次いで彼女は、少し苦い顔をしながら言った。
「私は、医者になんてなる気はなかったわ」
歓迎会の翌日。【カーラ・ファミリア】本拠兼店舗、「星空の迷い子」前にて。
「えっと、「ごめん、頭痛い。無理」だそうです」
「やっぱり」
言わんこっちゃない。という言葉は押し留め。
モニカちゃんからシーヴさんの苦しげな言伝を受け取った後。俺とエリン、イネフ、カテリーナさんの四人は、バベル二階の冒険者食堂の片隅で、
朝は朝だが早くはなく、割と人は少なめ。別にそんな心配をする必要はないが、盗み聞きされる可能性は薄い。交渉には向いている。
外見は多少異なるものの、原作の挿絵や画面越しで見ていたキャラクターと会話をする、ということは何か変な感じがする。妄想なんかじゃ味わえない、存在の圧が肌にキて堪らない。
「なあ、本当にそんなんでいいのか? こっちとしちゃあ助かるんだけどよ」
「実を言うともっと取っていってもらいたくはあるんだけど」
「あー、いや、もういい。それでいこう」
頭痛がする錯覚でも引き起こしているのか、イネフは片手で額を抑え、片手で俺を制す。
交渉は別に得意なわけではないけれど。今この場を掌握、というか、主導権を握っているのは俺だった。驚くことに。
話は簡単だ、スハイツさんの時と同じ条件、きっちり山分け。エリンと俺、イネフとカテリーナさんで二対二、数としては丁度いい。戦力的なことを考えると、【ワクナ・ファミリア】の二人にもっと持っていってもらっても一向に構わないのだが。
間違いなく、彼らの方が強いはずなのだ。こちらが同行を、頭を下げてまで
故に、何か理由があるのは確かだった。しかしそれが前回の『
まあ、単純に戦力が増えるのは嬉しいし良いことだろう。『
「報酬条件はそれでいいとして、【ステイタス】はどこまで開示すりゃいい? ツカサには俺の魔法、割れてるよな?」
「ああ、そういえば。範囲は……戦闘に関わる魔法は共有したいかな。スキルも場合に依っては」
この業界において、【ステイタス】はなるべく秘匿すべき個人情報である。数値から能力を推定することも出来るし、魔法やスキルの把握の有無は対峙した時の対応に大きく影響し、対人の状況に限るが、生存に直結する。
レベルを偽るとか、希少なスキルが知れることを防ぐため、なんていう場合もあるが、総じて【ステイタス】は簡単に教えるようなものではない。
何も口を挟まず、俺の隣に座っているエリンに目線を遣る。否定の意思を一切込めていない瞳が覗き返してきた、一先ずは肯定ということか。
魔法もスキルも、何の技能も有していない俺と違い、エリンは最初から
「前のことから、お前は信用できる奴だと思ってる。その仲間のヴァランシーもな。……っつーわけで、いいか?」
「私は、構いません。あなたがそう決めたなら、それで良いと思います」
何の事は無し、というように、カテリーナさんは小さく、短く首肯する。
それはエリンのそれとは全く別種、異議無し、と意見を表すのでなく、決定権は要らない、と、責任を放り出すような、そんな意思表示に感じた。
「んじゃこれ、俺らの【ステイタス】な。そっちのはまた今度でも」
「いや、丁度持ち合わせてる」
「おお、用意がいいな」
イネフが懐から二枚の紙を取り出す、それに合わせて俺も二枚、
こんなこともあろうかと、回復したときに更新してもらった俺のものと、昨日契約したエリンのものを持参してきたのだ。
イネフ・マクレガー
Lv.1
力:B 712 → 714 耐久:A 809 → 814 器用:A 865 → 866 敏捷:E 488 → 491 魔力:C 635 → 638
《魔法》
【ジャック・オー・ランタン】
・魔力拡散魔法
・詠唱式
【弾け飛べ、限外の異形】
《スキル》
【
・魔力と精神力を混同する
カテリーナ
Lv.1
力:D 588 → 591 耐久:D 562 → 566 器用:B 723 → 724 敏捷:C 661 → 663 魔力:D 511 → 512
《魔法》
【サン・リオン】
・偽装魔法
・具体性欠如の際は
・詠唱式
【灰に堕ち、灰を擁き、灰を着飾れ】
・解呪式
【榛の樹は揺れる】
《スキル》
【
・
ナツガハラ・ツカサ
Lv.1
力:E 402 → 420 耐久:E 459 → 480 器用: D 566 → 582 敏捷:F 385 → 397 魔力:I 0
《魔法》【】
《スキル》【】
エリン・ヴァランシー
力:I 0 耐久:I 0 器用:I 0 敏捷:I 0 魔力:I 0
《魔法》
【ベイナ・アウラ】
・発現魔法
・詠唱式
【✳︎】
【アルナ・バニ】
・再生魔法
・詠唱式
【悠遠の彼方に座する我らよ
遼遠の果てに散り開く我らよ
須臾に
【】
《スキル》
・同一個体による能力互換
・展開式
【我々は唯一にして無限、極限にして原点。遍く存在せし断片は此の号令に依り、今ここに顕現す】
なんというか。
予想はしていたものの、彼らの【ステイタス】、いや、《魔法》や《スキル》は、原作キャラ、ヴェルフ・クロッゾとリリルカ・アーデに寄っているものであった。こう言ってはなんだが、突っ込みどころ満載だ。
しかし動揺は見せてはいけない。俺は彼らの【ステイタス】を初めて知ったのだ、既知のものは一つもない。エリンさんにはバレていそうだが。
とりあえず、イネフの《魔法》を指で示す。
「この魔法がモンスターを
「おう、そうだ。こいつは主に魔石に反応して、魔力を拡散させる――つまり、爆発させる」
「一撃必殺じゃないか」
「それはそうなんだが、その実そこまで使い勝手は良くない。めちゃくちゃ
「なるほど……じゃあゴライアスとかを殺せるようなモノじゃないんだな」
「あいつレベルの魔石は俺が
「いや、話と絵を見聞きしたくらいだ、あんなデカい奴とは戦いたくない」
「そりゃそうだ」
類似している、というわけではなく。方向性とか、性質に同じ傾向が見出せそうな感じ。
ヴェルフ・クロッゾの魔法は【ウィル・オ・ウィスプ】という
制限付きの対魔物限定、ただし問答無用で弾けさせる。そういう魔法。
「じゃあこのスキルは? 効果の想像がつかないんだが」
「こいつは……実物を出した方が早えな」
「実物?」
そう言って、イネフは腰に差してあったいくつかの小さな剣のうち、一つをゆっくり抜く。
本来なら、鉄や鋼で拵えられた剣の身は、鈍色かそれに似通った色に光っているはず。それはこのファンタジーであるダンまちの世界でも、変わらないはずだった。
だが、彼が持つ短剣の刃は。
「紫……?」
鮮やかな、紫紺。
光を浴びても全てを跳ね返さず、低めの透明度を保ちつつ穏やかな光沢を持つそれは、まるで。
「魔石、を加工したものだ」
「そんなことが、出来るのか」
原作の描写からも、モンスターの核となっている魔石の硬度は高くなく、破壊が容易であることは読み取れる。実際に、簡単な刀剣であっても切ることが可能なのだ。少なくとも、それを刃物に加工しようと試みる者を聞いたことがないくらいには。
「ああ、出来る。精神力を混ぜることによって強度が増すんだ。仕組みはさっぱりわからんけどな」
「混同って、そういう」
「これはこれである意味の『魔剣』だな。本家の効果には及ぶべくもないが」
そうきたか。
この世界では、魔法を込めた剣、魔法を放てる剣のことを魔剣と呼んでいる。それは高い鍛冶スキルを持つ者、またはクロッゾという一族のみが打てるものであり、一般人は作成不能となっている。
そのため、冶金に就いている風でもなく、クロッゾでもない彼が、ヴェルフの特徴的な要素の一つである魔剣にどう関係してくるのかと思っていたら、魔剣の方を変更してくるとは。
魔「石」剣の持ち手を捻り、立てて見せるイネフは得意げな顔をする。
「こいつは魔法を撃てない。ただし、使ってる魔石を持っていたモンスターと同じ種類のモンスターは、装甲とか、防御とかを一切合切無視して斬り裂ける」
つまりは、ゴブリンの魔石を使用すれば対ゴブリン最強の武器に、カドモスの魔石を使用すれば対カドモス最強の武器が出来上がるということだ。
キラーアントだろうが、ハード・アーマードだろうが、何だろうが。恐らくは、それこそゴライアスだろうが、三大冒険者依頼の三体だろうが、何の問題も、手応えもなく断てる、と。
確かに、その性能は正に魔法の如き剣と称しても良い代物だろう。発展アビリティ、狩人の究極形のような感じか。
自慢できて満足だ、とばかりに魔剣を仕舞い込むイネフは、自分の【ステイタス】を除け、カテリーナさんの【ステイタス】を俺たちの前に寄せた。
「俺はこのくらいだ。次はカティアの……あ」
