魔法少女リリカルなのは ~響き渡るは紅の音色~ 作:Granteed
アリサのバイオリンを修理したその日の数日後、いつもの様に響也達は小学校で勉学に励んでいた。そして今、朝から長い授業を耐えきりようやく帰りのホームルームが終わりを告げる。
「響也君、一緒に帰ろ!」
すずかの家を訪れたあの日を境にすっかり打ち解けたなのはが、響也に声をかける。まるで数年前からそうしているかのように、その言葉は極々自然な物だった。
「ごめん、ちょっと待って」
机の中に手を突っ込んで帰り支度を進める響也。ばさばさと音を立てながらノートを鞄に詰めていく中、一冊のノートが教室の床に落ちた。
「あ、響也君。ノート落ちたよ」
すかさずなのはが拾って、響也に差し出す。市販のノートより分厚いそれは、なのはにとって見覚えがあるものだった。
「あれ……これって、この間響也君が落としたのだよね?」
「うん」
「ちょっと中身見ていい?」
「いいよ」
響也に許可を取ると、なのははノートを持ってページを捲る。そのまま無言でぺらぺらと捲っていると、不意に背後から声がかかった。
「ちょっとなのは、何やってるのよ。今日は塾でしょ?」
「なのはちゃん、早く帰った方がいいよ」
「あ、ごめんごめん。ね、すずかちゃんとアリサちゃんもこれ、見てみなよ」
背中に鞄を背負ったすずかとアリサがゆっくりと近づいてくる。なのはは持っていたノートを二人に差し出した。受け取ったアリサが先程までのなのはと同じ様にページを捲っていく。
「ねえ響也君、これってバイオリンのお勉強してるの?」
「うん。今まで僕が学んできた物だよ。こうすれば何時でも自分の歩んで来た道が見えるからってお父さんに教えてもらったんだ」
「へぇ~、凄いなぁ」
「ホントよね。あのバイオリンの腕前も頷けるわ」
「お待たせ、準備出来たよ」
響也が鞄を背負って椅子から立ち上がる。すずかは読んでいたノートを響也に返すと、三人を先導する様に先に教室から出ていった。響也達も後からそれに続いていく。
「ねえ響也君。今日の塾が終わった後に、家でご飯食べない?また響也君の演奏、聞きたいんだ」
「うん、いいよ。月村さん家のご飯、美味しいし」
「あ、じゃあ私も教えて欲しいわ。響也、お願いね!」
生徒達でごった返している廊下を抜けて、昇降口に辿り着く。四人は上履きを履き替え、グラウンドを通り抜けて、塾への道を歩き出した。響也の家は地理的になのは達が通っている塾を超えた先にある。なので、途中まで響也がなのは達と一緒に帰るという事になっていた。
「なのはも響也に教えてもらえば?もしかしたら、私達より上手くなるかもしれないわよ」
「わ、私はいいよ。皆の音楽を聞いてるだけで十分だから」
「強要する気はないけど、高町さんもやりたくなったら何時でも言ってね。前にも言った通り、高町さんは何にでもなれる可能性があるんだ。高町さんが凄いバイオリニストになれるように僕、頑張って教えてあげるから」
橙色の日差しが降り注ぐ歩道を歩きながら、すずかとアリサ、なのはが響也を囲む。既に時刻は四時を回っており、歩道には子供連れの母親や、制服姿の学生など、大勢の人間で溢れかえっていた。
「ありがとう、響也君。少し考えておくね」
「ねえ響也。疑問なんだけど、アンタ自身の音楽ってのはどういう音楽なのよ?」
「え?」
「ほら、私達の音楽っていうのは前に響也が教えてくれたでしょ?でも、響也自身の音楽ってどういう物なのか、聞いてなかったのよね」
「そう言えばそうだね。響也君、教えてくれないかな?」
「……」
すずかとアリサの問いを聞いて、押し黙ってしまう響也。無言のまま、四人は海の見える公園に足を踏み入れる。波が生まれては消え、生まれては消えていく海を横目で眺めながら、響也は足を動かし続けた。重苦しい空気が周囲に生まれる中、なのは達三人が顔を突き合わせる。
「……わ、私何か変な事言ったのかしら?」
「べ、別に変な事言ってないと思うけど……多分」
「もしかして、アリサちゃんの質問が響也君にとっては嫌な事だったんじゃ……」
「皆、どうしたの?」
その声に慌てて三人が顔を向けると、十メートル程先にいる響也が怪訝な顔を浮かべていた。遅れていたなのは達が駆け足気味になりながら、響也に合流する。
