魔法少女リリカルなのは ~響き渡るは紅の音色~ 作:Granteed
笛の音が高らかに響き渡ったその瞬間、戦場が止まる。何が起こるのかと思ったなのはも、今まで動き回っていたファンガイア達も、敵ですらその動きを止めて音の中心にいるキバへと視線を向けた。
「……」
キバがゆっくりと左手だけを空へと伸ばす。既に太陽が傾きかけている春の夕暮れの空には雲一つ無く、オレンジ色に染まりつつあった。そんな橙色のカンバスに、一筋の蒼が走る。蒼の流星は神社の上空で止まると、一直線に地上へと落下してきた。
「行くよ、次狼さん」
キバが小さく呟いた後、墜ちてくる流星を受け止める。その左手に握られているのは、刃が湾曲している一振りの剣だ。同時に、キバの体に新たな変化が訪れる。
「……ウウウウッ」
剣の各所から生える鎖が、キバの左腕を覆い隠していく。腕が見えなくなってしまうほどに巻きついた鎖は更に左肩へと取り付き、ぐるぐると渦を描く。加えて胸の左右からも新しい鎖が生えて、赤い鎧部分を塗り潰していく。そして最後にキバは、咆哮を上げた。
「グウウウ……ウアアアアアッ!!」
叫び声が呼び水となり、新しく纏っていた鎖が爆散する。左の腕と肩、そして胸の鎖がはじけ飛び、新たな鎧を形作った。それは蒼、見るだけで目が覚めるような鮮やかな蒼がキバの体を彩っている。目すら蒼く染めたキバは唸り声を響かせながら腰を落として低く構えると、左手で握った刀剣を肩に担いだ。
「……イクゾ!」
空いた右手で何度も何度も地面を擦る。それはまるで肉食動物が己の獲物を狙い定めて、舌なめずりしているようにも見えた。隣にいたなのははその姿を見て思わず恐怖を感じて後ずさる。敵の進行を妨げていたファンガイア達も、キバの新たな姿を見て一斉に下がり始めた。
『一旦下がるぞ!!』
『了解!』
『王子、お願いします!』
「ハアッ!!」
ファンガイア達が下がった代わりに、キバが一人で前に出る。体を低く落としたまま、人間の物とは思えない足捌きで標的へと接近したキバは、担いでいた剣を思い切り振り下ろした。
『グウウウッ!?』
先程までとは段違いのスピードに、敵の回避行動が一瞬遅れた。新しく自分の体に刀傷を拵えた敵はその瞳に怒りの炎を宿しながら、更なる力を四肢に込める。
「あ、また……!」
『心配ない。今のキバなら──』
なのはの横にいるファンガイアが確信めいた口調で呟いた。確かに、先程のスピードで境内を走り回られては如何にキバと言えども簡単に行く相手ではない。しかし、それは数十秒前までの話だ。
「ハアアアアッ!!」
キバは止まらなかった。なのはの目には影としか映らない程の高速で動き回る敵を相手にしても、一歩も引かない。寧ろ逆に押し返していた。黒い影と蒼い影が軌跡を描き、何度も何度も交差する。その度に獣の咆哮と澄んだ金属音が周囲に響き渡った。
「わ、私にも何か出来る事、ありますか?」
そんな状況下で、何処までも普通の少女が隣のファンガイアを見上げた。目の前の状況は少女にとっては未知の領域の戦いである。正直、戦う理由なんて本当に些細な物だ。だがしかし、少女にとってそれは足を止める理由にはならない。
『私達でもあの状態のキバに追いつくのは至難の業だ……本気か?』
「ほ、本気です!!」
ファンガイアに縋り付くように歩を進める。その瞳はたった一つの決意に染まっていた。体を埋め尽くすステンドグラスの模様の中に、顔の部品を浮かび上がらせながらリーダー格のファンガイアが自分の肩にすら届かない少女を見つめる。
『……分かった、手伝ってもらう』
「は、はい!」
ファンガイアが再び前に視線を向ける。そこでは未だに捉えきれない程の高速で跳ね回る二つの生命体がいた。周囲で三体のファンガイアと一人の少女が見守る中、二体の猛獣が荒れ狂う。牙を剥き、爪を立て、全身の毛を逆立てて、目の前の獲物を噛み砕かんと怒声を上げる。
『……まずいな。あのまま戦い続ければ、先にキバが倒れるだろう』
「ど、どうして分かるんですか?」
『単純な事だ。王子は──』
