武器と魔法と、世界とキミと。   作:菱河一色

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第二十話 心は通じない、言葉は届かない

 第七階層。

 

 普段の【ワクナ・ファミリア】と組むパーティではない。今日は休日、【カーラ・ファミリア】のシーヴ・エードルント、キッカ・カステリーニ、エルネスト・ソルとの限定的な探索であった。

 

「ぃよぃしょ、っと」

 

 ずっしりとした重量感が、両手からこれでもかと伝わってくる巨大なメイスを担ぐ。

 それは冒険者となった者の筋力をもってしても「重い」と称するになにも差し支えないレベルの大物。片手では十分に振り回せそうもない。俺のレベル、力が足りないせいもあるだろうが。

 

 メイスが肩の金属部とぶつかって、がちゃり、という音を立てる。

 まだ慣れない感覚だ。いつものレザーアーマーに和装でなく、ほぼ全身を覆うプレートアーマーは、頼もしいが多少音と着心地が鬱陶しい。

 

「お疲れ様~。どうどう? 動ける?」

「なんとか。慣れて、ないから、かなり窮屈、では、あるよ」

 

 戦闘終了直後、素早く駆け寄ってきたキッカさんに、正直な感想を伝える。

 

 顔面部分の金属板をスライドさせ、直接外気を吸う。ぶっちゃけ、フルアーマーはかなり熱が籠る。暑いのだ。

 当然戦闘用のアーマーなので音はなるものの、関節は特に不自由なく動かせる。全身に三十kgの負荷が常にかかるのだが。修行ですか? まあ一応修行の類ではあるけども。

 なので。なんてことない軽い戦闘でも、すぐに息が切れてしまう。

 

「……ふっ、ふぅ、っ、はぁっ」

 

 急いで息を整える。全力疾走したあとみたいに心臓が早鐘を打っている。

 思うように体が動いてくれない。苦しい。

 

「なるほどなるほど。まだいける?」

「それは、まあ。いけ、ると。思う」

「エリン、は、様子を見るに、訊くまでもないかな」

「ああ、問題無い。ツカサも動けている、続行すべきだ」

 

 対するエリンは俺のようにプレートアーマーを身に付けているわけではないが、普段と動きが違う俺と組んで戦っているために、負担はいつもよりずっと多いはず。それでも涼しげな表情を見せるのは、さすがと言う他ない。

 戦闘は、まだ俺とエリンの二人だけでほとんど目立った障害もなく熟せてはいる。

 

 しかし。

 

「もうそろそろ、厳しくなってきますかね」

「そうだね。あたしも準備しとくかぁ」

「いえ、俺だけで十分です。キッカさんは、無理しないでください」

「んんん、そうだよね。そうします……」

 

 本拠(ホーム)が服飾店兼鍛冶屋の【カーラ・ファミリア】だが、その実、所属冒険者は意外にも戦闘に秀でた者が多い。

 シーヴさんはLv.3、エルネストはLv.2。単純に、付いて来てもらうだけで安心感が桁違いだ。

 

「前方一六(メドル)の横道の先一二M、キラーアント四」

「了解」

 

 そう、基本的には()()()()()()()

 エルネスト作のこのメイスと、シーヴ、キッカさんら作のプレートアーマー、その性能を試す為の探索。一般的な、いやそれより低いくらいの実力の俺には、割とそういう話が良く来る。ほとんど身内みたいなものだから、というところが大きいのだろうけども。

 だから、彼らが介入してくるのは本当に危なくなったときだけ。なるべく、俺たちだけで対処しなければならない。

 

「先に行く」

 

 重い鎧を引っ提げて、疲労を押し留め移動する。刃物が通りにくいキラーアントの甲殻でも、衝撃は阻むことはできない、打撃武器は有効な方だ。

 

 横道に到達、確かに十M前後の前方に大型の蟻を模したモンスターの姿、四つを視認。

 戦闘に移行する。

 

 難なく背後に付いてきたエリンと、示し合わせを行う。

 三匹が横並びに先行、そのすぐ後方にもう一匹、という位置関係。どちらがどれを撃破するかを各自判断、音声で伝える。

 

「右二体と奥一体をやる」

「承知した」

 

 キラーアントたちも、こちらに気付いた様子を見せた。

 シーヴさん、キッカさん、エルネストが俺たちの戦闘を観察できる位置についたことを受け、突撃。

 

 今回の武器は、特に難しいことを考える必要はない。

 一Mを少し超す大きさの全長の、球形頭部を有する先端部を、敵に叩きつけるのみ。

 それだけ。それだけで、恐るべき威力を出すのだ。

 

 距離を詰めながら。両手で右に大きく振りかぶる。プレートアーマーが軋む音がする。

 

「らァッ!」

 

 渾身の力でもって、右と中央のキラーアントをまとめて殴り抜く。硬い甲殻を砕き、内部を粉砕する感触が体を走り抜けていく。

 

『ギ……ァ』

 

 内部を空洞にし、軽量化して扱いやすくすることもあるらしいが。冒険者向けにはあまり必要のない工夫であり。

 少なくとも、これはただ殴打するだけを目的としていない、故に。

 

 ずんッ、と。

 

「ッ!」

 

 メイスが地面にめり込む。

 重い。あまりに重過ぎるために、一撃一撃が強力な代わりに連打が不可能なのだ。

 

『キシャァァァァァッ!』

 

 姿勢が崩れた俺に、三匹目、一列の左側にいたキラーアントが狙いを定め、威嚇する。

 

 直ぐにメイスを振り回すことはできない、好機とばかりに俺にその鋭い鉤爪を振り下ろそうとした、が。

 

「はっ」

『キッ⁉︎』

 

 それは叶わず、急速接近してきたエリンが振るう杖に阻まれる。

 

 キラーアントの前脚は上に弾かれ、即座に追撃はできそうもない。しかしエリンもまた、腕を大きく振り切った状態、半ばわざとらしいほどに、隙を見せていた。

 

 四匹目のキラーアントが、優先的に攻撃を仕掛けにくるように。

 

 再びメイスを振るう体勢を整え終えた俺の前で、無防備になるように。

 

「余所見だ、ぜッ」

 

 掬い上げる形のスイングが、キラーアントの頭部をしっかり捉え。首を千切り、吹き飛ばす。すっぽ抜けそうな持ち手部分をしっかり握る。

 

 気持ちいいほどクリーンヒットした余韻に浸りながら見上げる。これが野球ならホームランも狙えるだろうライナー性のその打球は、天井にぶちあたって実に派手に爆裂した。たまや。

 

 対してエリンは、杖で正確にキラーアントの首の中心を突き。抵抗も断末魔も許さず、胴体と頭を切り離した。

 

「……は、ぁぁぁっ」

 

 戦闘、終了。

 

 メイスを逆さに地面に刺し、片手でヘルムの前板を上げる。

 ごく短い交戦であったが、これまでの度重なる交戦で段々と疲労が蓄積されてきたこともあり、それなりに厳しくなってきた。

 

「はいはーい、休んでてね〜」

 

 杖代わりにメイスに体重をかけ、息を切らす俺の横を通り、キッカさん、シーヴさんが素早く魔石の回収に走る。

 最初は俺もエリンも参加していたのだが、俺は次第に余裕がなくなっていき、エリンは強く押し止められ、処理は全て任せることになっていた。都合に付き合わせるのだからこれくらいは勿論する、とのこと。

 

「握力、()ちます?」

 

 エルネストは今回は加わらず、メイスの使用感をメモる方に回るらしい。

 メイスから手を離し、金属が擦れ合う音を出しながらゆっくり握って、開いて。意を介さず、筋肉が痙攣する。

 

「多分、まだ、あと二、三回は」

 

 きついが、限界はもう少し先。通常であればこうなった時点で全力で引き返すし、こうなる前に帰路につくが。今回はエルネストやシーヴさんがいるから、本当に動けなくなるまで戦闘に明け暮れることができる。

 まだ動ける体力は残っているが、体を動かすスタミナがほとんど残っていない。筋持久力が音を上げた。

 

「そう、ですね。戻りますか」

「データは十分?」

「ええ。できれば消耗時の撤退戦も見せてほしいですけど」

「行き合ったら頑張るよ」

 

 軽く会釈したエルネストは、モンスターの屍を処理したシーヴさんらと合流し、帰還する旨の話をしに行く。

 

 一先ず、仕事の大半は終わったわけだ。

 ふう、と息を吐き出す。まだ安全地帯に入っているわけではないが、敵追加申告が無いので多分大丈夫な、はず。

 

 はず?

