「茅場先輩は、NERDLES開発の先にどんなゲームがしたいですか?」
2021年、卒業も間近になった時期。研究室にて小休止をしていたときのことだ。
「何故、そんなことを?」
「NERDLESの展開はアミューズメントやリラクゼーション施設、娯楽分野に集中しています。これは先輩の意向も反映されているでしょう? それにVRMMOは昔から語られてきた創作のジャンル、興味を持っていない方が変です」
それにあなた生粋のゲームプログラマーだし、そもそもアーガスの社員じゃないですか。そんなことを話しているといつの間にか他の学生も混じってゲーム談義が始まっていた。
程度の大小はあっても皆やはりNERDLESとVRゲームを結び付けていたらしく、NERDLES機器が家庭用にまでダウンサイズされたならVRMMOという一昔前から創作の題材とされていたジャンルを実現できると考えていたようだ。
VRMMO創作といえばデスゲームだよな、とか。
実際にやるならどんなゲームがやりたいか、とか。
運営は絶対に人の手に余るから優秀なAIが必須だ、とか。
そういえば茅場先輩とんでもないAIを組み上げてませんでした? みたいな話題が出たのだ。
「カーディナルだな、仮想世界における統括的な役割を担えると自負している」
ではカーディナルという名称はどこからきたのか、やはり
「カーディナルといえば酒ですよ。キールカクテルを白の代わりに赤ワインで作るんです。赤ワインといえば血の象徴、既にある仮想空間に人間を入れることでカーディナルが完成するんです」
「確かにワインは血になぞらえられるけど、白ワインでもいいらしいわよ?」
「あれ? そうでしたっけ」
あっはっは、と神代先輩の突っ込みに笑って返す。
そして案の定、茅場先輩と面談することになったのである。「血」「人間を入れる」という表現がアウトだったらしい。
☆ ☆ ☆
茅場先輩との個人授業。ゼミ生達は「あぁ、またか」みたいな目で見送ってくれたけれど、内実は全然違う。冷えた室内よりもなお冷え切った先輩の空気が見えるようだ。
「やはり君には、人と違うものが見えているらしい」
開口一番、切り込んでくる舌鋒。はて何のことだろうか。
「以前、ニュースを見て東北へ出向いたことがあったな。郵便局強盗だったか……帰って来た後、そのことについて君に尋ねたことがあっただろう、フルダイブ中に」
「何かおかしな返答しましたか? あのときは確か──」
「その際に何と答えたのかは問題ではない。重要なのは……その際の生理データが、事件以前にも度々出現していたということだ」
人間というのは器用なものでね、一人一人に対する感情や記憶を元に微細な反応差を表現できるのだよ──そう語る茅場先輩の目はこちらに固定されて動かない。
「だからこそ私はあのとき君に外出を許し、助力をしたのだ。果たして君が面識もなかった筈の少女をまるで以前から知っていたかのような反応を起こしたのは如何なる理由に基づくものなのか、それを確かめるために」
その件はいずれ気付かれるだろうと考えていた。まぁ……実際の方法まではまるで想像が付かなかったが、驚くことでもない。むしろわざわざ口にしたことの方が驚きである。
何せこの先輩、興味のないことは一切の関与をしないのだ。自他に妥協を許さないゼロかイチの人、動くときは最高の結果を出すが、動かないときは放置以外の選択がない。
そしてこの人の目的はAn INCarnating RADiusことアインクラッドを完成させることだ。全ての設計図は頭の中にある筈で、他人の意見など聞き入れはしない。
僕に構っているのは
「何故その話を?」
「君が常人から外れていること、それ自体が大事なのだ。君の研究における資質が常人並であることは初日で理解した、だが君の本質はそのような点ではない」
「僕の、本質ですか」
「君は以前、VR空間の発展について口にしたが……この先に起こることを、予測できているのではないかね」
それは「どういう意味で」だろうか。深奥まで推察されていてもおかしくない、そんな相手にゴクリと唾を飲む。
「脳波は嘘を吐かない。あらゆる者にとってVRは未知の存在だ、経験した人間は皆が似た反応を返した。だが君はただ一人、既知の反応を起こした……かといって興味が失われている訳ではなく、むしろ人一倍強いと言っていい」
あぁ……それは僕のミスだ。誰にとっても未知の技術であり体験したことのない仮想空間、それに触れて驚いたり喜んだりするのが普通の反応だとするなら、僕の反応はさぞ異様だったことだろう。「へぇ……実物はやっぱり凄いな」程度のリアクションだったのだから。
だが理由にはまだ足りない。それが何故、先輩を動かしたんだ?
