魔法少女リリカルなのは ~響き渡るは紅の音色~   作:Granteed

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第十一話 ~スタートアップ・キバの旋律~

普通の日がずっと続くと思ってた。アリサちゃんとかすずかちゃん、響也君とは違って私は普通の女の子だったから。でもそんな日常が嫌いじゃないし、何より私にとって今の生活は楽しかった。何時ものように学校に行って、授業を受けて、皆と一緒に帰って、夕日を見ながら喋って、また明日を夢見ながらベッドに入る。そんな日がずっと続くと思ってた。

 

『ギャアアアッ!!』

 

でも、そんな日常は夢でしかなくて、見えなかっただけで、足を踏み外せばいつでも隣には非日常があるんだって気づいた。だって、目の前にその象徴がいるのだから。

 

「早く!早く立って逃げるんだ!!」

 

夜道にいるのは毛むくじゃらの黒い何か。夢で見た物と似ているけど、もっと大きい何か。塀を背に座り込んでしまった私を、煌々と光る赤い両目で見つめている。加えて私の胸元には昼間助けたあのフェレットがいた。

 

「くそっ!こうなったら……」

 

私の腕の中でもぞもぞと何かを探るように体を動かしている。そんな中、私は茫然とする事しか出来なかった。冷静に考えてみればそれは普通の反応で、つい数十分前まで普通の子だった私には仕方の無い事で、要するに私は何も出来なかった。ただ、頭の中にだけ思いはあった。

 

「これを使って!」

 

このままじゃ、私と一緒にこの子もやられる。そんなのは嫌だ。お兄ちゃんとお姉ちゃんと、お父さんとお母さんと一緒にごはんを食べたい。また皆と一緒に学校に行きたい、何よりこの子を助けたい。目の前の非日常を前にして、私はそんな事ばかり考えていた。そんな気持ちに押されてなのか、目の前のフェレットに差し出された宝石を半ば無意識的に摘み上げる。

 

「こ、これ何……?」

 

「いいですか、僕の後に続いて──」

 

『ガウウウウウッ!!』

 

「あ……」

 

フェレットが何かを言い切る前に、何かがこちらに飛び掛かってきた。大きい図体から考えられない様な速度で、こちらに飛んでくる。物語だったら、ここでかっこ良く逆転劇が起こるのかもしれない。でも今は非日常の現実で、物語の中じゃなくて、そんなタイミング良く普通の子が助かる道なんてある筈も無かった。

 

「避けてっ!!」

 

フェレットが無理な注文を言う。その間にも何かは宙を飛んでこちらを押しつぶそうと落下してきた。対して私が取った行動はとても愚かなもの、最低の一手だった。よりにもよって怖さのあまり、両目を瞑って体を縮こまらせていた。

 

「君だけでも──!」

 

フェレットが何か口走っているけど、全て手遅れだった。私が目を閉じた時、既に何かは私達の目の前に迫ってきていて、行動を取る暇は無かった。瞬間的に思った。私はここで終わりなのだと。ここで何かに押しつぶされて終わってしまうのだと。諦めにも似た感情が体を支配し、より一層体が硬くなる。

 

『……』

 

「……」

 

でも不思議なことに、五秒経っても十秒経っても、体には何も変化がなかった。体が押しつぶされる事も無いし、何かの叫び声も聞こえない。先ほどまで声を上げていたフェレットすら、無言だった。疑問に思った私は恐る恐る両目を開けて前を見る。そこで私は再三理解した。今、この現状が非日常である事を。

 

「……」

 

非日常であれば、日常の考えは当てはまらない。何時もなら起こらない事が起きるし、ありえない事が平然と目の前で起こる。無力で蹲っているだけの女の子の前に、救いの手が差し伸べられる事だってあるだろう。例に漏れず、私の目の前でも、非日常が起こっていた。

 

「はあああああっ!!」

 

そこには私を助けてくれている、ヒーローがいた。

 

 

 

咆哮を上げながら目の前の怪物を受け止める。変身を果たした肉体は自分より数倍大きい敵を容易に支えていた。首を後ろに向けて、へたり込んでいる友人をで確認する。

 

(よかった、間に合った!!)

