武器と魔法と、世界とキミと。   作:菱河一色

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 何時だって、誰だって、一歩目には勇気が要るもんだ。

 でもほら、そのたった一歩で、世界は変わる。




第四話 緑色のニクイやつ

 

 

 

 

「はい、ではこれで、ナツガハラ・ツカサ様の冒険者登録及び【ブリュンヒルデ・ファミリア】の結成を承認致します」

 

 閑散としたギルド内部、冒険者受付窓口。静かな空間に、ノエルの声はよく響いた。

 いくつかの必要事項を記入してある用紙を回収した彼女は、いささかばかりの驚愕を抱かずにはいられなかった。

 目の前の冒険者……に、成りたての男性にちらっと視線を飛ばす。

 夏ヶ原司。昨日、オラリオに来たばかりの彼に応対したのも彼女だ。そのときは、少しの知識を持ち合わせただけの、戦闘経験もないオラリオ初心者だとしか思えなかった。希望していた【ファミリア】に入団させてもらえるかを心配してすらいたのだ。

 

 それが、いまはどうだ。

 彼は一月前から勧誘活動を始めたばかりの構成員ゼロの【ファミリア】に加入し、たった一夜で見事に装備を整え、冒険者としてもうオラリオに溶け込んでいるではないか。

 余程数奇な巡り会いを果たしたらしい。それくらいしか、ノエルはわからなかった。

 しかも、まさか自分より年上だとも、思っていなかった。極東の人の年齢は、オラリオにおいても判断されづらい。

 

「つきましては、ナツガハラ様の担当は私ノエル・ルミエールが務めるということでよろしいでしょうか」

「はい。よろしくお願いします」

 

 まず、ダンジョンに初挑戦する彼の装備一式と、同行者の有無に実力、探索予定階層を確認する。

 担当アドバイザーとしての仕事は、冒険者に正しい情報を渡し、ある程度の危機管理を行い、冒険者の生存率を高めることにある。

 冒険者が長いこと生き残り成長すれば、それだけ深い階層へもぐれるようになり、質のいい魔石を持ち帰ってきてくれる。結果的に、ギルドの収入が増えるのだ。

 しかし、ただ窓口に立って、担当冒険者と情報交換を行えばいいという生易しいものではない。

 

 大半の冒険者はLv.1、いわゆる下級冒険者のまま一生を過ごす。そうなるには様々な要因があるのだが、まずレベルアップの難しさが最も注目される。

 レベルアップ。神々に言わせれば、どちらかと言えば「クラスアップ」の方が相応しそう、らしいが、とにかくレベルアップだ。冒険者のLv.を上げるためには何らかの「偉業」を達成し、より高度な「経験値(エクセリア)」を得ることが要求される。

 その「偉業」というものは、普通敵わない相手に死力を尽くして立ち向かったり、強大な敵との戦闘において貢献したり、『迷宮の孤王(モンスターレックス)』を一人で撃破したりと様々であるが、共通して、神がそれを「偉業」であると認めればそれは「偉業」となるのだ。

 そのため、「偉業」達成には通常とは比較にならないほどの危険が伴う。達成できずに散ってゆく者も決して少なくない。

 強くなりたい。でも命を落としては元も子もない。そういう人は「偉業」を達成することは出来ない。だからといって、自らの生命を顧みない勇猛な人が達成できるとも限らない。

 要は、バランスが非常にシビアなのだ。

 

「ツカサさんはダンジョンに入れる状態だと判断できました。もぐっても大丈夫ですよ」

「はい」

 

 多分、この人は頭がいい。無茶なことはそうそうしないだろうと思い、ノエルはツカサにダンジョンへの許可を出す。拘束力はないが、少なくとも指標にはなる。

 ギルドが出す推奨階層、推奨装備、推奨依頼は大抵が「安全」なものである。

 本当に「偉業」を達成してしまう者はしてしまう。それを見越して、そうでない者を無闇に死なせないためにも、ギルドは、特にアドバイザーは、厳しすぎるくらいに過保護にするのだ。普通は。

 しかし、そんな配慮を嘲笑うかのように、ダンジョンは彼らを惨殺する。

 

「おお、トルドくん帰ってたの?」

「あ、ナターシャさん。三ヶ月ぶりっす」

 

