「遅くにすいません。迎えに上がりました」
「ほんとにきた…ていうかどうやってきた…」
病院で別れ際に窓は開けておいてくださいと言われたさやかは律儀にもその通りにして日を跨ぐその時までベッドの上で待っていた。時刻は二十四時ピタリ。時計の全ての針が真上を指し示した時、音もなく葵は二階のさやかの部屋へと侵入した。
「ジャンプしました」
「できてたまるか!」
「本当ですよ?」
「えぇ…」
冗談を一切感じさせない表情で葵は答えを返す。その雰囲気に気圧され、そして服装も随分ファンタジーな葵にさやかは答えに詰まる。
「私は嘘が好きではありません。まあとにかくほむらの家に行きましょう。話はそれからです」
「う、うん」
「姫抱きとおんぶどちらがよろしいですか?」
「はい?」
補導されても困るので跳んでいきますと説明する葵に今度こそ意味が解らず、もう好きにしてくれとベッドにぽふんと身を投げ出したさやか。では失礼して、とそのままさやかを抱き上げて葵は立ち上がる。
「うわっ!?」
少女ではあり得ないように軽々と自分を持ち上げる葵にさやかは驚きの声を上げるが、次の瞬間それは悲鳴へと変わっていた。しかしそれも当然だろう、葵はさやかを抱いたまま窓から飛び降りたのだから。その際に器用にも足で窓を閉めるという曲芸染みた事までやってのけたのだが、目を瞑ってちぢこまっているさやかには気付く余地などある筈もない。結局二階から飛び降りたとは思えないほどの軽い衝撃だったために着地してからさやかが目を開けるまで数秒の時を要した。
「うぅ…あれ?」
「そんなに抱きしめられると照れます」
「いやいや……いやいやいや」
「嫌でしたか?」
「嫌じゃないけど、じゃなくていやいやいや」
「そうですか…すみません」
「遊ぶなっ!」
本当に楽しい子だなと笑いつつ、そのまま足に力を込めて数百メートル先の建物の上に狙いを定めて跳ぶ葵。
「ちょっ…!」
待って、と言いかけるさやかの言葉も半ばに満月に近付いていく二人。さやかの色々が当たっている葵が多少の嬉しさと疚しさを感じてしまうのは男ならば仕方ないだろう。ピョンピョンと建物と建物を跳ねる葵はまるで兎のようだ。
「さやか、絶対に離しませんから目を開けませんか? 景色が凄く綺麗です」
このご時世、街の全てが寝静まるということはまずない。ちらほらと灯りが燈る景観は非現実的な状況と相まって非常に幻想的ではある。春とはいえ深夜のこの時間はまだ肌寒いため、上空というのもあって少し冷える。体温の高い葵に密着して、ついでに慎ましい胸の感触を確かめていたさやかはその言葉におそるおそる目を開き自分の住む見滝原を一望した。
「わぁ…すごい…!」
「でしょう?」
魔法少女になって良かったと思える理由トップ3に入る空を跳ぶ気持ちよさ。友人にも共感してもらえて葵もご満悦だ。きゃあきゃあとはしゃぐさやかに胸をもまれているのも特に意識はしていないようだ。もっとも揉むほどあるかというと疑問ではあるが。
「Aね…」
「? 急に関西弁になってどうしたんですか」
「う、ううん。ええねぇ…」
「?」
元男故にセクハラには気付きにくい葵であった。まあ男が胸を触られてもセクハラとはまず考えないだろう。そうこうしている内にほむらの家の前に到着した二人。葵はテレパシーでほむらに確認をとりそのまま中へと入る。
「なんじゃこりゃあ!」
連れられて中に入ったさやかの第一声がこれである。だがそれも仕方のないことだろう。外観からは想像もつかない謎の白い空間と、気味の悪いホログラムのような何かが浮かんでいる部屋など想像の埒外だ。
「まさに…匠の業…」
「んなわけあるかー!」
するどい突っ込みを入れるさやか。どんなビフォーでもこんなアフターにはならないだろうと。
「冗談です」
「わかってるよ!」
「実は魔法です」
「だからからかうなっつーに!」
「本当ですよ?」
