オーバーロードと魔法少女   作:あすぱるてーむ

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「黄昏の戦い」中編の続きです。
これでニグンさんとの戦いは終了となります。

※この話にはオリジナルの召喚が複数登場します。


黄昏の戦い 後編

 ガゼフは左半身を前に向け、剣を右脇に構えると剣先を後ろに下げた。刀身の長さを相手に視認させない狙いだ。

 ニグンに一撃を与えるには数歩足りないが、剣術に長けない相手にとって、剣が届く間合いに入っているかもしれないという重圧は計り知れない。迫り来る獰猛な獣の威圧に、ニグンは背筋を冷たい汗で濡らす。

 

「させるかぁ! 監視の権天使(プリンシパリティ・オブザベイション)よ、迎え撃て!」

 

 監視の権天使(プリンシパリティ・オブザベイション)は、純白の全身鎧を身に纏い、右手に鎚矛(メイス)を、左手に円形の盾(ラウンドシールド)を持つ防御に秀でた天使である。

 ニグンの後方に待機して今まで微動だにしなかった監視の権天使(プリンシパリティ・オブザベイション)は、双翼を躍動させて前進すると両者の間に割ってはいる。先程までガゼフの眼前に捉えていた男が、天使の影に隠れて視界から姿を隠す。

 天使が間合いに入った瞬間、ガゼフが放つ横薙ぎの凄まじい一撃が天使の首を狙う。

 正面から対峙した者には知覚すら困難であろう高速の一撃は、何時の間にか剣の軌道に置かれた盾によって弾かれた。

 

「ふん、なるほどな」

 

 剣を正眼に構えると極限まで精神力を高めて使用する武技を選択する。放たれた武技は<六光連斬>。無軌道な六つの斬撃が同時に繰り出される。

 天使の盾が激しい金属音をたてて斬撃の一つを弾くが、それだけである。残りの斬撃を全て全身鎧で受け止める。

 鎧に亀裂が走り、光の粒子が迸るが消滅には至らない。防御寄りに優れた天使とはいえ、ガゼフの<六光連斬>を耐え凌いだ監視の権天使(プリンシパリティ・オブザベイション)が凄いのだ。

 

「まだだ! うおおおおおおっ!!」

 

 ガゼフは同時に二つの武技を使用する。<即応反射>により酷使した肉体を強制的に動かすと、<六光連斬>を再び繰り出す。

 筋肉量の限界を超えた肉体の酷使に、断絶するかのような痛みが全身を走る。食い縛った歯の隙間らが怒号を上げて放つ斬撃は、致命的なダメージを監視の権天使(プリンシパリティ・オブザベイション)の体に刻み込む。これには流石に耐え切れず消滅した。

 

「強い……これ程とは! お前達何をしている、俺を守れ!」

 

 ニグンは視線をガゼフに向けて瞬きすらせず一挙一動をつぶさに観察し攻撃に備える。その中で、どうしても意識せずにはいられない存在の、ゆっくりと腰を上げて立ち上がりお尻に付いた砂を叩いている姿が視界の端に入る。

 ニグンは激しく動揺する。

 

 数日をかけて周到に罠を仕掛け、獣を閉じ込める檻の構築に成功した。後は、獣を狩るだけだった筈だ。

 獲物の倍を要する戦力で完全に包囲し、油断なく、完全なる勝利で最後の瞬間を迎えるだけであった。

 だが、優勢なのはどちらか? 追い詰められているのは明らかにスレイン法国の特殊工作部隊――陽光聖典である。

 たった一人の少女が全てを覆したのだ。

 その少女が立ち上がろうとしている。そんな事がどうしようもなく恐ろしかった。

 恐怖が、ニグンに切り札を使うことを決意させる。

 

「何をしている。お前ら、時間を稼ぐんだ!」

 

 ニグンの怒声に、事態に頭がついてゆけず放心していた部下達はようやく我を取り戻す。

 ガゼフは大技の連続使用による肉体の負担を精神力で捻じ伏せ、鋭い眼光で睨みつけニグンの喉元に剣を突立てるべく一歩を踏み出す。そこへ、多方面から不可視の殴打がガゼフを襲った。神官達が攻撃魔法である<力場(フォース)>を次々と唱える。

