ある者は娯楽を求め。ある者は自由を求め。
そしてここにも、また一柱。
ブリュンヒルデは、不機嫌そうにしながら小川の流れの中に足を浸し、友神たちの到着を待っていた。
またの名をブリュンヒルド、戦死した兵士をヴァルハラへと導く
背中の半ばまで伸びる艶やかな濡羽色の髪、神と呼ぶに相応しい完璧なプロポーション。決して子供っぽくはなく、しかしまだ大人びてはいない、絶妙な容姿の中で、天色の瞳が輝いている。
柔らかな陽光が差し込む、まるでお伽話の中に出てきそうな幻想的な森の中で、ちゃぷ、ちゃぷ、と、透き通った水に足を浸す姿はまさしく女神のそれ。
ここは『箱庭』。迷宮都市オラリオにおいて、神威に通ずる者たち、つまりこの世界では神だけが入ることのできるプライベートエリアだ。
如何に神たちが下界に慣れたからといって、それでも気が緩み余計なことを言う、もしくはする可能性は捨てきれない。
世界の核心や本質に触れるような、必要以上の干渉を与えるべきではない、というのは神々の共通認識であり、子供達に変な事をバラさないようにこうした『神々だけの憩いの場』というものが不可欠なのだ。
また、ゲームのプレイヤーとして降りてきた神々の身体的スペックは、天界から見た下界の民とそう変わりない。
そのため、『神殺し』は絶対の禁忌とされているが、『殺すこと』が禁じられているだけで、その実、拉致、監禁などはやろうと思えばできてしまう。そのため【ファミリア】結成前の神々がそのような不届き者から身を守るためのセーフティゾーンとしての役割も備えている。
それは基本的に、この森のごとき『箱庭』のような秘匿されているものだけでなく、子供達にもよく知られている『神聖浴場』などなど、割とたくさんあるのだが、どれくらいあるのかは、神以外に知る者はいない。
中でもこの『箱庭』は一部の女神にしか知られておらず、最近ではもっぱらブリュンヒルデら戦乙女たちの溜まり場となっていた。
「はあ……なんでみんな、私の【ファミリア】に入ってくれないんだろう……」
思わず深いため息が漏れてしまう。
ブリュンヒルデは、つい先日、とはいえ一月前ほどにひっそり下界に降臨してから、ずっと勧誘活動を続けていた。
既にちゃんとした【ファミリア】を立ち上げ、実に楽しそうに暮らしていた友人たちを見て、思わず飛び出してきてしまったが、結果は現在の通り。全くと言っていいほどに集まっていない。
基本的にどの【ファミリア】に入っても、授かる『恩恵』に差はない。そもそも『
だから、ブリュンヒルデも【ブリュンヒルデ・ファミリア】に入ってくれる冒険者志望の子供達を期待していたのだが。
やはりネームバリューという力は強く、誰も彼もが構成人数ゼロの無名【ファミリア】などには見向きもしないのが現実であった。
これでは刺激を求め、わざわざ天界から降りてきた甲斐がない。
とりあえず一月、頑張ってみたけれど、もうそろそろ限界が近くなってきている。
それで、このどうしようもない現状をなんとか打破するために、天界でも割と交流があった、同じ
いまはその友神たちを待っているところである。
石の上に座っているのにも飽き、濡れるといけないので羽衣を脱いで丁寧に折りたたみ、背後の茂みにでも置いておいて、立ち上がって、ぱしゃ、ぱしゃ、と、水を散らしながら適当に歩く。
羽衣を脱ぐとほぼ下着みたいな格好になるけど、ここには
(甘く見てた……でも、皆はどうやってこんなどん底の状態から、あんなに大きな【ファミリア】を築きあげられたのかな……)
やはり時期的なものは大きいのだろう。最初期や、世界が大きく動いていたときならば、もっと勧誘も楽だったかもしれない。
この頃、段々オラリオを訪れる冒険者の絶対数自体が減ってきているのにも、要因はありそうではある。
何かと物騒な事件は起こるし、ダンジョンでは数年前から『モンスターの大量発生』が不定期に発生し、その度に多くの犠牲を出している。特に後者はダンジョンの『上層』で起きており、初心者はそれの影響で死亡率が極端に高まってきている。
そうすると、どうなるか。