 

「エリン、終わったばかりですまないけど、周囲には……」

 

 そこまで言ったところで気が付く。すぐ横で立っていたエリンは、既に灰になったモンスターの亡骸の跡、のあたりへ目線を投げたまま、放心したように動いていない。

 唇は微妙に震えているが、こちらの呼びかけに反応している、というわけでもない様子。

 

 ()()か。

 

「エリン」

 

 少し近付き、確実にその耳に空気の振動を伝える。

 先ほどより、強く。

 

「ん、あ、ああ。哨戒か。現時点で周囲に脅威は存在しない。問題無い」

 

 我に返った彼女は、俺の言葉を聞き逃したりはしていないらしい、意識しなくとも把握は出来ている。それでは、今のはやはり何なのだろう。

 

 こういったこと、が。約一週間前から、度々見受けられる。戦闘中にもたまにあるので、危険だと思うのだが。

 何かに気を取られている、というよりは、どちらかといえば考え込んでいる、という印象が強い。

 だからといって、何かできる、というわけでもない。指摘はしたものの、どうも自覚はあるようで。

 

「よーし、そんじゃあ帰りますか!」

 

 三人がこちらに戻ってくる。キッカさんが殊更大きく伸びをしながら、今回の探索の打ち切りを告げた。

 

 

 

 

 

 第六階層。

 

 和装の麗狼人が先頭を行き、金髪の美人が後に続く。その後ろに俺と、普段とあまり変わらない、いでたちが一般市民のキッカさん、そして殿にエルネスト。完璧な布陣である。

 前の二人が足音をほぼたてずに歩いているために、がっしゃんがっしゃんと全身鎧(オレ)の音が周囲に響き渡る。うるさいだろうが、俺はその三倍くらいうるさく感じてるから大目に見てください。

 

 身体が非常に重たい。疲労と重い鎧の組み合わせが想像以上に凶悪なため、この状態で一人(ソロ)であったら遭遇即敗北だろう。その点でいえば、試験としては失敗に当たるのかもしれない。先ほどはまだ二、三回はいけると言ってしまったが、正直それも厳しい、一回いけるかどうか。

 それに付き合わされる形でいつも以上には消耗しているエリンと、いつも以上に気を張っているシーヴさん、エルネストもまあまあ疲弊しているはずだ。

 

 しかし、そんな皆に対し、今も元気が有り余っている様子の人が一人。

 

「今日は、なんかいつも以上に元気ですね」

「そう? いやー、久しぶりに潜るから張り切っちゃってただけだよぅ。それにさ、エリンがいるからさぁ……!」

 

 すぐ目の前を行く自称エルフを追うその視線は、あからさまに臀部のあたりに照射されている。

 

 特別な修行を積んだ結果、見ただけで人のスリーサイズはもちろん、肩幅・身幅・着丈・袖丈・股上・股下・腿幅・頭囲、等が大体わかるようになったというキッカさんは、特に女性に対してその力を行使することに一切の躊躇がない。

 曰く、「当人も把握してないような胸囲の成長などを密かに知って、一人で微笑みたいだけなのです」だそう。

 俺にそれを教えてくれたあたり、どうも何か偏見を持たれているのではないかと邪推するが。もしそうなら深く頷きつつ否定の言葉を吐かねばなるまいて。

 

「いやあ、あの完璧と言って何ら差し支えないしなやかで滑らかな肢体、是非ともこの手で触れてみたいものです、が。みだりに肌を晒さない種族性、そもそも何もかも彼女に合った形で設えられた自浄作用付きのローブ。あたしが出張るには余りにも力が足りません」

「まあ……そうだなあ。特にエルフらしいエルフ、って感じがするもんな」

「そう! 正にそれなんですよねえ! だからこそこう、見ているだけで満足できるわけなんですがね」

 

 でも。

 

 今日のそれは、エリンを間近で観察できるということ、以上に。

 

 他に要因があるようにも感じられる。

 いくらエリンが現状、武具防具の追加を必要としないとしても。決して顔を合わせないわけではないし、むしろ会おうとすれば会える範囲にいる。そう、恋焦がれるものでもない、とも思うのだ。

 だからこそだ、などと言われてしまえばそこまでなので、追及をするまでではない、けども。

 

「食事もなければ排泄もない、故に完璧なプロポーションが崩れることもないということで。ある意味神と同等ですよそんなの。永遠性という意味のもとでは」

「わからんでもない、けども」

 

 女神であるヒルダさんと日頃接しているために。最も美しい状態を維持し続ける、その価値については普段から実感している、けれど。

 

 違和感はどうしてもある。

 この世界のエルフは、年をとる。生命の種族として人間と源流を同じくする、単なる長命の亜人(デミ・ヒューマン)、に過ぎない。

 

 対して、彼女はいささか、逸脱しすぎてやいないか。

 それこそ、キッカさんの言う通り、神に近しいような。

 

「――前方二八M、間もなく視認。フロッグシューターが一体だけ」

 

 無機質であまり覇気を感じられない、シーヴさんの報告が届いた。

 

 一体か、これでは撤退戦ではなく遭遇戦にしかならない。だがまあ、やってやるぜ、と。

 

「やります」

 

 四人を置いて、前に出た。自然な流れで、エリンがすぐ後方に控える。

 普通にきついが、相手がフロッグシューター単体であればそこまでの脅威ではない。慢心ではなく、飽くまで客観的な分析によっても、これは楽なほうだと断言できるだろう。

 

 がっしゃ、がっしゃ、と音をたてながら、標的が出てくるであろう通路への分岐に近づいていく。たてすぎると当然気付かれるので、最後の方は差し足忍び足で。

 

「これくらいなら、俺一人で」

「無論だな」

 

 もちろんだ。

 

 背負っていた特大メイスを少し震える手で持ち。横道のすぐ側で出現を待つ。角待ちだ。特別な捜索技能がなくとも、流石に数M先の化け物の移動音や匂いは感知できる。

 

 べったん、べったん。すぐそこまで来ている蛙の足……? 音から判断し、メイスを頭上に構えようとして、腕が直上を通らないことに気付く。

 まずい。しかし焦らず慌てず、横から腕を回すことで後頭部側に振りかぶり、蛙の頭部が見えたところで。

 

 勢いよく下ろす。

 

『ピギッ』

 

 どずん。あまり抵抗もなく、頭から身体の前半分が諸共押しつぶされた。メイスが重過ぎて、感触はあまり伝わってこない。

 

 しかし、魔石ごと抉ってしまったようで、なかなかグロテスクな身体後ろ半分だけの屍は、灰になってさらさらと消えていく。

 と、そこまで終えて。この戦闘とも言えないただの角待ちからの狩りは、まるでデータとして意味のないものであると気付いてしまう。もっと正面切って戦うべき、だったか?

 

「まあ、仕方ないよな……」

 

 ともあれ戦闘終了だ。振り返り、みんなの方に向きなおろうとした。

 

 瞬間。

 

 視界の端、すぐ脇、の迷宮の壁にできた大きな亀裂から、黒い腕が伸びてくる。

 

 的確に、プレートアーマーの接合部、隙間を狙って。

 

「ッ!」

 

 咄嗟に体を捻り、すんでのところで回避。ぎりぎりぎり、と、鋭い爪が金属に擦れ、不快な悲鳴を上げた。

 

 それでも想定外の激しい重心移動に耐え切れず、バランスを崩し側面から転倒する。脳が揺れる、衝撃が大きい。駄目だ、受け身なんかをとる力もない。

 

 地面に打ち付けられ、肺から空気が抜ける。まずい、追撃が、

 

「ぐ、っ」

 

 腹部に、もう一発。体が「く」の字に曲がる。

 

 縦に伸びた亀裂からぬっと伸びてきた漆黒の脚が、アーマーの腹の辺りを蹴飛ばしたのか。

 

 まずい、立てない。重い。腕が上がらない。頭がぐわんぐわん鳴って、吐き気が湧き上がってくる。

 

「エリン!」

 

 キッカさんの叫び声が混乱する耳に届く。そうだ、エリンは。何をしている。

 

 くそ、反撃、いや、体勢を立て直して。とにかくこいつから離れなければ、

 

「はっ!」

 

 凛々しい掛け声と共に。黒い手足が、吹き飛んだ。

 

 狭い視界の隅に、白いローブが閃く。どうやらなんとかはなったようだ。多分。

 

 思うように力が入らず、上半身をもうまく起き上がらせられない俺を、シーヴさんの腕が抱き起こす。金属に阻まれて触覚も嗅覚も視覚も機能してはいないが、何故かなんとなくそれはわかるものだった。

 

「……ごめん」

「いや、シーヴさんの、せいじゃ、ないです」

 

 まだ目は回っているが、状況は何となく把握できた。というか、予想できる。

 俺がフロッグシューターを叩き潰したとき。衝撃と騒音で、壁の亀裂の生成に気付かなかったんだ。シーヴさんとエリンなら察知できたかもしれないが、少なくとも人並みの知覚しか持たない俺には不可能。

 それで、壁から生まれてきたウォーシャドウが至近の俺へ攻撃を仕掛けてきて。疲弊していた俺は反応が遅れ、あわやという事態に陥ったわけだが。

 他パーティメンバーが近くにいることで慢心し、俺自身が警戒を怠っていたことももちろんある。普段ではまず無い状態で、想定が足りなかったことも含めても。それは疲労やらで片付けていいものではない、当然の可能性として考慮すべき点だったはずだ。

