ほとけには さくらのはなを たてまつれ   作:gomez

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<注意>原作ネタバレ、独自設定、独自解釈を含みます。ご注意ください。

<起章の和歌解説>
新古今集から西行寺幽々子のモデルの1つとなった西行法師の和歌を引用しました。
八雲紫から西行寺幽々子に向けた心の内を吐露した内容に近いのではないでしょうか。


起章:山里に うき世いとはむ 友もがな 悔しく過ぎし 昔かたらむ
1話:白玉楼の春


 頃は如月の望月

 雲一つない快晴に葉擦れと庭師が枝を剪定するバチンバチンと一定の間隔で響くハサミの音が耳に心地よい。

 

 先日まで日影にちらほらとあった残雪はすっかりと溶けてしまい、時折優しく凪ぐ風は桜の花びらと暖かな春の陽気を運んでくる。冬が明け、まさに小春日和といっていいだろう。

 

 屋敷の縁側に腰掛け、ズズーと庭師が淹れた熱めのお茶を啜って一息いれる。

 庭園を眺めてお茶をするのは、もう数百年続けている私の日課だ。今日の茶葉には炙った玄米が入っているらしく、芳ばしい香りが鼻を抜けた。

 

(ふぅー。。。おいしいわぁ)

 

 

 庭園を見渡せば一面の桜色。

 庭師が手入れをしている桜達が満開の花を誇るように咲かせている。我が庭園ながら見事な景観だとため息がでるばかりだ。

 

 庭園の桜は節操なく幾種類も植えているようでいて、それでも庭園の調和が感じられるのは庭師の腕がいいからだろう。

 先代の庭師が作る庭園は必要最低限のワビサビを感じられる雅なものだったが、今代の庭師は逆に豪奢で彩り豊かな庭園を造る。先代と比べても、今代の造る庭園はなかなかどうして様になっている。

 

 

 今代の庭師は先代庭師の孫娘になる。

 先代が「暇(いとま)が欲しい」と屋敷を離れる際に、自身の代わりに私に仕えるようにと置いていった先代の秘蔵っ子だ。

 

 

──今日からおじいちゃん、、じゃなかった。先代に代わっておつかえすることになりました魂魄妖夢(こんぱく ようむ)です

──私は幽々子よ。 よろしくね妖夢

 

 

 妖夢に初めてあったときは緊張でカチコチに固くなった挨拶をして、容姿にしても今より更に幼く、人間でいうと10歳程度にしか見えず酷く頼りないように思えた。

 

(そんな妖夢が今じゃ立派な一人前になるなんて、時の流れは早いものね)

 

 びゅう!と春一番の強い風が、庭園の桜から花びらを払い落とす。

 梢を揺らしては桜の花びらが延々と舞い落ちる様はまるで桜の雨だ。

 

 庭園に植えられた桜は染井吉野、一葉、小彼岸、、、とかなりの種類が植えられていて、その中でも私の一番好きな桜はソメイヨシノ(染井吉野)という種類の桜だ。

 先代にも今代の妖夢にも私の好きなソメイヨシノを多く庭園に用意するよう頼んでいるため、私の指定席ともなっている縁側からよく見える場所には特にソメイヨシノが多く植えられている。

 

 私がソメイヨシノを好きな1番の理由。それは散り様が他のどれよりも、美しく、そして儚いからに他ならない。

 

──散ればこそ いとど桜は めでたけれ

 

 と歌にあるように、儚く散ってこそ桜には価値がある。例えば、桜が当然のように春夏秋冬に咲く花であったのならば私はここまで魅了されていなかったかもしれない。

 

 

 この幻想的で優美な庭園はこの世のものとは思えぬだろうが、それもそのはず、ここは現世(うつよ)ではなく冥界の世界になる。

 一生を終えた魂が必ず訪れる冥界の入り口に位置するここは白玉楼と呼ばれる。

 

 私は白玉楼で死霊の管理をやっている幽霊。名は西行寺幽々子(さいぎょうじ ゆゆこ)。

 ここで生活をはじめてから既に数百年がたっているが、幽霊は死んだ時の外見のまま成長が止まるらしく、私の見た目は15前後の小娘に過ぎない。髪と瞳は鮮やかで透き通るような桜色で、空の色をした布地に蝶の模様をあしらった小袖を着用している。何年も前に人里に入り浸っていた時は、私の風貌から桜の亡霊なんて呼ばれ方もしていたっけ。