 威力が低いとはいえ絶え間なく打ち込まれては対処のしようがない。これには堪らず後退して距離を開ける。

 その隙にニグンが懐から取り出したそれは、神秘的な輝きを内包する水晶の結晶であった。

 

「あの輝きは、魔封じの水晶か……ユグドラシルのアイテムも有る訳だな。ユグドラシルでは超位魔法以外を封じられるアイテムだったが……この世界でも同じなのか?」

 

 ニグンは勝ち誇った顔をする。魔封じの水晶に封じられている魔法(・・)を知っているからだ。

 それは、200年前に起こった魔神との戦争で、単騎でありながら魔神の一体を滅ぼしたとされる最高位天使を召喚する魔法である。

 

「誇れ、私に切り札を切らせたのだからな! これより最高位天使を召喚する!」

「え、最高位……? まずい! 戻れストロノーフ様!」

 

 ネムは警戒心を最大限まで高める。最高位天使ならば、召喚させるのは当然熾天使(セラフ)だろう。何の装備も対策もしていない現状であっても負けるような相手ではないとは思うが、ガゼフ達を守って勝利することは難しい相手だ。

 まずは自身の生存率を上げる為に必要な防御系魔法を選択する。時間が無いのだ。発動する魔法を二つか三つに絞り込む。

 

「<魔法からの守り・神聖(マジックウォード・ホーリー)>」

「もう遅い。見るが良い。そして恐怖に慄け! いでよ、最高位天使! 威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)!!」

「<上位全能力(グレーターフル)――」

 

 ニグンの手の中で魔封じの水晶が砕けて光が溢れ出す。

 音も無く、空中に夕闇を照らす光の爆発が起きた。

 光は収束し、再び爆発的な広がりを見せる。それは、光の翼の集合体であった。

 幾重にも重なった光の翼が体全体を包み込む姿は、さながら光る翼の法衣のようでる。背中から三対の翼を広げ、その手に光り輝く笏を持つが、足と頭が無い異様な姿をしていた。しかし、それが神聖な存在であることは疑いようも無かった。

 

 絶対者の光臨に陽光聖典からは喝采が起こった。「ああ神よ。感謝します」「ばかめ、俺達に盾突くからだ」と勝利を確信した声が上がる。

 ネムは、顔を真っ赤にして俯いていた。

 ガゼフが心配して駆け寄ろうとするほど、その姿は小さく見える。

 

(は、恥ずかしい……私、あんなの(・・・・)に超焦って防御魔法まで使っちゃったよ……)

 

 うわー、うわー、と声を出して走り回りたい衝動を必死に抑える。

 

 ニグンは愉悦に浸る。ガゼフが心配して駆け寄るほどだ。よほど少女の魔法詠唱者(マジック・キャスター)としての実力を頼りにしていたのだろう。それが今、肩を震わせて俯いているではないか。恐怖に絶望したのだろう、無理も無いことだ。

 

「こ、こんなことで……」

「怯えるのもしょうがない。だが、誇るがよい。最高位天使を召喚させたお前達は最高の敵であった。敬意すら感じるよ」

「確かに……肌がヒリヒリする感覚……これほどの存在を隠し持っていたとはな。すまないネム殿、これまでの尽力感謝する。君は逃げて――」

「この程度の相手に焦らされるなんて絶対に許せない!」

 

 ネムが顔を上げて露にした感情、それは恐怖でも絶望でもなく怒りであった。決して、伝説に伝え聞く最高位天使を前にして許される態度ではない。

 なるほど、とニグンが思う。どうやら、先程まで我々が召喚していた天使の延長上の存在とても勘違いしているのだろう。無知とは恐ろしいものだ。目の前の最高位天使が絶対に相手にしてはならない存在であることも分からず大口を叩くのだから。

 

「哀れだな。中途半端に力を持つから、遥かに強大な、そう、神話に謳われる伝説の存在と戦う羽目になるのだからな」

「そう思うのは勝手だがな。お前にも私と同じ気持ちを味わってもらうぞ。<第9位階死者召喚(サモン・アンデッド・9th)>」

 