 

 問題は、そこでエリンが動かなかったこと。

 理由、というか原因は、まあまあ予想はつくが……。だからといって、どういう対応をすればいいのかはわからない。

 仕方ない、で済ませていいものではないかもしれない、でもこれも疲労で説明がついてしまうのも事実。看過していいレベルではないけれど、過敏になりすぎるのも良くはない。と、思う。今のところは。

 

 悪意は一応、感じられない。それはこれまでの経過からしてそれなりに信用できる。

 

「我々の失態だ。……済まない」

 

 角度的に俺からは表情は見えないものの、自責の念を込めた言葉が聞こえ。

 

「大事に至らなくて良かったです。消耗しているんでしょう、無理を押して頼んだ俺たちにも非があります」

 

 駆け寄ってきたエルネストが 納めてくれる。

 

 情けないがもう俺は口も回らないので。恐らく軽い脳震盪かそこらの症状を負っている、これ以上の行動は出来そうにない。

 

「よーし、それじゃああたしも戦うかねぇ!」

「キッカさんは殿、後方警戒を。遭遇機会はそう無いでしょうが、ここからは全部、俺一人で対処します」

「……はーい」

 

 不服そうな、だがどこか安心するかのような返答。不思議な感じだが、それだけで彼らが組み慣れていることがうかがえる。

 確かな信頼関係と、それに基づくチームワーク。生憎、俺は彼らの全力の戦闘を観たことはないけれど。それはよくわかることだ。

 

「シーヴさん、ナツガハラさんをお願いします」

「任せて」

 

 ぐいっ、と持ち上げられ。もふっ、と。シーヴさんの髪に顔が埋もれる。背負われたのか。

 

 俺もまあまあ体重はある方だが、それでも同年代の女性にこうも軽々と担がれるとやはり驚きのような、羞恥心のようなものが湧き上がる。この世界ではそうそう珍しいことではないけれど。

 シーヴさんは現時点で俺たち『戦乙女同盟』(ヴァルキュリヤリーグ)の最高戦力だ。違和感はあろうとも【ステイタス】的にはおかしなことは何もない。

 

 これで安心、安全に帰還できる、のだが。

 でも。これはこれで、別に心配することができてしまう。

 

 アーマー越しなので感触はほぼ伝わってこないからまだマシなものの、その分、ダイレクトに匂いが感じられるというか、えっと、なんというか。

 

 違う意味で。

 

 

 無事に、帰れるだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 鍵を使い、玄関の扉を開け、靴を脱いで居間を横切る。いつもと同じ後ろ姿が、キッチンに立っていた。

 

「おはようございます」

「あ、おかえり。ツカサくん」

「ただいま、です」

 

 眩しい笑顔に会釈を返しながら、その背を通り過ぎる。鮮やかな色の卵焼きと、香ばしい匂いを放つ魚の干物が見えた。

 

 エリンが【ブリュンヒルデ・ファミリア】に加入し、俺たちが【ワクナ・ファミリア】のイネフ、カテリーナとパーティを組んでから四週間、約一か月が経過する頃。迷宮に行かない日の早朝には俺がリューさんの稽古に出向くようになったため、朝食の担当はすっかりヒルダさんに定着している。

 まあ、担当といっても俺かヒルダさんかしかいないのだが。

 

 脱衣所で早くも汚れた服を脱ぎ、風呂場でシャワーを浴びる。リューさんとシーヴさんとの稽古は毎回汗だくになるほど激しい。一人だけレベルが低い俺にとっては特に。

 

 朝日が昇らないほど早くから、完全に朝になるまでの一刻半が、最早日課となっている。

 そうでもしなければ、パーティメンバーに追いつけない。そうでなくとも、この世界で生き抜いていけなくなるだろう。

 

 曲がりなりにも、俺は異世界転生者だ。一応。

 何かしらの世界の危機であったり、そういった不測の事態に巡り合うことは半ば確定事項というかお約束というか、物語であれば当然の展開、のはず、なのだが。

 しかし一向に、異常事態は起こらない。強いて言えば『大量発生(イレギュラー)』かとも思う、けれどそれも大したことではない気がするのだ。

 

 起こらないのであればそれでもいい、その方が望ましいはずだ。

 でも。

 だとしたら。どうして俺はダンまちの世界( こ こ )に来た?

 

 異世界転生だとして。最後の記憶が就寝時であることから、死因は心臓発作か何か予期できないトラブル。

 であっても。よくあるテンプレートとはかけ離れている。手違いをした神を名乗る人物も、権能や恩恵を雑に与える神という設定もどこにもなかった。ただ、何もない状態で市壁の上に投げ出されていただけ。

 記憶が消去されているということにしてしまえば一応の説明、いや言い訳にはなる。ここに辿り着いた理由にも、経緯にも。

 

 だがそれには必然性が伴わない。

 俺がギルドまで行き、地図を手に入れ道に迷い、『箱庭』に迷い込んでいなければ。戦乙女(ヴァルキュリヤ)ブリュンヒルデに巡り合わなければ、俺はこの見知らぬ土地で野垂れ死んでいたかもしれないのだ。それを考慮すれば、何者かが仕組んだこととして、わざわざ俺を連れてきておいて何もさせず死なせてしまった場合、それこそ完全にミス、無駄な努力に他ならない。それに、言葉が通じることや免疫の適応などに関しても、何者かの介入が為されているのは明らか。

 そう考えると。あの状況に置かれていたことに、そして今こうしていることに対して、何らかの明確な説明、意図がある、と考えるのが自然ではある。

 

 しかし、どうしてかはわからない。

 というか、こちらの世界の神のような何者かのただの娯楽、暇つぶしでしかない可能性もあるし、そもそも理由なんてないのかもしれない。いくら考えたって、現時点で答えに行き当たることは恐らく不可能だ。

 何の戦闘技能も、特殊能力もない一般人に過ぎない存在を、果たして他の異世界転生者と比べるのが間違いである、ってこともあり得る。

 

 うーん、如何ともしがたい。

 もやもやとした気持ちを抱えつつ、いつもの服装を身に纏い、風呂場を後にする。

 

 居間の机には、丁度料理が並べられているところであった。

 

「手伝います」

「んー、じゃあご飯よそって?」

「はい」

 

 うち、【ブリュンヒルデ・ファミリア】では、和食が空前のブームとなっていた。

 この中世ヨーロッパ風の世界観を持つ迷宮都市オラリオではパン食、パスタ食が主となっているが、極東、現代でいう日本である地域出身者もちらほらいることからして、米食も隅の方で細々と生き残っているのである。

 それと、『戦乙女同盟』の同盟相手、【ヘリヤ・ファミリア】が交易で米を輸入してきてくれていることも大きかった。そのおかげで、安定して米を入手することができている。

 

 白く光る白米を二人分の茶碗によそい、鯵の開きに卵焼き、ほうれん草の煮浸し、かぼちゃの煮物と味噌汁が揃った食卓に並べると、まるでここは日本かと錯覚してしまう。

 むしろ、日本にいた時より豪華な和食な気さえ。

 

「いただきます」

「うん。いただきます」

 

 二人して手を合わせ、ゆっくり食べ始める。食材の命に感謝するという作法が、魂を管理するという仕事をしていたヒルダさんの琴線に触れたらしく、いたく気に入っていた。

 

 元の世界と暦の仕組みが完全に同じならだが、あと二、三週間で六か月、およそ半年が経過する。

 それだけの日数を、交代交代とはいえほぼ毎日料理を続けていれば、そりゃあ上手くもなるだろうし。

 

「……箸、持つの上手くなりましたね」

「え、あ。そういえばそうだね。慣れちゃった」

 

 綺麗に箸を握る手から目を移し、愛らしく笑むヒルダさん。なんでそんな可愛いんですか。

 

「慣れると便利なのもあるけど、何より和食にはこれって感じがするからね。私形から入るタイプだから」

 

 ヘファイストス然りロキ然り、派手な髪色の神が多いところに対し、この女神は黒髪に天色の瞳、奇しくもヘスティアやワクナと同じカラーリング……といったらメタ的だが。ギリギリ和寄りである。そういう点も、俺の心の支えとなっているのかもしれない。

 

 多分、この異世界で現状最も危惧すべきなのは、地味だが「ホームシック」だ。

 日本に戻る術は全く分からないうえ、現代日本由来のものは何一つない、何かのコンテンツにも触れられず、家族、知り合いにも会えない、声を聞くことすらできないという状況は、かなり心にくるものがある。

 自然なコミュニケーションが可能であること、生活がヒルダさんらと共同であることのプラスを考えても、急激な環境変化と合わせれば差し引きゼロ。

 ノスタルジアを感じることは度々あるけれども、ホームシックまではまだ至っていない。しかし、いつなるかもわからない。

 