「この際です、カティアか、リーナで呼ぶようにお願い致します。戦闘中に私の名前は長いかと思われるので」
うちの主神は勿体ない、って言ってそのまま呼ぶんだけどな、とイネフは言うが。
ヒルダさんのことを未だに愛称呼び捨てに出来ていない時点で察してほしい、俺はそういう名前の色々はどうにも苦手なのだ。多種多様な人々が集まるオラリオでは普通なのだろうけれども。
「では、カティア、と呼ぶことにしよう」
「はい。どうぞ宜しく」
「同様に、我々はエリン、と呼び捨ててもらって構わない」
「おう、了解」
「わかりました」
そんな俺を知ってか知らずか、エリンさんは当然のようにカテリーナさんを呼び捨てにしていく。
しかしここで怖気付いているわけにもいかない。もうすぐ二十歳になる、コミュニケーション能力くらいは人並みにしなければ。
「よ、よろしく頼む」
カテリーナさ……カテリーナは、軽く会釈を返してくれる。彼女はイネフやクロッシュと違い、原作のリリルカ・アーデの容姿そのものなので、違和感が半端無い。
俺の齢といえば。今まで気にはしていなかったが、ここでの暦はどうなっているのだろう。現世と同じとみていいのだろうか。でもそんなことを訊けばこの世界の住人でないことまでバレやしないか。カレンダー的なものを意識して探すようにしよう。
まあ、今はカテリーナに関して、だ。
リリルカ・アーデの魔法は【シンダー・エラ】。シンデレラをもじったものだろう。自分の姿を変更する効果からもそれがわかる。
対して。カテリーナの魔法は。これもシンデレラをモチーフにしたものだとしたら。恐らく、フランス語訳、サンドリヨンをもじったものである可能性が非常に高い。だからどうした、という話ではあるが。
「私の魔法は、他人の外見を偽装するものです。効果範囲は私と対象以外。神には通用しません。合意があれば対象の精神力を消費する仕様に切り替えられます」
「掛けられた側が解除することは?」
「可能です。解呪式を述べれば戻ります」
やはり、見た目を変える魔法。だがこれは自分自身ではなく、他の人の外見を変化させるもの。使い勝手はそこまで良くなさそうだ。
ここで、ある疑惑が持ち上がってくる。
彼女ら【ワクナ・ファミリア】は、もしかすると、彼女の魔法によってその外見を【ヘスティア・ファミリア】に寄せている、かもしれないという、考えが。
何故微妙に異なっているのか、カテリーナだけ他の人たちと比べて似通っているのか、などなどわからないことは多くあるが、その確率自体は揺るがなく存在する。そもそもそんなことをする理由も判明していない以上は、追求することも叶わないけれど。
「変更後の姿は、私か対象のイメージに依存します。自由に構築することも出来ますが、模倣が無難ではあります。消費する精神力量に依っても精度を向上させられます。他に質問は御座いますか?」
「無理やり掛けたとして、相手はそれに気付ける?」
「難しいとは思います。ただし、私の視界から外れると維持するための私の消費精神力量が跳ね上がる為、長くは保ちません」
逆に、相手の同意があれば離れていても偽装を継続出来るということだ。制限が厳しいのか緩いのか、いまいち判然としない。
でも、使い方次第で化けそうな魔法ではある。
「次ですね。【英雄渇望】ですが」
「これは、トルドに使ってたやつ?」
「はい。光る粒子が対象者の身体に付き、一度だけ、『英雄の一撃』とも言える攻撃、または何らかの行動を起こすことが出来ます」
「超高火力ってだけ、じゃない?」
「状況に最適なものが適用されます。距離が必要な時は射程が、敏捷性が不足している時は速度が。丁度良い奇跡が働きます」
前の大量発生では、俺がモンスターに群がられた時に、トルドがその『英雄の一撃』を放っている。
しかしそれは、俺の周囲のモンスターのみを斬り飛ばすという、今思い返してみれば不可思議なこと極まりない、ナイフ一本では到底不可能そうなもの、だった。
それもまあ、所謂御都合主義だとか、主人公補正の様な代物が影響を及ぼしていた、ともなれば、納得出来ないこともない。
「何らか、ってことは攻撃以外もか」
「はい。跳躍、疾走、防御等でも同様に、適切な出力の補正が得られます。私の意識と引き換えに、ではありますが」
術者本人の戦闘不能を代償に発動する、一人に対する絶大な強化。起きるまでの再使用時間を考えると一戦闘で一度きりの、正真正銘の切り札。
ベル君が持っている【英雄願望】とは毛色が違う、英雄の登場を待つ人のスキルだ。
「私は以上です。他に特筆すべき点は持ち合わせていません」
「じゃあ、次は俺、だけど……」
自分の【ステイタス】が書かれている紙に触ろうとして、やっぱり手を引っ込めた。
ちょっと申し訳なさそうに、イネフが苦笑いしてくれる。有り難いような、恥ずかしいような。いや、俺がおかしいのではなく。
「俺は、魔法もスキルも持ち合わせていない。戦闘用かどうかは関係なく、何もだ」
「この数値の伸びは? 普通に考えたら相当なもんなんだが」
「これは大量発生の数日前から貯めてた分と、当日に相当数を倒した分と、大量発生で倒した分の
「当日に相当数?
「あの日は経験値稼ぎの為に潜ってたから。二人を見かけたのはその帰りだ」
「そうなのか。でも、なのにあの動きだったのは凄えと思うが」
生肉防衛作戦などというふざけた行動をしていたからこそ、疲れ切る前に早めに帰路に着き、シーヴさんが帯同しており、パンテオンら【ウルスラグナ・ファミリア】と合流出来た、と考えれば、結果的には大正解になる。
それにしても。改めて見てみても。俺の【ステイタス】は平々凡々もいいところではないか? 仮にも異世界から来ているのだから、もっとこう。
いや、駄目だ。
望んじゃいけない。主人公のような力も、技能も、能力も、英雄みたいな人望も、身体も、活躍も。
俺はそんな高貴な魂を持ち合わせちゃいない。無垢でもない、と思う。そんな俺がチートを手に入れればきっと、堕落してしまう。終わってしまう。
最初からチートを与えられていたなら。初めから無双出来ていたなら。いきなり力だけを手に入れたとして、俺は使いこなせただろうか。そこから成長出来ていただろうか。闘いなど経験することのない日本で生まれ育った俺が、まともに戦えただろうか。
無理だ。このまま原作まで生き延びる為にはあと四年半近くもある、その間ずっと、進歩し続けられる気がしない。
全て、
だから。
「あれはパンテオンの補助があったからだよ、俺自身が強いわけじゃない」
これでいい。
それ以上の追求を拒むように、そそくさとエリンさんの【ステイタス】を一番上に持ってくる。申し訳ないが、後は頼んだ。
「ん、っと、エリンは、つい先日契約したんだってな。だとすると、これらは先天性のものか?」
「ああ。魔法もスキルも、我々の種族特有の性質を反映したものがこうした形で表れていると思われる。ただ、効果の想定は可能だが試してはいない。迷宮に入ったときに実演と説明を、と考えている」
一見したとき、わりと真面目に自分の目を疑ったものだ。だってエリンの【ステイタス】はまるでチート系または無双系オリジナル主人公のそれだ、最初から魔法二つ、スキル一つが備わっているとか何それずるい。
俺のものとは全く違う。これが才能の差というやつか。彼女はスペック的に大当たり枠に違いない。初見でヒルダさんが絶句するのも至極自然であった。
しかし。どうやら能力的には非常に優秀である彼女には、俺たちからみて、決定的に不可解な要素が存在する。
「実演と説明のところはいいんだけどよ、種族特有、ってのはどういうことだ? ドワーフにも
「ふむ、やはり我々の種族差は認識され難いのか」
「外見は
「するとツカサ、お前もそうだったりするのか? 人間じゃなく?」
「いや、俺は人間だよ。エリン、だけだ」
敬称略を言いつけられてはいるが、なんとも慣れない。俺より落ち着きがあるし大人びてるし。
そう、この金髪美人は、理解出来ない言動、誤解を招くような表現を用いる。それはいくつかあるが、一際印象的なものとしては、彼女が自らを指すとき、必ず「我々」と呼称することと。
「我々はエルフ。世界と共に生き、終末を見届ける為の存在だ」
この、エルフを自称すること、であった。
驚くべきことに、彼女のその発言に、ヒルダさんは嘘を感知しなかった。虚偽であることがあまりにも明らかになっているのにも関わらず。
種族の定義について、その根底を揺るがす宣言に、イネフのみならず、終始無表情を貫いていたカテリーナですら動揺を見せる。
「エルフ? に、しては……確かに容姿は整っちゃいるが、でもよ」