 

変身してから屋根を飛び移って一直線に来てよかった、と一先ず旨を撫で下ろす。だがそんな思いも束の間、腕にかかる圧力が高まっていく。首を戻して前を見据えると、敵の体が徐々に迫って来ていた。

 

(押し潰す気なのか……!)

 

ジリジリと両腕が押され、膝が地面に屈していく。仮面の下の顔に汗が流れ落ちるのを感じながら、背後で蹲っている友人を心に浮かべる。

 

(守る……)

 

何の為にこの姿になったのか、何をするためにここにきたのか。答えは等しく同じであり、たった一つのシンプルな感情だ。

 

「ぐっ……ううううう……!!」

 

唸り声と共に、両腕に力が宿る。心に押し寄せる感情が引き金(トリガー)となり、更なる思いが体を支配していく。その全てが体の中に吹き荒れ、出口を求めて荒れ狂う。口を出口と見定めた感情の奔流が、言葉となって流れ出る。

 

「僕が……僕が守るんだああああっ!!」

 

二度目の咆哮と共に黒い両腕が膨れ上がる。全身の筋肉が膨張を始め、鎧に宿る更なる力が呼び起されていく。先ほどまで押されていた腕は、逆に敵の体を押し返していた。

 

『ギャウウウッ!?』

 

持ち上げる訳でも無く、受け流す訳でも無く、ただ単純に突き出した腕。敵の体に突き刺さる勢いで出した両手はそのまま敵の体を押し、十数メートル先まで吹き飛ばした。アスファルトを削りながら地面を滑る敵を確認してから、体をなのはの方へと向ける。

 

「えっと……ねえ!」

 

「は、はい!?」

 

自分のこの姿に驚いているのか、瞳を揺らしながら言葉を返してくるなのはに対して、矢継ぎ早に言葉を投げかける。

 

「取り敢えずここから離れて!あれは何とかしとくから、急いで!!」

 

「で、でも、貴方は──危ない!!」

 

なのはの警告で咄嗟に体を反転させる。視線を戻してみれば、再び化け物がこちらに接近してきていた。あと数瞬でこちらに当たる、そんな距離に敵は近づいていた。だがしかし、自分に取ってはその数瞬で十分過ぎる程だった。

 

「ッ……!」

 

一瞬、敵を見定める。一瞬、腰を低く落とす。一瞬、腕を弓の様に引いて力を溜め込む。全ての動作を終えるのと、敵とこちらの距離が触れ合うまで縮まるのは同時だった。

 

「ハアアアアアッ!!」

 

渾身の一撃が敵の体に突き刺さる。先ほどと同じく吹き飛んでいく敵だが、今度は自分もそれに追従した。元の体の十数倍の脚力で敵の後方へと回り込み、向かってくる相手に膝を撃ちこむ。

 

「まだまだっ!!」

 

鎧から流れ込んで来る力が全身へと行き渡る。爆発しそうなエネルギーを目の前の敵に撃ち込むかの様に、絶え間無い連打を浴びせ続ける。体を動かすたびに肩と右足に巻かれている銀色の鎖がジャラジャラと音を立て、夜の街に鳴り渡る。

 

「ウオオオオオッ!!!」

 

言葉と共に拳が、膝が、肘が、爪先が、足裏が、今の自分が持ちうる攻撃手段が次々と決まっていく。体を支える両足を踏み出すたびに地面に亀裂が生じ、繰り出した拳が大気を切り裂く。最後に締めとばかりに敵の体を踏み台にして飛び上がると、空へと舞い上がる。着地点はなのはの真正面だ。地面に手を突いて敵を見ると、痛みに耐えるかの様に地面に伏して動こうとしない。その姿に、幾ばくかの疑問を感じる。

 

「……効いて、ない?」

 