「須郷君、私はね、君ほどにVRとの関係が特異な人間を見たことがないのだよ」
「それも生理データで……でも茅場先輩が、それを言うんですか?」
「そう、その反応だ。だからこそ私は君に悟られていると考えた、私がVRにかける想いを」
「それは、まぁ……」
それこそ「知っているが故に」である。だが何故ここまで躍起になってVRの話を強調するのか。
「茅場先輩、本当はもうできてるんじゃないですか、VRゲーム」
ふと口にした質問。思い当たるものは、これくらいだった。
★ ★ ★
「これが作製中のゲーム、そのデモムービーだ」
「へぇ……見事なものですね」
果たして彼はこの世界に何を見て、何を感じるのだろう。そう考えて見せた映像を、彼は既知と感心の目で眺めていた。そのことが茅場には嬉しく、同時に
現実世界のあらゆる枠や法則──既知のものを超越した未知の世界、完全なる異世界を求めていた。そうして出来上がった渾身の作を見てこの男は納得した──既知でしかないと答えたのだ。
己の全てと言っていいこの世界が、彼にとっては既知でしかないというのか。その事実に感情が──あのときと同じく──揺らされる。茅場が久しく感じたことのないそれは、悔しさだった。
茅場晶彦は昔から空想が好きな性質だった。中でも異世界というものに強い憧れを抱いて……だが異世界ならば何でも構わなかった訳ではなく、己が想像した異世界をこそ望んでいた。
「だがそんなものはこの世のどこにも存在しない。ならば己の手で創造すれば良い」
そう考え、来る日も来る日も想像と創造を続けた。やがてありありと異世界の全てが……大空に浮かぶ石と鉄の城、その全てが出来上がったとき、彼はその世界にヒトがいないことに気付いた。
折しも彼は理系に適性があった。故にAIを人間同様のレベルまで完成させれば良いと考えた……しかし叶わなかった。トップダウン型もボトムアップ型も完成にはほど遠く、彼の予測を越える意志が、ヒトが生まれなかったのだ。世界には彼の意図通りに動く人形しかいなかった。
ならば自分と同じ人間にその世界へ、仮想空間に入ってもらえば良いと考えた。VRMMOだ。
だがこの考えには致命的な欠点があった。他のプレイヤーに参加を強制することができない、つまりゲームをやめる人間がいずれ出てしまうことだ。
既存のあらゆるものは陳腐化する──1コンテンツに過ぎないゲームを人々がプレイし続けるのは数年、精々が十年というところだ。完成度を高めてもなお、彼の世界に代わる娯楽は出てくる。
己の作り上げた異世界を完璧なものに仕上げる、そのためにヒトを導入するが故に、いずれ飽きて捨てられる未来は必ずやって来る。そんなことは耐えられない、承服できるものではなかった。
★ ★ ★
「私の世界を真剣に生きて欲しい、それだけだ。ヒトが生きて死ぬ営みの中で私の既知を超えるものが生み出されてこそ初めて世界は完結する、そこに途中離脱などというものはいらないのだよ」
なまじ技術があるからこそAIの先行きに見切りをつけて、生きた人間に活路を求めた。けれど提供される形式はゲーム、如何なる名作も数年で勢いを失うジャンルでしかない。アインクラッドが好きで、その存在を強く望んでいるからこそ……いずれくる終焉、コンテンツとしての終了を受け入れられない。
ならばその前に、プレイヤーが真剣に生きざるを得ない状況を作り、クリアされるまでの数年を全力で楽しみ、そして自分の手で終わらせるのだと……茅場晶彦は考えることになるのだろう。
どうして原作の茅場は自らアインクラッドを消去したのか、今なら分かる。残しておいてもロクなことにならないからだ。有象無象に荒らし回られた末に打ち捨てられて、大事件の遺物として朽ちていく、そんな先行きしか存在しないアインクラッドを、誰よりも愛した茅場が放っておく訳がない。誰にも
僕にはよく分かる。自分のモノが、何よりも思い入れがあるにも関わらず思い通りにならなくて、足掻いて手を伸ばして力を尽くして、それでも駄目になってしまうのならば……自らの手で終わらせたいと思ってしまう誘惑を知っているから。
自分の人生が思い通りにならず、親や上司に求められる姿を演じて生きてきて、僅かに憧れたものすらも優れた者に奪われたその先で……
理解できてしまうのだ。共感できてしまうのだ。だからこそ、肯定してはならないのだ。
