そして彼女は、表情を変えずに口を開く。
「あたしは、もっとガンガン潜る冒険者に、なるはずだった」
順調とは、とてもとても言えなかった。
エルフを自称する少女、エリン・ヴァランシーの加入から二週間が経過し、【ブリュンヒルデ・ファミリア】と【ワクナ・ファミリア】の混成パーティはあれよあれよと第八階層に進出。一月半ぶりに、俺は最高到達階層をまた更新することに。
この世界に来て五ヶ月とちょっと。俺とエリン、原作キャラのヴェルフとリリに酷似している冒険者、イネフとカテリーナ。まともなパーティとして成り立ってきた。
連携も段々と上手くいくようになってきており、それほどの難も無く進むことも出来た。初めは
それもこれも、当の少女、エリンが皆の想像を遥かに超える活躍を見せていることが要因だ。一人で遠近両方を対応し、適切な判断で他全員を的確に補助。その働きには誰もが目を見張るものがあった。
つまり、快調も快調、怒涛、破竹の勢い。そういった意味合いで、順調とは程遠いと言える。回りくどかったか。
「ここら辺が適正かね。いけそうか?」
「ああ、これくらいなら」
大剣を背の鞘に収めながら問うイネフに、こちらも紅緒を収めつつ応える。ちょうど連続した戦闘を終了させ、一息つくところだ。
前に使っていた無銘の白ナイフが限界を迎えたので新しく「最果ての放浪者」で購入した魔石抉出用ナイフを取り出し、モンスターの死骸を一つ一つ漁ってゆく。
刀を扱っているときにはあまり感じない、肉を断つ感覚には何度触れても肌が粟立つ。ただ切るだけならいいが、魔石を抉り出すのが中々えぐい。その後に屍が灰となってくれるのが救いか。
「悪いな、俺たちに合わせてもらっちゃって」
「いや、そんなことはねえよ。俺らだってあんま慣れてねえからな」
「え、最高到達階層は十九って言ってなかったか?」
【ワクナ・ファミリア】は元々探索系。団長であるクロッシュ・ソナーがLv.3に到達していることから、彼らもそれなりに迷宮に潜っているものだと思っていたが。
器用がBなだけに、手際良く魔石を取り出してゆくイネフは、屈託のない苦笑いで返してくれた。
「行っただけで、辿り着いたわけじゃねえんだ。クロたちに連れてってもらっただけでよ。だから、自分の力だけで潜るのはこれが初めてだ。まあお前らと一緒だけどな」
とすると、彼らは【ワクナ・ファミリア】結成時から、もしくは後から入団したということになる。
意外だった。イネフの冒険者歴がクロッシュのそれより短いということは、原作におけるベルとヴェルフの時系列的関係と類似しない。相似と乖離の有無、程度で判断するのは早計であり危険でもあるけれど、重要な手掛かりに成り得ることも事実。
外見が似ている、内面も恐らく似ている。しかしその【ステイタス】は方向性は似通っているものの、差別化はされている。境遇に至っては全くの別物だ。判断材料は、まだ少なすぎる。総量の検討がつかない以上はなんとも言えないが、突っ込むにはいささか早いか。
「だから、自力到達階層は同じ、ここ、八だ」
「じゃあ実質、ここがスタートラインってわけか」
「そういうこった。気ぃ引き締めてかねえとな」
周囲全てのモンスターを解体し、ルームの中を改めて見回す。少し離れていたところで同様の作業を行なっていたエリンとカテリーナも合流した。
第八階層からはまた迷宮の形状が変化するため、これまでの延長線上の戦い方とは違う対応をしていく必要がある。初見なら尚更。
まず、天井が高くなる。三から四
特筆すべきなのは、通路が短くなり、ルームの数が飛躍的に多くなることだろう。これにより通路での戦闘は大幅に減り、ルームでの戦闘が大幅に増える。通路では二方向からしか敵が来ないが、ルームでは三六◯度全方位からの攻撃に対処することが要求される、その違いを考えると難易度は確実に上昇している。
「とりあえず、あまり奥には踏み込まずに浅いところで戦闘を繰り返して慣れようか」
「そうだな。ここまで早足で来たが、こっからはしっかり攻略してく方針でいいだろ。そっちの二人の意見はどうだ?」
イネフがエリンとカテリーナの方へ話を振る。結果は分かっているけども。
「異論有りません」
「右に同じだ。問題は無いと思われる」
二人は決して主体性に欠いているわけではない。必要最低限の発話、応答を選んでいるだけで。受け取る人によっては冷たいとも感じられるかもしれないが、別にそんなことはない、はず。
俺たちが誤っていれば提言はしてくれるし、意思表示はちゃんとしている。そもそも嫌ならこうして同行してくれていないだろうし。
「んじゃ、ここら辺を索敵しつつ回るか」
大量の灰が残されたルームを後にし、イネフを先頭に据えた形で移動を開始する。
壁は苔が生した木の色に、地面は足首くらいの高さの植物が茂る草原に。太陽を思わせる強目の燐光は、ここが地下深くであることを忘れさせるほど。
不思議な感覚だ。地下の閉鎖された空間にいると自覚していても、つい屋外にいる錯覚を引き起こしそうになる。なんだろう、ローグライクゲームに入り込んだみたいな。
これまでもそうだったが、異世界感がより強く感じられる。現世では、まず味わえない状況。
しかし、あまり心は踊らない。第八階層ともなると相当に地下深く、ここまで来るのも一苦労だ。冒険者になって五ヶ月弱、それなりに鍛えられてきたとはいえ俺にはまだ体力的な問題もある。
深く潜れば潜るだけ、地上までの距離は長くなっていく。更に突入時とは違い、疲労した状態で脱出しなければならないのだ、帰還には想像以上の危険が付き纏う。余裕を持てる切り上げどきを見極めることは、冒険者には必須の技能だとも言えた。
「探索には慣れたか?」
「二週も費やした故、それなりには。此処らの階層ならば苦も無い」
「そっか。なら良いんだけど、きつかったら言ってくれよ。パーティなんだからさ」
「心得ている。が、敢えてそれは杞憂であると伝えておこう」
外見だけでは、エリンの疲労度は測れない。俺の観察力が乏しいこともあるだろうが、何より彼女は生粋のポーカーフェイス。まず表情が変わらない。
見ているとは決めたものの、流石に取繕われた表面だけを眺めているわけにはいかないだろう。まだ俺にはそれが本音かどうかなど、見分けがつかないけれど。
歩いていると、僅かに空気の流れを感じる。そよそよと足元の草が揺れる、頰を風が撫でてゆく。
風か吹くということは、温度変化があるということ。天井の光によって気温が上がっているためか、いつものひんやりしたものとは違った、穏やかな雰囲気が醸し出されている。血の匂いが混じっているため台無しもいいところだけど。
そういえば、この階層には緑があるからわからなくはないが、他の層での酸素濃度というのはどうなっているのだろう。壁から生成とかされているのか。今更ながら、地下深くにいて呼吸の心配がないというのはなかなかに不可思議なものなのでは。
「お、会敵。コボルトが三体だ」
いくつかルームを経た後、今日はトマトが安いぞ、的な気軽さでイネフが報告を飛ばしてくる。
全員が緩やかに戦闘態勢に移行、それぞれ武器を構え少しずつ距離を置く。
現在のルームは比較的狭め、繋がっている道はこちらからとその向こうの二本のみ。一つ前のルームは少し広めで道が三本だったので、引きつけて退がる選択肢もある。
「ここでやるか?」
「そんなに広くはねえが、こいつらだけなら十分だろ。増えたら一つ後退でいこう」
「おっけ」
「はい」
「了解」
向こうもこちらに気付き、すぐに飛び掛かってくる。イネフをその場に残し、俺たち三人は即座に散開した。
今日の俺の武器はハルバード、槍斧だ。【カーラ・ファミリア】の鍛冶師エルネストの試作品のため銘は無い。長さ、重さともに三Mに届かないくらいで、良くも悪くもバランス型といったところか。
数の上ではこちらの方が優っている、撹乱の意味でも攻撃しやすさの意味でも、散らばるのは有益と言える。
コボルトらは標的がばらけたことに対し、意思の疎通がとれず、一体はそのままイネフに突撃していったが、残りの二体は急停止して俺たちを目で追う。
距離的に俺が一体、エリンとカテリーナで一体を処理する状況。向こうは二人で角度をつけ、カテリーナがクロスボウで牽制しつつエリンが素早く間を詰めていく。
「だらぁっ!」
大剣が左切り上げの軌道でコボルトの胴を斬り裂いた。その豪快な動作と大きな掛け声に、一瞬注目が集まる。
格好の獲物だ。
コボルトの目線が俺から逸れた瞬間を狙い、槍の要領で胸部を狙い、右わき腹に構えた
『ギッ!』
しかし、流石に視界には入っていたのか、コボルトは半身になりやり過ごした。その双眸は既にこちらを完全に捉えている。
コボルトはそのまま脚に力を込め、飛び掛かろうとする、が。
それは間違いだろう。これは槍じゃない、槍斧だ。
