セシリア・ダイアリー   作:若谷鶏之助

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Page2:「ベスト・イースター・エヴァー」

 三月二〇日。ロンドン郊外オルコット邸にて。天気は快晴、いいニュースと合わせて最高の一日になった。

 

 

 

 仕事が終わり、食事を終えたわたくしのもとへ入った一本の電話。愛しの彼からの電話というだけで嬉しいのに、さらに嬉しいニュースが。

 

「えっ? そ、それは本当ですの?」

『ああ。次の復活祭(イースター)に休暇が取れたから、そっちに向かおうと思う』

「まあっ! 嬉しいですわ!」

 

 彼は電話の向こうだと言うのに、満面の笑顔で返事をしたわたくし。

 こうして彼と話していること自体、わたくしにとってはこれ以上ないご褒美なのに、最高に嬉しいニュースまで届いたのだから、わたくしの機嫌は最高潮の一言だった。

 

『悪い、そろそろ戻らなきゃないけないな。……切っていいか?』

「はいっ、一週間後、お待ちしておりますわ」

『ああ。……じゃあ、おやすみ』

 

 いつもの優しい声で囁かれて、わたくしはどきりと高鳴った胸の鼓動を感じた。おやすみなさい、と小さく返すと通話が切れて、携帯電話はその役目を終えた。

 はあ、と熱っぽい吐息が漏れて、携帯電話をベッドの横の小棚に置いたわたくしは、この気持ちを忘れないうちにと日記を書き綴っています。

 復活祭(イースター)。キリストが磔にされたあとに復活したことを祝う日で、日本では馴染みがない名前だけれど、キリスト教圏では有名な祝日で、クリスマスと並ぶ一大イベントだ。街中が色とりどりの卵によって飾られる。

 毎年日にちが変わって、今年は三月二七日がそれにあたる。その日に、彼がイギリスに来てくれるという。予定では、復活祭当日と翌日も滞在してくださるそう。二日も一緒にいられるなんて、これで嬉しくないわけがない。

 ただし、手帳を開くと……二七日、二八日にはしっかりと仕事の予定が入っていた。書いたのは他でもないわたくし。自分の字だったけれど、無性に憎らしく感じる。

 そう、問題はわたくしの側にある。去年の復活祭は休みだったけれど、今年はそうではなかった。つまるところ、わたくしが真っ先にすることと言えば、政府にかけあって何としても二七日とその翌日を休暇にしてもらうことだった。

 部屋のベルを鳴らして、優秀な秘書にして親愛なる幼馴染、チェルシー・ブランケットを呼び出した。程なく、部屋のドアがノックされた。

 

「お呼びでしょうか、お嬢様」

「ええ。入ってよろしくてよ」

 

 失礼します、と一礼と共にチェルシーが入室した。親しき仲にも礼儀あり。こういった礼節をきっちり守るところも、わたくしが彼女に絶大な信頼を置く理由の一つだった。

 ご苦労様、とチェルシーを労ってから、お願いがあるのと要件を伝えた。

 

「お願い、ですか?」

「ええ。明日、政府と交渉しますわ。チェルシーにはそのコンタクトをとっていただきたいのです」

「承知しました」

 

 すべてを理解したような一言だった。わたくしもそれ以上は何も言わず、来る明日からの戦いに備えたのでした。

 

 

 

 ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 

 

 

 三月二一日。国立IS研究所休憩室にて。天気は雨、ついてないですわ。

 

 

 

 今日は激動の一日でしたわ。本日の業務に加え、休暇のための交渉まで加わったものですから。そのお陰で今日は研究所に泊まり込み。

 まあそれも、彼との休日を勝ち取るために必要なこと。今日の分の美容ケアは明日以降でリカバリーするといたしましょう。

 復活祭当日のわたくしの予定は、国内の競技場での模擬戦となっている。政府としても、国家代表としてのわたくしの実力と人気を高く評価してくれているようで、わたくしの参加によってもたらされる広告効果は捨てがたいのでしょう。光栄なことですけれど、わたくしにとっては彼との休日の方が大事だった。

 明日からもハードな日々は続くでしょうし、今日のこれくらいで筆を置くとしましょう。おやすみなさい。

 

 

 

 ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 

 

 

 三月二三日。オルコット邸にて。天気は……どうだったかしら、覚えていませんわ。

 

 

 

 ……はあ、やっと片付きましたわ。結局昨日も忙しくて日記をつける暇さえありませんでしたから。

 ――ああ、眠いですわ。三日間の疲れが一気に襲ってきたような感じ。それでも、何とか休暇を勝ち取れたので――(机上で寝てしまっていたようですわ、途中でごめんなさいね。〈三月二四日追記〉)