 コポリと音を立て、地面に濃い紫色をしたコールタールのような液体が染み出す。そのドロリとした粘着質の液状は地面に広がり、中から女性の腕がすっと這い出し地面を引っ掻く。その爪は指より長く、15センチほどある。腕に続いて背中、腰と浮かび上がり、やがてゆっくりと起き上がり姿を現した。肌の色は灰に近い土気色をしている。タール状の液体は体にへばり付くと繊維状に変質しデイ・ドレスへと形作られる。黒に近い紫で細部に細かい刺繍が施され、傘のように大きく膨らみ足元まですっぽりと覆ったフープスカートを着用している。首下までドレスに覆われいるが、肩口から胸元にかけて繊細な刺繍があしらわれ、魅力的な膨らみを隠すどころかより強調していた。そして、その頭部は下唇より上の皮膚と筋肉が無く、髑髏を晒していた。髑髏全体にはタール状の赤黒い血液がこびり付いている。

 

――腐乱した貴婦人(コープス・レディ)

 

 ユグドラシルの有料サービスに課金ガチャというものがある。

 課金ガチャとはランダムで様々なアイテムが手に入る提供方式のことで、低確率で他では手に入らない強力なアイテムを手にすることができる。そのアイテムは消費型アイテムや、装飾品、珍しいアバターから、強力なデータクリスタルや配置型モンスター、召喚モンスターなど様々である。

 腐乱した貴婦人(コープス・レディ)は当たりアイテムの一つで、上位のアンデッド召喚系特殊技術(スキル)や魔法を保持するプレイヤーが使えば、召喚できるアンデッドリストに追加することが出来た。もちろん召喚に空きのスロットルがない場合は追加できないが、召喚スロットルは課金によって追加できる。こうして手に入れた追加召喚は、スロットルより解放(リリース)するまで何度でも召喚することが可能である。

 

 今回召喚した腐乱した貴婦人(コープス・レディ)は63レベルと召喚可能な階位に比べて低い方ではあるが、保有するある(・・)他とは異なる特殊技術(スキル)が一部のマニアに受けたため、そこそこ人気の高い召喚アンデッドであった。

 

「なん……だ、あの化け物は……」

 

 全身から禍々しいオーラを放ち、その周囲の闇をより濃くする姿は、自ら輝かしい光を放出する威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)とは対極の存在のようである。

 全身に鳥肌が立ち血の気が引く。突如、標高が高い場所に連れて来られたかのような肌寒さを感じ、息苦しくすらある。

 それは死の予感。未知なる存在への怯え。ニグンほどの強者だからこそ知覚でき、そして恐怖する。しかし、ニグンは頭を振り、生存本能が駆り立てる警告を無視する。認めてしまっては自我を保つことができなくなる。

 

「いや、そんな筈はない。魔神すら滅ぼす最高位天使を前に何を恐れる必要がある。その程度のアンデッドなど一瞬で消滅だ」

 

 それは、大きなミスであった。そのような戯言を言う暇があれば威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)に攻撃させるべきだったのだ。

 結果、腐乱した貴婦人(コープス・レディ)に先制を許してしまった。

 ネムは耳を両手で塞ぐと、警戒心を最大限に働かせてアンデッドを凝視するガゼフに警告する。

 

「ストロノーフ様。耳を塞いだほうがいいですよ」

 

 直後、腐乱した貴婦人(コープス・レディ)が絶叫を上げた。まるでガラスを鋭い爪で引っ掻いたような高音は、魂を掻き毟り、深い恐怖と絶望を刻み込んだ。陽光聖典の神官達や王国の戦士達、その場にいる――ネムを除く――全員の下半身の力がすっと抜けて膝から崩れ落ち座り込んだ。恐怖で瞳が左右に激しく揺れ動き、頭を掻き毟る者もいる。

 威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)はダメージを受けたように激しく後ろへ仰け反り(ノックバック)をし、空中で立て直し静止した。

 

「あの天使を倒せ」

 

 ネムの命令に従い、腐乱した貴婦人(コープス・レディ)威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)に襲い掛かる。

 反対に、主人の命令を受けなかった威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)は防衛行動で反撃をするが、大恐慌の影響下にあるため、大した事はできず笏を持つ手をバタつかせて終わる。

爪で引き裂かれ、翼を剥がされ、噛み付き引き裂かれて地面に叩きつける。まるで鶏を絞め殺すように翼を剥がされた威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)は、限界を超えたダメージを受けて光の粒となって消失した。

 

「以外と呆気ないものだな」

 

