魔法少女リリカルなのは ~響き渡るは紅の音色~ 作:Granteed
午後八時、月村家の庭に弦楽器の音が響く。その音色はすずかが弾いているバイオリンから流れ出ていた。
「そこでもう少し強く」
「うん」
響也の言葉に従って、すずかが弓を握る手に力を込める。流水の様な曲調の音楽は、夜の空に染み渡る。地面に直接座る響也の隣には、アリサが椅子に座ってすずかの音楽に浸っている。
「ふぅ……響也君。私の演奏、どうだった?」
「うん、ちゃんと上手くなってるよ。まだまだ改善点は多いけどね」
「アンタ、そういう事に関しては遠慮が無いわね……」
アリサが響也を横目で見つめながらため息をつく。すずかより先に演奏したアリサは先程まで、響也にこっぴどくこき下ろされていた。しかし、アリサは響也の言葉には全く反論しなかった。響也の言葉一つ一つに対して丁寧に耳を傾け、自分の物にしようと努力をしていた。
「で、でも本当の事だと思うから……」
「まっ、別に言いわよ。事実、アンタに言われた所を直したら凄い演奏し易かったし」
「うん。ちょっとずつかもしれないけど、上手くなってるってはっきり分かるよ」
「ありがとう、二人とも」
すずかが弓とバイオリンを下ろして、椅子に腰を下ろす。机の上に置いてある湯気が立ち上るティーカップを傾けて、自分の喉に紅茶を流し込んだ。響也は地面に座ったまま寄ってくる猫達を抱き上げて、自分の膝に乗せてやる。
「そう言えば響也君。今日の夕方の時、頭痛そうにしてたけど大丈夫?」
「……うん。今は大丈夫」
あの場所でなのはが拾い上げていたのは一匹のフェレットだった。首輪代わりに綺麗な朱色の宝石をぶら下げたそのフェレットを、四人は急いで動物病院に連れて行った。病院の医師の診断で大事無いと言われたものの、響也はあのフェレットが妙に気になっていた。
「それにしてもあのフェレット、何であんな所にいたのかしら」
「首輪みたいのしてたから、どこかから逃げちゃったのかもしれないよ」
「でも、変じゃない?幾らなんでもあそこまでボロボロになってるなんて」
なのはが見つけたとき、フェレットは傷だらけだった。綺麗なはずの栗色の毛は砂や血でくすみ、立つことも出来ないほど弱々しかった。不自然なまでにダメージを負っているその体は、四人に等しく違和感を与えたのである。
「烏に襲われてたとか……とにかく、なのはちゃんが見つけて良かったよ」
「……響也、また何か考えてるの?」
押し黙っている響也に、アリサが声をかける。しかし、アリサの言葉にも響也は反応しなかった。地面にあぐらをかいたまま、顔を伏せて唇を動かしている。アリサは一つため息をつくと、椅子から降りて響也の肩を揺さぶった。
「ほら響也、また黙っちゃってるわよ」
「……あ、ごめんね。何か言った?」
「何か考えてるんじゃないの、って言ったのよ」
「ねぇ……二人は人じゃないけど、人に見える存在って信じる?」
「……アンタ、熱でもあるの?」
しゃがみこんだアリサが響也の額と自分の額を触れ合わせる。若干頬を赤く染めながら、響也はアリサから逃げると言葉を続けた。
「こう、人の姿を持ってるけどそれ以外の姿も持ってる存在っていうか……人以外の生き物の存在を、二人は信じる?」
「人以外って……動物とか、植物とか、色々いると思うけど?」
「そうじゃなくって、何て言ったらいいんだろう……そう、僕たちと同じ考え方が出来るけど、人じゃないっていう生き物」
「まあ、言いたい事は分かるわ。そうね、信じるか信じないかで言ったら……」
再び椅子に戻ったアリサが、カップを手に取って再び紅茶を飲む。数秒の沈黙の後、紅茶で光っている唇を動かして、アリサは自分の考えを述べた。
「もしも本当にそんなのがいたとしても、見るまでは信じられない。だから目の前にいたら、信じられるかもね」
「私もそうかなぁ。でも世界は広いから、どこかには響也君が言うみたいな生き物もいるかもしれないよね」
「……いつか、言ったほうがいいのかな」
春の夜空の下、数秒間固まっていた響也は二人に聞こえない声量で、ぽつりと漏らした。その言葉は吹きすさぶ春風に紛れて、あっという間に消えていく。風に紛れて飛んできた埃が目に入ってしまい、思わず響也は目をゴシゴシと擦った。
