――モルダーは、深い闇の底にいた。
知覚した訳ではなく上も下も分からない浮遊感。その場所に名前があるのならばそれは底なのだろう。
突如、闇が生まれた。
闇の中で発生した更に暗い闇は、モルダーを飲み込み、体内に潜り込んでくる。
皮膚が、骨が、モルダーであった全てが闇に蝕まれていく。同時に、激しい怒りと憎しみが沸き起こる。
憎い。憎い。憎い。殺せ。殺せ。殺せ。
あの騎士が――死の直前に見た光景が闇の中に浮かぶ。
背を向け誰かを追う騎士達。そして、逃げる少女。
ミトちゃん!
助けなければ!ミトちゃんを!少女を!
モルダーは闇を掻き分け、喰らい、藻掻いた。
何かに縋り付く様に。僅かでもこの思いが消えないように。
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――――
深い眠りから目覚める様に、ゆっくりと意識が覚醒していく。
己が
目の前には自分の創造主がいる。
可憐で美しく、尊い、偉大なる御方だ。
我が主人は勅命をくだされた。
「カルネ村を襲っている騎士を倒せ」
それこそが己が望んだことだったからだ。
主人は許可を下されたのだ。愚かな騎士共に死を与える許可を。
『偉大なる主よ。仰せのままに』
跪くと胸に手を当て、頭を下げる。
そして、主人の命令を実行する為に、踵を返し駆け出した。
憎むべき生者が放つ生命の波動を感知したのか、その先に倒すべき騎士が向かった事を知っているかのように入り組んだ路地を迷いなく走る。
――その悲鳴は直ぐに聞こえた。
一人の騎士が、少女の頭を掴んで放り投げる姿が見えた。
憎むべき生者に対する怒りからか、屠るべき敵を見つけた歓喜からか、
そして、騎士に向けて全速力で駆け出した。
騎士は、幼い少女に向けてロングソードの先端を向けて、今にもその小さな灯火を消そうとしている。
ああ、なんと愚かな騎士なのだ。少女の価値も知らずに剣を向けるとは、僅かばかりの生すら許すことが出来ない。
一秒でも一瞬でも早くあの騎士を殺そう。
もう一方の騎士に頭を向けると、騎士は、ひぃと声を上げて後ずさる。
この男も盾で殴り飛ばそうか、それとも剣で真っ二つに引き裂こうか。頭を握り潰して悲鳴を上げさせるのも悪くない。
そう思い観察すると、指の隙間からはらりと落ちる金髪を見つけた。
次の瞬間、踏み込んだ勢いのまま顔面を蹴り上げていた。
騎士の
壁はレンガを積み上げて作ったもので決して脆くは無かったのだが、その衝撃に耐え切れず巨大な穴を開ける。
騎士は、開いた穴の縁に膝を引っ掛けるような形で左足だけを家外に残し、その姿を家内に消した。
視線を下に向ける。
少女は、先ほどまで死の危険に晒されていた為か、体を大きく震わせて手足をバタつかせている。
その行動は、
だか、すでに無い筈の魂に刻まれた残滓のような思いが、そうすべきだと語りかける。
少女の白い服に付いた砂埃を撫でるように落とし、そして、頭を撫でる。
少女は驚いたように目を見開いた。
「モ、ゥダー、さん?」
少女の呼んだ名が自身の中で反響し、埋れていた記憶が呼び起こされる。
或いは、その少女の声が彼の魂を揺り動かし、既に失われた筈の記憶を引き上げたのかも知れない。
――それは、生前の記憶であった。
そう、俺はモルダー、この村で生まれ育った者。社会的模範となるよう日々己が心身を練磨してきた男だ。
そして、少女はクラムビル夫妻の一人娘で、我が村の宝であるミトちゃんだ。
モルダーは、ミトから視線を上げると前を見据える。
まだ倒すべき敵がいる。それにこの場所は安全ではない。
再びミトに視線を戻す。ミトの震えは止まっていた。
モルダーはミトを持ち上げると己の右肩に乗せた。
角を手でしっかりと握るように左手で指差す。
ミトは頷くと、両手で抱きつくように兜から生えた角にしがみ付く。
モルダーは、親指を上にして立てるように拳を握りグォォと声を上げる。
その地を這うような声は、知らぬ者が聞けば震え上がるような怨嗟の声であったが、ミトに恐怖を感じるような素振りは無い。
「うん、平気」
ミトにモルダーが何を言っているのか理解出来たわけではない。
