三叉路の分岐点にある古風なアパート、その一室が暁美ほむらの仮の住居である。仕事の都合で海外に行ってしまった両親が、病弱な体では一緒に海外暮らしも辛かろうと一人暮らしに出来るだけ不自由しないようここを選んだのだ。一人で住むには広すぎるこの家で、静けさが耳に響くのを我慢しながらほむらは食事をとり、体を休ませていた。
――ついこの前までは。
この時間軸のほむらホームは何日かおき程度に賑やかだ。理由は考えるまでもなく、ほむら以外の三人の魔法少女によるものである。葵が提案した数日ごとに居候させてもらうという条件はどこへやら、彼女達はマミの家に居る時もほむらの家に居る時も大体四人で寝食を共にしていた。食事は一緒に作る方が手間いらずというのもあるし、マミが寂しがるというのもある。だが結局のところ、彼女達は孤独を埋めたいという思いが根底にあるのかもしれない。
主観では相当年数の間親に会っていないほむら。文字通り天涯孤独となった葵に、親を失ったマミと杏子。総じて彼女達は大人びていて、それでも中学生の少女だ――一名を除いて。
人間というものは不幸を我慢出来る生物である。人それぞれ程度に差はあれど、人生の一切を苦労せずに生きる者はまずいないだろう。しかし幸福を我慢できる者は非常に少ない。正しく言うならば幸福を手放すことを我慢出来る人間は少ない、と言うべきだろうか。
幸福を知らずして不幸を知ることは出来ず、その逆もまた然り。孤独という不幸を耐えてきた彼女達は、絆という幸福を手放すことを恐れている。それを弱くなったと取るか強くなったと取るかは当人次第だろう。葵は強弱ではなく喜ばしいことだと考えているし、ほむらは弱くなったと思いつつもその弱さこそが愛おしいと考える。
一つ言うならば、キュゥべえからすればそれは非常に有り難いことでもあるということだ。その感情が高まれば高まるほど絶望した時の反動は凄まじいと彼らは知っているのだから。
と、長々と説明すればこのような形になるが結局のところ彼女達は単純に皆でわいわいするのが楽しいから集まっているだけだ。マミが天然ボケを披露すれば杏子が突っ込み、ほむらがリアルボケをかませば杏子が突っ込み、葵が普通にボケれば杏子が突っ込む。突っ込みの杏子とあだ名がつきそうなこのボケボケっぷりは、何も彼女達が悪い訳ではない。ほむらは入退院を繰り返していた元病弱っ子であり、実のところ割と常識に疎い。葵はそもそも性別が逆だったのだから、女の子の常識的にそれはダメだろう、というところを踏み越えてしまったりするのだ。マミは元からである。
そんなわけで、今日も今日とて彼女達は強く楽しく姦しく日常を過ごしている。マミと葵がキッチンを借りて食事を作り、皆で食卓を囲む。食事が終わればカードゲームやコンシューマー、もしくは雑談に耽ることが多いのだが本日は後者のようだ。
「ところでほむら、前々から気になっていたんですがこの家の内装は趣味なんですか? 正直ここまで改造する必要性をあまり感じないのですが」
「確かになー。つーかいまだに落ち着かないんだけど。なんでこんなに真っ白くしたのさ」
白い空間に統一感のない家具。あいた空間にはホログラムのように魔女の情報や未来の予測が並べられている。常識的に考えてここで生活するのは少々気が引けるレベルだ。アパートにしては非常に広いこともあって、寝室こそ普通であるが食事は居間で取らざるを得ない。うら若い婦女子からすれば食欲も落ち込むというものであろう。もちろん杏子だけはどこであっても健啖家であるが。
「え……まあ、そうね。そんな感じかしら」
「もう、二人ともそんなの決まってるじゃない。かっこいいからよ」
「ち、ちがっ……!」
「ああ、なるほどほむらも昔は“そう“だったんですね」
「ち、ちががっ……!」
「へー……ほほー。ぷっ」
「ううう……」
マミと同様の病を持っていると誹りを受けたほむらであるが、実際問題間違ってはいないのだ。魔法少女になってからもしばらくの間は彼女も割と“そう“だったのだから。既に卒業はしているが、いまだちょっとしたところにその名残が見え隠れするのはご愛敬である。
