半年ぶりに見る夢島君は去年の秋の大会と変わらず鋭い目をしていた。
「もしかして、堂ヶ浦の実力が上がってきたのは、あの顧問が就任したからかい?」
「さぁ。こちらにはこちらなりの練習があるんでな。教える必要はないだろう?」
牽制しつつ、互いにペースを捕まれないようにする。
『真藤部長、気をつけてください。たとえ日向晶也の侮辱を受けても、試合に勝てば彼の名誉は守れます。挑発には乗らないでください』
「ああ、分かっているよ」
言われなくてもそのつもりだ。それに、彼らの目的はこの先にある【合同合宿の交渉】ではない。僕と秋月君に対する牽制、夏の大会への布石の可能性が高い。勝つことに対して貪欲なプレイヤーは時折こういった事を行う。言葉でのさぐり合いは極力聞き流したほうがいい。
「それでは、準備をお願いします」
審判の子がブイの揺れを確認して促す。
「ああ、分かった。」
「そういや、真藤」
「?」
スタートダッシュの構えに入った途端夢島君が審判には聞こえない大きさで囁いた。
「両者位置について、セット!」
「今回の合宿、相手の先生抱く事を条件に賛成したんだってな」
「なんっ……!?」
ホイッスルが響く。気を取られスタートダッシュが遅れる。
「くくっ……!」
夢島君がファーストラインを駆ける。タイミングをずらし満足のいく加速を得られなかった僕はセカンドブイを諦めざるを得なくなった。
「くそっ!」
なんて奴だ。怒りが腹にたまり沸々と燃え上がり始める。落ち着け。落ち着いて対処するんだ。
『部長! 今の話マジですか!? やっべー!』
なんか通信先の秋月君がやたらハイテンションだ。セカンドラインにショートカットを始める。相手の煽りを真面目に反応する後輩に僕はツッコミという形で返事する。
「そんなわけないだろう!! 僕にとって各務先生はFCの神様そのものだ! そんな不埒なことするはずがない!」
その後数秒の沈黙を置いて、静かな声が僕の耳に響いた。
『そうですよね。……なら、その神様を信じて自分のFCしましょうよ』
「…………ああ、その通りだね」
ハイテンションから、ローテンションへの気持ちの切り替え。負の感情から、正の感情への変換。数秒の沈黙が僕に考えさせる時間を与え、彼の落ち着いた声が感情の値をリセットする。選手の精神的ブレーキが僕を正常の状態に戻してくれたのだ。
相手に先制点を許し、接触の時が近づく。相手もスピーダー寄りのオールラウンダーだ。だが、スピード勝負ならこちらにも自信がある。
相手が下に急降下する動きを見切り、相手の進路を阻む。
「くっ!」
相手は逃れるように更に下へと降下する。相手の背中を狙うように張り付き、揺さぶっていく。
「まずは、一点!」
隙を見つけて、上空から背中をタッチにする。これで同点だ。相手は押され、更に海面近くにまで降下する。海面まで迫られると逃げる範囲が上空に絞られ、上空の相手のペースになりやすい。
姿勢を立て直す前に再度得点を狙う。だが、夢島君は逃げまどう小動物のようにバランスが不安定のまま急降下を始める。その後の行動に僕は驚きを隠せなかった。減速を一切せずに、自分から飛び込むように海面に落下したのである。
「なにっ!」
答えはすぐにわかった。高く上がった水しぶき、それを使って一時的な目眩ましをしてきたのだ。これなら、海面でバランスを崩していても、立て直すまでの時間稼ぎにはなる。しかし、こちらの優位は変わらない。僕の目は夢島君をすぐに捉えた。こちらに背を向けていて、相手がどの方向にいるのか分かっていない。そして、FCにおいて重要なスピードが完全に失われていた。
「もらった!」
『先輩、退いてください。それは罠――――』
相手の背中を取る。
だが、夢島君のフライングスーツの袖に備えられた【浮き袋】が不自然に膨らみ、僕の顔に直撃した。
反射で目を思わず瞑り、後ろに引く。
再び目を開けた時、夢島君の姿はなかった。
「秋月君! 相手はドコに?」
セコンドに相手の位置を教えて貰おうとするが、返事がない。少しの間の後、僕はその答えを知った。
——――連絡するためのインカムが無くなっていた。
「インカム落としちゃったのかなぁ? あららら、不幸な事故だなぁ!」
背中からの衝撃を受け、僕はようやく相手が背後にいることに気がついた。不意打ちを受けて完全にバランスを崩してしまう。
(まさか今の水しぶき……本当は審判に反則が見えないようにするためか!)