 

 

 

 ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 

 

 三月二四日。オルコット邸にて。天気は晴れのち曇り……とは言っても、起きたときには既に曇っていたけれど。

 

 

 

 ……おはようございます。起きたら午前一一時。こんなに朝遅く起きたのは久しぶりですわ。

 昨日は疲れのあまり、机の上で寝ていたようで。夜中にチェルシーが毛布をかけてくれたおかげか、特に体調を崩すことなく翌日を迎えることができたのは幸いだった。とは言っても変な体勢で寝てしまったので、腕や腰がとても痛い。

 そんな代償があったにせよ、とにもかくにも復活祭当日と翌日を休暇とすることはできた。緊急の呼び出しがあった場合は応じること、そして来年は必ず参加することが条件として付け加えられたけれど、それはまったく構わない。

 何故なら、来年のこの時期までには、結婚の件も何とかしてみせると、彼が言ってくれているから。来年はわざわざ休暇を取らなくても、一緒にいられるように。そのために、わたくしも全力を尽くすつもりでいる。

 今日は午後二時に出勤と決まっている。のろのろとブランチを胃に入れたあと、出勤までの僅かな時間で日記を書くしかない。

 ……はあ、今日も特に内容があることは書けませんでしたわね。チェルシーが急かすので、このくらいでやめておきましょうか。では。

 

 

 

 ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 

 

 

 三月二五日。夕食後のオルコット邸にて。天気は晴れ、絶好の買い物日和でしたわ。

 

 

 

 今日は仕事を終えたあとにチェルシーと買い物をしてきました。今日のチェルシーは、オルコット家当主の筆頭メイドとしてではなく、セシリア・オルコットの無二の幼馴染として付き添ってくれた。公私に渡ってわたくしの傍にいてくれる彼女に、どれだけわたくしが助けられているかは、言うまでもない。

 

「お嬢様、このカーディガンはいかがですか?」

「ええ、デザインは良いのですけれど、少々サイズが」

「惜しいですね……」

 

 そんな他愛のない会話をしながら、街中を歩いたわたくしたち。最近あまり買い物できていなかったから、その分とばかりに二人でたくさん服を買い込んだ。

 主に新作の夏物を揃えていたけれど、明後日のためにいくつか春物のアイテムも買ってみた。彼が何と言ってくれるか、とても楽しみですわ。「似合ってる」なんて、ありきたりなことを言うでしょうか。もしそれなら、気の利かない人ですわね、なんて言って、ちょっと膨れて拗ねてみようかしら。機嫌を損ねたと思ってオロオロする彼が見られるかもしれない。

 くすりと笑いが溢れて、わたくしはねえチェルシーと、隣のチェルシーに問いかけた。

 

「誰かを想う気持ちって、素晴らしいと思わない?」

 

 例えその人がいなくても、その人と過ごした想い出が、その人との時間を思い出させてくれる。会えなくても、会えない分だけ想いは強くなっていく。

 わたくしが空を見上げていたら、チェルシーはああ、と感慨深そうに呟いた。お嬢様は、大変お美しくなられました、と。

 

「わたくしが?」

「はい。恋を知り、愛し愛される生涯の伴侶を得て、見違えるほどに美しく、そして強くなられました」

 

 幼馴染の賛辞に、少し頬が赤くなった。

 幼くして両親を亡くし、家のために身を捧げてきたわたくし。財産を、誇りを、そして使用人たちを守るため、わたくしは大人たちと戦ってきた。チェルシーは、それが心配で仕方なかったという。幼いわたくしの心が、いつか限界が来て壊れてしまうのではないか、と。

 ですが、とチェルシーは続けた。

 

「お嬢様は、大変強いお心の持ち主でした。死に物狂いの努力でオルコット家をお守りになり、苦境に負けない強さをお持ちでした」

 

 それでも、わたくしが失ったものがあったという。それは――笑顔だと、チェルシーは言った。

 

「いつも私共に笑いかけてくださるお嬢様の笑顔が失われたこと。それが私どもにとって、どれほど悲しいことであったか――」

 

 当時を思い出したのか、チェルシーの表情が曇った。しかし、とチェルシーは言う。

 

「お嬢様は再び変わられました。あの方と出会って、お嬢様はまた私どもに笑顔を見せてくださるようになりました」

 

 あの方、とは彼のことでしょう。

 そう、彼と出会って、わたくしのすべては変わった。そして、彼は教えてくれた。恋で人は変われることを、誰かを愛する喜びを。

 