正面で轟音が鳴り、二人の視線が集中する。先程まで交差していた二つの影は地面に転がり、キバを猛獣が組み伏せていた。後少しでキバの顔面へと届く距離で猛獣が牙を打ち鳴らし、キバが必死に耐えている。ぶるぶると震える腕で巨体を支えながらキバは右足を猛獣の腹部に宛がうと、筋肉を爆発させた。
「ド、ケッ!!」
腹部を蹴り飛ばしたキバは立ち上がると、剣の切っ先を敵へと向ける。つい先程劣勢に追い込まれていた側とは思えない程の闘志が体中から滲み、その瞳は変わらぬ光を放っている。しかし、幾ら人外の力を宿している者と言っても体格の差は歴然だった。寧ろ戦闘経験も無い今のキバでは善戦した方だろう。敵もキバの疲弊の匂いを嗅ぎつけているのか、口の端を歪ませて低く笑った。
「あ、あのままじゃ、彼が危険だ!」
「は、早く助けないと!!」
『分かっている。おいお前たち、行くぞ!!』
「わひゃっ!?」
隣にいたファンガイアが、なのはを肩に担いで前に出た。それに続く様に他の二人もキバの側面へと回る。飛び出したのと同じタイミングで、止めを刺そうと猛獣が駆ける。太い四肢で地面を削り取り、全力でキバへと迫った。
「ク、ソッ!」
剣を杖替わりにして立ち上がりかけていたキバの足がガクガクと震える。限界が近づいているのか、蒼い瞳もちかちかと瞬いていた。剣を担いで何とか構えを取るも、最初の勢いは既に無く、辛うじて戦意を保っている事が伺える。そして距離が数メートルまで近付いた時、両者の間に影が割り込んだ。
『今だ、盾を出せ!!』
「はい!!」
『Protection』
ファンガイアの肩にいるなのはが、大声を上げる。その手に握られた杖に主の意思が流れ込み、可視の波動が半円状の球を形作る。獣の前脚となのはの盾が触れ合った瞬間、雷の様な光が流れ出ていく。守りたいという意思を反映した盾は獰猛な敵の攻撃を前にしても一歩も引こうとしなかった。逆に押し返そうと、更にその光を強めていく。
『今だ、吸え!!』
左右から挟み込むようにして敵へと接近していた二体のファンガイアの頭上に、それぞれ一対の巨大な牙が出現する。色が無く、半透明なそれは切っ先を敵の胴体へと向けて、今か今かと指示を待っている。
『こいつにもライフエナジーってあるんですかね!?』
『やれば分かる、行くぞ!!』
二体のファンガイアの手の動きに従って、計四本の牙が空を舞う。勢いよく太い胴体へと牙が刺さった瞬間、敵に変化が現れた。
『ギャアアッ!?』
体が震え出し、瞳が明滅を始める。唐突に表れたその症状は人間でいう所の病気の発作にも似ていた。今まで優勢だった自分が、何故苦しんでいるのか。一体全体何をされているのか。化け物は必至に思考を巡らすが、体に走る痛みがその邪魔をし続ける。その痛みは例えるなら急激に血を吸われているかのようだった。
「ミン、ナ……」
『王子、決めてください!!』
「キバさん、今です!!」
蹲っているキバに向けて、なのはやファンガイア達から言葉が送られる。自分の前に立っている友人と仲間に励まされる事により、四肢に力が戻ってくる。言葉は活力となり、活力が闘志を産む。
「……キバットォ!!」
「あいよ!!」
再び剣を杖替わりにして立ち上がったキバは天目がけて咆哮する。名前を呼ばれたその存在はベルトのバックル部分から飛び上がり、キバの周囲をくるくると回り始めた。キバが剣の切っ先を敵へと向けると、キバットがその刀身に勢い良く噛み付く。
「ガルル、バイト!!」
刀身へと突き刺さった犬歯から、蒼色の波紋が産まれる。青空を思わせるその波動は煌めく刀身を覆い、何処かから聞こえる狼の遠吠えが戦場に木霊する。同時に、戦場に紅い霧が立ち込めた。
「これ、この間の……!」
盾を張ったまま、なのはが声を上げる。その霧には見覚えがあった。それは数日前の夜の事、今の自分の始まりとも言えるあの夜空の下で見た風景だった。霧は周囲だけではなく青空まで覆い隠し、途端に境内を暗闇が覆い隠していく。そして作られた夜空に輝くのは満月。あの夜とは違う、欠けている場所など何処にも無い、真円を象った純真なる月だ。