当然命を惜しむような者はオラリオに赴くことをせず、腕に自信がある者は、訪れてもほとんどが大手【ファミリア】に自分を売り込みに行くだろう。当然【ファミリア】側も、戦闘員なら少しでも戦闘経験がある、最初から強い人材を欲しているので、両者の利害が一致、入団。そうして、弱小と大手との差がまた開いていく。
そういうサイクルが出来上がってしまっている状態だった。
生憎ながらブリュンヒルデは、とてもタイミングが悪い時期に来てしまったのだと言わざるを得ない。
いろいろ、原因はあったのだが、やはりブリュンヒルデは落ち込んでしまう。徳が高い神なら、きっとこんな状況でもしっかり眷族を集められるんだろうけどなあ、と。
ちゃぷ、ちゃぷ。冷たい水が心地よい。
「私の何が悪かったんだろう。何か、何かしら他に私にも原因があるはず……」
例えば、何だ。
個性が足りないからか。大手【ファミリア】の主神は軒並みどこか突き抜けた
認知度か。やはり神話の主神などは人々に広く知られている。それに比べると、
冒険者たちが入りたいと思えるような【ファミリア】の設計がなってないのかも。
目標とか、方向性とか、スローガンとか、キャッチコピーとか。そういうのが必要な気がしてきた。
衝動的に降りてきてしまったので、特に定めてもいなかったのだ。
アットホームな【ファミリア】です。とか? いやダメだ、かえってブラックに見えてしまう。【
自由な【ファミリア】です。これもダメな気がする。運営を放ったらかして空中分解した【ファミリア】もあると聞いている。そうならないためにも、ちゃんと運営はするつもりだ。そのためにはあまり『自由』を押し出してはいけないだろう。
みんな明るい【ファミリア】です。みんなって誰だよ。まだ誰もいないよ。
どの道、とりあえず一人目を確保しないことには何も始まりそうにないことだけはよくわかった。その一人目が大変なのだが。
要するに手詰まりというやつだった。
ため息量産機と化しているブリュンヒルデは、そろそろ身体も冷えてきそうなので、小川から上がり、羽衣を置いておいたところに戻り、固まった。
何者かが、羽衣を広げている。
羽衣は、翼のようなものだ。広げたまま身に着けると『
ヴァルキュリヤにも、極東で語られているという羽衣伝説のような、羽衣を男に取られるという話もある。一応、警戒はしていたつもりだったが、絶対安全圏の中だからと思って油断していた。
悪人ならば取り返すのに『
でも、こんなに早くに送還されるのは不本意極まりない。できればまだ下界に留まっていたい、と願いながら、ブリュンヒルデは意を決して声をかけた。
「あ、あのー……」
青年は硬直する。
みたところ極東の出身だろうか。でも友人のところにいた極東出身の子供達とは雰囲気とか、服装とかが違うような。
なんにせよ、頼むから、善人であってくれ。
「私の羽衣、返してくれませんか……」
青年の視線がこちらを向き、フリーズする。
それで、ブリュンヒルデは、自分が下着だけの痴女のような出で立ちをしていることに、今更ながら気付いてしまった。
「…………」
静寂。青年もブリュンヒルデも、みるみるうちに顔を赤くしてゆく。
「すっ、すいませ『何しとんじゃゴラ!』がっ!」
青年が地面に両膝を付いた――『ドゲザ』の構えだろうか――その瞬間、青年の後頭部に怒りに打ち震える拳が叩き込まれた。
鉄拳の持ち主は倒れていく青年の手から羽衣を奪い取り、ブリュンヒルデに駆け寄りすぐさま着用させる。
「おーい、ヒルダ、大丈夫だったー?」
「え、うん。なんともないよ」
「ここに人間が入って来るなんて、珍しいどころじゃないわねえ。バレてもいいから侵入不可の方に強化するべきかしら」
次いで、二柱の女神が歩いてくる。彼女らが、ブリュンヒルデが待っていた友人の
先ほど物理的制裁を下した一柱が、倒れ伏す青年をげしげし蹴って覚醒を促す。どうやら当たりどころがよかった……いや、悪かったのか、青年は先ほどの一撃で昏倒してしまったようだ。
「オラ、さっさと起きろ覗き魔が」
「気絶してるよ。どんだけ強く殴ったのさ」
さすがに見かねた他の一柱がやんわりと止めに入る。
「私は、大丈夫だから」
ブリュンヒルデもフォローを入れると、三柱の神々は意外そうな表情をする。
