<前章の和歌解説>
後拾遺集の藤原義孝の逢引の和歌から引用しました。
恋とは違う感情なのでしょうが十六夜咲夜からレミリア・スカーレットに向けた心の内の変化に近いのではないでしょうか。
*
東方妖々夢の前章、つまり東方紅魔郷のお話です。
この章に限り、作品は十六夜咲夜の視点で進みます。
5話:前門の龍
私の毎日は、日が傾いた頃に始まり朝日とともに終わる。
それは私がメイドであること、そして私の仕えている主が吸血鬼という種族であるため夜に活動をなされるということが理由だ。
私の主は名をレミリア・スカーレット。
レミリア様はかつては西洋一帯を支配していた吸血鬼の名門スカーレット家の末裔らしい。
幼子のような容姿をしているにも関わらず実際は齢500をかるく超える年齢相応の、いやそれ以上の経験と知識を持つ大妖怪。
その大妖怪のレミリア様との出会いは今から10数年も昔のこと。
夕暮れの散歩に出られていたレミリア様は非常に奇妙な運命に誘われるように、屋敷の横に広がる森へと向かわれたそうだ。森を10数分も分け入ったところには小さな水たまりのような池が存在する。
満月の池と呼ばれるそこに捨てられていた赤子が私。
私の捨てられていた満月の池を私が気にしなくなるように、レミリア様と居候の友人が頭を捻って授けて頂いた名前が『十六夜 咲夜(いざよい さくや)』。
吸血鬼のレミリア様のチカラが最も強大になる「満月」を意味する私の自慢の名だ。
レミリア様は吸血鬼であるため私のような人間はただの食料にすぎないはずだけれど、私には特異な運命が見えるらしく人間であるにもかかわらずレミリア様の手元において頂いている。
──タダ飯喰らいは紅魔にいらん。 さっさと一人前のメイドになれ
私には幼少の記憶があまり残っていないけれど、レミリア様からは毎日のようにお叱りをうけたことを覚えている。
最初は掃除すらまともに出来なかった私を一人前のメイドに育てるために屋敷の門番とレミリア様の友人が私に一流の教育を施してくれた。
門番は家事と武術、友人は魔法と座学。
一流の家庭教師の元で十数年も修行をしてきたおかげで私は立派なメイドに育つことができたらしい。
というのも今から数年前、レミリア様から初めてお茶会に招待頂いた場で、私に「メイド長」の役職を与えて頂いたのだ。
親代わりの門番や友人、そして主のレミリア様までもが、まるで自分のことのように喜んでくれたのを覚えている。
◆
3月。
空気がやや生暖い夜の出来事である。
私の主は吸血鬼のため、人間の私は本能的に恐怖を感じることが多々ある。
まずレミリア様の瞳。その真紅の瞳は目にする物を恐怖で石にさせる。
そして鋭利な爪と牙。その爪で軽く撫でたものは、たとえ鋼鉄でさえバターのように切り裂いてしまう。
さらに何よりも特徴的なものが、その圧倒的な邪悪で禍々しいオーラ。それは見るものだけでなく、近寄るもの全てに畏怖と羨望の念を起こさせる。
「咲夜」
ほら、今だってそう。
レミリア様に廊下で声をかけられただけなのに、私は蛇に睨まれた蛙のように一歩だって動けない。全身のこわばる筋肉を無理やり動かして何とかレミリア様にカーテシー(足をクロスさせるお辞儀)をする。
「なんでしょうか。 レミリアお嬢様」
「明日のお茶にはお前も同席してもらう」
吸血鬼であるレミリア様は夕暮れに目覚め、日の出に眠る。
寝起きの夕暮れにはサンドイッチ程度の軽食を友人のパチュリー様ととられることが毎日の日課となっている。
レミリア様からお茶会に招待していただけることは初めてのことではないけれど、決まってお茶会に呼ばれた何か大切なことをお話される。
きっと今回も何か重要な話があるに違いないけれど、何よりレミリアお嬢様のお茶会に出席できる喜びで、私は感動のあまり少し声が震えてしまっている。
「…ありがとうございます。 茶葉はいかがなさいますか?」
「そうだな、血のように濃いアッサムを用意してくれ」
「濃いアッサムには甘いビスケットがよろしいかと」
「決まりだな。 準備をしておけ」
微笑むレミリア様から二本の犬歯がちらりと覗く。
まるで、この牙はお前の喉首などシュニッツェルのように簡単に引きちぎってやられるのだ、とでも脅されているかのような威圧感に私の心臓はドキリと跳ね上がる。