 戦いの喧騒が止み静寂に包まれる中、その声は響いた。

 夜空は、夜の帳が下りてすっかり暗くなる。光輝く存在の消失により夜空に瞬く星の輝きがより一層際立つ。

 音もなく、夜空に陶器が割れたような罅が入った。罅は一瞬で消えて元の夜空に戻る。

 

「私の感知阻害魔法が発動したようだ。探知系魔法でお前達を覗こうとした者がいたようだぞ」

「私を……監視?」

 

 私がいてよかったな。と、可愛い笑顔で微笑むネムの言葉を聴き、ニグンは本国に監視されていたことを知る。

 時間的に、それが定期的な監視であると考えるのは不自然だ。恐らくは魔封じの水晶を使用したことを、何らかの方法で本国が知るに至り、監視を行ったのだろうと推察する。

 しかし、今となってはその様な事は些細な出来事だ。小悪魔の微笑を浮かべながら楽しげに歩み寄る少女の姿に恐怖と絶望の眼差しを向けながら、如何すれば自分は助かるのかとひたすら考える。

 ネムは背後に音も立てず静かに歩み寄る腐乱した貴婦人(コープス・レディ)を従えてニグンの眼前まで歩み寄る。微笑む笑顔に縋るように膝を屈して地面にへたり込むニグンは、ネムを見上げる。

 

「たっ助けてください。望む額を用意します。私だけで結構です。どうか、命だけは――」

 

 ネムは顎に指を当て、ついで腕を組むと考え込むように小首を傾げる。

 

「実を言うとね。一人だけは殺さないでおこうと思ってたんだ」

 

 ネムがこの戦いに参加した理由は主に二つある。

 

 一つは、王国戦士長の戦いぶりを見学すること。これには武技というこの世界特有の能力を観察することも含まれる。

 そしてもう一つは、スレイン法国にコネクションを作ることである。取り入るつもりはなかったが、利用できそうな法国側の人間と繋がりが欲しかったのだ。

 

 ネムの言葉に助かる可能性があると知り、その顔に希望の光が宿る。

 

「で、ではでは、では私を!」

「無理だな。お前は私を殺すと公言したな。家族も、村人も皆殺しにすると。実に不快だったよ」

「……そんな」

 

 再び絶望が押し寄せ涙が滲む。他に助かる手段はないかと視線を彷徨わせる。しかし、視界に移るのは恐怖に泣き崩れる部下達と、同じく地面に膝を付き、それを静かに見ている王国の男達の姿だ。その顔には敵対していた者に向ける憎悪も憐憫もない。ただ、恐怖が張り付いていた。あのガゼフですら恐怖に耐えようと歯を食い縛っている。

 

「では、さようならだ。――喰え」

 

 ニグンは自分の耳を疑う。今、なんと言った? 喰えと言わなかったか?

 直にそれが聞き間違いではないことを知る。腐乱した貴婦人(コープス・レディ)が前に進み出ると、ニグンを両腕で掴んで持ち上げたのだ。そして、大きく口を開く。

 

「ひぃいい! 私はこう見えても法国では結構な身分でして必ずらや貴方様のご期待に添えて見せましゅのべぇぎゃふじこ――」

 

 頭からニグンを飲み込み、バキバキと骨が砕かれる不快な音がする。頭が砕かれたというのに手足をバタつかせて抵抗するそれは、ニグンがまだ生きていることを示していた。最後にごくんと喉を鳴らして飲み込むと、腐乱した貴婦人(コープス・レディ)は静止して静かに月を眺めていた。

 

 やがて、全身を細かく震わせながら喉を鳴らし低い唸り声を上げる。

 ドーム状に膨らんだのフープスカートの中で何かが蠢いた。それは、徐々に激しさを増してスカートの縁からその正体を僅かに現した。それは、肉の袋のようであった。先端には穴が開いている。その穴はピクピクと鳴動して開閉を繰り返している。

 その穴から、ひょいと飛び出す物体があった。

 

「ばあぁ」

 

 陽気な声が聞こえる。その声は、先程までニグンと呼ばれる人間たったものと同じ声だ。

 それは、黄緑色をしたニグンの頭である。首から下は袋に閉ざされて見えないが、飛び出した頭は生き生きと瞳を輝かせ、満面の笑みを浮かべていた。

 

「うーまーれーるー」

 

 口を大きく動かし、歌うように言う。

 腐乱した貴婦人(コープス・レディ)の全身の鳴動に合わせて徐々に生まれ出いでて目に見える範囲が増えてゆき、やがて全貌が明らかとなる。

 

