四月一日、ロンドン郊外オルコット邸にて。天気は快晴、言うことはありませんわね。
今朝起床してニュースを見ていると、突飛な報道が流れていた。内容はというと、「空飛ぶ海老が発見された!」というもの。映像では、まるで水中にいるかのような動きで海老が空中を跳ねていた。
そんな馬鹿な、とわたくしは当然思ったのですが、番組もキャスターも大真面目に報道していたから、本当にそうなのかと思い始めたところで、今日が四月一日であることに気づいた。
四月一日と言えばそう、今日はエイプリルフール。一年に一度、嘘をついても良い日だった。午前中についた嘘が午後でネタばらしされるというケースがメジャーで、一日の午前のふざけた報道や虚言も、午後にはジョークでしたと笑って終える。しかし、毎年毎年ニュース番組までもが大真面目にふざけるので、つい本当なのかと毎年のように騙されてしまうわたくしだった。
……そういえば、十年ほど前のエイプリルフールで「男性がISを動かした!」なんていう報道があった気がしますわね。そのときばかりはありえない、と嘘を即座に見破って一蹴したわたくしだけれど……まさか、その数年後にそれが本当になるなんて。今となっては、嘘の報道ではなかったのかもしれないとさえ思う。だって、そんなことはわたくしと彼が出逢えたことに比べればほんの些細なことだから。彼だけではない、今のわたくしを形作る素晴らしい人々との出逢いは、何億何万という巡り合いのほんのひとつの奇跡が重なり合った結果だ。そうして考えてみると、この世界でありえない出来事なんてないのかもしれないと思ってしまいますわ。
……閑話休題。エイプリルフールを賑やかすニュース・ジョークを目にしたわたくしは、いつものように日課をこなし始めた。
「お嬢様、本日の予定ですが……」
シャワーを浴びて夜着から着替え、朝食を摂るわたくしに、いつものようにチェルシーがスケジュールを確認しながら連絡してくれる。
今日の仕事内容も普段と大差はなかった。出勤前に行う家の各種執務に加えて、研究所での勤務、市内の施設への派遣。ひとつひとつ頭で確認しながら、段取りを整えていたわたくしだったけれど、その中に信じられない仕事が混ざっていた。
「――最後に、国立第一アリーナにて、フランス代表シャルロット・デュノア様との模擬戦が予定されています」
「は、はい?」
思いがけない名前が飛び出し、ナイフとフォークをぴたりを止めた。
「え、ええっ!? シャルロットさんと!?」
驚きのあまり声を上げてチェルシーの方を振り返ってしまった。
「き、聞いていませんわ!」
「非公式な模擬戦のため、外部への情報漏洩を警戒してのことかと」
「そんな……!」
シャルロット・デュノア。IS学園にいた頃の同級生で、在学中は共に戦い、そして鎬を削った戦友であり親友であった。卒業後はフランスの国家代表になり、実家であるデュノア社の開発部に所属している彼女。今でも公私に渡って親交が深いシャルロットさんだけれど、今日模擬戦を行うだなんて本人からはおろか政府からも一度も聞いていなかった。仮にも国家代表同士の模擬戦なのだから、政府が間に入らないはずはないのに。
確かにフランスとは海を隔ててすぐですから、移動も一日で済みますし実現不可能ではないでしょうけれど……。そんな予定があるなら皆教えてくださってもよろしいのではなくって? もしかしてシャルロットさんはサプライズのためと黙っていたのでしょうか。
「チェ、チェルシー。それは本当ですの?」
もし実現するのなら、シャルロットさんとの模擬戦なんて本当に久しぶりのこと。もし、今日シャルロットさんとの模擬戦があるなら? 心躍らないわけがない。あのシャルロットさんと、学生のときのようにまた試合ができるのだから。ああ、会ったらどんな話をしようかしらなどと早くも皮算用を始めてしまっていたわたくしでしたが。
「はい、お嬢様。嘘です」
残酷なまでに、にこりと笑顔で、さらりとチェルシーは言った。
「申し訳ありません。今日はエイプリルフールですから、つい」
……ええ、そんなことだろうと思いましたわ。ええ、分かっていましたとも。チェルシーの言う通り、今日はエイプリルフールですから。騙されてなんかいませんわ。ええ、勿論ですわ。
よーく考えれば、いくら旧知の仲でも国家代表同士の模擬戦が突然今日連絡されるはずがない。メディアから一切そのような話を聞かなかったことからして、嘘だということは簡単に見抜ける。チェルシーの嘘にまんまと引っかかって赤面し、それを誤魔化すようにわたくしは朝食との格闘を再開した。大嘘つきのチェルシーはというと、傍で控えながらも絶えずくすくすと笑っていた。わたくしがあまりにも綺麗に騙されたのがよっぽど面白かったようだ。
ジト目で抗議したら、「失礼しました。お嬢様は素直な方でいらっしゃいますから、わたくしも大変騙し甲斐があります。反応も完璧です」とはチェルシーの弁。
……チェルシー、わたくしたち気心知れた幼馴染ですけれど、一応メイドと主人という関係なのだから相応の慎みというものがあってもよいのではなくって? ……などと、わたくしは普段は思いもしない不満を内心ぶつぶつ唱えていた。……言葉の綾ですわよ? チェルシーとの距離感は、今までもこれからもこれがベストですわ。
そんなこんなで今日の朝は過ぎていき、仕事へ向かう時間となった。服装と化粧を整え、リムジンに揺られ仕事場へ向かった。
「では、お嬢様、行ってらっしゃいませ」
いつも変わらないチェルシーの見送りに、「……行ってきますわ」と少し膨れながら、わたくしはお仕事へと向かったのでした――。
休憩時間だとここまでですわね。帰って付け足すといたしましょう。
では、お仕事を終えてから、また。しばしお待ちを――マイ・ダイアリー。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
さて、やっと日記が書けますわ。いろいろあったから、書き残しておきたいですわね。
スケジュール通り、仕事を終えて邸に帰ったわたくしです。食事は済ませてきたから、あとは入浴と体操、お肌のケアをすれば今日は就寝時間まですることがない。少し乾燥していますし、いつもより入念にお肌のケアをさせていただきましたわ。(わたくしももうにじゅ……二十歳を越えましたから、お肌のケアは死活問題ですわ。人間二十歳を越えたら老化と言いますし?)