高鳴る鼓動を必死に抑えて、平静を装いつつスカートの裾を持ち上げ恭しくするカーテシーはいつもどおり完璧に美しくできているだろうか。
レミリア様は私から御茶会への参加の意思を確認すると、満足気に鼻を鳴らす。
「少し夜風にあたってくる」
バルコニーに向かうため私の横を通りすぎつつ何か気がついたのか、そうだそうだと頭だけこちらに向けて付け加えた。
「菓子を用意するなら美鈴も呼んでおいてくれ」
「美鈴ですか? 承知しました」
レミリア様は嘘をつくのが下手だ。
レミリア様ほどの大妖怪ともなると嘘をつくなどという小賢しい手段をとる必要がそもそも無いため、嘘をつくことに慣れていないのだろう。
そんなレミリア様が嘘をついていることを確認するのは簡単で、レミリア様の目を見ればいい。こちらの目を見ずに明後日の方向を見て話しているときは嘘だ。
「ビスケットの甘さでニヤけたあいつの顔をおちょくってやるのも一興だろうさ」
「ふふ。 かしこまりました。 美鈴にも参加するように申し伝えておきます」
美鈴をからかう為だと言っているが、お嬢様の視線は私ではなく窓の外に向いている。この窓から外を見るとちょうど門前に立っている美鈴が見える。
レミリア様は何を隠しているのだろう。まさか、久しぶりに従者達とのお茶会を楽しみにしているぞ、などとという事を思って頂いているのではないだろうかと、あれこれ妄想を膨らませていると嬉しさがこみ上がってきた。
「もう夜も明ける。 お前も明日に備えてそろそろ休め」
「はい。 ありがとうございます」
レミリア様は夜風に当たるといってバルコニーに向かわれたのを見送り、私は美鈴への伝言のため屋敷の門へと向かう足取りは羽のように軽い。スキップでもしてやろうかと考えたが、妖精メイドの目があったのでやめておいた。
◆
時は午前3時。
まだ太陽の日が出ていない時間とはいえ今宵の月は異常に明るく、あたりの景色は淡く照らされている。
屋敷の玄関を抜ければ門までの距離は約20m。玄関と門の間は大きな中庭となっており、中庭の中央には小さな池と噴水が広がる。
その小さな池の縁を取り囲むように配置された花壇には黄色と赤色の鮮やかなチューリップが咲き誇る。中庭の手入れは門番に任せられているため、このチューリップは門番の趣味らしい。
なんとなく池を覗くと水面には三日月と自分の顔が映る。レミリア様からお茶会にお誘い頂いたのがよっぽど嬉しかったらしく、そこに映る私の顔はいつもの仏頂面はなくだらしなく緩んだ顔だ。
(まだ勤務中よ咲夜。 しっかりしないと)
片手で頬をペチペチと叩くとびょう、ととびきり生暖かい風が吹く。
屋敷に隣接している湖の湿気と暖気をふんだんに含んだ風は私の髪を頬に張り付ける。
髪を耳にかきあげつつ空を見上げれば絵に描いたような三日月が浮かんでいるのだが、いかんせん月が明るすぎて他の星が見えていないのが少し残念に思う。
門は鉄格子になっているため、中庭からでも門前に立つ彼女の赤髪がよく見える。
「お疲れさま。 美鈴」
「あ、咲夜さん」
ニヘラっと笑顔で応える愛想のいいお姉さんが紅魔館の門番。紅美鈴(ほん めいりん)。私が生まれるよりもずっとずっと前からこの館で門番をやっている妖怪だ。
私は高身長の部類になると思うが、そんな私と比べても美鈴は頭半分ほど身長が高い。キリっとした顔に抜群のスタイル、とりわけ彼女の緋色の長髪は風に舞えば燃え上がる炎のように美しい。
「明日のお茶会に美鈴と私を招待頂けるそうよ」
「おぉー。 お嬢様とのお茶会ですか。……緊張するなぁ」
ポリポリと頭をかきつつ苦笑いする美鈴。門番という仕事柄か、レミリア様と合う機会は私よりもずっと少なく、いまだにあの独特の空気感には恐縮してしまうという。
「ふふ。 何も取って食われる訳じゃないんだから」
「そうなんですけど、やっぱり緊張しちゃいますよ。……そういえば、取って食われるで気がついたんですけど、明日のお茶会ってやっぱり咲夜さんがお茶菓子を作るんですか?」
「うん。 ビスケットを焼こうと思ってるわ」
「やった! 咲夜さんの作ったお菓子好きなんですよ。 楽しみだなぁ」
