをコーヒーに入れていく。

 

(……そういやスミカさんもブラックコーヒーが好きだったっけ)

と思った瞬間シュガースティックを数本引き千切って一気にぶち込みガロアは紅茶を噴き出した。

黒いコーヒーの上に砂糖の山が出来上がった。

 

(……スミカさんは……お菓子をよく買ってくれたけどあんまり食べなかったな)

今思うととあの人はあまり甘い物が好きでは無かったのかもしれない。

セレンのこれはどう考えてもいきすぎだが。

 

(やっぱ違うんだよ。セレンは霞スミカじゃない)

死んだ人間は戻らないし例えDNAが同じでも育つ環境が違えばそれはもう違う人間。

そう、例えば自分が普通に本当の両親の元で育っていたなら今頃どうなっているかは分からないがそれは今の自分とはかけ離れた姿をしているのだろう。

 

 

大きな身体を少し丸めて紅茶を飲むガロアを見てセレンもセレンで少し考え事をしていた。

 

(間抜けな顔だ)

ガリガリと豆を挽く音が鳴る厨房をぼへっとしている顔で見ているガロア。何も考えて無さそうな顔だが、いつか言っていたようにあれでいて色々と考えているのだろう。

相変わらず顔に力が入り過ぎだとは思うが、セレンはそんな気の抜けたガロアの顔は結構好きだった。

だがその顔が凄惨そのものになるときも知っており、その時はセレンも恐怖を感じてしまう程だ。

 

(私があの男たちの元に行ってしまった時……ためらいもなく次々に殺していた……あの女を尋問していた時……生き生きしていなかったか?)

出会ったばかりの頃は特に凄かった。

この小さな体のどこにそんなエネルギーがあるのかと何度も思ったし、さらに体力的に追い込まれたときは心の内がさらけ出されたかのような鬼気迫る空気を出していた。

自分が女だからなのかは知らないがあの臓腑を握り潰されるような迫力を味わう時、まだ自分に勝てる要素は無いはずだと知りながらも心底ぞっとしていた。

 

(目が……違うんだ……目が……その時のガロアは)

誰にだって裏の顔や二面性はある。自分だってうじうじとどうしようもない過去を思い悩む暗い面がある。

いや、むしろそれが半分以上自分なのだと言ってしまってもいいかもしれない。

誰にでもあると分かっていながら感じるこの不安は何なのだろう。

 

(そうだ……この言いようのない不安……暴力はお前をも破滅させる……。お前は強いと分かっているのに……そのイメージが消えないんだ)

女の勘に理由はない。だがその勘はいつも真実に近い。それが好いている男に対しての物となれば尚更だ。

ぶん殴って噛みついてでもやめさせようとした理由と説明できなかった不安にようやく合う言葉が出てくる。

リンクスも兵士もどこかで好戦的な面はあるはずなのにどうしてガロアのそれだけは破滅の気配が極めて濃厚なのだろう。

あの姿は好戦的というよりは獰猛だとか凶悪という表現の方が合っている。そして獰猛な生き物の周りからは何もかもが消え去りそれ自体も死に絶える。

常にそうでないのが救いだが、戦いに赴いて命の危機に晒されたり激怒したりするとその部分は顔を出す。

 

(大丈夫だ……あと二回程度の出撃……いや、もう一回で終わりにしてもらおう。これ以上は……)

 

「最初は……あれだな」

 

「え? なんだ?」

 

「いや、最初に作る簡単な料理」

セレンが考えていた事とあんまりにもかけ離れた平和な話題に少し気が楽になり笑みが漏れる。

 

「なににするんだ?」

 

「ゆで卵とか」

 

「バカにしているのか?」

茹でておしまいの料理とも言えない物をくそ真面目なトーンで提案するとは流石に頭に来る。

だがガロアは今までの失敗を考えたうえで真面目に言っているのだ。

 

「ダメか?」

 

「いくらなんでも舐めすぎなんじゃないか」

 

「……」

 

「隣で間違える前に言ってくれればそう大変なことにはならないだろう!」

ところがセレンの性格的に何か言う前に包丁で指ごとイったり砂糖を袋から一気に入れそうなのでガロアは困っているのだ。

ふん、と鼻を鳴らしながらピザトーストを口に放り込むセレンを見てガロアは思いつく。

 

「それ、美味いか?」

 

「? まぁ、美味いよ」

 

「じゃあそれを……いや、それっぽい奴作ろう」

 

「本当か? これ美味いぞ? 私で作れるのか?」

 

「本当に手間暇かかって大変なら頼んで5分で出てこねぇよ。大丈夫」

 

「……まぁこれが最初なら、悪くはないかな」

 

「よーし、んじゃそろそろ行くか」

 

「そうだな」

 