 ツカサの連れであるトルドに、ノエルの同僚である猫人(キャットピープル)のナターシャ・ロギノフが話しかける。どうやら担当冒険者のようだ。

 ノエルからしてみれば、ほぼ年上しかいないこの受付窓口嬢の職場において、唯一接していて心が休まる貴重でありがたい存在。それがナターシャであった。

 

「今からダンジョン?」

「そうっすね。リハビリがてら、彼の初ダンジョンの付き添いっす」

 

 ダンジョンは「生きている」。

 モンスターを生み出し、傷を修復し、何時如何なる場合においても挑んでくる冒険者を葬ろうと襲いかかってくる。そんなダンジョンで長年生き残ること自体難しいものであるのだが、最近は更に、ある「異変」が起こっている。

 

「周期はどうっすか?」

「それなんだけど、まだまだ解明されにゃいのよ。でも、前回きたのがちょうど三ヶ月前だから、そろそろ危にゃいんじゃにゃいか、って言われてるよ」

 

 年上の同僚の「な」が「にゃ」に変わってしまう癖を聞くと、ノエルはいつも和んでしまう。だって可愛いのだ。そのことで一度あざといあざとくない論争が巻き起こったのだが、本人が本気で困っているっぽかったので、みんなの暗黙の了解で気にしないことになっている。

 

 それはそれとして、数年前――公式に認められたのは二年前だが、それ以前にもあった可能性もある――ダンジョンの中層付近で、原因不明の「モンスターの大量発生」が起こった。しかも、()()()()()()()発生だった。

 当然、冒険者、特にLv1の中では強い方に属する大勢の冒険者が巻き込まれ、死亡。オラリオは騒然となった。

 それだけならばまだ大規模な「大量発生(イレギュラー)」として処理されただろう。過去にもそういう異常事態はなかったわけではない。

 しかし、その事件には不可解な点が幾つかあった。

 

 そのうちの一つが、生存していた冒険者がいた階層である。

 発生源だとされた階層の、上下二階層に生存者は一人もいなかった。それにも関わらず、()()()()()()()()()()()()()()のだ。

 当時、Lv.3の冒険者もモンスターの波に呑み込まれて絶命していた。しかし、生存者は軒並みLv.1かLv.2。集団であったとか、一人であったなどということは関係ない。他が殲滅されたのに対し、彼らのみ生き残った。当然、彼らはそのことについて、しっかりした追及を受けることになった。

 しかし、彼らの証言におかしい点は見受けられることはなかった。

 

「それじゃ、また外に出る予定もあるし、ツカサに付きっ切りになるかもっすね」

「え、また外行くの⁉︎ それにゃら、また仕入れて欲しいものがあるんだけど」

「二週間後っす。リストとか作ってくれればできるだけ仕入れるっすから、他の人とかの希望もまとめといてくださいっす」

「了解!」

 

 生存者がとある一つの【ファミリア】からしか出なかったのもあり、強い疑いをかけられた彼らは、いまでもギルドで要注意【ファミリア】に指定され、監視を受け続けている。

 原因に繋がっていそうな要因が、それ以外にないのだ。かといって、証拠は出ないまま二年が経過している。もう、諦めてそういう「仕様」になってしまったのだ、という意見まで出る始末だ。

 

(でも、それを解決しない限り、これからの冒険者は育ちにくくなるし、オラリオを訪れる冒険者志望者自体も減ってしまう。なんとか、したいわよね……)

 

 それなりに会議は重ねられているはずだ。これからのギルドの対処に期待するほかはない。

 周りに和みをばら撒く可愛い同僚を追い、窓口を後にする。そろそろ交代の時間だ。

 

「なあ、トルド、さっきの「周期」ってなんだ?」

「ああ、それはっすね……」

 

 そして、最も不可解である点。

 

 

 

 それは「何度も繰り返す」ということであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

          ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 バベルとは、ダンジョンからモンスターを出さないようにするための蓋みたいなものだ。

 

 昔はそんなものはなく、モンスターが次々に地上へ出てきていたらしい。そんなものが古代からあったら人が繁栄する前に絶滅するだろうから、多分いきなり出現したのだろう。

 最初のバベルはあまり高くなく、降臨してきた神が破壊してしまって、再建されてあの高さに……というのはまた別の話。

 バベルには、冒険者のためにシャワールームや簡易食堂、換金所、治癒施設などの公共の施設が入っている他、フリーのスペースにはテナントとして貸し出されている。例えば、四階から八階を席巻している【ヘファイストス・ファミリア】が有名だろう。