「耳、が、尖っていない様に見受けられます」
「そう、それだ。そこが俺たちの知るエルフと違う」
「違う、と言われてもな。真実であることに変わりはない。神ブリュンヒルデにも保証はされている」
エリンは、エルフである。しかし、耳が長いという特徴や、この世界のエルフについての一般的な認識を持ち合わせていない点で、どう考えてもエルフではない。
しかし、そこは何でもありの街オラリオの住人とでもいうべきか、彼らはそう時間をかけず冷静さを取り戻してゆく。
「
「まあ、そういうことになってる」
その点については俺も困惑している。現世ではファンタジーにもまあまあ精通してはいたが、エルフについてそこまで詳しいわけではない。
ただ、【アルナ・バニ】の詠唱式の中に含まれている『アルヴヘイム』という単語は覚えている、エルフの故郷、であったはずだ。それと酷似した音が【ロキ・ファミリア】のリヴェリア・リヨス・アールヴの名前に含まれていることからも、元ネタであることは推測出来る。
だが、まだまだわからないことだらけだ。現世のことを下手に知られても困るのでヒルダさんと話し合うことも憚られる、実質手詰まりだ。
「他に訊く事は有るか?」
「じゃあ、この【ベイナ・アウラ】の詠唱式が無いのはどういうことなんだ?」
「発現魔法は、詠唱式の形式そのものが性質を決定する。つまり、火を語れば火が、風を語れば風が属性となり、槍を謡えば槍として、砲を謡えば砲として形を成し、爆裂を願えば爆裂を、穿通を願えば穿通を現象として起こす事になる」
「え、っと?」
「敵を貫く火の槍でも爆発する風の弾でも、詠唱式で表せばその通りの効果が出る、ってことだ。そういう魔法、なんだと」
要するに属性も形も能力も、全てを詠唱で変更、決定するというなんとも原作ブレイクな魔法。レフィーヤ・ウィリディスの【エルフ・リング】も涙目である。
まったく、盛り過ぎもいいところではないだろうか。なんだその魔法は。ぼくがかんがえたさいきょうのまほう、か何かか。やめてくれ、無能力の俺がますます惨めになるではないか。
先ほどと同じく、二人の眼が驚きに見開かれる。これは主神の
実際の威力や使い勝手の程は、俺もまだ知らない。直接見せてもらうのが最も手っ取り早いだろう。
「ん、じゃ、こっちの魔法、は」
少々遠慮がちにイネフが【アルナ・バニ】を指す。一つ目のインパクトが強すぎるが、大丈夫、それも充分チート級だ。
「記述の通り再生の魔法だ。打痕、創痍等の負傷に加え、毒や麻痺等の状態異常も、凡そ全てを我々限定で回復する」
ポーションを根底から否定するとんでもない魔法。ラストエリクサーを彷彿とさせるそれは、ダメージに対しシビアな世界観のここでは反則そのものだ。
もう、彼らはあまり驚いていない、いや驚いているけれども慣れたというか。わざわざオーバーにリアクションするほどではないのだと察したのだろう。まだあと一つは残っているからね。
シンプルな効果、用途故に追加の質問はない。イネフは【アルナ・バニ】を指していた指を下方にスライドさせる。
「最後だが……これの具体的な使い方は」
彼女のスキル、【全個総一】。一見してどういう代物なのか、最もわかりにくいと思われる。
個人的には、これに一人称「我々」の理由等が関わっているとみている。自らのことを集合体の様に呼称しておいて個体扱いをしているのは些かばかりの矛盾を感じられそうだ。
「解り易く言語化すると我々の性質変化だな。単純ではないが強化と考えて差し支え無いだろう。とはいえこれは積極的に使用すべきものとは異なる。披露する機会は少ないな」
「そうなのか。デメリットは何かあるのか?」
「特に無い。精々我々の精神が混和するくらいだ」
それがどういう現象なのか、俺たちには更に訊き込む勇気はなかった。それに、空気でわかる。
彼女は、理解の外に居る者だと。
先頭を行くのは【ワクナ・ファミリア】所属、イネフ・マクレガー。燃えるような赤髪の青年である。最高到達階層は一九。
主武器は幅広片刃の大剣。雑に背負っているそれの銘は彼曰く「忘れた」らしい。自作ではないがどこで買ったのかも同様、頓着しなさすぎだ。
着流しに鎧を重ね着した和洋折衷なその格好は、時代設定がめちゃくちゃだ、でも不思議と似合ってはいる。
彼はヴェルフ・クロッゾとは異なり、鍛冶を営んでおらず、戦闘慣れしている。耐久の値が高く本人も性に合うと認めている、根っからの
「前の『
「俺もだ。直前までほぼ毎日来てたから、なんていうか、懐かしい心地すら感じるよ」
続いて【ブリュンヒルデ・ファミリア】所属、夏ヶ原司。黒髪黒目の純日本人である。最高到達階層は七。
主武器は現状、脇差の紅緒。今日は春嵐と渡鴉は留守番だ。本日のお試し武器はナックルダスター、銘は銀拳。メリケンサック、の方がわかりやすいだろうか。
防具はイネフとは逆で、黒のレザーアーマーと鈍色の各所プロテクターの上に薄い着物を羽織っている。複数枚買うと安くなるものなので実質消耗品扱いだ。
戦闘スタイルは基本
「今日は行っても三階層くらいまでか」
「そうだな。初探索の奴もいるし、俺らも試運転が必要だろうし。お前に至っては慣れない近接打撃武器だしな」
「これはいつものことだし心配はいらないけど……連携の練習はしないとね」
「前衛二人と後衛二人。上層ではそこまで苦労することもないと思われます。エリンの実力、適応力が如何程なのかに拠りますが」
次いで再び【ワクナ・ファミリア】所属、カテリーナ、愛称はカティア。小人族の女性。最高到達階層は一九。
主武器は小型化されたクロスボウ、ハビリス・スコルピオ、と片刃のナイフ、デンテ・レプス。近距離も中距離もこなせるオールラウンダーの構えだ。
彼女はリリルカ・アーデとは異なり、スキル【
イネフと二人で潜る際には近中どちらの戦闘も行う
「要するに我々が遅れをとらなければ良い訳だな? 成る可くやって見せよう」
「手本は要らないんだったっけか。結構戦い慣れてたりすんのか?」
「経験の積み重ねは少ないが我々にはある。其れなりには戦える筈だ」
最後に、【ブリュンヒルデ・ファミリア】所属、エリン・ヴァランシー。エルフを自称する金髪と琥珀色の眼を持つ美人。最高到達階層は本日付で一。
主武器は杖。銘は無し。魔力制御補助、魔力備蓄、魔法保留、魔法強化、精度補正、精神力消費減少などの効果を持つ。耐久性にも優れ、殴打にも使える。
白く艶やかなローブと、その下に装備しているであろうまた白を基調とした服は簡易で清楚なドレス型、だが見た目に反して性能は高く、自浄作用すらついている。
本人の言では遠近両方とも対応可能。独学の杖術と体術を既に身につけており、【ベイナ・アウラ】なら短文詠唱での速攻から超長距離高火力砲まであらゆる状況に対応出来るため、まるで隙がない。
「んじゃ、お手並み拝見といくか」
正規ルートから少し脇道に逸れたところで、十
コボルト。上層の浅い階層に出現する、オラリオの冒険者なら知らない者はいないほどポピュラーな魔物だ。ドロップアイテムはコボルトの爪、複数匹で群れていることが多い。
「一体だけ、か。エリン、いけるか?」
「無論だ」
案外大きなその体躯に、初見では萎縮してしまう冒険者も多い。かく言う俺がそうだった。
しかし、エリンはそうではないようで。
向こうがこちらに気付き、威嚇の構えをとったと同時に、彼女は俺たちを置き去り、即座にコボルトに肉薄する。
『ガ、ァッ⁉︎』
そのまま杖をコンパクトに片手で振り抜く。声を放とうとしていたコボルトは、眼を白黒させよろめいた。
速い。移動が、判断が、攻撃が。少なくとも、初期の俺の比ではない。現時点での俺、もしくはトルドにまで迫るほど。
「む」
それでも、まだ速いだけではあった。打撃は鋭くとも、致命傷には至っていない。虚を突かれたとはいえコボルトもすぐに向き直り、今度は飛びかかる体勢に入る。
モンスターとの戦闘においては、こと一撃で決着を付けることが望ましい。
俺たち冒険者と違い、奴らは最初から人間を殺す為に生み出された生命体であり、文字通り死ぬまで攻勢を仕掛けてくる。そういう手合いほど、死にかけで何をしてくるかわからないからだ。
また、迷宮は下に行けば行くほどエンカウント率が高くなっていく。素早く、確実に捌いてしまわないと物量に押し潰されてしまう。
故に、杖を持ち魔法に傾倒した冒険者は、刃物や巨大な鈍器を携える他と違い、基本的に近接戦には向いていない。
はず、だが。
『グルァ、ッ!』
再び振るわれる杖、またも強制的に横を向かされるコボルト。