「私は、お嬢様ほど美しいお方を知りません。美しさと、強さと、そして愛を包み込んだお嬢様の笑顔の前には、世のどんな美女であっても敵いはしないのです」

 

 わたくしより背が少し高いチェルシーは、わたくしの目を優しく見下ろして言った。

 

「私は、そんなお嬢様にお仕えできることを、心から誇りに思っています」

 

 彼女の優しい微笑みに、わたくしも自然と笑顔になるのだった。

 誇りに思う、とチェルシーは言った。それはわたくしもそう。チェルシーのような素晴らしい女性が支えてくれるから、それに恥じない立派な当主でいたいと思える。喜びを倍に、悲しみを半分にしてくれたのは、他ならぬ彼女と……そして、邸の人々のお陰だった。

 恵まれていますわね、わたくしは。わたくしの傍にいてくれる彼女の存在の大きさを、改めて強く感じた一日でした。

 

 

 

 ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 

 

 

 三月二七日。空港からの帰り道、リムジン内にて。天気は快晴、言うことはありませんわ。

 

 

 

 朝から落ち着きのない一日が始まりました。いつも通りの時間に起きれたは良いものの、結局どの服を着ていくか時間ギリギリまで悩んでしまった。

 やっと着ていく服が決まったら、今度は化粧をして、それからチェルシーを伴って邸を出て。空港に着いたあとも、彼がターミナルの出口から出てくるまでそわそわして落ち着かない。

 お嬢様、とチェルシーに声をかけられたら、「は、はいっ!?」と声が裏返った。わたくしの反応が面白かったのか、くすくすと笑い混じりに、「そんなに緊張されなくても、大丈夫です」とチェルシーが言う。

 

「何も特別なことは必要ありません。普段通りのお嬢様でいれば」

 

 うう、もう一〇代でもありませんのに……。恥ずかしい。

 必死に自分を落ち着かせようと、大きく深呼吸したときだった。お嬢様、とチェルシーが一言呼び、ターミナルの出口を示した。

 見上げた先にあった光景。その瞬間、わたくしは――。

 

「あ――」

 

 呼びかけようとしたけれど、声が出なかった。考えるより先に、足が前に出る。

 彼は、わたくしに微笑んでいた。軽く手を挙げて、その端正な顔に柔らかな微笑を浮かべ、手を振っている。いつものスーツ姿ではなくて、初めて見る私服を着て。

 今日のために、選んでくれたのかしら。そんな些細な問いかけはどこかに追いやって、ただわたくしは彼の元へと駆けた。

 満ちていた緊張も、彼の姿を見てすべてが吹き飛んだ。ただただわたくしは、彼の元へと駆けた。

 彼がすぐ近くで手を広げて待っている。わたくしは、その胸に躊躇いなく飛び込んだ。優しく抱きしめられて、わたくしも彼の背に手を回す。

 

「――ただいま、セシリア」

 

 優しい声が響き、胸がぎゅっと締め付けられた。あたたかな彼の匂いに包まれて、わたくしはゆっくりと「はい、おかえりなさい」と答えた。

 周りの人が注目していても、チェルシーが見守っていても構わない。ただ心の赴くまま、わたくしは彼と抱き合っていた。

 

 ――ああ、揺れるから字が書きにくいですわね。車の中で書いているから仕方ないのですけれど。

 それでも今日は書く時間がないから、今書くしかない。先ほどの素晴らしい時間を日記に書かないのは惜しいですし。

 彼は今、フライトの疲れもあってか隣でうとうとしている。膝枕でもしてあげようかとも思ったけれど、それでは日記が書けなくなってしまいますのでお預けということで。ごめんなさいね。

 今日これからの予定は、デートをして、食事をして、と特に変わったことはしない。それでも、彼がいるだけ今日と明日は特別な日にな。

 

「……楽しみですわね」

 

 わたくしはそう言って、いつの間にか夢の世界へ旅立っていた彼の頬にキスを落とした。

 彼はもぞもぞと体を捻っただけで、まるで起きる気配はない。寝ぼすけの彼に笑いかけて、わたくしは日記の筆を置いた。

 

 

 

 ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 

 

 

 三月二八日、オルコット邸寝室にて。天気は、言うまでもない。

 

 

 

 翌朝。庭の鳥が鳴く声が聞こえる中、くすぐったい感覚がして、わたくしは目を覚ました。

 穏やかなまどろみに包まれてゆっくり目を開くと、彼の胸元が目に映った。どうやら彼が髪を梳いていくれているようだ。慈しむようにわたくしの髪を撫でるその手はとても心地よくて。目は覚めてしまったけれど、せっかくだからと狸寝入りをすることにした。

