終わりと始まり
ナザリック地下大墳墓の十階層にして最後に辿り着く場所――玉座の間。
最後を迎えるならば何処にするかと考え、そして、ここしかないだろうと思い至った場所である。
床には柔らかい絨毯が敷かれており、見上げれば、天井から幾つも吊り下げられた数多の宝石で作り上げられたシャンデリアが幻想的な輝きを放っている。
白を基調とした壁は汚れなど一つも無く金銀で精巧な細工が施されており、壁からは天井から床まで垂れ下がった見事な旗が全部で41枚あった。
旗にはそれぞれ異なるエンブレムの刺繍が施されており、それは、この場所――ナザリック地下大墳墓――を作り上げた41人のプレイヤーのサインでもある。
最奥に置かれた水晶の玉座。そこに、一人のプレイヤーが座していた。
その玉座に座る死の支配者――モモンガは、操作コンソールから手を離すと傍らに佇む女性を見て顔を逸らし、骨の手で口元を隠す。
「モモンガを、愛している。うわ、恥ずかしい」
人であれば顔を紅潮させていただろう、そんな声色だ。
その女性は美しい顔立ちをしており黒髪を腰まで伸ばし、純白のドレスを着ている。
モモンガがギルド長を務めるアインズ・ウール・ゴウン。
その、ギルドメンバーであるタブラ・スマラグディナが作り上げたNPC、アルベドである。
西暦2138年、数多に開発されたDMMO-RPGの中に、広大なマップ、膨大な職業、専用のツールを使えば保有する居住や装備の外装など幾らでも変えれるその自由度に、爆発的な人気を博したゲームがあった。
YGGDRASIL/ユグドラシル。
それが今、終ろうとしている。
かつては41人いた仲間達も、一人、一人とログインしなくなり、最後の時はモモンガ一人でギルドを支えていた。
共に冒険を繰り広げ、この拠点――ナザリック地下大墳墓を作り上げた仲間達がいつか戻ってくると信じて。
しかし、最後の時を持っても彼の呼出しに応じた――来てくれたのはたったの3人だった。
そんな彼らもログアウトして去っており、もういない。
モモンガは、最後の時を玉座の間でサービス終了を迎えようと立ち寄り、そこで傍らに立つNPC、アルベドを見かけて何気なく設定を閲覧した。
そこで目にした膨大な文字の長文に呆れつつ、流し読みといってよいスピードでスクロールさせていた指が止まる。
『ちなみにビッチである。』
その一文が目に留まり、罵倒の意味を表すその言葉にアルベドが余りに浮かばれないと書き換えたのだ。
『モモンガを愛している。』
自ら書いておいてなんだが、あまりの恥ずかしさに悶絶する。
だが、モモンガは考える。元の文字数と同じで収まりが良いはずなのに、漠然とした不安を感じる。何か、このままではいけない様な……。
それが何なのか、リアルはで恋愛経験の少ないモモンガこと、鈴木悟には分からない。
だからこそ、彼がこのように思ったとしても、それは致し方の無いことである。
「なんか、ちょっと物足りないのかな。」
そうか、少しインパクトが足りない。ならばと文字を足す。
『モモンガを愛している。心も体も骨の髄まで。』
口元に手を当て、身体をくねらせて気恥ずかしさに身悶える。
サービス終了日のちょっとした悪戯心であり、仲間達に見られたら悶絶して恥かしがったであろう言葉である。
だか、その仲間達も今はいない。
自分は今一人なのだと寂寥感で我に返る。誰にも見られずに消えるのだ、このままで良いか。
そう思いモモンガはコンソールを閉じた。
ふと、アルベトと玉座を挟んで反対側に直立不動で立っている、執事服を着こなした初老の男に目をやる。肉体は鋼のように鍛えこまれた熟練の戦士を思わせ、その鋭い眼光には優しさを滲ませている。