なにより最初の師匠とも言うべき人物がマミであったのだからそれもむべなるかなといったところだろうか。今回こそまだ被害にあってはいないものの、過去において何回かはほむらも固有魔法に名前を付けられる悲劇があったのだ。その時の技名は『セニャーレ・ディ・ストップ』などというそのまんまの名詞であったが、最初期は恥ずかしげもなく叫んでいたのだからほむらの黒い歴史も相当なものである。
「はは、まあ日本で普通に育てば六割くらいの人はなにがしかの恥ずかしい思い出くらいありますよ。そう気にする必要も無いんじゃないですか?」
「あたしはそんな覚えないけどなあ」
「ふむ、まあ私も似たようなものですが」
マミは現在進行形なので除外し、残る杏子と葵はそれを否定した。慰められるほむらの心境はチクチク攻められているような針のむしろチックである。しかし、ほむらは聞き逃さなかった。葵のほんの少しだけ引き攣ったような口の端と、曖昧な言を好んで使わないにもかかわらずぼかしたようなセリフを。
「“待った!“」
「!?」
「葵、貴女の証言は矛盾していないかしら?」
「な、何を藪から棒に」
なんだか青いオーラを纏ったようなほむらが葵に真実の刃を突きつける。自分だけが恥ずかしい思いをしてなるものかと。葵のはぐらかしを認めてなるものかと。
「貴女は巴先輩の痛々しい言動や行動を目にした時、私と同じように胸を掻き毟られるような、過去を蒸し返されるような表情と言動をしているわ」
「そ、それがどうしましたか? そんなことだけで私が“そう“だったとは断定出来るはずもありません」
ちっ、ちっ、ちっ、とほむらは人差し指を左右に振り、肩を竦める。少し冷め気味のコーヒーをゴクリと嚥下し、鋭い眼光で葵を射抜く。その行動自体がまだ病が治っていない証拠ではなかろうかというのは触れてはいけない部分である。マミは自分が貶められているのにも構わず動向をワクワクと見守り、杏子は何が始まっているのかと目を白黒とさせている。
「ふう……やれやれだわ。貴女ともあろうものがそんな見苦しい様を見せるなんてね。解っているんでしょう? 自分でも」
「ぐ……!」
「そう、杏子のような残りの四割は巴先輩の“あれ“に対して忌避したり否定したりすることはある! けれど私達のように取り乱したり、苦悩したりはしない!」
「ぐうぅっ!」
冷や汗をだらだらと流して目の前で差されている指を見つめる葵。それはさながら絞首刑を待つ罪人のような雰囲気を漂わせている。視線は左右を彷徨い、両手はせわしなくパタパタと動いておりまさに挙動不審という言葉が相応しい。
「……その反応こそがまさしく証拠。そろそろ観念なさい、葵」
「い、“異議あり!“ 人の反応など千差万別です! こんな少ないモデルケースだけで判断するのは……」
「私は『観念なさい』と言ったわ。それほどまでに往生際の悪さを見せるというなら……仕方ないわね」
「な、なにを――」
薄い胸を張り、ぴしりと腕を伸ばし、不敵に笑ってほむらは振りかざす。真実の正義を、残酷な現実を。言葉の応酬は佳境に入り彼女は自分にしか見えない向日葵と天秤を心に、葵を追い詰める。蜘蛛のように獲物をじわじわと嬲り、最後の一刺しを華麗に決めた。
「“貴女はかつて思春期において自己愛に満ちた空想、それに準ずる壮大すぎる設定や仰々しすぎる世界観を持った脳内創作物を想像、および創造していた!“ イエスかノーで答えなさい! ……嘘が嫌いな、葵さん?」
「――――――っ! ぐ、もっ、黙秘します!」
「それこそが……答えだわ」
吹いてもいない暴風を感じながらほむらの宣言に耐えていた葵だが、ほむらの最後のセリフによって絶叫を上げながら崩れおちた。そこに佇むは己の勝利に酔うほむらと、哀れな敗北者のみ。ちなみに青いオーラや吹き荒れる暴風、葵の絶叫は全てマミの脳内イメージの産物である。
「貴女でも見栄を張ることがあるのね、葵。だけど一人だけ逃げられると思うなんて甘いわ。天網恢恢疎にして漏らさずとはよく言ったものね」
「ぐうの根もでませんとも、ええ。確かに私もそういった事に覚えがありますとも、ええ」
「貴女がやさぐれてるのも初めて見るわ」