そういえばいつからかガロアが自分からああしようこうしようと主張するようになった。

いや、元々そういう性格だったが喋れなかったから主張できなかっただけなのかもしれないが、こちらの意見を仰ぐだけのイエスマンじゃないのは嬉しい。

まぁよくよくリンクスになった動機を考えてみればどんな性格だったかは分かりそうなものだが。

喋る様になる前は静かでクールな性格を想像していたがこういう性格は悪くない。それでいて自分の事を尊重してくれているのも分かる。

本当に強く頼もしくなったし、もう師として何も教えることは無いが、その分完全に女性目線で見ることが出来る。

ずばっと自分のやること行く先を決められる決断力は普通に魅力的だ。……あまり決断力があり過ぎるのも問題だが。

ホワイトグリントを倒した張本人がラインアークで食べ歩くなんて誰が想像しただろう。

 

「どうした? 黙りこくって」

 

「あ、いや。なんでもないぞ」

 

「さて、甘い物でも食べるか? 結構あったぞ、そういう店」

 

「今は腹も膨れているし、いいかな。それより服を見よう」

 

「服ねぇ。女性用の服を売っている店なんて知らないから探すしかないぞ」

 

「いいや。私のじゃない。お前の服を、だ」

折角スタイルがいい(一応)……といえるのだから、少しくらい着飾ってもいいと思う。

 

「リリウムと同じこと言っているな」

 

「? なら何故服を買わなかった?」

 

「ないんだよ。俺に合うサイズが」

 

「…………」

それはもうカラードにいるときから頭を痛めていた問題だった。パッと見ただけでもすれ違う長身の男より二回りは大きい。

着ているTシャツだってXが三つ以上付くようないわゆる太っている人が着る物を着ているのだ。一見細身だが首や二の腕から覗く筋肉の密度は金属並だ。

骨密度も半端ではないのは栄養管理のおかげなのか、もともとそうなる素質があったのか。

身体を鍛えるなとは言わないがそろそろ冗談では無く脳みそまで筋肉になりそうだ。

 

「セレンだって服を見たいだろ。俺はいいから探そうぜ。見た限りあっち側に洋服店が並んでいるな」

もちろん自分だって服を見てみたいが、少しはガロアをオシャレや娯楽に目を向けさせないと本当に戦いしか頭にない人間になってしまう。

1kmは離れている場所を高い場所から見てそんな事を言いだすガロアを見上げて一つ思いつく。

 

「そうだな。アクセサリーが見たい」

 

「? ま、場所もとらないし、ちゃんと片づけるならいいよ」

 

 

一緒に店内に入って隣で感想を言わなければならないのだろうな、とそういう事になれない頭で考えていたら意外や意外、「どうせ分からないのだろうから外で待っていろ」とセレンに言われた。

確かにその通りなのだが、冷房の効いた店内にいたかった。またコータロイドは新曲を出すらしい。これで80年連続でシングルを出しているとか。

興味の湧かないポスターを見ながらペットボトルを飲んでいたらセレンがもう出てきた。

 

「ガロア。ピアスとか興味ないか?」

 

「え? ピアスって宗教的文化的な奴じゃないの」

 

「オシャレでもするんだよ、アホ」

一体何百年前の概念が頭に居座っているというのか、真面目なトーンで返されセレンは少し困った顔をする。

 

「ふーん。でも興味ない」

やっぱりなという顔をするセレンを目にしながら言葉を言い終えるとまた頭に激痛が走る。

 

(痛っ……。違う……興味が無いじゃなくて、俺みたいな人間には必要のない物だ、だろ?……くそ、分かってる……アレフが直ったら戦うから……)

最初は数日に一回程度だったのがここ最近は毎日眩暈がするほど強烈な頭痛と幻覚が襲う。

それも決まって平和を満喫しているときに。その理由をガロアは知らないがどうすれば収まるかは知っていた。

戦うのみである。自分に言い聞かせていくと霧が晴れるように頭痛は消えていった。

 

「ま、そういうと思っていた」

 

「? なのにわざわざ聞いたのか?」

 

「だからもう買ってしまった。さぁこれはもう着けざるを得ないな」

 

「はぁ」

そう言って見せてきた手の中には二つの青いティアドロップのピアスがあった。

この青いピアスはセレンの方が似合いそうなのだが。

 

「涙の形はお前の星座の形なんだそうだ。つけろ」

 

「セレンそういうこと信じるのか?」

 

「うっ……。いいからつけろ? な?」

そんなことはこれっぽちも信じてはいないセレンはさくっと見抜かれて戸惑うがもう買ってしまったのだ。

ごり押していく。

 

「……。分かったよ。買っちゃたんならしょうがない」

 

「わーっ! バカ! ちゃんと穴を空ける機械があるんだよ!」

躊躇も一切なく手から取ったピアスを耳に持っていったガロアをなんとか止める。

あと0.5秒遅かったら道の真ん中でえぐいことになっていたかもしれない。

 

「え、そうなの」

 

「それに片方は私のだ」

 

「?」

 

「買ったらついでに穴を空けてくれるんだ。ほら、行こう」

 