左手はそのままに、右手を柄の表面を滑らせながら身体の後ろまで持っていく。身体を支点にして、捻るように。
「ふ、っ」
鋭く細く息を吐きつつ、槍斧を横に振るう。
『ガ、』
二本の鋭利なスパイクがコボルトの側頭部と頸部に突き立ち、動きを完全に停止させる。だが脳は生きているのかまだ目の動きがある、即死とはいかなかったようだ。
ならば、と。身体との接点を無くし、突き刺さったスパイクを抜いたその勢いを活かして、頭の上を通るように槍斧を回転させ。
スパイクとは逆側、三日月型の斧部分をコボルトの頸部にぶち当てる。
斬れ味は悪くなく、すっぱりと、コボルトの首が飛んだ。
エリン、カテリーナの方も難なくコボルトを仕留めている、これで一旦は戦闘終了。なのだが。
「……む」
早くも魔石を抉り出そうとしていたエリンが、ぴくりと何かに反応する。
毎回のことだが、彼女の探知能力は驚くほど秀でている、魔物の奇襲を絶対に許さない性能だ。
「多いか?」
「少し。この先から九体と、来た方から四体だ。九がコボルト、四がゴブリン」
挟み撃ちの構図が瞬時に組み上がる。数は合計して十三、本来ならば特に問題はなく対峙、撃破出来る程度だが、状況が簡単にそうさせない。
ルームが狭すぎる。コボルト三体に対して目一杯に使うレベルの面積で、その四倍以上を相手取るのは厳しいなんてもんじゃない、ぐちゃぐちゃになる。
当然負傷の危険性も上がる、戦線を綺麗に保つことは生き残るには必須の技能だ。
「退がろう! 俺とイネフでコボルトを留める、エリンとカティアで道を拓いてくれ!」
「おう!」
「はい」
「了解」
槍斧と大剣を得物とする俺たちは、通路で複数を相手にするには向いていない。そちらは小回りが利く彼女らに任せ、対面の通路から飛び出てきたコボルトに対し、構える。
八、九階層に出現するモンスターは、コボルトやゴブリンといった、一から四階層で既に戦ったことがあるものばかりで、新しい種は存在しない。
とはいえ勿論、その強さは最初のものとは異なる。個体一体一体の能力値が大幅に上昇しているため、同じ感覚で挑むと返り討ちに遭うだろう。
「おらァ!」
『ガウァァァッ!』
「はッ」
先頭の一体を袈裟斬りにしたイネフ、に飛び掛かろうとした一体の首元に突きを食らわせる。先端は細いため絶命には至らなかったが貫通している、十分だ。
刺さったハルバードを抜こうとするコボルトの顔面に靴裏での蹴りを見舞い、吹っ飛ばす。ちゃんと抜けた。
その反動に逆らわず素早くバックステップ、イネフの左斜め後方に回り込む。と同時に、イネフの大剣が彼の前面の敵を左から右へ、薙ぎ払う。
大振りの攻撃は範囲は広いものの、隙も大きく殺傷力もそこまで出ない、しかしその欠点は俺が埋める。
合図も無く。イネフの身体が右へ流れる。俺の進路を空けるように。
「宜しく!」
彼の動きを見ずとも、俺は既に、もうそうなるものだと察して踏み出していた。
二週間も共に戦っていれば、ある程度の連携までは習得出来る。まだ高度とは言い難いが、この近辺の階層でなら。
「任された!」
十分に通用する。
振り抜いた後、大剣の慣性に従って離脱するイネフに代わり、後列から飛び出して来たコボルトの脳天目掛け、槍斧の斧部分から振り下ろす。
角度が良かったのか、頭蓋を滑らかに断割した槍斧は、勢いそのままに地面に深々と沈み込む。
この階層特有、柔らかい土だからこそ起こる現象。ここぞとばかりに、コボルトたちは俺に牙を向けてくる。
だが、それも当然。狙ってやったこと。
「もらったぁ!」
槍斧は刺したまま。引き抜くのではなく寧ろ逆に、自ら伏せ頭を下げる。俺の頭上、ぽっかり空いたスペースに、イネフが掛け声と共に飛び込んできた。
一度脇に避けた彼は、薙ぎ払ったときとほぼ同じ軌道に大剣を乗せ、気を逸らしたコボルトたちを一網打尽にする。
それほど難しいことではない。目の前の対象を何度も変更させることで判断力の低下を引き起こし、攻撃を鈍らせ統率を乱す。
自分の上をイネフが通過したことを感じ取り、立ち上がる動きのついでに槍斧を回収しつつ下がって次の行動に備えて、構え。
ちらりと、コボルトたちの肩の向こう、逆側の通路の奥に、更に別の何かの影が目の端に移る。
残る個体はあと三、うち一体が喉をやられ動けない。
しかしモンスターはこれくらいで冒険者への敵意を喪失することはない。動ける二体は、一瞬考えた後、イネフには目もくれず俺に突撃してくる。
「こちらは開けた、退がれ!」
背中側から四体のゴブリンを片付け終えたらしいエリンの声が届く。俺たちは反射的に後退、広めのルームに戦いの場を移す。
あと三体を倒せば終わり、のはずだったが。既にルームの端、通路付近まで後退していたことと、対面側の通路の先から何やら追加のモンスターの影が見えたことから。
この場面ではやはり、先ほど立てた方針、より広いルームに移動することが安定行動となる。今の攻防においては運良く連携も決まったうえに一度も被弾がなかったものの、いつもこううまくいくとは限らない。
「エリン、追加だ」
入り口で反転、盾役となるイネフの脇をすり抜けてルームの奥へと飛び込んだ。
コボルトの対応をカテリーナとスイッチし、安全地帯に退がり。同じく後方に待機していたエリンに敵の増援報告をする、けれど。
「……エリン?」
反応が帰ってこない。再出撃の構えを解き、彼女の動向を確認する。
いつだったかの、あの冷たく空虚な瞳が、イネフらの背後を、中空を、虚を見つめていた。その表情には余計な感情も温度も時間すらも、絡まっていない。
稀に。この状態が、エリンに惹起される。数瞬にも満たないが、戦場においては致命的な隙。
「! ああ、そうか……うん、確かに。正面から五体のゴブリンと、更にその後に四体のコボルトだ」
「わかった! そいつらの突入に合わせて散開、さっさと片付けよう!」
「おうよ!」
「はい」
未だ事故には繋がってはいないが、それでいいわけではない。そもそも迷宮内で事故ったらほとんど一発アウトだ。
無銘のハルバードを握り、イネフとカテリーナの後ろ姿を確認する。頼もしい、と同時に、少し恐ろしくもあったりする、トルドやスハイツさんとは違う、初めての対等な仲間。
一方的に命の保障をしてくれるほど強さが離れていない人々と、組む。それは、相互に相手の生命を預け合う、握り合うことと同義でもある。
頼ることと、頼られることの一体化。あらゆる行動に、責任が付き纏う。
当たり前だ。そんなのは誰もが承知していることだ。
……でも。
「次きたぞ!」
「よし、俺が正面を請け負う!」
丁度現存していた全てのモンスターを片付け終えたイネフの掛け声に呼応し、真っ直ぐ飛び出す。
すぐ後ろについて来ている少女は。何を思ってここにいる。
槍斧を、大きく、振りかぶった。
「ふーぅ、お疲れさん」
「お疲れ様。今日はなかなかうまくいったな」
「だなー。この調子でいくと近いうちに九階層に進めそうだ」
簡易食堂の片隅に疲労を溜め込んだ腰を落ち着け、軽く水を含む。
換金は自発的に買って出てくれたカテリーナに任せ、俺とイネフ、エリンでテーブルを囲み、一足先に反省会。
時刻は一八をまわったところ。そこかしこで一探索終えた冒険者たちが夕食や軽い飲み会をおっぱじめているが、俺たちはそうするわけにもいかない。うちはヒルダさんが作って待っていてくれているし、イネフたちはそもそも本拠ホームが飲食店、なので余計な物を胃に詰めて帰るのは節約の精神に反する。
「エリンはどうだった、八階層」
「……大した脅威は無いと推察出来る。あの程度であれば、問題にもならん」
「た、頼もしいなぁおい。冒険者歴二週間ちょっとでそれは洒落になんねえぞ」
確かに、このペースでいけばとんでもない記録が樹立されるかもしれない。彼女の【ステイタス】も尋常でない速度で伸びており、ヒルダさんと目を合わせ驚いたものだ。
でも、実際そんなことが可能なのだろうか、という疑問も当然ある。
エルフという種族が皆、エリンのように優秀であるならば。あのアイズ・ヴァレンシュタインを上回る才能を有しているというのなら。今頃最前線はエルフだらけになっているだろう、というかそうなっていなければおかしい。
「白紙から始めた冒険者とは思えねえな。自信なくしちまいそうだわ」
「それは、まあ、うん、確かに……」
清々しいまでの笑顔で言い放つイネフは、わざわざ皮肉を飛ばすような性格ではない。しかしそれに、俺はとある冒険者を連想した。
ベル・クラネル。ダンまち本編において主人公となる白髪赤目の少年、たった一月でレベルアップという前代未聞の偉業を成し遂げることになる例外。そしてその誰よりも早い、成長速度。
それを、エリンは上回りつつある。
「なんかコツでもあるのか? 《スキル》とか言えねえことなら無理には聞かないけどよ」
