腐った世界で腐り目の男は生き延びられるか。   作:ぴよぴよひよこ

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逃げる、生きる、前を向く。

 

 

 中学校を出て、一路自宅へと向かう。私の後ろでは小町さんと由比ヶ浜さんが嗚咽を漏らしながら、しかし真っ直ぐ歩いてついてきていた。

 比企谷くん、一色さんと別れてから話し合い、私の住むマンションへと向かうことを決めたのだ。彼に任された小町さんはもちろん、自宅が遠い由比ヶ浜さんも危険だということでついてきてもらっている。何よりこの状態の彼女たちを放ってなどおけるはずもなかった。

体力のない私だが、比企谷くんに託された願いが私に力をくれている気がする。確かに疲労は無視できないレベルで私の身体を蝕んでいるものの、泣き言など言っていられる場合でもなかった。

 

 もっと早く現状なり何なりを理解できていればと悔やみたい気持ちもある。普段から体力をつけるように心がけていればあの二人も喪わずに済んだと嘆きたくなる。でも状況がそれを許してはくれなかった。私は、二人を守らなければならない。この命に代えてでも。

 

 そんな犠牲は誰も望んではいないのだろう。でも私は見てしまったから。

 最初は、平塚先生。あの異常に過ぎる場面で生徒を思いやれる行動力は、まさに教師の鑑だった。次は葉山くんと三浦さん。軽薄だと疎んじていた彼らは深く深く繋がり合っていた。そして、一色さん。彼女も命がけで比企谷くんを助けた。それは無駄に終わってしまったけれど、それでも死という絶対の恐怖を、あの瞬間だけでも押しのけて彼を救おうと動いたのだ。

 

 私は、そんな彼らが、彼女たちが、不謹慎だけれど少し、羨ましいと思ってしまったのだ。誰かのためにそこまで身体を張れることが。

 自分を犠牲にしろという意味ではない。けれども私にもそれができると胸を張って言えるのだろうか。私は、比企谷くんや由比ヶ浜さんや、小町さん、一色さんを大事に思っている。でももし、彼らがまたあのような場面に出くわした時、私はあの人たちのように行動できるのだろうか。そう、考えてしまった。

 

 繰り返すようだが自らを犠牲にしろというのではなく、またなりたいわけでもない。ただ、私は自分が思っていたほど、彼らを大事に思っていないのではないかという疑念が脳裏によぎってしまったのだ。

 理性は「そんなはずはない」と訴えているけれど、思考はネガティブな方向へと今にも走り出しそうになっている。だから証明しなければならない。彼にも託されたのだ。後ろを歩く彼女たちは、私が絶対に守ってみせる。

 

「……ゆきのん」

 

 由比ヶ浜さんが私を呼ぶ。まだその目は真っ赤だけれど、しっかりと生きようとする力強さが伺えた。彼女もまた、彼に託されたのだ。私を支えて欲しい、と。恥ずかしいけれど、きっと彼女にはこれからもたくさん助けられるでしょうね。私は、今まで自覚していたほど、強くないことが証明されてしまったから。

 

「何かしら。休憩ならもう少し先にしましょう? ここの道は、狭くて危険だわ」

 

 今は走っている車も見かけない。できるならば大通りの車道のど真ん中を歩いていきたいところだが、広すぎるというのもまた危険だ。街の広いつくりになっている所はそれだけ人が多く、また変貌してしまった者も多いということになる。

 しかし由比ヶ浜さんの提案はまた少し違うものだった。

 

「ううん、そうじゃなくて……。あそこ、コンビニがあるからさ、何か買っていった方がいいかなって」

 

 彼女が指をさす方には確かにコンビニがあった。有名な大手チェーンではなく、細い道にある地域密着型のコンビニだ。

 なるほど、と頷いて了承する。この状況で何か物資を期待するのも無駄かもしれないけれど、覗いていくくらいなら問題ない。コンビニは前面がガラス張りになっていて中の様子も伺えるし、食料品は今は多ければ多いほど助かるものね。

 曲がり角は厳重に注意を重ねて、時間をかけてコンビニへ歩を進める。この速度で私の住むマンションまで行くにはあと数時間を要するかもしれないけれど、危険と引きかえにするわけにはいかない。それを考えても、食べ物や飲み物は体力回復をするのに不可欠なものだ。私としたことがそんなことにも気づかないとは。さっそく由比ヶ浜さんには助けられてしまったわね。

 

「……大丈夫そうね」

 

 コンビニへとたどり着き、ガラス張りの中を覗いてみても店内に動くものはない。もちろん誰もが物資を必要としていたのが伺える惨状ではあるものの、床に散らばったものがまだいくつか見えた。