 全身は、芋虫のそれであった。

 

 ただ、違うのは子供のような手が対で6本、合計12本生えているのだ。その腕には関節がなく、腕の付け根から手首にかけて曲線を描いてる。

 肉の袋から完全に抜け出ると、体の下の方の腕を4本使って器用に立ち上がる。背中には何本もの管が突き出ており、尻尾には黒いサイの角のような棘があった。

 

 ――血飢幼生(ブラッドラスト・ラーバァ)

 

 腐乱した貴婦人(コープス・レディ)が捕食することで同時に三体まで作成可能な従属アンデッドである。

 そのレベルは32と高くはない。ユグドラシルでは攻撃対象の指示(ターゲッティング)のみ可能な二次的な召喚物であった。

 血飢幼生(ブラッドラスト・ラーバァ)の攻撃パターンは単純で、同性別の相手に対しては吸血捕食(ドレイン)を行い、異性別の相手に対しては酸の飛礫(アシッドブリッド)や尻尾の毒針による攻撃を行うのだ。そして、最大の特徴――結局、達成条件は解明されなかったが――は、完全変態して蝶になることである。屍喰蝶人(バタフライ・グール)と呼ばれるそれは、マニアに対して大変な人気を集めた。

 

 くねくねと体を動かして楽しげなニグンを見て、生き残った陽光聖典の隊員達は自分の運命を知り嗚咽しながら泣いた。

 

 ネムは眉を顰めてフラワーロックのごとく蠢くニグンを見ながら疑問に思う。ユグドラシルでは従属アンデッドとしてある程度は命令を聞いたが、目の前の血飢幼生(ブラッドラスト・ラーバァ)からは、召喚時に感じた繋がりを一切感じなかったため、命令しても良いのか疑問に思ったのだ。

 不安を感じたネムは、ただ考えても埒が明かないと、血飢幼生(ブラッドラスト・ラーバァ)に直接尋ねることにした。

 

「お前にとって私はなんだ?」

「私にとって、そちらの御方は母親(マザー)であり――」

 4本の手を使い腐乱した貴婦人(コープス・レディ)を指す。

「貴方様は私の女神(My Goddess)、カーミーです!」

 2本腕を胸に掲げ、ネムに向けて優雅にお辞儀をする。

 

 ネムは、満足げに頷いた。

 召喚による主従の繋がりがなくてよかった。

 心からそう思った。

 

 ニグンを視界の端に追いやり、お待たせして申し訳ないと陽光聖典の面々に体を向ける。

 ぽん、と手を打つと15人の隊員達の視線がネムに集中した。

 

「さて、これから一人選ぶわけですが、私とお友達になりたい人はいますか?」

 およそ半数が手を上げると「私を」「大好きです」「奴隷にして」とネムに猛烈アピールする。

 手を上げれなかった半数は、恐怖で体を動かすことができなかった人達だ。

「今、手を上げなかった連中はお前の好きにしろ」

「ありがうございます。女神よ」

 血飢幼生(ブラッドラスト・ラーバァ)は4本の腕を器用に動かし、その体からは想像できないスピードで隊員に近づき、6本の腕を使い完全に捕縛(ホールド)すると首筋をガブリと噛み付いた。血を吸う度に男の体はカラカラに干からびてゆき、皮と骨だけになると力なく地面に倒れた。

 

 ネムは順に手を上げた7人を見ていく。その中に一人、毛色の違う人間を見つけた。フードを深く被っている為、その顔までは分からないが、その体格は明らかに女性のものであった。

 ネムは、女の前に立つと、フードを剥ぎ取って顔を晒す。その顔は少し目に鋭さがあるが非常に美しく、萌葱色(もえぎ)の髪はウェーブしており無造作に後ろで一つに縛られていた。体形は非常に官能的で、出るべき所は出ており、引っ込むべき所は引っ込んでいる。そんな感じだ。

 ネムは、ガゼフに声をかける。

「なかなかの美人ですよ、ストロノーフ様。嫁にどうですか?」

 ガゼフは渋い顔をする。お見合い話を持ってくる、お節介な叔母さんに向けるような顔だ。

「残念。君は好みじゃないらしい。<人間種魅了(チャームパーソン)>」

 魅了の魔法を使い精神を支配すると、女はトロンとした瞳でネムを見つめる。先程まで感じていた恐怖が何処かに消し飛んだようだ。

 