「……あれ?」
擦り終えて目を開くと、すずかとアリサの頭の上に見覚えのあるシルエットが浮かんでいた。思わず再び目を擦るが、何度やってもそのシルエットは消えなかった。響也の行動を不思議に思ったのか、すずかが響也に視線を向ける。
「響也君、どうかしたの?」
「あ、ううん。何でも無いよ……それより、そろそろ帰らなくっちゃ」
猫達を押しのけながら、響也が立ち上がる。足元から聞こえてくる不満げな鳴き声を意に介する事なく、響也は椅子にかけてあった鞄を掴むと半ば駆け足で門へと歩いていく。
「響也ー!また明日ねー!!」
「うん!また明日!!」
アリサに別れの挨拶を投げかけて、ひたすら門を目指す。一分もしないうちに響也は月村家の門をくぐり抜けて、白い街灯が照らす道路に佇んでいた。夜空を見上げながら、小さく言葉を発する。
「……いるんでしょ。出てきてよキバット」
「何だよ、随分不機嫌そじゃねえか。何か嫌な事でもあったか?」
電柱の影から一匹のコウモリに似た生物が出てくる。キバットはぱたぱたと両翼を動かして頭上まで来ると、そのまま響也の肩へと着地する。響也は鞄を背負い直しながら、ゆっくりと家路を歩いていく。
「ちょっと驚いただけだよ。キバットがいきなり出てくるんだもん。見つかったらどうするつもりだったの?」
「そりゃあ心配無用ってやつだ。こんな夜中だったら飛んでてもバレやしねえよ。バレたとしても、コウモリは夜に飛ぶもんだろ?」
「まあ、キバットはコウモリに似てるけどね」
街灯が照らす明るい空間と、光の当たらない暗い道を交互に進む。寝静まった夜の街は、昼間のそれとはまるっきり様子が違った。まるで、生き物が自分だけしかいないような錯覚を感じながら、響也は肩にいるキバットを人差し指で撫でる。
「ねえ、この世界にファンガイア以外の魔族っているの?」
「何だ、随分唐突だな。何処かでファンタジー物の本でも読んだか?」
「茶化さないでよ。それで、どうなの?」
「ふぅむ……結論から言えば、いるな。だがな、今はその数もめっきり減ってる。響也も聞いた事位があるだろ。世界に伝わる伝記やおとぎ話の数々」
「うん、あるよ」
「それらの大元は、魔族による物が大きい。しかし、年月と共に人間とファンガイア以外の魔族は廃れていった。ファンガイアがそいつらを駆逐したってのも大きな原因の一つだな。でも響也、いきなりこんな事を聞くなんて、何かあったのか?」
「今日、人の音楽が聞こえる動物と会ったんだ」
響也の言葉を聞いて、キバットが押し黙る。肩の上でキバットの体が強ばるのを感じながら、響也は言葉を続けた。
「フェレットだったんだけど、その体からは人の音楽が聞こえたんだ。何度も何度も集中して聴き直したけど、あれは絶対に人の音楽だった」
なのは達と一緒に病院へと向かう途中、フェレットに集中して音楽を探った結果、その中にあったのは人間の音楽だった。日頃なのはやアリサ達の音楽に触れているから分かる。あれは確実に人の音楽だった。
「……成程。要するにお前は、それがフェレットに変身した魔族じゃないかと疑ってる訳だ」
こくりと頷く響也の横で、キバットは首を捻る。黒い羽を組んでしばし考えた後、肩から離れて響也の顔の前に滞空した。
「でもよ、少しおかしくねえか?響也はそのフェレットから、人間の音楽を聴き取ったんだろ?」
「うん」
「だったら、そのフェレットは人間だということになる。しかしだな、人間がフェレットになれるなんて事、俺はついぞ耳にした事がねえ」
「あ……」
確かに、キバットの言う通りだった。見かけと中身が食い違っているのでてっきり魔族か何かが変身している物だと思っていたが、確かに人間がフェレットに変身する事など出来はしない。それに人生経験が浅い自分ならまだしも、自分より遥かに長い時間を生きているキバットですら心当たりが無いと言うのだ。必然的に、どこかに矛盾が生じる事となる。
「で、でもあのフェレットから聞こえてきたのは確かに……」
「まぁまぁ落ち着け、何もお前を疑ってる訳じゃねえ。お前の話を聞いて考えたのはズバリ、人間がフェレットに変身している可能性だ」
