強くないのにニューゲーム   作:夜鳥

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出来損ないのユーヴァーメンシュ

 燃え盛る火の玉が落ちてくる。未だ倒れ伏したままの者もいるというのに、全員を飲み込んで余りある大きさの炎が迫りくる中──片手剣を構えたキリトは立ち上がるなり八人を背にした。

 

「リーファ、援護を頼むっ!」

「キリト君、何を!?」

 

 剣を胸元で捧げ持ち、バトンの如くに一回転、二回転、速さを増していく鉄の塊が面となり盾となる。ソードスキルの再現に燃やした熱意、切り捨てることのできない遠距離攻撃を防ぐための方法の一だが──かつて雪山で防いだドラゴンのブレスとは、迫る炎は威力も規模も桁違いだった。

 

「オ、ゥォォオオッ!」

「そんな無茶っ、þú(スー) sér(シャル) lind(リンド) ásynja(アシーニャ),burt(バート) eimi(エイミ) og(オーグ) sverð(スヴェルド)!」

 

 雄叫びをあげ正面から受けるキリト、防ぎきれずガリガリとHPを減らしていく彼を包む白い防壁はリーファの魔法だ。ALOでも指折りの迅速な詠唱、しかしその成果もまた数秒で効果を失い破砕され……それだけ時間があればパーティーが起き上がるには間に合った。

 

 ストレアの張った土魔法の壁がキリトと火炎の間に出現し──軋みひび割れ砕け散り──破裂してそのエネルギーを撒き散らす。床のみならず空間ごと炎が嘗めていく惨状に、しかしパーティーは立ち直り既に回避を済ませていた。そして間髪入れずキリトを含め全員に飛ぶ癒しの光は水妖精(ウンディーネ)にしか扱えない高位の回復魔法、アスナによるものだ。

 

「ふむ……フィールドが壊れないというのは、プレイヤーに甘えを生むな。いずれ修正しよう」

 

 ふざけんじゃねぇ、と返したいのは山々のパーティーだが今はまず、まともに戦うための方法を見付けなければ話にならなかった。上空に出現した光弾の群れ、()()()()()()()()()()()と言わんばかりの数量が彼ら目掛けて降り来るのだから。

 

 斯くして人は星に(Sic-itur-ad-astra)────呟かれ、数多の綺羅星が墜ちる。

 

 かわし、弾き、防ぎながら動きの鈍い後衛をかばう前衛の剣士達。キリトにクラインとストレアにユウキは、ただひたすらに上空から撃ち込まれる光球に対処していた。それを嘲笑うかのように光弾は前衛の頭を越えて上から降ってくるのだ──後衛を守るためにリーファは魔法障壁を展開し──ゴリゴリと減っていくマナを補うべくポーションを実体化させていた、ブラインドで。

 

 じり貧であろうことは皆が既に分かっているのだ。見下ろしてくる妖精王をそれでもなお、彼らは視線鋭く睨む。状況にまず嚆矢(こうし)を放ったのは猫妖精(ケットシー)、シノンだ。

 

 クライン達の背後より射掛けられる矢が二本三本と空を裂く。勿論それらは回避するまでもなく光球に激突し勢いを失うが、知ったことかとばかりに次々と放たれる矢は十を過ぎ二十を数え三十を超え四十に至る、山なりに飛ぶ矢衾は篠突く雨の如く妖精王本人を狙い、停滞を許さない。対処の合間に振り向いた前衛四人が見たのは絶え間なく弓を引く猫妖精(ケットシー)の姿。

 

「アイツは私が釘付けにする。アンタ達は引きずり下ろす手立てを考えてッ」

「ってことだからボクらは作戦会議しよう! ほらっ、黒いお兄さんも」

「おいおい、剣を振りながら話せっていうのか!?」

「それくらいできるでしょ? シノンの矢だって有限なんだから!」

 

 事実、雨の如く矢を降り注がせているシノンの表情は険しい。矢を射掛けて相手の攻勢を削ぐという目論みは果たしてどこまで意味を成しているのか。矢筒に補充するためメニューを操作するタイミングで射撃の手が止まることは避けられず、その間は前衛の負担が増やされることになる。