 

 幽霊は冥界に存在するものではない。

 幽霊とは、なんらかの強い未練があるために現世に魂が縛られて、冥界に逝けず残ってしまった者達のことだ。未練がなくなって現世を離れた幽霊は人魂・死霊となって冥界に昇り、そして彼岸を渡って閻魔に一生涯の業を裁かれる。

 私がなぜ幽霊になってしまったのか、私自身に生前の記憶がないため分からないが、私が幽霊にも関わらず冥界にいて、なおかつ彼岸を渡らずに済んでいるのには理由がある。

 

 それは私がもつ特殊な能力で、閻魔の仕事を補助しているからだ。

 

 特殊な能力の1つ目が「死」を操ること。

 いずれ死ぬ運命の者の死期をより早い時期にズラすことができる。簡単に言うといつでもどこでも生き物を殺せる。

 非常に強力な能力だとは思うが、今までこの能力で良い思いをしたことなどほとんどないが、まれに冥界にやってくる荒くれ者をこの能力で退治することもある。

 

 そして、2つ目の能力が「死霊」を操ること。

 生き物が死んで、冥界にやってくるときに死霊となる。生前の肉体を失い、魂だけの白い靄のような見た目をしているそれは、自我すら存在しない。

 そんな物言わぬ死霊は自分の意思で彼岸に向かうわけではなく、大きな力の流れに任せれて自然と彼岸に向かう。だが時折、彼岸にいけずに迷ってしまう死霊がいる。

 そんな迷子の死霊を「死霊を操る能力」で彼岸へ送ることが私の仕事で、その仕事をすることで冥界に留まることを閻魔に許されている。

 

 

 それにしても今日は迷子の死霊が多いらしく、居間には数体の死霊がフヨフヨと浮遊している。右手に意識を集中させるとあたりをたゆたう死霊が手のひらに集まる。

 

(5体。 これだけ集まると大きなお餅みたいね)

 

 手に集めた死霊は幽々子が念を送ると彼岸に向けてフヨフヨと飛んでいく。彼岸に送られた死霊には、閻魔に合う前に三途の川を渡るという苦難を乗り越えなければならない。

 

 三途の川は死神が船頭をする船で渡るらしい。

 生前に稼いだ金銭の多い少ないによって、三途の川は距離を変えるという。稼いだ金額が多ければ多いほど短く、少なければ永遠にたどり着かないこともあると書物で見たことがある。

 

 船頭をする死神にはあったことがないけれど、友人の話ではおしゃべり好きで人懐っこい死神だと聞いた。世間話を死霊に聞かせているうちに対岸に着いてしまい、何の苦難も与えないという死神が死霊達を悪いようにするとは思っていない。

 ただ、それでも私は死霊になった彼らの今後に幸多からんことを願って、今回も彼らを彼岸に送る。

 

 

(生まれ変わったらお茶でも飲みにいらっしゃいなー)

 

 と言っても、あなた達は私のことなんて覚えていないでしょうけど。

 死霊送りの仕事を終えて、湯呑みを傾けるとお茶はひどく冷めてしまっていた。お腹も空いてきたし、そろそろ準備をしてもらわないといけない。縁側から立ち上がり、庭の手入れをしている妖夢に声をかける。

 

「妖夢。 そろそろお昼にしましょう。 お茶もすっかり冷えてしまったわ」

 

 雪のように白い肌と、銀色のオカッパ頭。

 「半人半霊」という珍しい種族で、彼女の隣に浮いている巨大な死霊のようなものは半霊と呼ばれるもので、半分が幽霊のため寿命は人間と比べて悠久といえるほど長い。

 服装は魂魄家の正装なのか、先代と似通った白と緑を基調とした服を着ている。先代は和服姿だったが、妖夢は洋風のスカートを着ていることが多い。

 筋骨隆々の大男だった先代と見た目は全然似ていないけれど、妖夢と先代は武士の持つ清流のような雰囲気がよく似ている。

 

 妖夢から武士のような印象を受けるのは、きっと腰に携えた2本の刀の影響が大きい。

 