いや、それはモモンガの思い過ごしだろう。
彼、セバスを設定した嘗てのギルドメンバーは謹厳実直を絵に書いた人である。それでいて弱者救済を是とする正義感あふれる男だった。
製造者の面影をNPCを通して感じてしまい、そのように感じるだけなのかもしれない。
セバスも、アルベドと同様に設定が気になり、コンソールを操作して設定を開く。
しかし、設定には何も書かれておらず拍子抜けしてしまう。
「うわ、真っ白。たっち・みーさんらしいや。」
流石にそれでは可哀相だと、何か書き足すことにした。
どうせなら、たっち・みーさんを意識した文章を残そうと、暫く考えを巡らせる。
『真面目な性格で嘘をつくことができない。正義を愛し、弱き者のため力を振るうことを信条とする。』
「うーん、面白みがないな。」
『アルベドに仄かな恋心を抱いており、決して知られてはならないとひた隠しにする。家事全般は割りと得意。』
「くっははははははっ、くはー」
モモンガは腹を抱えて笑った。身悶えして悶絶する。
思わず感情アイコンの笑顔マークを連打で表示する。
一頻り笑った後は、この楽しさを誰かと共有したい気持ちに駆られ、消すのが勿体無く感じた。
これはこれで残しておくか。
モモンガは鷹揚に操作コンソールを閉じると玉座に凭れ掛かる。
「もうすぐ終わりか、楽しかったんだよな……」
そう、呟くと天井を見上げ、静かに終わりの時を待った。
時間を確認する。サービス終了が深夜の0時ジャストだ。
23:59:35
36
37
時間を数え、目を閉じる。
56
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――――――――――――
――――
突如、不思議な感覚に捕らわれる。それは、これから起こるだろうと予測していた強制ログアウトとは異なる感覚だった。
肉体から引き摺り出された魂だけが何処か別の空間に引き込まれる、そんな感覚だった。
そこは玉座の間であった。玉座に座っているのは鈴木悟のアバターである
モモンガ様!
叫ぶ女の声が響く。掠れる様な、今にも泣き出しそうな悲観した震えた声だ。
唐突に世界が離れていく。光景が点となり白い霧に覆われていく。そして、深い眠りから覚醒するように、ぼやけた意識がハッキリとしていく。
全身を覆う気だるさを払うように頭を数度横に振る。
そして、モモンガはゆっくりと目を開いた。
「……な、んだ?何が起こった?」
そこは、木材で出来たお世辞にも綺麗とは言えない部屋の、知らない天井だった。
幻視した光景の影響か視界が歪み目が眩む。悪夢を見たかのように背中が濡れていた。
「…………どうゆうことだ?ここはどこだ?」
はっと、モモンガは自分の口に手を当てる。
声が、少女の声であった。
そして、唇に当たるその手の感触に、驚いて両手を目の前に上げる。
「……ばか……な」
それは、ぷにぷにとした小さな、幼い少女の手であった。
慌てて起き上がり、肩まで掛けていた粗い麻の毛布が腰までズリ落ちる。
そこで初めて、自分が寝ていたことを知る。
「な、なんじゃこりゃーっ!」
両掌を見ながら驚いて大声を上げてしまう。
それは、150年以上前の某ドラマを意識したわけでもない、正真正銘、心の叫びであった。
ふいに、モゾモゾと動く物体を横に感じてハッと横を向く。
そこには10代半ばの顔立ちの整った可愛い少女がいた。眠たそうに眼を擦りながら身動ぎする。
どうなってる?
この女は誰だ?
何で俺の隣で寝ている?
やばい?
ひょっとして事案ですか?
俺、逮捕されちゃうの?
