強くないのにニューゲーム   作:夜鳥

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僕の姪っ子がこんなに可愛い

 ふと疑問に思って尋ねたことがある──アーガス社は資金援助してくれないんですか、と。

 

 茅場先輩は言った──限りある財源は重要なものに集中させるべきだ、と。

 

 ナーヴギアとSAOですね分かります。出資した額を回収できる見込みはそこそこあるのにどうしてアーガスが手を出さないのか不思議だったんですが、アインクラッドへの情熱で経営陣と役員会に押し通したと。

 

 そんなにソードアート・オンラインが早くやりたいのか。いや安全なら僕もやりたいけど、って原作の開始は2022年11月で、今現在は2019年も末……茅場先輩、ご自分の研究に戻られた方がいいんじゃないですかね?

 

「何か私に知られると不味いことでもあるのかね」

「そんなことあるわけないじゃないですか」

 

 VR越しに送られてくる量子脳学の論文の山。慌ててそちらに意識を移す僕は現在フルダイブ真っ最中。朝はメディキュボイドで目を覚まし、食事を済ませフルダイブ×三度、シャワーを浴びて就寝代わりにフルダイブ、月月火水木金金……誰だよこんなブラック職場志願したのは。僕だよ。

 

 なぜ分からないのか、本当に分からないのか、本当は何を隠しているのか、そんな視線が来る日も来る日も向けられる毎日です。先輩、僕の脳波形を眺めてブツブツ呟くのはやめてください。気晴らしでしかなかった剣道の型の練習は何故義務になったのでしょう。あぁ、胃が、胃が……

 

 

    ★    ★    ★

 

 

「明日奈の様子はどうだった?」

「まるで聞かん坊ね。あの子も中学一年だというのに」

 

 2020年の夏、結城家。普段ならばお盆の時期には家族揃って宮城の実家に里帰りをするのだが、京都の本家……彰三の実家で不幸があり、今年はそちらへ出向くことになってしまったのだ。

 

 彰三も京子も好き好んでその選択をした訳ではない、せざるを得なかったのだ。総合電子機器メーカーたるレクトは言わずと知れた有名企業、CEOの彰三は世間一般からすれば雲の上の存在だ。京子にしても経済学部の准教授、教授職に就くのも時間の問題とされている程の才媛である。

 

 その二人をして尚も肩身の狭い思いを強いられるのが、京都の本家という場所だった。複数の地方銀行を傘下に収める旧家として、西日本では厳然たる存在感を示している。外部にいることを選んだ彰三はいわば少数派、京子に至っては部外者にも近く、冷笑と侮蔑の類いを向けられる程度ならば御の字……そのような扱いだった。

 

 けれど、いやだからこそ彰三はがむしゃらに働いた。能力のある者、資質のある部下を取り立てて育て、会社を大きくして、誰もが認めざるを得ない存在になって──そうすれば、本家の態度も変わるだろうと。

 

 そして京子もまた一人で闘う道を選んだ。未だ男性社会の香りが残る学者の道、准教授になり、着々と成果を積み上げて教授へと至ったならば──そうすれば、本家の態度も変わるだろうと。

 

 旧家の出身にあって恋愛の末に結ばれた彰三と京子が互いのことを想っていない筈がないのだ。彰三は京子の受ける扱いに「自分が頑張れば好転する」と信じ、京子は彰三の受ける扱いに「自分が頑張れば好転する」と考えた。

 

 だが今に至るまで本家の態度は好転しないまま……食い違った想いは彰三を仕事に、京子を闘争に駆り立ててきた。結果、家庭の暖かさは消えた。京子も、明日奈も笑うことが極端に減った。

 

 どうして上手くいかないのか。

 どうして皆分かってくれないのか。

 どうすることを本当は望んでいたのか。

 

 本当は気付いているのだ、昔、自分達が望んだものはこの現状ではないと。けれど切っ掛けの想いも選んだ道のりも間違っていない筈であって、だからこそ歩みを止められない。大人になればなる程に、積み重ねが増えるから。

 

 唯一それが通じない時代がある。子供だ。積み重ねたものなど全然なく、あったとしても放り投げられてしまう。嫌なものを嫌だと言い、理屈も慣習も無関係に、感じ願ったことをそのままに追い求めることができる。

 

 明日奈という少女は二者の過渡期にいる。両親の期待に応え、行儀を良くして、成績も優れ、運動もでき、品行方正で、非常に大人びていて────大人びているだけの子供なのだ。

 

