幽々子との宴会が終わってから丸1日経つ満月の宵。
いや、昨日が満月だったため、正確には今宵は十六夜になる。
楽しい宴で満たされた気持ちになっているかと言えばそうではなく、何か心がぽっかりと空いてしまったかのような物悲しさがある。ほんのわずかに欠けた十六夜の月は今の私の心境を表しているかのようだ。
夜はとっぷりと暮れ、頃は子の刻。
凪ぐ風は多分に含んだ湿り気があり、春の陽気をそのまま私の癖のある髪へと運ぶ。
「紫様、コーヒーをお持ちしました」
頼んでおいた淹れたてのコーヒーを藍が持ってやってくると、書斎にコーヒーの香りが漂いはじめた。
私はとびきり濃いコーヒーを好んで飲むためか、漂うコーヒー豆のはっきりとした香りが脳に染み渡る。
「おいしそうね」
「今回はサイフォン式で入れてみたんです」
今日は吸血鬼との約束の日、幻想郷の運命がかかっている日といってもいい。今は幽々子との宴会の優しい余韻を振り払うべく気持ちを切り替えなければいけない。
幽々子と過ごす時間は綿菓子のように甘く居心地がいいのだが、いかんせん心地がよすぎて頭の回転が鈍ってしまうため、そんな頭をフレッシュさせるにはコーヒーに限る。カフェインの効果なのか、とびきり濃い泥のようなコーヒーを飲めば頭がスッキリとモヤが晴れることを期待してグイっと熱いコーヒーを流し込む。
急な異物に胃が驚いたのか、それともこれから起こるできごとに武者震いでもしたのか、背中から這い上がってきた悪寒にブルリと体が強張るのを感じた。
「吸血鬼。……ただの餓鬼と思っていたのだけれど、これほどの力を持つようになるなんてね」
「まさか。 紫様なら赤子の手をひねるより容易い相手でしょう」
「数百年前のままならね。 今のアレは幻想郷をひっくり返す力を持っているわ」
吸血鬼という種族は他の妖怪に比べて強大な力をもっている。異常な力に、自分の血を分けることで無限に増える部下、何より不死とも思える再生力。
その吸血鬼の勢力が西洋から幻想郷に攻め入ってきたときは、当時の人里では『吸血鬼異変』なんて呼ばれ方をしていたっけ。もう何百年という月日が経過した今では、『吸血鬼異変』があったことを知っている人の方が珍しい。知っていたとしてもお伽話だと勘違いしている人の方が多いのではないか。
だが、夢にも思える地獄絵図のようなあれは確かに現実に起こった出来事だった。
攻め込んできた吸血鬼の勢力を相手に、幻想郷はあっという間に半分ほどの領土を支配され、木っ端の妖怪は吸血鬼の配下に、そこそこ力のある妖怪は吸血鬼に挑んで屠られた。
あの時の幻想郷は吸血鬼とその他の勢力とに二分され、まさに天地がひっくり返るほどの戦争が起こったといってもいい。結果だけ見れば吸血鬼の勢力がほぼ壊滅し、幻想郷は元の勢力にもどったように見えるが実はそうではない。
当時の吸血鬼は全滅したわけではなく幼い子供の吸血鬼を2匹、とある条件付きで見逃していた。
1匹は死んでしまったのかもう何百年も見ていないが、残りの1匹が現当主のレミリア・スカーレットという訳だ。何の力も持たない小さな吸血鬼はこの数百年で「運命を操る程度の能力」に目覚めたという。
最初は眉唾ものの能力だと鼻で笑っていたが、どうやら本当に運命を操ることができるようだ。その力がどこまで強大なのか不明ではあるが、注意してかからなければいけない。
子供の姿をしているからといって舐めてかかると殺されてしまう。吸血鬼という字の如く、鬼と同等の警戒をしなければいけない。
これから私がやろうとしていることは、弾幕ごっこの普及のために吸血鬼相手に八百長をもちかけること。さらに、その吸血鬼には八百長で負けてもらわないといけない。
プライドの塊のような吸血鬼の首を縦に振らせるため何千・何万通りものシミュレーションをやってきた。子供の姿をしているからといって舐めてかかると殺されてしまう。吸血鬼という字の如く、鬼と同等の警戒をして交渉しなければ。。。