顔にはてなマークを大量に浮かべ、目を泳がせて狼狽える。
同じ毛布に包まっていたため、半分剥ぎ取られた形となった少女は、不満を訴える瞳を向けると、煩わしそうに体を起こす。
その顔は、何時だと思っているのよと、怒っているように見える。
「もう、大声出してどうしたのネム。」
「違う、鈴木悟だ!てか、……どちら様ですかぁ?」
少女は、眉間に皺を寄せるぷくぅと頬を膨らませる。
「馬鹿なこと言ってないで、早く寝なさい。」
「いや、あのですね。」
一向に寝る気配の無いモモンガに憤ると、手伸ばして手の甲でネムと呼ばれた少女――モモンガの頬を触れると、そのまま首の後ろに腕を回す。
そして、ゆっくりと引き戻した。
モモンガの顔が少女の成長途上ではあるが十分に膨らんだ胸に埋まる。
「あったかーい。」
「え、いや、あの。」
「寝るの、わかった?」
「あ、はい……」
漸く肯定の言葉を聞けて満足げに頬を緩ませると、お休みなさいと目を閉じて毛布を肩まで引き上げる。
モモンガは、ほんのりと汗と埃が混ざった匂い――決して嫌な匂いではない――と、それに加えて微かに感じる柑橘系の甘い香りに頭が呆ける。
顔に血が上り紅潮しているのがわかる。
少女の腕から逃れるように体を移動し、天井を見上げて目を閉じる。
その柔らかい膨らみに顔を埋めるなど、滅多に、いや、この機を逃したら二度と味わうことが出来ないかもしれないのだが、プライベートでは殆ど女性と話したことの無い鈴木悟には刺激が強すぎたのだ。
脈打つ鼓動でとても眠れそうに無かったが、興奮でまともに思考が働かない。
もう寝よう。
明日、考えればいい。
しかし、その思いは朝日が昇るまで繰り返されることになる。
隣で寝息が聞こえる度に、んっと声を上げて身じろぐ度に沈みそうになる意識が覚醒してしまい、結局、一睡も出来なかった。
翌朝、少女が目を覚ませたら、今夜からは別々に寝ることを提案しようと心に誓うモモンガであった。
◆
女は、ただ、終わるのを待っていた。
年齢は二十代前半だろうか、若く、美しい顔をした女性は、地面に転がされたままの姿勢で、ただ、じっと壁の方を見ていた。
顔を殴られ折れた鼻から流れた血が顔の下半分を赤く染め上げているが、それでも彼女は美しかった。
外は夜だというのに騒がしい。人が走り回る音、何かが壊れる音、そして人の悲鳴。
部屋の隅、彼女の視線の先には父と母が折り重なるように倒れている。二人とも既に息はしていない。
両親が覆い重なるその下から、二つの眼が真っ直ぐ女性を見ていた。
彼女には年の離れた妹がいた。
街灯の無い村では太陽と共に行動するのが基本である。日の出と共に働きに出、日の出と共に就床する。
何時もなら太陽が沈む前にささやかな祈りを捧げ質素な夕食を済ませる。そして暗くなる頃には、村は静かな静寂に包まれる。
だが、今夜は違った。数十名の騎士が村を襲ったのである。
村人の誰もが寝静まった頃に襲われたのだ。まともに逃げることが出来た者は殆どいない。
突然、家に上がり込んで来た騎士は、起き上がろうとした父を剣で刺し、悲鳴を上げた母を斬り付けた。
父と母は、共に寝ていた妹に覆いかぶさる様に倒れ、騎士に発見されること無く妹は姿を隠すことが出来た。
騎士は、騒ぎに目を覚ました女を見ると、下卑た笑い声を上げ、手に持つロングソードをチラつかせる。
剣の刃先からは先程吸ったばかりの血が滴り落ちた。
女性が悲鳴を上げると、徐に一発殴り、服を力任せに引き裂いた。悲鳴を上げると、さらに殴り、黙らせた。
カチャカチャと金属がぶつかる音に続き、重たい金属が地面に落ちる音がする。
騎士は、
女に顔を近づけてはぁはぁと息をする。女は顔を顰めて横を向く。男の動きに合わせて、女は胸を上下させる。その顔は、じっと壁の方を、両親の下に隠れて息を潜ませている妹を見ていた。
首を横に振る。出てきてはだめ。隠れていなさいと告げる様に。
「べリュース隊長」
家の外から声が聞こえた。
「あぁ?どうした」
女に覆い被さったまま、男は上ずった声を上げた。
声がした方に歩み寄り、外から中の様子を伺った騎士は、呆れたような深いため息をする。
「村人はほぼ集め終わりました。」
「あぁ、分かった。俺が行くまでに人数を減らしておけ。」
行為に及びながら答える。その後姿にもう一度ため息をする。
「畏まりました。」
踵を返し、足早にその場を後にする。
広場に向かいながら騎士は、先程の光景を思い憮然とした表情をする。