「特に何も。強いて言語化するならば自己暗示と限界突破だな」
「ほう」
「凡ゆる場面に対し、我々は上手く出来ると確信すること。ただ言い聞かせるのではなく、心の底からだ。それは自信にも動力にも成る」
「思ったより精神論なのな?」
単純に考えて、有り得ない。彼女の《スキル》は成長を促すものではない、それで
あってはならない。
理が許さない。原作開始時点での最速はアイズ・ヴァレンシュタインの一年でなければならない、そしてベル・クラネルにとって代わられなければならない。バタフライ効果を考えると恐ろしい、ただでさえ捻じ曲がっている流れが、どれほどの歪みを生むことか。しかし。だからといって。
「精神面に大きく左右されることは確かだな、揺るがなき意思は肉体を牽引し得る。限界突破もその類だ、常に我々の最大を任意に引き出す様にする、だけではあるが」
「聞いたことあるぞ。自己防衛の為のリミッターってやつだろ。でも、そんな簡単にどうこうできるもんなのか?」
「本人次第、としか言う他は無い。我々は再生魔法を有している故に最短だと判断出来ただけだ」
「そういやそんなんあったなあ。回復の術があるからこその手段だってことか。意識的な上限解放だけでもかなり便利だと思ったんだが」
どうすることも、できはしない。
彼女の成長は妨げられるものではない。いくらこうして不安を抱いていたとしても、俺はただ、観ているだけしか。
「明らかな『死』を思考することで、擬似的な効果は得られるだろう。一時的な集中力の底上げにはなる」
「うーん、明らかな『死』ねえ……あ、ダメだこれ」
「? どうした?」
「ついこないだカティが大事そうにとって置いてたケーキを食っちまったときを思い出してな……やべぇこれ死んだわってなった記憶が強くてシリアスにならねえ」
「なんだそりゃ」
いや、ここはヒルダさんを信じる。
俺は観ている。それだけで、いいはずだ。
気持ちを切り替え、どうやらカテリーナは甘いものに目がないらしいという話題に切り替えられた場に向き合う。
エリンが何かを隠していようが、それはヒルダさんが既に見抜いているはず、ならば心配は要らない。俺よりヒルダさんの方が、そういう考えの巡らせ方は上手いだろうから。
気をつけるべきは、エリンの何かしらが崩壊、失敗した時だ。もしそうなるとしたら現場に居合わせていること、そしてその際の被害を抑えること。まだたったの二人だが、俺の立場はもう強制的に『団長』である、せめて責任くらいは背負わなければ。
雑談もそこそこに、内容はデブリーフィングかくあるべしという方向に変わっていく。
ほぼ毎回のように開かれるこれは、一時間以上かかることもあればほんの数分で終わることもある。お互いの【ファミリア】の都合もあるが、基本的には話すことがあったかなかったかに拠っているからだ。
連携がうまくいったかいかなかったか。判断が正しかったか間違っていたか。次はどこまで行くか、
今日は比較的
「ていうか、階層進めるなら予め言っておいてくれないか? 初めて触る武器で挑むのは結構怖いんだぞ」
「そうか? の割にはお前、それなりに動けてたと思うんだがな」
「基本的な扱いは槍や棍とそこまで変わらないから、まだなんとかなっただけだ」
「わかったわかった。次からはちゃんと計画を練るって」
八階層への挑戦は、突如朝にイネフが提案したものだった。それについて。
槍斧だったからよかったものの、これがトンファーとかチャクラムとかそういう本気で使ったことのない物だったら駄目だった。
まあそれは流石にわかっているとは思うけれど。今日この武器だったから進んだ、まである。それでも、紅緒や晴嵐、渡鴉を使えればもっと安定しただろう。
「やっぱり、いつものに固定した方が」
「別にいいって言ったろ。それがお前のやり方なら、それに合わせるのが俺らのやり方だ」
最初に、彼らとそういう諸々は話し合ってある。俺が武器をほぼ日替わりで色々使う事も含めて。
だから了承済み、何も問題はないはずではあるけれど。
割り切れる割り切れないの前に、別の要素として引っかかるところがあるのも事実。これでもしもが起こってしまっては元も子もないのだから。
「……じゃあ、今回のこいつ、ハルバードはどうだった?」
しかし、あまりそこに固執するのも良くはない。今日活躍した俺の獲物を指差し、意見を募る。
俺とイネフの武器は身に付けたまま着席するには大きすぎるので、槍斧は先端の殺傷能力がある部分を布で包み、大剣はこれもまた武骨で巨大な鞘に納め、それぞれ近くの壁に立てかけてある。特に槍斧は、持ち運びに少々難ありだ。三M近くあるからな。
「うーん、リーチは長くてすげえ攻撃的になれるのは良いんだが、集団戦になると取り回しづらかったんじゃねえか? あんま連携には向いてないかもな」
「良くも悪くも、振り回している印象だな。身体の動作と槍斧の動作が別個になっている」
「やっぱりそうか……」
前にもエリンには同じようなことを言われた記憶がある。
様々な武器を取っ替え引っ替えして使う俺は、それら一つ一つに対しての熟練度を積み難い。だがそれでも戦えるようにしなければならない為、素の体術に頼らざるを得なくなっており、個々の武器に適当に順応しきれていない、と。
薄々わかってはいたものの、ある程度戦えるようになって初めてぶち当たる、壁。強くなったから武器が上手く使えなくなってしまう、なんてふざけた話ではあるけども。
「あとあれだ、そいつの特徴を活かそう活かそうとして選択肢を自分から減らしてる、みたいな感じがあったぞ。棍みたいな使い方は全然してなかったぜ」
「そう、言われてみればそんな気もする……なんだろうな、意識してやってるわけじゃないんだけど」
「使い熟すことを、武器の強みを活かすことに重ねて考えているのかも知れんな。要するに応用に気を回せていない、ということだ。目の前の出来る事に安易に飛び付いている」
「これまで培ってきたことも使え、ってこと、か」
多方面の経験値を積む段階は過ぎた、ここからはまた別の方法、手段をとっていく必要がある。最低でもこれまでを引き継いで、新たなものを獲得していかなければならない。
未知の地平に踏み出すのだ。
わかってはいたが、手引きがないのは割ときつい。名を馳せた先駆者がいないことは、足跡も順路も標識もない闇の中を手探りで進むことに等しく。それに、武器一つ一つの説明や特訓などは受けることはできるものの、種類や数的にも限界がある。薄っすらと後悔も浮かんでしまう。やるけども。
「でもよ、試みとしてはいいと思うんだよな。どんな武器でも使い熟せる、とか、単純に凄えって」
「先は長そうだけどね……」
「本人の成長に伴うスキルアップを繰り返していくしかないだろう。極端に長い道を選んだのだ、それ以外に方法は有るまい」
詰まるところ、俺自身が強くなる以外なく。引き返すならここ、だがその気も更々ない、ならまあ、頑張るしか。
とはいえ、皆は肯定的に意見してくれるものの、やはりそれで支障が出てしまうのは駄目だろう。それに関しては、早急に対処が必要だ。
アテは、今のところないのだが。
「そんでいつも気になってたんだが、その色んな武器はどこのだ? やけにシンプルで良いし、お前が使ってるのを観るにわりと結構な数を作ってるはずだ。でもどこかで見たような覚えはねえんだよ」
「ああ、これは」
口を開き、一瞬躊躇する。よく考えてみれば、【カーラ・ファミリア】本拠『星空の迷い子』の武器工房は秘匿主義。俺たち
理由は明白、シーヴ・エードルントの《魔法》、【グラント・エンチャント】がその名の通り、
一応、交流は無いとは言えない。エリン歓迎会以降もワクナさんはカーラさんらとたまに会っているとかは聞く、けれど。
「……えー、っと。すまん、今は教えられない。今度確認しておくよ」
「そうなのか。まあ無理には言わねえけど」
「装備の打診?」
「いや、単純に鍛冶の師事にな。俺の《スキル》さ、腕次第で品質変わるんじゃねえかなって」
彼の《スキル》、
でも。
「どんな相手でも確実に斬り裂ける、んじゃなかったのか?」
完全防御無視の攻撃以上の性能を持たせることが出来るとでもいうのか。
質問を受け、目を丸くした後にイネフは大袈裟に被りを振ってみせる。ちょっと口元に笑みを浮かべて。
「前に見せたアレなんだが、まるで耐久力が足りねえんだわ」
「道理で。一度も使わないわけだ」
「作る手間と使える効果のバランスがなあ」
大体、一、二回使えば壊れるくらい脆くて。とてもじゃないが実戦に投入するには心許ない性能だとか。
迷宮内でまともに使っているところを見ないなと思ってはいたけれど、まさかの致命的な弱点があったとは。まあそれくらいのデメリットがなければぶっ壊れと言っても過言ではないくらいだし丁度いい、のか?