確かにそれぞれの打撃は的確に決まっている。現に敵はダメージに体を震えさせるばかりで一向に寄って来ない。しかし、先程からの攻撃により、敵の肉体には十分過ぎるダメージが蓄積しているはずである。今の自分は拳を一振りすれば岩をも砕き、蹴りを繰り出せばそれを止められる物はこの世に存在しない程の膂力を持っている。そんな肉体での攻撃を受けてあの程度で済むはずがない。ならば何らかの防御手段を持っていると考えるのが妥当だ。

 

「そこの貴方!」

 

後方からの声を聞きつけて体ごと振り向く。その瞬間、響也の体が固まった。

 

「え……?」

 

「あの状態では幾ら攻撃しても決定打にはなりません!僕たちに協力してください!!」

 

「……」

 

「あ、あの!僕の声、聞こえてますか!?」

 

「あ、え、えっと、ごめん。少し考えてて。何でフェレットが喋ってるんだろうって……」

 

なのはの両腕の中にいるフェレット。それが小さい口を一生懸命動かして響也に語りかけていた。フェレットが喋っている事に驚いているのか、目の前の自分の存在に驚いているのか定かではないが、なのはも目を白黒させている。

 

「それは後にしてください。とにかく、今はあれを止めないと!!」

 

「う、うん。でもなんで僕の攻撃が効いてないのか、君は知ってるの?」

 

「ええ。取り敢えず、あれを封印する手段は僕が持ってます。貴方は攻撃を続けてください」

 

「一つだけ質問。僕の攻撃が効いてない理由って何?」

 

「効いてない訳ではありません。より正確に言うのであれば、効率的にダメージを与えられていないんです」

 

「うん、分かった……えっと、君はその封印の手段、って言うのを用意しておいてね。僕が動きを止めるから」

 

「分かりました」

 

短い返事を聞きながら、再び敵に向き直る。先ほどまでのダメージは既に消えているのか、敵はその巨躯を振るわせてこちらを睨みつけていた。なのはから距離を取るように二、三歩足を進める。

 

「やるよ、キバット」

 

「分かるのか?」

 

ベルトのバックル部に嵌っているキバットが逆さ釣りのまま言葉を返してくる。こくりと頷いた響也は緩慢な動作でベルトの右側に手を遣ると、並んでいる三つの笛の内、赤色に染まった物を取り出した。

 

「ダメージが与えられてない訳じゃないなら──」

 

「──受けきれない程の奴を、ぶち込んでやれ!!」

 

響也の言葉とキバットの言葉が重なる。右手を勢い良く降ろして、紅色の笛をキバットの口に宛がった。

 

「ウェイク、アップ!!」

 

笛を咥えたまま、キバットが夜空へと舞い上がった。響也の周囲を飛び回りながら笛を吹き鳴らす。響也も腰を低く落として、威嚇するかのごとく両手を左右に大きく広げる。そのままゆっくりと両腕をクロスさせるように畳むと、体全体を沈めた。

 

「え、え、何で!?」

 

響也の背後でなのはが戸惑いの声を漏らす。それも当然だろう。キバットの笛の音色が夜空に響き渡ったその時から周囲に紅色の霧が発生し、街灯が次々と消えていくのだから。しかも夜空に浮かぶ満月が、段々とその姿を細くしていく。

 

「ハアッ!!」

 

満月がその形を変え、綺麗な三日月へと変わったその瞬間、体を低く沈めていた響也が一声上げるとともに、鎖に包まれた右足を空めがけて突き上げる。笛の音による演奏を終えたキバットが伸ばされた足の周囲を飛び回ると、響也の右足に巻かれていた鎖が爆ぜた。

 

「これで決める……!!」

 

右足に顕現したのは、血の色にも似た紅い翼だった。爪先には緑色の宝石が現れ、つい数秒前まで無機質な銀色に覆われていた右足は今や、見る者の心を奪うほど美しい紅色に染め上げられている。

 

「やってやれ!!」

 

キバットの掛け声とともに、左足を発条の様に縮める。限界まで筋肉を収縮させて力を溜め込んだ後、響也は左足一本で空高くへと飛翔した。半分以下にまでその身を縮めた三日月を背景に、空中で一回転して翼の生えた右足を敵へと向ける。