 また、二十階から上はギルドの管理のもと、神々に賃貸されている。五十階がフレイヤさんのプライベートルームであるように。

 

 そして、その足元には。八本のメインストリートが一挙に合流する中央広場(セントラルパーク)が広がっている。

 昨日も来たけど、それにしても広い。サッカーや野球のコートなど何面もとれるほど広い。バベルに辿り着くまで一苦労だ。

 

「んで、その周期、実は定まってないんすよ」

「それは周期って言わないんじゃ……」

「まあそうなんすけど。二年前、その現象が起こってから一年、ほぼきっちり三ヶ月周期に起こってたんすよ。だいたい季節の変わり目っすね」

「それが今は不定期だと?」

「そう。例はまだ少ないっすけど、五ヶ月空いたり、逆に二ヶ月しか空かなかったり。しかもほぼ決まって中層以上で起きるんで、新米冒険者はすっかりびびっちゃって」

「へえ……でも、それはモンスターが地上に出てくることには繋がらないのか?」

「そういうことはまだ流石にっすね。まあ、五階層より上に被害はまだないっすから、あっても先のことになるっすね。それまでにギルドが対策を練るなり原因を突き止めるなりしてくれるといいんすけど」

 

 それをフラグと呼ぶのではないのか。

 

 でも、そんなことが起こっているなんて。読んだことがない。つまり、五年後には完全に収まっているということだ。

 そうすると、俺がこの世界に来た原因も、その辺りにあるのかもしれない。飽くまで推測だけど。

 

 バベルの内部に足を踏み入れる。そういえば、バベルってかなり昔から建っているはずなのに、真っ白なままなのはなぜだろう。やはり、神が手を加えたから「神の力(アルカナム)」が用いられていたりするのだろうか。

 これまた巨大な柱が何本も並び、天井には本物かと思うほど精巧な天の絵が描かれている円形の広間を歩き、中央の直径十M(メドル)ほどの「大穴」を見下ろした。

 

「さあ、いよいよダンジョンに突入っすよ」

 

 バベル地下一階。ダンジョンへ続く大穴を、外周に沿って取り付けられた階段で降りていく。まだ昼過ぎということもあって、人は疎らだ。

 階段を降りきると、そこは「始まりの道」。とにかく横幅がある大通路だ。

 

「なんか、何もかもがでかいな」

「巨人の住処にでも迷い込んだ気分になるっすよね。でも、はじめの方のモンスターは割とちっちゃいっすよ」

 

 小さい方が厄介な気もするけどね。

 ダンジョンは割と明るい。地下のはずなのに一階層など、天井部分が点々と光を発しているために、まるで地上にいるかのような錯覚を引き起こしてしまう。

 少し歩き、人の流れから脱して横道に逸れてゆく。そろそろ、モンスターが出てきてもおかしくない。

 

「とりあえず、一回目はボクが戦うっす。悪いっすけど、武器の取り回しとか教えるのは出来そうにないっすから、立ち回りとかを見ておいて欲しいっす」

「わかった。トルドの武器はナイフと格闘術か?」

 

 トルドは俺より少しプロテクターを増やした格好だが、明らかに軽装。腰に差した二本のナイフに手を掛ける姿はかなり様になっている。

 

「二刀流に足技を使うのがボクのスタイルっす。ツカサより間合いは狭いっすけど、それなりに似通うところはあるはずっすよ」

 

 どうやら他にも腕のプロテクターに予備の、レッグホルスターに魔石を取り出す用のナイフも常備してあるらしい。

 対して俺は、五十C(セルチ)ほどの脇差、紅緒がメイン武器で、無銘の白ナイフがサブ兼魔石用。武術経験はない。本当に大丈夫だろうか?

 

「おっ、来たっすよ」

「あれは……ゴブリンか」

 

 緑色のちっこい人型のモンスターが、先の角を曲がり、こちらに気付く。

 大きさは中型犬が立ったくらいで、数は二。確かドロップアイテムは『ゴブリンの牙』。言わずと知れた有名モンスターだ。

 

「じゃあ、行くっすよ。少し空けて付いてきて」

 

 僅かに、トルドの表情が変わる。口調も変わる。

 ダンジョンの中では、油断は許されない。「まぁいいか」をより積み重ねた者から、ダンジョンは積極的に殺しにかかる。

 命のやりとりとは、そういうものだ。

 

 

 

「――覚悟しろよ」

 