それは一撃目と同じ構図、しかし彼女は直後に、更に同じ軌道の攻撃を放つ。
『ク、カ』
既に九◯度以上転回させられていたコボルトの首が限界を超え、硬いものが勢い良く折れる音を響かせて捻じ曲がる。
即死、とはいかないまでも、死亡は確定。哀れな犬の魔物はぷつりと糸が切れるように崩れ落ちた。
「こんなものか」
自らの方へ倒れ込む死骸を興味無さげに一蹴しつつ、金髪美人はどうだと言わんばかりに徒歩で近付いていた俺たちへ振り返る。
余裕を残した形で、エリンは初戦闘を勝利で飾った。
が、カテリーナが何かを感じ取り、ぴくりと反応して歩を止める。
「あと、三体。来ます」
「いや、七体だ」
被せ気味に、エリンは早口で返す。
現段階で、俺にはモンスターの足音も声も聞こえない、匂いも特に感じ取れない。しかし彼女らは気配やらを敏感に感じ取っているらしい。
通常、獣人などに比べ耳や鼻が発達していない人間は、感知を視認に頼らざるを得ない。経験を十分に積んだ者ならば可能になるとかならないとかいうが、カテリーナのそれに対し、エリンはどういう理屈なのだろうか。
「通路奥、左から三、右から二。我々が来た方から二だな」
「どうする? 一人でやるか? 流石にいきなり数が多い」
「仔細ない。全て我々が仕留めよう」
そこで立っていろ、というジェスチャーを短くした後に、彼女は再びT字路へ身体を向ける。
ほどなくして、左の方から三体のコボルトが歩いて来るなり、飛びかかるようにこちらへ駆け出す。
『ガルァァァッ!』
初めから全速で、三匹は威嚇しながら突進してくる。同種の死体を見て悠長にしている暇はないとでも判断したのだろうか。
対してエリンは正面から迎え撃つ構え。
ただ迎撃体勢を整えるわけではなく。寄ってくるコボルトたちに対し、見せつけるようにその杖を持ち上げ、先を向ける。
「【色は赤。形は剣。空を裂き魔を貫け】」
しかし。左の手で構えた杖にではなく、彼女は空になった右手に魔力を充填させる。杖とコボルトたちとを一直線上に捉え、詠唱を紡ぐ。
コボルトに対して手を隠し、魔法を放つ気か、それは撹乱か、狙いを読ませないためか、それとも。
「――【ベイナ・アウラ】」
詠唱の長さに応じて魔法が変化するパンテオンのそれとは違い、恐らくどのようなものであっても同じ名前らしい。何語かはわからないが、途轍もなく応用力が高い脅威の魔法だ。
だが効果は実に分かり易い。その魔法は、彼女がそう詠った通りに姿を変える。
エリンの右掌から、先から順に火でできた剣が射出され。
「おおう」
射たれて数十
それに対しコボルトは、困惑はするものの魔法が飛んで来ないならば、と勢い良く突っ込む。
「遅いな」
一体目の体当たりを、エリンはいとも簡単にひらりと躱し。ついでの様にその個体の脳天に杖を振り下ろして、頭蓋骨をかち割る。
二体目は間近でブレーキをかけ右腕を使い、鋭利な爪を振るう、が。その攻撃が届く前に顎を下から杖が撃ち抜いた。
三体目。顎を砕かれ天を仰ぎふらつく二体目に進路を塞がれ、仕方なく回り込もうとしたところに、顔面に杖の先がめり込む。
『グ、ギ……』
今度は力の調整を間違えなかったようで。一瞬にして綺麗に頭部のみが破壊された三つのコボルトの死体が出来上がった。その手際は恐ろしく鮮やか、今の俺でも真似ようとしても難しいくらいだ。
しかしそれで終わりではない。T字路の先、右側の通路から更に二体のゴブリンと、俺たちが来た道の方から二体のコボルトが現れる。
『グァァァォォォ!』
第一階層において、ここまで連続遭遇する可能性は高くない。けれどないわけではないし、もっと深くもぐるならば、これくらいは簡単に撃破出来なければやっていけないだろう。実際俺やイネフ、カテリーナなら、こいつら程度七体は楽に捌ける。
俺たちは通路の脇に避け、エリンが自由に動けるようにする。そのまま立っていればほぼ同時に四体が襲いかかってくるが、どう対処するか。
コボルトの方を一瞥した彼女は、少しの迷いもなくゴブリンの方へ走り出す。
「――なっ」
「【色は青。形は剣。空を駆け魔を滅せよ】」
詠唱を、行いながら。
まさかの、並行詠唱。短くはあるが、それでも魔力を練ることと脚を回し走ることを同列に扱い、共に熟す高等技術を、彼女は極当たり前の様に披露してみせた。
散々規格外のものを聞かされ見せられた俺はしかしもう驚かない。だがカテリーナ、思わず声が漏れる君の気持ちはよくわかる。
本来それは相当な実力、経験が無ければ成し得ないものであるが、まあ最初から出来る人もこうして存在してはいるのだろう。にわかには信じ難いことだけども。
『ゴォァァァ――ブギッ⁉︎』
またもかなりの速度で距離を詰めたエリンが、ゴブリンの側頭部へ杖を打ち込む。首の骨だかが折れる音がよく響いた。
後続のもう一体がたじろいでいる間に二歩ほど踏み込みもう一度杖をぶつける、もしくは今詠唱している魔法を放つ、と思っていたが。
彼女はそのまま、振るった速度を保ったまま身体を回転させ。
「――【ベイナ・アウラ】」
水でできているらしい剣と、次いでほんの僅かなラグを生じさせ、杖に吸い込ませた火の剣を、俺たちの方へ、正確には俺たちの向こうにいるコボルトの方へ射出する。
回る彼女は止まらない、その軌道を見もしない。
目にも留まらぬ速度で俺たちの目の前を通り過ぎた二本の魔法でできた剣がコボルトを仕留めるのと、エリンが踊るように大きく一歩踏み込み、ゴブリンの頭部を弾き飛ばすのは、全くの同時であった。
どさり。と、複数の骸が倒れ臥す音だけが。火の剣が空気を焦がした匂いだけが。世界の全て。
「【土を以て。数は八、玉を抉りて集え眷属】」
全匹を倒し、戦闘を終了させると、彼女は三度詠唱を開始する。
その言葉からして、魔石を回収する魔法だとでも。なんだもう、やりたい放題か。何でもできるじゃないか。
「――【ベイナ・アウラ】」
自分の仕事は終わったとばかりにこちらへ悠々と歩いてくるエリンの足元が蠢き、変形し。鳥や猫や犬や蛇など、計八体の動物に成り、それぞれ、魔物の死体へと向かっていく。
なんかもう、あいつ一人でいいんじゃないかな。
確かにそう思ったけど、誰も口に出すことはなかった。
「はー。初日から六階層かあ。……六階層? え、すごくない?」
「ですよね」
目を丸くするヒルダさん、あなたの気持ち、わかります。
なんか昨日もこんなリアクションしたなあ。なんて思いながら、朝食を摂りつつヒルダさんと会話を続ける。
打ち合わせがあったため開始が昼だったのと、試しとはいえそれなりに本腰を入れて探索に取り組んだので、帰還が夜遅くになってしまったため、このように報告が翌日になった。まあこれも悪くない。
ヒルダさんは料理の腕を日に日に上げている、日本にいた時より美味しい和食を食べている気さえする。ホームシックにはならなさそうだ。
「ウォーシャドウとかキラーアントとかにも全然臆さず対応して。下手すれば俺より活躍してましたよ」
「うーん、結構な戦闘経験があるのかもね。大変な子が来たものだ」
「大変というかなんというか……頼もしくはありますけど」
「才能があるってことはなんとなくわかるんだけど。ヴァレンシュタインさんみたいな?」
「あー、わかるようなわからないような、そんな感じはしますかね」
「上手くやっていけそう?」
結局、六階層まで潜った際には予定通りの陣形と役割で探索を行い、エリンは主に援護を担っていた。
しかし、予想以上に彼女は巧者であり、連携も容易く、そして相当に適切にしてみせた。およそ非の打ち所がないほどに。そのお陰で一回目の合同探索は成功も成功。
本来なら、初心者で六階層などに通用するはずがない。経験者だとしても、いきなり強さを増すモンスターたちには苦戦を余儀なくされる。それこそ【
「それは、まあ。ある意味正直で誠実、でも悪意は見られませんし」
「私が探知したからそこは安心だね。キミと違って
「その節は勘弁してください……」
にっこり笑む彼女は、俺の反応を楽しんでいる節がある。許しては貰えているだろうけども、掘り返される度に心臓が跳ねるのは必定。
それも、この朗らかな笑顔でどうでも良くなってしまうからどうにも出来ない。
だが流れは変えさせてもらう。いくら眼福だとしても。
「あの、ところで。アルヴィトさんは何と?」
「ん、うんそれ。それなんだけどさ」
まだ直接会ったことはないが、『
今回はエリンの件に関して、俺たちだけでは色々わからない事が多くあったので、オラリオの情報屋としても活動している彼女の力を貸してもらおうかと思った次第であった。
俺たちが迷宮に行っている間、ヒルダさんが彼女を訪問してくれていたはず、だが。