ただ、仕草や雰囲気でこう言っているんだろうと推測をすることは出来た。
それは、長い時間をかけて培った信頼関係によるものだろう。
モルダーは一つ頷くと、角に掴まっていたミトが落ちそうになり慌てて落ちないよう支えてもう一度、肩に乗せる。
モルダーは頭を動かさないよう注意して走り出し、中央広場に向かった。
中央広場に近づくほど騎士との遭遇率は高くなる。
右肩にミトを乗せているためフランベルジュは使えない。
モルダーはタワーシールドのみで対応していく。
移動を開始して三人。
広場が見える路地に辿り着くまでの疾走途中で薙ぎ倒し、吹き飛ばした騎士の数である。
そして八人。
騎士達によって無残に殺された村人の数だ。
村人が倒れた姿を見る度に上げる悲鳴、そして、伝わる震えが、モルダーに激しい憤怒を抱かせる。
広場には多くの村人が集められていた。
中央の櫓の下には多くの子供達が潜り込み、村の大人達が隠すように取り囲む。
モルダーは、中央広場へと走る。
およそ10メートル先の横手の路地から広間へ逃げ込もうとした村人が飛び出してきた。
その後を追い、斬り捨てようと騎士が続けて姿を現す。騎士は剣を振り上げた。
だが、振り下ろすよりも速く、モルダーが盾を使い騎士を吹き飛ばす。騎士は不自然に上空高く舞い上がり、そして、地面に叩きつけられた。
広間に集まった騎士達は、その信じられない光景に動きを止めて呆然する。
突如、見たことも無い恐ろしい姿をした騎士のアンデッドが現れ、仲間の騎士を事も無げに吹き飛ばしたのだ。
数メートルの高さまで打ち上げられた騎士は、重力に従い地面に激突し、自らの重量に押し潰されてピクリとも動かなくなる。
その首は、有り得ない方向を向いていた。
助けられた村人は、
モルダーがその後を追っていることを知ると、声にならない悲鳴を上げ足を縺れさせながら彼の前をひた走る。
中央広場に集まっていた村人達は、ばかやろうこっちに来るんじゃない、とでも言いたげな視線を逃げる村人に向け、蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。その様子にモルダーは口を半開きにして立ち止まった。
「みんなー」
モルダーの肩に座って左腕で角を掴んだミトが、右手を振りながら叫んだ。
明るい、可愛らしい声だ。
ミトの声に振り返った人達は、邪悪な騎士と可憐な少女の組み合わせに初めて気づいたようで、その光景のあまりの異様さに理解できないでいる。
モルダーはミトを持ち上げ肩から下ろすと、皆の所に行くよう促す。
ミトは走りながら振り返り手を振る。
「助けてくれてありがとう!」
群衆の中から飛び出す女性がいた。ミトの母親――ムべさんだ。
クラムビル夫妻は騒ぎが起きてからずっと娘のミトを探していたのだが、見つける事が出来ず、他の大人達と共に中央広間へと逃げ込んでいることを期待して、母親だけ先に来ていたのだ。
父親は今だ探し回っているのだろう、この場所には姿が見えなかった。
ミトは母親を見つけると安心したのだろう、抱き付いて泣き出した。
二人の姿を見てモルダーは振り返る。
警戒し、剣を構える騎士の姿がそこにはある。その数を確認するように頭を動かし――。
「グォオオオオオオオオオォ!」
大気が震える地響きのような咆哮をする。
「ヒャアア!」
一人の騎士が、恐怖に駆られて背中を見せて走り出した。
モルダーは一瞬で間を詰め、一撃で切り伏せる。
金属の鎧が、まるで、紙のように中身ごと両断された。
「ウオオッ!」
左手側にいた騎士が背後に回り剣を振り上げ、しかし、その剣が振り下ろされることは無かった。
モルダーが後ろを振り返りながら盾で吹き飛ばしたのだ。
騎士は何度も地面を転がった。呻いているところを見ると死んだ訳ではないらしい。
「ウワァァイヤダァァ!」
さらに一人の騎士が逃げ出し、背後から一刀のもと切り伏せる。
頭から体の中心を一刀両断された騎士は、内臓を撒き散らしながら左右に分かれた。
それ以降、騎士達は、
金属の鎧がカチカチと音を立て、両手で構えるロングソードを小刻みに揺らして腰が引けたように立っている。