なり得たかもしれない未来の自分を否定して生きると決めた僕だけは、肯定してはならない。
さて、ここからは商談の時間だ。僕は
「茅場先輩も人間なんですね。あと天才ですけど、大馬鹿者です」
呆然としているのか、それとも意外に反発を覚えているのか。話を聞いているのなら構わない。
「クリアされないゲームなんて存在価値ゼロですよ。ゲームは攻略できること前提なんですから」
攻略されずに終わってしまうものを、人はクソゲーと呼ぶのだ。SAOはそうじゃないだろう。
「茅場先輩の作ったゲームが攻略される? 結構じゃないですか、楽しみ抜いてくれた証ですよ」
攻略が進まなかったらそれはそれで「私の世界は面白くなかったのか」なんて言ってこの人は落ち込むのだ、きっと。端的に言って、すげーめんどくさい男である。だからこそ人間味がある。
「クリアされたその後はどうなるか? 世界は続いていくんですよ、何が起きようと」
さっき見せてくれたじゃないですか、あのムービーもう一度見せて下さい。そう伝えると再びいそいそとパソコンを操作して流し始める先輩に、途中での一時停止を求める。
「先輩、この雲の下には何があるんですか?」
「それは……どういう意味だ?」
「だってこのムービーだと城の向こうに浮き島が見えるし、奥には山脈も見えますよ?」
霧の立ちこめた密林を抜けるとそこには草原があり、吹き渡る風とともに駆けていったその先、
──千古の昔、地上にはエルフや人間にドワーフと多種族が生き、中小国家に分かれ生きていた。しかしある時起きた大地切断により全国家の主要な百の地域は円盤状に切り抜かれて空へ、円錐状に積み重ねられアインクラッドを形成する。永い時の中で魔法の力は絶え、文明も衰退した。
「百の国と地域が地面ごと飛び去ってできたのがアインクラッド、なら残された大地は滅び死に絶えたんですか? そんな筈はないですよね、地上は荒れ果ててなどいなかった」
もしあのムービーが茅場先輩の想像したアインクラッドの世界観に沿わないのであれば、絶対にこの人は許容しない。何が何でも訂正しているだろう……それ程に思い入れは深く強烈なのだ。
だからこそ地上の存在を、アインクラッドの外にある世界を、この人は否定していない。
「こんな続きはどうです──大地切断により後退した文明の中でも生き延びていた人々。彼らは妖精の羽根を持ち、魔法を受け継いでいた。伝承に残る天空の城へと至ることを夢見て、永遠に飛び続ける力を求めて生きている──とか」
想像しているのだろうか、目を閉じて考えに
「そしていつの日か姿を現す鉄の城。その城こそがアインクラッド、二つの世界は交わるんです」
どうです? なんて提案する僕の方がワクワクしているのだ。こんな展開は僕の
「無論、新たなワールドだって完璧ではありません。いずれはクリアされてしまうでしょう。だからどうしたんですか、だったら次の世界を創ればいいんです」
二番目の世界を僕はやはり、アルヴへイムと呼びたい。世界観は北欧神話、九つの世界を抱える体系だ。その他にも題材は、創りたいワールドのアイデアはいくらだってあるのだ。
「三番目の異世界が出現することで妖精の国、アルヴヘイムは新たな性格と役割を手に入れます。姿を現したアインクラッドが、それまでと違う意味と世界観を手にしたように」
★ ★ ★
「例え茅場先輩が死んだ後でも残るものがそこにあるんです。受け継ぐ人間が必死こいて面白いものを考え、あなたの予想を越えたものが生まれて、皆が知恵を絞る中でアインクラッドは生きる」
そう語る彼の瞳には熱が、未知が宿っていた。本人も自認する金属じみた茅場の瞳とは違った。
「確かにアインクラッドの完成度は高いでしょう、完璧と評されてもおかしくない。けれど完璧じゃないんです、完璧じゃなくていいんです、完璧のその上は、その先は存在しないんですから」
今、彼に宿っているものこそが未知の可能性を見た人間の熱で……羨ましいと感じてしまった。
「不完全であるが故に、完璧以上を目指せるんですよ、ヒトは。きっとそれが先輩の見たかった未知、ヒトの意志力です」
──まぁ、もし茅場先輩が途中でリタイアするとしても別に構いませんよ。先輩亡き後もアインクラッドは残りますし、長い時間を生きていく姿と変遷を僕は特等席で見ていますから──