交渉を誤れば八百長のつもりがいつの間にかこちらの首をかっさばかれていた、なんてことになりかねない。気を引き締めるために残りのコーヒーをぐいっと胃に流しこむ。
「相手は運命を操る吸血鬼。 もしかすると、これから起こることすら見通しているのかもしれないわね」
コーヒーカップをテーブルに置く音が妙に大きく響いた。
今日の会合について、吸血鬼には事前に使い魔で日程の連絡をしている。相手からの返事は特になかったけれども、それでも私は分の悪い賭けだとは思っていない。
「藍。 私一人でもいいのよ?」
「ご冗談を。 この時のために力をつけてきたのです」
「そうだったわね」
側に控えている従者に一声かけて腰を上げる。かの吸血鬼異変では、藍は吸血鬼の歯牙にもかけられず無力化された。
最強の妖獣である彼女にとって手も足もでない相手にあったのは生まれて初めてのことだろう。恐怖と同時に耐え難い屈辱を味わったはずだ。それから何百年と藍は自身の技と力の錬磨を続けていることを私は知っている。
「ふふ。 それじゃ、いきましょうか」
「はい。 いきましょう」
いつものように移動のためにスキマを開く。私が大妖怪たる1つの能力。境界を操る程度の能力によって「この場所」と「あの場所」の境界をつなげることができる。
スキマの中の漆黒の空間には巨大な目がいくつも浮かんでいる。これが何かと問われれば「私の目」だと答えるより他に無い。これによって幻想郷のどこの出来事だって把握できる。
今、これからスキマを開こうとしている吸血鬼の館の門前に1人の妖怪がいることだって事前に分かる。
ちらりと隣の従者を見ると余裕のない焦ったような表情をしていた。無理もない、もしかするとスキマから出るといきなり殺し合いが始まるかもしれないのだから。
「八雲の名を授けたのだから、常に優雅でありなさい」
「……はい」
「あなたは自分で思っている以上に強くなってる。 私が保証するわ」
「ありがとうございます。 大丈夫です。 いけます」
やはり緊張が抜けきっていないのだろう、無理やり貼り付けた笑みは硬い。
(無理もないか。 相手が相手だものね)
「さて、スキマから出るわ。 気を引き締めなさい」
「はい!」
◆
吸血鬼の館の門前に降り立つと非常に湿気っぽい空気が不愉快で、心なしか気温も低い。先ほどまでいた自分の屋敷との温度差に少し鳥肌が立つのを感じ、もう少し厚着してくるべきだったと少し反省をする。
風が足元を翔る。
足首ほどまで切りそろえられた草たちが波打つようにサーっと音と立ててはためいた。私の後方から前方へ抜けていく草の波を目で追いかけると、門前に立つ妖怪に焦点が移る。
腕組みして俯いたまま門横の壁に寄りかかって立っているその妖怪は、風になびく赤の長髪が美しかった。その妖怪は一見したところ私たちの存在に気づいていないのではないかと思った矢先、磨きぬかれた刃のような声があがる。
「何者だ」
…………
時は子ニつ刻、夜のとばりはすっかりと落ちていて月が周囲を淡く照らす。
吸血鬼の館は洋風の豪奢なレンガ造りになっており、館全体が趣味の悪い深い紅色をしている。館はコの字型で、大きくひらいた中庭には巨大で豪奢な庭園があり、これは白玉楼の庭園とは違って、西洋貴族の屋敷のもののように豪華絢爛なものだ。庭園の真ん中にはこれまた豪奢な噴水があって絶え間なく水が噴き出す。
館に隣接している湖が月光を反射し、水面の光が館にゆらゆらと映る様はまるで館そのものが生き物になってしまったかのようで悪魔の館にふさわしい不気味さになっている。
ゆっくりと門前に移動したその妖怪は館を守るように、スキマから降り立った私と藍に向かって半身の構えを取った。