子供のように喜ぶ美鈴を見て、明日は腕によりをかけてお菓子を作ろうと心に決める。
「美鈴。 そろそろ仕事あがりでしょう? 仕事あがりのハーブティーはいかが? あなたの好きなお茶菓子もあるわよ」
「わーい! もちろんいただきます!」
美鈴の所に来た理由の1つはお嬢様とのお茶会の連絡。
もう1つの理由は単純に美鈴とお話したかったから。
仕事中の美鈴の所にわざわざやってきた言い訳としてティーセット一式を美鈴に見せると、彼女は茶葉の入ったボトルを手にとって犬のようにクンと鼻をならした。
「この香りは、レモンバームですか?」
「うん、あたり。 後はカモミールとスイートマジョラム。 どれも美鈴の育てたものよ」
美鈴が庭園で育てているハーブは春や夏に収穫時がやってくるため、ハーブティーやお料理にどっさりと使うことが多い。特に春に収穫できるレモンバームの香りは心を落ち着かせるのに最高で、今日みたいな大事なイベントの前夜に飲むと熟睡するのに役立つのだ。
「レモンみたいな酸っぱい爽やかな香りがいいですねぇ」
美鈴はニコリと笑って、私に茶葉の入ったボトルを返す。
「いい匂いだけじゃなくてリラックス効果もあるのよ」
「へぇー。 咲夜さんって最近は医療もかじるんですか?」
「パチュリー様の受け売りよ」
「パチュリー様が何を言っているのか理解できるだけで凄いですって。 私なんか、たまに日常会話ですら噛み合わないんですよ」
パチュリー様とはこの屋敷の図書館に居候しているレミリア様のご友人だ。
西洋出身の魔女らしいが、扱う魔術は7曜──地水火風金月日──をメインとする東洋魔術を得意とされる。
レミリア様からまるで大図書館と会話しているようだと言わしめすほどのズバ抜けた知識量を持っているため、紅魔館の参謀役としてレミリア様の右腕のような立場にいらっしゃる。
美鈴の言ったとおりパチュリー様は口数が少ないため、その言葉の行間を頑張って読まないと会話が成立しないことが多々ある。
「パチュリー様が何を求めているのか相手の気持ちになれば簡単よ」
「んー。 咲夜さんの気持ちなら簡単に分かるんですけどねぇ」
「……私は顔に出やすいっていいたいの?」
「いえいえ、私って気をよむ能力を持ってるじゃないですか。 魔女のパチュリー様には効かないですけど、人間の咲夜さんには効くんじゃないですか?」
たしかに美鈴と会話しているときが一番気楽で落ち着く。私は仕事中に関わらずプライベートでも常に完璧で瀟洒であることを意識しているけれど、美鈴の前となると口調が砕けてしまう。
「それじゃ、今の私の気持ちが分かる?」
「そうですね。……んー。……早くお茶菓子が食べたいなぁ。ですか?」
「ふふ。 それはあなたの気持ちじゃない」
「ははは。 そうでした」
美鈴は私の方に向き直ると、私の頭に手を伸ばして撫でてきた。
昔はよく頭をなでて褒めてもらっていた名残か、今でも美鈴は私が何かやるごとに頭をなでてくることが多い。
昔は親子ほどの外見差があったため、頭を撫でるという行為に違和感は感じなかったけれど、今の見た目は年齢的に大差がないため違和感がすごくある。というか、この状態を他のメイドやレミリア様にみられてしまうときっと熱した鍋に投入されたポップコーンのようになってしまうだろう。
「もう、いつまでも子供扱いしないでよね」
と口では言っているが頭を撫でられる甘美な誘惑には抗えず美鈴が満足するまで黙って頭を差し出していることはバレているだろうか。
「咲夜さんの髪って柔らかくてきもちいいんですよね」
美鈴だって多少のことでは頭をなでるのをやめるつもりがないらしく、悪びれた様子もなく手を動かし続けている。
「……っと。 そろそろ仕事が終わる時間なのでせっかくですから私の部屋で飲みませんか?」
美鈴は私の髪の毛の感触を十二分に堪能したのかそっと彼女の手が離れていくのを感じた私は名残惜しそうに視線をあげる。
「……もちろんいいけど。……ちゃんと部屋の掃除してるわよね?」
「乙女に向かって失礼ですよー。 ちゃんと週に一度は掃除してますって!」
「掃除は毎日しなさいよ。 いいわ、ついでに掃除もしてあげる」
◆