そう言われて納得出来る人間はいない。特別に思い入れの強い茅場ならば言うまでもなかった。
「いつぞや君は言ったな、満足できないと」
案外、私も欲深かったようだ。そう呟く茅場に須郷は反応した。
「自分の想像した異世界を具現化する程の先輩が強欲でなくて何だって言うんですか」
「須郷君、レクトに行っても研究は続く。逃れられると思わないことだ」
「えっ」
「何のためにメディキュボイドの利権をレクトに譲ったと思っている──貸しを作るためだ」
はたして出てきたのは蛇どころではなく、竜だったのだが。突いた場所は逆鱗だったらしい。
★ ★ ★
どうして僕が茅場先輩と対話によって解決することを選んだのか、それはデスゲームを阻止できる確実な手段がないということは勿論だが、彼が僕にとって先輩であることが大きい。確かに茅場先輩を評するならラスボス、魔王が相応しいだろう。けれど僕は敵と思ったことはなかったのだ。
善人ではない、ないのだが、単なる悪人でもない。きっかけがあれば境界を踏み越えてしまうのだろうが、二年接して得た彼の印象は不器用な人というものだったのだ。
彼を腕ずくで何とかすることは出来ないし、したくもない。実際にデスゲームが起きるのなら甘いことは言えないけれど……茅場先輩が計画を変更するときが来るのは、彼自身が望んだときだけだ。はたして見込みはあるのか、この場に臨んだのは確かめるためだった。
あの後、色々と茅場先輩と話し込んだのだが──無論、デスゲームのことなどお互いおくびにも出さず──彼は存外にと言うべきかやはりと言うべきか、あまりにも人間臭かった。
まず、真剣に生きることが目的ならログアウト不可だけでも良いのではないか、という提案。
ログアウトが不可能な中でプレイヤーがゲーム内で生きて死ぬことを選択するのならば、それもまたVR空間を自分のリアルだと捉えていることになるのではないか。それは世界の完成にほかならないのではないかという質問に嬉々として──表情筋は死んでいたが──答えてくれた。
では何故それを認めないのかといえば先輩にとって面白くない展開だったからで、現実に帰れないと諦めたが故の行動に感じられるからだ。現実を捨てて仮想世界を積極的に選ぶプレイヤーも同様で、彼はアインクラッドに絶対の自信とプライドを持っているからこそ、それこそ現実世界と仮想世界の間で必死に悩んだ末の選択くらいでなければ認めないと言っていた。要求が高い。
一方で茅場先輩は自分の力量に限界を感じてもいる。仮想空間としてアインクラッドを提供しても人々が真剣にプレイし続けてはもらえないと悟っていて、だからこそ自分でタイムリミットを区切りたくなる……そんなことを曖昧にぼかしながら教えてくれた。
思い通りになって欲しい気持ちと思い通りになって欲しくない気持ち。彼とてアインクラッドが広く人々に楽しまれ続け、なおかつ現実世界と比較しても選んでしまう程に熱中する真剣さを見せてくれるならば、ソードアート・オンラインはゲームの体裁で構わないのだ。つまるところ大元の目的、そもそもの願いは何だったのかということに注目して解決しなければならない訳で。
茅場晶彦にとっての既知、アインクラッドが永遠に続く願望。
茅場晶彦にとっての未知、ヒトの意志力と可能性という期待。
その目論見が上手く行くかは今後の僕達がどれだけ面白いものを提供していけるかだ。
さて、最大の懸案がひとまずの解決を見た──後回しとも言う──ところで、この四月から僕はレクトに所属することになったのだが。職場での忙しさと共に降って湧いたことがある。
「すごーさん、四月からそっちに行くから」
「ふぁっ!?」
「お母さんと一緒」
詩乃からの電話にぶったまげる僕、以前にもこんなことがあった気がする。
以前話をしたメディキュボイドによる各種治療の臨床試験、これが晴れて今年から行える体制になったのだが、そのことを知った詩乃の母が立候補してくれたのだ。
僕だって安全性に難のある物を提供するつもりはない、けれど完璧と判を押せない物を知人に試させるというのは心情的に拒否したかったのだ。職人失格かも知れないが、その辺り小心なので。
「あと、私のことも考えてのことみたい」
自分が臨床試験のために上京するのと一緒に詩乃も転校をすることで、一時的にせよ地元と距離を置きたいという考えらしい。そう言われるとNOとは言えないのだ、僕も。