さっきのやりとりを思い返す。ブリュンヒルデだけでなくこの青年も顔を赤らめていたところから察するに、それなりに
それに、『
「お前がそういうなら、まあ、これ以上は許してやらんこともないが……」
「じゃあ、この子が起きるまで待ちましょうか」
願わくば、善人であれ。
◇
「なるほど。つまりキミは初めて訪れたこのオラリオで道に迷い、ここまで来てしまったと。そんでさっきの羽衣の件も故意ではない、とな」
無邪気そうな雰囲気の、やけに楽しそうに喋る女神、ヘリヤ。
そんなに時間も経っていないはずだが、彼女はとにかく豪気に笑う
「こんな奴の言い分をそんなホイホイ信じるんじゃねえよ。まだこいつの素性も割れてねえだろ」
先ほど俺に力強い拳をくれた、少々荒々しさが目立つ女神、カーラ。
見た目は肌も白く、どこぞの令嬢さんかな? と思うが言動と行動で幻想はぶち壊れる系。それでも十分すぎるほど美しいのだけど。それも個性か。
「でも、この『箱庭』には意図的には入って来られないようになっているし、『招待状』を持っているわけでもなさそうよ。だとしたら、迷い込んだ、という彼の言うことが一番有り得そうに思えるのだけれど」
穏やかであってもおっとりとは感じない、いろいろとふくよかな女神、エイル。
なんだかんだいって彼女がこの場を支配している気がする。それは彼女の包み込むような柔らかな雰囲気が成せる業か、それとも。
「迷い込む、って、今までにもあったの?」
そして、先ほどラブコメ的展開になってしまった女神、ブリュンヒルデ。
他の三柱が割と大人びている美人然としているのに対し、彼女だけは美少女と美人の間を彷徨っているような感じだ。降りてきて間もないらしいから、貫禄が足りないとか、そういうことだろうか。
前者三人の名前を聞いてもピンと来なかったが、ブリュンヒルデとなるとさすがに、
ここにいる女神たちは当然、全員並外れた容姿である。しかし、なによりの神の証である、その身に纏う独特の
「いやー、前例はないよ。この子が初めてさ」
そして、俺はどうやら、本来神々だけが入れる場所に迷い込んでしまったらしい。これも異世界補正ってやつなのか、ちゃんと理由があるのかどうかはまだわからない。
「今回は、特殊な例外と捉えていいのかしら。他にもこういうことが起こったら困るのだけど」
「この子も嘘をついてはいないようだし、今のところはそう考えるしかないだろうね。もしもこれから同じようなことが起こるなら流石に対処せざるを得ないけど」
「シャクだが、確かに嘘はついてねえ。ここはヒルダに免じて信じてやる」
「ありがとうございます……」
どうやら、助かったようだ。このままブチ殺されるかと思った。
話が一段落したところで、森の中を移動することになる。立ち話もなんだから、というやつだ。
道中、ブリュンヒルデさんが申し訳なさそうに話しかけてくる。
「さっきはごめんね。私が変なところに羽衣置いといたから、あんなことに」
「こちらこそすいませんでした。というか、俺が全面的に悪いので謝らないでください……」
ノエルさんといいブリュンヒルデさんといい、圧倒的に俺に非があるのに謝ってこられるのはやめていただきたい。罪悪感で圧死してしまいます。
少し進んだところに、円形テーブルと幾つかの椅子があった。貴族の庭にでも置いてありそうな、オシャレなティーセット一式も乗っている。
「四人で話すからって椅子四つだけにしなくてよかったよ。ささ、キミも座ってー」
にこやかなヘリヤさんに促され、席につく。よくよく考えなくても、同じテーブルに座っているのは四柱もの神だ。プレッシャーこそ感じないものの、やはり萎縮してしまう。
そもそも、宅浪していたために母親以外との会話なぞここ一年でコンビニの店員さんくらいとしかなかった俺にいきなりこんな美人美少女四人と向かい合うとか無理です。会話履歴がない。もっと昔からなかった気もするけど。
早速、ヘリヤさんがテーブルに両肘を付き、顎を両手で支えながら会話を始める。
「ナツガハラ・ツカサくんだったよね。Youは何しにオラリオへ?」
なにかで聞いたことがあるフレーズだなそれ。