「この卵焼き、いつものと何か違うような」

「気付いた? 作り方変えてみたの。ワクナのところのクロくんに教わったんだ」

「道理で。美味しいです」

「ほんと? よかった。ふわふわで食感も良くなってるよね」

「はい、とても」

 

 だから、なのかもしれない。

 

 ヒルダさんが、朝食を慣れない和食にし続けることも。

 密にコミュニケーションをとることを是とし、とても良くしてくれることも。

 俺を、俺の精神を慮ってのこと、なのかもしれない。

 

 今更になって、こちらに来てまだ日が浅かった頃、夜、たまにベッドで泣いていたことを知られているかも、という考えに行き着く。そういえば、無理に朝食の担当を代わられたときがあったっけか。

 

「なんか、ここのところ朝食はほとんど毎日任せちゃって、申し訳ないです」

「んん? そうなっちゃう?」

「え」

 

 箸を置き、顎に手を添え、不満そうな目をこちらに向けてくるヒルダさん。そんな些細な仕草すら絵になる、なってしまう。

 どうしたものか。そんな言葉を口に出さずとも聞き取れる気がする。

 

 行き場を失くした俺の視線は、白米が全て無くなった茶碗ですら受け止めてくれない。

 

「ツカサくんてさ、そういうところ結構気にするよねぇ」

「まあ……決めたことですし」

 

 今更何を言っているんだ、と。心のどこかでは思ってはいるものの、口が止まらなかった。

 

 細かいことをいちいち気にするような女神(ひと)ではないと分かっているのに。いや、わかっていても、いるからこそ。()()()()返答が欲しいと思ってしまっているのかも、しれない。

 決して。そんなことはないよ、と。自分がしたくて。好きでやっているのだ、と。

 押し付けてしまっているのではないか、無理させてしまっているのではないか、という罪悪感に苛まれる俺を救ってほしいという幼稚な願いを。無意識に声に出してしまっていたことを、遅ればせながら、恥じる。

 

「まあ、そうなんだけど。でも、今は色々状況が違うでしょう。【ワクナ・ファミリア】の子たちとパーティを組んだり、シーヴくんに、『疾風のリオン』と鍛錬なんて。良い意味で考えられなかったし、それは望ましい変化だよ」

 

 優しく、諭すように。それでいてこちらに自信を持たせるように。

 

 ヒルダさんは俺が危惧していたこととは、少し違う言葉を投げかけてきた。

 

「正直、私はいつもキミに感謝してる。私の一人目の眷族になってくれて。こうして立派な家に住んで、美味しい食事を食べるためのお金を稼いできてくれて。天界で忙しくしていた私一人じゃ、とても考えられなかった生活をくれて」

「…………」

 

 可愛くも、美しくも、儚くも、綺麗な笑顔で彼女は語る。

 

 それは、過大評価だ。こうなるに至ったのは、ヒルダさんが最初から他の戦乙女たちと良好な交友関係を築いていたことが非常に大きい。

 とても。俺だけの力だなんて自惚れられない。

 

「だから、それに対して私が頑張るのは当然なの。相応のものができているかはかどうかはわからないけど、貰ったら返さなくちゃ」

「蜂蜜酒を、振る舞ってくれるのと同じだと」

「そそ。戦乙女の本領ね。今の私にはこれくらいしかできないから、せめて出来ることはしっかりしよう、と考えてるわけ」

 

 彼女に見初められた俺は、昼にはヴァルハラで戦い、夜には酌を受けるエインヘリャルというわけか。

 

 その神性を利用した返しに、妙に納得してしまう。

 

「正直なところ、私も、折角降りて来られたんだからあんまり働きたくはない、っていうのが本音だけどね」

 

 でも、と彼女は続ける。

 

 ふわり、と。微笑む。

 

「でも、私はこの日々が、結構好きだから。ツカサくんの為になるなら、できるだけ頑張るよ」

 

 うっ。

 

 思わぬ威力に息が詰まる。

 意図していなかった、むしろ別のものを期待していたことを考慮しても中和しきれぬ罪悪感と、単純に額面通りの受容からなる幸福感の板挟みにがっちりと捕らえられた気分だ。

 

 それが本心であろうとなかろうと。俺をその気にさせるための発言であろうがなかろうが。

 無理だ。受け止めきれない。童貞舐めんなってやつ。

 身体は箸を中途半端な位置で止めて微動だにしていないまま、心の中では溜め息をつく。

 色んな思考が頭の中をぐるぐる回っていたはずだけど。一発で吹き飛んだわ。何考えてたっけ。

 

 いや、どうでもいいか。

 

 どうせそんなに深刻なことでもない、現時点でこれより大切なことがあるか。いやない。断言する。

 俺が臆病でよかった。生き残っててよかった。

 

「……あの。何か言ってくれないと、恥ずかしいんだけどな」

「あっ、ああ、ごめんなさい」

 

 ちょっと思考能力が麻痺してまして。

 

 ともあれ。段々と忙しくなっていくのは【ファミリア】としては喜ばしいことだし、ヒルダさんも尽力してくれるということはわかった。意思確認は重要である。とはいえまた時間があるときにでも色々分担などの話をするべきではあるだろう。

 

「まあ、俺も精一杯頑張ります、ので」

 

 今は。この生活を守る為に。

 そしていつか、来るかもわからないが。俺にとっての終末の日(ラグナロク)を戦い抜く為に。

 

「うん。よろしくね。ところでご飯のおかわりは?」

 

 しゃもじを片手におひつの蓋を少し開けてみせるヒルダさんがいるならば。俺の答えは決まっている。

 

 

「よろしくお願いします」

 

 

 

 

 

 洗面所で鏡を見ながら歯ブラシを上下左右前後、縦横無尽に動かす。あまり気にしたことはなかったが、中世風のこの世界ではきっと歯科治療といえば「抜歯」一択であろうことは想像に難くない、虫歯になんてなったら悲惨だろう。ベル君やヘスティアだってOPで歯を磨いてたし。

 

 魔石を使用した物品があまりにも時代を飛び越えている性能をしているせいで、文化レベルに関しての認識がどうも麻痺しがちだ。冷蔵庫や電球、ガスコンロなどの機能を代用する魔石は、あまりにも優秀すぎる。

 現代においての電気にも匹敵する、むしろ上回るまであるポテンシャルを持つ魔石がある以上、きっと現世よりも技術の発達スピードは早いはずだが……。いや、頼り切ることで停滞する危険性もあるにはあるけども。

 

 そして、現代と異なる点はあと二つ。『神の恩恵(ファルナ)』と【魔法】の存在だ。

 前者に限っては主に身体能力を底上げする、成長を早め促す効果の()()()()()()()()()()()()に過ぎないが、後者はそれくらいでは説明がつかない決定的な「ファンタジー要素」である。

 

 原作二巻の途中でベル君が魔導書(グリモア)によって魔法、【ファイアボルト】を習得していた。そのときの記述には確か、先天系と後天系の二種類がある、と書かれていたはず。

 先天的なものといえば、まあエルフなどだろう。それに対してほとんどの人、特に冒険者は後天的に手に入れるのだろうが、問題はその習得過程と条件。

 各個人の【経験値】(エクセリア)に依って発現するとされている魔法は、理想に対する自己実現であるとされている。これはこっちに来てから調べたから多分間違いない。というか俺だって原作の描写一つ一つを覚えてはいないし、基本こちらの世界で文献を読み漁ることでしか知識を深めてはいけない。当然だけども。

 

 その『自己実現』というものが難しい。確か自己実現は最上位に位置する欲求であり、自分の能力、可能性を最大限に活用したうえで自分を、成り得るものにしなければならないというものであった、気がする。

 自分が何を出来るか、自分はどういう可能性を持っているか完全に把握したうえで適切な具体化を行わなければならないのである。恐らく。

 

 いやわかるわけないだろ。

 魔法は興味である、とか言われても。そもそも魔法が存在しない世界で生きてきた俺にとって魔法は「有り得ないもの」だ。そりゃあ魔法が使える妄想だってしたことはあるが、それを『妄想』であると自覚している時点で、無いものだと認めていることと同義だし。

 俺だってそりゃあ、こんな世界に来たのだからカッコいい魔法くらい使いたい。どうすれば習得できるか分からないのだが。

 

 思考が逸れた。

 

 奥歯まで入念に磨きつつ、魔法の可能性について考えを巡らせる。

 

 ここで注目したいのは、汎用性だ。

 ベル君やリューさんのもののように、ほとんど冒険者のためだけの、言ってしまえば戦闘で役に立てるためだけの代物であるもの、ではなく。

 リリの【シンダー・エラ】やカテリーナの【サン・リオン】のような。戦闘以外でも使えると思われる種類の魔法。

 それらがあることで、魔法は一気に技術としての側面を見せる。

 

 誰もがベル君のように、「必殺技」や「神秘」であるとは考えない。その中にはきっと、遠方への移動であったり交信、治癒や育成などの概念も願われるはずだ。

 だとすれば。そういう方面を向いた魔法も在る、と思う。まだ確認してないけど。

 例えば、【カーラ・ファミリア】のエルネスト・ソルの【アース・イーター】は地とそれに続くものを操作する魔法だが、それを活用すれば土木業界では英雄にも等しい扱いをされることは必至だろう。

 色んな業界でそういうことになれば全体で大きなブレイクスルーが起こるとは思うのだが。如何せん個人情報、企業秘密的な考え方をされている限り難しい。惜しい。

 

 ここまでが「文化的」な考え。

 

 口を濯ぎ、歯ブラシを収納してキッチンへ。

 

「手伝います」

「ありがとー」

 

 ヒルダさんが洗い上げのかごに上げた食器を、布巾で拭いて食器棚に移してゆく。

 

 次に考えるのは「個人的」なことだ。

 

 エリンは最初から【魔法】を持っていた。【ベイナ・アウラ】と【アルナ・バニ】という二つの魔法を。

 これはつまり、先天的である、と言えるのだろう、が。

 果たして本当にそうなのだろうか。

 

 魔法種族(マジックユーザー)であれば早期習得が見込める。しかしその属性、特徴は偏るとされている。

 

 それに対して。エリンの魔法はどうだ?

