魔法少女リリカルなのは ~響き渡るは紅の音色~ 作:Granteed
遥か太古、世界には数多くの知的生命体がいた。それらは種族の繁栄を目指し、各々のやり方で目的を進めていこうと努力を重ねた。しかし生存競争において、共存という結末は滅多に存在しない。何千年という時の流れの中で、最後まで闘争を続けているのはたった二つの種族だけとなってしまった。
人間とファンガイア族。
かつての勢いは衰え、現代においての両者における闘争は水面下でしか起こらなくなっていた。
だがしかし、起こっていないというわけではなかった。ファンガイア族の存在を知る者と、ファンガイア族の戦闘は日々起こっていた。そう、つい数年前までは。
極東の島国、日本。数年前、小さな陸地でとある事件が起こった。それは、ファンガイア族のキングと呼ばれる存在が、今までと打って変わって人間との共存を当面の目標として掲げたのである。
その発表に対して、ファンガイアの反応は様々だった。何故ならファンガイア族の多くは人間の中に溶け込んで生活しており、中には人間に対して恋慕の情を抱いている者も少なからずいたからである。軟弱なキングを嘆く者、甘いキングに対して憤怒の感情を顕にする者、急な方針転換に驚きつつも愛する人間と共に日々を大切に生きていこうとする者など、ファンガイア達が取る手段は様々だった。
そんなファンガイア族には、一つの絶対的かつ単純明快な掟があった。それは、絶対的な強者が至上の存在だという、極端な実力主義である。その掟に基づいて、怒り狂ったファンガイア達はキングへと襲いかかった。勿論キングである以上、相応の実力を当時のキングは備えていた。が、質より量という言葉があるように、数の力は時に個の力を圧倒する。キングも何度も窮地に追い込まれることとなった。しかし幾度も絶体絶命の窮地に陥りながらも、キングが膝をつき、地に伏す事は無かった。
それは彼のそばにいた、もう一つの存在の活躍によるものだった。
その存在は古よりの鎧を身に纏い、複数の武具を自在に使いこなし、三体の魔族を従える、もう一人の皇帝とも呼べる存在だった。何度も何度もキングを助ける内に、ファンガイア族は彼を恐れて端的にこう呼んだ。
“キバ”、と。
一年、また一年と時は経つにつれてちらほらとキングに歯向かうことを諦め始めるファンガイアが出始めた。そして数年も経てば、キングに歯向かうファンガイアはほぼゼロとなっていた。こうして知的生命体は、一時の仮初とも言える平和を手にしたのである。だがその平和は仮初の物である以上、いつかは必ずほころび始め、崩壊を始める。
時は平成、場所は日本。今再び、この地で一つの音楽が、始まろうとしていた。
海鳴市の端にある住宅街に、ぽつんとある洋館。十数年前は“お化け屋敷”と揶揄された邸宅だったが今はそんな風評も無く、住人達にも受け入れられているその屋敷のうちの一室。住人達がリビングとして使っている部屋では、早朝にも関わらず大声が響き渡っていた。
「響也ー、そろそろ起きないと遅刻するよー!」
ドアの向こう側に声を張り上げているのは、一人の少年だった。片方の手にはフライパン、もう片方には少年の掌から少しはみ出る程の皿が乗せられている。
「別にいいだろう、学校くらい。遅刻の一つや二つでそんなにうるさく言ってやるな」
大きく口を開けて欠伸をしながらテーブルに付こうとするのは、精悍は顔を眠気で崩している30代程の男だった。傍らに置かれていた新聞を手に取って、読もうとする。
「いいわけ無いでしょ、今日は始業式なんだよ!ほら、足どけてよ次郎!」
「そう言えばそうだったか……今日の護衛の当番はお前だったか?」
「違うよ、今日はリキだって。ほら、いつまでも寝ぼけてないで早く起きて」
少年は片手に持っていた器にスクランブルエッグを盛り付けると、空になったフライパンを次郎と呼ばれた男の頭に振り下ろした。一瞬だけ固まる次郎だったが、対して痛がりもせずに新聞を読みふける。
「そのリキはどこだ?」
「昨日は響也と一緒に寝てたからね。そろそろ一緒に──」
その時、壁の向こうから激しい足音が響いたと思うと、部屋のドアが勢い良く開けられた。
「ああ響也、おはよう」
少年が朗らかに挨拶を送るのは、小学校の制服に身を包んでいる子供だった。親譲りの茶色の髪は寝癖で乱れ、急いで起きてきたのか少しだけ息も乱れている。
「お、おはよう、ラモンさん」
「もうご飯出来てるよ。ほら、後ろの二人も早く入って」
少年に続いて入ってきたのは、男とコウモリだった。男は2m近い長身を屈ませながらドアを潜り、コウモリの方は男の脇を優雅にすり抜けながら部屋に入ってくる。
「ほら、リキとキバットはともかく、響也は早く食べないと遅れちゃうよ。新学期早々、遅刻なんてしたくないでしょ?」
「う、うん。いただきます」
「い……ただき、ます」
少年と大男は揃って席につき、目の前に並べられた朝食に手をつけ始めた。少年の目の前では、小さなコウモリがバスケットに盛られたパンを自ら取り出し、かじりついている。
「いただきます」