くすくすと口に手を当てながら笑うほむら。そこからは勝者の余裕といったものが感じ取れる。くだらないやり取りに呆れる杏子と、凛々しいほむらの姿に早速自分を当てはめて『法曹界の敏腕弁護士、巴マミ』を妄想しているマミ。やさぐれる葵は床に寝そべりながら力無く垂れている。
「はあ……なんて茶番ですか。不毛ですし、そろそろ寝ませんか? マミもほむらも明日は学校で……おや、キュゥべえさん。どうしました?」
グリーフシードの回収など、必要最低限な部分以外にはあまり接触しないようキュゥべえに言い含めていた葵であったが、ほむらの家の壁をすり抜けて通ってきた姿に何かあったのかと訝しがる。とはいってもキュゥべえと葵は多少の条件の元でいくつか約束をしており、それを鑑みればおそらくまどかとさやか辺りに何かあったのだろうと葵は推測した。
「美樹さやかと志筑仁美が魔女の補足圏内に入っている。少し危険な状態みたいだから、急いだ方がいいんじゃないかな?」
「てめえ、どの面さげて言いにきたんだ! どうせ詐欺師みたいなやりかたで唆して――」
「杏子、行きますよ。キュゥべえ、あなたはこの事態に何か関与している。イエスかノーで答えてください」
「ノー、だ。僕は彼女達に姿を見せたことすらないさ」
「と、いうことです。みんな行きましょう、キュゥべえさん案内お願いします」
キュゥべえへ猜疑の目を向ける一同に、葵は実に解りやすくフォローする。キュゥべえは勘違いを助長させる物言いを弄するが嘘を付くことは無いと皆が知っているゆえに、この問いかけかたは間違えようのない事実であると認識させた。
「キュゥべえさん、間に合いますか?」
「それが彼女達の命に対する問いかけなら、間に合うよ。ただ――」
「ただ……?」
キュゥべえが言葉を濁すことはあまりない。だからこそ煮え切らない言い方をするその姿に葵は違和感を覚える。いったい彼女達に何が起こっているのか。無事を願いつつ、四人の魔法少女達は暗闇の中を全速力で疾駆するのであった。
志筑仁美は恋する乙女だ。生粋のお嬢様であり、それでいて誰にでも分け隔てなく接することが出来る美少女。文武両道、才色兼備、清廉潔白。彼女に似合う言葉は総じて良く捉えられる熟語ばかりであり、それは実際にその通りであった。なんでもそつなくこなし、習い事が多く自由が少ない自分の境遇にも不満を漏らさず日々邁進している彼女はまさに完璧の二文字で表すべきだろう。
とはいえ彼女もまだ中学二年生。そのすべてが品行方正というわけでもない。クラスメイトのバイオリニストに恋をしたり、乙女同士の禁断の恋に興奮する残念なところも持ち合わせている。そしてそんな自分に少し罪悪感が芽生えているのも、彼女が生真面目だからこそなのだろう。百合好きに関しては微塵も後悔していない、誰に憚ることもない性癖だと考えているが、問題は恋の方。彼女が好きになってしまったのは、不運にも親友が恋慕している少年だったのだ。それも小さな頃から想い続けている筋金入りの初恋だ。
自分の気持ちに嘘はつけないし、つきたくもない。不運だとは思っていてもそれを後悔してはいない。少年を好きになった気持ちは紛れもなく本物なのだから。
けれど。親友が悲しむ姿など見たくもない。もう一人の親友がどうしようと嘆く姿も見たくない。そう思うのは、思ってしまうのは思春期の少女だとかそういった事は関係なく人間として当然の苦悩だろう。何度も自問自答し、答えの出ないまま時は過ぎていく。怪我を治して帰ってきた少年を見て思いを募らせ、その少年を慈母のような笑みで見守る親友に複雑な思いを巡らす。私は貴女の思いをこんなにも理解しているのに、貴女は何故気付いてくれないのと逆恨みのような感情を抱いたことも数知れない。
志筑仁美は恋する乙女で、そして非常に理性的な少女だ。だからこそ自分の限界が近いことを理解していた。これ以上我慢していては感情が爆発して親友に謂れのない非難を被せてしまうかもしれないと彼女は危惧していたのだ。正々堂々とフェアに勝負する、もうそれしかないだろうと覚悟を決めた。
自分も親友の想い人に惹かれていることを告白し、そして先に勝負に出てもらう。それが恋はいつでも誰でも平等だと考える彼女の精一杯の譲歩だ。親友が想ってきた年月を考えれば出し抜くなどという選択肢は絶対にあり得ない。親友が成功したならば心の底から祝福して、夜にベッドで泣きはらそうと彼女は思い、想う。