ここは、どう答えるべきか。どう答えたとしても嘘ならバレる。かといって、嘘ではないけど真実でもない事を言ってこの場を切り抜けられるほど、言葉遣いが達者なわけでもない。
「えっと、信じられないかも、しれませんが……。気付いたらここの市壁の上にいたんです。家で寝ていたはずなんですが」
記憶喪失は通じない。ならば、現世――異世界の話をせずにある程度の真実を話すしかあるまい。
「また、ニワカには信じ難い話だな」
「まあまあ、カーラちゃん。聞いてあげましょうよ」
信じられなくても無理はない。普通はこんな話を信じる人などいないだろう。
「それはなんでか、わかるかい?」
「いえ、まったく。脈絡もなにもないと、思います」
「そうかそうか。それは大変だったなあ」
果たして、俺がこの世界に来たことにどんな意味があるのだろう。神様転生ではないし、もともとチートな能力も持ち合わせていない現代人の俺なんかが。
もしかしたら何もないのかもしれないが、どちらにせよこの話、考えれば考えるほどに理不尽に思えてくる。
「ところで、キミは極東の出身かい? 名前が如何にもなんだけど、その服装は初めて見るね」
きた。出身地の質問。ここはうまくはぐらかすしかない。こんな胡散臭いやつが、さらに「異世界から来ました」とか言ったとして、受け入れられるようなことはあるだろうか。いや、ない。
ひとまず信用してもらうために誤魔化す。矛盾していそうだ。
「多分、一応、極東なんですけど、ちょっと特殊なところでして」
「特殊ぅ?」
「えっと、はい。閉鎖的で先進的といいますか、こういう服を着たりする、極東でも珍しい文化圏で……」
どうだ、これは通るか? なんか麻雀で危険牌切ったときみたいな緊張感に襲われる。
「お前、信用してほしいのか、してほしくないのかどっちだ?」
……ダメだったか?
「言葉の中の「珍しい」が嘘だったぞ」
「あ、あぁ、それは多分、外の世界に出たことがなかった俺の中では、それが「普通」になってるから、では、ない……ですかね?」
訝しげな視線をくれるカーラさんは、それ以上追求してはこなかった。助かった、のか? 確かに現世ではそれほど珍しくもなかったしな、制服。
苦し紛れの申し開きだったが、今のような言い訳じみた言葉でも通じるらしい。案外判定が甘いのかもしれない。
「ほうほう、んじゃ、それで色々疑問も湧いてきたから更に質問させてもらうぜ?」
心底楽しそうに、ヘリヤさんは続ける。
「まず、なんでキミがここら辺で迷っていたか、だ」
その質問は、まずい。一見なんともないように思えるが、その実相当やばい聞き方だ。
「キミはオラリオ初心者の癖して結構なことを知識として持っている。これはキミがまず、ギルドに迷わず向かった点から間違いないね?」
ヘリヤさんは、俺がノエルさんから貰ったオラリオの地図と勧誘活動を行っている【ファミリア】一覧を渡してくる。倒れていたときに抜き取られていたらしい。
今の時間から逆算して「今日」が始まってから割と早く、この馬鹿でかい都市の北西メインストリートのギルド本部に行かなければ、それらを持ってここには辿り着けない。
その行動の速さがまず怪しいと言われているのだ。
「もちろん、ギルドの場所も知識として知っていたのかもしれないし、行動力も元からあったら関係ないんだろうけど。でも、そっち。私が言いたいのはその『団員募集中【ファミリア】一覧』の方だよ」
いきなりオラリオに飛ばされてきてしまって、なぜ
無一文であろうとも、なんとか後払いで、極東まで行くキャラバンに同行させてもらうことなどは可能であるはず。
きっと、一度でもここオラリオで【ファミリア】に入ってしまえば、戦力流出阻止のために外出制限がかけられることも知っているはずだ。
しかし、キミは帰ろうとせず、それらをギルドから貰ってどこぞの【ファミリア】に入団しようとしていたね? まるで、
そこまで言われたらかなり厳しい。そこからうまくはぐらかすことは恐らく、出来ない。
背中を冷や汗が伝う。これは、また疑われてしまうけど、正直に言うしか――
「つまりキミは、【ファミリア】入団希望者なんだよね!」
「はい、実は……え?」
――は?