「人間が変身って……出来るの?」
事実、父や叔父がキバやサガに変身しているのを何度もこの目で見た。しかし、叔父は純血のファンガイアであるし、父も半分とは言えファンガイアの血が入っている。自分や父、叔父など魔族の血が混じった生き物ならまだしも、純粋な人間が変身出来るとはどうしても考えられなかった。
「……分からん」
「へ?」
「いやだから、可能性だって言っただろ。お前の話の通りなら、そのフェレットは人間だ。だが、人間がフェレットに変身出来る手法を俺は知らん。だから響也の疑問に対する答えは分からん、って事になる」
「なんか納得行かない……」
「一つ質問だ、響也。そのフェレット、危険に見えたか?」
質問の意図が読めない響也は素直に首を横に振る。
「じゃあ放っておけ。何もわざわざ意味の分からん物に首を突っ込むこたぁ無え。何よりそんな深く考える事ねえだろ。太牙や次郎達みたくなる必要はまだ無い。いい意味でガキらしく振舞ってろ」
「……うん。ありがとう、キバット」
肩を差し出して、浮かんでいるキバットを留まらせる。器用に羽を折り畳んで二本の小さい足で体全体を支えるキバット。何気なく響也が空を見上げれば、綺麗な満月が浮かんでいる。黄色に輝くその体は半分程雲に隠れてはいるが、透明な光を放っている。
「そう言えば、高町さんにもそんな事言われたなぁ」
「高町って、この間お前が筆箱届けた嬢ちゃんか?」
「うん。僕の音楽が聞こえない事について、色々言ってくれたんだ。今のキバットと似た様な事を言われたよ」
「おいおい大丈夫なのかよ、お前の音楽の事話して。もしかして変人扱いされたか?」
「されてないよ。占いみたいな物って言って、誤魔化したから」
「……良かったな。良い友達が出来て」
染み染みとキバットが言葉を漏らす。微笑みを漏らしながらキバットを指で撫でようとしたその瞬間、昼間聞いたあの雑音が再び響也の頭に木霊する。
「──っ!!」
昼間の雑音を更に酷くした様な、ノイズをスピーカーで増幅した純粋な音の塊が響也の耳を支配する。体の自由が聞かずに、響也は思わず塀に体を預けた。
「おい、どうした響也!響也!!」
キバットが響也の肩から離れて頭の周囲を飛び回る。キバットの声も雑音の前には無力だった。しかし、昼間の時と比べて今度は音の鳴る時間が遥かに短かった。物の数秒で音は止まり、響也は苦痛から開放される。塀に手をついて体を支えながら、響也はふらつく体を無理やり動かして立ち上がった。
「おい響也!一体全体どうした!?」
「ごめん……何だか今日の夕方から体の調子が悪くって……」
「ちっ、あの時の症状か……」
キバットが響也に聞こえない程小さな声で舌打ちを漏らす。響也は知らない、キバットが既に、今日の護衛担当である次郎から報告を受けている事を。得体の知れない魔皇力にも似たエネルギーが海鳴市に放たれた瞬間響也が苦しみだした事実を、キバットは次郎から聞き及んでいる。
「早く、帰った方がいいよね」
「ああ、寄り道しないでとっとと帰るぞ。辛いと感じたら、シューも呼んでいいからな」
「流石にこの時間に呼ぶのは気が引けるよ」
息を整えた響也が二本の足でしっかりと立って歩き出す。その様子を見て安堵の息を漏らしたキバットは再び響也の肩に留まろうと羽を動かす。
「……ん?」
「どうしたのキバット?早く帰ろうよ」
「……っ!!響也!!」
すっかり調子を取り戻した響也とは対象的に、キバットは焦った様子で空を駆ける。無言のまま響也の首根っこを足で掴むと、そのまま有無を言わさず引きずっていく。何が何だか分からない響也は困惑するばかりだった。
「ちょ、ちょっとキバット!何するの……って、あれ?」
響也が丁度差し掛かろうとしていた十字路、そこを何かの影が横切る。街灯に照らされて一瞬だけ見えたのは特徴的な茶色のツインテール、そして見覚えがある小さい体躯とその横顔を見て、思わず声を上げた。
「あ、高町さ──」
『ギャアアアッ!!』
しかしその呼びかけは、なのはを追うようにして十字路を飛び出してきた存在に遮られる。
「え……」