 こちらに走ってくるゴブリン二匹に、トルドは正面から向かってゆく。その勢いに、ゴブリンたちもたじろいだ。

 

 ぶつかるかと思った瞬間、角度を変え、速度そのままにゴブリンたちの真横に至り、一体を蹴り飛ばす。壁に叩きつけられた個体が苦しげな声を上げた。

 

 ちょうど、その勢いでゴブリンたちとすれ違う形になったトルドと俺で、健在の一体を挟み撃ちをするような状態になる。

 

 戸惑い、戦意がなく武器も構えていない俺の方に飛び掛かろうかとしたゴブリンの首を、背後からナイフが貫く。

 

「余所見はいけないな」

 

 鮮血が噴き出す。ちょっとだけ、生理的嫌悪感。

 

『!?』

 

 そのまま一振りに首を掻き切ったトルドは、いつの間に突進してきていたもう一体に、その場で一回転し、踵蹴りを喰らわす。

 

 頭部に鋭い一撃をもらい、転がるゴブリン。なんとか回転を止め、もう一度立ち上がろうと地面に腕をついたところに、ブスリ。今度はトルドの方が飛びかかった。

 

『グキャァァ……』

 

 魔石に届く一撃で、ゴブリンは断末魔を弱々しく吐き、やがて灰に成り果てる。灰になる分、グロ要素は少ない方か。

 

 絶命しているもう一匹の胸部から小さな魔石を抉り出すと、ようやくトルドは硬くなった雰囲気を和らげた。

 

 

「……とまあ、こんな感じっす。参考になったっすかね?」

「多分、怖さは薄らいだと思うよ」

 

 今の戦闘、トルドは全力を出していなかった。それは素人目にもわかる。それにも関わらずゴブリンを圧倒していた。

 だからといって、成り立ての俺が上手くいく保証はないのだが、少なくとも苦手意識はなくなった。多分近所のよく吠える犬の方がまだ怖い。

 

「じゃあ、次はツカサの番っすね。危なくなったらボクが入るっすから、自由に戦っていいっすよ」

「うーん……頑張るよ」

 

 しかし、どうにも、自分が戦うというビジョンが全く浮かんでこない。妄想でなら、ゴブリンなんかとは比べものにならないほどのやつと何度も死闘を繰り広げたことがあるけど、実戦には役に立たないようだ。

 現実での戦闘経験なんて幼少のときに、近所の犬に追いかけられるイベント戦みたいなのしかない。あれでどうしろと。

 でも、この道を選んだのは俺、俺自身なんだ。ここでびびってどうする。

 

「重要なのはイメージっす。どんな風に動きたいか、動くようにするか。身体が自然に動くのは慣れてからっす。初心者のうちは、理想の動きを描いて、それをなるべくなぞるようにするといい、って団長が言ってたっす」

 

 イメージ、か。圧勝する俺、瞬殺する俺、ばかりではなく、一体一体確実に相手取り、しっかり葬る俺を思い描く。

 

 いや、その前にまず素振りからだ。よく考えたら買ってから、まだ鞘から抜いてすらいなかった。

 紅緒を引き抜き、握りを確認する。いろいろ本で読んだりして、ぼんやりとではあるけど一応日本刀の振り方は知っている。体勢も、素人ながらしっかり。

 右手と左手の指は少し離す。しかし全て離すのではなく、くっついている部分とくっついていない部分を上手く使って安定を得る……だっけ。右手を前に、左手の親指の付け根あたりに手首が乗るように。

 振りかぶる瞬間は、決して強く握ったりしない。指で柄を支えるだけ。優しく。

 斬るときは、確か、茶巾絞りを意識。茶巾絞ったことないんだけど。

 手を絞り込むのではなく、小指を軽く締める。刃筋をぶれさせない。

 斬り終えたとき。は、斬り終える前から徐々に両手を離し、抜重。これがまた難しいのだ。というか全部難しい。

 

 修学旅行で買ってきた木刀で幾分か練習したことはあるが、やはり真剣は違う。繊細で、取り扱いが非常に困難だ。やっぱり、叩き斬るスタイルの洋剣にした方がよかったかな……?