虚を突かれ、思わず返事をしてしまう。
「じゃあ、ここで一つ提案があるわね」
「提案っつーか、まあ半強制的なんだけどな」
「ちょっとアレだけど、まあ悪い子じゃないみたいだしね。なにやら隠してはいるみたいだけど」
「しかし、本当に安全か? イマイチ信憑性に欠ける人柄っていうかさ」
「逆にこういう子の方がいいんじゃないかしら? 真っ直ぐな子の方が、確かに裏表とかはなくていいかもしれないけれど、それだと苦労するのは明らかよ」
「オルたんはクレバーな子だからねー。説得力が違うぜ」
「シーヴちゃんやヒメナちゃんも、かなり聡明な子だと思うけれど?」
「よく言うよお前ら。行商も医学も、頭良くないととてもやってられんだろうに」
隠し事はしっかりバレていた。判定甘いとかいって調子に乗っていた自分を蹴り飛ばしたい。
なにやら、ヘリヤ、カーラ、エイルの三柱だけで話が盛り上がっていく。これが元来の神々のテンションか。置いてけぼりにされた俺は、隣で同じく置いていかれたブリュンヒルデさんと目線を合わせてしまう。
「みんなはいつもこんな感じなの。私たちと接するのは初めて?」
大方、自分たちの「眷族」の話をしているのだろう彼女らを横目で一瞥し、やんわりと微笑むブリュンヒルデさんは、素晴らしく可憐だった。
やはり、女神。三次元の限界を優に超えている。
「そう、ですね。めちゃくちゃ緊張してます」
理由はちょっと違うが。
またくすりと笑って、ブリュンヒルデさんは続ける。
「ナツガハラさんはやっぱり、ダンジョンにもぐる冒険者志望なの?」
「今のところは、はい」
頭の中が真っ白になってゆく。思考がおぼつかない。さっきまで聞こえていた小鳥の声や風の音や木々のざわめきも、女神たちの会話も、耳に入ってこない。世界が、狭まる。
言葉がうまく口から出ていってくれない。どうしたんだ、俺。
「もう、入る【ファミリア】とか、決まってたり?」
「決まってはないですけど、一応、候補に【ミアハ・ファミリア】とか、【ヘルメス・ファミリア】とかを考えてはいます」
候補がある、と言った時、ブリュンヒルデさんがちょっと切なげな表情をしたのを、俺は見逃さなかった。ああ、きっとこの
「ていうか! 私たちの話はあとでいいじゃないか! いまはヒルダの問題解決が先だろう!」
そういえば、狭い世界を作るのも、狭い世界をぶち壊すのも神の仕事だった。
やっと身内話を終わらせた彼女らが、勢いそのままに迫ってくる。
「ナツガハラくん! とにかくキミは、入団を受け入れてくれる【ファミリア】を探している! そうだね⁉︎」
「は、はい」
俺の対面に座っていたヘリヤさんは立ち上がり、ブリュンヒルデさんの椅子の後ろに回り込み、その華奢な肩を掴んだ。
「そこで! このヒルダことブリュンヒルデもちょうど構成員を探している! というわけで、キミは【ブリュンヒルデ・ファミリア】に入団するんだ!」
「わかりました」
「言っておくが、基本的に拒否権は与えられないと思え。故意じゃなかったとはいえ
カーラさんだけでなく、今度は俺以外の全員が虚を突かれ動きを止めた。
「でも、考えている候補があるって……」
「飽くまで候補、です。絶対にそこに入りたかったわけでも、ありませんし」
一人ぼっちで困っている、こんな美しい女神を誰が放っておけるだろうか。この世界の住人はみんな、目が節穴にでもなっているのかと疑いたくなる。
そもそも、何が悲しくて、好き好んで男神のところへ行かなければならないんだ。俺の事情がなんだというんだ。ここはやはり何よりもまず浪漫を追い求めるべきだろう。
折角この「ダンまち」の世界にやってきたんだ、麗しい女神との交流がなくては、それは「ダンまち」ではない。断言させてもらう。
「えっと、ホラ、ヒルダ、あとはキミの了承だけだよ?」