「ハアアアッ!!」
両手で保持していた剣の柄を、刺々しい牙が並んだ口で咥える。野生動物を思わせる仕草を見せたキバは爪を立てた手で二度、三度と地面を掻いた後、体を低くして真正面に突撃した。
「オワリ、ダ!!」
なのはとファンガイアの横を通り過ぎ、張られていた盾を突撃だけであっさりと破壊し、射出された砲弾の如く目標へと突撃する。しかし長い前振りにも関わらず、行った動作は至極単純な物だった。
『ア……ガァ……』
開かれていた敵の口に剣を差し入れ、そのまま後方へと走り抜ける。キバが行ったのはそれだけだった。だがその行動の結果は見事に敵の体へと表れている。口から尻尾の先まで両断された怪物は一欠片の断末魔を漏らして、地面へと崩れ落ちた。
「なのは、早く封印を!!」
「あ、うん!!」
肩にいる相棒に急かされて、慌ててなのはがファンガイアの肩から降りて怪物の下へと駆け寄る。体から光の粒子を出して横たわっている姿は、今にも消えてなくなってしまいそうだ。焦りと緊張により、何度も手順を間違えそうになりながら、なのはがやっとの事でジュエルシードの封印を完了する。
「えっと、これでいいんだよね?」
「うん、もう大丈夫」
封印を終えたなのはの手に収まっているのは、ローマ数字が浮かび上がっている小さな宝石だ。つい先ほどまで敵がいた場所では、小さな子犬が寝息を立てている。その向こうではキバが肩で息をしながら地面に膝を突いていた。
『お疲れ様でした、王子』
『二度目にしては、頑張ったほうですよ』
ファンガイア達がキバの体を支えて、地面に座らせる。いつの間にか空は黒から赤へと変わり、遠くの空では烏が鳴いていた。茜色の空を眺め見ていたなのはの背中に声が降りかかる。
『少女よ』
「ひゃいっ!?」
先程まで自分を担いでいたファンガイアが瞳の無い顔をこちらに向けてくる。人間とは違う場所に顔のパーツを浮かび上がらせながら、ファンガイアは言葉を続けた。
『協力感謝する。君がいなければ、無事に解決する事は出来なかっただろう』
「あ、あの犬の飼い主さんは?」
『彼女ならば我々の方で保護している。近くの病院に搬送済みだ、フォローは我々の方でしておく。君が気にする事は何もない』
「は、はい……」
おどおどと言葉を返すなのはを不思議に思ったのか、ファンガイアが首を傾げる。なのはを見下ろし、周囲を見渡し、最後に自分の姿を見下ろした後、得心が言ったように手を打った。
『ああ、すまんすまん。この姿だと怖がるのも無理はないな』
全身に広がるステンドグラスの模様が一瞬瞬くと、その体が透けていく。そしてファンガイアがいた場所に立っていたのは、どこから見ても人間にしか見えないスーツ姿の男だった。目を覆っているサングラスの位置を直しながら、男がなのはに視線を落とす。
「こちらだと大丈夫かな。申し訳ない、君の様な小さな子供と話すのは慣れてなくてね」
「は、はぁ……」
「改めて礼を言わせてもらおう。今回は助かった。感謝する」
「あ、あの!」
戸惑う事しかできないなのはを見かねたのか、急にフェレットが大きな声を上げた。ファンガイアは眉をしかめて少しだけ戸惑ったが、すぐさま表情を正して問いかける。
「ん……何だね?」
「貴方たちは何なんですか。その、失礼ですがどう見ても、普通の人間には見えないんですけれど……」
「そうだな、少し位は話してもいいだろう。君の様な子供には少々早い話かもしれないがね。その前に……おい!」
男が境内にある鳥居越しに地上へと声をかけると、ぞろぞろとスーツ姿の男が階段を駆け上がって境内に入ってくる。その手にはスコップやらカラーコーン、土木工事などに使う道具が握られている。キバが削った木々や怪物が掘り起こした土など、嵐が通り過ぎた後の様に滅茶苦茶になっていた境内が彼らの手で修繕されていく。
「ここは忙しくなる。少し場所を変えようか」
「あ、はい……」
男が階段に向かって歩き始め、その後をなのはがついていく。階段に足をかける直前、なのはは後ろを振り向いて、地面に座り込んでいるキバを眺めた。二体のファンガイアに挟まれながら、手に握っている剣に話しかけている。