無理も無い。任務の最中だというのに欲望に身を任せ、村の娘を襲うような下種が隊長なのだから。
そのくせ大した実力も無い。ベリュースは資産家の息子で、金とコネだけで隊長になった男である。
今回の任務に参加したのも、己の経歴に箔を付けることが目的だ。
「クソッ」
ロンデス・ディ・ブランプは歯噛みする。
今回の任務は、ある男を罠にかける為の撒き餌の役目を果たすことである。
村々を襲うことで騒ぎを起し、王都からその男を引きずり出す。王都側にいる協力者の手引きで、それは間違いなく行われるだろう。
後は、村人の中から数名を逃がし、足枷とすることで相手の戦力をそぎ落とす狙いもある。確実な勝利を得る為に。
その為に、この非道な作戦は遂行しなければならない。彼らの死は尊いものあり、止むを得ない犠牲なのだと考えていた。
それがベリュースには分からない。大人の中に子供が混ざっているようなものだ。苛立ちもする。
村の中央に近づくにつれ、同僚の騎士達の姿もチラホラと見え始める。
騎士達は、隠れているものがいないか家捜しをしたり、火を放った際に良く燃えるよう家周りや下水溝に錬金術油を流し込んでいた。
ロンデスに気付いた騎士が、作業の手を止めて近づいて来た。
「よう、どうした、ロンデス。」
「ああ、エリオンか。」
ロンデスは苦虫を噛み潰したような顔をして、ベリュースがいた方向を親指で指し示す。
「馬鹿がまたお楽しみ中なんでね。変わりに俺が仕事をすることになった。」
毎度のことだと、両手を広げて首を振る。
エリオンはニヤニヤしながらロンデスの肩を叩く。
「そいつはご苦労さま。アレでも一応隊長だしな。俺が様子を見てくるよ。」
「ああ、頼む。」
手をヒラヒラ振りながらロンデスが来た道へと分かれた。
エリオンは真っ直ぐ路地を進んでゆく。
殆どの村民は殺すか村の中央に集めているのだ。この辺りは既に人の気配を感じない。
不意に、エリオンが向かう先の家のドアが開いた。
警戒して剣を構えると、なるべく音を立てないよう扉の影にいる人物が見える位置まで静かに移動する。
家から出てきた人物がベリュースであることを確認すると、ほっと息をついて剣を下げる。
「もうよろしいので?」
「ああ、終わった。」
ベリュースは、ロングソードを小脇に持つと、腰周りのプレート/金属鎧をガチャガチャと音を立てながら装着していた。
片側が垂れ下がり、持ち上げれば反対側が下がる。その繰り返しに四苦八苦している。
「ああ、くそっ」
剣をエリオンに投げて渡すが、届かずに地面に落ちて金属音を響かせる。エリオンは開いた手でそれを拾う。
両手が開いたベリュースは腰の留め金を不器用な手つきではめていく。装備が終わると、ドアを足で閉めて晴れやかな笑顔でエリオンから剣を受け取った。
「この家にも火を放て。痕跡を残すな。」
「はっ」
錬金術油の入った瓶を取り出そうと腰に吊るした袋に手を伸ばす。
「ああ、いらん。錬金術油なら俺が撒いといてやったぞ。」
「左様ですか。」
ならばと、火種の入った金属の小箱を取り出す。箱から取り出したのは長さ5センチ程の楕円形の鉱石である。発火石と呼ばれるそれは、少し削って水を垂らすと、すぐに発熱して燃え上がる。多少値が張るのだが生憎と今はこれしかない。
本来であれば松明に火をつけた後、各家々に付け火をしていくのだが、それは、他の者が担当する仕事である。
エリオンはドア付近に腰を下ろして発火石を軽く削ると、火種に枯葉や乾燥した枝を集めてその上に水筒の水をかける。
たちどころに火が発生して、木造の住家へと燃え広がった。炎はぐるりと周囲を取り囲むように広がり黒煙を吐き出した。
不意に、爆発的に炎が吹き上がる。室内に撒かれた錬金術油に引火したのだ。
内側から膨れ上がった炎は瞬く間に家を飲み込み、高熱でガラスが割れる音があちらこちらで聞こえる。
炎と共に、家の中から女性の絶叫が聞こえた。
「……止めを刺さなかったので?」
「ああ、そういえば忘れていたなぁ。だか、結局は同じことだろう?」
おちゃらけて話すベリュースに、エリオンは心底呆れた顔をする。吹き上がる炎の熱が
「おうあっちっち。こんな所にいられるか。おい、行くぞ!」
意気揚々と歩き出すその後を、深いため息を吐いたエリオンが続いた。
次回『カルネ村の魔法詠唱者』
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