だがしかし運命はどう螺旋くれたのか、彼女達はいま陽の暮れた河原で相対していた。仁美の理想としては夕焼け空の中が良かったのだが、生憎彼女の家は門限が厳しい。夜に家を抜け出すほうが時間をたっぷり使えると、そのお転婆っぷりを如何なく発揮していた。
「本気……なの? 仁美。私……」
「みなまで言わないで下さい。恥知らずは承知の上ですわ。それでもこれ以上は我慢できないと考えた次第ですの……軽蔑して下さって結構」
「……」
暗い夜闇が二人の表情を侵食している。その暗さは彼女達の心境を覆い隠していたが、さやかは仁美の声色の真剣さからその本気を感じて覚悟する。放課後に渡された手紙。家に帰ってから読んでくださいましと真っすぐな瞳で見つめられて言葉に詰まり、おそるおそる開封すればそこには予想外どころではない内容が書き綴られていた。いや、本当のところは少しだけ感付いていたのかもしれない。
日常の端々で少しだけ顔を見せていたその恋の感情に、気付かない振りをしていただけなのかもしれない。結局それが志筑仁美という親友を苦悩の日々に陥れてしまったのだと、さやかは後悔していた。これだけ真っすぐにぶつかられて、その思いから逃げるほどさやかは人情の薄い女ではないのだ。
「軽蔑なんかするもんか……ごめん仁美、ほんとは少しだけ気付いてたかもしれない。それが怖くて見て見ぬ振りをしてたのかもしれない。ほんとに軽蔑されるべきは私なんだ」
「さやか……さん」
意外そうにさやかを見つめる仁美だが、そういえばなんだかんだで人に感情の機微には敏い子だったな、と納得する。申し訳なさそうに俯くさやかを見て、やっぱり私は良い親友を持ったものだと温かい気持ちが胸を満たす。
「いいんです。それでもわたくしが野暮なことに変わりはありませんから……さやかさん、一つだけお願いがあります」
「実は私も一つだけあるんだ」
「ふふ、では一緒に言いましょう? ……せーの」
二人の口から出た言葉は一言一句違わず同様で“どんな結果になっても仲の良いままでいたい“というものであった。
「……仁美が友達で良かった」
「あら、わたくしは親友だと思っていましたのに」
ニカリと笑いあい、そして決闘の準備をする二人。正々堂々、バーリトゥード。この提案が杏子と葵の誤解だらけの決闘を見て思いついたことは仁美だけの秘密である。女の子としては激しく間違っているこの決闘の火蓋が切って落とされるまで後数秒――
仁美からさやかへの果たし状
美樹さやか様へ
風に舞う花吹雪が目に眩しい今日この頃、さやかさんはどうお過ごしでしょうか? とは言っても毎日会っていますからお互いに解りきっていますよね。さて、この度筆を取らせて戴きましたのには並々ならぬ訳がございます。
それは私の恥知らずな恋の感情のせいにございます。不躾ながら貴女の感情も理解しておりますれば、それでもこの感情の渦に捕らわれて、日々煩悶と過ごすことに耐えられずこういった形でお伝えするに至った次第でございます。
貴女が恋慕していた時間はとても永いのでしょう。それはとてもとても尊く、そして大切な事だとも理解しております。けれど、短い付き合いの中でも囂々と燃え上がる感情があることもどうか認めてはくださいませんか? 貴女は何よりも大切な親友で、それでも自分の気持ちを裏切れない苦悩の狭間で考え抜きました。
今日の午後九時、倉庫街近くの河原で愛をかけた決闘をしたいと存じます。どうか受けて頂きたいと切にお願いいたします。願わくばどのような結果になろうとも禍根無く終えたいと望んでおります。
この身の不義理、どうかお許し下さい。
志筑仁美
人に何かを伝える時、それは主語や名詞を明確にすることが肝要である。しかし、優秀な模範生である仁美も今は恋する乙女脳。この文面を見たさやかはこう考えた。自分が恭介に恋してることを知ってなお、性別を越えた愛を告白せずにいられなかったのだと。これは普段百合の花を咲き散らしている仁美も悪いだろう。結末は如何に――――
すぐに文に反映してしまうあたりミーハーと言わざるを得ない