「?? はぁ」

いつになく強引なセレンに手を引かれ強制的に耳たぶに穴を空けられた。

元から穴が空いていたセレンは右耳に、ガロアは左耳にピアスを付けることになった。

 

「どうだ?」

 

「思ったほど痛く無かったし、思ったほど気にならないな」

耳までかかる赤い癖毛からちらりと覗く青い涙型のピアスは威圧感を緩やかにするいい感じのアクセントになっている。

ちょっと高かったが買って良かったとセレンは思う。

 

「そんなもんだ。でもそれはそのまま2カ月はつけっぱなしにしてもらうぞ」

 

「はぁーっ。寝にくそうだ」

 

「気にならんよ」

 

「でもピアスって普通両耳に着けるものなんじゃないの」

 

「……気にするな」

セレンの右耳を見ながら自分の左耳をこりこりと間抜け面で触るガロアはその意味など分かっていなさそうだ。

分かっていたらここまで女心の分からない人間にならなかっただろうが。

 

「? よく分からんけど、まぁ……」

 

「もう、お前の方が私より強いからな。これからは……」

 

「セレンから自分の負けを認めるのは初めてだな」

 

「教え子には最終的に抜かされることが最大の恩返しなんだろうさ」

 

「その割には微妙な表情だな」

 

「もっと常識とか教えておけば良かったとも思っている」

 

「そうか」

でもセレンもだらしないし常識あまりないと思う、とは心の中で言うだけにしておく。

 

「しかし、テレビも見ない、漫画も読まないでどうやって暇つぶししていたんだ」

どちらからともなく適当に歩きはじめ適当な会話を始める。

ちらっとセレンの方を見ると青い目がこちらを真っ直ぐ見ており、よく向かいから来る人とぶつからないものだと思ったが、

向かいから来る人の方がセレンを見ている。

 

(そうだよな……やっぱ美人だよな。みんなこっちを見ている)

そんなセレンがどうして自分なんかを好いてくれているのかが分からない。

偶然の出会いや奇妙な縁はあったとは言え、セレンの生い立ちを考えるにこの好意は刷り込みに近い物があるのではないだろうか。

さんざん考えたがどうしてもセレンが自分のそばにいて幸せになる未来が浮かばない。

考えるだけで腹の底あたりが締め付けられるような気分になるが、やはり自分ではなくてもこの世界のどこかにセレンを幸せにしてくれる男がいるんじゃないか。

色々と頭の中で考えを巡らせながらも会話を途切れさせないように口を開く。

 

「動物のケツを追っかけまわして皮を剥いで肉を捌いて、矢を作ってナイフを砥いだら日は暮れていたからな。潰す暇はあんまりなかった」

 

「でも本は結構読んでいたんだよな?」

 

「父さんが残してくれた物だ。街に調達に行けばテレビも漫画もあったけど……かさばるし興味もなかった」

 

「あんな場所で10歳から……あ、いや……お前の育った場所をバカにしているわけじゃないんだ」

 

「セレンはやっぱり綺麗だな」

 

「!!……藪から棒に……。なにを……」

自分でも唐突過ぎたとは思う。セレンはいきなり背中を押されたよりもあたふたしている。

 

(このやり取り……)

同じ質問には同じ答えをする機械と生存競争だけのあの森では決して得られなかったもの。

自分のただ一言が誰かの心を揺らしているということ。それが如何に大切な物かは一度無くなってしまったからこそ分かる。

人と獣の違いは頭のよさや姿かたちなんかじゃなくてただそこだけにあるのかもしれない。

 

「セレン、のど乾いただろ」

顔を真っ赤にして汗を流すセレンはうだるような暑さのラインアークであることを考えてもちょっと汗をかきすぎだ。

 

「え!? う、うん」

そしてセレンは二転三転する話の展開についていけないようだ。

 

「あれ、買ってくる。その日陰で待っていな」

 

「え?」

話が飲みこめたときにはもうガロアは少し離れた場所でマンゴーラッシーを売っている屋台に並んでしまっていた。

 

(あいつなりに気を使ってくれているのかな)

ハンカチで汗を拭きながら言われた通りに木陰で待つ。

確かに暑いし、のども乾いたがこの中で屋台にならぶのは暑がりのセレンには少しきつい。

 

(でもそういう時は暑かろうと寒かろうと一緒に並びたいものなんだよ、まったく)

並ぶ人達の中で一人だけ背が高すぎるガロアはまんま出る杭と言った感じだ。

 

(性格も悪いし口も悪い。おまけに泳げない)

 

(なんだあいつ、結構ダメダメだ)

 

(漫画なんかでよくある、能力を五角形だか六角形にしたようなグラフがあったら……あいつのは製造ミスの菓子みたいな形をしているんだろうな)

普段はかけていない眼鏡をかけるとガロアの左耳に青い光が見えて少しだけ嬉しくなってほほ笑んだ。

むこうから帰ってくるとき、あの良すぎる目なら自分の右耳の青い光も見えるのだろう。

そんな事を考えていると。

 

「Tú tienes una sonrisa bonita!」

 