スピードは決して早く無い。なのはが走る速度より少し遅いか、同じ位だ。だがしかし、そのせいでよりはっきりと不可思議な存在が目に焼きついてしまう。
「な、何だありゃあ……」
電柱をなぎ倒しながら進む姿は正に異形としか言い表せなかった。全長は自分より遥かに大きく、全身を黒い体毛で覆っている。顔に相当すると思われる部分には二つの赤い光が蠢き、全身から禍々しい空気をこれでもかと言わんばかりに放っていた。
『……』
何故かその異形は響也とキバットには見向きもせず、ズルズルと体を引きずりながら十字路を横切っていった。視界から異形が消えたその瞬間、響也とキバットは揃って大きく息を吐き出す。
「……ぶはぁ、はぁ……はぁ……」
「おいおい何だよありゃあ……あんなバケモン、見た事ねえぞ」
「今のもしかして……高町さん?」
「ファンガイアでもねえ、レジェンドルガでもねえ、どんな魔族とも違う。何だよ、何なんだよ、あれは……」
響也を引きずったまま、ぶつぶつと呟くキバットの声は響也の耳に届かない。響也の頭の中を占めるのは、先程見た友人の事だけだった。
「こりゃあ急いで帰って次郎達に知らせたほうが良さそうだな……おい響也、シューを呼び出せ。んでもって、太牙と次郎達に知らせるんだ」
「……」
「お、おいおい!どこ行くんだ響也!!」
キバットが顔を向けると、響也はまるで夢遊病者の様にのろのろと歩いていた。しかしその方向は家とは真逆で、先程怪物が向かった方向である。
「今の……高町さんだった。あの化物に追われてた……」
「何言ってんだお前、さっさと逃げるぞ!!」
「きっとあれが高町さんが言ってた、夢の中で見た化物なんだ……」
うわ言の様に繰り返す響也を正気に戻すため、キバットは顔の前に回ると羽で響也の頬を叩く。何度かそれを繰り返すと、響也はようやく足を止めた。
「バカ野郎!俺の話聞いてなかったのか、さっさと逃げるぞ!!」
「で、でも!あれ高町さんだよ!高町さんがあの化物に襲われてたんだよ!?」
「嬢ちゃんなら放っておけ!それに、何の力も無いお前が行って何になる?大人しく次郎達と太牙に任せろ!!」
「力……」
キバットに諭されてやっと状況を理解したのか、響也が立ち止まったまま、自分の両手のひらに目を落とす。キバットも少し強く言いすぎたと感じたのか、フォローの様に言葉を継いだ。
「……分かったよ、あの嬢ちゃんは俺が面倒見てやる。その間にお前はシューに乗って太牙の所に行け。太牙に知らせればそこから次郎達にも連絡が行くはずだ」
「面倒を見るって……キバットはどうするの?」
「なぁに。ちょいと久々に、戦いって奴に行ってくるだけだ」
くるりと背中を見せて飛んでいこうとするキバット。響也はただその背中を見送る事しか出来なかった。
(僕に、力があれば……)
力が無いことが何よりも悔やまれる。自分にキバットを止める手立ては無い。ただその背中を見送る事しか出来ない自分が悔しかった。そんな時、唐突に二つの背中が響也の視界の中に生まれる。
「あ……」
キバットの両隣には男が二人立っていた。一人は何時もの背中を見せた父。柔らかな茶色い髪を首が見える程度まで伸ばし、細い手足が伸びている。もう一つは父とは似ても似つかない筋骨隆々の姿だ。その体は銀色の鎧と黒色の皮膚に覆われ、右足には鎖を伴った銀色の足甲が付いている。それらの姿は段々と動いて、キバットと重なっていく。そして完全にキバットと二つの人影が自分の視界の中で同化した瞬間、響也の頭の中で何かが弾けた。
「……違う、あるんだ」
「──もぎゅ!?」
なのはを追おうとしていたキバットを両手で包み込む。ゆっくりとキバットを目の前に持ってくると、反論が来る前に響也は口を開いた。
「ねえキバット、僕の体にも魔皇力はあるよね?」
「何だと……?」
「教えてよ。僕の体にはお父さんの血が流れてる。だったら、魔皇力もあるよね?」
「ま、まさかお前……」
「……」
「ダメだダメだダメだ!お前にそんな事させる訳にはいかねえ!!」
響也の心の声を察したキバットが手の中で暴れまわる。何とか抜け出そうと体を捻るが、万力の様な力が込められた掌から脱出する事は出来なかった。更にキバットへと顔を近づけた響也が、言葉を続ける。