「遊んでるのか……」
騎士の一人が呟く。
モルダーは、一瞬、何を言っているのだろうと男に視線を向け、男の言った言葉を理解した。
これまで相対した経緯で、近くにいた、或いは襲い掛かってきた相手に対しては盾で対応し、逃げた相手にのみ剣を使い切り伏せてきた。
これは、偶々そうなっただけなのだが、この男はそれを遊びと勘違いしたのだろう。
「グッグッ」
愉悦の声を篭った声を上げる。ならば、その遊びに付き合ってやろう。
その邪悪な笑い声を聞き、騎士達は殺戮を楽しむ死の騎士からは逃げられない事を悟る。
円陣を組み、多方から同時に切り掛かる。
一人を盾で吹き飛ばし、その隙に別の騎士がモルダーを斬りつける。
しかし、その全てが硬い鎧に阻まれて弾き返された。
吹き飛ばされた騎士が苦痛に呻きながらこの場から離れようとすれば剣を使い攻撃する。
次第に、啜り泣き、嗚咽の混じった声が騎士達から漏れ始める。
「いやだ、いやだ、いやだ」
「神様、お助けください」
「ごめんなさい。謝ります。許してください」
攻撃は無駄である。逃げれば殺される。
ガチガチと体を震わせ動くことが出来ない騎士達に檄が飛ぶ。
「落ち着けみんな!」
隊長らしき男の声には震えは無く、力強さを感じる。
一瞬の静寂。彼の次の言葉を待つように悲鳴は止んだ。
「聞け、みんな!もはや我々に勝利は無い。だか、こんな死に方も御免だ」
全員が頷く。
「撤退だ!合図を出せ!笛を吹くまでの間死守するんだ!!」
彼らは一斉に動き出した。
撤退の為の合図をする笛を持つ者を守るように布陣を取る。
仲間を呼んだからといってどうなるというのか。ただ、死体の数が増えるだけである。
それでも、彼らは動くしかなかった。僅かでも生存の可能性が上がることを信じて。
モルダーは、遊びは終わりだとばかりに動き出す。
最も手近にいた騎士二人を立て続けに斬り捨て、角笛を持った騎士に向かって駆け出す。
しかし、残りの騎士達は彼を守るように立ち塞がる。
好都合である。もとより逃がす気など無いのだから、相手の方から近づいて来るのだから追う手間が省けるというものだ。
走りながら剣で斬りつけ、盾を使い振い薙ぎ払う。
胴を真っ二つにされ零れる内蔵を押さえながら地面を転がる者。頭を半分切り飛ばし脳漿を撒き散らす者。彼らはいとも容易く死んでいく。
そして、角笛を持つ騎士を護るべく、最後に立ちはだかった騎士は上段に剣を構え振り下ろす――。
それよりも早く、モルダーは彼の首を刎ねた。
噴出す血の勢いに吹き飛ばされた頭部は空中で二転三転しながら地面に落ちる。
それとほぼ同時に戦場に角笛の音が鳴り響いた。
角笛の音の残響が消えると、物音一つなく静まり返っていく。
誰も、動く者はいなかった。
二十人以上いた騎士達の中で、ただ一人、角笛を持つ騎士だけが取り残されたように立っていた。
だが、その静寂も、唐突に破られる。
「ウボォォォォォ」
地の底から響くような恨みの声が響く。
それは、死の騎士から発せられたものではなかった。
周囲の斬り捨てられた騎士が、ギクシャクした動きで立ち上がる。
その顔には生気は無く、受けた傷は致命傷であるものばかりだ。
――
ユグドラシルでは、そういう設定であった。
ソンビは、唯一の生存者である騎士を取り囲む。
騎士は恐怖を思い出したように小刻みに体を振るわせ始めた。
「うぅ、いやだ。く、くるな!」
無造作に振るった剣は、ソンビが纏った
モルダーによって簡単に切り飛ばされていたが、本来は身を護る為に覆われた金属板は簡単には攻撃を通さない。
もはや、騎士とゾンビの間に剣を振るえる距離は無くガンガンと鎧を叩くが、まるで気にする素振りも無く腕を掴み、足にしがみ付き転ばせると、倒れた体に群がった。
「ぎゃあああああ、いやだああああ、おねが、たじゅげで、やだ、やだ、うああああ!!」
鎧の隙間から噛み付き肉を食い千切る。鎧を剥ぎ、露になった肌に爪を立て食い込ませ、歯を立てる。
群がる複数体のスクワイア・ゾンビによって、それは、騎士が死ぬまで続いた。
デス・ナイトさんの活躍は書いていて楽しいですね。
次回『戦いの傷跡』