「やっぱり、エルフに種類なんてないって。全てアールヴを王とする一部族からの派生、容姿は整っていて魔法に長け、長命、
「駄目でしたか」
「駄目でした。アルヴィトもエリンも嘘はついてない、それでも矛盾が生じちゃう」
「知の女神でもわからない、ってぶっちゃけ異常じゃないですかね」
「普通はね。でも、私たちにもよくわからないことって割とあったりするの。『箱庭』にキミが許可無しで入れたこととか、いまだに何故か分かってないし」
その辺りについては、そもそも世界を司る立場にいた神々がどれくらい情報を持っていてどれだけ公開出来るのか等、かなり不鮮明な領域ではある。
しかし、この世界の根幹に関わってくるような、種族そのものについて神が把握していない、ということはおかしいだろう。
「でも、定義上のエルフと異なる部分は、分かる範囲だとあの耳くらいなものじゃない? それくらいなら突然変異的な見方も出来なくはない、かな。苦しいけど」
「精々可能性があるかも、くらいでしょうね。俺としては一人称が「我々」ってのが気になるんですが。まだよく分かってないですし」
最初の話し合いのときに、ヒルダさんは理解していた様だが、俺には難解だったあれだ。その答えも得ていない。
「なんて言うのかな、単独で複数人を担っているというか、そういう意味だと思うんだけど」
「一人で多数? 種の命運を背負ってる、みたいな感じですか?」
「それはそうなんだろうけど、ちょっと違うかな。概念的じゃなくて、もっと実質的な話」
やっぱりよくわからない。それなりに読解力はあったつもりだが、手強い。やはり知識だけ中途半端につけていても、限界があるか。
もう少し噛み砕いて教えてくれませんかと乞おうとしたところで、階上より階段を降りる足音が耳に届く。
これまで約四ヶ月ちょっとの間、この
「終わったみたいだね」
「ですね」
朝、彼女の起床確認に行ったヒルダさん曰く、早くから瞑想を行い、精神統一をしていたとか。睡眠は必要無く、食事も摂らずに生きられるらしい。
なんというか、そこまでいくと最早「人類」の枠組みから外れているようにすら思えてしまう。ヒルダさんたち神ですら人間の身体を有し、俺たちと何ら変わらない生活を送っているというのに。
ともあれ、これで一旦は会話は打ち切りだ。空になった食器を流しに持って行こう。
「二回目だけど。おはよう、エリン」
「お早う御座います、神ブリュンヒルデ。ナツガハラ」
「……おはよう」
このエルフを自称する美少女は、一体何者なのだろうか。
現世の知識を持ち合わせている俺にもわからないということは、この世界独自で、原作に描写されていない要素なのか。そうなると詳細を知りようがないが。
それとも。彼女の能力的にみると。まるでチート系主人公の様なスペックから、本当に物語の主役であったり、して。
……まさか、な。
オラリオ、西のメインストリートからほど近い商店街にて。俺たち【ブリュンヒルデ・ファミリア】は買い出しを行っていた。
「結構買ったけど、大丈夫? 重くない?」
「全然平気です。むしろこれくらいしか俺は役に立てないので」
率先して引き受けた一つの箱と二つの紙袋を抱えながら、ごく普通そうに応える。実際重いがまあなんとかなる。冒険者だしな。
新入団員の身の回りの品を揃えるのと、食材やら何やらを購入するために出てきているのだが。
当の本人のエリンは、常に清潔なローブがあるため防具は買う必要がなく、魔法で回復できるためポーションも携帯する必要がない。そのため彼女の迷宮の為の用品などはほぼ買っていないうえ、特に欲しいものもないとかで。経済的すぎる。
なので荷物は食品関連ばかり。夕食が豪華になりそうだ。
それにしても、エリンがヒルダさんの眼にも劣らない知識量を誇っていたことは驚いた。
普段はヒルダさんが魂の善し悪しを判断していた戦乙女の経験を活かし、眼で見て直感で良いもの悪いものを判別していたのだが。今回はそれに加え、エリンが観察によってその質を見極めるダブルチェック体制に移行。
この野菜はヘタを見る、この果物は模様を見る、葉の詰まりを、種子を、芯の色を、筋を見る、などなど。どんな食材に対しても的確な見分けを教えてくれた。
おかげでヒルダさんもいつもより多めに買い込んでいる。感覚を共有できる相手がいればそれは心地良いだろう。
それだけではない、一目見ただけでその店の特徴や評判などもピタリと当ててしまう。食品以外も、武器や服飾、雑貨や諸々、全てをだ。
まるで綿密に下調べをしてきたかの様な彼女に、またもヒルダさんはご機嫌になる。それもそのはず、ヒルダさんも神アルヴィトとギルドの協力という名目でこの都市の様々な情報を有しているのだ、語り合うことができる相手が嬉しそうで。
更に更に、エリンは【ヘリヤ・ファミリア】本拠兼店舗「最果ての放浪者」にて、ヘリヤさんやヒルダさんに先んじて物品の解説を行えた。はっきり言って初見で店主や従業員より詳しいのは異常である。
エリン、有能すぎやしないか。いやエルフなら博識であって何ら不思議ではない、けども。
「あと、何でしたっけ?」
「えーと、あれとあれは買ったからー、もう買わなきゃいけないものはないかな。そろそろ帰ろっか?」
「そうですね、夕飯の支度もしなきゃですし」
迷宮に行かない日は大体俺が夕食の当番だ。基本的に独学だが、最近はわりとてきぱき動けるようになってきている気もする。
団員は増えたものの、相も変わらず食卓には俺とヒルダさんの二人だけ、でもそれで十分ではあった。ヒルダさんめっちゃ食べるし。
空も暗くなってきて街灯も点き始め、街の様相が変わりつつある。買い物も終盤、帰路に就こうとした、ところで。
「あ、テアちゃんだ」
「え、あー、本当だ、薬屋……ですかね」
本拠のご近所さんであるフューゲル家の娘、テアちゃんが薬屋の前でウィンドウを見上げ、立ち尽くしているのをヒルダさんが見付ける。
確かあの店は薬自体ではなく、薬の原料を色々取り扱っているところだった。子供が一人で訪れるにはあまり似つかわしくない。それこそお使いででもなければ。
明らかに何かあったと思われる、特に何の躊躇いも無く近付いてみる。俺一人ではなく女性も二人いるのでその点でも躊躇い無く。
「テアちゃんテアちゃん」
「あ、ぶりゅんひるでさま、と、おにーさん。こんばんは」
声をかけられたテアちゃんは、振り向くなり困ったような顔を綻ばせた。可愛い。
しゃかんで目線を合わせたヒルダさんは兎も角、袋に顔の下半分を隠されていてもなお判別してくれるとはなかなか嬉しい。エリンは少し遠巻きにしているので、関係者とは思われなかったようだ。
「こんばんは」
「はいこんばんは。どしたの? お買い物?」
「えっとね、あのね……おかーさんがびょーきでくるしいから、わたしがおくすりかいにきたの」
「へえ、偉いね、親孝行だ」
「でも、でもね、おかーさんがかいてくれためも、なくしちゃって」
「そっか、それで困ってたのね?」
こくり、と頷くテアちゃんは、現状を再認識したのか急にしゅんとなる。
成る程、とはなったものの、どうしたものか。薬に関しては知識が無いし、下手に手伝うことは逆効果にもなり得る、動きづらい。
ここに【エイル・ファミリア】の誰かがいればまた話は別だったろうが、俺たちは探索系【ファミリア】だ。
「だとしたら……一旦戻ってまたメモを書いてもらうのが一番、なのかな」
「それが最善手の気がしますね」
同じく眉尻を下げた困り顔のヒルダさんと目を見合わせる。他に打つ手がなさそうだ、それしかないか。
せめて病名がわかればまだなんとかなりそうではあったが、テアちゃんはそこまで知らないようで。薬も自家調合だと俺たちにはどうしようもない。
「私たちと一緒に一回帰って、また来ようか。テアちゃん、それでいい?」
「その必要は無い」
諦めて帰ろうかとするところで、それまで静観を決めていたエリンが毅然とした態度で近付いてきた。
突然知らない美少女が接近してきたことで、テアちゃんは多少動揺したようだったが、エリンがヒルダさんと同じく屈んで目線の高さを揃えたことでそれも和らいだようだ。
「つい先日、【ブリュンヒルデ・ファミリア】に入ったエリンだ。あのお兄ちゃんの仲間だよ」
「そーなの?」
「ああそうだ。ところでテアちゃん、お母さんは熱を出していたか?」
「えっと、うん。おねつでてねてる」
「そうか、では他に――」
これまで数日の間の様子とは打って変わって柔らかな雰囲気を醸し出すエリン。お硬い感じの普段の彼女を知っている身としては驚くばかりである。