「使い勝手悪いな」
「全くだ。大量の魔石と精神力使うしな。割に合わねえんだよ」
雑魚の魔石ほど手に入りやすいがわざわざ加工する意味は薄く、かといってゴライアスやらの強モンスターの魔石はそもそも手に入れ難い。入手したとしてもそれを次回討伐用に消費してしまうか、と考えれば首を捻ってしまう。
なかなか難しい《スキル》のようだ。
これを活かすとしたら。できるかどうかはわからないが、鍛冶能力を上げるなどして耐久面を強化して実用性を持たせるか、例えば【ロキ・ファミリア】等の上位【ファミリア】と提携して委託製作する、とかだろうか。
「しかしその《スキル》、知名度を少しでも上げてしまって良いものか? 余り詳しくはないが、希少性が在るものだろう」
「そこら辺はある程度割り切ってはいる、でも大手じゃねえんだろ? なら盛大に広まりはしないと踏んだんだが」
「うーん、まあ少なくとも世間に周知されることは無いと思うよ」
「ならいい。頼むぜ」
からっと笑うイネフに頷きを返す。彼なら多分、カーラさんとの相性的な問題は大丈夫だろう。共に生き延びた仲間としても、この前の宴会の関係としても、心象はいいはずだ。
では次は何について話すか、といったところで、換金に出向いていたカテリーナが戻ってくる。
「お待たせしました」
「おう、お疲れさん。どうだった」
「魔石の質の上昇と、八階層初挑戦故の数の少なさがそれなりに釣り合った感じです。有り体に言えば普通ですね」
「実質損無しか。次からは八階層で問題なさそうだな」
「よし、それじゃあ今度のルートと目標も決めておこうか」
本日の報酬を山分けしながら、カテリーナを加えた四人で改めて、次に備えての作戦会議を始める。
パーティの安心感。一人で戦うときとはまるで違うその感覚は、いとも容易く。確かにあったはずの不安の種を、包み隠してしまう。
早朝。まだ街が目覚めていない時間帯、【アストレア・ファミリア】近くの中くらいの広場。
今日はリューさんに師事する日。少なくとも四日に一回、多いと二日に一回。探索に行かない日の朝に鍛錬、昼に【アストレア・ファミリア】と共に市内巡回を行うことになっている。
「おはようございます」
「お早う御座います。今日も時間通りですね」
「そりゃもう」
麗しきエルフの少女と朝の挨拶を交わす。最近は早朝でもまあまあ過ごしやすい気温になってきたため、互いに軽装だ。
接触を極度に嫌うはずなのに肌を露出させているのは元からなのか、すらりと伸びる健康的な脚や、手袋を着用していない細っそりと滑らかな腕を曝け出している姿を観ていると、エルフとは一体、という疑問を抱きそうである。
しかし一見隙だらけに感じることもあるかもしれないが、彼女は既にLv.4、触れようとしようものならきっと命の保証はないだろう。
原作登場キャラクター、リュー・リオン。原作開始四年半前とはいえ、その雰囲気や人となりは変わりない。
「それでは、始めましょうか」
「ちょ、ちょっと待って……まだ眠い……」
リューさんが獲物の木刀、アルヴス・ルミナを軽く構えたところで、俺の背後から情け無く弱々しい声が飛んでくる。
俺の所属している【ブリュンヒルデ・ファミリア】と『戦乙女同盟』を結んでいる【カーラ・ファミリア】の団長、シーヴ・エードルント。
そう。狼は狩りの後、朝方に巣に帰る。その習性を反映してか否か、彼女は極端に朝に弱い。かなりの低血圧なのだ。先程リューさんが時間通りだと言っていたが、俺自身はだいぶ余裕を持って本拠を出るようにしている、殆どはこの人の支度を整え、連れて行くことに費やしているのだ。
「相変わらず朝が駄目なのですね」
「こればっかりは……ムリ……。ふわ……ぁ、ちょっと休んでる……」
「では、ナツガハラさん。一対一で」
「えっ」
大きな欠伸をしながらそこらに無造作に置いてある木箱に座り込み、シーヴさんは俯いて完全に寝に入ってしまう。
最近はイネフさんを工房に迎え、そっちの方の仕事もまあまあ忙しくしているとは聞くが。今日はそれを抜きにしたとしても、なかなかの低血圧ぶりだ。夜更かししたな。
当然だが、俺は冒険者になってからたった五ヶ月と少し。まだLv.1だ。
繰り返す、まだ俺はLv.1だ。特殊な《スキル》や《魔法》も発現していない、彼女らに比べたらただの凡庸なだけの雑魚に過ぎない。
「いや、俺一人じゃあ流石に無理があるというか、リューさんも鍛錬にならないのでは?」
「ウォーミングアップを兼ねます。それに、私は受けるだけにしておきましょう。これで如何でしょうか」
「そ、うですね、じゃあ、はい」
城壁の上でのベル君とアイズの特訓を思い出すな。こっちは普段シーヴさんと二人掛かりでのされているけども。
でもまあ、ここで無駄な時間を過ごすのも看過しがたい。情けないがリューさんに手加減をしてもらえるのだ、やろう、俺は強くなりに来ているのだから。
二、三歩下がり、紅緒に手を掛けて重心を落とす。
今日の武器は、紅緒、晴嵐、渡鴉のいつもの三本に加えて一・四Mもある大きな
「何時でもどうぞ」
無造作に構えたリューさんは、余裕を持ってこちらに呼びかける。
絵面だけ受け取ると、薄着の少女に刀で襲い掛かる悪漢、ともなるかもしれない。だって彼女はまだ一四で俺は一九、五歳差だ。
でも。
「ふッ」
軽く息を吐き、可能な限り疾く大きく踏み込み。
右手に掴んだ柄を、全体の動作が滞らない範囲内で
抜刀術。
それは、刀を鞘から抜くまでの速度と、抜いた後の速度の乖離を生み出し、その落差をもって感覚を乱し斬撃を捉えさせない剣術の一種。
少なからず摩擦が起こる故あまり数は撃ちたくないが、ここぞというところで放つに値する歴とした技だ。
が。
「速い」
少なくとも俺が行う抜刀術は初見、それでもリューさんはいともあっさりと木刀で受け止めてみせた。
わかってはいた。俺程度の渾身の一撃など、その場から一歩も動かずに衝撃まで完全に殺しきって攻略されるだろうということは。それほどまでに、俺と彼女の間には距離がある。
だからこそ。出し惜しみは無しだ。
「らァ!」
当然。止められることがわかっていたならば。次の手に移行すればいいだけの話。
紅緒がアルヴス・ルミナと衝突するより早く、俺の左手は右腰、晴嵐に向かっていた。気付かれてはいるだろう、けども。
既に刀身を朝靄に潜らせ、高い風切り音を響かせながら、その刃は彼女に向かって行く。
二本目。偶然、今日は装備の重心の関係上、右腰に佩いているのが渡鴉ではなく晴嵐だった為、この即席の奇襲が可能になっていた。
「成る程」
それでもリューさんは瞬時に紅緒を打ち払い、返す刀で容易く晴嵐も弾いてみせる。
衝撃を御しきれず、進んで一歩退がる。両手に脇差と打刀を携え、今度は体勢を低く。織り込み済みだ。
刃の向きを修正。普段と異なる見上げるアングル。その違いは彼女にとっても同じはず。
二刀流。
両手にそれぞれ武器を持ち、同時に扱う技術の総称。手数が増えることや攻防どちらにも傾倒出来ることを長所とする高等技能。
しかし、扱いが難しいうえに不利に働くことも多い為、主流にはならない、なっていない。
そもそも日本ですら珍しい戦法であるのに、ここオラリオで他に使用している人間もそう居ないだろう。つまりリューさんにとっては初見と同義。
「だッ!」
低い軌道から、右脹脛と左脇腹に斬撃を放つ。同時に木刀で防ぐことは出来ない。全力で応じられたら多分またあしらわれるのだろうが。
対して彼女は半歩身を引き、アルヴス・ルミナで軽くいなすことで刀の予測軌道上から易々と逃れる。
だがそれも、想定内。
相手の正面まで鋒が移動することから僅かな遅れもなく、一瞬の制止、そして刺突。逃がさない。