 

「タアアアッ!!!!」

 

静けさが支配する夜の空を、裂帛の気合が断ち割った。紅色の霧をその足で切り裂きながら、重力に従って一直線に敵へと急降下を始める。落下時間は一秒も無い。それ程のスピードを保ちつつも、落下地点には寸分の狂いもなかった。

 

『ガアアアアッ!?』

 

足が落ちた位置は蹲っていた敵の体の中心部。丁度地面と自分の足で敵を挟み込む形になる。落下の衝撃が右足を伝って敵へと流れるが、それは敵の中で止まる程温厚では無かった。敵の体をこれでもかと蹂躙し終えると、最後に存在を刻み付けるように地面へと流れ込んでアスファルトを粉砕する轟音と共に一つの紋章を象る。

 

「ハッ!!」

 

ダメ押しとばかりに、右の足首に力を込めて意思を送る。指令を受け取った右足の爪先にあるクリスタルが輝き、人智を超えたエネルギーを敵に流し込む。同時に、敵の体を踏みしめて先ほどと同じく響也が空へと戻る。勿論、着地先も前回と同じだった。

 

「今だ!」

 

「はい!!」

 

響也の言葉に返事をするのはフェレットではなく、何故かなのはだった。言葉の後に続くように、なのはの言葉が夜の街に木霊する。

 

「リリカル、マジカル!ジュエルシード、封印!!」

 

途端に響也の背後が輝きだす。街灯の灯りなどでは決してない、それでいて自然な光とは決定的に違う光がなのはの方から溢れ出した。思わず首を捻って背後を見ようとするが、自分の横を通って敵に向かう物体に目を奪われる。

 

「な、何あれ!?」

 

「光る……リボンじゃねえか?」

 

二人が話している間にも、何十もの光の帯が敵に巻きつき、その体を貫いていく。同時に、敵の両目を結んだ中間点、丁度敵の額に当たる位置に赤く光るローマ数字が出現した。数秒後、敵は断末魔を上げる余裕も無く、爆発四散して消え去った。

 

「終わった……?」

 

「ああ、そうみたいだな……おい響也、あれなんだ?」

 

キバットが言葉で示すのはつい先ほどまで敵がいた空間に浮いている一個の石の様な物だった。重力に従う事無く、淡い光をその身から放ちながらぷかぷかと浮いている。不思議に思った響也が歩み寄って、その石を手に取った。

 

「……あれ?これって──」

 

「あ、あの!!」

 

なのはの声を聞きつけて、響也が後ろを向く。言葉を返そうと口を開きかけるが、なのはの恰好を見て体が固まった。

 

「助けてくれて、ありがとうございました!」

 

「……」

 

「そ、それでその石なんですけど、この子の物みたいなので……返してあげてくれませんか?」

 

「……」

 

「あ、あの……聞こえてますか?」

 

「おい、嬢ちゃんに返事してやれよ」

 

「……あ、ああ!ごめん。うん、分かった。はい」

 

ベルトに再び嵌ったキバットの声で正気を取り戻した響也が、石を持ったままなのはに歩み寄る。そのままなのはの肩に乗っていたフェレットの小さい両手に、光る石を握らせた。

 

「……あの、聞いていい?」

 

「な、何ですか?」

 

「その服……どうしたの?」

 

「あ、ええっと……これは……」

 

返答しにくいのか、響也の質問になのはが口ごもる。なのはの服装は先ほどに比べてからりと変わっていた。響也が通う小学校の制服にも似た服が全身を覆っている。その手には何やら玩具の様な杖が握られ、ちかちかと発光を繰り返していた。返答に困るなのはをじっと待つ響也だったが、その耳に重低音が届く。

 

「この音……車の音だ!」

 

「え!?ど、どうしよう!?」

 

「ここから離れたほうがいいな……おい、呼び方は分かるな?」

 

「うん!」

 

耳に手を当てて彼方を見つめる響也を尻目に、なのはとフェレットはおろおろと狼狽するばかりだった。

 