 あんな「ぼくのかんがえたさいきょうのまほう」じみた魔法が、種族的特徴を受け継いでいるとは考えづらい。というか、属性が無いだろう。強いて言うならば創造魔法とかになるそれが、どこぞの系譜に連なるものであるという仮説が信じがたい。

 要するに、まず後天的にそういう魔法にした、という可能性。そして先天的であろうとも、どうにも自然発生的な感じではないという印象からして。

 極めて。人工的な意図が読み取れるような。そんな気がするのだ。

 

「……下りてきませんね」

「だね。そんなに多く借りてるのかな」

 

 入団直後の頃より、エリンは図書館に入り浸っていた。

 休日は開館の少し前に出て行き、日中のほぼ全てを費やしながら書籍を読み漁り、文献を大量に借りてきては次の休日に返しに行く。その知識欲が成せる行動には目を見張るものがあったというか。

 どこか、鬼気迫るものにも感じられた。

 

 睡眠を必要としないという彼女は、夜間でも眠気に襲われず読書に耽ることができるのだろう。と考えても異常な量なのだ。とてもではないが俺には不可能な数……一晩で小難しい学術系の本を十冊は読破している。

 しかしそれでいて、一日おきに設定されている休日の朝には必ず全て返却するのである。

 一緒に行った日には、司書さんにエリンの利用方法について質問されたこともあった。あまりに早いペースであるため、複製やらの違法行為を行っているのではないかと疑われていたらしい。

 実際の彼女の読書風景を見てもらったら、理解できないながらも納得はしてもらえた。渋々ではあったが。

 

 そんなエリンが。

 

 最早なろう系チート主人公もかくやというスペックを誇るエリンが。

 ここ数日、何か体調でも崩しているかのように行動が変わっている、らしい。

 

「それだけなら、いいんですけど」

 

 探索では、最初の頃とは異なり、何かに気をとられていたり、反応速度が落ちていたり、精彩を欠いている。パーティ内での交流、連絡もほとんど俺ばかりがするようになった。それは半ば元からかもしれないけども。本拠での会話も減った、というかまず部屋から出てくることがあまり無くなった。そして今回。

 

 明らかに、何かある。それだけはわかっている。

 逆に言えば。それだけしかわからない。

 

「前に言ってた、調子が悪そう、って話?」

 

 今日の朝食に使った食器、調理器具を全て洗い終えたヒルダさんは、エプロンを脱ぎ髪を解く。

 ふわっと広がる艶やかな長髪は、妙に落ち着く甘さを香らせた。

 

 食器を拭き終え、布巾を洗濯籠に投げ込む。

 

「こっちはまだ誤差的と考えることもできますけど。迷宮(ダンジョン)では割と顕著になってきてまして」

 

 居間に戻ると、ソファに腰を下ろしていたヒルダさんが手招きする。

 隣に座れ、ということか。

 

「まあ、俺の主観的な感想に過ぎない、んです、けど」

「いやいや、主観は大事だよ。私とツカサくんじゃあ見るところも気にするところも感じるところも違うはず。話して話して。どうせなら更新しながらにしよう」

「座ってできるようになりましたっけ」

「練習~。何事も挑戦あるのみです」

 

 苦笑しつつ上半身の服を脱ぐ。良いことか悪いことか、もう抵抗は全然無い。

 

 ややあって、先程まで冷水に晒されていたためにひんやりとした指先が背中に触れ、ぞくりとして思わず身震いする。これは駄目だ、なかなか慣れるものではない。

 しかしそうないうちに、冷たい感触はじんわりと熱を帯びてゆく。確かな体温を伝えてくるそれは、ゆっくり、滑らかに俺の背中を這う。

 

 アニメ版のように文字が浮かび上がることはなく、背中に刻まれた【神聖文字】(ヒエログリフ)を弄ることで【ステイタス】は変更される。それに合わせて力が漲る! ……なんてことはなく、実感できるような変化はまずない。現実なんてそんなものだ。

 

「うーん、ごめん、ちょっと倒れてくれる?」

 

 まあ予想通りといえば予想通り。頭を下げ、ソファの手置きに寄りかかる。

 それで安定したのか、ヒルダさんは軽快に指を走らせた。

 

 さて、今日の雑談の内容は決まっている。

 

「探索中、どうも心ここにあらず、っていう場面が増えたというか。それに気づくことが多くなりました」

 

 二週間ほど前からそれらしき兆候自体はあったものの、回数も影響もそれほどでもなかったため、あまり気にはしていなかったのだが。

 

 ここ最近。特に先日、シーヴさんらと潜ったときにそれは顕著に表れた。

 

「それはエリン自身は自覚してる感じ?」

「うーん、多分、そうですね」

 

 一時的にぼーっとしているだけで、意図的に意識を散らしているわけではない、と思う。

 声を掛ければ我に返るし、何ならわざわざ言わなくとも戻る。タイミングの問題だ。

 何ならそうした後に、「そんなことをした自分に苛立ちを覚えて」いるようにも感じられる。自己嫌悪、なのだろうか。

 ただ、迷宮探索中にそうした行為はいわずもがな、大変危険である。戦闘中に別のことに気を取られていればそれは致命的な隙となってしまうし、褒められたことではない。

 

「自覚、できていないはずがないと、思います」

「まあそうね。あれだけ優秀なら、自己分析もしっかりできてるはずだもんね」

「はい。ですが」

 

 彼女がそれをわかっていないわけがない。恐らく能力的には最も優れているはずの彼女が。

 

 でも。

 

「それでも直さないのであれば、()()()()と考えるのが自然だと、思いました」

 

 全てを完璧に仕上げようとする彼女が。自分のみならず、共に在るパーティメンバーまで危険に晒す行為を看過することに違和感を感じる。

 

 俺の感覚がズレており、最初からそういう人格であった、と言われれば閉口するしかないけども。

 だから、俺のこの思考も。全くの見当違いである可能性も十分あるが故に。不安が渦巻いているのだ。

 

「その原因が、今日みたいに行動が変化していることと関わってる、と」

「同時期ですし、別々に考えるよりかは」

 

 そうは言ったものの、正直その原因などは一切わかっていない。

 

 俺は名探偵ではないのだ、そうポンポン色んなことを解明できるわけないだろう。ましてや元々謎が多いエリンとなれば、散々考えて「やっぱり何かありそうだ」が関の山。

 情けないなぁおい。

 

「原因、ねえ」

「本当は睡眠や食事が必要じゃないか説は」

「確認したけど、嘘じゃない。体力も魔法で回復してる。体調は常に万全に保たれてるっていうのは、虚言じゃないよ」

「……聞けば聞くほど、耳を疑いたくなりますね」

 

 地味に今まで考えてこなかったが。強豪の【ファミリア】に目をつけられたら大変なことになりそうだ。

 オラリオ全域を監視する女神フレイヤの干渉が無いのは、彼女はやはり主人公格に及ぶ存在ではない、ということなのだろうか。それはそれで英雄の定義が揺らぎそうなものだが。

 

「じゃあ、精神的なもの、なんですかね」

「そっちの方が可能性的にはありそう、だけど」

 

 言葉が途切れ、ヒルダさんの指が背から離れる。【ステイタス】の更新が終わったようだ。

 

「ちょっと待っててねー」

 

 はーい、とそのままの姿勢で返事をし、傍のローテーブルで書き写しを行う手を横目に見る。

 その速度は、いつもよりは少し鈍いように思えた。

 

 適度なところで起き上がり服を着、ヒルダさんから【神聖文字】(ヒエログリフ)で記述された俺の【ステイタス】の写しを受け取る。

 

 

 

 ナツガハラ・ツカサ

 

 Lv.1

 

 力:E 495 → 498 耐久:D 542 → 543 器用: C 634 → 636 敏捷:E 475 → 477 魔力:I 0

 

 《魔法》【】

 