シーヴさんが正邪で行う攻撃方法、反射的な弱点追撃を意識的に模倣した、中途での強引な切り替え。
「二本では、」
それを、リューさんは今度はアルヴス・ルミナの腹を用い、両方共止める。これも正確に、適切に、簡単に。まるで硬く大きい岩にでもぶち当たったような感覚が、目論見の失敗を告げていた。
これで終わらせない。木刀に先を擦らせながら無理やり刀身を動かしてズラし、ブレながらも再び刃を彼女に突き立てんとする。
けれど。
「厄介、ですね」
木刀をすり抜け進もうとした瞬間、それはいきなり高速で回転し、先ほどと同じように豪快に弾き飛ばす。
よく言うものだ。厄介などとは、きっと露ほどにも思っていないだろうに。
いや。自分と同等程度で俺の戦法を使用する相手との仮装戦闘、を想定しながら、評価を下しているのか。
化け物かよ。
「まだまだァ!」
右、左。紅緒、晴嵐、時に足払いやらの体術も織り交ぜながら畳み掛ける、ものの。一撃たりともまともに決まらない。直撃は勿論のこと、ちゃんとした防御もさせられない、全て児戯を受け流すが如く捌かれてしまう。
袈裟切り、唐竹、右薙ぎ、左切り上げ。左前蹴り、左薙ぎ、右切り上げ、足払い、逆風。あらゆる攻撃がいなされ、木刀に止められ、時には徒手で無効化される。
息が上がる。リューさんはそれほど動いておらず、表情一つ変えずに冷静に、的確に対応してくる。その一つ一つの動作も恐ろしく速く、太刀筋などは目視で捉えられすらしない。
レベルが三つも離れればここまでになるのか。
世界の違いを、感じる。
このままでは埒が明かない、一旦距離をとり、攻撃の手を緩め、小休止。
停滞ではない、転換の為。
「やっぱり、これだけじゃ無理だな」
自嘲を孕んだ笑みを口元だけに表出させ、晴嵐の柄で左腰のもう一本の刀、渡鴉があることを改めて確かめる。
先の
指先の感覚、よし。風はない、周囲に目立った障害物もない。身体はまだある程度思い通りに動く。持ち手のグリップもいつも通り。脚はいつでも動かせる、イメージもちゃんと作れている。大丈夫だ、いこう。
右手の紅緒を放れば、それが始まりの合図。
「……⁉︎」
僅かに、リューさんの表情に困惑が混じり込む。しかしやはりLv.4、目で追わずともその行方はしっかりと捉えているようだ。
関係ない。
放物線を描いて飛んで行く紅緒は、リューさんの少し後方に落ちるようにしている。ずっと警戒していようがいまいが、途中で注意を打ち切ろうが、それ自体には何の仕掛けもないのだから。
踏み込みを鋭く二歩、晴嵐で右薙ぎを放つ。
当然流される。しかしそれは最早既定事項。ここで止められるか流されるかで取る行動は変わったが、やることには変わりはない。
晴嵐の勢いは止めず、むしろ身体を委ね、左方に流れ、一歩ズレた正面に移動しつつ、空いた手で渡鴉の柄を掴み、最初に見せたものと同じ技、至近距離での抜刀術の構えをとる。
することがバレれば当たり前だが対策される。リューさんは俺が構えたときにはもうアルヴス・ルミナを防御に回していた。
速い、とても追いつけるものではない。
でもそれは、普通の抜刀術に対してのもの。これは先程とは、全く違う。
「はぁッ!」
わざと声を張り、今から目掛けて刀を振るうぞとアピールする。と同時に、渡鴉の翼を広げる。
実際には、刃は正面からではなく、真横から襲ってくるのだが。
「!」
渡鴉を振えば、その重心の位置の関係上、俺の身体は前に引っ張られることになる。それを抜刀術で行い、踏み込みを介すこと無く側面に回り込んだ。
不意打ちに近い攻撃は、木刀を無視してその無防備な横腹に向かい。
目にも留まらぬ迎撃に叩き落される。
「くっ、そ!」
悔やみの言葉も思わず漏れる。それほどに上手くいったと感じられる攻撃であった。
しかし、今度は多少の本気を以って。脅威として排除されたのだ。
全力の三割も引き出せれば上等。一瞬でも五割を引きずり出せば僥倖。でもそれだけじゃあ、満足出来ない。
無視していた脚を着き、急激にブレーキをかけ、空かさず晴嵐を振り返りざまのリューさんに向け、アルヴス・ルミナが逆方向に行く間にまた右薙ぎ。
それもまた弾かれる。
足りない。まるで足りない。この膨大な実力差を、決して埋まらない決定的な隔たりを、どうにかする術が足りない。そう思え。どうせやるなら、
手首のスナップだけで晴嵐を上方へ投げ、腕を交差させ丁度空いた左手で紅緒を受け止める。案外上手くいくものだ。
「次!」
思い切り。
紅緒と渡鴉を同時に、左右対称に斬り上げる。二本合わせて、一つの動作で返り討ちにされる。
渡鴉の効果で接近している、左手で紅緒を逆袈裟に斬り下げ、右手で後ろ手に渡鴉を、頭上を越えるように大きく放る。木刀で止められる、それを放棄して回し蹴りを打つ。
半歩退がられ、肘打ちで墜とされる。また落ちてきた晴嵐と宙に取り残されていた紅緒を、それぞれ左右に収め、身体の前で両方を持ち替えて踏み出す。
目まぐるしく左右の刀を、飛んでいる刀を入れ替える。俺の刀は紅緒、晴嵐、渡鴉の順に全て大きさが異なっている、攻撃範囲も、その速さも違う。それを活かし、どれくらいの間合いを取るべきか、どのタイミングでどんな防御をするべきかという判断に、思考回路自体に負荷を掛けていく。
「ならば!」
一際強く。アルヴス・ルミナが紅緒と晴嵐を押し返す。
こちらは手数を増やそうとしている、それに対して一撃一撃にかける時間を強制的に増やさせる、というのは実に効果的だ。
対応が早い。
ではどうするか。
「作戦変更」
その呟きは、おそらく彼女の鼓膜にも届いている。いや、これも届かせたというべきか。
正面衝突ではまるで敵わない。常に脚を動かし、側面に回り込もうとしながら斜めに攻撃を仕掛ける。身体全体の動きを追加させ、なるべくこちら側の不利益を減らす方向に。
二、三回斬撃を放っては弾かれ、意図的に渡鴉の落下位置に入る。
「
言いつつ、紅緒も晴嵐も手放さない。渡鴉の腹に当たるように紅緒を振るうことで、その場で回転させるように扱う。
紅緒で斬りかかると、その直後に空中で縦回転する渡鴉が突っ込んでいき、同時に晴嵐で逆から死角を突く。
手数をバラし、更に増やす。宙で回転する刀の攻撃力自体は推して知るべしだが、無視するにはいかない程度の殺傷力は備えている。
元から少しは考えてはいた。こんなにサーカスじみたふざけた技はこうした対人戦くらいでしか使えないので、そもそも出す場も無かったのだが。
誰もが初見の、
「――考えますね」
それでも。
それでもやはり、彼女には届かない。
時間差で襲い来る紅緒、渡鴉、晴嵐、全てを流麗な動作と神速の剣技で退ける【疾風】のリオンは、その名に恥じぬ力でもって圧倒する。
四、五歩ほど後退しながら紅緒、晴嵐を納刀、弾かれた渡鴉を右手で受け止め、それも鞘に収める。これ以上同じことを繰り返しても意味はない。終わりだ。
「だろ? 初めてだけどちゃんと出来て驚いたよ」
「これで終わり……では、ない、ですか」
ただし、次で。
警戒を解かないままに、リューさんは最初とほぼ同じように、こちらの出方を窺う様子を見せる。
「あと一回だけ、だけど」
もう出来ることはほとんどない。初見技で攻めるしかない俺にとってはどうあがいても次が最後、この手合わせは終了。
残念ながら、ここが俺の限界だ。
少しでも彼女を本気にさせられただろうか。意外性を示し、評価を上げられただろうか。所詮有象無象の域を出ることはない俺程度なのでたかが知れてはいるが、それでも。
それでも。
「どこからでも、どうぞ」
本気でやってやる、以外にない。