家に来た時のように真面目な雰囲気で返す葵に、またもやさやかはぐっと答えに窮する。短い付き合いだが、葵が嘘ではないという時は本当に真実らしいとわかってきたのだ。しかし魔法なんてものは御伽話の中にしか存在しないというのは語るまでもない常識だろう。サンタクロースがいると信じるような歳ではないのだ。しかしここまでの移動方法が現実とは思えない、まさに魔法のようだっただけにさやかからしても信憑性は充分にあると言わざるを得ない。
「その服も…?」
「魔法です」
「跳べるのも…?」
「魔法です」
「寂しい胸も?」
「もちろん魔法です」
嘘つけっ! と叫ぶさやかだが、真実なのだから仕方ない。まあ元男などという事実を知らなければ当然だ。
「いらっしゃい」
「ただいまです」
「あ、ほむらお邪魔ー」
「邪魔するなら帰ってちょうだい」
「あんたそんなキャラだっけ!?」
既にまどかを迎えに行ってほむらの機嫌は最高潮だ。理由は言わずとも解るだろう。葵は勝手知ったる仮宿のダイニングでコーヒーを入れ、さやかにはカフェオレを用意する。ほむらから聞いた個人情報を無駄に活用するあたりが大人の気遣いというものである。
「あ、さやかちゃん」
「さやか…寝間着のままって…」
「あははは、本当に来るのか解んなかったからさー」
先に到着していた恭介とまどかに挨拶をしてさりげなく恭介の隣にポジショニングするさやか。想い人にパジャマ姿を見られても全く気にしないあたりが女子力の低さを窺わせるが、幼馴染ならば今更気にしても仕方ないというのもあるかもしれない。
とにかく態勢が整い、三人と向かい合う形でソファに腰を下ろすほむらと葵。いよいよ話す時が来たものではあるが、いざこうなると切り出し方というのは中々難しい。若干の沈黙の後、まずは葵が説明を始める。
「さて、ではここに集まって頂いた訳ですが…簡単に言うと見滝原が近いうちに壊滅しかねないので、それを救うお手伝いをして頂きたいのです」
そんなあまりにも、脈絡も突拍子もない話にまどかとさやかは当然のように懐疑的な目―――というよりは変人を見るような目で葵を見つめる。しかし構わずに葵は話を続けていく。どこから話そうが基本的には信じがたいことだらけなのだ。まずは耳障りのいい言葉から説明したほうがここは吉であると葵は判断した。
「私達は―――ほむらやマミさんのことですが、魔法少女です。人間の負のエネルギーを目的に人を襲う魔女たちを狩るべく日夜戦うもの…その総称といってもいいかもしれませんね。先ほど目にされた信じられないほどの身体能力などもその目的のために最低限必要のものなんです」
どうにも信じがたい話、信じがたくはあるが…先ほど体験した空の旅は紛れもなく真実だ。まどかとさやかは判断に迷う。しかしそこで合いの手と言わんばかりにタイミング良く恭介のフォローが入る。
そう、人の判断基準というのは他人がいてこそだ。幼いころからよく知る彼が、ましてやさやかからすれば家族と同じくらい大事な幼馴染から肯定の意思を聞けばそれは受け入れられやすい土壌が形成されるのと同義だろう。そしてまどかはさやかが受け入れるのならばきっと同じように受け入れる。少なくともほむらにはその確信があった。そのために態々恭介の手を治し、信用を得るために真実を話したのだ。
「さやかには言ってなかったけど僕の手、もう治らないって…バイオリンを弾くことは二度と出来ないって医者に言われてたんだ」
治った今だからこそ言える真実。さやかのことを思ってというのも確かではあるが、口にできなかった本当の理由は認めたくなかったからだ。言葉にしてしまえば本当に決まってしまうような気がして。だがもうそんなことは気にする必要もない。恩人のためならば今更そんな過去の葛藤などどうでもいいと、恭介は考える。
「だけど彼女達が、葵と巴先輩が僕を治療してくれたんだ…魔法を使って。正直自殺も考えてた…さやかのお見舞いも本当は辛かったんだ。もう弾けない音色を、もう動かない腕を、その現実を叩きつけられてるような気がして」
