視点が変わる際には ★ ★ ★
という具合に示していきます。
何かしら運動を……と考えたとき候補だけは沢山あったけれど、結局は剣道一択だった。それは何もここがソードアート・オンラインの世界だと思われること、だけが理由ではない。
というのも僕は人付き合いが壊滅的だ……自分でも悲しくなる程に。一方で部活動とは勉学でカバーできない何か、例えばリーダーシップや協調性を課外活動という形式で育む場だ。だからこそ高校の部活動はチームプレーを必要とする競技がほとんどで、それらを除外していくと陸上か柔剣道か卓球しか残っていなかったのだ。
あえて剣道を避ける理由もなく。「リアル剣士√キタコレ」と自信満々に入部届けを出した僕は……夏は暑さと臭気、冬は寒風と霜焼けに襲われる地獄のような日々にぶち込まれたのだ。
☆ ☆ ☆
「その節はお世話になりまして」
ぺこり、と彰三氏に頭を下げる。結城家の一室、彰三氏の書斎にて。一年前のことを本当に遅ればせながら感謝していた。
「いやいや、私も京子も君をもう一人の息子だと思っているからね。楽しませて貰ってもいる」
鷹揚に頷いて見せる彼にもう一度頭を下げ、対面のソファに腰かける。
部活動を始める際、一番の障害は誰あろう肉親だった。彼らの主観で必要性が薄いものを認めさせるのは至難の業であり、作戦なく特攻しては失敗すると分かりきっていた。
ならばどうするか……彼らにとって優先順位の高いもの、つまり結城彰三が頷けばいい。
会社の上下関係を家同士の付き合いにまで侵食させている
健全な精神は健全な肉体に宿るだとか、大企業のトップは柔剣道や相撲といった日本的なものに弱いだとか、明日奈の婚約者として貧相な体つきでは恥ずかしいだとか、思ってもいないデタラメまで並べ立てて説得したのだ。彰三さんも娘は可愛いがっているからね。
「いやはや寒稽古は本当に身を切るような寒さでした。普段の稽古がどれだけ楽か」
「寒稽古か……寒風は身に堪えるだろう、きっと」
「しんしんと冷たい室内を自分達の体温で暖めながら……そんな素振りや打ち込み練習でしたよ。痛寒いのが段々と感覚を失って」
はっはっはと、笑えるのは終わったからだ。当時は凍死するかと思った程だ、冗談でなく。
「宮城、北国の寒さとはまた別の辛さがあるだろうからな」
「確か京子さんのご実家でしたか?」
「ああ。山々に囲まれた日本家屋、棚田に生い茂る稲穂の波、実に見事な風景だが……冬は寒い」
夏や秋は見応えがあるのだがね、と苦笑する彰三氏。
何でも夏冬のお盆には宮城の実家に里帰りしているようで、明日奈はいわゆるお祖父ちゃん子らしい。しかし珍しいことだ、年二回の里帰りも彰三氏からすれば簡単ではないだろう。
「彰三さんのご実家には?」
途端に渋い顔をするその反応に、僕の方が面食らってしまう。何、親族の話は地雷だったのか?