「も、もしかして警察とか来てるのかな!?」

 

「警察って何だい?」

 

「そ、その、こんな事したから、もしかしたら捕まっちゃうかも……」

 

なのはが見渡すのは辺りの惨状だ。化け物が突っ込んだ衝撃で崩れ落ちた塀の欠片が周囲に散らばり、押し倒された電柱が地面にめり込んでいる。そんな中でも響也の脚撃によって綺麗に刻まれた紋章は一等目を引いている。もはや数十分前の光景は影も形も無く、どこぞの戦場であるかのような風景となっていた。そんな光景の中、車のエンジン音はどんどん近づいてくる。逮捕という単語が頭をよぎるなのはだったが、それに比べて響也は冷静そのものだった。

 

「こっち!!」

 

「え、え?」

 

突然なのはの手を引いて走り出す響也。大人と子供並みの身長差のため、ぎこちなく走る二人。響也はなのはの手を引いたまま十数メートル先の角を曲がり、急に立ち止まる。

 

「ば、バイク?」

 

なのは達の目の前にあったのは大型のバイクだった。目を引く巨体も、闇夜にも関わらず輝きを放っている真紅のボディカラーもそうであったが、何より特徴的なのはそのバイクそのものだった。なんと誰も乗っていないのにエンジンがその鼓動を響かせ、ヘッドライトでなのは達を照らしているのである。

 

「さあ、乗って!」

 

驚いているなのはを尻目に、響也の行動は素早かった。握っていたなのはの手を離すと目の前のバイクに跨り、確かめるようにエンジンを吹かす。言葉で誘う響也の前で数瞬迷ったなのはだったが、意を決したように顔を上げるとバイクの後部座席に跨った。

 

「捕まって!」

 

「はい!」

 

なのはが自分の腰に手を回したのを確認すると、思い切りアクセルを捻る。それに伴いエンジンが獰猛な叫び声を上げ、勢いよくタイヤが回りだした。巨大な車体をまるでオフロードバイクの様に軽々と操り、180度回転すると一直線に道を突き進んでいく。

 

「は、はやああああい!!」

 

バイクの振動と共に震えるなのはの叫び声。時速100kmを優に超えるスピードを維持したまま、響也となのははひた走る。数分後、なのは達は先ほどの場所が見下ろせる高台にいた。眼下では街灯に混じって、点滅する赤い光が群となって蠢いている。

 

「ここまで来れば大丈夫でしょ」

 

「はい……あの、助けてくれてありがとうございました」

 

「ううん、気にしないで。君が無事で良かったよ」

 

なのはだけバイクから降りて、頭を下げる。響也は返事と共に顔の前で片手を左右に振った。なのはの肩に乗ったフェレットの視線が、響也となのはの間で揺れる。

 

「質問させて下さい……貴方は、何ですか?」

 

「……帰るぞ」

 

有無を言わせない口調でキバットが響也に命令する。響也も大きく頷くと、ハンドルを握った両手に力を込めた。そしてアクセルを捻ろうと身構えた瞬間、なのはが大きく口を開く。

 

「あ、あの!」

 

「……何?」

 

「これだけ教えてください。名前、何て言うんですか?」

 

夜空にエンジン音の轟きが響く中、なのはの言葉が響也に届く。思わず本当の名前を言ってしまいそうになるが、今の自分の姿を考えたところで口が止まる。無言でハンドルを動かして、バイクの向きを変える。

 

「あ、あの……」

 

二度、三度とアクセルを捻ってエンジンを吹かす。そしてバイクが動き出す直前、なのはの耳に小さく音が届く。

 

「キバ」

 

「え……?」

 

「僕の名前は……キバ」

 

たった一言だけ言い残すと、バイクが発進した。遠ざかっていく背中を見つめながら、なのはが先ほどの名前を繰り返す。

 

「キバ……」

 

夜空の下で吹く春風が、なのはの頬を撫でる。これが、友を守ろうとする未来を夢見る幼い少女と、父の背中に追いつかんとする心に音楽を宿す少年との最初の出会いだった。

 

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