 だからこそ今回、彼女は暴発した。言うことをあれほど聞いて良い子でいるというのに、祖父母の家に行くというほぼ唯一の安らぎすらも自分から奪うのかと。

 

 珍しく声を荒げた明日奈の様子を思い返し、彰三は溜め息をつく。一体誰に似たのかと。

 

「あのままだと一人でも宮城へ行ってしまいそうだ」

 

 誰か付き添ってくれる者はいないか、と考えたとき……二人の心には同一人物が浮かんだ。

 

「彼で、いいのか?」

「他にいれば苦労しないけれど」

「いや……いない、な」

 

 部下だって忙しい。娘の送り迎えをしてくれないかと頼めるような心当たりは彰三になく、それは京子も同様だった。自分のプライベートを、弱味を大学で晒したくはないと考えていた。

 

 ちょうど話題に出た人物は彼を悩ませるもう一人、彰三は京子の顔色を窺うように喋り出す。

 

「須郷君とのね、その……明日奈との婚約を、終わらせようと思うんだ」

 

 家ぐるみの付き合いがあった腹心の息子、期待に応える力もあり性根も悪くないと思われた。人の本性を見抜く目がいささか弱い彰三にとって「人格の確からしさ」は何よりも大事だったのだ。例え判断を外部に──親の人格が確かだから息子も大丈夫だろうと──求めてしまったとしても。

 

 けれど実態はまるで別、親しくしていたと思えば全く無関係な大学に進み、かと思えば理工へ転学してあの茅場晶彦と繋ぎを得て、なおかつ新型NERDLES発明者の一人にもなってしまった。

 

 とどのつまり、理解できないのだ、須郷伸之という人間が。レクトからの出資交渉が難航しているのもそのことが尾を引いている。

 

「そう……まぁあなたが決めてきたことだから、それ自体は構わないのだけれど」

 

 その点、京子はドライだ。自分達が生きていくにあたって意味を持つ人物か、役に立つ人間か、それさえ分かれば良い。人の性根を見抜くことにはそれなりに自信があり、その技量を活かして大学の内側という魔窟を生き抜いているのだから。

 

 そんな彼女からすれば須郷伸之という人間の評価は高い。力も勢いもあり、学歴もツテもある。仮称メディキュボイドの件だけでも実績には充分で、業界における認知度は茅場晶彦に次ぐものがある。彼のやることに巻き込まれるのは──疲れるので──遠慮したいのだが、それを別にすれば明日奈の婚約者として適格といえた。

 

 ただ、京子は何も須郷に肩入れしている訳では──本人の認識では──ない。娘の婚約者に求める資質はただ一つ、娘の価値を高めてくれる相手かどうかだ。それは須郷でなくとも満たしうる条件であり、殊更(ことさら)彼に執着する理由はなかった。

 

「それで、誰を選ぶのかしら」

 

 返答に詰まる彰三に溜め息をこぼす京子。若かりし頃の彰三はどこに行ってしまったのかと考えて、意味のないことだと振り払った。

 

 

    ★    ★    ★

 

 

 やって来ました宮城県、の山間部。どうしてこうなったのか、全ては一本の電話から始まった。

 

「明日午前八時、東京駅中央改札で」

「ファッ!?」

「待ってますから」

 

 明日奈君からの電話にぶったまげた僕は──

 

「茅場先輩、休みが欲しいです」

「休憩時間なら毎日あるだろう」

「休日が欲しいんです」

 

 ──先輩から一週間のお盆休みをもぎ取ったのだった。

 

 実際にはもっとまともなやり取りだったけれども(おおむ)ね変わらない。なんでも一人で宮城の祖父母宅へ行く彼女を心配した両親は同行者がいなければ認めないと言って……お鉢が回ってきたと。

 

 まぁ仙台駅までで構わない上に往復の電車賃も出してくれるというので「なら宮城の美味しいモノでも食べて帰ってこよう」と安請け合いしたのだ。

 

 これが運の尽きというヤツで。

 

「すごーさん、お話の続き、聞きたいです」

 

 なんて言うものだから新幹線を降りて電車を乗り換えて最寄りの駅まで喋り通しだったのだ。聞き上手って怖い。そして着いたら駅舎にお祖父さん登場。

 

「わざわざ遠い所から、是非あがっていって下さい」

 

 いやいや御宅ってバスで数時間かかる遠方じゃないですか、ほらバス案内板が劣化してボロボロに、なんて言えれば苦労しない。善意には弱いのだ、身に摘まされる気がしてしまう。

 

 そんな経緯を経て今、僕は縁側に座り庭を眺めていた──半袖短パンで。

 