 刀の1つは妖怪に鍛えられたという長刀:楼観剣。

 もう一つは魂魄家に代々伝わる迷いを断ち切るという短刀:白楼剣。

 

 剣術の達人でもあった先代の剣技を見事に修め、その証にと先代から譲り受けた業物の一振りらしい。

 庭師、家事、剣技どれをとっても1流の彼女が先代の秘蔵っ子で、そして私の自慢の従者だ。

 

「すぐに昼餉を用意します」

 

 切れ長の目をこちらに向け、鈴のような声で返事があった。

 テキパキと庭道具を片付け始める所作ひとつとっても、ピンとした姿勢から気品を感じさせる。

 

 彼女はあまり感情を表情に出すことがなく、それに加えて鋭利な刃物のような雰囲気は慣れない人には怖く感じてしまうかもしれない。

 ただ、何百年と顔を突きあわせて生活しているうちに、私は妖夢の小さな感情の揺れ動きを感じとれるようになった。

 

 

 庭道具の片付けが終わった妖夢は昼餉の準備のために台所に向かっているらしい。足音を極力たてず背筋をすっと伸ばした歩き方は先代とそっくりだ。

 

(たしか先代もあんな歩き方だったわね)

 

 先代の事を思いだすと懐かしい気持ちで一杯になる。ふらりと屋敷を離れてから、そろそろ300年がたつのではないか。便りがないのは元気な証拠と思いたいが、たまにはかわいい孫娘に会いに帰ってきたらどうだろうとも思う。

 

 妖夢は生真面目で頑固だが、先代は輪をかけて生真面目で頑固だった。そんな先代がふらりといなくなってしまったのにはきっと何か理由があるのだと思う。先代のなすべきことが終われば、きっと白玉楼に戻ってきてくれると私は信じて待っている。

 

 

 妖夢が台所に入ったことを確認した私は再度庭に目を向け、満開の桜をしばらく眺めることにした。

 春に桜が咲く、というのはただの自然現象に過ぎないが、庭師にかかれば立派な芸術品の一つになってしまう。 

 春には桜。夏には緑生い茂る木々。秋は紅葉。冬は雪景色。これほどの庭園は世界広しと言えど、そうそうあるまい。

 

「ここのお庭は幻想郷で一番よ。 あなたもそう思うでしょう?」

 

 隣を漂う死霊に話かけたが、もちろん反応があるわけではない。

 肉体も記憶も失った死霊は話すことができず、そもそも会話を理解する知能もなくなってしまっている。なので、これは私の大きな独り言だ。

 

 

「ふふ。 あなたもそう思うでしょう。 私の自慢のかわいい従者なの」

 

 ふー、と死霊に息を吹きかけると風船のように息に流され彼岸へ向かって飛んでいってしまった。彼が空の彼方に消えて見えなくなるまで目で追いかけた後、完全に冷えてしまったお茶を流し込むと、すでに台所からはいい匂いが漂ってきている。

 

(それじゃあ、妖夢をからかいにいこうかしら)

 

 これもお茶を啜るのと同じく、無表情が多い妖夢を笑顔にするために考案した私の日課のひとつだ。

 彼女からしてみると作業の邪魔にしかならないので迷惑しているとは思っているけれど、無表情よりも笑顔の方がかわいいんだから仕方ないじゃない。妖夢の笑顔のためには多少の犠牲はつきものなのだ。

 きっと台所に向かう私は悪い顔をして笑っているに違いない。

 

 

 春とはいえ日影は多少冷え込んでいるようで、ペタペタと縁側を歩く足裏は少し冷たい。

 

 すだれをくぐって台所に入ると、ムワっとした熱気が台所中に広がっている。私はこの熱くていい香りの熱気が好きだ。

 お醤油が煮立ったような匂いに私のお腹はぐーっと催促の鐘を鳴らす。

 

 釜戸の前では目当ての人物がちょこちょことせわしなく動いているのが見えた。

 そっと妖夢の背後に近づいて鍋を覗くと、いい匂い正体が煮物だと分かった。妖夢の肩越しから顔を出して、彼女の耳に息を吹きかけるようにして語る。

 

「山菜入りね? こんな煮物は初めて見たわ」

「幽々子様。 急に耳元で囁かないでください。 びっくりしますので」

「いやよ。 私の大事な日課なの。 妖夢でも邪魔させないんだから」

 