 

「小町さんは入口で見張っててもらえるかしら」

「……分かりました」

 

 彼女もまだ吹っ切れてはいなさそうだ。当然か。あんなに慕っていた兄が死んだとあれば。私だって仲が良いとは言えないあの姉がいなくなったらと思うと、それだけで背筋が凍るような気持ちになる。

 けれど小町さんは頷いてくれる。彼女も生きようとしているのだ。誰かに守られて生きている今を、必死に。

 

 私と由比ヶ浜さんで店内を歩き回り、散らばった缶詰や菓子類をビニール袋へ詰め込んでいく。物漁りみたいで恰好がつかないけれど、非常事態なのだから仕方がない。今はたとえ泥水を啜ってでも生きなければならない。

 最後の矜持としてレジにお金を置いていく。今後この紙きれや硬貨にどんな価値が付けられるのか、見当もつかない。それでも拾い集めた僅かな食品や飲料分以上は誰もいないレジスターの横に添えるようにして置いていった。

 

 金銭という世界の根幹部分に必要なものを見たことで、これからどうなっていくのか、想像もつかない未来に一瞬思考が奪われたその瞬間。

 

「きゃああああ!」

 

 店の外から小町さんの悲鳴が聞こえてきた。

 由比ヶ浜さんと一緒に急いで外へ出ると、一人の男が小町さんへ向けて刃物を突き出していた。顔も背格好も普通としかいいようがない、どこにでもいる一般市民という表現が似合うその男はしかし、血走った目をしてどうみても正気ではなかった。

 

「お、お前ら、店から何か持ち出したんだろ……! そ、それを、寄越せ! そうすれば何もしない!」

 

 震える手の先で包丁と思しき切っ先がぶれる。正気ではないと思ったが食料を必要だと認識している時点で思考自体はまともなんだろうか。この先を思えば一番に必要になってくるのがそれだ。次いで水も心配であるが、恐らくだけれど水道はまだ生きている。電気や水道などの設備は無人でもある程度の稼働はするはず。いずれは止まってしまうから対策は必要だけれど。

 だから必死に奪おうとしているこの僅かな食糧は、この男にとって金銀や宝石以上の宝に見えているのでしょう。

 

 けれどもそれは私たちにとっても同じこと。

 分けて欲しいと懇願されれば可能な分だけでも分けたかもしれない。でも、力づくで奪おうとするならば。……私は容赦など、できない。

 

「小町さん、下がって」

 

 怯える小町さんを後ろへ引き寄せ、代わるように私が前に出る。

 男は刃物を持っているのに怯えた様子でそれを振りまわし、私を警戒していた。

 

「ゆ、ゆきのん……!」

「大丈夫よ」

「こ、このガキ……調子に乗りやがって!」

 

 余裕を見せたことからか男が激高して向かってくる。しかし、私は落ち着いていた。少なくとも、目の前で誰かが死んだ、どの瞬間よりも。

 だって、怖くないんだもの。敵意を向けられるというのが、こんなにも気を落ち着かせるとは自分自身思ってもいなかった。あの死者のなりそこないたちの、空虚な双眸に晒される方が、よっぽど怖い。

 アレはどんな理屈も条理も通じない。ただ動いて、掴んで、齧る。そのために動いて、また掴んでと繰り返すだけのモノ。そんなものがこの世に存在していると考えただけで怖気が走る。

 だから目の前に突き出された刃物に対しても、私は動じずに習った通りの動きをすることができた。

 

「なっ!? ――ごっ、は!」

 

 小さく横へ避けて手を取り足を払う。突進の勢いを利用して宙へ浮かせた男を、今度は習ったようには支えずにそのまま落下させた。背中を強かに打ち付けた男は、肺にあった空気を全て吐きだしてもがいていた。その隙に、小町さんを支えて急いでその場を去る。

 

「行きましょう。曲がり角には気を付けて」

「は、はい」

「ゆきのん、すっごいね……」

 

 由比ヶ浜さんが私を褒めてくれる。でもね、私にできるのはこういうことだけなのよ。自分に降りかかる危険を払うことだけ。それしかしてこなかった私は、いつしかそれしかできなくなってしまっていた。だから今は少しだけ嬉しく思っている。この技術を、誰かを守るために使えたことが、少しだけ。

 それも守るものがある内にしかできないことに気付くと心が痛む。過去にはやはり後悔しかない。

 私は小町さんの肩を支えながら懸命に未来に向かって歩き出そうとした。その先に、光が見いだせずとも。

 

 

 

* * *

 


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