一月もの間、誰からも求められず、見向きもされず寂しい思いをしてきたブリュンヒルデにとって、その申し出はまさに待ち望んでいたものだった。
「……本当に、私で、いいの?」
なんだか告白みたいだな、と、思う。実際にはしたこともされたこともないけれど、今回ばかりは。
「いいです、貴女の【ファミリア】がいいんです。むしろ、俺みたいなやつが入っても大丈夫ですか?」
やっぱり恥ずかしかったので、思わずベル君の言葉を少し借りてしまった。
「全然、大丈夫だよ。ありがとうね。これから、よろしくお願いします」
俺に合わせてくれたのか、ブリュンヒルデさんが綺麗なお辞儀をする。原作には出てきていない女神たちに【ファミリア】。不安もあるけど、それでも、この出会いに幸があることを信じて。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
ここに、確かに【ブリュンヒルデ・ファミリア】が発足した。
それからの展開は早かった。
喜び勇んだヘリヤさんたちと早速詳しい自己紹介を済ませ、すでに空が朱と金に染まりかけているのを確認すると、ひとまず俺たちは『箱庭』を後にした。
カーラさん、エイルさんの二柱の女神と別れ、ヘリヤさんに、結構な大きさの建物に案内された。
どうやら【ブリュンヒルデ・ファミリア】が結成できたら、【ヘリヤ・ファミリア】が扱っている「不動産」の一つを【ブリュンヒルデ・ファミリア】の
その場のノリで決めてしまっていいものかと、思わず訊いてしまったが、ヘリヤさんは「割と劇的な出会いを果たしたキミたちを祝してだよ。今どきあんな古典的シチュも珍しいからねえ」とのこと。
そうだった、この世界の神というものはそういう存在なのだった。
その上、彼女の【ファミリア】に所属している極東出身の人からいろいろ聞いていたらしく、ちゃんと土足厳禁の板張りの床で、風呂もついていた。感謝感激雨あられである。
なんでも、最近は土足禁止の家が流行ってきているらしい。現世よりかなり先取ってるな。
両親が共働きだったこともあって、去年いっぱいは結構な回数、自炊していた俺が簡単な料理を振る舞った。IHに慣れてしまっていたので多少手間取ったが、ブリュンヒルデさんは料理できないそうで。
そして風呂に入り、今は自室で今日の出来事を記録しているところだ。
最初はどうなることやら心配でたまらなかったけれど、こうしてちゃんと夜に室内に居られて本当によかった。そうでもなければ、無一文だったので野宿からの追い剥がれるルートまっしぐらだっただろう。
早朝にオラリオの市壁の上で目覚めて。
ギルドでノエルさんに協力してもらって。明日冒険者登録も兼ねてお礼に行こう。
よくわからない道で迷い。
そして『箱庭』に辿り着き。ブリュンヒルデさんはもう気にしていないらしいけど、俺は今でも気まずい。
なんやかんやあって、今はここにいる。
文にすると、とても呆気ない一日に思える。でも、十九年の人生の中で間違いなく最長記録を更新しただろう、長い長い一日だった。
細かい記述はまた明日から思い出し思い出し書けばいいだろう。机にペンを置き、紙は机の中のものに巧妙に混ぜ込んでおく。今はまだ、見つけられてはいけない。
思いの他ペンの書き心地は良かったが、やはり紙の質は現代のものには劣るようだった。そういうちょっとした違いにも、異世界情緒が感じられる。
すっかり暗くなった窓の外から、小さく喧騒が漏れ聞こえてくる。
ダンジョンから帰ってきて、これから一杯やろうぜという人たちの笑い声。今日の品物をなるべく売り切ってしまおうと躍起になる店主の掛け声。これからの稼ぎ時に向けて客引きを行う給仕さんたちの声。賑やかな雑踏が、溢れている。
この世界も、案外悪くないのかもしれない、と。そう思わせるだけの何かが、そこにはあった。