しかしそれは飽くまで一面でしかないのかもしれない。彼女だって現実に生きる人間なのだ、話し方、接し方や振る舞いが相手によって変わったり、気分やその時々の状態、環境に左右されるのは必然であるだろう。
特に幼い子供への対応は、人間性を観る格好の試金石だ。その点彼女は非常に上手くやっている、他の事例も含めて考えると、相手に合わせるのが得意ということだろうか。
大丈夫だと察し、そっと離れて俺の隣に立ったヒルダさんと二人でエリンとテアちゃんのやりとりを見守る。
一頻りテアちゃんからフューゲルさんの病態を聞き出したエリンは、これでよし、とばかりに立ち上がった。
「発熱と悪寒、頭痛、全身に及ぶ関節痛。季節外れの流行病だな。問題無い、効く薬の原料も識っている」
「ほんと⁉︎」
「ああ、少し待っていろ」
テアちゃんに微笑みかけ、エリンは薬屋に一人で入っていく。
なんだろう、とても頼もしいというか、予想を常に上回ってくるというか、上回り過ぎているというか。典型的な万能かつ無双系主人公の物語を読まされているような感じ。
現世で俺がそれほどその類の作品に触れてこなかったからあまり詳しくはないが、そういう話で綺麗に完結するものをあまり見たことがない気がする。大抵は投げっぱなしというか、キャラに世界の方がついていけなくなるというか。多分、持て余すのだ。
強すぎて早々に目的を達成して目標を失う、初めから巻き込まれ型で用意していためぼしいイベントを粗方消化してしまい扱いに困る、行き場を迷う、などなど。そんなこんなで投げられてしまうことも少なくないと思われる。
ではあの美少女はどうだろうか。目的としては半永久的にここオラリオに留まり、迷宮に関しての知見を得る、というものを公言しているわけだが。一応そこに今のところ終わりは無く、その点ではある意味NPCじみている。最前線に辿り着くまでに数年どころではない時間はかかるだろうが、栄養も休息も必要のない再生能力付きの彼女ならいずれ到達するだろう。
要するに。この数日間で形成されたエリンへの所感としては、やはり現実感が薄いという印象があまりにも強い。これでもかというほどに、
彼女は。
「……早とちりはいけないよ、ツカサくん」
テアちゃんの相手をしていたはずのヒルダさんが、いつの間にかすぐ隣に立っていて。静かな小さい言葉で、俺をぐいっと引き戻す。
甘い、けれど爽やかな空気が鼻腔を滑る。神威の為せる技なのだろうか、やけに視界が綺麗になる感覚がした。
「ほんの少しの経験で物事を判断するのは、しなければならない時だけに限りたいね。正しい直感は、それこそ積み重ねの賜物だ」
呟くように。囁くように。ヒルダさんが発した音は解けて俺の中に浸潤する。じわり、と滲む。
同じ方向を見ている。同じ対象を観ている。彼女の景色と、俺のそれは違うけれど。ヒルダさんは俺が何を目に映しているか、きっと分かっている。
「キミは私のような眼を持たない。でもその代わり、キミは何にも染まっていない、何にも左右されない眼を持っている」
ちらりと彼女に目を遣ると、丁度目線が一直線に重なった。透き通る鮮やかな天色の玉に魅入られ、釘付けだ。
その口角が上がる。目尻が下がる。
その笑顔に触れると、いつも胸の奥が暖かくなる。安堵する。逸る心が宥めすかされ、すっと落ち着く。
「だから、キミは私の代わりに、その純粋な瞳で彼女を見ていてあげてほしい。見守るだけでいい。見極めなくていい、決めつけなくていい。時間はたくさんあるんだから」
「……はい」
互いに示し合せることもなく、自然と前を向く。
曲がり掛けた背筋を伸ばされたような気分だ、不思議な高揚感に包まれている。悪くない。
薄茶色の紙袋を提げたエリンが、悠々と薬屋の扉を開けて出てくる。
万能の彼女は、どんな人間なのだろうか。
ただ、見ていることにしよう。
「ちょっとええか?」
それは、唐突だった。
またも昼過ぎ、俺とシーヴさんは、ギルド窓口を訪れていた。先日の『
今日は休み。【ワクナ・ファミリア】の二人とエリンと四人パーティを組み始めてから、一日置きで出撃することが習慣になりつつある。それでもやっていけるほど効率も上がるし、楽だしヒルダさんも安心してくれる。
今回、何度も俺たちがギルドに呼ばれるのは、ただ『大量発生』で生き残ったから、というわけ、だけではなく、避難場所として推奨されていた
まあ大半は俺ではなくパンテオンがやったのだが。それを俺が申告するのは彼に対して失礼だ、そもそもどんな魔法かすら知らないから言えないけども。
そんなことで、閑散としたホールを抜け、窓口にノエルさんを見付け、挨拶をしたところで。
「自分ら、この前の『大量発生』におった奴やろ?」
「あ、ええ……そう、です、けど」
とある
口調はこの世界において異質な関西弁。その体躯は小さく、起伏はほぼ無く、しかし子供っぽい印象は抱かせない。神として当たり前のように整った顔立ちの中で、細い糸目が特徴的だ。
つまり、神ロキ。
現オラリオ最強格の一つ、【ロキ・ファミリア】主神。北欧神話のトリックスターとして伝えられる、非常に強い神格を持つ存在。それらの評判は原作開始五年前の今でも広く人口に膾炙している。
そんな神が、原作でも印象が強く、特徴的であるキャラクターが、いきなり俺たちに、話しかけてきた。内心、穏やかであるはずもなく。
「な、んで……」
「んん? そんなビビらんでええよ、まあ気持ちはわかるけどな。こんな麗しい女神様にいきなり話しかけられて恐れ慄いとんのや、な!」
「あ、はい」
「ノリ悪いなキミ」
下手な受け答えをしたら消されてしまってもおかしくないのではないか、そんな不安が付きまとっているときに軽快な切り返しなどできない。もとからできはしないけども。
思わず口を突いて出た動揺は耳聡く聞き取られた。そもそもロキは原作でも切れ者として書かれている、慎重にいかなくては。
「えー。普通こないな
「後者の方を若干、考えてます」
「あっはは、正直でええなあ。まあ安心しいや、抗争とか物騒な話にはならんわ」
彼女も女神だ、例外はなく嘘は効かない。虚偽は自分の首を絞めることになる。
というか、向こうから当たり前のように接触してくることもあるのか。想定していなかった、何故か心のどこかでそういうものだと勝手に思い込んでいたらしい。
前には一度、【アストレア・ファミリア】のリューさんと少しだけ関わったことがあったけれど、それは悪漢を挟んだ間接的なもので、しかもその内訳はシーヴさんが多くを占めていたため、飽くまで偶然だと捉えていた。
しかし今回はしっかり、俺に対して言葉を投げかけてきている、認めるしかない。シーヴさんもすぐ背後にいる、でも彼女は別の方向に意識を向けている。何してるんですか助けてください。
もしかしたらそのトリガーはシーヴさんなのかと一瞬考えるが、まあ無きにしも非ずとも言えないほどなので棄却しておく。
これで、原作への流れに何か変な影響が出ないといいんだが。
「あの、神ロキ」
「おお、すまんな美人のねーちゃん。これから事情聴取やんな、ならウチらも一緒にやってくれへん? どうせだったらあんなゴッツいおっさんよりねーちゃんみたいな美人さんと話す方がええに決まっとるわ」
困った顔をするノエルさんに瞬時に近付き、もう俺たちはそっちのけで話し始めるロキ……さん、は、また別の窓口を親指で指し示す。
どうやらさっきからシーヴさんが気にしていた方向と同じようだが、そこには屈強なギルド職員のオズワルドさんと、ベート・ローガらしき少年がいた。
二人は何やら話していたようだが、こちらからの注目を察するとゆっくり歩いて来る。
「困りますよ神ロキ。セクハラの被害報告が絶えない故、私が対応すると言っていますのに」
「嫌や〜。あんたみたいなんはガレスだけで腹いっぱい、今は女の子と話したい気分なんや」
「そう言われましても」
「じゃあこっちとそっち、合同でやろうや。後で証言照らし合わせたりするのめんどいやろ? 手間はできるだけ省いてこ」
「それ、ならまあ……なんとか。ルミエールさん、そちらは大丈夫ですか?」
自然と巻き込まれている。目的は直接俺たちの話を聞くことだろうが、その辺りを上手く和らげているように思えた。
個人的には同席は避けたいところではある。が、訳を話すわけにもいかないし嘘はつけない、仕方ないとしか。それを相手が神だという要素で繕うか。
相変わらず誰と一緒になろうと興味無しとばかりの様子のシーヴさん、と対照的に、なんだかやけに苦い表情をしているノエルさん、どちらからも判断を俺に委ねる、という空気が伝わってくる。
「構いません」