 そうですかと肩を竦めて、困ったように妖夢が笑った。

 

(やっぱり笑顔はとびきりかわいいわね)

 

 

 私はこの日課のイタズラのために、浮かずに歩いて移動する。

 先代から妖夢に代替わりして、初めて彼女が台所に立ったときも今日と同じようにイタズラをした。普段あまり笑わない妖夢を笑わせて早く仲良しになろう、と今と同じように後ろから驚かしたのだが、妖夢は心底びっくりして鍋をひっくり返してしまった。

 

 先代のように私を力いっぱい叱ってくれれば良かったのだが、妖夢はそうではなく私に謝罪をしたのだ。

 

──主人の気配を察知できずに申し訳ありませんでした

 

 と私に文字通り三日三晩謝り続けたという経験から、私は足音を立てて移動するために極力歩くようにしている。

 私が浮いていても先代は気配を察していたのだが、妖夢曰く先代は規格外なんだとか。

 

 

「煮物の味見させて頂戴な」

「だめですよ。 もうすぐできますから。 もう少しお待ちください」

「分かったわ。 煮物は諦めるから、そっちのお魚で我慢するわ」

「何もお分かり頂けてないことが分かりました。 後は盛り付けるだけですから座ってお待ちください」

 

 えー、やだやだ。と文句を言いつつ大人しく座って待つ。

 日課のいたずらで妖夢を笑わせたので一仕事が終わった気分だ。

 

(昼餉が終わったら何をしようかしら。縁側で桜を見て、舞を舞って、夜には花見酒もいいわね。気分がのったら和歌も詠んでみたいわ)

 

 午後の予定を夢想していると、妖夢が料理をもってやってきた。

 

「お待たせしました。 山菜の煮物と焼魚です」

 

 妖夢は配膳を終えると私の向かいに座る。

 通常、主人と従者は食事を共にしないが、私はこれを良しとしなかった。一人で食べてもおいしくないと、私が無理を言って一緒に食事を取るようにしているのだ。これは先代から続けている西行寺の主従の風習だ。

 

「おいしそうね。 それではいただきましょう」

「いただきます」

 

 主人と従者が顔を突き合わせての食事。

 他の主従関係の者が見れば噴飯ものの風景が私たちの日常だ。

 

「うん。 この煮物、初めて食べたけどすごくおいしいわ! さすがよ妖夢。 いつお嫁に出しても恥ずかしくないわ」

「……幽々子様」

 

 ちら、と上目遣いで一瞥される。食事中はお静かに、ということだろう。

 

「少しくらいいいじゃないの。 そんなにお堅いと嫁の貰い手が見つからないわよ?」

「……嫁にいけるのかいけないのか、どっちなんですか、もう」

 

 下を向いて口をギュっと結んでいる妖夢。長年の付き合いで、あれは笑顔を隠したいときの癖だと知っている。

 

 剣士として常に慢心することなかれと先代に叩き込まれた結果だろう。妖夢は鉄仮面のように無表情でいることを良しとする。

 必死で笑顔を隠そうとしている様は愛らしいので、その顔をみるのも悪くないとは思っているけど、できることなら満面の笑みを見たい。

 

 

 妖夢と違って先代は意外なことによく笑う好々爺だった。そんな先代のことを妖夢に伝えたことがある。

 

──先代は笑っている時も、寝ている時も、どんな時でも隙のない方だった。私が師匠と同じくらい強く成長するまでもうしばらくお待ちください

 

 困った顔で私に説明している妖夢を思い出す。いつか妖夢とお腹から笑ってお酒が飲んでみたいと思う。

 

(そのためにも、この子には早く強くなってもらわないとね)

 

 妖夢を見ると、ごはんをお代わりしているところだった。

 背丈は私のほうが2回りほど大きいにも関わらず、妖夢のほうが私よりもよく食べる。成長期のためなのか、はたまた体を動かす仕事をしていることが理由なのだろう。

 

 

 食事は妖夢とお話しをする大事な時間だ。私は冥界から出ることがほとんどないので下界の話を聞いたり、私から仕事のお願いをしたりする。

 