美鈴の部屋の内装は私が幼い頃から大きな変化はないけれど、一カ所だけ年々変化している場所がある。
それは箪笥(たんす)の上だ。
私のヘソ程度の高さしかない桐箪笥の上は掃除が行き届いているためホコリひとつ被っていない。その箪笥の上にはズラリと写真立てが並ぶ。
河童に作ってもらったカメラで風景や人物を撮ることが美鈴の趣味の一つで、特に私の写真を好んで撮っては写真立てに入れて飾るようにしているらしく、年々、箪笥の上のコレクションが増えていっているというわけだ。
写真とは不思議なもので、久々に手にとってみると時間を超えて当時の記憶が蘇ってくる。
たとえば、これは初めてメイド服を着た時の写真。
この時はガーターとパンツの各順番を知らずにパチュリー様に教えてもらいつつ四苦八苦して何とかメイド服を着るのに1時間もかかった。
そしてこれは、いたずらをして美鈴に怒られて泣いている時の写真。
アリの巣の底がどうなっているのか、園芸用のスコップで掘り進めていると、中庭の草花も一緒に掘り返してしまっていたらしい。
あの時は、美鈴に怒られたということよりも、優しい美鈴を怒らせてしまった自分が情けなくてワンワンと声を上げて泣いてしまった。
懐かしい記憶が形になって残っているのは嬉しいような、恥ずかしいような……。写真を見て昔を思い出している、後ろから美鈴の視線を感じたので何事もなかったように掃除の作業に戻る。
(昔のことは私の弱点でしかないもの。 見ざる聞かざる言わざるよ)
6畳程度の美鈴の小さな部屋の掃除は30分とかからずに終わり、それと同時に火にかけていたヤカンからピーッという汽笛音が鳴り響く。
「掃除も終わったことだし、そろそろティータイムにしましょうか」
「やった! 早くいただきましょう」
彼女との時間はあっという間に過ぎていく。
美鈴が聞き上手なのか、私がおしゃべりなのかわからないが、大抵は私が一方的に話をしていることが多い。
今日あった妖精メイドの失敗談から、レミリア様のお洋服の仕立て案と、次々と話をしているうちにすっかりと空も白み始めてしまっているようで、それを見た私は慌ててポケットから懐中時計を出して時刻を確認する。
既に短針は5時を指そうとしているところだった。
「……いい時間になっちゃったわね。 それで本題なんだけどね、美鈴」
「お茶菓子ですね?」
「そうなの。 明日のお茶会には新作のお菓子を出したいのよ」
「なるほどなるほど。 それで私は新作の試食をすればいい訳ですね?」
「そういうこと。 レミリア様にお出しするか決めたいから辛口コメントでお願いね」
「結構大事なお仕事ですね。 がんばります!」
さっそく美鈴が手を伸ばしてバスケットからビスケットを取り出す。
この新作ビスケットはいつものビスケットのレシピから倍量のバターとほんの少しのミルクを入れたもので、バターが多いぶん濃厚な香りと生地がホロリと口の中で溶ける不思議な食感に仕上がっている。
単純に好奇心から分量を倍にしただけのビスケットがここまで美味しくなるとは思っていなかったため、初めて作ったときはあまりの美味しさに、我ながら凄いお菓子を作ってしまったと密かにつけている日記に書いたくらいだ。
その新作ビスケットを口に放り込んだ美鈴は、目をつぶって咀嚼を続け、ゴクリと喉を鳴らしてからウーンっと渋い声をあげた。
「結構自信があったんだけど。……ダメかしら?」
「え、いやいや! こんなに美味しいビスケット初めてですよ! おいしいです!」
「あら? 唸ってるもんだから口に合わなかったのかと思ったじゃない」
「その……。おいしい以外の表現方法が見つからなくて、気の利いた事を言おうと思って悩んでたんですよ」
頭をポリポリとかくのは美鈴の照れ隠しの癖だ。
「あなたに文豪のような評価なんて期待してないわよ」
「あ、咲夜さんひどい!馬鹿にしてるでしょ!」
「ふふ。 ちょっとだけね」
美鈴のお墨付きももらったことだし、明日のお茶会にはこの新作ビスケットを持って行くことが決まった。
「明日のお茶会が楽しみね」
「楽しみですねぇ」
ハーブティーの効果もあって、その日の私はいつも以上に熟睡することができた。
次回『動かない大図書館』
「なんで私が。……ホント、気が重い」