なんだか穏やかな気持ちになっていると、部屋の扉がノックされる。
「入ってもいいかな?」
「どうぞー」
タオルを首に掛けたブリュンヒルデさんが入ってくる。纏めた髪がしっとりしているし、風呂上がりなのだろう。ほんのりと桜色に上気した首筋とか、そんなつもりではないのに何かに目覚めてしまいそうだ。
しかし普通の寝巻きで来られると、ただの美少女にしか見えないので正直やめてほしい。いえやっぱりやめないでください。そのままの貴女が一番です。
「とりあえず今日中に済ませておきたいと思ってね。今、大丈夫?」
ああ、そういえばまだアレをしていなかった。
「大丈夫ですよ。座ってですか? ベッドでですか?」
「じゃあ椅子で」
「了解です」
背もたれが右側にくるようにして木製の角ばった椅子に腰かけ、上半身の服を脱ぐ。風呂にも入ったし心配事項はあまりない。
「よーし、始めるよ。じっとしててね」
一瞬だけ、ひんやり。しかしすぐに温かな体温を伝えてくる指が、背中をなぞる。
ただ『
「えっと、あれ……うまくいかないな」
なにやらブリュンヒルデさんは不器用属性でも付いているのか、苦戦しているご様子。なるべく早めにはしてほしい。
「えっと、ブリュンヒルデさん?」
「ごめんね、やっぱりベッドに寝てくれる? あと、私のことはヒルダでいいよ」
いきなり呼び捨てとか、ハードルが高いです。
「慣れるまでヒルダさんでいいですか」
「んー、まあ、それでもいいや。早めに慣れてね?」
「努力はします」
うつ伏せでベッドに身体を沈める。結構柔らかい感触に、今日の快眠を期待した。
ブリュンヒルデさん改めヒルダさんが腰より少し下くらいのところに座り込んでくる。今ほどうつ伏せという体勢に感謝した時はない。
「そういえば、ヒルダさんはどうして降りてきたんですか?」
ただこうしているのもアレなので、原作ではヘスティアがベル君に投げかけた定番の質問を少し変えて、今度はこちらから投げかけてみる。
「そうだねえ。今日会った、女神たち……みんな
ゆっくり、ゆっくり。今の幸せを噛みしめるように、ヒルダさんは手を動かしながら、語る。
「今の私みたいに、一から【ファミリア】を作りあげて、
その素直な想いを聞いて、やっぱり俺なんかが、なんて思ってしまう。こんな、得体の知れないやつとなんか。
「だからね、ツカサくん。私はきみと楽しく暮らしたい。幸せな【ファミリア】を築きあげたい。これから、一緒に歩いていきたいの」
そんな俺の気持ちを知ってか知らずか、ヒルダさんはそう語りかけてくる。
昼のことといい今といい、この女神は無自覚に周りの人間を魅了してしまうらしい。これは、嫉妬に駆られることが多くなりそうだ。
そして、『
俺の背中及びベッドから降りて、部屋の中央に立つヒルダさん。俺は自然とその正面に跪く。
この部屋には手鏡もないので確認はできないが、俺の背中にはたくさんの漆黒の文字が刻まれているはずだ。
俺の【ステイタス】を表す、荘厳な【
様々な出来事を経験することによって得られる、文字通り【
「これから、私と一緒に、生きてくれる?」
ヒルダさんが差し出す、その手を取る。
「喜んで」
これからどんな物語が紡がれていくのかは、誰にもわからない。
背中を預け、命を預け、共に戦う掛け替えのない仲間との邂逅。
かつてないほどの、凶悪で強大な、恐ろしい敵との激しい戦闘。
魅了的な人物との恋物語なども、あってもいいかもしれない。
大切な人々との離別だって、待ち受けていることだろう。
それでも、きっと、大切なものを見つけられると信じて。歩いてゆこう。
この果てしない世界で。
きみは誰と出会い、何を知り、どんな道を歩んでゆくのだろうか。
これから私が記すのは、キミの人生の軌跡。
たった一つの、【