「私は敵じゃない。分かる?」

「はい、愛しい御方」

「ネム・エモットだ。ネムと呼んでいいよ」

「はい、ネム様」

「君の名前を教えて欲しい」

「私の名前は、グラニュー・デイル・スガルです」

「ではグラニュー。この作戦の意図はなんだ。なぜ戦士長を殺す?」

「それは、が、ガゼ、フ……ガアッ」

 

 突然、グラニューは苦しみだす。胸を掻き毟り息をしようと喘ぐが息ができた様子はない。やがて、苦悶の表情を浮かべながら地面に倒れ、動かなくなった。それは、明らかに異常な死に方である。

 

「な、なんだ。死んだのか? どうなっている」

 

 この事態に最も焦ったのはネムである。

 幾つか質問をして使えそうな人物か確認するつもりであったが、余りにも不自然な死に方に不安を覚えたのだ。

 陽光聖典は特殊部隊であると聞いている。ならば、彼らが持つ情報の中には法国にとって都合の悪いものも含まれているはず。

 もし、魔法で操って情報を引き出そうとした者がいた場合、それを防ぐ手段として呪詛のようなものが存在するのなら――

 

「そんなことが? 魔法で情報を引き出した場合に相手を殺すような魔法など存在するのか?」

「お、恐れながら……」

 恐らく側近なのだろう。ニグンの隣にいた男が声を上げる。

「構わないから言え」

「はい。私達は任務を受けた際に大聖堂にて必ず洗礼を受けます。これはニグン隊長も同様です。ですが、どの様な洗礼を受けたのか記憶をしているものは、おりません」

「なるほどな。その洗礼で何かをされたとお前は言いたいのだな」

「はい。私達は知りませんでした。最高司祭に、いえ、スレイン法国に騙されていたのです。もう、あの国に未練などありません。どうか、私を貴方様のために働かせてください」

「……そういうことか。いいだろう。名前は何だ?」

 周囲からは「ずるいぞ貴様」「裏切り者」「私の方が役に立って見せます」と声が上がる。だか、そんな声には何の意味もない。助かるのはこの俺だ。そして法国には帰らず何処までも逃げてやる。二度と、法国にも王国にも関わるつもりはなかった。

「ゼイヴェルュクリュス・エルゼリ・マルフェル・ティム・アイゼンハルバルザイムです」

「……そうか、良くわかった。候補者は他にいないのか?」

「そんな!」

「はい! 私はサイラム・ディ・ロイムです。必ず役に立って見せます!」

「お前にしよう。聞いたな腐乱した貴婦人(コープス・レディ)血飢幼生(ブラッドラスト・ラーバァ)。こいつと王国軍は襲うな。他は好きにしろ。それともう子供は作るな。キモイから」

 

 残りの隊員から悲鳴が漏れる。許しを請い、慈悲を求めて懇願する。しかし願いは聞き届けられず、恐怖と暴力を体現した存在が静かに近寄る。

 ネムは、隣でゼイヴェなにがしが血飢幼生(ブラッドラスト・ラーバァ)に首筋を舐められ悲鳴を上げる姿を視界に入れないよう立ち位置を変えてロイムと向かい合った。

 

「ではロイム。君には三つ仕事を頼む」

「はい、何なりとお申し付けください」

「一つ、これから法国に戻り、ガゼフ・ストロノーフを罠に嵌めることには成功したが返り討ちに合い、全滅したと伝えろ。私の存在は絶対に出すな」

 ロイムは不安そうに顔を歪める。

「……あの、よろしいでしょうか? 説得力がありません」

 ネムは頷き理解を示す。

「多勢に無勢、切り札もある状況で戦士長一人では逆転は無理か。なら、お前達の隊長が裏切って戦士長側に付いたとしたらどうだ?」

「それならば可能です」

「ではそうしよう。二つ、陽光聖典を再編し確固たる地位に着け。無理な場合は何処でも良いから潜り込め」

「容易いことです」

「三つ、決して抵抗するな。私への忠誠心が本物なら死にはしないから安心しろ<第5位階死者召喚(サモン・アンデッド・5th)>」

「へ?それはどういう……」

 