ノーモーションから、予備の白ナイフを放る。大きくゆっくり、今彼女が立っている場所のすぐ前に目掛けて。武器らしい武器ではないが、陽動には十分だ。
さあ、いこう。
リューさんはもう、白ナイフには目もくれない。視界の端に捉えるだけでも、確実にその動向は把握することが出来るだろう。その意識の裂き方、注意の分配法だけでもレベルの高さが窺える。少なくとも俺には難しい。
では、その強者をどう崩していくか。考えてみようか。
まず思いつくのは、数で押すこと。原作五巻の攻城戦でも、【アポロン・ファミリア】はリューさんに対して人数をかけることで抑えていた。白兵戦であるならば妥当かつ最も単純な策だ。
次に、遠距離から狙うこと。高所なら尚良い。つまり相手の攻撃が届かない場所から一方的に叩くということ。魔法や飛び道具には気を付けなければならないけども。
後は、相手の長所を潰し、なるべく短所を突くような戦い方をすること。リューさんの場合はその二つ名にもあるように、高速の機動力と、攻撃を的確にいなす体術。他人に触れられることを嫌うエルフの本能もその性質を高めている。
対処法は、狭い閉所や足場の悪い場所などを選んで戦うこと、防御を打ち抜くくらいの威力でもって一撃一撃を与えること、行動制限系の仕掛けや罠、魔法を使うこと、とかだろうか。
まあ、今の俺にはそのどれもが不可能なのだが。
だがそう悲観することもない。攻略不能ということがより明らかになっただけだ。
今回の戦闘を通して、俺が行なってきたのはひたすら攻撃手段と頻度、回数を増やすこと。そしてそれに対し、リューさんは攻略しきってみせた。が。
そのうち、たった一瞬だけだったけれど、彼女が対策を立ててきたところがある。唯一、受動的ではなく主体的にこちらを封じようとしてきた場面。
ただなんとなく、だけだったのかもしれない。でももしそうだったのなら、こちらには好都合。
成功パターンを新しく学んだ人間は、同じ状況に対すれば意識が引っ張られる。その記憶が新鮮であればあるほど、体験が行動に反映される、縛られてしまう。
つまり。やるべきことは。
「もう、一度」
同じことをしつつ、違うことを織り交ぜる。
武器を目まぐるしく切り替え、一つずつしっかり打ち込んでいく。それまで以上の速さでもって。
一歩、二歩。それなりの速度で足を運び、腰を落として手を腰に送り、抜刀の構え。
ただし、紅緒と渡鴉、二刀同時に。
腕を交差させ、体勢を低く速く踏み込みながら、身体全体で表現する。
俺が撃てるなかで最も疾く見える攻撃、抜刀術を左右から繰り出す。しかし鞘から抜くまでの動作は最初より遅く。抜き身にした後は最初より速く。
ズラせ。
「!」
ほんの少し。数えるのも馬鹿馬鹿しいほど少しだけ、リューさんの反応が遅れる。二本の刀をどちらも問題なく弾いたとしても、それは感じ取れた。
次だ。アルヴス・ルミナに跳ね返された紅緒を手放し、宙に舞わせて右手を自由に。渡鴉をその勢いのまま後方に回し、身体を引っ張らせて。
頭上に掲げて即、縦に振り抜く。振るう時に発生する重心移動が前方に向かないように、防御のために構えられた木刀に捕まらない軌道で、相手の予想をわざと裏切るために。
腹程度まで下ろした時に、両足で地を蹴り、小さく飛び上がる。
渡鴉を引き寄せ、その重量の指向性を利用し、冒険者の力をフルに用いてほぼほぼ移動無しに、縦回転。
四分の一ほど回転したところで、右脚を伸ばす。ここから踵落とし、もいいかもしれない。
でも。
忘れてはいないだろうか。
「な」
強化された動体視力により、目視で微調整。丁度飛んできた白ナイフを踵で捉え、回転する勢いでそのまま蹴り落とす。
これが当たるかどうかは別にどうでも良い。そちらに意識を強制的に向かせる。その間に渡鴉を開いて構え、晴嵐に手を掛け、抜く準備を整えておく。
「うぉぉぁっ!」
片手でも、遠心力で加速した渡鴉ならば十分すぎる威力を出してくれる。けれど。
渾身の一撃を、アルヴス・ルミナは難なく受け止めた。が、それと同時に晴嵐を下方から迫らせる。
その程度で不意を突くことは出来ないのか、それともリューさんの反射神経が鋭敏すぎるのか。晴嵐の襲撃はあまりにもあっさりと、阻止されてしまう。
渡鴉を手放し、先に着いた右脚で踏ん張り、左脚を軸にしてその場で右回転。再び晴嵐を叩きつけ、空いた左手で回収した紅緒で即座に追撃をかける。
何度も。間髪を入れず、可能な限り強い攻撃を、叩き込み続ける意気込みを。そのつもりを前面に押し出せ。気圧せ。騙せ。錯覚させろ。
リューさんは取り合わず、木刀で受け流すと同時に後方へ一歩退がり、連撃に一拍の遅延を設けようとする。
左を前にした半身で回転を止める、けれど勢いを完全には止めず、後ろ手に紅緒を彼女に向けて投げ。
身体を捻った分の回転力を遠心力に変換。晴嵐で渡鴉を弾きながら、三度斬りかかる。横に薙ぐ斬撃と、縦に入る中空から飛んでくる刀。先ほどとほぼ同じシチュエーションだ。
当然、対応はされるだろう。
こっちが同じことをする気ならば。
「⁉︎」
それによって縦回転する渡鴉だけがリューさんへ向かって行き、晴嵐は目前で宙を泳ぐ。
投げた紅緒にも、晴嵐を当てる。これで回転しながら彼女へ向かっていく二本の刀が出来上がり。
それじゃあ、満を持して踏み込もう。左肩を落として左右非対称な体勢を作り出そう。左方に振り切った晴嵐はもう仕事を終えた、手放す。その手で、背負っていた両手剣の柄を握り。
「はぁぁぁッ!」
力の限り、振り抜く。
再三に渡って先ほどの攻防と同じだという印象を出しつつ、それとは違うことを繰り返して違和感を、ズレを積み重ねていった。
渡鴉で俺の最重の攻撃を防御させてから、薄く軽い晴嵐を使って三回斬撃を与え、最後には相手に当てもせず、重量への意識を少しずつ削いだ。
二本の刀を舞わせ、手数を確保してから。今の俺の最高攻撃力をこうして注ぎ込む。一つ一つを徹底することができなければ組み合わせて補うだけのこと。
「くっ!」
尽くしに尽くした俺の最後の一撃は、紅緒と渡鴉を高速で弾き、急いで戻ってきたアルヴス・ルミナの腹を捉え、更に前進する。
そう、最初に彼女は「受けるだけ」と言った。故に彼女は俺のあらゆる攻撃を、必ず受けなければならない。現にリューさんはここまで一度たりとも躱してはいない。どれもを受け止め、流し、いなして捌いた。素晴らしい有言実行ぶりだ。
だがそれが唯一にして最大のハンデ。いっそこのまま振り抜くところまで――
「……ぐ」
――は、いかなかった。
剣が、突然がちりと止まる。リューさんの指が、両手剣の刃を包み、押し留めていた。
木刀を用いてはいるものの、片手での真剣白刃取りは見事なまでにきっちり極まっている。そこまでされてはもう此方に出せる手札は無く、これ以上は見込めない。
強すぎる。敵うかこんなもん。
力を抜くと、リューさんの指も離れていく。そこらを満たしていた緊張感が霧散し、どっと疲労が押し寄せてくる気がする。
これがLv.4とLv.1の差。文字通り次元が三つほど違う力関係にあるということだ。
思いつく限りのやれることはやり尽くしたが、まだやれたはずだ、という思いが首をもたげ主張してくる。いつからこんなに負けず嫌いになったのか。
「ありがとう、ございました」
「有難う御座いました」
着物を正して礼をした後、そこらに散らばった俺の武器を一つずつ拾い集める。消耗品には勿体無さすぎる物を飛び道具扱いするとこういうデメリットがある。
紅緒、次いで晴嵐を手に取り、刀身の状態を確認して砂を払う。