 

 だが時間にして数十秒、それだけ稼げれば後衛の詠唱は完成する。上級魔法のスペルは二十近いワード数、()()()()()()()を暗記できていないプレイヤーなどこの場にはいないのだから。

 

 アスナが放つ冷気の光線、レインの放つ聖属性の光はまっすぐに妖精王へ。直射された二発のレーザーは──ただの両拳で打ち落とされ、しかし──パーティーを襲っていた光球の雨を弾き飛ばし空隙を作り出していた。対処のために攻勢を緩めた妖精王へと、放たれるのは本命魔法。

 

 くるりと槍を回し構えたセブン、まず放たれるのは豪炎の火球。それもまた無造作に打ち払われ──ディレイなしに詠唱された竜巻が彼を襲う。セブンの周囲を回転している詠唱文、その文言は風の上級魔法。風妖精(シルフ)以外にはまず使用できない筈のスペルにリーファは驚きを隠せない。

 

「タイラント、ハリケーン? でもあの子は音楽妖精でしょ、どうして……」

「セブンちゃんは魔法の使い手だからな! それに本気はこんなもんじゃないんだぜ」

「クライン……なんでお前が得意そうなんだ」

 

 削られた剣の耐久値を確かめ終えたキリトはツッコミを入れ……暫し呆然とすることになる。魔法を放つと通常存在するクール時間がセブンには全く存在しなかったのだ。槍先から竜巻を放ちつつ体の周囲には既に別の詠唱文、音楽妖精が得意とする訳でもない闇属性スペルが浮かんでいる。

 

「システム的に硬直は避けられない筈だろ? とはいえハッキングなんて出来る訳がない」

「システム外スキル、スペルコネクトだ。魔法発動時の僅かなタイミングで次を開始するらしい」

「らしいって、実践できるプレイヤーなんてあの子以外にいるのかよ」

「お前だって武器破壊(アームブラスト)とかいうふざけたことしてるじゃねぇか」

 

 ガスガスと肘を打ち合う二人を、呆れた目で眺めるメンバー。

 

 彼らが余裕を保てたのは────ここまでだった。

 

 竜巻の吹き荒れる上空を更に覆うべく広がる漆黒の闇、アビス・ディメンジョンが効果域を収縮させ一点に、妖精王へと空間を歪ませ迫る。既に回避は不可能、抜け出せる隙間など存在しない。

 

 どうかお願い(Und-ruehre) さわらないで(mich-nicht-an)────

 

 ヒト一人の隙間など残っていない封鎖を────すり抜けられたことに気づいたのは無傷の妖精王が目の前に現れてから。そのことを脳が認識して慌てて跳びすさって、身構える彼らに……追撃すらかけないままに見送って、妖精王は再び宙へと浮かび上がった。

 

 速く動いた? いや、そのような次元ではない何か、時間停止を受けたとでもいうのか──呆然とするメンバーの中でも特に衝撃が大きいのはSAO経験者だ。あの城を、戦場を駆け抜けたことで強くなった実感を、ALOに来て力を磨いた体感を嘲笑うような何かが、築いた自信を揺らがせる。

 

 だが彼らとてただ棒立ちしていた訳ではない、ALOからのビギナー、特にセブンはそれぞれに得意な属性の魔法を詠唱し、各々が発射していた、しかしその(ことごと)くが無造作に、気付けば避けられていて、無意味になることの繰り返しでしかなくて。

 

 嘘だろう、と。呟いた言葉は誰が口にしたのか──誰もが自分かもしれないと思ってしまう。

 

「当たらぬとはいえ、無秩序に撃たれるのは見苦しいな……玩具(ソレ)は取り上げるとしよう」

 

 厳しき法も法なり(Dura-lex-sed-lex)──と、またしてもアルヴヘイムとは違う形態の詠唱が呟かれ……キリト達のマナが枯渇する。灰色に染まるゲージ、詠唱途中のスペルは失敗(ファンブル)、新たな詠唱も始められない。