「妖夢。 午後はお使いをお願いしたいのだけど」

「はい。 何でしょう」

「お茶とお茶請けを買ってきて頂戴。 できれば豆大福がいいわ」

「八雲様でしょうか?」

「そうよ。 そろそろ起きてくると思うから。 紫の好きな店のが売り切れてなければいいけど」

「御意に」

 

 食後、妖夢に片付けを頼んでから私は縁側に戻り、朝と同じくお茶を片手に桜を鑑賞しつつ物思いにふける。

 

 

 この死後の世界で永遠とも言える時間を過ごしている私には友人が少ない。

 昔は人里に出ることもあったので友人や親友と呼べる者は少なからずできたが、人間は数十年で死んでしまう。病床で苦しんでいる友人を苦しさから解放するために私の能力で殺したこともあった。

 友人が死んでしまったときの傷心は大きく、まして友人を自分の手で殺してしまった時にはやりきれない悲しさから何日もふさぎ込んだ。

 

 何百年と幽霊をやっているうちに、気づけば私は何人もの友人を自分の手で殺していた。もの言わぬ死霊になった友人を彼岸に送るのは本当に辛く、彼岸に送った友人が両手で数えられなくなった頃、私は現世に出ることをやめた。

 

 

 妖夢がいっていた「八雲様」とは数少ない私の友人の一人で、妖怪の賢者とも呼ばる大妖怪。名は八雲紫(やくも ゆかり)という。

 

 紫は年に数回ふらりと白玉楼に来ては、私とお茶を飲むか、お酒を飲みながら談笑する。紫との会話はいつも刺激的で、冥界からほとんど出なくなった私には彼女との会話が至福の時間になっている。

 

 たしか、初めて紫にしてもらった話は「世界」についてだ。

 私が幽霊になって右も左も分からないときに、妖怪の賢者だという胡散臭い奴が出てきて、何でも教えてやるなんていうので意地悪な質問をしたことを覚えている。

 

 

──私が今どこにいるのか教えてほしいわ

 

 その質問を聞いた紫は困った様子もなく、当たり前のように大きな丸い地図のようなものを取り出して答えを返した。

 

──これは「ちきゅうぎ」

──え?

──ここが「日ノ本」で、あなたのいる「幻想郷」はココ。

 

 紫には、私が分かったふうに首を縦に振っていたのがバレていたらしく、少し落胆したようにスキマに「ちきゅうぎ」をしまった。

 

──あぁ。いきなりこれは難しかったわね。少しずつ教えてあげるから、続きはまた今度ね。

 

 と説明をやめてしまった紫に、ちゃんと勉強するからもっと教えて欲しい、まだ帰らないで!なんて言って飛びついたっけ。

 

 

(ふふ。 本当にあの当時の私ったらなりふり構ってなかったわねぇ)

 

 世界から幻想を集めて作り上げた楽園の幻想郷を作り上げた大妖怪。それが私の友人、八雲紫である。

 長い年月をかけて教師と生徒のような関係から、今では対等なお茶友達に変化した。

 

 その紫がそろそろ起きるというのは彼女の性質による。妖怪独特の性質なのか、それとも冬に会えないことの方便なのか分かっていないが、紫は冬に長い長い眠りに入ってしまうらしい。私はそれを冬眠と呼んでいるが、本人は獣扱いされているようであまり喜んでいないようだ。

 

 桜も満開になった頃なので、そろそろ紫が冬眠から目覚めてくるはずだと思い、妖夢に茶菓子を買い出しにいかせたという訳だ。

 この、なんとなく紫がきそうな気がする、という私の勘は外れたことがない。おそらく今日か、遅くても明日にはやってくるだろう。

 

 

(そういえば、紫との出会いは確か桜の下だったかしら?)