「は?」

狭い木陰の中で、いつの間にか隣に立っていた男がいきなり声をかけてきた。

日焼けした肌からは少々やり過ぎなほどの香水の匂いが漂ってきており、その発信源に目をやると濃い胸毛が目についた。

 

「Que ojos bonitos tienes……me gustan tus ojos!」

 

(はぁ……いつぶりだ? こういうの)

英語が世界公用語となりどんな国の者でも最低限の日常会話は出来るであろうこの時代にあえて耳慣れない言語で話しかけ、なし崩し的に関係を築こうとする典型的なナンパだ。

 

「Eres muy guapa!……? Que’ tal si salimos juntos esta noche? 」

どうせ分かるまいとでも思っているのだろう、耳が腐りそうなことを言ってくる。

そう、普通なら分からないだろう。だがセレンは0歳の頃から世界中の言語を常に耳に聞かされて教育されており、

今はそれを有効に使う機会はないが大体の言語なら理解できる。今はもうほとんど人の住んでいない中国大陸の言語や日本語なんかはそもそも耳にする機会も無かったので分からないが。

あれこれ話しかけてくるこんなナンパ男は、普段だったら蹴っ飛ばしてお終いだが、今日は楽しいデートなのだ。

なるべくそんな暴力的な事は避けていきたい。

 

「……Tengo novio y nos vamos a casar」

どんな男も一撃で心が折れるような返し。セレンもセレンでこの場にガロアがいないのをいい事にさらっととんでもないことを言っている。

だがセレンの流暢なスペイン語を聞いたナンパ男は嬉しそうに口笛を吹き、諦めるどころか一層勢いを増して迫ってきた。

 

「No importa!vamos、ひぃ!?」

あと1cm近づいたらぶん殴っていた、という所でナンパ男はUFOキャッチャーの景品のように頭を掴まれて持ち上げられた。

 

「なんか用か」

 

「え、っは、お、お幸せに!!」

ガロアに高く持ち上げられた男は過呼吸気味になりながらなんとか降りると、普通に英語を口にし、香水の匂いを撒き散らしながら脱兎のごとく逃げていった。

 

(やっぱり……怖いよなぁ……)

誰だっていきなり頭を掴まれて持ち上げられたら怖いだろうが、

さらにあの灰色の目は実際はどう思っていようと冷たく見えてしまう。しかも遥か上から見下してくるのだ。

何度か転びかけながら逃げていく男の背中を見てセレンは小指の先ほど同情した。

 

「お幸せにだぁ? あの野郎、普通に英語喋れんじゃねーか」

 

「!!……お前、話を聞いていたのか?」

 

「聞いていたけど全然わかんなかった。迷子か? あのおっさん」

カップを受け取りながらその言葉を聞いてほっとする。

もしも意味が分かっていたのならこの場で頭を抱えて悶絶していたところだ。

 

「……よくいる身体目当てのナンパだよ」

 

「え? ぶっ飛ばしていいか? あいつ」

 

「もう消えたよ。それよりお前、本当に全く分からなかったのか?」

 

「だから分からなかったって。何語なんだあれ」

 

「スペイン語だ。英語以外分からないのか? お前」

 

「後は……ロシア語がちょっとわかるくらいか。セレン、スペイン語も分かるんだな。知らなかった」

 

「大体の国の言葉は分かる」

 

「へー。すげぇ」

 

「……」

別に凄いことなんかない。0歳の頃から耳にしていたことなのだから脳が覚えて当然だし、そもそも完璧な教育を受けてきたのだ。

だがそれでも素直に尊敬の眼差しを向けられるのは悪くない。そういえばガロアがこんな目で自分を見てくるのはいつ以来だろう。

 

「今話している言葉以外なんて覚える気にもなれねえ。すげえ」

 

「……Eres lo más importante en mi vida」

 

「え? 何て? 分からないって」

 

「何でもない、ばか」

本当に分かっていないガロアだが、自分が何て言いそうかくらいは予想が付かないのか。

いや、それとも言いたいことをちゃんと言える勇気がない自分がダメなのか。

心地よくこんがらがる感情を乗っけて、自分の腹ほどの高さにあるガロアの尻を蹴っ飛ばした。

 

「いてっ。なんだよ」

 

「たまには蹴らせろ。この!」

 

「いてぇって、なんなんだ」

 

「うるさい」

 

その後も訳の分からないという顔をするガロアの尻を蹴っ飛ばすこと13回、日が暮れるまで適当に食べ歩き、食堂より遥かに美味しい食事をたっぷりと晩飯として食べてからのんびりと帰った。

ガロアは普通にシャワーで済ませたがセレンは相変わらず大きな風呂が好きなようで銭湯に行っている。

ガロアはベランダで手すりに大きな身体をもたれかけさせながら暗い海を見ていた。

 

(どこに行っても夜は暗いもんだな)

森も海も夜になると何も見えないのは同じ。

ただ音だけが違う。木のさざめきが懐かしい。

 