日々の手入れは欠かしていないが、時折でもこういう使い方をしていればどうしても細かい傷は蓄積されていく。たまにシーヴさんに研いでもらってはいるが、それでも耐用年数は磨り減っていく。
しかし。刃こぼれなどはまだほとんどない。【ヘリヤ・ファミリア】本拠『最果ての放浪者』が極東から仕入れたものをかなり安価で購入したのだが、異様なほどの性能を発揮している。それこそ、あと二つは桁が違ってもおかしくはないほどに。
「……ん」
「あ、ありがとうございます」
二本の刀を鞘に収めると、シーヴさんが渡鴉と白いナイフを差し出してくれる。
俺とリューさんの手合わせを観て眠気は覚めたのか、彼女の耳はしっかりと立ち、ぴこぴこと可愛らしく動いている。眼は相変わらず気怠げだが。
「もう眠くないですか」
「うん、大丈夫。休憩要る?」
「いけます」
ナイフを収納し、渡鴉は抜き身で持つ。
これまでは飽くまでもウォーミングアップ、準備運動と同義だ。少なくともリューさんにとっては。なのでこれからが本来の訓練、実戦形式の二対一でひたすら戦う、かなりの強度を誇るいつものやつだ。
二人で揃って【アストレア・ファミリア】のエース、【疾風】を冠するエルフに向き合う。
「では、始めましょうか」
改めて木刀、アルヴス・ルミナを構えたリュー・リオンは落ち着き払った様子で戦闘開始を提案する。余裕をひけらかしているわけではない、初手を譲るのでかかってこい、と、誘っているのだ。
夏ヶ原司は渡鴉を左下段に置き、もう一人の狼人の出方を窺う。どの流派にも無いであろうその構えは、勢い良く飛び出す為の、彼流に言えば「翼を広げ、飛ぶ」ための準備である。
和装で刀を携えている男女二人は、側から見れば長年を共にした師弟かパートナーもかくやいう風体で息を合わせようとしている。幾度も繰り返した甲斐もあるだろう、それも段々と板についてきており、Lv.4にも確かな威圧感を感じさせるほど。
いつも通りであって、かつ今までとは全く異なる対峙。
とてもただの訓練だとは思えないような緊張感が、人気もなく静寂に満ちた早朝の広場を支配する。
司は、この瞬間が好きであり、またこれを
以前に、スハイツ・フエンリャーナと迷宮に潜っていたときと似た感覚。弱い自分でも格上に気楽に挑戦出来るという幸運、危険に晒されることなく良い経験を積むことが出来るという環境に、甘えているのだという自覚が苛んでくるからだ。
弱さに感けてしまうことなかれ。
強くなれ。
その為に今出来ることは、何だ。
狼人の麗人がその獲物を抜く動作に合わせ、司は高く聳え立つ壁に向かって駆け出した。
「久しぶり〜! 一月くらいかな?」
「そんなに経ってねえよ。この前の会議の後の飲み会でしこたま飲んだだろうが」
「ほら、飲んで潰れて記憶無くすいつものパターンよヘリヤちゃんは」
「実は私もあんまり覚えてないんだけど……」
「ヒルダちゃんはお酒が入るとすぐ寝ちゃうから仕方ないわ。毎回のことね」
「うう、強くなりたい」
「力が……欲しいか……ヒルダよ……」
「ヘリヤレベルまではいらない……」
「お前は毎回毎回飲み過ぎなんだっつの」
迷宮都市オラリオにあるとは思えない風光明媚な森の中で、女神たちの艶やかな声が跳ねる。
ここは『箱庭』、神だけが出入り可能なセーフティでプライベートな場所。彼女らはここで眷族にも秘す会合を定期的に開いていた。
まあ、大抵はわざわざ隠れて行うような内容でもないのだが。それでも
普段は『戦乙女同盟』の戦乙女数柱で行われるこの会議に、今日は見慣れない
「えっと……ボクも参加してよかったのかい?」
「そりゃもう! 良いに決まってるじゃないか! よろしくねえもう!」
「この前ぶりだな。よろしく」
「その節はどうも。イネフは迷惑かけてないかい?」
「全くもって大丈夫だ。シーヴもやる気だしてるしな」
「それは良かった」
「うちのツカサとエリンがお世話になってます」
「ああいや、こちらこそイネフとカテリーナがいつもご迷惑を……あ、エイルもうちのクロが」
「いえいえ、いいんですよぅ。こちらは仕事ですし。ウルリーカさんはお元気?」
「なんとかだね。近いうちにまた伺うと思うよ」
戦乙女、ヘリヤ、カーラ、ブリュンヒルデ、エイル。そして竃の女神ワクナ、計五柱。
『箱庭』中心部、白く鮮やかな石造りの広場。ドーム型の骨組みだけの天井と六本の柱、それらを伝う蔓植物、これもまた純白な円形のテーブルと五脚の椅子、とそれに座する麗しき女神たち。静謐なその空間を構成する全てが、浮世離れした美しさを湛えている。
ここに神でない者がいたならば、花は咲き乱れ、鳥が唄う幻覚を五感で受け取ってしまっていたことだろう。
「そういや今日の茶は? 良いのが手に入ったって言ってたが」
「まあ待っててよ、今入れるからさ。ヒルダ、先に配ってて〜」
「はーい。今回は……これだ!」
「ああ、『
「ヒルダ、本物なの、これ?」
中くらいの箱を意気揚々とテーブルに乗せるブリュンヒルデ、対してヘリヤ以外の面々はその箱に書いてある店名を目にして思わず驚嘆の声を上げる。
「えっと、何? どういうことなんだい?」
「ワクナお前ッ、『
「毎日限定五十個のみの販売、予約も一切受け付けない幻のケーキよ。開店初日から必ず数分以内で売り切れ続ける記録を更新し続けているわ」
「へ、へえ、そうなんだ。それを五個も」
この中で唯一飲食店系【ファミリア】を運営しているワクナのみがカーラとエイルの興奮具合についていけていない。
識っていたヘリヤは落ち着いているものの、昨日、これが次の会議の茶請けになると聞いた時にはそれなりに取り乱していた。
だって大人気のケーキだ。美味しいもの、しかも甘いものであるとすればそれらもう良質な娯楽だと言い換えても過言ではない。彼女らは現在、女神であって年頃の女性。流行やスイーツを追い求めるのは世界の理であるからして。
「そう。そうなんだよ。よく手に入れたなあオイ。早朝からツカサと並んだのか?」
「ううん、これはアルヴィトのコネで。例の雑誌に載せる注目店の取材って名目で、私たちの分まで貰っちゃったんだ」
「凄いわね……対価は評判、とかかしら?」
「ご明察。一人につき二十〜三十字の一言でいいから寄せてって。六つもあれば説得力あるでしょ」
白い箱の中には、五つのごくシンプルなケーキが確かな存在感を放って鎮座していた。
一つずつ皿に移していくブリュンヒルデを横目に、ヘリヤは茶の用意を進める。蒸らしている間に底の浅いカップの方も温めておいて、準備は万端だ。
「五つの層から出来ていて、中の二つのクリームの層に……カマプアアだから、タロイモ? が練り込まれてるのかな。なるほど、美味しそうだね」
「だな。いやあ運が良いぜ」
「でも、今回がこれじゃあ次の御茶請けのハードルが上がるわねぇ」
「偶然手に入っただけだから気にしなくても」
「はいは〜い、淹れるよ〜」
最後にポットの中をスプーンで軽く混ぜたら、完成だ。茶こしを使いながら回し注ぎしていく。
如何にも、という赤褐色の鮮やかな色を発している紅茶は、少し土っぽく芳醇な甘い香りを周囲に漂わせる。それは栗や南瓜、焼いた芋などに似ていた。
「えーっと、確か、アッサムだっけ? その色」
「正解! 都合の良いことに、こないだセカンドフラッシュが届いたんだよねえ。もうこれは出すしかないなってさ」
「本当、ぴったりね。今日はこれだけで満足しちゃうわ」
紅茶の一種類であるアッサム、その上質な茶葉にはゴールデンチップというグレードが付けられる。オーソドックス製法のアッサムにはこれが混ざっているのだが、五から六月の夏摘みで得られる茶葉はセカンドフラッシュと呼ばれ、ゴールデンチップの割合が高く、高級品として扱われる。