 《スキル》【】

 

 

 

 何の変哲もない、魔法もスキルもない平々凡々な文面だ。

 もうちょっとこう、なにかあってもいいんじゃないか。そんな文句を投げつけたくなるような。

 ところがどっこい、これが現実。これが普通。都合のいい奇跡はそう簡単に起こっちゃくれない。

 

「順調、かな」

「まだ頭打ちにならずに伸びてくれてますね」

「うん。いい感じ」

 

 原作主人公、ベル君の成長速度が異常なせいで感覚が麻痺する。している。

 普通は、早い方の人でもレベルアップには約二年近くかかるという。しかしそれも、飽くまで()()()()()の話であり、Lv.2に到達できない人の方が大多数である厳しい世界だ。

 あの【ロキ・ファミリア】のアイズ・ヴァレンシュタインですら一年かけているというのに。一か月半はいくらなんでも早すぎる。

 

 そして。

 

「エリンの【ステイタス】、見てもいいですか」

「あー、いつもの通り、良いとは言われてるけど……見たい?」

「はい」

 

 あまり芳しくない返答をするヒルダさんの気持ちはよくわかる。

 

 物語の主人公の、現実離れした成長度合い。それに追随するどころか追い抜くほどの勢いを見せていたエリン・ヴァランシーの【ステイタス】。

 比較するな。君はこの子とは違う。と言いたいのだろう。俺のモチベーションを維持させるために。しかしそれを言うことで不随意に優劣の意識を与えてしまうことを恐れてもいる。多分。

 

「大丈夫ですよ。嫉妬に狂ったり、自己嫌悪したりとかは。少ししかありませんから」

「正直な子だこと……」

 

 ちょっとだけ息を吐き出すと、ヒルダさんはこれまでに書きだした【ステイタス】の写しを保管庫から取り出してきてくれる。

 

 嘘偽りはない。それよりも、気になることがあるのだ。

 

「なるほどね」

 

 何かに納得した表情で戻ってきた彼女は、何枚かの紙の束をローテーブルに置き、俺と共に覗き込む。

 

 

 

 エリン・ヴァランシー

 

 力:D 502 → 513 耐久:E 423 → 436 器用:C 678 → 692 敏捷:D 556 → 568 魔力:B 706 → 722

 

 《魔法》

 

【ベイナ・アウラ】

 ・発現魔法

 ・詠唱式

 【✳︎】

 

【アルナ・バニ】

 

 ・再生魔法

 ・詠唱式

 【悠遠の彼方に座する我らよ

  遼遠の果てに散り開く我らよ

  須臾に我らが故郷(アルヴヘイム)に集え】

 

 【】

 

 《スキル》

 

 【全個総一】(オール・フォー・オール)

 

 ・同一個体による能力互換

 ・展開式

 【我々は唯一にして無限、極限にして原点。遍く存在せし断片は此の号令に依り、今ここに顕現す】

 

 

 

 これで、たった一月。

 僅か一ヶ月で半年間先を行っているはずの俺に追い付くどころかほぼ追い越しているという、普通に考えればとても有り得ない【ステイタス】である。

 

 だが、今俺が、俺たちが注目すべきはそこではない。

 

 ヒルダさんがすっと手を伸ばし、恐らく計十三枚あると思われる紙の、一番上のものを下にずらす。

 

 

 

 エリン・ヴァランシー

 

 力:E 488 → D 502 耐久:E 413 → 423 器用:C 664 → 678 敏捷:D 546 → 556 魔力:C 691 → B 706

 

 《魔法》

 

【ベイナ・アウラ】

 ・発現魔法

 ・詠唱式

 

 ――――

 

 

 

「これが三日前のもの」

 

 つい最近、更新されたものと思われる能力値の変動が示されている。

 

 魔法やスキルは今日に至るまで変化は無い、そちらは見なくても良いだろう。

 問題は、この【ステイタス】が、これだけ見れば何も変哲のないものとなっている点、だ。無論、たった一日分ずつの【経験値】(エクセリア)だと考えれば破格もいいところ、なのだが。

 

 一番上の紙は横に除けられ、また二枚、三枚と捲られていく。

 

 

 

 力:E 476 → 488 耐久:E 402 → 413 器用:C 652 → 664 敏捷:D 535 → 546 魔力:C 678 → 691

 

 力:E 465 → 476 耐久:F 390 → E 402 器用:C 637 → 652 敏捷:D 522 → 535 魔力:C 662 → 678

 

 力:E 453 → 465 耐久:F 378 → 390 器用:C 623 → 637 敏捷:D 510 → 522 魔力:C 647 → 662

 

 力:E 440 → 453 耐久:F 365 → 378 器用:C 609 → 623 敏捷:E 499 → D 510 魔力:C 634 → 647

 

 

 

 ほとんど一日おきに更新されているため、推移を見れば、いつどの能力がどれだけ伸びたかという情報は容易に得られる。

 

 六枚目に触れたヒルダさんは、ちらりとこちらに目くばせした。

 

「確かに、全部繋がってると考えた方が自然、かもね」

 

 

 

  エリン・ヴァランシー

 

 力:F 376 → E 440 耐久:G 296 → F 365 器用:D 511 → C 609 敏捷:E 412 → 499 魔力:D 538 → C 634

 

 

 

 七枚目。

 

 向上能力値、トータル4()0()0()()()()()

 

 約二週間前に書き換わった【ステイタス】は、異次元の伸びを見せていた。

 この伸び幅が、入団から二週間、実探索期間一週間にして続いており。つまり彼女はたった七日で2547もの値を稼いでいたのである。

 

 それは、壊れスキル、【憧憬一途】(リアリス・フレーゼ)を持つ原作主人公、ベル・クラネルの一巻時点での記録をもってしても達成不可能な成長度合い。

 誰も追い付けない高みへ凄まじい速度で邁進していた彼女は。しかしちょうど二週間を境に急ブレーキをかけている。まあ、それでもなお、反則を疑う速度ではあるのだが。

 

「ツカサくんの気付き通りなら。エリンの行動に変化が訪れた時期と、いきなり能力の伸びが鈍った時期が、ちょうど重なるね」

「やっぱり、ですか」

 

 エリンの二回目の更新以降、特に気にしてはいなかったものの。今回の件でなんとなく気付いていたこと。

 それぞれが観察者の違いによって関連付けられず、表面化しにくくなっていた。

 

 行動の変化。

 

 戦闘時の不意な弛緩。

 

 能力値上昇の急激な段階的鈍化。

 

 それらが同時期にもたらされたものだとすれば。

 

 きっと、単純な問題では。

 

「そうまでなるなら、原因は考えられなくはないよ」

「えっ」

 

 ない、はずでは。

 

「前にエリンが『我々は一であり、全である』って言ってたじゃない? 入団の時に」

「面接、を、したときでしたっけ。忘れてました」

「そうそう。そうでなくとも、あの子は一人称を『我々』にしているでしょう。その話なんだけど」

 

 結局、よくわからないままになっている点だ。

 何故彼女は自らを「我々」と称するのか。他視点からすれば「組織」であり、自視点からすれば「組織」でないものに属しているというのはどういうことか。哲学じみた文言を用いるのはどうしてか。

 

「つまり、エリンは魂を複数所持している。正確にはそれぞれが対等な存在ではあるから、どちらかといえば同乗、と言った方がいいかな」

「魂……? の、複数、同乗、ですか」

 

 ちょっと突拍子もないその発言に、俺は上体を起こし、上手く吊り上らない唇の端を見せる。

 

「うん。概念的にはわかってたんだけど、確信が持てなかった。でも、状況証拠的にもこれしかない」

「もう少し早めに教えてくれても……」

 

 そんな俺に合わせるように、ヒルダさんもゆっくりローテーブルから離れ、こちらの眼を見据えてくる。吸い込まれそうなほど深い瞳が、俺を覗き込む。

 

「ごめんね。間違ってるかもしれない推測を伝えるのは、良くないと思ったんだ」

 

 でもまあ、分からなくはない。

 

 そんな突拍子もないことをいきなり言われても、咄嗟に理解出来そうにないし、更に真偽不明なのであればもうよくわからない。

 散々考えた末の今ならば、そこまで問題はないけれど。

 

「つまり、エリンは基本一人に一つしかない『魂』を、たくさん持ってる、ってこと、でいいんですよね」

「その認識で概ね正解。彼女のものではない『魂』が、あの身体に留まっている。それで、彼女自身の『魂』の質の話に移るんだけど」

「質」

 

 戦乙女は優秀な戦士の魂の選別をする役割を持つことからして、良し悪しが分かるという。

 だから、女神フレイヤのように、特別な視点で魂を観測出来てもおかしくはない。野菜とか、物品の質などは分析できているし。

 

「魂の質は、基本的に常にほんの少しずつ変化し続けている。人生のあらゆる経験を糧としてね。いきなり変わるのは、あんまりない、と、思う。徹底的に堕ちきった時とか、人生観が変わる程の出会い、行動をした時、くらいで」