(……俺は生き残れるんだろうか。でも、生き延びてもまた戦っているんだろうな。そしたらいつかは負ける……今まで負けていないのは結局先送りにしているだけだ)

 

(結局考えはまとまらねぇ。人殺しが正義を語るな。人を殺しておいて中途半端で降りるな。殺さないで平和が実現できるものか。どれも正しいのに全部正しいとするならこの世は地獄だ)

人の歴史は戦いの歴史。殺して奪い合う狂気はどこから生まれるのか。もう全ての根源を潰すにはこの世界は毒され過ぎた。

ガロアはすでに自分なりの答えを、いつかセレンにぶん殴られながら戦いをやめろと言われたときに得ている。いや、本当はそのずっと前から知っていたのかもしれない。

だが答えが必ずしも清潔で救いであるとは限らない。黙りこくったまま波の音を聞いていると扉の方から音が聞こえた。

 

「何か面白い物でも見えるのか?」

 

「いいや、海しか見えないな」

隣に立って同じく水平線を見つめるセレンからはまだほかほかと湯気がたっており、風呂に入ってきたにしては奇妙な匂いがした。

かいだことのある匂いだがよく思いだせず、顔をしかめているとそれに気が付いたセレンが答えを口にした。

 

「ああ……風呂にゆずが入っていたんだ」

 

「ゆず? 柑橘類の? なんだ? 食うためか?」

温泉に卵という話は知っているが、なんでわざわざ湯船に果物を入れておくのか分からない。

 

「なんでも肌にいいそうだ。ほら」

差し出された手を触ると肌は白磁のようにすべすべとしている。

格闘技に長く携わっているのなら当然の事だが、手にはいくつもの傷がある。

傷が癒える前にまた開いてを繰り返して痕になってしまうのだ。傷が一切ないから美しいのではなく、それを含めて美しい。

 

「……髪、乾かすか?」

 

「そうだな。頼むよ」

 

帰ってきてからも毎晩、当然のようにセレンの髪を乾かしている。

セレンも当然のように乾かされている。

つやつやと照明の光を反射する黒髪を見てガロアに疑問が浮かんだ。

 

「俺がいないときはどうしていたんだ」

セレンももう成人している訳だから手入れをしなければ徐々に輝きを保てなくなるだろう。

枝毛も痛みも見えないのは昔からだったが、これで全く手入れをしていなかったというのはあり得ない。

 

「お前が褒めてくれるから……ちゃんと乾かしていたぞ」

ドライヤーの音にかき消されそうな声はセレンの性格に似合わない。

後ろからでは見えないが、どんな表情をしているのかは分かりやすい。

 

「そうか」

それに『じゃあもう自分でやろうよ……』とは思うが、嫌では無い。

暖風に運ばれてくるセレンの髪の香りは自分の人生の中でも一番好きな匂いだ。

安らぎというものに匂いがあるとしたらきっとこんな感じなのだろう。

そんな事を考えていると、セレンが何もしていなかった手で自分の肩を叩いていることに気が付いた。

 

「肩、凝っているのか」

 

「ん? まぁ、多少はな」

 

「少し揉んでやろうか」

 

「お前がそういう『弟子らしい』ことを言うのは初めてだな」

 

「そうかもしれんな。どうする?」

 

「是非頼むよ。いや、本当はマッサージ器なんかあったら使いたいし買おうかとも思ったが、それって凄く年取った気分になるだろ? だから自分の手で揉みほぐすしか無かったんだ、今まで」

さっと髪を高くまとめ上げるその姿は実に女性らしく、どこから髪留めを出したのだろうなんてことを考えてしまう。

 

「年取った気分ねぇ……」

そう言いながら肩に手を触れると驚くほど固かった。

女の身体がそうなのかセレンの身体だからそうなのかは知らないが、どこだって柔らかかったからなおのことその固さには驚いた。

 

「もう少し強くてもいい」

 

「ふーん。じゃあ、ま。強くするぜ」

自分でもこれは少し痛いんじゃないのかと思うぐらいの力を込めて凝り固まった筋肉をほぐしていく。

 

「はぁー……風呂上がりに肩もみ……極楽だなぁこれは」

 

「年寄りくせえこと言うなよな」

年寄りという言葉で思いだしたのは一気に老け込んだように見えた王小龍のことだった。

リリウムもこんなふうにすることがあるのだろうか。あの老人の性格からして自分から頼むことはまずないのだろうが。

 

(そういや……俺はこんなことしようともしたことなかったし頼まれたことも無かった)

そうしたら父は喜んだのだろうか、照れ隠しでもしたのだろうか。

今ではもう永遠に分からない。今になって後悔がさらに溢れてくる。

いつだって遅すぎると思うが、だからこそ後悔と言うのだろう。

 

「とはいえもう10代ではないからな……」

 

「どうしたらこうなっちまうんだ?」

 

「普段から前かがみになりすぎていたり、明るい画面をずっと見ていたりするとなるみたいだな」

 