「ぷ、くくっ」

「明日奈君、そんなに笑うとお話は終わりだぞ」

 

 だってあんまりな格好だから、と笑い転げる明日奈君。仕方ないだろう、着替えなど持っていないのだから、お祖父さんに借りるしかなかったのだ。最寄りの衣服店? 数十キロ先だよ。

 

 それにしても、宮城の夏は想像していた以上に涼しい。お祖母さんに切ってもらったというスイカを受け取り、しゃくりと一口。とりあえず当初の目的は一つ果たせたようだ。

 

「彰三さん達は京都だったか? 暑そうだよな、夏は」

 

 意外と全国最高気温の座を得ることもあるという。なんでも法事があるそうで、彰三さん達も大変だねぇ……なんてぼやいていた僕の耳に突き刺さる大声。

 

「あのッ!」

 

 隣にいて出す大きさじゃないだろうと言おうとして、体の向きをずらして、面と向かって見えた彼女はあまりに真剣な顔をしていたから。

 

「なんだい、改まって」

「あの……人生相談が、あるの」

 

 僕はまた安請け合いしてしまったのだ。

 

 

    ☆    ☆    ☆

 

 

「悪いねぇ、手伝ってもらって」

「いえ、泊めて頂いていますし、これ位は」

 

 ブチブチと雑草を引っこ抜きつつお祖母さんに返事をする。翌朝、気温が上がりきらない内に農作業へ向かうお祖母さんにくっついてきたのだ。

 

 稲穂が水田に整然と並ぶ風景は、黄金に色づきかけた穂と青々とした茎葉のコントラストが見渡す限りに続き実に美しい。いつぞや彰三さんが語っていた通り、見応えのある場所だ。

 

 千枚田と呼称されるまでではないが、それでも十数枚にはなる棚田。分割されている故の不便、つまり大型機械を導入しての作業はできないのだが、小型であれば充分に叶う。高齢といっても大体の作業は機械化されているためこなせるとのこと。

 

 その中でも珍しく人力が必要になるのが雑草抜き、つまり今やっている作業だった。多少は身体を鍛えているから大丈夫だろうと思ったのだが甘い甘い、これは腰に来る。

 

「ほれ須郷さん、休み休みやらないと腰やっちまうよ」

 

 先は長いんだから、という言葉に従い泥に足を取られながら水田の外へ。ふと見ればお祖母さんの方が進行しているという事実。

 

 年の功だよ、なんて笑って差し出された水筒の、冷たい茶が旨い。日は天頂に昇っていた、昨日は感じなかった暑さは、今日は汗となって噴き出し首に巻いたタオルを濡らす。

 

 お祖母さんが作ったにしては不格好な白米の塩握りが異様に美味い。何か入っているんじゃないかと聞いてみれば、山間部の寒暖差が甘さを生むのだと胸を張っていた。

 

 

 

 

 

 黙々と頬張っていた昼休憩のさなか、ポツリとお祖母さんは溢した。

 

「京子は、元気でやっていますかな」

「すこぶる元気だと……思いますよ?」

 

 ぼんやりと稲を眺めているその目には、何か別のものが見えているのだろうか。

 

 遠くまで視線を飛ばしても見えてくるのは山々の緑と土の色ばかりで、ぽつりぽつりと民家がある程度。小さな村なのだ、ここは。

 

 この場所で生まれ育った京子さんは、何を思って上京し、准教授になったのだろうか?

 

「京子はね、私達の誇りなんです」

 

 上京するだけでも一大事なこの村で、都内の大学に行くとなれば大事件だったという。末は博士か大臣か、村を上げての壮行会、なんてものもあったとか。

 

 彼女が大学に残ることを決めて学者の道を進み、いくつもの雑誌に寄稿するようになり、准教授となって、活躍している。その様子を皆が──お祖父さんお祖母さんだけではない、村人達までも──雑誌を読み、新聞を切り抜き、ネットを使い、追っていた。

 

 誰にとっても娘のような、孫のような存在だったから……けれど年齢には、老衰には敵わない。一人、また一人と村の人々は減っていった。

 

「それでも京子がいつか、帰ってきたいと思ったときのために」

 

 あの家を、棚田を、杉林を、この村を、彼女の故郷を、残しておくのだと。

 生きて、生きて、生き延びて、守っていくのだと。

 

「どうして、そこまで出来るんですか」

「決まっているじゃないか」

 

 極寒の冬は(こた)えるだろう。機械化しようと農作業は過酷な筈。昔馴染みだって年々いなくなる。それでも。

 

「年老いた親が子供にしてやれることなんて、これくらいだからね」

 