「彼なら大丈夫だ。君よりもよっぽど丈夫な体をしている」
声をかけながら早く来い、と手で示すファンガイアの後に続いて、たどたどしい足取りで階段を下りると、眼下には何台もの車が停まっていた。その内の一台、ドラマの中でしか見ないような黒塗りの高級車の後部座席を、男が開ける。
「えっと……何処かに行くんですか?」
「そんな事は考えていない。立ったままでは辛いだろう、座ったらどうだ」
「そ、それじゃあ……」
終始怯えっぱなしのなのはが車に乗り込む。経験した事も無いほど柔らかい座席は、なのの体を優しく受け止めた。座席の心地よさを堪能していると、顔の前にペットボトルが差し出された。見上げると、男が手に持ったお茶をこちらに差し出している。
「そちらのフェレット君の分は無い。すまないな」
「僕の分はいいですけど……この姿を見て驚かないんですか?」
「何、そもそも私自身が人間では無いからな。動物が喋っている事など、大して驚くべき事でも無い」
「そ、そうですか」
「さて、私達の事だが、どう話せば良い物か……」
男はスーツの内側に手を入れると、煙草とライターを取り出した目線だけでなのはに許可を取ると、火をつけて大きく息を吸い込む。香りを堪能して赤色の空へとグレーの煙を吐き出してから訥々と語りだした。
「我々の種族の名はファンガイアと言う。君が見た通り、人間に似たこの姿と本来の姿の二つの顔を併せ持つ種族だ」
「は、はあ……」
「我々の種族についての説明は長くなるので省くが、これだけは言っておく。それは、この街にいるファンガイアは、人間との共存を望んでいるという事だ。私も含めて全員、人間の社会に溶け込み、人と変わらない営みを望んでいる」
私にも人間の妻がいるんだ、と語りながら左手の薬指に嵌っている純銀の指輪を空へと掲げる男の口調は、何処までも優しかった。その仕草を見る限り、目の前にいる生き物は人間と何ら変わらないように見える。
「あの、僕らの事情は聞かないんですか?」
ペットボトルのお茶に口をつけているなのはの肩の上で、フェレットが身を乗り出す。男は顎に手を当てて、しばし思考を巡らすとふるふると首を横に振った。
「君達の事情はある程度聞いている。この街に散らばってしまった落し物を探している、とね。それに私達が君達の事を深く知るという事は、君達が私達の事を深く知る事と同じだ。それは余り好ましくない」
なのははその言葉に疑問を覚える。元々の性格故、なのはは人を疑う事を知らない。目の前の男が自分と違う種族だと言われても、今までの言動からなのはは彼の事を信じかけていた。その疑問が顔に出ていたのか、なのはの顔を横目で見ていた男は短くなった煙草を懐から取り出した携帯灰皿に捻じ込んでため息を吐く。
「はっきり言って我々は闇の住人だ。この世には知らなくていい事も確かに存在する。その内の一つが我々だ」
「ですが、貴方たちは僕達の事を助けてくれました。その様な人達が──」
「過去に、我々の種族が数えきれない程の人間を食料としてその命を奪っていた、と言ってもかね?」
男の言葉でなのはとユーノが揃って息を飲む。苦々しい感情を顔に浮かべている男は携帯灰皿を懐に戻すと、手で車の外を指し示した。
「これからも君達の手助けはする。あれを放置していたらこの街の人間に危害が及ぶからな。ただ再三になるが、君の様な幼い子供が知らなくて良い事、知るべきではない事もこの世界には確かに存在するんだ。今の君と私達の関係は、それでいいと私は思う」
こくりと頷いたなのははゆっくりと車外に出ていく。半分程飲み干したペットボトルを手渡して、家路へと着こうとした所でその足を止めた。
「最後に質問していいですか?」
「何だね?」
「あの、私と同じくらいで紅 響也って名前の男の子を知りませんか?」
その言葉を聞いた男の反応は激烈だった。目に見えて顔色が変わり、体中に動揺が走る。握っていたペットボトルを取り落した男は、なのはの質問に質問を返した。
「……何故、その様な質問を?」
