強くないのにニューゲーム   作:夜鳥

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登場する制度はあくまで似た何かであり、登場する大学も似た何かです、イイネ?


いざ魔王城へ

 思い付きを形にしようとする試みはすぐさま暗礁に乗り上げる。

 

 和訳すれば医療用ベッドだろうか? ナーヴギアのベッド一体型だった、と思う。

 

 ナーヴギアは家庭用ゲーム機なので小型化する必要があるが、メディキュボイドにダウンサイジングは必要ない。患者が利用する場は基本的に個室なので、部屋に入りさえすれば良いのだ。

 

「結論、今のままでメディキュボイド化は可能だ」

 

 そうして悦に浸ろうとしたところで、肝心の仕様や設計が分かっていないことに思い至る。

 

 メディキュボイドの具体的な仕様は? 麻酔代わりに痛覚カット機能を利用していたのは覚えているのだけれど。それで済むのならナーヴギアを被ってベッドに寝ていればよくないか?

 

 いや、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 けれど今の僕にはメディキュボイドの仕様も、痛覚をカットする仕組みも分からない。いや、そもそもNERDLES自体について素人同然、この分野について何も知らなかった。

 

「これは…………冗談でなく不味くないか?」

 

 あまりにも問題外な自分の現状に血の気が引く。知恵を出すどころか知識すらなく、知識を得る立場にもいないとは。誰だよ医学部志望したのは。僕だよ。

 

 かくなる上はアーガス社に乗り込んで茅場晶彦に直談判するしかないのか……いや、興味を持ってもらえるとは限らないし、説得するだけの前提知識もないのだ、素人考えしか提案できず失敗するのが関の山だろう。そもそも会ってさえもらえない。

 

 SAOが開始する頃、メディキュボイドの話はまったくと言っていい程なかった筈。茅場にとって優先順位の低い、或いは価値を認められないものだったのだろう。超人じみた彼を翻意させる? 素人が? どうやって?

 

 本当にどうしたものか……そんな僕を救ったのは件の──けんもほろろだった──教授である。

 

「君、それなら工業大に転入すればいい。それと前もって向こうの履修を進めておきたまえ」

「はい?」

「だから、我が校とあちらさんは提携しているだろう。何と言ったか……そう、複合領域だ」

 

 複合領域、それは複数の大学が連帯・提携することで学生に他大学の科目履修を認める制度だ。例えば医学部に所属しながら理工学部の講義を受けることも、不可能ではない。場合によっては他大学への転入も可能である。

 

 だがこの制度が存分に活用されているかというと首を捻ることになる。それもその筈、志望する学部を受験して入学するのだから、大部分の学生にとっては己の学部で充分なのである。

 

 かく言う僕も御多分に漏れず頭から抜けていた。これ以上は抜けている記憶がないことを祈って……そもそも歯抜けにも程があったことに気付いて何とも言えない気分になった。

 

 

 

 

 

 最後の最後にお世話になった教授には丁寧に礼を述べて……道筋だけは見えた。あと半年で用意を済ませ東都工業大へ、重村ゼミへ、NERDLES研究の場へ行くのだ。

 

 用意と一言で表してもとんでもない詰め込み教育だったのだが──全てを理解したなど口が裂けても言えないが──父に頭を下げて教えて貰ったりもした。複雑そうな顔をしている父を見て、何だかおかしくなった。

 

 

    ☆    ☆    ☆

 

 

 三年になり、場所は東都工業大学理工学部、重村ゼミ。はっきり言って魔物の巣窟だった。

 

 茅場晶彦は確かに頭一つ抜けた頂点にいただろう。だが他の学生がボンクラだったかと言えばそんなことはない。少なくとも僕は場違いにも程があった。そんな中にあって僕がゼミに居続けられた理由の一つは「メディキュボイドを形にする」という明確な目標があったこと。

 

 そしてもう一つは。

 

「神代先輩、延髄部分で展開される電界に必要な信号素子の密度についてなんですが……」

「んー、ちょっと待ってて。今しばらく手が離せないから」

 