「決まりやな。あと……うん、ぴったし」
六人の団体となり、奥の広いブースへ移動しようとするところで。ロキさんの呟きじみた一言と、その視線の流れに釣られ、誰もがロビーの入り口を注目すると。
『緑のローブ』に身を包み、木刀を佩いたエルフの少女――『疾風』のリオンが、図ったかのようにギルドへ足を踏み入れてきた。
実際、謀られてはいたのだろう。だが俺やシーヴさんが今日この時間にここに来た偶然性を加味すると、彼女が一体どこまで考えていたのか、それは永遠に不明である。
「――ここまでの話を纏めますと。特筆すべき事柄は今回の『大量発生』にみられた特異性として、三点になりますね」
「一つ。これまでにない高階層での発生。二つ。モンスターの食料庫への流入。三つ。その流入経路の不審点。やな」
「ええ。これらがこの先も継続するならば、下級冒険者は迷宮に潜ること自体が困難になる可能性すらあります。早急な分析と対処は不可欠、調査を進めて参りましょう。その際には【ロキ・ファミリア】の方にも協力を依頼するかと思われます、どうかよろしくお願い致します」
「あーはいはい。有望な子が来なくなっても困るからな。情報ちゃんと寄越しや」
「勿論です。他の皆様も、本日は有難う御座いました。また何かあれば宜しくお願い致します」
スーツ姿だがこの場の誰よりも見た目だけは強そうなオズワルドさんが深々と頭を下げ、これで事情聴取及び情報共有会合は終了した。
解散になり、皆が席を立つ。広めの個室型ブース、出口に最も近いところに座っていた俺はとりあえず出る。
「お疲れ様です、お手数おかけしました」
「あ、お疲れ様です」
すぐ背後に付いて出てきたのはノエルさんだった。しきりに内部の方を気にし、資料とメモを胸に抱え逃げるように早足で歩いていく。
いつもきっちりしっかりした印象を持つ彼女がこんな風になっている場面に会うのは初めてだ。少なくとも俺たちの対応の時は普通だったはずなので。
「……もしかして、オズワルドさん苦手なんです?」
「っ、ど、どうしてでしょう」
「いや、わりと分かりやすく行動とか表情に表れていたので」
そういえば前に知ったけど、大人びて見えるノエルさんだが、実は俺より年下の十八歳、現世で言えばまだ高校生くらいの女の子でもあるので、その辺りはまだ年相応、ということなのかもしれない。少なくとも実務面では俺よりずっと上だけども。
目を泳がせて顔を紅潮させ、悶えて二の句を継げなくなっているノエルさんは、歩きながらちらりと後ろを、先ほどの部屋の方を確認する。
「その、嫌なら全然無理して答えなくて良いというかえっとあの」
「あの人の筋肉がですね」
「はい?」
「苦手なのです、と言いますか」
ぼそっと、しかしギリギリ俺にだけ聞こえる大きさで、ノエルさんは呟く。
メモや資料を持ち上げ、目元までを隠して誤魔化そうとしているが、真っ赤になった頰はこちらからしてみれば結構見えているし、何なら頭を傾けるもんだから同じ色の耳が髪の間から出ている。
これがギャップというやつなのか。くそうドキリとくるぞ。でも、何だか方向性が。
「筋肉のつき方が歪なのです。それが嫌で」
「つき方、ですか」
「はい。人の筋肉の約70%が下半身に集中しているのはご存知のことかと思われますが」
すいません、ご存知でなかったです。色々な知識は身に付けてはいたが残念ながら筋肉に関しては詳しくない。
でも何か、何だろう、筋肉フェチ? なんでしょうか。意外だ。
「なので、上半身よりも下半身の筋肉を重点的に鍛える方が、身体のバランスが良くなるのです、下半身を鍛えれば自然と上半身も鍛えられるのです。なのに」
「なのに、鍛えない、と」
「そうなんです! あの人は頑なに上半身だけ鍛えるんです、だからその、見ていられないと言いますか」
言われてみれば。オズワルドさんは上半身はスーツが盛り上がるほどの筋肉を誇っているのに、下半身は別にムキムキというほどではない、気がする。
段々とヒートアップしてきているノエルさんは、口調もちょっと崩れかけ、恥じらいをかなぐり捨てて握り拳を作り力説し始めた。
「何度も言ってるんです、でもあの人は聞き入れてくれなくて、そういうところも苦手で。すごく話しかけてくるんですけど、自慢話しかしなくて、ああ、愚痴になっちゃってますね、すみません」
なかなかに熱が入っていることを自覚したのか、彼女は瞬間的にすっと落ち着く。案外上がり下がりが激しい性格なのかもしれない。
でも、ずっときりっとぴしっとしているよりは、こうして恥ずかしがったりしゅんとしてたりする方がずっといい気がする。まあ他人の個人的な意見でしかないけど。
「その点、ナツガハラさんはすごく良いです」
「え」
「刀は脚力が大切なんですよね、それで下半身がしっかりしてきているので、上半身とのバランスもちゃんとしています、素晴らしいです、うん」
いきなり話題が俺に向いたと思えば、ノエルさんはいつもより近くに身体を寄せ、俺の全身に目をやり頷く。今日も和服なので体つきはあまりわからないはずだが。
もう少しでロビーというところで曲がり角を迎え、更に距離が縮まる。微かに甘酸っぱい香りがして、心臓が跳ねた。
ヒルダさんと暮らすことで多少は慣れたといっても、それはヒルダさんに、だ。平静を保っているふりはできても、やはりまだまだ緊張はする。仕方ないだろう。
「ちょっと、あの……ノエルさん?」
「ナツガハラさんは利き手でない左でも武器を扱ってますよね、お陰で左右も均整がとれています。良いです」
「おぉーいちょい待ちー」
「!」
ロビーに出る直前で、後方から関西弁が飛んでくる。またもやはっと我に帰ったノエルさんは、素早く飛び退く。
助かった、けれど、助かった気がしない。
「自分ら歩くん速いわ。ん? なになにどしたん、セクハラ?」
「違いますよ!」
「あ、では、私はこれで……」
再び顔を赤く染めたノエルさんが、小走りで受付窓口の奥へ入っていってしまう。せめて何か弁明していってほしかった。
共にブースにいた他の人々はまだ追い付いて来ていない。俺とこの神、二人きり。通路には魔石灯が変わらず輝いているはずなのに、視界の光度が下がる。
「でも気持ちはわからんでもないで。ノエルちゃん可愛ええもんな」
「まあ。そうですね」
「なんやつれないなあ。赤面させる話術教えてもらお思っとったのに。ついでに、食料庫一杯のモンスターを一息に殺した方法も」
「……!」
やはり、最強格の【ファミリア】からしても、あの光景は異常だということか。
全面がモンスターの血で塗れた、真紅の食料庫。本来なら緑色の光で溢れているはずのそこを赤く潰す、なんてのは、並大抵のことではない。
でも、相手が神ロキだろうと。
「それは、教えられません。個人情報、【ステイタス】に関わることなので」
それを成したパンテオン・アブソリュートの魔法のことを、【ヴェントゥス・テンペスタース】を、漏らすわけにはいかない。
あれほどの威力を出せる魔法を保持する冒険者がいる、というだけでも注目されるのだ、彼が
きっと今回の件に携わった各位は、おかしいと気付いてはいる。Lv.1と2だけのパーティでは、普通、あんなことは出来ないはずだから。
だとしても、ここで止めるということ自体に意味がある。
「ええやん、ヒントくらいくれや。何、自分がやったんやないの?」
「すみません、答えられません」
「うーん、答えられないっちゅーことは、他の誰かに義理立てしてるってことかいな?」
「何も言えないです」
神に嘘はつけない、ついたらバレる。少しでも誘導されたら負けだ。
「ならやっぱり唯一Lv.2だったあのアブソリュートとかいう子なん? 一番有力なのはわかるやろ?」
「…………」
「楽しく会話くらいしてくれや。沈黙は是ってことでええの?」
「さあ、どうでしょう」
だから、いくら笑顔で凄まれようと折れられない。相手がどれほど強大な組織を率いていても、元が凶悪な存在だとしても。
内心冷や汗が止まらなくても、怖くても、恐ろしくても。答えるな。
暫くの沈黙を経て。そろそろ曲がり角の向こうから残りのメンバーがやってくるのではないか、という頃合いになって。
「良いな、自分。とてもええわ」
彼女は、唐突に破顔する。
直後、角からシーヴさんたちが姿を現した。また、最初からそれがわかっていたかのようなタイミング。図っていたのではと疑う、いや、疑わせる手腕。
これだから困るのだ、神の相手は。
「簡単にバラさん義理堅さは重要や。ちゃんとボカし通したんは偉いで。そのまま貫いとき」
「……はい」