「ファンガイアの人達の体って、綺麗ですよね。その、ステンドグラスみたいで」
「ああ。確かにそう言われる事もあるが、それがどうしたのかな?」
動揺で震える声を何とか押し留めようとしながら、男は地面に転がったペットボトルを拾い上げる。平静を装ってはいるが、人生経験の少ないなのはですらはっきりと分かってしまうほどに、先程出された名前に男は驚いていた。
「その男の子は私の友達なんですけど、前にそう言ってたんです。その言葉をさっき思い出して、もしかしたら貴方たちの事を知ってるんじゃないかなって思って……」
「……いや、知らないな」
なのはの視線を避ける様に、男が顔を逸らす。帰ってきた答えも平坦かつ短い物だった。
「その少年は、我々の姿を何処かで見た事があるかもしれないな。それで、その様な事を言ったのかもしれない」
「そうですか……」
「質問はそれで終わりかね。ならば早く帰った方がいい。そろそろ日が暮れてしまうぞ」
男に急かされて路地を進んで遠ざかっていくなのはは、最後にぺこりとお辞儀をして角を曲がっていった。姿が見えなくなった所で男は大きなため息を再度ついてから、後ろに振り向く。
「お疲れ様でした、響也様」
「うん」
境内へと続く階段を下りてくるのは、次狼と背負われている響也だ。響也はとろんとした目をしながら、疲れ切った口調で言葉を続ける。
「高町さん、怪我とかしてなかった?」
「大丈夫です。私は響也様の方が心配なのですが」
「平気だ。擦り傷が数カ所ある程度、それも数時間で治る」
ゆったりとした歩調で車へと近づいた次狼は、後部座席の扉を開くと先程までなのはが座っていたのと同じ場所に響也を座らせた。ドアを閉じようとしたところで、響也が力なく次狼の袖を引く。
「あの、次狼さん。お願いがあるんだけど」
「どうした?」
「僕が、高町さんと一緒に戦ってること、お父さん達には言わないでおいて欲しいんだ」
「お前、それは……」
響也の言葉を聞いた男と次狼が揃って苦い顔を浮かべた。しかし、今の響也はそれすら気づかない。先程の一戦でよほど疲れたのか、今にも瞼と瞼がくっつきそうな響也が、何とか言葉を続ける。
「お父さん達、今は仕事の途中なんだから……心配かけちゃだめだよ。今の僕の事知ったら、きっと帰って来ちゃうから」
「分かった、分かったから。戦って疲れただろう。今日は家に帰って休め」
「お願いだから、お父さん達には……」
もごもごと口を動かしながら、響也が座席に体を横たえる。一瞬冷や汗が次狼の背中を垂れたが、規則的な寝息を耳にして胸を撫で下ろした。音を立てないようにゆっくりと扉を閉めてから、傍らに男に向き直る。
「お前はどう思う?」
「正直、賛成出来ません。響也様の仰る事も分かりますが、渡様と静香様に伝えないというのは、幾らなんでも、その……」
「そうだな、その通りだ。それが正しい判断だ」
「……それでは、私は響也様を家の方へと」
「ああ、頼む」
次狼に一礼を送った男が運転席へと回る。程なくしてエンジンから静かな低温が響き、四つの車輪が動き始める。夕陽の方へと走り去る車を見届けてから、次狼は階段へと尻を落ち着けた。
「お前とは正反対だな、音也」
次狼が懐から取り出したのは、色褪せた古い写真だ。セピア色に退色しているそれには、とある喫茶店の光景が映っていた。男が三人に女が一人、その内一人は次狼自身。
「臆病で、そのくせどこか思い切りが良くて、自分の事には無頓着で、何時も誰かの事を気にかけて、性格はまるっきり正反対と言ってもおかしくは無いはずなのに……」
一人はこの世界で最高の珈琲を作り出す魔法使い。女は自分が最も愛した、恐らくは彼女以上の人間の女など存在しないと思わせてくれる程の戦士。そしてもう一人は人間にも関わらず自分に対して真っ直ぐぶつかってきた、愚か者とも呼べる最高の友。
「……なのに、何故だろうな。何故こんなにも、お前と響也の姿が重なるんだろうな」
帰ってこない答えを求めて疑問を空へと投げかける。次狼にとってたった一人の親友の奏でる音楽が、聞こえた気がした。