 

 幽霊は生前のことを一切覚えていない。私も例によって生前の記憶はまったくない。

 ただ、幽霊になってからの記憶はちゃんと残るので大抵のことは覚えているのだが、「幽霊になってすぐ」の時の事は朧げにも思い出せない。

 先代をどのように召抱えたのか、紫とどのように出会ったのか、思い出そうとしても頭に靄がかかったように思い出せない。

 

(うーん、やっぱり思い出せないわね)

 

 

 紫との出会いを思い出そうと頭を抱えていると、洗い物が終わった妖夢がやってきた。

 結構思い悩んでいたのか、気配に気づかなかったため思ったよりも近くから聞こえた足音に、はっと顔を上げる。

 

「幽々子様。 準備ができたので人里へいって参ります」

「気を付けてね。 夕飯までには戻るのよ」

「はい」

 

 いってらっしゃーい。と妖夢を玄関まで見送ってから縁側に戻って思考の沼に潜る。

 

 

 幽霊になったものは、すべからく生前の記憶がない。

 思い出せないんじゃなく、最初から記憶が存在しないといったほうが正しい。

 

 私がたどれる最も古い記憶では、すでに私は白玉楼にいて、先代庭師も従者として私に仕えていたし、紫も当然のように友として白玉楼にやってきていた。

 幽霊になってスグのことがどうしても思い出せないのは、数少ない友人との馴れ初めが記憶に残らないほど自分は薄情なのではないか。

 

「大切な思い出なのにポロポロと零れていくなんて、自分で自分が嫌になるわ」

 

 呟いた瞬間、目の前の空間が割れるようにひらき、中にはいくつもの目玉が見える。

 紫の言葉でいうとこの裂け目は「スキマ」というらしい。にゅっと、怪しく微笑んだ少女がスキマから出てくる光景は異様の一言ではあるが、紫と友人になってからは見慣れた光景になっている。

 

「あなたの物忘れがひどいのは今に始まったことじゃないでしょう?」

 

 私と同じほどの身長。金髪のロングヘアーに金の瞳。

 ナイトキャップのような帽子と、中華風のような洋風のフリルのような紫色を基調とした和洋折衷のドレス。異様に美しく、異様に胡散臭いこの人物こそが、妖怪の賢者、八雲紫である。

 

「おはよう、紫」

「おはよう幽々子。 今年は少し寝すぎたみたいね」

「もう桜が満開よ。 あなたとの花見酒を楽しみに待っていたのに、あまりに遅いからもう来てくれないのかと思ったわ」

 

 よよよ、と泣き崩れるフリをする私。

 肩肘張らずにそのままの私でいれる相手なので非常に居心地がいい。

 

 紫は私の隣に腰を下ろすして懐から扇子を取り出すと、そのまま私の頭にペシンと振り下ろした。

 

「あなたは演技がうまいんだから泣き真似はおやめなさい。 私の良心が痛みます」

「あら?紫に良心があったなんて初耳よ」

「ふふふ。 今年はプレゼントを持ってきたの。 これで幽々子の機嫌はなおるかしら」

 

 視線を紫に移すと、手には扇子以外もっていない。

 他にも手持ちの荷物はなさそうだ。

 

「その扇子が贈り物なの?」

「違うわ。 この扇子は私のお気に入りなの。 白檀のいい香りでしょう?」

「…もう。 紫ったら焦らさないで」

「何も形あるものだけがプレゼントという訳じゃないということよ」

 

 含みのある言い回しは彼女らしい。

 賢者の言わんとしている事を考えるのは楽しい時間だが、今回ばかりはヒントが少なすぎる。頭をひねったところで答えが出そうになければ次のヒントをもらわないといけない。

 

「私も紫に贈り物を用意しているのよ」

「あら嬉しい。 私の好物でしょう?」

「当たり。 毎年同じだとさすがに分かるわね。 飽きちゃったかしら?」

「いいえ。 数年食べ続けてるけどあの味は飽きませんわ」

 

 近場に用意していた急須から湯呑にお茶を注ぐ。

 

「妖夢には贈り物を買いに行かせているから今いないのよ。 私の淹れたお茶だからそこまでおいしくないけど」

「あの子のお茶がおいしすぎるだけのことですわ。 あなたのお茶も十分おいしいわ」

 

 縁側で二人してお茶をすすって桜を見る。私の至福の時間だ。

 そういえば、と扇子を広げて紫が話を切り出す。

 

「私の好物が売ってる人里の甘味屋の話だけどね。 ご主人に子供が生まれたらしいのよ」

「あら。 それはめでたいわね!」

「しかも男の子」

「子供がお店を継ぐとは限らないけど、二代目になると嬉しいわねぇ」

「ええ。 今の主人もしばらく元気でしょうし、子供が店を継げば私の好物に数十年は困らないでしょうね」

 