 神代凛子(こうじろりんこ)先輩。彼女が面倒がらずに疑問を解消してくれるのでなければ、僕の一日は辞書を引くために辞書を引く意味不明な作業にすり潰されていたに違いない。

 

 茅場晶彦の恋人だと聞いていなければ惚れる危険性もあった、と安堵してしまうような人だ。

 

「あぁ、痛覚を完全に遮断するために必要な電界状況に関する実験……参考になるのはアレと、アレだけど……」

 

 指を顎に当てて思案する姿を「あざといなぁ」なんて感じながら眺めていた僕に、先輩は爆弾を投下した。

 

「ねぇ須郷君、茅場晶彦に会ってみる?」

「はい?」

 

 いや、ラスボスに会いに行くとかあり得ないでしょう。

 

「そう言わずに、遠慮しなくて良いから!」

「いえ、あの……」

 

 遠慮ではないのだ。茅場晶彦が悪い訳ではないのだが、近づきたくないのだ。

 

 ただ……この機会を逃せば彼に会うチャンスなどまず二度とないだろうことは確かであり、彼がデスゲームなんてものを本当にやらかすのか、確かめたい部分もある。

 

 彼が人畜無害である可能性だってなくはないのだ。なまじ半端な知識が先入観として邪魔をしている可能性も、ゼロではないのだ。

 

 それに今の自分はゼミに来たばかりの新人、その道の大先輩に眼をつけられる理由もない。

 

 万が一にもないだろうが……次に繋がるような話が出たら拒否すればいい。ちょっと行って帰ってくるだけなのだ、ゼミの後輩のことなど記憶からすぐ消えるに違いない。

 

「じゃあ、お願いしていいですか?」

 

 後日、僕はこの能天気な選択を死ぬほど後悔することになる。

 

 

    ★    ★    ★

 

 

 変な男がいるから会ってみて欲しい、と伝えられた翌日。

 

「須郷のイントネーションは嫌いなんです。すごーと呼んでください」

「ふむ……では須郷君、話を」

 

 アポを取ってアーガス社までやって来た須郷に、当初は茅場も興味を示していなかった。名が売れてからというもの、訪ねてくる人間は(わずら)わしいまでに多くなった。アーガスに有象無象を間引いてもらってもなお面倒な程に。

 

 技術や抱負のみならずプライベートやプライバシーまで土足で踏み込む取材。研究開発に手を貸して欲しいと揉み手をしながらやって来る経営者。国の内外を問わず訪れる人間は等しく茅場になにかを求めてきた……情報を、利益を、技術を、飯の種を、栄誉を、名声を。

 

 何故NERDLESを開発したのか、茅場晶彦は何を目標としているのか……そんなことに興味を持つ人間はいなかった。或いはいたとしても好奇心や探求心によるもので、茅場晶彦という人間には関心がなかったのだ。

 

 だからこの男も同じだろうと思っていた──話を聞くまでは。

 

「現在のNERDLESでは足りないんです、精々が麻酔の代用にしかならない。現実世界での経験や感情は僕達の体に良くも悪くもフィードバックを起こしますが、VR空間での刺激は患者に作用しません。これではもう一つの現実の名が泣く、VR世界がそんな程度では満足できない」

 

 あくまで神代の紹介でやって来たに過ぎないと言い、実現したい発案の中身を熱く語る癖に基礎的な──わざわざ会って話すまでもないだろうと茅場自身は感じる──ことしか自分に尋ねない。

 

「多重電界で遮断される電気信号を選択的に──肉体の維持に寄与するものを選び出し──VR空間での活動を阻害しないように──伝達の強弱を制限する、という計画を」

「不可能とは言わない。助力は必要かね?」

 

 挙げ句の果てには試す意味で伝えた協力の申し出を断ったのだ。

 

「いえ、茅場先輩は絶対に手を出さないで下さい。僕の精神的安定のために」

「……ほう」

 

 自惚(うぬぼ)れが皆無だったとは思わない、けれど、こうも邪険に扱われる筋合いはないだろうと。

 