 

「誰がお前達に魔法を授けたと思っている? 覚えておけ、与えられたモノは容易く奪われると」

 

 更に悪いことは続く……アイテム欄の選択すらも不可能に変わったのだ。

 

「さぁ、次はどんな出し物を見せてくれるんだ? 退屈させるようでは潰してしまうぞ?」

 

 ゆらりとかざされた右手、そこから放たれる光弾の雨を、キリト達は散開してかわしていく。既に障壁を張ることはできず、武器の交換も許されるほどの余裕がない以上は耐久値を減らせないからだ──だが誰もが回避行動に、激しい動きに慣れている訳ではない。

 

 足を撃ち抜かれ転倒するセブン、迫るのは視界一杯の光弾、HPを消し飛ばして余りある量の攻撃に思わず目をつぶってしまう。そのピンチを認識していながら距離に阻まれ届かないキリト達は、誰もが彼女の脱落を予期してしまった────

 

「勝手に、諦めてるんじゃないわよッ!」

 

 弾道上に割って入る赤色、レインを除いては、だ。セブンを背に庇った彼女の──その背後が揺らぐ。何もない空間が裂け──生えてきた剣先は十、二十と増え──砲弾の如く射出される。

 

「サウザンド、レインッ!」

 

 迫る光弾の雨を、射出される剣が激突し相殺していく。二十、三十と打ち出され続ける剣の、示す質は驚愕に値するレベル。キリト達の装備しているプレイヤーメイド最高峰、リズベットの作成した古代級武器(エンシェントウェポン)と甲乙付けがたい輝きが、一山幾らの扱いで放出されていく光景があった。

 

 レインの種族である工匠妖精(レプラコーン)が得意、いや必須とする魔法、()()()()()()()()()()()()のスキルをマスターまで鍛え上げ、単なる職人スキルを戦闘技法まで昇華させたオリジナルソードスキル。

 

 それこそがサウザンド・レイン。一対一の尋常な決闘(デュエル)であれば何度HPを消し飛ばしてもお釣りが来る初見殺し、キリトでも、ユウキでも反応速度に優れていようとも(さば)けるとは言い切れない、千の剣雨(サウザンド・レイン)が冗談でもなんでもない密度の射出だった。

 

 彼女は一体何者なのか、誰もが疑問に思う。何故これ程のプレイヤーが今まで無名だったのか、単なるゲーマーではあり得ない強さと狂気すら感じさせる高みを示した彼女に気圧されてしまう。

 

 だがその彼女に拍手を送る者がただ一人いた。撃ち合いを終えて悠々と降り立った妖精王だ。

 

「それが君の研鑽、君の意志、君の力か──見事だよレイン君、胸を張りたまえ。君はシステムの中にあってなお、想定外へと到達している。称賛しよう、この僕に未知を知らしめたのだから」

 

 床に足を付けたことで殺到しようとしたキリト達には、しかし新手が襲いかかる。八体の妖精少女達は知る者ぞ知るアバター、ティターニア。顔を白フードで隠した妖精達は赤熱した長剣を持ち斬りかかってくる──八騎は強く、キリト達はレインを援護することができない。

 

 ()()()()()()()()()()()のか──邪推するほどに的確な攻防を繰り返す八騎の連携に、セブンとレインを抜いた七人で対抗しなければならない。キリトもリーファもクラインも、ストレアもアスナもユウキもシノンも余裕などない。歯噛みする彼らの先でレインは一人、妖精王と対峙する。

 

「涼しい顔で言われても、嬉しくないよっ!」

「仕方あるまい……味わいは一瞬、先程の技(サウザンドレイン)も既に既知なのだから。ところで、レイン君?」

 

 君はどうしてセブン君を庇ったんだい──その言葉に表情を強ばらせるレインを見て、唇を歪ませる妖精王。お気に入りの玩具(オモチャ)を見付けたように爛々とした瞳が彼女を射抜く。

 