(いや、それだけじゃねえな)

肩越しに見える胸元を見て考える。

 

(あの乳オバケほどじゃないけど……セレンのも普通に大きいんだ。多分。こんなもん常にぶらさげてりゃ肩もこるだろうな……)

最初に関わった女性は霞で次がセレン。そして街に物資を調達しに行って目に入ったポルノブックの表紙の女性なんかも大抵は大きかったから最近になるまで気が付かなかった。

多分リリウムとかあのリザイアくらいの大きさが普通なのだろう。よく考えてみればあれだけ食べているのだからどこかに栄養が行かなければおかしい。

 

「何を考えている?」

 

(鋭い! なんでだ……)

ほんのちょっとやましいことを考えただけなのにセレンの青い目がいつの間にかこちらを見ていた。

怒っているわけではないのだろうがきっと考えていた事は見透かされているのだろう。

青い目の中にある黒い瞳は海にぽっかりとあいたブルーホールのようだ。

 

「……」

セレンは確かに怒ったり照れたりしてはいなかった。

男と女の目線は決定的に違い、そして分かりやすい。

今ガロアは確実に後ろから自分の胸元を見ていた。

男ならよっぽど変人でもない限りは誰だってすることだろうし、そのことについて責めるつもりはセレンにはない。

いや、むしろそれはいいのだがやはりそうなると疑問が出てくる。

 

「ど、どうした?もう肩はいいのか?」

 

「キスをしていいか?」

 

「え?……!?」

 

「……」

唐突だったかもしれないが、デートだと言ったのだから終わりに口付けの一つくらいあってもおかしくはないだろう。

目玉があちこちに飛んでから頷くガロアはどう見ても嫌がってはいない。

だがその表情は戸惑いの色が混じっている。なぜ戸惑うのか?それは分からないが何か迷いがあるのだろう。

その迷いが何なのか、自分に原因があるのか、ガロアの個人的な理由なのかは分からないし聞いても教えてくれないのは分かり切っている。

 

(ならばそれはなぜ?)

女性として見られてないということはないはずだ。特に先日、寝ている自分にいたずらや助平な行為をするのではなくキスをしただけというのが大事なのだとセレンは思う。

それだけにとどめていたということに純粋な恋心と真心があるのだと自分の経験から分かる。

性欲だけで動いているのか、それとも本心からなのかは見分けるには結局共に過ごした時間しかない。

三年間一緒にいて異性だということを忘れるほどに間違いが一歩も無かったのにここにきて何かが変わり始めている。

それはおそらく、自分と同じ理由だろう。つい最近その恋心を自覚し始めたのだ。

どうしても分からないのがガロアがそこで踏み止まって戸惑う理由だ。本能で動くだけの獣を良いとは思わないが本能を殺し切るのを美徳だとも思っていない。

 

「そんなこと……」

 

「聞くなよ、か?」

待つようにそっと目を閉じたガロアはやはり自分からことを起こそうとする意志が少ないように思える。

大切なのは自分の心なのだと言い聞かせて少し乾いた唇に近づいた。

 

(下睫毛が綺麗だな)

この距離で薄く目を開けるとよく分かる。眉を顰めなければ本当は目は真ん丸だし鼻筋も整っている

女に生まれていたらさぞかし美人だっただろう。

 

(もしガロアが女に生まれていたら、それでも私はこうしていたのだろうか)

それでも自分は『その』人物をこの世界で一番大切に思うようになっていたに違いない。心が救われたこと、一緒に過ごした時間に性別は関係なかったからだ。

だが、男であること、女であることは想像以上に大切なことだと、一秒でも長く触れていたいと、そう思いながら感じる。

 

「私を……ガロア」

 

「……?」

 

「抱きたいと思ったことはあるか? 心から愛おしくなってしまってどうしようもなく、そんなことが」

 

「……ある!」

戸惑いをかき消してしまうほどその言葉にも表情にも嘘はない。

はしたないことを言葉にしているのだろうが今ここで自分たちの間にある心に汚れはないはずだ。

 

「分からない……一体お前が何を考えているのか。私が……」

ここまで言い切ってどうして最後の一かけらが足りないのか。

そして自分はどうして満足できないのか。

 

「でも……そういうのは勢いでしていいものではないだろう」

 

「……確かにな」

自分は構わないと思っていても酒の勢いだけで迫られたときは拒否していた。

この言葉は一切の隙が無く正しいのだが、同時にガロアが綺麗な正論でこの場の感情を押し込めてしまおうとしてしまっていることも感じた。

男は相手がいやがっても無理やり出来るかもしれない(心はもう手に入らないだろう)が女は拒否されたらそれまでだ。

 

「それに……セレンはほら、嫁入り前の身体なんだから」

 

(YOMEIRIMAE……)

正しく美しいことを言っているのかもしれないが、嫁入る前に出る家が元々なく、肉親も戸籍もない自分に言う言葉じゃないことは分かっているはず。

いろいろとずれたことを言っているがそれはきっと大事にしてくれているからこそなのだろう。

 