そしてさやかに懺悔する。ただただ自分を思ってお見舞いに来てくれていた幼馴染に逆恨みのような内心を抱えていたことを。話さないのは自分のエゴでしかないのに批難するような醜い感情を持っていたことを。
「本当にごめん、さやか。結局これも治ったから言えることでしかないのかもしれない。あのままだったらきっと近いうちに酷い言葉で罵倒してた。…こんな僕が言っても信じられないかもしれないけど、彼女達が言ってることは…」
「もういい」
恭介の言葉を遮ってぴしゃりと言い放つさやか。その冷たい声色に恭介は当然かと自嘲する。こんな酷い男は見限られても当然かと。だが続けられた言葉は予想外の温かい感情が含まれていた。
「まだ全然理解できてないけど、だけど」
それどころか目の前の幼馴染は笑いながら、泣いている。気付いてあげられなくてごめんねと。踏みとどまってくれてありがとうと。そして治ったことに、おめでとうと。
「だけど、良かったよぉ…恭介」
ぼろぼろと涙を溢すさやかを見て、恭介はやっと本心から葵の言葉を信じる事ができた。さやかが自分のことを好きなんて何かの間違いだと思っていたが、目の前で泣きはらしている彼女を見て信じられないほど自分も鈍くはない。
「ごめん…ありがとう、さやか」
謝罪の言葉もお礼の言葉も言い尽くせないほどに沢山あるが、万感を込めた思いはただ一言に込めて送った。それが少しでも彼女の慰めになればいいと。ちらりと横を見ると幼馴染の親友も泣いている。彼女とはあまり親交はないが、性格を考えると共感して泣いてくれているのだろうと推測できる。目の前を見るとこの家の主が号泣していた。ものすごくイメージとかけ離れていたので意外だった。
葵を見れば鼻をかみながら、歳をとると涙腺が緩むなあとぼそりと溢していた。台無しだ。なんにしても自分はきっと幸せ者なんだろうなと恭介は心の中で独りごちながら、葵に感謝した。
「今頃説明してるとこかねえ…」
「信じてくれるといいんだけど…」
ほむらの家の上で足をぷらぷらとさせながら杏子が呟き、心配そうにマミが答える。まどか達と面識がない彼女たちはほむらの家の外でキュゥべえが邪魔をしにこないか見張っているのだ。すでにまどかの異常ともいえる素質には気付いている筈だが、ほむらに聞いていたほどアクションが多くはないことに一抹の不安が過る。
「ま、信じなくてもいいじゃん? ワルプルギスの夜が来たら猿轡でもかましてふんじばって避難所においとけば…ふぎゃっ!」
「佐倉さん?」
「じょ、冗談だって」
物騒なことを言い始める杏子にマミの拳骨がとんだ。居候な上に胃袋まで掴まれては中々反撃が難しいようだ。そうでなくとも正義の魔法少女などという気恥ずかしいものを目指すと決めたのだから、危険な考え方をする癖をあらためねばと杏子は頭をさする。
「私達で…倒せるかしら」
「へっ! 弱気じゃねーかマミ。心配しなくてもこの面子で倒せねー魔女なんかいねーよ」
数回ほど一緒に魔女を狩りにいっている四人。そこで確認できたそれぞれの実力は杏子を持ってしても舌を巻くほどの戦力だった。大火力を持ち、それでいてバランスの取れている魔法少女屈指の実力を持つマミ。魔力こそ少なく、攻撃は重火器に頼っているものの時間停止という反則染みた鬼札を持ち、触れてさえいれば仲間にすらその力が及ぶ援護に最適な能力を持つほむら。莫大な魔力を持ち、その能力すら底が見えない葵。そして慢心している訳ではないが、能力がまた使えるようになった自分も魔法少女最強の一角であるという自負がある。これだけの魔法少女が揃って負けるのならばそれはもうどうしようもないだろうと杏子は結論付ける。
「聞いた限りじゃワルプルギスって物理攻撃が効きにくいんだろ。ほむらが何度やっても勝てないのもしかたないんじゃねーの? 相性最悪じゃん」