結局、今日は邸を出て仕事をしている最中にもジョークをもらい、同僚に何度も騙されてしまった。その都度新鮮なリアクションを披露してしまい、チェルシーのときのように笑われたのは言うまでもない。「騙して楽しい」との不名誉な誉め言葉もいただきましたし、今後はもっとクールな態度で職務に当たる必要があるかもしれませんわね!
「……もう、エイプリルフールなんて嫌いですわ」
「あはははははっ、そんなことがあったんだね」
フランス代表シャルロット・デュノアさんは、笑いながらわたくしの愚痴交じりの近況報告を聞いていた。
「チェルシーったらひどいでしょう?」とわたくしが尋ねると、シャルロットさんは「確かにねー」と相槌を打つ。
「でも、箒とか鈴と模擬戦って言われたら流石に嘘だって分かるけどさ、僕とって嘘つかれたら、ちょっと本当かなって思っちゃうよね」
このご時世、パリとロンドンなんて片道数時間ですものね。シャルロットさんは、うんうんとテレビ通話越しに頷いていた。画面に映る彼女は、学生の頃よりもぐっと大人びていて、写真で見るよりも綺麗に見える。
仕事が片付いたあと、今朝の一件もあってどうしてもシャルロットさんとお話がしたくなり、電話をしてしまった。運よくシャルロットさんも予定がなかったらしく、通話する時間を作ることができた。お互い多忙な身、こうしてプライベートにお話しできる機会ができたことは貴重だった。
久しぶりに話すせいもあって、シャルロットさんからも話題は尽きなかった。日々の仕事のこと、家族のこと、そして恋のこと。それぞれ学生時代とはまた違った思いを抱えて、それらを少しずつ整理しながら生活しているとシャルロットさんは言った。確かに、以前のシャルロットさんは穏やかな笑顔の中で、どこか影のある表情を隠していたように感じていた。それが何であったか、わたくしにも何となく想像はついていて、いつかそれが晴れればどんな表情でシャルロットさんは笑うだろうと思っていた。それが完全ではないにせよ晴れた今、目の前に映るシャルロットさんの笑顔は本当に眩しいと感じるのです。
「ねえセシリア。エイプリルフールで思い出したんだけど、僕、嘘って聞いたらどうしても浮かんでくる人がいるんだよね」
……ええ、わたくしも浮かんできますわ。そうわたくしが苦笑したら、シャルロットさんは「じゃあ、せーので発表ね」と言うので、シャルロットさんの声に合わせて名前を呟くと、二人の声が見事に重なった。ぴたりと――彼の名前だった。
「ふふっ、やっぱり」
婚約者のセシリアもそう思うんだね、と笑顔のシャルロットさん。そう、わたくしも嘘つきと聞いて真っ先に思い当たるのは、わたくしの最愛の婚約者である彼だった。
彼は嘘つきな人だ、とわたくしは思う。まるで真実であるかのようにあっさりと、さりげなく嘘をついて人を納得させてしまう。嘘のつき方と中身が絶妙で、あまりに自然だから、周りの人間は何も疑わずに信じてしまう。
でも、彼は嘘つきであっても軽薄な人間ではない。彼の嘘は……いつも誰かのためにつくものだから。彼は、優しい嘘つきなのです。彼は目的があるとき――誰かを護るためなら、誰かを騙すことは躊躇わない。例えそれが、彼が護りたいと願う本人であっても。その結果、その人から憎まれようとも。
――そう、彼がわたくしを戦いから遠ざけようと、一度別れを告げられたときもそうだった。彼の優しい嘘に守られ、それに怒り、悲しみ、見事に彼の嘘に騙されはしたけれど、最後は彼の嘘の裏側にある優しさと本当の想いに気付けたから、わたくしは今こうして彼の婚約者として生きている。だから、いつも誰かのために優しい嘘をついて悪者になる彼を、わたくしだけは理解してあげたいと思うのです。
「セシリア、彼とは上手くやれてる?」
「ええ、勿論ですわ。たまにしか会えないのが、寂しいですけれど」
「そうだね……でも、一緒になるため、だもんね」
わたくしははい、と笑顔で答えた。シャルロットさんはうん、と満足げに答えた。
シャルロットさんや、同級生の皆に見守られながら、わたくしと彼は将来へ向けてやるべきと思ったことをしてきた。それがいつになるかはわからないけれど……いつか彼と結ばれることが叶った日には、お世話になった分だけ、皆さんに幸せな姿を見せたいと、わたくしは思っている。