「それは、『色』とはどういうところが違うんですか」

「ああ、そっちは本当に変わらない本質の話だよ。質は、いわゆる人間としての完成度合、って感じかな。完成形はそれこそ人それぞれだけど」

 

 そもそもの資質と、成熟度合。違いとしてはそんなものかな。と言ったところで、ヒルダさんはふと不自然に動きを止める。

 何か不穏な空気を感じなくもないが、何か……あっ。

 

「でもどうして、魂に『色』があることを知って……?」

「い、いや、何かで読んだんですよ。そんな風に魂を観測する神も存在する、って。それをふと思い出して」

「そうなの? 案外知られていたりするものなのね」

 

 嘘ではないため、追求までいかない程度の疑問で処理できた。危ない。

 

 だとしても、迂闊すぎるぞ俺。無いとは思うが、もしフレイヤがその『神の力』(アルカナム)由来の能力を秘匿していて、かつそれを俺が知り得ていることが伝わってしまったら。

 タダでは済まないことだけは確定的に明らかだ。原作知識ばかりに頼るのもあまり褒められたことではないな。

 とにかく、上手く逸らせたからには本筋に戻さねば。

 

「話の腰を折ってすいません。それで、えっと。質、の話、でしたっけ」

「ああうん、魂の『質』は滅多に大きくは変動しないと言っていい。そんなにころころ変わったら観測する側も困るしね」

 

 まあ、確かに。長年ずっと魂を精査してきた彼女の話なら、まず間違いはないだろう。

 

「でも、エリンは違った。彼女の魂は、こちらで容易に観測できるほど()()()()()()()()()()()()()

 

 少しだけ。困ったような表情を見せ、二階へ続く階段の方を窺った後、ヒルダさんは続ける。

 

 朝食から既に三十分ほど経っている、如何に行動が変化しているとはいっても、いつ下りてくるかはわからない。

 何より、これは彼女が聞いていい話かどうか、が見当もつかない。

 

「普通の人間ではまず有り得ない速度で、頻度で、振れ幅で。変わり続けている。有り得ない速度で目まぐるしく変化し続けているの」

「えっと、それは、どういう……?」

 

 当然と言えば当然なのだが、言っていることはともかく、それがどういう意図で、どういう意味を成しているのかがわからない。

 

 対するヒルダさんも、まだ言葉がまとまってはいなかったのか、数秒見つめ合った後、目を逸らして唇に人差し指で触れ、考えるポーズをとる。

 どうしてこうも。ああいや、なんでもないです。

 

「簡単に言うなら。尋常なら一生に一度あるかないかレベルの、人生が変わるほど大きな出来事が、毎日やってきてるようなものよ」

「そんなことが……」

「でも、なんせそんなことは私も初めてだったから、確信が持てなかった。さっき言ってた色んなことが重なったタイミング、あるでしょう」

 

 ぴっ、と。ヒルダさんは人差し指でローテーブルの上の紙束を指した。

 一旦そちらに顔を向け、また戻す。

 

「それまでは変化のパターンがあった。周期的に、定型的な形を繰り返していたんだけど。その日から、明らかにその法則が乱れている。()()()()()()かとも考えたけど、これが原因と考えた方が説明がつくと思って」

 

 魂の乱れ。つまり、最初から変動しっぱなしで逆に安定していた彼女の精神が、ここにきて不安定になっており。

 体調にまで影響を及ぼすほどになっている、と。

 

「普通は少し変わるだけでも当人には甚大な影響があるはず、なんだけどね」

「成る、程」

 

 短時間で色々な情報が入って来すぎて、処理に戸惑う。

 いくらそういった会話に(妄想で)慣れているとはいえ、実際にされると付いていくのに精いっぱいだ。

 

「要約すると。彼女はその身体を器として、いくつあるかわからない大量の魂を宿している。それらが彼女自身の魂に作用することで、断続的な変化が起きている。ここまでは観察する限りはぼ確定」

「はい。それは、わかります」

「問題は次から。その変化が、例の日からとても不安定で、規則性が無いものになっている。一連の出来事は、それが関係しているんじゃないかな」

 

 エリン・ヴァランシーの内部には、複数の魂が宿っていて。恐らくそれらがエリン自身の魂に作用しており。

 そのせいで、どうも不透明な行動の変化、不調を引き起こしている、かもしれない。ということ。まあヒルダさんが言うからにはほぼ当たっているだろう。

 

 ……しかし、何故。いまだエリンの正体が掴めないうえ、その目的も、行動原理も何もわかってやいないのだ。決めつけるのは、まだ、早い。単に俺が臆病すぎるだけかもしれないが。

 

 問題のおよその原因は分かった。だが解決法も、原理も理由も判明していない。小説ならまだ「承」の部分、情報が足りない。

 

 

 さて。どうしたものか。

 

 

 

 

 

        〇

 

 

 

 

 

 無数の人々が行き交う大通りは、朝早くから夜遅くまで喧騒に満ちている。

 そこには、人種、民族の隔たりは無く。実に様々な容姿の()()が、当然の如く闊歩し、互いの在り方になど、全く気にする様子も見せない。

 

 ただ、一人を除いて。

 

()く在るべし』

 

 声が。

 波と成って大気を伝うような、鼓膜を震わせる媒体に昇華されない、聴覚を介さない声が、聞こえる。

 

 それは我々の中の一つが発した意思。

 我々が、我々らしく在れかしと思考した結果の発露。

 

 原因は明らかだ。

 西のメインストリートを行き交う人々に紛れる、幾人かの「elf」。その姿を我々の眼が捉える度に、存在した我々の定義が揺らぐ為である。

 

 我々は「elf」である。

 

 しかし、我々と姿形、存在方式が異なる彼らもまた、「elf」である、とされている。

 端的に表すならば。容姿端麗、精霊に次いで魔法に長けているとされる種族であり。己の認めた者以外との直接的接触を過度に忌避し、皮膚の露出が少ない衣服を好んで身に着ける、とされている。

 

 それが()()()()()()()()()()

 

『斯く在るべし』

 

 揺らぐ。それを我々が繋ぎ止め、元の場所に、元の形状に戻し置く。

 既に外力に依って、変化した我々を、無理にでも。

 

 我々は「elf」である、それは結論付けられている、決して覆ることはない。我々はそう在るべくして今、ここに在るのだ。

 

 しかし。我々でない「elf」が存在するとなれば。

 

 もしそのような事態になれば。

 

 我々は。

 

『斯く在るべし』

 

 

 

 

 

 夕日が彼方の市壁に沈み始める(とき)

 

 冒険者や、無所属の一般市民の帰宅によってそれまで以上に一気に活気付く街があった。

 絶え間なく流れる人の波。次第に点灯する街路の魔石灯の輝き。そこかしこから天に向かって煙が立ち上ってゆく。

 書き入れ時を逃すまいと張り上げられる客引きの声。どこまでも広がる雑踏が地面を蹴り舞い上がる砂埃の掠れ。そこかしこで乱立する雑談の柱。

 そこら中から流れ出で、漂うのは食事と酒、そして僅かな血の香り。彩鮮やかな匂いが生活を形作る。

 

 迷宮都市オラリオでは、最大級の神秘を込めたローブを身に纏っていようが、神樹からできた杖を持っていようが、誰も気にすることはない。

 単純に価値がわからないこともあるだろうが、それだけのものを装備しているということは、それに見合うだけの実力、または戦力を保持しているということであると、分かっている者しかいないからだろう。日々生と死の狭間を文字通り冒険している人々は、永く生きる術を身に着けなければならない為に。そういった意味で愚かな人間は、比率にしてみると案外低い。

 

 しかし、それでも治安の問題が叫ばれるのは、(ひとえ)に弱肉強食の構造に耐え切れなくなった弱者が更なる弱者を虐げるからに他ならない。例え、その結果更なる強者に叩き潰されることがわかっていたとしても。

 

 故に。オラリオで犯罪に巻き込まれない為には。

 強者として振舞うこと、強者の威を借りること、強者として名を轟かせること、等が有効である。

 正に、斯く在るべし、なのであって。

 単にそう在るだけでなく、そう在るように見えることが重要なのだ。

 

 その点、「elf」という種族はどちらに対してもある程度の扱いが保証される為、便利ではあった。

 ほぼ先天的に魔法を習得していることより、まず有力な【ファミリア】に所属している可能性が高いこと。それにより必然的にレベルが二以上、上級冒険者である可能性が高いこと。

 そもそもその種族的特徴だとされている人体的接触に対する潔癖に関して、その信条を貫けること自体が能力の証明ともとれるわけで。

 だから、「elf」の異性に自ら近付く者たちは命知らずと呼称される。

 

 そうした仮説を元にした推論の結果、エリン・ヴァランシーはかなりの精度で「elf」であると考えられている、といえるだろう。

 ()()()()()()耳さえ隠してしまえば。他は何も身体的特徴などありはしないのだ。

 