 ロイムは言葉を詰まらせる。目の前に黒い影が浮かび上がり、影の中から一体のアンデッドが出現したのだ。

 見た目は紫色の骸骨だが腰から下の骨は無く背骨が蛇のように長く垂れ下がっていた。漆黒のローブを羽織っており、背中より孔雀に似た翼を広げている。その指は40センチと長く、先端がストローのような形状をしていた。その姿は半透明であり、背後の光景が透けて見えていた。

 

「こいつは脳吸い死霊(ブレインサック・スペクター)といって、上位物理無効、炎・冷気・電気属性耐性の雑魚なんだがな、一つだけ面白い特徴がある」

 

 ロイムはどこが雑魚なのかと疑問に思う。寧ろ無敵の存在であるようにしか聞こえなかった。

 その恐ろしい存在が姿を消した。視界の何処にもいないのだ。しかし、王国の戦士達の視線がその存在の居場所を教える。ロイムはゆっくりと後ろを振り向こうとし――

 

「止めた方がいいぞ」

 

 振り向くのを止めネムを仰ぎ見てネムの言葉を思い出す。

 ――決して抵抗するな。私への忠誠心が本物なら死にはしない――

 これは、私の忠誠心をお試しになっているのだ。そう結論付けたロイムは覚悟を決める。決して不信に思われてはいけないと真っ直ぐ前を見据えるロイムの頭部に何かが触れる。ゾワリと体が反応し、そこでロイムの意識はプツリと途絶えた。

 

 脳吸い死霊(ブレインサック・スペクター)はロイムの頭部に突き刺した10本の長い指を、まるで人形を操る傀儡子のよう動かす。ロイムは楽しげに声にならない声を上げ、指の動きに合わせて眼孔をクルクルと回転させる。

 

 ――脳吸い死霊(ブレインサック・スペクター)の持つ能力の一つに思考を抑制する効果がある特殊攻撃(モンスタースキル)がある。それはユグドラシルでは一定時間、魔法、特殊技術(スキル)、または、所持アイテムの中からの一つだけを指定して使用不可にする特殊攻撃(モンスタースキル)であった。この世界でも同様であるのか確認の意味を込めて使用する。

 

「私に造反する一切の行動を禁止する」

 

 ネムが発したコマンドを受諾したかのように瞳の焦点が合う。仕事は終わりとばかりに脳吸い死霊(ブレインサック・スペクター)は指を引き抜くとネムの背後に移動して待機した。

 ロイムの行動を縛っていた一切の恐怖が消えていた。清清しい表情を浮かべてネムに跪き臣下の礼を取ると深くお辞儀をする。

 

「このロイム、生まれ変わった気分でございます。必ずやネム様のご期待に応えてご覧に入れます」

「成らば行け。そして、行動せよ」

「はっ!」

 

 軽やかな足取りで走り去るロイムを見送りながら、本当にあれでよかったのかとネムは首を傾げる。

 何か問題が起きてからでは遅い事態になる可能性も少なからずあったのだが、現状で打てる手は打ったと自ら納得させる。

 

(まぁ、何か起きても対処できない事態にはならないだろう。やっと終わったな。戦士長にお願いしてカルネ村に戻るか)

 

 ネムは後ろを振り向き、一仕事を終えて就業時間を終えた会社員のような清清しい笑顔を王国の戦士達に視線を向けた。

 戦士達は両膝を地面に付け、恐怖と苦痛の色濃い表情をしていた。立ち上がる事すら叶わず肉体的にも精神的にも疲弊している。

 

 そこが定位置であるかのように脳吸い死霊(ブレインサック・スペクター)は浮遊しながら移動してネムの左背後に待機する。

 そこへ、一仕事を終えた腐乱した貴婦人(コープス・レディ)が音もなく近寄り、背後に控える脳吸い死霊(ブレインサック・スペクター)の左側に並ぶ。さらに左後ろには血飢幼生(ブラッドラスト・ラーバァ)が頭を揺らしながら立っている。ネムの背後に従える姿はまるで百鬼夜行のようだ。

 

(なるほど、これが原因か……)

 

 ネムは召喚したアンデッドにテレパシーで待機を命令すると、できるだけ警戒させないよう笑顔でガゼフ達に近づいた。

 突如起こる微かな悲鳴。

 ネムは足を止めると後ろを確認する。アンデッドは命令に従いその場に待機していた。

 再び視線を前を向けると、怯えた表情をネムに向ける戦士達の姿が見えた。

 

(あれ、やりすぎたかな?)