「いや……私の実家は、旧家でね、
成る程、肩身が狭い訳だ。となるとあまり実家には寄り付いていない、距離をおいているのか? 妻の心労を
そこでふと疑問が生じる。てっきり結城夫妻は許嫁やお見合い結婚だと思い込んでいたのだが、実家に良い顔をされていないとなると話が変わる。もしや二人は。
「恋愛結婚だったんですか!?」
「いや、まぁ、そういうことになる」
手で口元を擦るその仕草は恥ずかしいからか。何とも信じがたいなれ初めだ。
いやまぁなれ初めはどうでもいいのだ。肝心なのは二人が恋愛結婚であったことで、許嫁の約束を破棄するハードルがグッと下がったことだ。自分達がしたことを娘にダメとは言えまい。
「いや、良かった良かった」
「伸之君、なぜ菩薩のように温かい目を向けてくるのかね」
それはですね、と答えようとした所で聞こえたノック音に返事をする彰三氏。ガチャリとノブを動かして、隙間から顔を覗かせたのは明日奈だった。
「お父さん、すごーさんは?」
「こら明日奈、挨拶を忘れているぞ」
「はは、構いませんよ」
家族同然だと明日奈君も思ってくれているのでしょう、なんて取りなせば彰三氏も相好を崩す。
「こんにちは、明日奈君。季節の変わり目だが風邪など引いていないかい?」
「はい、元気ですよ?」
たまに会う親戚の叔父さんのような話術スキル、我ながら酷いと思う。
「明日奈、伸之君に遊んでもらいなさい。私はこれから出掛けなければならないから」
「違うよお父さん、わたしがすごーさんと遊んであげるの!」
「そうかそうか、では伸之君の面倒を頼むよ明日奈」
アイエエエエエとか叫びたくなる。これは先ほどの仕返しだというのか、彰三氏なりの。
なんてこったい、と乾いた笑いを溢している間に彰三氏は外出、なし崩しに留守番と相成った。
「お父さんがいない間に書斎に入ると怒られるから、早く出ないと」
「おっとっと、それで今日は何をしようか?」
背中を押されて書斎を後に。そのまま廊下を歩き、着いた先はリビングだ。ソファに腰かけた僕の右隣に彼女もまたちょこんと座る。
肩ほどまで伸ばされた亜麻色の髪をなびかせた明日奈。昨年、ものは試しと「重荷なだけの許嫁」というバイアスを外してみたら印象が随分と変わったのだ。例えるなら
「そういえば今日は何をするんだい?」
「あれ! 冒険のお話が聞きたい!」
てしてし、と腿を叩いて急かす明日奈にどうしたものかと──話のきっかけが口を滑らせた故なので──悩むのだが、どんなに渋ってみせても引き下がらない。今日も今日とて彼女に勝てはしないようだ。
「分かった分かった……それでこの間はどこまで話したかな」
「第25層にたどり着いたところまでだよ!」
子守りのスキルも話術のスキルもない僕が、留守番を頼まれた彼女との沈黙に耐えられず口にしてしまった幾つかのお伽噺。帰宅してから頭を抱えるが文字通り後の祭りだった。
今日こそは拒否しなければと決意する僕の意思をいつも
いつかどこかであった冒険、鉄の城で生きた少年少女の物語を。
★ ★ ★
「どうしてリーダーさんは自分達だけでボスに挑んじゃったの?」
「それは彼に譲れないものがあったからだ。それを大事にするあまりに、自分にとって都合の良い情報しか耳に入らなくなってしまったんだ。そこに付け込まれた」
「命よりも大事なものなんてないのに」
「そうだね……その通りだ」
そう言って頭を撫でてくれる伸之は、明日奈にとって不思議な存在だった。
父に連れられて会った、自分と親の間くらいの年齢の人。一度おじさんと呼んだときには悲しんでいたので、それからは名前で呼ぶようになった。許嫁の意味はまだ理解しきれていない。
ただ、これまで彼女の周囲にはいなかったタイプの人物ではあった。両親のように厳格ではなく、京都の本家のように冷たくもなく、兄のように背伸びをするでもなく、学友のように子供でもなく、祖父母のように落ち着いているでもない。
言うなれば、一人の人間として接してくれるのだ。子供扱いを受けることもあるが、それも含めて悪くない。本家のようにドロドロでもギラギラでもないし、何より話が面白かった。
「だが明日奈君。命より大事なものを、君もいつか見つけるかもしれない」
「本当かなぁ」
「きっとね……大事なものを抱えているならば、冷静さを失ってはならない。守りたいと願うならば、都合の良い話だけを聞いて耳を塞いではならないよ」
命よりも大事なもの、そんなものが自分に生まれるのだろうか。仮に出来たとして、守りきることなど可能なのか。あまりにも未知すぎて、明日奈には自信を持つことなどできない。
「まぁ大人でも難しいから、失敗しても誰も責めないさ。上手くいったら拍手喝采だろう。ただね、明日奈君は大丈夫だと思うよ」
「なんでですか?」
「ネタバレなんだけどね、明日奈君に似た物語の女の子は、大事なものを守り抜いたからさ」
なんですかそれ、とそっぽを向いて拗ねてみせる明日奈。ごめんごめん、と頭を撫でてくれる手のひらは大きくて、こうされるのが明日奈はお気に入りだった。
いつからか、父も母も褒めてくれることが少なくなった。
それを寂しいと感じても、兄は自分以上に厳しくされていた。
だから良い子になろうとして、そうすれば両親に叱られることはなくて。
理由もなさげに褒めてくれる、期待してくれる伸之との時間が、明日奈にとって自然体でいられる数少ない時間だったのだ。それこそ宮城の祖父母と同じように。