 紫はこうやって私に外の話を教えてくれる。

 なるほど、このプレゼントは私の機嫌を直すには十分だ。

 いたずらっぽい顔で紫のほうを見ると、紫も扇子で口元を隠したまま微笑んでいるようだ。

 

 いつも紫の側に控えている従者がいないことに気づいた私はそれとなく聞いてみると、新しく代替わりした巫女のところに向かわせているようだった。

 

「藍のことかしら? 今は博麗神社で巫女に色々と教えさせていますわ」

「紫は巫女に夢中ねえ。 巫女が育つ前に他の奴に食べられないといいけど」

「…あら。 さすが幽々子ね。 私と同じ考えに至るなんて」

 

 紫はお茶を啜りつつ桜を見ているようだ。いや、庭園の桜ではなく、丘の上にある化物桜を見ているようにもみえる。

 

 

「幽々子。 甘味屋の話はプレゼントじゃないの。 私のプレゼントは貴方だけじゃなく、幻想郷すべての人妖に用意したものになるわ」

「あなたの話はいつも規模が大きいわね。 その贈り物は巫女に関係するのね?」

「そう。 あの子が鍵になるの」

 

 紫は湯呑を脇に置いて、縁側から庭園にポスンと降り立った。

 日傘を広げてくるりと回る絶世の美少女は、庭園の満開の桜と重なって非現実的な美しさがある。じっと私と視線を合わせ、数秒の空白を置いてからプレゼント内容は告知された。

 

 

「『弾幕ごっこ』人と妖が公平に戦える新しい決闘ルールを作ろうと思っているの」

「……決闘とは穏やかじゃないわね」

「違うわ。 逆よ。 『弾幕ごっこ』は穏やかで優美な決闘になるのよ」

 

 怪しく微笑む少女は鳥肌が出るほど美しい。

 

「詳細は後で藍に説明させますわ」

「はいはい。 紫が事前に話すということは、私に何か期待してるわね? いつもは何も言わずに始めちゃうんだから」

「ご明察。 新しいルールを作ったところで普及しないと始まらないわ」

「ということは、普及させるために何か悪だくみするのね?」

「その通りですわ。 幽々子。 私の悪だくみに一枚噛んでみない?」

 

 少し強めの風が吹いた。

 紫から視線を外して下界を見下ろせば遥か下方に人影が見える。

 妖夢が帰ってきたのだろう、下界から白玉楼まで続く階段を物凄い勢いで駆け上がっている。

 

 この永遠に続く私の退屈に一陣の風を吹かせてくれるのなら乗らない理由はない。

 妖夢が困った顔をすることになるが、主人である私のわがままだなら黙ってきいてくれるだろう。

 

「その悪だくみとやらは面白いのかしら」

「妖怪の賢者が用意したシナリオをどう感じるかでしょうけど、あなたなら楽しめると確信していますわ」

 

 日傘で隠れた紫の表情は読み取れない。

 

「それにね、幽々子。 食事の前にメニューを聞くよりも、何が出てくるのか分からないほうが楽しいでしょう?」

「……そうね。 楽しそうだわ。 この話、乗るわ」

 

 心躍るとはこのことだろう。久々にこれから起こることが楽しみになっている自分がいる。胸の高鳴りを抑えられず、私も庭園に立つ紫の隣まで歩み寄る。

 

「ただ、私は強欲なの。料理も悪巧みも一枚噛むだけじゃ足りないわ。食らい尽くしてもいいのかしら?」

「もちろん。テーブルマナーを守る者はだれだって歓迎しますわ」

 

 きっと妖夢は悲運な従者なのだろう。主人が出した結論を聞かされず、何も知らされずに巻き込まれることが決定したのだから。

 

 

「楽しみねえ」

「幽々子。 急ぎすぎるのもよくないわ。 ほら、豆大福も来たみたいだし一息いれましょう」

 

 扇子で指したほうを見ると、下界からの階段を登り切った妖夢が肩で息をしているところだった。

 客人に気づいたのかすごい勢いで走ってくる。

 ……あんなに動いて豆大福は大丈夫だろうか。




次回『主従の酒宴』
「あなたはあの子のことになると途端に鈍いわね。求めよ、さらば与えられん。よ」
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