「それは……一緒に戦う仲間だからね、守るのは当然──」

「本当に?」

「っ、あ、当たり前じゃない、他に理由なんて」

「自分でも分かっているだろう? あぁ、君の中に渦巻く暗い(ミニクイ)感情がよく見える……対象は当然」

「その口を、閉じなさいよッ!」

 

 再び揺らぐ空間、放たれる剣の雨。正面から高速で迫る剣山、その合間をヌルリヌルリとすり抜けてくる相手に表情が歪む、どうして、と。対する相手の口が──その技はもう知っていると──動くのを見て。レインは完全に平静を失った。腰に提げた二刀に両手を添え、引き抜く。

 

 二剣をもって斬りかかる。突き、払い、斬り付け、薙ぎ払い、小さな台風の如く、(きら)めく鉄剣と(なび)く赤髪が荒れ狂う。その口を閉じろと、自分の前から消えろと。

 

 しかし憎らしいまでにその(ことごと)くを避け、弾き、いなしていく妖精王。顔のスレスレを突き抜けていく剣先ですら、当たらぬのなら構わないと微動だにせずレインに語りかけ、騙りかける。水銀の毒を彼女の喉に流し込んでいく。甘やかな声がレインの耳を侵していく。

 

「この剣技も素晴らしい。()()()()()を潜ったんだい?」

 

 二刀を共に白刃取りにされ、押すことも引くこともできずその場に縫い止められるレイン。ただ剣を手放して後退すればいいというのに、頑ななまでに離れようとしない理由は……彼女の陥った恐慌状態によるもの。そして彼女自身が──

 

「わたしだって、あの城で生きてたんだからッ!」

 

 SAO経験者(サバイバー)だからだ。叫びに皆が感じたのは「まさか」という思いと「やはり」という思い。

 

「なるほど確かに君が示した強さへの渇望はアインクラッドがもたらしたのだろう。しかし今の君が抱いている興味と執着の対象はアインクラッドではなく、セブン君だろう? 何故だろうなぁ」

 

 ありもしない心臓が跳ねる感覚はレインとセブンの双方に起きていた。幼くして渡米したセブンには身に覚えのない(残る記憶が渡米後のモノだけ)、いや本当に覚えていないことで(彼女の家族は父しか記憶に残っていない)。しかしレインにとっては全ての始まりにして終わり、辛さ苦しさ嫉妬羨望を彼女に強いた運命、暗く重い感情の源泉のそれは。

 

「恥じることはない、セブン君に向ける嫉妬も憎悪も怨恨も、君の真なる渇望だというならば君の自由だ。どんなに汚く見るに堪えずとも僕は君を受け入れよう、歓迎しよう、愛してやろう──」

 

 

 

 

 

「お前ェ、お喋りがちと過ぎるぜ!」

 

 ザン、と二人の間を切り裂く一閃は抜き打ちのソレ。押さえていた剣を放して後退した妖精王に、レインを背に庇ったクラインは気炎をあげた。背後の友にも届けと声を張り上げる。

 

「暗い感情だ? んなもんオレだって持ってるぜ。キリトの野郎が羨ましくて仕方ねぇや!」

 

 けどよ、そう続ける彼の目には意志が、熱が宿っている。

 

「羨んで、追い付きたくて、必死になって身に付けた強さは、オレのモノだ。(けな)させはしねぇ」

 

 綺麗で美しい、そういう動機ではない。その思いをも胸に秘めて剣を振り、あの城を戦い抜いた日々は、泥まみれではあるだろう。けれど得た経験は、力は今を支え形作っている血肉だ。誰にだって胸を張れる。システムに、数字に規定されたメッキの強さではない、彼自身の生きざまだ。

 

「レインちゃんっていったか? あんまし気にすんなよ、お前だけが特別に汚れちゃいねェんだ」

 

 さっきの剣舞、ナイスファイトだったぜ、と──言い残してクラインは駆ける。前に倒れ込むような踏み込みに、勢いを乗せて袈裟に斬り、すり抜けて。間合いを外し避けられたことを織り込んで、一閃一閃を繰り返し、重ねる剣撃を修正していく。