 完爾(かんじ)として笑うお祖母さん。親とは、こういうものなのだろうか……分からない僕は目をそらして、何かを感じ取ったらしいお祖母さんは言葉を続けた。

 

「もしまだ両親がいるなら、たまには帰ってやりなさい」

 

 図星だった。メディキュボイドの実験を理由にして、この一年は実家に帰っていない。それ以前からも立ち寄りにくい空気はあって、面と向かって話したことなどずっと昔だった。

 

 だって僕は期待を裏切ったから。

 

 考え悩み決意した行動を、後悔はしない。決して誰に恥じることはないと言い切れる。

 

 けれど別問題なのだ。それ程までに両親の存在は僕にとっても大きくて、あの春の日までは本気で期待に応えようとしていて、そういった想いがゼロになった訳ではなかったのだ。

 

 あの日までの十五年間が僕を(さいな)むのだ。だから逃げた、僕のことを勝手に決める両親は酷い人間だと、話しても分かり合えないと、レッテルを貼って……今さらどんな顔をして会えばいいのか。

 

「お祖母さんは、京子さんに帰ってきて欲しいですか?」

「難しい質問だねぇ……便りがないのは良い便り、なんて言うけれど」

 

 やっぱり顔を見ると安心するよ、と。彼女の表情を見て、僕は実家に戻ることを決めた。

 

 

 

 

 

 さて、僕がどうして過去を振り返りナーバスになったのかというと昨日、明日奈君に人生相談をされたからだ。

 

 親の躾の厳しさに息がつまる、二人の期待には応えたい、けれど嫌な自分もいる、それを言い出せない、父を困らせたくない、母に失望されたくない、だけど苦しい……ギュッと胸元で手を組んで、訴えてくる彼女には見覚え(デジャヴ)があった。

 

 ────あれ、かつての僕じゃね、と。

 

 聞き始めこそ「そーか明日奈も年頃だよなぁ」なんてすっとぼけたことを考えていたのだけれど、じゃあアドバイスをいざしようとしたときに出来なかったのだ。

 

 自分と同じように好き勝手やればいい、なんて言えやしない。彰三さんに助力してもらいながら不義理を働いた僕が言えた義理ではないけれど……そのことで落ち込んだのが一つ。

 

 両親だって君のことを考えているんだよ、なんて言葉は僕にブーメランとなって返ってくる。彼らの意図を真剣に考えたことがあったのか……そのことも落ち込んだ理由の一つ。

 

 ひたすらに雑草をブチブチ抜きながら悩んでいたのだけれど、そこは年の功。お祖母さんにはお見通しだった訳だ。

 

 会って一日の僕すら見抜かれてしまうのだ、孫の明日奈君なら一目で気付いていたのだろう……事実、帰宅した僕らを迎えてくれた彼女とお祖父さんは京子さんのアルバムを眺め笑っていた。

 

 

    ★    ★    ★

 

 

「お陰で決心がついた。ありがとう、明日奈」

「えぇっと、どうして相談したわたしの方がお礼を言われてるの?」

「あぁ、いきなりじゃ意味不明だよな……」

 

 アルバムを片付けに祖父母が居間を離れた後。明日奈は須郷からの感謝に戸惑っていた。前日に相談した悩み……家の息苦しさはまだ解消されていなかったのだ。

 

 祖父の見せてくれた母、京子の来歴。祖父母が如何に京子を想っているのかを知ることができて嬉しかった一方で、果たして両親と自分はどうなのだろうと明日奈は疑問に思ってしまう。

 

「本当、結城家にはお世話になってばかりだ」

「結城家って、父さんと母さんのこと、だよね?」

 

 それと明日奈もだ、と付け加えられてまさかと思う明日奈。何の冗談だと返そうとして、真剣そのものの表情に口をつぐむ。

 

「聞いて欲しい、僕の今までを」

 

 そうして須郷から語られた内容は明日奈が全然知らなかったことばかり。叔父のようだった彼が何を思っていたのか、父と母が彼に見せた顔も同様に、初耳のことだった。

 

 他人から伝え聞く両親の姿は明日奈に新鮮な印象を与え、又どこか察していた部分もあった。

 

「父さんと母さんは、わたしのことを考えてくれているんですね」

「それは間違いない。彼らなりに」

 

 冷静な分析を発揮して須郷の悩みを一掃してしまう京子の知見、須郷の願いを聞き入れ後押しした彰三の先見の明……父と母は優れた人達で、実体験として聞けばこそ明日奈にも分かったのだ。

 