そのあともいくつか話題があったけれど、もうこんな時間だね、とシャルロットさん時計を見て呟いたのを皮切りに、今日のお電話は終了ということになった。
「ごめんね、僕ももうちょっと話したかったんだけど……」
申し訳なさそうにシャルロットさんは言う。そんな、とんでもありませんわ。突然お電話したのはこちらですのに。
「じゃあ、今日は切るね。二人の結婚式には絶対行くから!」
「ええ。進展があったら、また改めて皆さんに報告いたしますわ」
おやすみなさい、と就寝の挨拶を交わして、わたくしは通話終了のボタンを押した。長いようで三〇分もない短い通話だったけれど、久しぶりに聞く親友の声で、元気が出た気がした。
シャルロットさんとお話したら、他の皆さんともお話したくなりましたわ。一度、アポを取ってお電話してみようかしら。そのときにできれば皆さんが揃う日にちも決めて、どこかで食事するのも良いかもしれませんわね。普段こういうことは、鈴さんがセッティングしてくれていますけれど、今回はわたくしが何かしてみましょうか。
明日のお仕事について考えることが沢山あるのに、つい楽しいことを思いついてしまって、そちらにばかり思考が行ってしまう。まあ、お仕事のことばかり考えていては気が滅入ってしまいますし。たまにはこういうのも良いでしょう。
手帳を見ながら、ああすればこうすればと考えていたときです。
「――あら?」
携帯電話のチャットアプリで、メッセージが届いていた。他の方からのメッセージとは違う着信音――彼からだった。
この時間だと日本はまだ早朝にもなっていないのに。何でしょう、とアプリを開くと、二個ほどメッセージが届いていた。
『遅くにごめん』
『これだけは言わせてくれ 俺はセシリアが大ッ嫌いだ』
「……はい?」
もうその言葉にショックを受けるとか、そういうレベルではなくて。あまりの脈絡のなさに呆気に取られていた。
意味が分からず困惑していたところ、数秒して新しいメッセージが届いた。
『追伸、一日遅れのエイプリルフールということで』
彼曰く、そういうことらしく。
「……何ですの、それ」
わたくしは小さく噴き出した。彼にしては随分雑でへんてこな嘘だったけれど、これで何となく状況は理解した。多分、明日が休みなのを良いことに誰かとお酒を飲んでいたのでしょう。彼はお酒を人並み以上には飲めるけれど、飲まされたのかはたまた調子に乗ったのか、今はかなり酔っていてその勢いでわたくしにこんなメッセージを送ってきたのではないでしょうか。
とりあえず「わたくしのことが大ッ嫌い」は嘘ということですわね。意味をひっくり返せば、これはきっと彼からのリップサービスということなのでしょう。でしたら――。
『では、わたくしからもひとつ』
携帯電話の画面をフリックしながら、メッセージを打ち込んでいく。
『わたくし、あなたのことが大好きですわ』
――以上。
満足したわたくしは携帯電話を隣に置き、今日記を書いている最中。
「大好き」が嘘になるじゃないかって? そんなことはなくってよ。エイプリルフールは午前中に嘘をつくのがセオリー、今こちらは夜ですわ。
……第一、わたくしは「ひとつ」と言っただけで、嘘をつきます、なんて一言も言っていませんわよ?
彼はどんな反応するでしょう、なーんて楽しみにしていたら、隣の携帯電話がやかましく鳴り出した。着信音からして彼だから、きっとわたくしの思った通りに真逆の意味に取って焦ってわたくしの真意を掴もうとしている。
一日遅れでエイプリルフールの嘘を言ってきたのだから、ネタばらしも当然一日遅れ。明日の朝にはしてあげましょう。その間はうんと悩めばいいのですわ。
これは今まで散々優しい嘘で振り回してくれた、その仕返しですのよ。ね?
以上、1週間遅くなりましたがエイプリルフール編でした。あれよこれよと一年ぶりの更新となってしまいました。大変お待たせしました。
四月中にもう一つ書きあがっているネタがあるのでもう一度更新する予定です。蒼い炎の方はもう少々お待ちください。