 

 突き──半身で避けられた──からの薙ぎ払いに繋げる刀──二歩下がり避けられる筈──手元の力を緩めて掌を滑らせた柄の先を握り、伸ばせる長さはたったの数センチ、けれどそれで充分。

 

 切断したのは緑衣の(たもと)、耐久値を少し削れただけの、この戦いで初めての命中に皆が湧きあがり、クラインは追撃するべく刀を振り上げ────妖精王の(まと)う気配が、空気が(ひび)割れる。

 

 

 

 

 

「────あぁ、邪魔だぞ」

 

 下方からハンマーで打ち上げられたような衝撃がクラインの腹部を突き抜けて、意識を揺らす。ただの一打、踏み込んで、掌を押し当てただけのソレは、しかし致命的に彼を傷付けていた。バシャッ、とオブジェクトが壊れる音が響く──見るまでもない、HPが全損した証だった。

 

 蘇生させようにもアイテムは使えない、魔法も同様に使えない、どうにもならないことを皆が冷静に理解できて、またしても仲間を殺させてしまったことにキリトは慟哭し────

 

 ゾブリ、と生える剣先。緑衣を、妖精王を貫いて突き出されたのは鈍く輝く刀。

 

「油断大敵、だぜ」

 

 (えぐ)り引き抜かれる刀、(なか)ばから線を刻まれる胴部の向こうには、死んだ筈のクラインの姿。

 

 大部屋に突入する前に掛けたバフの数々、その中には当然、一度限りの自動蘇生リヴァイブも含まれていた。水妖精のみが使える高位回復、アスナの手による魔法はマナの枯渇した今でもなお、効果を存続させていていたのだ……とはいえHPが全回復する訳ではない。

 

「忠告ありがとう、だが生憎とダメージはゼロでね────そしてさよならだ」

 

 危険域(レッドゾーン)の危機に瀕していることは変わらず、そして。

 

 ────キリト、お前ェは生きろよ。

 

 バシャリと、今度こそ消し飛ばされた。リメインライトも残さず、生きた証の全てを失って。

 

 

 

 

 

「いやはや、人間の生は時に思いもよらない輝きを発してくれる。そう思わないかね、セブン君」

 

 パチ、パチ、パチ、と消えていったクラインに拍手を送り、問いかける妖精王に先ほどの余韻は微塵もない。八体の妖精達に押されているにも拘わらずマナが枯渇しているせいで何も役立てず、レインに引きずられるように逃げパーティーの後ろに隠れて守られているセブンは体を震わせた。

 

「何もできず他人を盾にして、どうする? 今の君とクライン君、どちらに価値があると思う?」

 

 どちらが生き延びるべきだったと思う? その問いに、普段のセブン──七色であれば即答していただろう。自分だ、自分こそが生き延びるべきだと、何の迷いもなく。ずば抜けたIQとアメリカの大学の首席も間違いない英知、幼くして天与の歌声と美貌を兼ね備え、まさに()()()()()()天才科学者の卵、それが七色・アルシャービンだ。誰もが羨み誰もが称え誰もが愛する少女である。

 

 生まれながらにアイドルとして生きてきた彼女は──しかし今は()()()()()()でしかない。

 

「選択肢をあげよう。クライン君と君の命、交換できるとしたら……どうするかね?」

 

 耳から染み込んでくるその言葉が、セブンには恐ろしかった。今まで考えもしなかった、思いもよらなかった誘惑が自分の中にあると感じて恐怖する──それは死と退廃、諦念と停滞の誘惑だ。

 

 誰にとっても一番大事なのは己の命、生存だ。自分という存在なくしては、自分を中心とした世界の観測者がいなくなってしまう。それは命が一つ消えるという単純な話ではない、ただ一つだけ認識できる世界が滅びるということで、だから人は何よりも自分の死を恐れるというのに──彼の(囁き)はあまりにも甘美に聞こえてしまう。ありもしない仮想の脳髄が蕩かされるように。