妖怪という種族でありながら人の武術を身につけた悪魔の館の門番。
中華風の服装を身にまとったそれは恐らく大陸からきた妖怪なのだろう。腰まで届く燃えるような赤髪に、6尺はあるかという高い身長。睨みつけてくる瞳は深い群青色で、今にも襲い掛かってくるような雰囲気は明らかに客人を迎え入れる態度ではない。
人間の間では廃れてしまった吸血鬼の話だが妖怪の間ではいまだ健在で、吸血鬼の首をとって名をあげようとする妖怪は後をたたない。だが、その誰もが目的を達成するどころか館に侵入することすら叶ったことはない。
この門番が強すぎるのだ。
屋敷に侵入しようとする妖怪どもを、門番はその四肢でことごとく蹴散らす。何十年、何百年と門前で戦う門番を相手に、かなわないと思ったのか次第に襲い掛かる妖怪の数は減っていったのを知っている。
「私は八雲紫よ。 先の異変では名乗ってなかったかしら?」
「何をしにきた」
門番の不信感と敵意をぶつけてくる短い質問。
明らかに客人を歓迎する態度ではないそれに藍が歯をむき出しに敵意を出している。門番の雰囲気は武人然とした妖夢に似てはいるが、何かが妖夢と根本的に違っている。妖夢に似ているだけ期待を裏切られたような気持ちになるのだろう、藍との相性は非常に悪そうだ。
「館の主人と話をしに来ましたの。 事前に連絡はしているのだけど聞いてないかしら?」
「そんな話は聞いていない」
「そう? なら分かる人に話を通して頂戴」
「……」
門番は返事すらせず、ただ私を睨みつけてくる。とことん私達を歓迎するつもりはないようだ。
「押し問答している時間はないの。 門番、早くその物騒な構えを解いて案内して頂戴。 主人の顔に泥を塗るつもり?」
私の持ちうるとびきりの妖力を出し、ずいっと門番に歩みよる。
並の妖怪であれば私の妖力に耐えかねず気絶すらしかねないものだが、彼女は私の出す妖力に怯えるどころか不動のままじっと睨みかえして、低く声をあげた。
「……断る」
妖怪の力は体の大きさで決まるわけではなく、単純に妖力の大きさに比例する。彼女から感じられる武士(もののふ)としての空気は一級のものだが、発する妖力については私どころか藍にも届かない。単純な殺し合いでは私達に分があるのはわかりきっている。
それでも門番が引かないということは、もちまえの体術・武術で妖力の差をカバーできるとでも考えているのだろうか。自分でいうのも多少気恥ずかしいが、私はこの世界では唯一無二の強さを誇る。それこそ別の星のものでなければ私を力でどうこうできるはずがない。
以前に幽々子と話したことがあるように、門番は私に勝てると思っているタイプの馬鹿者なのかもしれない。
「あきれたわね。 客人を追い返そうとするとは躾のなっていない駄犬ですこと」
「……お前の配下こそ、まさしく狐の獣じゃないか」
門番の言葉に藍が飛び上がる勢いで声を張り上げた。
「貴様! 私は九尾の妖獣だ。 獣扱いするとは木っ端妖怪風情が調子に乗るな!」
私は右手に持った扇子を横に伸ばし、飛び出そうとした藍を止める。普段は門番程度の挑発に乗るような子ではないけれど、吸血鬼の館にきていることもあって多少ナーバスになっているんだろう。いつにもまして頭に血がのぼっているようにみえる。
「藍」
「……すみません」
ただ、このままここで押し問答を繰り返したところでなんにもならない。多少は力技を使わせてもらわないと。
「まぁ、藍が怒るのももっともだわ。 門番じゃ話にならないことに変わりないし、ここは押し通らせてもらいます」
門番を無視して歩き出した私に ブンッ! という空気を割く音が飛んできた。あまりの速さに分からなかったが、どうやら門番が正拳を叩き込んできたらしい。
「危ないわね」