 

 彼らが恐怖する対象は明らかにネムである。ネムは深いため息と共に反省をした。彼らまで怖がらせる予定ではなかった。

 

(確かに恐怖心を煽るためとはいえ悪乗りしたかもしれないよ。でもさ、そんなに怖がらなくても良くないか? 一応、助けたんだしさ。彼らには一切危害は加えていないのにさ。はぁ、どうするのこれ……)

 

 ネムは軽く嘆息する。

 予定にはなかったのだが止むを得ない。彼らには申し訳ないが口を封じる必要がありそうだ。

 

「大変申し訳ありませんが、皆さんのここを弄らせて頂きます。色々と喋られても困りますので」

 

 ネムは自分の頭をトントンと指で叩く。それは、彼らにとって死刑宣告に等しい言葉であった。周囲にざわめきが起きる。

 ガゼフは、ゆっくりと息を吐きながら、震える足を無理やり動かし立ち上がる。

 

「了解した、ネム殿。だが、俺一人で許して欲しい。俺の部下達は絶対に約束を守ると命をかけて保証しよう」

 

 ネムを真っ直ぐ見据えている。強い意志を感じさせる眩しい目だ。

 空気が変わった。戦士達は自身を鼓舞して必死に立ち上がろうとする。ある者は拳を地面に叩きつけ、剣で己を傷つけて、仲間の肩を借りて全員が立ち上がる。恐怖が消えたわけではない。だが、それを捻じ伏せるだけの強さが彼らにはあった。

 

「なりません戦士長。其の役目は俺達が負うべきものです」

 

 ネムは彼らが放つ輝きを目にして胸が熱くなる。かっこいいじゃないか。そう、ネムは思いながら同時に羨ましくも思った。

 彼らを信じるには情報が足りな過ぎる。だが、この瞬間の彼らに嘘はないと信じることができた。

 ネムは召喚を帰還させる。

 

「皆さんを信じます」

 

 ガセフから笑みが零れ、王国の戦士達からは安堵の声が漏れる。

 これで本当に終わったんだな。とネムは実感した。

 

「さすがは我が女神。広い度量をお持ちで」

「おわ、何でお前まだいるんだ?」

「質問の意味が分かりませんが。……おや? そういえば(マザー)が見当たりませんな」

 

 ネムが召喚したアンデッドは問題なく帰還した。しかし、血飢幼生(ブラッドラスト・ラーバァ)だけが消えることなく存在している。何故か? ネムは召喚による繋がりを感じなかったことを思い出す。つまり、血飢幼生(ブラッドラスト・ラーバァ)は召喚されたアンデッドではなく、現地産アンデッドとして扱われるのだろうか?

 それに、記憶を保有していることも気にかかる。ネムは疑問を口にした。

 

「そういえば、お前は生前の記憶があるのだな。やはり死体が使われるからか?」

「どうでしょうか? 私は生きたままアンデッド化したので記憶があるのは其の所為かと。上位のアンデッドは知性を持つ場合が多いので」

 なるほど、種族変更によるアンデッド化と同じ様なものかと思い、友人であるペロロンチーノが作り出したNPCを思い出す。

(名前は、シャルティアだったな。そういえば彼女は種族に真祖(トゥルー・バンパイア)を取得していたな)

 真祖(トゥルー・バンパイア)に代表される上位のバンパイアによる吸血行為は、知性を持った吸血鬼(バンパイア)を作り出すと聞いた事がある。つまり、そういうことなのだろう。

 しかし、そうなると困ったことが一つある。

 

「消えないのか……さて、如何しようかな……取り合えず名前が必要だな」

「おお、名前を下賜して頂けるので?この身に余る名誉でございます」

「そうだな。キモムシ……キモスケ……キモザエモン……キモジロウ……。よし、キモムシにしよう」

「なんと! 素晴らしい名を付けて頂き、心より感謝致します」

「あー、うん。ここ片付けておいて。あと、村に近づかないでね」

素っ気ない物言いだがキモムシは嬉しそうだ。

「もういいや、なんか疲れた。帰りましょう。ストロノーフ様」

 




次の話で1章が終わりとなります。ここまで長かった……。

次回『王国戦士長との別れ』
投稿は明日の月曜を予定しています。


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