 

「へえ、なかなか様になってるじゃないっすか」

「いや、これはただの型だから、戦闘に役立つかどうかは微妙なところなんだけどな。これを身体に覚えこませて、戦闘中に刀を振るときに自然と出るようにならないと」

「うちにも刀使いが二人ほどいるっすけど、そのうちの一人はそんなこと気にせず、テキトーに振ってるように思えるっすけど」

「刀はテキトーに振っても全然斬れないはずなんだけどな……」

 

 かといって、いまの型を戦闘中にずっと意識しているわけにもいかない。いきなり不安になってきたぞ。

 いまさら悩んでいると、トルドが肩を叩いてくる。

 

「出てきたみたいっすよ」

「えっマジか」

 

 道の向こうから、俺たちの姿を捉えたゴブリンが駆けてくる。数は一。

 まだ準備は万全じゃないんだけど。主に心構えが。でも、もうこれは。

 

「やってみるしか、ないか……!」

 

 俺の、人生初戦闘が始まった。

 

 

 

 

 さっきのトルドを参考に、俺もゴブリンに向かって突進する。

 

 音が消える。視界が狭まる。紅緒を握る手に、余計な力が入る。

 

 しかし、思い切りか、速度が足りなかったのか、ゴブリンは躊躇わず突っ込んでくる。くそ、こいつ舐めやがって。

 

 紅緒で唐竹を……いや、間に合わない。走りながら構えとくべきだった。

 

 刺突、できればまだよかったのだが、そんなことに頭が回らず、正面からタックルする形になり、ゴブリンを跳ね飛ばしつつ俺も転がる。軽い相手で助かった。

 

「くっそ……っ!」

 

 思考が働かない。ここからどうすればいい。畜生、無様だ。

 

 とりあえず立ち上がらなければ。立ち上がらないことにはどうにもならない。

 

 紅緒を手に持っているため、少々手こずりながらもなんとか二本の足で立つと、すぐ目の前までゴブリンが迫っていた。

 

「ふっ!」

 

 サッカーボールを蹴る要領でゴブリンを蹴り飛ばそうとするも、躱される。こいつ、こんなに素早かったっけ?

 

 いや、俺が遅いんだ。自惚れてるんだ。横腹に一撃を喰らい、やっとそう判断する。トルドと同じような動きをしようなんて思ってはいけない。俺は俺のレベルで、俺の動き方をするんだ。

 

 ん、待てよ? 思考が働かないと思っていたが、思ったより考えが巡っている。こんなに高速で思考が出来るなんて初めてだ。

 

 ゴブリンの攻撃の勢いを殺さず、咄嗟に地面に転がる。

 

 慌てない。上半身を起こし、近づいてくるゴブリンに袈裟斬りをかます。しかし、間合いを測りきれず顔面を浅く切り裂くだけに留まる。

 

『ギャアッ⁉︎』

 

「大丈夫、落ち着け俺……」

 

 再び立ち上がり、今度はその場で紅緒を構える。

 

 冒険者になったことで、多少能力の上方修正でも入ったのかもしれない。派手に転んだのに、あまり痛くない。

 

 一瞬怯んだゴブリンは、また襲いかかってくる。でも、もう見える。

 

 立ったままでは紅緒の長さが逆に不利になる。腰を落とし、中腰に。重心を固定して、その場で迎え撃つ体勢を整える。

 

 さあ、来い。

 

 逆袈裟。は避けられる。しかしそれはフェイク。かつてないほどの速度で抜重、右薙ぎ。

 

 

 

 その瞬間、俺の中で確かに、時が止まった。

 

 

 斬れた感覚が後からくる。ズレるゴブリンの上半身に、次いで噴き出る赤黒い血。

 

 

 俺は、しばらく呆然としていた。

 

 

 紅緒に目を遣る。ゴブリンの死骸に目を遣る。トルドに目を遣る。

 

「やった……のか」

「そうっす、やったんすよ!」

 

 いまにも飛び出しそうな格好ではらはらしながら観戦していたトルドが、満を持して駆け寄ってくる。

 力が抜け、座り込みそうになる。しかしそれは余りにも情けないだろう。震える膝に力を入れ、しっかり立ち直る。こんなことくらいでへたるわけにはいかない。

 そうだ、魔石。ゴブリンの胸に紅緒を差し込み、回し、抉る。小指の爪程の大きさの、紫色の光を弱々しく放つ結晶が転がり出た。

 

「勝った……」

 

 その勝利の証は、輝く紫紺。

 

 

 

 

 俺の人生初戦闘は、なんとも無様な、しかし確かな勝利に終わった。

 

 

 

 

 

 

 

 

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