「あるんだよね?」
「渡はお前にそんな事をさせる為に、俺を日本に残したんじゃない!あくまでもお前に危害が及ばないように──」
「でも、ただ待ってるだけなんてもう嫌だよ!!」
友人をこの手で助けられない悔しさ、隣にいた人間が急に消えてしまうかもしれない恐怖、他人に任せる事しか出来ない己への憤怒、自分の代わりに他人を犠牲にすることの悲しさ。幼い故の純粋な感情が綯交ぜになって、響也の口から飛び出る。
「嫌なんだ。キバットとか、お父さんが戦うのを見てるだけなんて。誰かが危ないのに、それを見てるだけなんて!もう嫌なんだ!!」
「いい加減にしろ!いいか、はっきり言ってやる。確かにお前の体には渡から受け継いだ魔皇力がある。変身も出来る、戦える。もしかしたらお前一人であの化物にも勝てるかも知れない」
「だったら早く──」
「だが、その後はどうする?仮にお前が変身してあの化物と戦ったとする。そこでお前の正体があの嬢ちゃんに見られでもしたらどうするつもりだ?」
現実を知っているが故の厳しい言葉が響也に降りかかる。渡と一緒に戦っていたキバットの言葉には確かな重みがあった。
「俺は渡の傍であいつの戦いをずっと見てきた。キバになるって事は、その戦いの泥沼に足を突っ込むって事と同義だ。お前にそんな覚悟はあるのか?」
心の奥底で沸々と沸き起こる感情の波を、言葉に乗せる。響也の口から出てきたのはたった一言、それもとても単純な一言だった。
「ない!」
「おい……」
そんな物、ある訳がない。長い間戦っていた父や太牙、次郎達とは違って自分はまだ小学三年生なのだ。戦場など一回も経験した事が無いし、何より覚悟や決意などと言った物とはまるで無縁だった。しかし、分かっている事がたった一つだけある。
「でも、この気持ちは本当なんだ。僕は高町さんを助けたい、それで僕には力がある。だったらやる事は一つでしょ!?」
「……」
「お願いだよキバット!僕に……僕に力を!!」
言うべき事は全て言った。話せる事は全て話した。思いの丈を全てぶつけた。感情を全て吐き出した響也はキバットの言葉を静かに待つ。夜の月に照らされたキバットが顔を半分だけこちらに向けて問いかける。
「……最後の質問だ、響也。お前は後悔しないか?」
「分からないよ」
胸中を素直に告白する。もしかしたらこの感情も、状況に流されているだけかもしれない。力を手に入れようとしている自分に酔っているだけかもしれない。だが、前に進む事は止めない。止めようとしない。
「でも、もしも僕の音楽が聞こえたら、それはこう言ってるはずなんだ……“行け”って」
「……ったく。変に迷わないのは、間違いなく静香の血だな」
諦めがちにため息を吐いたキバットは、響也に背を向けてしばし滞空する。
「でもまあ……悪くないか」
「じゃあ……!!」
「一緒に怒られてやるよ、響也。そこまで言われて応えないわけにもいかねえからな!」
「うん!!」
満面の笑みを浮かべて、響也はキバットの隣に立つ。
「準備はいいか?」
「いつでもいいよ」
右腕を伸ばして、キバットを片手で掴む。過去に一度だけ見た父の姿。その姿に重ねるように手を動かす。
「行くよ、キバット」
放つ言葉は父と同じ、されど動かす体は自分の物。左手を開いて、大きく口を開けたキバットを左の人差し指に突き立てる。
「ガブッ!!」
流れ込んで来るのは力。父より受け継いだ、紅の血に宿りしその力が覚醒していく。体の隅々まで行き渡った力は、腰へと集中して、何本もの鎖を生み出す。集まった鎖が一つの物を象っていく。
「お父さん……僕に、力を」
赤く染まったベルトが、腰に巻かれる。左右にそれぞれ三つの笛が装着されているそれは、バックル部にあたる箇所だけぽっかりと空白が生まれていた。まるで、何かを嵌め込むように。
「すぅ……」
大きく息を吸い込む。口にする言葉は何度も耳にした。父が言っている姿も見た事がある。今もこの耳にはっきりと残っている。遠い昔のはずなのに、一度しか聞いてなかったはずなのに、とても短い言葉のはずなのに。その一言は自然と口にする事が出来た。
「変身!!」
月明かりに見守られる夜の街で、古の鎧が動き出す。