「ほら、買ってきた材料で作ってみよう。昼間に言っていたやつ」

 

「……うん」

単純なもので、「うん」と言うと同時にぐうと腹が鳴った。

そう、これくらい……寝る1時間くらい前にああいうジャンクで温かい物が食べたくなるのだ。

しかし自分に作れるのだろうか。

 

「おいでよ、セレン」

 

「ああ」

おいでよ、とは随分ではないか。

いつから立場が逆転して自分について来いと言うようになったのだろう。

 

「さて、俺の指示には従ってくれよ」

 

「分かった分かった」

台所に置かれている食材のパンやチーズ、ベーコンなんかには文句ないが、コップが一つ置いてあるのがよく分からない。

 

「はい、まずはコップの底で食パンの真ん中に跡をつけて」

 

「?……これって料理なのか?」

とりあえず言われたとおりにコップの底をパンに押し付けると丸くへこんだがここまででは子供のいたずらにしか見えない。

 

「よし、卵を焼こう」

 

「おお」

手際よくさっと油をひき、熱すると片手で卵を割った。

 

「そしてこれをさっきのパンの上に乗せる」

 

「その為にへこましたのか? でもまだ早くないか?」

2分もしないうちにフライ返しでパンの上に乗っけたのはいいがまだ半熟にすらなっていない。

黄身がうまいことへこんだ部分にはまって零れないがだからどうしたと言うのだろう。

 

「セレンも焼いてみな」

 

「ああ」

さっき割と簡単にやっていたし、と思い片手でシンクの角にたたきつけようとして止められた。

 

「卵を消し飛ばすつもりか? そんなに振りかぶって。両手でちゃんと割ってくれ」

 

「でもお前簡単そうにやっていたじゃないか」

 

「なれれば出来るようになるから今は俺の指示に従ってくれ」

 

「ふーん。まぁいい」

これくらいなら落ち着けば出来ないことははず。

力をこめすぎずにヒビをつけフライパンの上に乗せる。

 

「その辺でいい。俺がやったみたいにパンに乗せて」

 

「よし……よし、うまくできたぞ」

一瞬黄身から落っこちていきそうになったがなんとかへっこみに乗せることに成功した。

 

「で、こうする」

 

「……あまり難しいことはないな」

その上に最初から切ってあるベーコンを三枚、黄身を隠すように乗せていく。

 

「コショウは三回振ればいい」

 

「三回の理由はあるのか?」

 

「慣れだ。使っていくうちに味の濃さが分かるようになる」

 

(いつも調味料で失敗するんだがな……私は)

コショウを山盛りになるほど入れたり、油がひたひたになるまで入れたり、

特にそういった点で加減が利かないのは分かっているのだがレシピを見ても適量としか書いていないのが頭にくる。

その点こうやって「三回振れ」と言ってくれるのはありがたい。

 

「で、さらにこうする」

袋からさらに二つの食パンを出したガロアは一枚を自分によこしてその上にマヨネーズをかける。

 

「ここからどうするんだ?」

 

「こうしてこう」

熱すると溶けるチーズをのせてその上にケチャップとバジルをかけた。この時点で焼いたらどういう味になるのか分かってきた。

 

「そんで全部オーブンで焼く。まぁ……4分かな」

 

「それも経験か?」

 

「そんなところだ。特に焼くことに関してはガキの頃から何度もやってきた。そこを間違いはしねえ。焼き足りなきゃさらに焼けばいいしな」

話をしながらもガロアの目はオーブンの中を注視している。

万が一にも焼きすぎになりそうになってもすぐに取り出せるだろう。

 

「で、焼きあがったわけだ」

 

「どうするんだ?」

 

「なに、簡単だ。ベーコンが乗っているほうとチーズが乗っているほうをはさむように重ねる。それだけ」

 

「なるほど……」

いい感じの焼き加減と焦げが付いたパンに挟まれた具の味を想像するだけでよだれが溢れそうになってくる。

 

「ほら。食べてみろ。セレンが作ったやつだぞ」

 

「……うまい! あれ!? いけるぞこれ!」

 

「な?」

 

「へぇー……」

ベーコンの下の卵は固くもなく、丁度いい半熟。最初に焼いていなかったら恐らくまだ黄身がどろりと零れてきただろう。いや、その前にパンにうまく乗らなかったかもしれない。

想像通りにチーズとケチャップ、マヨネーズは合うし店で出ているのと比べても遜色ない。本当に大して時間がかからず出来てしまった。

 

「難しくなかったはずだ。これで次から作れる。普通の料理もレシピ通りにやればまぁまぁ作れるんだ。最初はアレンジとか考えなくていい」

 

「ふむ。料理人にもなろうと思えばなれるんじゃないか? お前」

 

「……さて、歯を磨いて寝るか」

 

(また話をそらした……そんなに自分の幸せな未来は想像できないのか?)