「そうねぇ…」
ちょっとドン引くほどにえげつない火力を持って挑んだこともあるほむら。巨大な工場地帯が吹っ飛ぶほどの爆発でもさしたるダメージにはならなかったらしいが、そもそも魔女には魔力のこもっていない攻撃は効きにくい。ミサイルや爆弾を使う際には魔力を込めているため普通の魔女程度ならば苦も無く倒せるほむらではあるが、ワルプルギスの夜ほどの魔女ともなればその耐久も桁違い。ほむらの貧弱な魔力では貫通できないのだ。
「グリーフシードも順調に溜まってるし…マミのあれを何発もぶちこみゃ倒せるさ」
「ティロ・フィナーレ」
「そう、ティ、ティロ…ぶふっ」
「ティロ・フィナーレ!」
「うおお!? 待った待った!」
マミは必殺技に名前を付けてしまう病気を患っている。歳を考えれば仕方ないのかもしれないがほむらや杏子、葵からすると毎度毎度腹筋を強制的に鍛えられるのでやめてほしいものなのだ。しかも彼女は人の技にまで名前を付ける。
「佐倉さんも力が戻ったんだし、うん! 怖いものなんか無いわよね。あのロッソ・ファンタズ―――」
「やめてくれぇ!」
杏子の幻影による分身が「ロッソ・ファンタズマ」と名付けられた時、他の二人は心底安堵した。ほむらはそもそも技の発動が他人には解らない、葵はまず必殺技と呼べるようなものがない。きっちり安全圏である。
「かっこいいのにな…」
誰にも理解されない…孤高の戦士なのねと自分に酔うマミ。きっと十数年後には黒い歴史に苛まれることになるだろう。独り身で契約社員の女子力皆無なアラサーが目に浮かぶようだ。
「マジ勘弁…」
うへぇと舌を出しながら下に降りて周囲を見まわす杏子。相変わらずキュゥべえの姿はない。いったい何を企んでいるのか見当もつかないが、どうせろくなことではないだろう。杏子はキュゥべえに騙されたとは思っていないが、筋が通っていないとは思っている。家族がキュゥべえのせいで死んだ訳ではないが一つの要因ではあったのだ。そこに思うところがないというのは嘘になる。なによりマミがいまだにキュゥべえの扱いに踏ん切りがついていない事を考えると会わせたくはないのである。
杏子がそれについて悩んでいる時、葵は言った。踏ん切りがつかないのもまた答えだと。そのままでいいこともあるんじゃないかと。そんなどこか達観したような答えに杏子は納得していない。大人と子供の考え方の差と言ってしまえばそれまでだが、そんな曖昧な答えに恭順できるほど杏子は大人ではなく、そして納得できないことを放置するような子供でもない。
どこか上から目線で喋っているような葵が脳裏に過る。それは見下しや蔑みといった負の感情ではなく、どちらかというと慈しむようにというのが正しいだろうか。子供扱いされることに怒るとそれが子供の証ですと軽くあしらわれた。一人で背負いこもうとしてないかと問い詰めると、そんな気は毛頭ありませんと対等な目線で戦闘のいろはを請うてきたこともあった。
「そろそろ終わるかな…」
杏子は思う。自分もマミも家族がいなくなってしまい、ほむらは主観ならば相当の年数親に会っていない。だからこそ葵に多かれ少なかれ親愛の情を感じやすくなっているのかもしれないと。何せ事情を話して頼れる大人などいないのだ。見た目は同じ少女だが、中身が大人であるのは日常の端々の気遣いで否応なしに感じさせられる。あるいはそんなところに絆されているのかもしれない。
そんな益体もないことを考えながらドアに身を傾けて遠くに視線を彷徨わせる杏子。少し口が寂しいが、我慢する。心の寂しさを埋めるようにお菓子を詰め込んでいた時と違い、今は別のもので満たされているのだから。幸せとは何かなんて哲学的な事はどうでもいいが、皆でワルプルギスの夜を超えたいと、あてどなくふらふらさせていた掌を―――十本の指をかみ合わせて願う杏子は、シスターとして家族と一緒に祈りを捧げていた頃のようであった。
次回からは日常を少し挟んでいきます。