 しかし、彼と自分が互いに一糸纏わぬ姿でいることを認識した途端、昨夜のことを思い出して顔がかーっと赤くなった。顔を隠すように、寝ているフリをしながら彼の胸元に顔を押し当てた。

 彼は気づいたでしょうか? おはようとも言われませんし、これはセーフ? 彼はと言えば、変わらずに髪を撫でてくれている。まあ、セーフということにしておきましょう。

 

 ――わたくしは今、至上の幸せの中にいる。それは疑いようのない本心。最愛の彼と愛を確かめ合って、彼に包まれて朝を迎える……これが幸せでないと言うのなら、きっとこの世に幸せなんてない。

 けれど、その大きすぎる幸せは、時折わたくしを不安にさせる。こうして彼と穏やかな朝を過ごす度、普段離れて暮らしていることを強く意識してしまう。

 わたくしが遠距離恋愛が一番辛いと感じる瞬間は、会えないときではなくて、こんな幸せな一瞬だった。「今度はいつ会えるの?」――なんて、意地悪な疑問が幸せの裏に潜んでいる。

 それでも、わたくしはその不安に負けるわけにはいかない。どんなに不安であっても、彼を信じ、己を信じ、未来を掴み取ること。それが、わたくしを愛し、「結婚しよう」と言ってくれた彼への最大の恩返しだと、わたくしは思っています。

 いつか、この特別な朝が当たり前になるように。いつか、この幸せな一日が平凡な日常だと思えるように――。そのために、彼とわたくしは、世界と、そして権力と戦い続けていく。

 

「――約束する」

 

 不意に、鼓膜に彼の声が響いた。独り言のつもりで言っているのかもしれない。

 

「必ず、皆に祝福される幸せな結婚式を、君にプレゼントする」

 

 力強く、彼は言った。心の中の一抹の不安さえどこかへ消え去って、わたくしの心は希望と活力に満ちた。

 その言葉だけで、わたくしはきっと何年だって待てる。彼がわたくしとの約束を破ったことは一度もない。その彼が必ずと言ってくれているのだから、それ以上に信頼できることなどないのです。

 

「だから……もう少しだけ、待っていて欲しい」

 

 ――ええ、勿論ですわ。心の中でそれに答えた。

 そう、わたくしは彼の婚約者。彼との未来を信じ、強く今を生きる。

 その決意を新たに、わたくしは彼の体温に身を委ねた――。

 

 

 

「……それで、いつまで寝たフリをしているつもりなんだ? 俺のお姫様は」

 

 ……気づいてましたのね。この口ぶりだと、最初からでしょうか。気づいた上で、ずっとわたくしの様子を伺っていた、と。相変わらず意地悪な人ですこと。

 わたくしはくるん、と体を反転させて彼に背を向けた。

 

「さあ、何のことでしょう? あなたのお姫様は眠ったままですわよ」

 

 はは、と笑いながら、彼は後ろからまた抱きしめてくる。どうしてだ、と彼が聞くので、拗ねたフリをして彼に言う。

 

「明晰なわたくしの婚約者なら当然ご存知のはずですわ。おとぎ話のお姫様が、王子様のキスで目覚めることくらい」

 

 それくらい常識でしてよ、なんて挑発してみる。ちょっとした意趣返しのつもりだったけれど、大胆だったかしら。

 彼はまたくつくつ笑いながら、わたくしの肩にぐっと力を入れて、上を向かせた。それから、目を閉じたたままのわたくしの頬をそっと撫でて、優しく口づけた。

 朝の少しかさついたキスの感触が、逆に昨夜の情熱の深さを伝えてくれるようだった。数秒重なった唇が離れたとき、お約束通り、王子様のキスを受けたわたくしは、ゆっくり目を開く。

 

「おはよう、セシリア」

 

 ぼやけた視線の先で、彼は微笑んでいた。

 

「……はい、おはようございます」

 

 わたくしは、ありったけの愛を込めて彼に笑いかけた。どこか馬鹿馬鹿しいやり取りに可笑しくなって、二人で笑い合ったら、離れた唇はもう一度重なった。

 復活祭(イースター)の翌朝。昨日のお祭りの熱は、冷めるどころか、まだまだ熱くなる模様です。




以上、イースター編でした。お楽しみいただけたでしょうか?
次回更新は未定ですが、4月中旬を予定しております。

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