「あ、あのさ響也。私何か変な事言った?」
「いきなりどうしたの?」
アリサから質問をぶつけられて、居やは疑問の感情を顔に浮かべた。あくまで歩は止めずに、アリサが二の句を継ぐ。
「さっきの質問で響也が黙っちゃったから……もしかしたら私、響也にとって嫌な事言っちゃったのかなって……」
「……」
心中を正直に吐露するアリサを見ながら、響也は大きくため息をつく。三人は次に響也の口から発せられる言葉を、ひたすら待っていた。そんな中、響也の口角が僅かに歪む。
「……ふふっ、ごめんね。そういう事じゃ無いんだ。ただ、バニングスさんのその質問、僕は答えられないんだ」
「答えられない?」
「うん。僕、自分自身の音楽が全然聞こえないんだ」
「そうなの?」
「変だよね?人の音楽は嫌って程聞こえるのに、自分のだけは聞こえないなんて……でも、幾ら頑張っても自分自身の音楽だけは聞こえないんだ」
「「「……」」」
何故か響也のその言葉には小学三年生とは思えない程の、深い感情に満ち満ちていた。言い表せない思いを響也の言葉から読み取った三人は、互いの顔を見合わせて口を閉ざしている。
「だから、分からないんだ。僕がどんな音楽を奏でているのか、僕自身どんな音楽を奏でたいのか……」
夕暮れの空を仰ぎ見る響也の顔は、まるで達観した大人の様だった。心なしか、その目尻が光っている。響也の言葉を聞いて少しばかり考え込む仕草を見せていたなのはだったが、おずおずと響也に語りかけた。
「ねえ響也君、それって私と同じじゃない?」
「高町さんと……同じ?」
言葉の意味が分からない響也が、なのはの言葉を繰り返す。なのはは一歩前に進み出て、考えながら口を動かした。
「ええっと……その、響也君の音楽って誰にも分からないんだよね?」
「うん。お父さんにも聞いたけど、全然聞こえないって言ってた」
「だったら、私と同じでどんな物にもなれる可能性っていうのがあるんじゃないかな?」
「僕の音楽が、どんな物にもなれる……」
「誰にも分からないなら、どんな物か分からないでしょ。どんな物か分からないなら、どんな物にもなる可能性があるんじゃないかな……」
「可能性……」
なのはの言葉を聞いて、目を見開き驚きを顕にする響也。そんな響也に対して、何度も何度もつっかえながらなのはは自分の思いを捻り出す。
「うん。それに私達まだ小学生だから、そんなに早く探さなくっていいっていうか……まだまだゆっくりしていいっていうか……あはは、何か変な事言ってるよね、私」
「……ううん、ありがとう高町さん。少し、気が楽になったよ」
なのはの言葉を聴き終えて、一つ大きく伸びをする響也の顔は、確かに先程よりも晴れやかになっていた。二人の姿を見つめていたすずかがふと、左手首に巻かれている時計に目をやると急に慌て出す。
「み、皆!急がないと遅刻しちゃうよ!」
「確かに、ちょっとヤバイわね……あ!」
アリサが何かを見つけたように、勢いよく走り出す。響也達も後を追うと、アリサは林に繋がる獣道の前で立ち止まっていた。
「ば、バニングスさん、どうしたの?」
「この間見つけたの。ここ、塾への近道になってるのよ」
一人獣道を歩いていくアリサ。置いていかれまいと響也達も急いでアリサに付き従う。一歩林に踏み込むと、木々の隙間から差し込む夕焼けを頼りに道を進んでいく。しばらく無言のまま歩く四人だったが、唐突になのはがきょろきょろと周囲を見回し始めた。
「高町さん、どうかしたの?」
「ふえっ!?」
「あ、いや。何か急にそわそわして、周りが気になってるみたいだったから」
「……ねえ、何言っても笑わないでね?」
「急にどうしたの?」
「私……この道を、夢の中で見たんだ」
「夢の、中?」
「少し暗い林の中で、私達と同じくらいの年の男の子が怪我をしてたの。途中、草むらの影から何かお化けみたいなのが出てきて……」
「お化け?」
「うん。なんだか人じゃない物が、その子に襲いかかって──」
「っ!!」
なのはの言葉を聞いた瞬間、響也の顔色ががらりと変わる。今までは疑問を持ちつつも言葉に真摯に耳を傾けていた響也がその瞬間、顔を青白く染めてなのはの両肩を強く握った。