 

「これはゲーム、遊びじゃないか? 安心したまえ、ここで死んでも現実の君に影響はない」

 

 そう、その言い訳が成立してしまう。役立たずがここで一人死んで、役立つ一人が生き返るなら誰だってそちらを選ばせたいだろう。セブン自身だってそう勧めるに違いない、何故なら彼女もファンの皆を全員犠牲にして進んできた、()()()()()()()()()()のだから。知らず全身が震えだす。

 

「あ、あたしは……あたしはっ」

「どうするんだい、セブン君」

 

 にこやかな表情と慈愛のまなざし──そこに救いを感じてしまう程に染め上がる意識。

 

 ここで逃げたら何か大切なモノを失う予感があるのに──あるからこそ──逃げたくて。

 

「あ、あたしは──」

 

 ────パシン、と走り抜ける衝撃がセブンを揺らす。

 

「……え? あたし、頬を叩かれて……レイン?」

「セブン、もしかしてあんな下らない戯れ言に迷ってたりしないよね」

「え、えっと…………」

「ああああもうっ、顔を合わせちゃってどうしようとか悩んでたわたしがバカみたいじゃない!」

 

 驚きに目を見開くセブンを、レインは見下ろして……強張らせていた表情を緩めた。ガリガリと頭を掻いて(うな)る彼女はやるせない感情を持て余しているように見えて──まるで手の掛かる妹を相手にしているようで──セブンの肩を掴み強く揺らした。

 

「あんたがどれだけスゴくても、逆にどれほど味噌っかすでも、それでもセブンは生きていいのよ、そんなの当然でしょう!? さっきの彼だってそう言うに決まってるよ!」

「レイン……何を」

「いいから年長者の言うことは聞きなさい! ホントにあんたは昔から世話が焼けるんだからっ」

「ね、年長者って、そんな適当な理由でっ」

「だったら、お姉ちゃんの言うことを聞きなさいよ七色!」

 

 ポカン、と────一変した雰囲気の中でレイン、枳殻(からたち)虹架(にじか)は煩悶するのだった。

 

 この状況でカミングアウトとか何やってるんだわたし、と。

 

 

    ☆    ☆    ☆

 

 

 枳殻(からたち)虹架(にじか)と七色は、かつて共に暮らした実の姉妹だった。姉の教えたちょっとした挨拶を妹は気に入って使い続けるような、仲睦まじい家族だった。そう、過去形である。

 

 幼き頃から非凡さの片鱗を見せる七色、才覚を発揮させたい父と普通に育てたい母と、どちらが正しかったのかは姉の虹架にも分からない。確かなのは……喧嘩別れした父は七色を連れアメリカへ、彼女は母と日本へと、生き別れたという事実だけだ。母との生活は──端的に言って貧しい。

 

 飛び級を重ね首席卒業も確実とされる七色はネットワーク分野の天才と呼ばれ、容姿と歌声も相まってアイドルのような扱いを受けている。アルヴヘイムにおいても同様に、ルックスや歌唱に惹かれたファンは数多い。(ひるがえ)って虹架はアイドルに憧れて、しかし今は路上ライブが関の山で。

 

 リアル準拠のアバター故に虹架、レインには一目でセブンが七色本人だと分かった。けれど何かアクションを起こすことはできなかった。アイドルなど夢のまた夢な自分と、既に大成功している妹と、歴然としすぎている差は飛び越えられず、劣等感はレインの足を縫い付けた。

 

 他人の期待や欲望を背負った妹の生き方が窮屈に見えた、それにしても、もしかしたら(ひが)みや(ねた)みの類いなのかもしれないと。ノコノコ出ていって姉だと名乗って、だからなんだと言われるかもしれないと。自分がちっぽけで、弱くて、妹の前に立つにはあまりにもみすぼらしく感じられた。

 

 だから……せめて、もう少しだけでも立派になってからじゃないと(七色)に話しかけることなんて到底できやしないと思っていたのに──本当の望みに嘘をついていたのに──我慢の限界だった。