 久方ぶりに感情を揺らした──下方だが──茅場はそれでもなお、伸之の言いたいことを伸之自身よりも理解していた。具体的に設計する際の問題や、実現までにかかるだろう期間の概算すら。

 

「脳のみならず脊髄まで含めた範囲の直接神経結合環境システムたるNERDLES、生体電気信号を多重電界で遮断する仕組みの細分化と段階化、大別すると課題はこの二点だな」

 

 当然知っているだろうが、という前置きにガクガクと頷く様子を変に感じながら、茅場は課題点を指摘する。

 

 話を聞いていて茅場が思ったのは、寝転んだ状態で健常者が利用するNERDLESの弱い感覚遮断レベルでは、医療の現場で必要とされる苦痛緩和ケアの要求に耐えられないだろうということだ。

 

 出力を上げて脳での感覚遮断を強化するのみならず、脊髄部分まで伸長しなければ麻酔薬の役目は果たせないだろう、と。出力と範囲の増大が人体へ与える影響も考える必要がある。

 

「範囲を脊髄まで拡大するにあたっては出力の増大も勿論だが信号素子の密度も強化せねばなるまい。遮断しなければならない電気信号も、脳単体の場合とは異なってくる」

 

 そのために必要なのは何をさておいても実験だ。

 

「困難ではあるが先行きは見えている。問題は一つ、長期に渡るだろう実験の被験者は?」

「臨床試験は……僕が」

「いいだろう。君の計画はNERDLES技術の発展にも寄与する」

 

 思ってもいないことを言われた、とばかりに表情を固まらせる伸之。正解だ、茅場本人も思ってもみないことを言っているのだから。

 

 技量的には喉から手が出る程に欲しいだろう人材である茅場を拒絶するこの男は、いったい茅場晶彦という人間に何を見たのか。問わねばなるまい、どんな答えを得たのかを、と。

 

「君の被験者としてのデータが欲しい。NERDLESの研究にあたり継続的かつまとまった臨床データは貴重なのでね」

 

 方便だった。こう言えば彼は逃げ場をなくすことになるというだけの話だ。

 

「アーガス社には私から話を付けよう。君の健闘を祈る」

 

 茫然自失の態で部屋を後にする伸之を見送り、一息つく茅場。

 

 話していて生まれた違和感がある────どうして彼はVR空間が現実世界と比較して遜色のないものになるということを前提に話をしていたのだろうか。今の時代、余人にはまだイメージしきれない未知の存在である筈なのだが、と首をひねる。

 

 話の内容自体は彼にとって取るに足らないものだ。NERDLESを使いたいのなら勝手にすればいい、関知も関与もしない……幾人もの研究者や経営者に示してきた茅場のスタンスだったのだ。

 

 だがあの眼、強迫観念に駆られているかのように感じられる情緒、外向きの顔を剥いだ中にある渇望、そして何よりVR空間に対する興味関心の高さ。それらは全て、あまりにも身近なもので。

 

 或いは自分と似た────電話を手に、急ぎ連絡を入れる。

 

「お久しぶりです、教授。そちらに今度、伺おうと思いまして……ええ、NERDLESの技術提携、いえ、私ではありませんよ。発案者はそちらの学生です」

 

 口角が上がった────逃がすものか、と。

 

 

    ★    ★    ★

 

 

 茅場先輩と談判した際には非常に大雑把な説明になってしまい、自分でも「医学部(笑)」なんて名乗りたくなったものだった。医学部と理工学部の授業をちゃんぽんに受けた結果、僕の頭の中は相当愉快なことになっている。

 

 だが後日、改めて茅場先輩が研究室に来てくれることを聞いた僕は半狂乱、一体何が起きたのか分からないまま……とにかくいい加減な説明だけは避けなければと専門家に助けを要請したのだ。

 

 東京近郊でツテのある相手を総当たりして唯一応じてくれた倉橋医師──三日前のアポ取りに応じてくれた彼──には頭が上がらない。

 

 やって来た茅場先輩と倉橋医師、そしてゼミの面子が議論を重ねているのを横目に僕はお茶を注いで回っていた。

 