私の身にふりかかる攻撃は、基本的にスキマが勝手に現れて吸収する。先ほど門番の放った正拳も、自動的に顔の前に開いたスキマが吸い込んで無効化したようだ。私に門番の打撃が当たることはなかったが、正拳の余波で生み出された風が私の髪を盛大に揺らす。まったく妖力が乗っていないとはいえ、この威力の正拳をまともにくらっていたら首から上が吹っ飛んでいただろう。
「…化物め」
「口より先に手が出るなんて、駄犬じゃなくて狂犬ね」
門番の腕はスキマに突っ込んだまま伸びきっている。この状態でスキマ自体を閉じればどうなるか?スキマの内と外の空間は完全に分断される。もちろん空間が分断されると同時に門番の腕も引きちぎれてしまうだろう。私の思惑に気づいたのか門番が慌てて腕を引っ込めようとしているが、私の能力が発動するほうが圧倒的に早い。
このままでは吸血鬼にあうことすらままならない。あまり実力行使はしたくなかったけれど、腕の一本でも切り落したほうが大人しく言うことを聞いてくれるかもしれない。等と考えていると、、
(……カチコチ…カチコチ…)
私がスキマを閉じて門番の腕を引きちぎろうとした、まさにその瞬間、カチコチと時計の秒針の音が響いた。その音を最後に世界から音が消え、あたりの景色は灰色一色に塗り替えられている。
おそらく時間停止の能力。
なんとか境界を操る能力で時間停止の世界に干渉できてはいるものの、この能力は凄まじく強く、私は体を動かすことすら敵わない。
灰色の世界を、庭園からゆっくりと歩いてくる人影が見える。門番と私のもとに近づいてきた人影はメイド服をきた少女のものだった。この世界を動けるということは、おそらく時間停止の能力者に違いない。
そのまま少女は門番に近づき、スキマに突っ込んでいる門番の腕をゆっくりと抜く。私が門番の腕を引きちぎろうとしていたのが分かったのか、その少女は私の目を見ながら、私に呪いでもかけるかのようにゆっくりと門番の腕を引き抜いていく。
門番の腕をスキマから引き抜き終わると、少女は右手を上げて指をパチンと鳴らした。
(……カチコチ…カチコチ…)
世界が止まったときと同じく、秒針の音とともに世界に音と色が戻った。正確には時間が動き出した。なんと凄まじい能力なのか。
「美鈴。 お嬢様から伝言よ。 『さっさと客間に来い』ですって」
「……分かりました」
藍からすれば、急に目の前にメイド服の少女が現れたように見えるだろう。目を白黒させて私に助けを求めるような視線を向けている。
メイド服の少女は妖夢のようにストレートではなく外側にはねたような癖のある銀のショートカットで、身長は私より少し高く、門番よりは低い程度。スカートの丈が短いメイド服を着用しており、頭にはヘッドドレスを付けている。
「メイドさん。 館の主人に合わせてほしいの。 アポはとってあるわ」
このメイドは人間だ。匂いで分かる。
本来は吸血鬼に食べられるはずの人間が吸血鬼に仕え、さらにあれほど大きな能力を持っているということは異常なことだ。
時間停止の能力をもったメイドは門番以上に異様な殺気をあたりに一面にまきちらしている。 門番以上にややこしい奴でなければいいのだけれど、一筋縄ではいかないかもしれない。
「聞こえてるかしら? それとも言葉が分からないのかしら?」
私の声に反応して、ゆっくりとこちらに向きなおったメイドの瞳には何も映っていなかった。
先程まで目で見えるほど出していた殺気は影を潜め、何もかもの感情を殺した瞳は人形のように感じられる。ギギっと軋むような音がするのではないかというほど、ゆっくりと口を開くと少し低めの女性らしい声で答えがあった。
「門番が失礼をしてしまい申し訳ありません」
「……構いませんわ」
「主人から話は伺っております。 どうぞ中へ」
メイドはスカートの裾をつかんでそのまま優雅にカーテシー(足をクロスさせるお辞儀)をした。完璧に美しいもてなしの礼ではあるが、まったく魂がこもっていないそれはただただ腹立たしい。この館の連中は人の神経を逆なでする才能があるんじゃないだろうか。