すっと自分の横を通り過ぎるときにほんの少しだけ見えた目には静かな悲しみの感情が浮かんでいる。

それを癒そうにも原因を本人が語らないことにはできないし、もしかしたらその原因が自分なのかもしれない。

 

 

「いつも思っていたが……この歯磨きは変な味がするな」

二人で洗面台の前で立っているとぼそりとガロアが呟いた。

こんな何気ないことを話せるようになったのを聞いて、声が出るようになって良かったと本当に思う。

まぁそれはそれとして。

 

「確かに。しそラムネ味ってなんだ? 意味の分からないセンスだ……」

 

「俺がガキの頃に使っていた奴のほうがよかった……」

 

「歯磨き粉なんかも取ってきたのか?」

 

「そうだ。あそこでやばいのは怪我したり動物に追い掛け回されることじゃない。どうしようもない病気にかかることだ。虫歯もやばいから歯が摩擦でなくなるほど磨いていた」

 

「そう言われると大事だな……そういうものを街から取っていたのか? というかそうならもう街に住んでしまえばよかったのに」

 

「食料の調達が難しい。それに他の人間が来た形跡もあった。それなりに大きい街だったからな。実際初めて行ったときに殺されかけたし、危ないから10回も行かなかった」

 

「ふーん……普通は動物を狩って捌くほうが難しいと思うが」

 

「育った環境と知識の違いだ。俺にとっては他の言語を話したりピアノを弾くほうがよっぽど難しく思える」

 

「確かにピアノは理解不能の世界だな」

 

「だろ」

 

「ふむ」

電動歯ブラシでドリリリと磨きながら思うのは、こういう何気ない会話のリズムが合うのは大切だということだ。

それはつまり二人でいて退屈することがないということなのだから。

 

 

「よし、寝るか」

鏡の前で二人でいーっとすると白い歯が見えた。

セレンはどうだか知らないがガロアはその三分の一はセレンに叩き折られて差し歯である。

『歯を食いしばれッ!』と言われて二分の一秒後には数mは吹き飛ぶパンチが顔に刺さるのだ。

しかし歯を食いしばらなければ死んでいた可能性もある。よく顔の形が変わらなかったものだ。

いや、変わった結果がこれなのかもしれない。

 

「やれやれだ」

歯の様子を確かめていると唐突にセレンは肩をすくめた。

 

「何がだ?」

 

「何でもない、あほ。寝るんだろ」

 

 

ベッドに入るとやはりというか、想像通り、セレンはこちら側を向いて横になった。

 

「今日は中々…………。いや、とても楽しかった」

 

「そうか」

 

「エスコートは下手くそだがな」

掛け布団の下で目を細めながら指を口元に持っていってはんなりと笑うセレンのこの表情を世界で自分以外に誰も知らない。

 

「無茶言うな……女に慣れてないんだ、これっぽちも」

 

「ま、そっちのほうがいいがな……」

そう言って黙ったセレンはこちらを見つめたまま何かを待っている。

多分今自分がしようとしたこと、するべきことを待っているのだろう。

 

(感情は別として手を出すべきではない……そうすれば全てが無に帰ってしまう……そんな予感が……俺は絶対にこの人に手を出したらダメだ)

自分一人の破滅ならば構わない。ずっとそうやって生きてきた。だがこの予感は全てを巻き込む不運の始まりを告げているような感覚がある。

でも、今ここでこうするのはお互いに何も間違っていないはずだ、そう思いながらその身体を抱き寄せると嬉しそうに寄り添ってきた。

 

「私たちは……こうされる経験が少なすぎた。そう思わないか」

 

「そうかもしれない」

胸元から聞こえる声と同時に頭痛が襲ってくる。

 

「ちょっと冷房効きすぎているから……丁度良く温かい」

 

「……。俺さ、セレンが嫌いなわけじゃないよ」

 

「何をいまさら。分かっている」

 

(悪い……これ以上は……脳みそが半分に割れちまいそうなんだ…)

抱いてくれの一言を聞いただけで鼻血が出て、今こうしているだけでも限界以上に潜水した時のような頭痛に苛まれている。

それでも自分が失ってきたものを考えれば今この腕の中にあるものは幸せなのだと思いながらゆっくりと眠りについた。

 

これ以上ないくらいに幸せだった。だが何故かその幸福は破滅の萌芽のような気がした。




Tú tienes una sonrisa bonita! 笑顔がいいね!

Que ojos bonitos tienes…me gustan tus ojos! なぁんて綺麗な目をしているんだ…その目が好きになっちまった!

Eres muy guapa!…?Que’ tal si salimos juntos esta noche?   ああ、可愛い!…今夜デートしないかい?

Tengo novio y nos vamos a casar               結婚する予定の彼氏がいるんだ

No importa!vamos、ひぃ!?          関係ないさ!さぁ、ひぃ!?


Eres lo más importante en mi vida         お前は私の人生で一番大事な人だよ




もうタイトルからして不穏

ああそうさ、これから心休まる話なんてない
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