次郎も新聞を脇に置いて、目の前のサラダに手をつける。少年はテーブルの傍らにあった椅子に腰を落ち着けながら、朝食を食べる三人と一匹を見つめながら微笑みを浮かべている。
「おい、お前は食べなくていいのか?」
「僕はご飯を作りながらつまみ食いとかしてたから。もうお腹一杯なんだ」
「そうか」
端的に返事を返した次郎は目の前の食事へと意識を戻す。そして数分後、食卓の上にあったのは空っぽになった食器の数々だった。
「「「「ご馳走様」」」」
「お粗末さま」
その言葉を皮切りに、再び動き始める四人と一匹。
「あ、鞄持ってこなきゃ」
そんな事を呟きながら、少年は唐突に部屋から出ていった。開け放たれたドアから、一匹のコウモリが後を追っていく。次郎は再び新聞を手に取り、ラモンとリキは食器を手に取ってキッチンの方へと足を運ぶ。一分もしないうちに部屋へと戻ってきた少年は三人の前で両手を広げた。
「これで大丈夫?」
「お、襟が曲がってるぜ」
「ほ、本当?」
「ちょっと動くなよ?」
少年の周囲で羽ばたいていたコウモリは、肩に止まると器用に両翼を動かしながら乱れている襟口を直していく。
「……よし、OKだ」
「こ、今度こそ大丈夫?」
「うん、大丈夫だね」
皿を洗っていた少年がエプロンで水に濡れた手を拭いながら、少年の服装を確かめる。少年は肩に鞄を担ぐと、大きく声を上げた。
「それじゃ……行ってきます!」
「おう、行ってこい」
「いってらっしゃい」
「いって……ら、っしゃい」
三者三様の見送りの言葉を投げかける男たち。少年は満ち足りたような笑顔を浮かべると、勢い良くドアを開け放ち、駆け足で外へと出ていった。
「あ、おい響也!俺を置いていくなって!!」
コウモリも急いで後を追おうとして、翼をはためかせる。少年の声の残響が消えた木造の部屋は静寂を保っていたが、ゆっくりと次郎が口を開いた。
「……リキ、行け」
「分、かった」
リキと呼ばれた大男は返事を返すと、少年の後を追うように部屋から出ていく。次郎は新聞から目を離さずに、椅子の上で体を揺らすだけだった。そんな次郎を見ながら、ラモンはエプロンを椅子にかけながら、次郎の正面に座る。
「……また手紙が来てたよ」
「どうだ?」
「まずはこっち」
ラモンは懐から、赤と青で縁どられた白い便箋を次郎の目の前に置く。次郎はその便箋には何の反応も示さず、新聞を眺めている。
「内容はもう確認したけど、特に問題は無かった。書かれていたのは海外での公演の様子と、そこでの生活くらいだよ」
「帰ってきたら響也に渡してやれ」
「うん……それと、こっちも。今回はちょっとヤバかったみたい」
懐から取り出したのは、何の変哲も無い茶封筒だった。しかしそこいらにある物と何も変わらないにも関わらずラモンがそれを取り出した瞬間、次郎が勢い良く新聞を脇に投げ捨てる。
「何だと!?あいつらは、渡はどうなった!?」
「説明するの面倒だから、自分で見──」
言葉が終わらないうちに次郎はラモンの手からち茶封筒をひったくり、中身を取り出す。茶封筒から出てきたのは、これまた何の変哲も無い白い便箋だった。次郎はそれを広げると内容に目を走らせる。
「……成程な」
「今に始まった事じゃないけど、やっぱり僕は反対だよ。あの子に親がいないのも可哀想だし、子供を置いて両親が海外に行くなんて褒められる事じゃない」
「何度も話し合った結果だ。響也も渡も、納得している。それにあいつは人生の大切な時期の殆どを、戦いに使ったんだ。音也も生きていたら、渡の行動を否定しないだろうよ」
「それでも、僕は渡や静香が心配だよ。キバットのお父さんがついているとは言え、いつ襲われるとも限らないんだ。現に今だって、危機に晒されている」
「……あいつらなら、大丈夫だ」
次郎は嘆息しながら便箋を目の前のテーブルに放る。開け放たれたドアから風が吹き込み、便箋は床へと落ちてしまった。二人は便箋に目もくれず、互いに真正面にいる相手の目を覗き込む。
「海外にも青空の会の様な、対ファンガイアの組織は存在する。奴は決して無防備ではない。それに静香だって、弱い女じゃない。お前も知っているだろう。あいつが俺たちの姿を初めて見た時、何と言った?」
「そりゃ、そうだけどさ……」
「もう既に一年も立っているんだ。そろそろ公演も一段落ついて帰って来る頃だろう。帰って来るまで、俺たちが全力で響也を守ればいい話だ」
「……そうだね。分かったよ」
「……俺達も行くぞ。そろそろ響也が学校に着く頃だ」
緩やかな動作で椅子から立ち上がる次郎。先程まで渋い顔をしていたラモンも、表情を一新して勢い良く立ち上がった。
「今日はボロを出さないでよ、次郎」
「どこで俺がそんな事をした?」
「数えるのも面倒な程。響也の事になると、すぐ熱くなるんだから」
「……行くぞ」
「はいはい」
男二人が出て行くと、先程まで騒がしかった部屋は唐突に静寂に包まれる。動いている物は窓から入ってくる風にはためいているカーテンと、風に乗って床の上で揺れ動く便箋だけだった。そして風の力で便箋が少しだけ開かれる。便箋の隙間から垣間見えた物は丁寧な細い字と、文面の最後に付け加えられている“紅 渡”という署名だけだった。