「……それでは案内をお願いしますわ」
「はい」
メイドと門番に挟まれるように私と藍は屋敷の中を案内されている。
メイドは足早に黙々と先頭を歩いて案内するだけで何も話しかけて来ないし、後ろを歩く門番は射殺すような視線を私と藍に向けて大股で歩いている。館の連中に交流する気がないのなら、館の景色でも楽しんでやろうと子供のようにキョロキョロとあたりを見回しながらあるくと、奇妙なことに気づいた。
館そのものが外からみたよりも圧倒的に広いのだ。端から箸まで歩いたところで5分もかからないほどの建物だったにも関わらず、既に案内されるてから10分は経過している。何らかの能力で空間を捻じ曲げていることは間違いなかった。
メイドの能力の1つなのか、それとも他に能力者がいるのだろうか。
それにしても外も中も真っ赤な屋敷は目に痛い。こんな悪趣味な館の主人ならきっと心から分かり合うことはできないだろう。
ただ、館の装飾に比べて庭園はなかなか雅なものだった。庭園は別の誰かが取り仕切っているに違いない。庭園を取り仕切っているものであれば妖夢と話があうんじゃないかしら。などと考えながら紅魔館の廊下をひたすらまっすぐに案内される。
藍は緊張が抜けないのか厳しい表情で口を閉じたまま、やや俯いて歩いている。門番もメイドも私たちには必要以上に話してこないようで、道中の私たちに会話は一切なかった。
しばらく歩くとひときわ大きな扉の前でメイドが立ち止まり、私たちを振り返る。
まるで虎の餌にされた野兎を檻の中に放り込む飼育員のように、まったく感情のこもっていない瞳がひどく癪にさわった。
「こちらが客間です」
「案内ありがとう」
「当主のレミリア様は中にいらっしゃいます」
メイドが客間の扉が開くとギギギと木のきしむ音とともに、中から纏わりつくような瘴気が溢れてきた。
そのあふれ出る瘴気のためか客間にはどす黒い何かが漂っているようにも見える。
憎悪、嗜虐心、殺意、憤怒、あらゆる負の感情をストレートに叩き付けてくる屋敷の主人が客間の上座に堂々と座っている。幼子のような容姿からは考えられないほどの禍々しい妖気を放ち、あからさまな侮蔑と挑発の表情を浮かべるそれはまさしく悪魔と呼ばれるにふさわしい。
齢500才程度と妖怪としては比較的若いが、本人が持つ圧倒的なカリスマは幻想郷の大妖怪と比肩しても見劣りはしないだろう。
彼女がこの紅魔館の当主の吸血鬼。名をレミリア・スカーレット。幻想郷にやって来る以前は西洋一帯を支配していた名だたる吸血鬼の名門、スカーレット家の末裔だ。スカーレットの名のとおり血潮のように真っ赤な瞳が私を値踏みするかのように見下し、クツクツと小さな笑い声が漏れている。
客間の脇には妖精メイドがずらりと並び、吸血鬼の横には魔女と小悪魔が控えている。物々しい雰囲気は戦争でも始めるかのようだ。
「あらあら。 総勢でお出迎え頂けるなんて、盛大なパーティーでも催していただけるのかしら」
「クク。 田舎妖怪が思いあがるなよ」
吸血鬼が血のように真っ赤なワインが入ったグラスを手に取る。
「これは貴様の道化っぷりをあざ笑うために集めたのだ」
吸血鬼は手にとったグラスをくゆらせ、中のワインの香りを嗅ぎつつ話を続ける。吸血鬼のあまりの傲慢な態度に、ギリっと隣で藍が歯を食いしばる音がする。
「せいぜい楽しませろよ、道化」
吸血鬼の口が挑発的に吊り上がり、犬歯をちらりと覗かせてクスクスと笑い声を上げる。当主の吸血鬼が声をあげて笑い出すと、脇に控える紅魔館の総勢からもクスクスと嘲笑する声が漏れてくる。我々よりも圧倒的に弱い妖精や木っ端妖怪が、大妖怪の私や藍を相手に嘲笑をするなど普通は考えられない。自分のバックにいる存在、当主の吸血鬼が私よりも強いと確信し、圧倒的な信頼を置いているのだろう。