 

「お父さんは何やってんのよ! こんな当たり前の(アンタがダメでも生きてていい)ことくらい教えておきなさいよ!」

「レインが……あたしの、お姉ちゃん? そんな、あたしの記憶には」

「世話が焼ける上に薄情なの!? わたしが教えた挨拶じゃない、プリヴィエート、って!」

「あっ……」

「思い出した?」

「そのヘタな発音、覚えてる!」

「ぶっとばすわよ七色」

「ぶってから言わないでよ! お父さんにもぶたれたことないのにっ」

「娘の(しつけ)一つできてないんだからそりゃあそうでしょうよ!」

 

 この間もキリト達は熾烈な戦いを繰り広げているのだが。彼らも白ローブもラスボスすらもそっちのけでレインとセブンは初めての姉妹喧嘩を繰り広げていたのだった。

 

 

    ★    ★    ★

 

 

 強い──それが一合、キリトが斬り結んだ感想だ。まるで最適解を用意しているが如く、こちらの手を潰していく立ち回り。複数人でスイッチを駆使しても、本来AIが陥る筈の処理遅延、その隙を突くということができない。その挙動はまるで本物の人間を相手にしているようで……完成度の高さゆえに人ではあり得ないのだが、時おりギョッとする反撃を受けるのである。

 

 両手サイズの長剣、赤熱したソレを片手で軽々と扱う妖精達の背丈はマチマチだが、キリトが相手取っているアバターは十歳ほどの小ささで──八体の中で一番の手練れだった。

 

 他の七体とはあまりにも別格な敵を、単身で抑え込むと決めたキリト。そうでなければ連携をいいように引っ掻き回され断ち切られて敗北するだろうと……故に一対一、斬り結ぶこと十数合。

 

 まただ──斬り付けられた感触に苦い思いを噛み締め、剣を弾いて距離を離す。まるでキリトがどう考えているのかリアルタイムで把握しているかのような──いや、あり得ないと首を振って考えを追い出そうとして、相手が剣を下げる様子を見せたことにキリトは動揺した。

 

 まだライフは安全域だ、キリトとて全ての手札を見せた訳ではない、にも拘わらず剣先を地に向けるその動作は────お前なんか戦うまでもないと、嘲笑われているようで。

 

「っ、上等じゃないか!」

 

 指を縦に振ってメニューを、装備欄を開きタップ、()()()()()()()をジェネレートする。クラインに指摘されたように……二刀流はアインクラッドにおける自分の力の象徴であり、生死を賭けて戦った重い過去の象徴でもあり、キリトは複雑な思いを抱いていた。だからこそALOでは封印していたのだ、SAOの遺物として。

 

 けれどそれは……もしかすると、他のプレイヤーから見れば酷く傲慢に映ったのかもしれないと思われた。それを自覚できたのはクラインが怒りを露にしてくれたからだ。だというのに今この瞬間も同じ過ちを犯していたことが情けなく……相手に対して申し訳なかった。

 

「すまなかった。伝わるか分からないけど、俺にも事情があって……いや、よそう」

 

 二刀を構え前傾姿勢を取る。謝意は態度で示そうと、その構えに相手もまた、剣先を上げる。

 

 

    ★    ★    ★

 

 

「あなた達、もしかして……」

 

 ユウキが斬りつけ刈り取り、アスナが貫きまた一体を消滅させて、徐々に余裕が出てくる頃。剣を弾きあって離した距離、一息入れながらストレアは考えを纏める。妖精少女との戦いを始めてから続いている違和感の正体を、漸く掴み掛けていたのだ。

 

 人間とほぼ変わらない挙動が可能なAI八体、候補など一つしかない……つまり白ローブ達の中にいるのはメンタルヘルスカウンセリングプログラム、ストレアを除くユイ達の八人だろうと。

 

 それならば異様な程に戦い慣れた様子であることにも説明がつく。同型であるストレアの戦闘データを適用したのだろう。キリトと斬り合っているのはユイで──つまり親子喧嘩だ。