「例えばNERDLESに接続したまま寝たきりの生活を送るとして──あぁ、仮称メディキュボイドの話です──どれほど接続先のVR空間が優れていても、肉体が耐えられません。誤解を恐れず言えば、利用者は擬似的な脳死状態に置かれる訳ですから」

 

 そう語るのは倉橋医師、実際の現場で活躍する人の意見だ。

 

「自発呼吸と心拍の維持はできるでしょう。ですが栄養摂取はチューブ経由、筋力は衰えるまま、体を動かそうとする信号すら届かない神経は劣化し、免疫系は言うに及ばずホルモンバランスを整える機能もまともに作用しない」

 

 いわば野ざらしにされた肉の塊、賞味期限が切れるまでは数年間、一時しのぎにしかなりません──自嘲気味にこぼす倉橋医師には真っ黒なクマができていた。

 

「筋力低下については電極を貼り付ければ問題ないだろうが……確かに今のNERDLES技術を流用しても、痛覚をカットする機能しか役に立たないな」

 

 そう言葉を返し、対策について討議を始める茅場先輩とその他のゼミ所属者。

 

 ジェルベッドを別に用意するとか、Quality of lifeの問題だとか……僕は話に参加しなかったのか? 開始五分で諦めたよ。だから倉橋医師経由の、それも概要しか分からなかったりする。

 

 免疫系、その中でも重要な働きを担うT細胞。ヒト免疫不全ウイルスの脅威は、このT細胞が作られる傍から破壊されてしまうことにある。

 

 細胞への侵襲に遺伝子情報の転写、潜伏と増殖などメカニズムの全てが厄介ではあるのだが……メカニズムそのものは一応、解明されているのだ。

 

 にも関わらず治療が難しいのはウイルスに効く薬を見つけ出す難しさと、ウイルスの変異スピードによって折角ヒットした抗ウイルス薬が無意味になってしまうことにあった。

 

 抗ウイルス薬の開発と建設的な治療手順は今後、国内外の専門家達が成し遂げていくだろう。

 

 ならばNERDLESは何らの寄与も出来ないのかといえば、そんなことはない。副作用のない麻酔代用品だけでも充分にありがたく、また他にも望まれることは多いのだと。

 

 人間の体内で起こるあらゆる事象には電流が関わっている。それらの全ては未だ解き明かされてはいないものの、本来は人体が下す命令を外部的に発することもできる。

 

 例えば──減少傾向にあるT細胞を規定量まで増産するように、など。

 

 無論このままの実現は不可能だ。段階を踏んだ手順が必要な上に肉体が増産に耐えられない、或いは応えられない病状もあり得る。そして何よりこの事例だけでは対症療法でしかない。

 

 だが病状は安定する。タイムリミットを延ばすことはつまり、薬剤研究者に時間を与えることになる。何よりNERDLESによるアプローチは途上、より優れた道筋を見つけ出せる可能性もある。

 

 こうして始まったメディキュボイドの開発。僕はVR技術の一足早い実験台として長期のフルダイブを経験することになったのだ。

 

「あぁ、それと須郷君。資金もかき集めてきたまえ、君の仕事だ」

「はい? 研究室に割り当てられた予算は?」

「足りる訳がないだろう。何でも君は人をのせるのが得意らしいじゃないか」

 

 なんで茅場先輩が昨年の一件を知ってるんですかねぇ……そんな目で見られても僕なんて楽しくないですよ、本当に、だから注目しないで下さいよマジで。何が琴線に触れたのかまるで分からないんですが。

 

 ついでとばかり、予算を獲得するために奔走することも僕の役目になったのだった。




ちなみに原作のメディキュボイドは
・感覚遮断を麻酔の代用に
・VR空間を利用したQOL、Quality of lifeの充実
・AR(拡張現実)技術を用いた現実世界との通信
という利用をされていたもの。倉橋医師はユウキ達の主治医、メディキュボイドの存在に感謝しつつも実用化の遅さと機能の少なさを嘆いていました。

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