「えっ?」
「高町さん、そのお化けの特徴は?」
「え、ええっと……」
「例えば模様は無かった?ステンドグラスみたいな、綺麗な模様が体中に浮かんでたりしなかった?」
「な、無かったと思う……それに私が夢の中で見たのは、動物みたいな黒い影だったよ?」
「ちょっとアンタ達、何してるのよ」
立ち止まっていた響也となのはに、すずかとアリサが近づいていく。回答の言葉を聞き終えた響也は小さく息を吐いて、なのはを掴んでいた手を離した。あまりの豹変ぶりに驚いたなのはは響也の顔を覗き込むように体を屈ませる。
「きょ、響也君、どうかしたの?何だか顔色、すっごく悪いよ?」
「ああ……ごめん、何でも無いよ。さあ、早く行かないと塾に遅れちゃうよ」
三人を急かすように先導して道を歩こうと一歩を踏み出す。そして宙に浮いた足が地面を踏みしめたその瞬間、響也の頭に何かが響いた。
『──けて!!』
「あぐっ!?」
まるでスピーカーから発せられる大音量をゼロ距離で聞いたような雑音に、踏みしめた足から力が抜けて地面へと倒れかける。膝をついた響也の脇を、慌ててすずかとアリサが支えた。
「ちょ、ちょっとどうしたのよ響也!」
「響也君、本当に大丈夫?」
「……二人は、聞こえなかったの?」
「何が?」
響也の問に怪訝な顔をする二人だったが、なのはだけは違った。まるで響也の言葉に心当たりがあるように、質問を質問で返す。
「響也君も聞こえたの……?」
(……高町さんにも聞こえたって事は、今のは人の音楽じゃないって事になる。それに今のは音楽って言うより、もっと別の……そう、まるで人の──)
『助けて!!』
「ううっ!!」
先程より大きな音が再び響也の脳内に流れる。あまりの大きさに両耳を塞いでしまった響也の横で、すずかとアリサはおろおろと戸惑う事しか出来なかった。
「ど、どうしようアリサちゃん!?」
「と、とにかくここから出ましょうよ!なのは、アンタも手伝って──なのは!」
アリサが声をかけると同時に、なのはが走り出す。すずかが止める暇も無いままなのはは林の影に紛れてしまった。
「はっ……はっ……」
荒かった響也の息遣いが、段々と元に戻っていく。ゆっくりと立ち上がった響也は額に流れていた脂汗を片手で拭うと、なのはの駆けていった方向を睨みつけた。
「きょ、響也……アンタ大丈夫?」
「気分が悪いなら、お医者さんの所に行ったほうがいいと思うけど……」
「僕は……大丈夫。それより、高町さんを追わなくっちゃ」
口を開いたかと思うと、大股で歩き始める響也。すずかとアリサは響也に置いていかれまいと、早足で駆けていく。木々の間を駆け抜け、生え放題になっている背丈の短い草花を踏み潰し、響也はひたすら駆けていく。そしてとうとう、なのはに追いついた時、響也の動きが止まった。
「高町さん、それ……」
しゃがんでいたなのはが立ち上がって振り向く。その両手には、毛むくじゃらの何かが乗っていた。
響也達から遥か離れた一軒家の一室に、その二つのバイオリンはあった。大事そうにガラスケースへとしまわれているそれらは幾年もの歳月を感じさせる光沢を放ち、見るものを魅了する輝きを放っている。
『『……』』
向かい合わせになる様に置かれているバイオリン達は、その音色を響かせる事は無い。そもそも楽器とは、人の手があって始めて奏でられる物である。それが普通であり、常識だった。
『『……♪』』
しかし、そこにある二つのバイオリンに限ってはその普通が当てはまらない。何故なら、バイオリンに込められた願いは音楽を奏でる事だけでは無いから。戦士であり、職人でもある彼らが作り出したバイオリン達は今、その弦を震わせている。
『『~♪』』
ディスティニー・ローズとブラッディ・ローズ。作り手の祈りが込められたバイオリン達は無人の部屋で高らかに己の体から音を弾き出す。横にいるブラッディ・ローズの音に追従する様に、ディスティニー・ローズが空気を震わせる。
『『~~♪~~♪』』
方や十数年前と同じ様に、方や三代目に迫る危機を知らせるように、二つの楽器は音楽を掻き鳴らす。まるで何かが始まると言わんばかりの、物語の始まりを示唆する様に二つの魂の楽器は、その音色を響かせていた。