 

「アナタ、何か感付いたのかしら?」

「シノン……」

「何でもいいわ、この状況を打破するキッカケになるなら」

「えっと……あのローブ達と戦っても、あんまり意味がない、かもしれないの」

 

 どういうこと? そう尋ねるシノンにストレアはおずおずと応じる。MHCPと呼ばれるカーディナルシステム下の特級AIの存在と、彼女達を倒すのは労多くして益少ない行為だろうということ。倒しきることを考えるよりは数人で抑え、妖精王を倒した方がクエストクリアへの近道だろうと。

 

 何故そんなことが分かるのか、当然聞かれたその問いにストレアの口は重い。自分もMHCPなのだと、人ではないと伝えた時に向けられるネガティブな目や感情を想定して恐ろしくなるのだ。

 

「アナタ、もしかして……」

「っ、うん、きっとシノンの考えてる通りだよ」

「はぁ……人と違うことを気にしてるの? たまにいるのよ、VRに異常な適性を見せる子って」

 

 ユウキもその筆頭だし、とボヤくシノン。なんだとーと応じるユウキをあしらって、呆気に取られたままのストレアに近づいて囁いた。

 

「私達だって事情がない訳じゃないし、聞かれても話したくなければ話さなくていいのよ」

 

 アナタちょっとガードが緩そうだし気を付けなさい、と言ってまた弓を引くシノン。その顔色は動じていないように見えて、しかしMHCPの目には内側の揺らぎが情報として映っていて……感じたこと思ったことをそのまま表すストレアには馴染みのない、人間の複雑なあり方だった。

 

 好意を伝える際に目を背け、怒りを表す際に口を閉じ、悲しみを示す際に笑いをこぼす。ストレアにとって人間は誠に複雑怪奇で、やっぱり面白く傍にいて飽きることがない。愛しいと。

 

 であればシノン達がここで立ち止まることなど認められない。彼女達を先に進ませたいと……思ったストレアは、残ることを決める。

 

「アタシならあの子達を食い止められるから。シノン達はボスを倒しに行って」

「流石に一人での相手は無理だと思うけど……」

「あたし達が残ってあげるわよ!」

 

 やっと姉妹喧嘩を終えたのか、セブンとレインは互いに装備のあちこちを破損した状態で戻ってきた。とはいえレインは先の攻防で疲弊している上、セブンに至っては戦う術をほぼ持たない。

 

「あたしの気持ち(平和の祈り)が間違いとは思わない。それにコケにされたままじゃ引き下がれないわ!」

「だったら七色、ボスに挑んでみれば?」

「絶対にイヤよっ、どうしてそういう意地悪言うの!?」

 

 ナマハゲか何かかよ、とばかりにボスへの怯えを見せるセブンに首を振るレイン。この調子だからアッチは任せるわ、ということだった。残るはリーファ、アスナ、ユウキなのだが。

 

「あたしはストレアさんのフォローに回ります。ボスを倒すには多分、緊密な連携が必要だから」

 

 誰ともそう親しくないリーファ、数日の面識があるストレアが最大なのだから、咄嗟の連携など期待できそうもない。そんな自分がでしゃばるよりは出来そうな人に任せようという理由だった。

 

「というかアスナさんでしたっけ、あとユウキ? はボス戦を外れる気ないですよね?」

 

 そう、わざわざ聞くまでもなくシノンを加えた三人の気迫が全然違うのだ、他のメンバーと。特に妖精少女(ティターニア)が現れてからは鬼気迫るものがある。ボスを、妖精王を倒すのは自分だと言わんばかりのオーラをひしひしと放たれて、割って入らない位には空気を読めるリーファである。

 

「そ、そんなに分かりやすかったかな?」

「ぼ、ボクはただ新調した鉢巻き(アクセサリー)の感想を聞きたいだけで」

 

 ちなみにこの間も、減ったとはいえ五騎からの攻撃は間断なく続いている。それをたった二人の前衛で必死に捌きながら……ストレアとレインはボヤいた────犬も食わねぇと。


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