「【ブリュンヒルデ・ファミリア】のツカサ、な。一応覚えとくで。ほんじゃまたなー」
最後に若干その糸目を開いたか開かなかったか定かではないが、目に力を入れた後、彼女はベートを待たずロビーの方へ歩いていってしまう。
原作キャラに覚えられて、よかったのだろうか。舞台裏でひっそりとしていた方が無難だとは思うが。
でもまあ、終わってしまったことは今更どうしようもない、次のことを考えていこう。接触が許されているならば、してみたいことがある。
目標は、シーヴさんの少し後ろを歩くエルフの少女、リュー・リオン。
彼女と時たま会うというシーヴさん曰く、彼女はほぼ毎日、早朝に鍛錬しているとか。他にも、彼女が属する【アストレア・ファミリア】はオラリオの治安維持の為の
そこで、俺はある
「あの……えっと、お疲れ様です」
「お疲れ様です。何か用でしょうか?」
彼女を呼び止めると、シーヴさんも振り返りつつ立ち止まる。しかし下手くそな話しかけ方だ。
コミュニケーション能力の無さは多少改善されてきたと思ってたんだけどなあ。まだまだすぎる。
だがしかし彼女はまだ十四か十五そこら、現世でいえば中学生くらいの年齢である、怖じるな。俺はロリコンではない、いくら可愛くても動揺することはないはずだ。
「単刀直入に言うと、師事させてもらえないでしょうか」
「私に、ですか?」
「はい」
「所属する【ファミリア】が異なりますが、こちらに
「あ、いや、そういうことではなくて。朝に鍛錬しているという話を耳にして、御一緒することなどはできないかな、と思った次第で」
中学生くらいの少女に二十前の男が謙って頼み事をする図。犯罪臭しかしない。
別に【ファミリア】を絡めての大ごとにせずとも、原作でのベル君とアイズの市壁上の特訓のように、個人的に行う分には公式な決議などは必要ないだろう。
問題は、相手が了承してくれるかどうか、なのだけれども。
あまり表情が変わらず、初期シーヴさんのように感情や思考が読み取れない彼女は、淡々と言葉を放つ。
「それは構いませんが、最近は巡回に時間を割くために鍛錬自体行えていないのが現状でして」
「なら、俺も手伝います。一人じゃそれほど役には立たないかもしれませんけど」
「そう、ですね……。せめてあともう一人いればなんとかなりそうではありますが」
「じゃあ、わたしも参加する。それで少しはましになる?」
意外なことに、無関心かと思っていたシーヴさんが、悩む素振りを見せたリューさんに対して機敏に名乗り出る。しかしこれは救いの手。Lv.3が協力するとなれば話も大きく違ってくるだろう。
そういえば二人は、案外仲が良かったりするのだろうか。こう、高レベル冒険者同士通じ合うものがあったりとか。
「……わかりました。では後ほど、両【ファミリア】へ時間と場所を通知致します。日時は自由に決めてもらって構いませんが、連絡はして頂くようお願いします」
「承知した」
「よ、よろしくお願いします」
「こちらこそ。それでは、失礼します」
流麗な動作で小さくお辞儀をして受付窓口の方へ向かっていくリューさんを見送る。立ち振る舞いなどには確かにエリンにも通ずるものがある、エルフの共通項かもしれない。
しかし、シーヴさんの助力があったとはいえ、こんなにすんなりいくとは思ってなかったので、多少なりとも動揺している。
相手が原作キャラという点や、エルフであるという点、違う【ファミリア】であるという点からして、実際難しいのではないかと憂慮していたのだが、案外にもうまくいくものだ。
幼くしてLv.4に辿り着いている天才、原作においては十八階層での黒ゴライアス戦、対【アポロン・ファミリア】の
ただ、少し不安があるとすれば。
「……あれ、俺微妙に避けられてませんでした?」
「そう?」
「そんな風に感じたんですけど……でも、初対面とあんまり変わりないですし、当然ではあるとは自覚してますが」
取り付けた後で言うのもどうかとは思うが、まあやはり心理的な距離はあるだろう。容易く身体的接触を許さない種族的特徴がそうさせるのかどうかは、わからないが。
まあほぼ面識のない人と予定を組むこと自体に結構なハードルがあると考えられるので、それくらいは仕方の無いことだろうけども。
けれど、何時にも増して眠たそうな眼をしたシーヴさんは、首を傾げる。
「何を感じたかは分からないけど。違うと思うよ」
「……何がです?」
「多分、気にしてる。『大量発生』と、食料庫の件に関して」
また、それか。
あれを乗り切ったのは凄い事なのかもしれない、散々言われるうちにそう思うようにはなってきた、でも。あの戦いの立役者は俺ではない、あれを成したのは俺ではないのだ。
「でも、功労者は俺じゃない」
「最も活躍した人だけが讃えられる? 少なくとも、最後まで戦ってたのは君だけだよ」
言葉に詰まる。謙虚でいることと、卑屈になることは別だ。評価されたならば、認めない限り下した相手に失礼。むず痒い感覚が背中を這い回る。
現世での失敗の経験からも、見上げてばかりで勝手に打ちのめされて失っていたが、少しくらいは自信を持っても良いのかもしれない。過剰は身を滅ぼし受験を失敗に導くこともあるけど。
「どんな事が起こったかは知らないけど。君は、君たちは。想像以上に、注目されている」
「そう、なんですか」
それは、純粋に嬉しい。褒められて、持ち上げられて良い気分になるのは自然な反応だ。
でも。
喜べない。
これで、いいのだろうか。俺の行動は、選択は、間違っていないだろうか。原作からの決定的な破綻を生み出す行為を、していないだろうか。
強くはならなければならない、しかし目立っていいのか。原作には俺のような人間は出てこない、名が売れるといけないのではないか。正しい流れに戻せなくなるのでは、という考えが、俺をどこまでも捉えて離さない。
引き返せない。時間を巻き戻す特殊能力などない。過ぎたことのたらればを考えるほど暇なことはない、だが考えずにはいられない。
どうすれば。どう動けば、どう話せば、どう生きればいい。そもそも何故俺はこの世界に来た。何を成すべきか、成さざるべきか。方針も、誘導も、天啓も、神託も、俺には与えられなかった。
目的地はどこだ。俺は、道は、標は、どこにある。
俺は、正しく歩めているのだろうか。
「終わったか。……ナツガハラ?」
「……エリン?」
ロビーの片隅で、解の無い思考に呑まれかけていた俺に声を掛けたのは、シーヴさんではなく、同僚の少女だった。
いつもと何も変わらない服装、恰好ではあるが、その表情だけは何か違うように映る。どこか、探るような、不審に思うような。
「気分でも優れないのか? 健康には見えるが」
「あ、ああ。大丈夫だ、問題ない」
「そうか。深くは訊かないが、もし何かあるならば主神にでも相談すると良い」
俺の顔を覗き込み、目を細める。それだけでも美少女は絵になる、恋に落ちそうだ。でも、若干様子が違う、感じがする。どこがとは言えないし、分からないけれど。
ありがとう、とだけ返し、シーヴさんと改めて向き直る。
「ところで、どうしてここに? 俺に言伝とかか?」
「いや、同行の要請だ。星空の迷い子まで来るようにと、神カーラから」
「頼んでた防具の件かな。シーヴさんも、帰りますよね」
「うん」
今は悩んでいる場合でもない。まだなにもわかってはいないのだ、考えるだけ無駄、だ。
それでは行きますか、と歩き出したところで、エリンは窓口の方に眼を向ける。
「先程会話していたあの女性……」
「ん、リューさんか?」
「リューさん」
「【アストレア・ファミリア】所属のLv.4、【疾風】のリオンこと、リュー・リオンだ」
そういえば、いつ、【アストレア・ファミリア】は崩壊するのだろうか。俺の記憶では、壊滅させられる、という事実までしか判明していなかった。巻数が重なればそのあたりの話も書かれていたのだろうけども、世界が違う以上、俺にはもうそれらを知る術はない。
原作知識があるといっても、こうしてみると穴だらけだ、気を付けていかなければ。
「彼女は……エルフ、なのか?」
「えー、そう、だな。その、一般的だとされるエルフ、だ」
一切後ろめたいこともないというのに、どことなく言いづらい。
しかし、探索や買い出し以外でまともに外に出ないために、彼女は今日までエルフをしっかり見たこともなかったというのか。
それは、自称する種族を前にした気持ちは、一体。
足は止めず、一定で。リューさんを見詰める目が、温度を捨て去る。
俺は、とても小さいその呟きを、幸か不幸か、聞き逃さなかった。
「あれが……
その視線を、瞳を。俺は知っている。
黄褐色の輝きは、何を照らしているんだ。