先程は門番に教育が行き届いていないと思ったがとんでもない、吸血鬼はこの数百年で一派の信頼関係を完璧に築き上げ、配下に徹底した教育をしていたのだ。門番のあの対応にもきっと何か裏の理由があるに違いない。
それにしても、この場の圧倒的な数の不利は否めない。敵陣のど真ん中に2人だけという状態ではあるが、これも幾万と繰り返したシミュレーションの1つに含まれている。骨の折れる会合になるには違いないけれど、あとは最良の交渉ができるように死力を尽くすまでだ。
「はぁ……。 あなたたちに道化の話を楽しむ知性があることを切に望みますわ」
私は大きな大きなため息をついて客間に足を踏み入れると、吸血鬼の横に控える魔女から声があがった。少しハスキーな、空気の抜けるような特徴のある声が印象的だ。もしかすると肺に病でももっているのかもしれない。
「あなたの言うとおり、ここは知性のない粗暴な連中ばかり」
「……なら、私はあなたと話せばいいのかしら?」
「そう」
薄紫のネグリジェのような服をした少女は先の異変で見た記憶がない。おそらく新参の配下か、吸血鬼の横に控えていることからもしかすると同格の存在なのかもしれない。魔女が手に持つ魔導書は名だたるものだろう、凄まじい魔力を感じる。先ほど感じた屋敷の空間がねじまがっている原因はこの魔女にあるのかもしれない。
「パチュリー・ノーレッジ」
「……え?」
「私の名前」
魔女は口をむすっとへの字に曲げていることから、いきなりの自己紹介は私たちとの親睦を深めるものではないらしい。端的かつ必要最小限の会話しかしないタイプらしく、行間を読んで会話をするのが好きな私とは相性がよさそうだ。必要なことを話してさっさと帰れということだろう。
「そういえば自己紹介もまだでしたわね。 私は八雲紫。 よろしくお願いしますわ、ミス・ノーレッジ」
「よろしく。………レミィ、客人が立ったまま」
ニックネームで呼んでいることからやはりこの魔女は吸血鬼と同格の存在らしい。客人として扱ってもらえたからか、少しばかりこの魔女に親近感を覚えた。
「そうだったな。……道化とその付き人よ、着席を許可する」
「ありがとうございます、スカーレット卿」
わざとらしい私の返礼に吸血鬼は不愉快そうに鼻を鳴らす。本当にどこまでも傲慢な態度はむしろ賞賛にすら値する。
魔女は私と藍が着席するのを確認すると、せっつくように話を切り出した。
「八雲の管理人、この場では世間話も腹の探りあいも要らない」
名に“知識(ノーレッジ)”を冠した魔女の舌戦がいかほどのものか、この目で確かめてやる。吸血鬼が相手の場合と違って搦手(からめて)をふんだんに使った舌戦になるだろう。
視線をあげて吸血鬼と魔女に向けると、その後ろに門番とメイドが控えているのが見えた。どうやら二人は吸血鬼と同格という訳ではなく着席は許されていないようだ。吸血鬼も交渉に参加するつもりは無いらしく、人形劇でも見るかのように傍観を決め込んでいる。
私からの反応が無いことを理解した魔女が続けて声をあげる。
「我々が知りたいのは要件だけ」
(腹の探りあいは不要?要件だけ話せ?この狸は本当に楽しませてくれそうじゃない)
魔女との交渉は、シミュレーションしてきた中で一番頭を使うことが予想されるが、私の一番得意とする頭脳戦だ。好敵手を前にした喜びからか、知らず私の表情筋は高圧的な笑顔をつくりだす。
慌てて扇子で表情をかくし、喜びに震える感情を殺して絞り出した声は小さく、低く唸るように震えた。
「そうね。 それでは簡潔に要件だけ話しますわ、ミス・ノーレッジ」
次話『前門の龍』
「おぉー。お嬢様とのお茶会ですか。・・・緊張するなぁ」
* 次章から十六夜咲夜視点での紅霧異変編が始まります。