「ならきっと父さんも母さんも正しくて、間違っているのはわたしで」

「明日奈は間違っていない」

「……え?」

「明日奈の気持ちは明日奈だけのもの、明日奈の人生も明日奈だけのものだ」

 

 何故そんなことを言うのか。悩ませるようなことをどうして言うのか。重たいものがぐるぐると胸の中で渦巻く。明日奈にはどうしたらいいのかが見つけられなかったのだ。

 

「でも、だって、母さん達は正しくて、話し方だってちゃんとしてて」

「自分の言い分が劣って感じられたんだな」

 

 こくり、と頷く明日奈。友達の家に遊びに行きたいと言っても、同じ学校に行きたいと言っても、興味あるものができたと言っても……返ってくる言葉は理路整然、いつだって尤もらしくて、自分が幼稚に思えた。親の庇護下にいることは安心のみならず、劣等感をも育んだ。

 

「だから従っていればいい、自分で考えなくていいって、そうすれば楽だって」

「僕もね、同じだった」

「え? すごーさんは意思を通したんじゃ」

「僕は策を(ろう)して逃げたんだ、正面から向き合うことから。そのことから目をそらしてさえいた」

 

 打ち明けられたのは彼の、数年前からの確執。須郷が手にしてきたモノと置き去りにしたモノの記録。誰かを救いたいという気持ちと、両親の考えに反してしまう申し訳なさだ。

 

 彼女にも似た想いがあった。「閃光」と呼ばれた物語の少女のように生きたいと憧れる自分と、どこかで諦めている自分がいた。具体的にどうしたいのかも、見つかっていない。

 

 明日奈からすれば須郷でさえ羨ましいのだ。やりたいことを見付けて、周囲を動かし協力を取り付け、曲がりなりにも意思を通してきたのだろうと。比べるとあまりに自分が卑小に思えて。

 

 ぽん、と背中を叩かれた衝撃に倒れかける。慌てて須郷の服を掴み、抗議の目を向けると──

 

「それでいい。大人になったからこそ、人を頼ることを覚えるんだ」

 

 誰かを頼るとは、甘えることではないのか。そう尋ねる明日奈に、須郷は肩を震わせて笑う。

 

「自分一人で出来たならどんなにいいかと今も思うよ、まぁ夢物語なんだけど……それに、頼られる体験ってのは悪くない。僕が頼ったら明日奈は応じてくれるか?」

「そんなこと、あるの?」

「僕は今回、明日奈に助けられたからね、次もよろしく」

「……仕方ないなぁ」

 

 頼りにされるということは相手に肯定されているということだ。自己を肯定する気持ちにもなれる。大人だと、一人の人間なのだと認めてくれたのは嬉しかった。明日奈も思わず口端がゆるむ。

 

 それに、このパターンならそろそろ撫でてくれる頃合いだと頭を差し出して──

 

「明日奈はもう大人だからね、頭は撫でないよ」

「えっ」

「えっ」

 

 撫でて欲しかったかい? なんて聞いてくる須郷を()ね付けて、一人前の女性なんだから大丈夫です、なんて具合に強がって、自分の部屋に飛び込んで。

 

「わたしってほんとバカ……」

 

 見かねた祖母が代わりに頭を撫でてくれるまで部屋に(こも)っていたのだった。

 

 

    ★    ★    ★

 

 

 「あなたのことを考えている」という気持ちは、相手に通じなければ無意味だ。本当にそうなのか、子の少ない人生経験では判断しきれないのだが、往々にして子の気持ちは反発している。

 

 そして大人は「何故分からないのか」と怒り嘆くばかりで説得ができない。言うなれば共通言語が存在しないのだ、経験を重ねているが故に、経験が浅い時代の自分を思い出し、同じ目線に立つことができない。

 

 食い違うこと、それは仕方のないことなのかもしれない。

 けれど子供の方が理解できる年が来たのなら。

 

 宮城を発ち、東京駅で明日奈と別れた僕は久し振りに帰宅して父と顔を会わせて、飯を食った。

 

 見合いかと笑う程おっかなびっくり言葉を発して。

 見かねた母が酒を出して、数年ぶりだなんて言って。

 見上げていた筈の二人より僕の方が体は大きくなっていて。

 黒々としていた筈の父の頭には白いものが目立つようになって。

 

 しがない会社員の自分がお前に残せるのは人との縁くらいのものだったと、話してくれた。

 

 

    ☆    ☆    ☆

 

 

 父が何をしたのか、後日レクトから出資の申し入れが来た。

 

 「そこまで言うなら自分で嫁さん捕まえてこい」という伝言と共に。


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