外の贅沢品を、格安で確実に入手できる。オラリオの外部と大きなパイプを持つ【ヘリヤ・ファミリア】の強みはまさにこれだった。
「全員にケーキと紅茶は行き渡ったかな? 渡ったみたいだね?」
「よし、んじゃあ始めるとするか」
「そうね」
茶と茶請けが全員の前に配られたところで、カーラが音頭をとる。
ここでは互いにもう神ではない。
「――第五十五回、『箱庭』会議ィ!」
「「「イェーイ!」」」
そう、ただの
「い、イェーイ?」
「あっゴメンこのノリ伝え忘れてた……」
いつもの面子に神ワクナを加え、スタートである。
「ん? このケーキ、なんか」
「どしたの? 髪の毛でも混入してたかい?」
「いや、そういうことじゃなくてよ」
紅茶を嗜み、ケーキにフォークを刺したところでカーラが何かに気付く。
「美味いことには美味いんだが……人為的なモノが入ってるというか」
「あら、人工添加物とか駄目なタイプだったかしら」
「そうじゃねえよ、とりあえず食ってみろ、毒とかってワケじゃないみたいだし」
「まあそりゃ、食べるけどさ」
ヘリヤ、エイル、ブリュンヒルデ、ワクナも『
ふわふわのスポンジ部分はすぐに溶けてなくなってしまうほど。潰したタロイモがこれでもかと練りこまれたクリームはしっとり濃厚で、ほどよい甘さを伝えてくる。しかしそれでいてイモの粘り気やねっとり感は一切無く、絶妙なバランスを保っている。
その中に、味とは全く別のところに、確かに「何か」が混ざっていた。
「この感じは……なんだろう」
「美味しさを邪魔してはいないけれど、ちょっと違和感が残るわね」
「だろ」
「うーん、『
「ボクも竃の女神だし、神の力を使って料理をしたことはあるけど。でもこれは違うね。子供が魔法でも使って作っているような印象だ」
恐らく、神でなければ気付きもしないような小さな小さな何か。折角、相当に美味であるのに、この微妙なノイズが全体をぼやけさせてしまう。
特に問題にはならないのでそこまで気にすることでもないけれど。意識してしまえば鎮めるのは難しい。
「隠し味、ってことなのかな」
「味とは言い難いけどね。ヒルダ〜、これ書いた方がいい?」
「普通の人はわからないでしょうし、言及しない方が良いかもしれないわ」
「二十から三十文字だろう? そこまで書いていたら間に合わないね」
「あー、すまん。すげえ余計なこと言った感ある」
「いいよいいよ。言わなかったら言わなかったで多分こっちが気付いてたし」
とはいえ、それだけで価値が暴落するような仕込みでもなく。
評価自体は高いものである。ただ、ちょっと期待にそぐわなかっただけで。
これは神ならではの感想である、ということはその場の全員が察していた。普通の人間種ならば、ほんの僅かに薄く混じっている魔法的ななにかには気付きもしないだろう。
「じゃあこれはここで終わり。なかなかに美味しかった! ところで今日の話題なにがあったっけ」
「次の『神の宴』に行くか行かないか。ぶっちゃけあたしは行きたくない」
「同意見ねぇ。微妙に趣味悪いのが滲み出ているというか……」
「えっ、そうなの? みんな行くものだと思ってたんだけど」
「そうか、ブリュンヒルデは、あ、ボクもヒルダでいい?」
「うん、勿論」
「ありがとう。ヒルダはまだ知らないと思うんだけど、定期的に会場を提供するんだよ。でも毎回女神の出席率は悪くてね――」
悪い方向に向かいそうだった空気を、ヘリヤがぶった切り、カーラが流す。
折角の楽しい時間だ。不穏な事柄で水を差すことなどしたくはない。それは、誰もが同様に想っていた。
時間は流れ、会話は弾み、話題が移り変わる。
「へえ、その
「でしょでしょ。まあ普通に行くとめちゃくちゃ遠いんだけどさ」
「魅力的な特産品があるのか?」
「うーん、まだわかんない。でも女の子が可愛かったから契約しちゃったよ」
「お前なあ」
「嘘だって。四割冗談さ」
「本気度の方が高いじゃねえか」
「そろそろ新しいルートを開拓したかったからね。どうせなら見目麗しい子が沢山いる方がいいだろ? そういうこと」
「隊商の子と現地の子の容姿に直接の関係はないと思うけど……」
「完全に偏見ねえ」
「なんだよー、極東は割とソレだったんだぞー」
「ボクたちには例が少ないからわからないよ」
「極東の子達は結構な割合で主神と【ファミリア】を組んだうえで来るからね。私でも良く知ってる」
「その点、トバリちゃんやトウカちゃんは意欲的よね。たった二人で交渉しに来るなんて」
「まあね〜。ウチは運が良かったよ」
「そういやその二人、そろそろ戻って来るんだっけか?」
「極東からかい? 往復はとんでもない長旅になりそうだね」
「ああ、そこは【ホルス・ファミリア】を通すから一月もかからないで済むんだ」
「? 【ホルス・ファミリア】が一枚噛んでいると、どうして早くなるんだい?」
「転移系の《魔法》の使い手がいるのさ。ここだけの秘密だぜ?」
「外に出ないあたしたちにゃあ意味の無い情報だっつの」
「まあそうなんだけど。だからワクナも何か欲しいものがあったら言ってね。なるべく取り寄せてみせるよ」
「美味しい調味料……とか?」
「おっけおっけ、トルド君に伝えとく」
「トルドくんといえば、戻ってきたらまたツカサくんとパーティを組むのかしら?」
「あーそっか、ワクナのところの子たちと四人パーティ組んでるんだっけ」
「多分、ボクのところの子たちは喜んで歓迎すると思うよ」
「私も。ツカサくんもエリンも同じだと思う」
「うん、ありがとう。トルドはいい仲間を持ったねえ」
「……んで。その件のエリンについてなんだが」
皆が予想出来ていたことだ。【ブリュンヒルデ・ファミリア】に先日、といってももうほぼ一月ほども前、に入団したエリン・ヴァランシーについて。
そう、もう一月も経つというのに。
「収穫無し。新しい地域を拓いても影も形も見当たらないよ」
「右に同じ。留学生たちも、全員揃ってそんな話、種族は聞いたことがないって言っていたわ」
「ボクもだ。過去の文献にも記述はなかった」
「ごめん。私も新しい情報はあんまり無い。ただ、頭髪も爪も、やっぱり変化はなかった。私が知らないところで細かく切り揃えてるかまではわからないけど」
「なるほどなァ……」
エルフを名乗る少女の正体は、依然として不明であった。
はっきり言って、異常。そもそも知の女神であるアルヴィトが突き止められなかったのだから、初めからわかる見込みも薄いのだが。
それでも。古今東西、如何なる寓話や伝承、記録にも欠片すら見つけられないのはおかしいのだ。種族などという大きな括りがヒントとしてあるにも関わらず、彼女にまつわる情報は何一つ出てこない。
「食事や排泄、果てには睡眠すら必要としない。精神力の回復の為に精神統一は要る様だが。ぶっちゃけそんなん、
「エルフという種族は、例外なくアールヴ――【ロキ・ファミリア】のリヴェリア・リヨスが代表的だよね――に系譜を同じくする単一民族。というか一つの生物だ。限りなく
「でも、あの子はそうでない。逸脱し過ぎている。それに、どうやら私たちが良く知るエルフを、知り得ていなかったというし。どころか、知識の欠落が不自然なほどに多いわ」
「意味不明なこと、だらけだね」
「嘘は無いんだ。悪意や害意も一切ない。それは一緒に暮らしていてわかる。今はそれが、逆に」
ブリュンヒルデは、自信なさげに視線を落とす。
客観的な、確かな事実がある。ただしそれは、全く意味が不明であり、論理が破綻している。
神ですら太刀打ち出来ない底無しの闇に包まれ正体を完全に失った真実は、すぐ目と鼻の先に、不気味に鎮座しているままだった。