 歩み寄ることなどしなくとも、それは最初から類似したものだった。

 根本的な何かが、決定的に違っていたとしても。

 それが在ったのであれば。

 

『斯く在るべし』

 

 

 暫く歩を進めると、中央広場(セントラルパーク)から少し離れたところで、乱れ飛ぶ歓声が耳に届く。

 

 メインストリートから一つ外れた、それなりに大きな舞台で行われている何かの出し物、確か……「idol」、いや、「icon」の「live」、であったか。が遠目から窺えた。

 複数の【ファミリア】に所属しているそれぞれの眷族たちが、入れ替わり立ち代わりステージに立ち、歌唱や舞踊で観客を魅せる、という演目であるらしい。

 知ってはいたが実際に目にするのは初めて、今は別の目的があるが、多少興味が引かれる。

 

 身体能力に優れていれば、当然視力も秀でている。距離がそれなりにあろうと、この眼は問題なく対象を捉えた。

 このオラリオにおいて名声を得ている者の名と顔、その他の情報は手当たり次第に集めてある。現在一人で壇上に上がっているのは、【ウェウェコヨトル・ファミリア】所属のミランダ・ヴァニア=ザッカルド。Lv.3、『灰被り』の二つ名と、『先駆者』の異名を持つ有名人だ。

 他にも様々な人材が映る。それなりに気にはなる、が。

 

 最もこの眼に特徴的に主張したのは、同【ファミリア】のナツガハラ・ツカサと、主神ブリュンヒルデ。

 どうやら、二人でステージを観に来ていたらしい。察するにブリュンヒルデの方が提案したのだろう。

 

 彼らは、こちらの事情を、多少なりとも隠密に探ろうとしている節がある。

 同日の午前には我々のことについて話していた様だが。彼らはこちら側を理解しようとしているだけだ、何も責めるべきところはない。寧ろ、都合のいいように利用しようとしているだけのこちらの方が客観的に非が認められるところだ。

 まだ一月ばかりとはいえ、それなりに共に過ごした彼らの姿を視界に収めていると。

 どことなく後ろめたさを感じ、現在の目的を再提示され、我々の脚は動き出す。

 

 何を、どうしてかは理解する段階にない。それは現在のこの我々が思考する必要がないからだ。概念崩壊を食い止める方向にリソースを割かなければならない状況で、余計なことに意識を向けるのは無駄である。

 彼らの考察は的を射ている。現時点で、ほぼ正解に辿り着いているといって差し支えない。

 こちらは別に情報の遮断も、妨害もする気はなく。どころか訊かれたならば開示する用意すらある。隠す必要性も無い。

 

 しかし。

 

 我々はそれでも断言できる。

 

 この世界に、我々を理解できる存在は我々以外にいない、と。

 

 だからこそ我々は。

 

『斯く在るべし』

 

 

 日は既に落ち、夜闇に星が瞬き始める。が。ここからでは空は見えない。代わりに、高い天井には本物と見紛うほどの精緻な蒼穹の絵画が広がっていた。

 

 バベル内部、地下一階。

 中央に迷宮へと繋がる大穴を構えた青と白の大広間。等間隔に空間を貫き床と天を繋ぐ巨大な柱は一見、広さを錯覚させるほどに多い。

 神殿も斯くやというほど、造りに意匠が凝らされていることは誰の目にも明らかである。しかし豪奢ではなく、質素でもない。荘厳な空気が、その場を通る者たちに祝福を与えてくれているようだ。

 如何に粗暴な者ですら、この広すぎる間に足を踏み入れる際には、気を引き締め、安心に心を緩めるのである。

 

 最も帰還してくる冒険者の数が多くなる時間帯に、我々はこの場に訪れた。

 

 理由は一つ。

 今日、この時間に【ロキ・ファミリア】が遠征を終え、迷宮から脱出してくるため、であった。

 

 基本的に、彼らは一七階層以上では全体を二つに分ける。そのうち一つ、先行する方の部隊、それを統括する人物は。

 

 リヴェリア・リヨス・アールヴ。

 

 この世界における「elf」という種族の最高峰、「王族」(ハイ「elf」)

 言ってしまえば、「elf」の中の「elf」。その種族の祖となる血を引く……いや、それに関しては考えない。

 

 つまり、他の何がどう有象無象であろうとも、彼女さえ本物であればそれだけで我々の存在の証明が為されるのだ。「elf」という概念が引き締められるのだ。多少変容していようが関係ない。この揺らぎも少しは統制されるだろう。

 そのために。わざわざ様々な方向からの情報を得、こうして待ち伏せにも近い形で観察を敢行する結びとなった。

 

 大穴の淵に辿り着いたと同時に、下層の方面から、『始まりの道』の奥から。今も尚続いている人の流れが、どよめきを伝えてきた。

 推測通り。【ロキ・ファミリア】が、その姿を現したのである。

 

 彼らは何にも恐れることなく、至って堂々と歩む。それだけで、人の海は割れ、道が拓かれる。

 螺旋状に設置された階段を昇り、地上へと帰還する彼らは確かに、強者の雰囲気を纏っている。それは名声だけではなく、数多の戦場を駆け抜けた経験が、無数の死線を潜り抜けた確固たる生命が、周囲の者に対して目に見えず、肌で受け止めるだけしか出来ない圧と成り、全力で示しているのだ。

 大広間まで上がってきた彼らに視線を縫い付けている者は多くいる、例えその中の一人が特定の誰かを更に凝視していたとて、何も不思議なことはない。

 

「あ~、終わっちゃった~」

「あんた、いつもそれ言うわね」

「帰るときにいくら満足してても、ダンジョンから出るときは名残惜しくなるんだよ。ならない~?」

 

 そう言いながらも、先頭を切って歩くのはアマゾネスのヒリュテ姉妹。【ロキ・ファミリア】の中でもかなりの有望株である。

 長期間、戦闘に明け暮れて相当に消耗しているはずにも関わらず、笑顔で余裕たっぷりな会話を繰り広げているのは、流石の生命力だと言わざるを得ない。

 

「団長が決めたことだもの。それに従うのが私たち、ってだけ」

「そうじゃなくてさ~、思い返してみるとあそこはもっとやれた、とか、あれはちょっともったいなかったな~、とか。そういうのだよ。そういう物足りなさー」

「ただの反省点じゃない。そういうのは反省会で発散させるものよ」

「その悔しさが湧き上がってくるって言ってんの~。アイズもそう思うでしょ?」

 

 彼女らが話しかけるのは、オラリオでは既に噂に聞かぬ者はいないとまで言われている金髪近眼の少女、アイズ・ヴァレンシュタイン。

 浮世離れした美しさをその身に宿す彼女は、奇跡と謳われるほどであり、「elf」や女神にも劣らない、とも。

 

「私は、今は、そんなに」

「ほら」

「ええ~」

「……でも、そう思うことは、それなりにある」

「気を遣われてるじゃない」

 

 控えめ、とは少し異なる。感情を極端に表出していない彼女は、それ故に神秘的だと称されるのだ。

 

 まるで理解はできないが。

 

「アイズを一緒にすんな。それだけお前が未熟だってこった」

「はあ~!? 団長だってこの感覚は大事だって言ってたんだけど!」

 

 それに口を挟むのは、狼人(ウェアウルフ)のベート・ローガ。左頬の入れ墨が彼の性格を物語っている。

 

「当たり前だろ。それを昇華せずにいつまでも引きずってんのがしょうもねえっつってんだよ」

 

 気怠そうに、しかしあからさまに機嫌が悪いことを仄めかすように。彼は喧嘩腰でティオナ・ヒリュテにつっかかってみせる。

 対して彼女は、何かを思い出したかのような表情を見せた。

 

「いやいやベートさあ、そんなこと言えた立場だと思ってんの?」

「んだと糞女」

「いっつも帰還した後、一人で色々ぶつぶつ言いながら悔しがってんの。知ってんだから」

「はぁ!? そんなことしてねえっつの!」

「そうかなあ。けーっこうバレバレなんだけどなあ。みんな微笑ましく見守ってるの知らないでいたのかあ~。可哀そうにぃ」

「殺すッ!」

「止めろ、馬鹿者共」

 

 そして彼女らを呆れ顔で(たしな)めるのが。

 

 三人の【ロキ・ファミリア】最古参の内の一人。『九魔姫』(ナイン・ヘル)

 

 真の「elf」、である。

 

「あからさまで安い挑発には乗るな、するな。自分の品位すら疑われるぞ」

 

 が。

 

 我々の眼に映る彼女は。

 

 オラリオ屈指の実力者、アールヴの名を冠する者は。

 

 どうしても、どうあがいても。

 

 ただの亜人(デミ・ヒューマン)でしか、なかった。

 

 不意に、偶然か否か、かち合った視線は。その目は。

 

 

 純粋な、()()()()()()()()()

 

 

 それが意味するのは。

 

 

 

 (すなわ)ち。

 

 

 

 

 

――『斯く在るべし』。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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