最初のスタートの時、ギリギリ審判に聞こえない音量での揺さぶりといい、相当手慣れている。
「ス・イ・シ・イ・ダ!」
かけ声と共にさらに背中に衝撃が走り、僕の体が海面へと叩きつけられる。先ほどと同じく水しぶきが上がり視界が白に覆われる。
「くっ……」
状況はかなり不利だ。下から見上げる一人の視界に対し、相手は上からの広い視界と、外からの指示が働いている。相手を見つける競争はまず負ける上に、どこから攻撃が来るか全く分からない。そして何より、メンブレンが弾ききれなかった水滴が動きを阻害してくる。ここは、カウンターで流れを掴み直すしかない。いち早く相手のコントレイルを見つけ備えなければ。
「こっちだ」
声がした方に素早く振り向く。夢島君の顔が映る。しかし次の瞬間、僕の視界が揺れ世界が暗転した。
「……ここは?」
気がつくとテントの下で横になっていた。体を起こそうとすると頭が重く、ズキリと痛みが走った。
「大丈夫ですか?」
冷たい感触がおでこに当たる。それが濡れたタオルだと気付くまでに少しだけ時間がかかる。おでこに手を当ててくれていたのは審判をしていた女の子だ。
「ああ。僕はいったい……?」
「試合の途中で意識を失ったんです。すぐに秋月さんが非常用の救助器具を使って先輩を地上に降ろして、ここまで運んだんです」
時間の流れが分からない。テントの机にあった時計で確認すると、20分ほど時間が経っていた。
「そうか……僕は、負けたのか」
訳も分からないまま終わった試合。しかし記憶にあるスコアは1ー2で負けている。さらに僕は試合を途中で降りてしまっていた。正当には負けではないかもしれないが、結果だけを見れば敗北だった。
「いえっ、先輩は負けていませんっ。途中で体調を崩しただけでいつもの先輩なら……」
必死でフォローをしようとしているが、審判であるこの子は自分が反則行為を見落としていたことに気がついていない。そのことに意味もない憤りを感じるがそれをこの後輩にぶつけてもきっと自分が惨めになるだけだ。
「秋月君は?」
「ここにいます」
すぐ側にいたようだ。後ろにいた彼の背中を見つける。彼は本を片手にパイプ椅子に腰掛けていた。
「向こうの学校は?」
「テントで待ってもらっています。色々言ってきましたが、まぁ要するに不幸な事故だそうです」
非公式の試合とは言え危険な行為をすれば協会から処罰が言い渡される。しかし今回のような証拠を取っていない事例を事故だと言い張れば協会に連絡されても数日の罰則だけで済む。くっ。やはりラフプレイを隠し通す技術を洗練している。
「それじゃあ、もう今日の試合は中止に……?」
「ええ、結構危ない事故だったので中止を進言しました」
妥当な判断だ。こうなってしまったら練習試合なんてできない。気をつけてはいたが、まさかこうも簡単にラフプレイの餌食にされるとは思っていなかった。悔しくて歯噛みする。
「ただ、先方が部長との試合が途中で終わってしまったので僕を代役にして試合を続けたいと言ってきたので引き受けることにしました」
「試合だって……? いったい何を考えているんだ!? っ!」
僕はその言葉に驚く。あんな危ない事が起こったのにまだ試合をするのか。そんなこと部長としてコーチとして許すことができない。部員の安全こそ最優先されるべきモノだ。大声を上げたことで、血が上り頭痛に襲われる。
「まさか君も仕返そうなんてバカなことを考えてないだろうね……そんなことしたら君も彼らと同じだぞ!?」
ラフプレイを参考にした彼の戦術は、大元を辿ればラフプレイそのものだ。そんな過剰なプレイ許さない。
「いえいえ、そんな低俗なことしませんよ。普通にFCをするだけです」
テントから出るとき見えた彼の顔は、まるでおもちゃを見つけた子供のように無邪気に笑っていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「黒渕、これがウチのFCだ。凡才でもああやって相手に実力を出せない状態まで持ち込めば、十分勝ちを狙える」
試合の結果を見た私は、驚くほかなかった。全国の猛者達の頂点に君臨する真藤一成に流れを掴ませずに優位な立ち回りをし続けた。夢島部長の表情は余裕に満ちている。
「ウチの学校はな、去年の夏までベスト8に入ればかなり良い方だった。だがな、他の学校があまり着目しない部分を伸ばし作戦に組み込んだんだ。その技術がどれほど通用するか見ただろう」
凄い。異次元の領域だと思っていた相手に手を届かせる事ができる。私はその力を善悪の区別なしに凄いと感じてしまった。欲しい。毎日の練習に反比例するかのように伸び悩んでいる私は思う。いつまで練習を続ければ先に進めるのだろう。すぐにでも結果が結びつく力が、欲しい、と。
(……でも)
悪魔の手を取りそうになった私は我に返る。ダメだと。あの約束を心の中で唱えた。
『フライングサーカスを続けよう、そしてどこかでまた……』
そうだ。今の私にとってあの子との約束が一つの希望。この技術は私の思っているFCじゃない。
これはFCを暴力の武器に変えてしまう。だから、手を染めてはいけない。
ざっ、と砂を踏む音が聞こえた。振り向くと先ほどの秋月さんが立っていた。その目は先ほどと違い、どこか空っぽのように見えた。
「お待たせしました」
「真藤は大丈夫かい? まさかドックファイトをしている最中に気分が悪くなるとは思わなかった」
「おいおい、私が離れてからFC部はあのくらいの飛行で酔ってしまうくらい軟弱になったのか?」
夢島部長と先生が秋月さんに気づき、歩み寄る。
「ええ、意外と大丈夫そうでした。それで先ほどの試合を続けるということでよろしいですか?」
「ああ、ポイントは3ー1でこっちの方が勝っていたが、そこはリセットしてやってもいいぜ?」
「いえ、そのままで結構です。続きとしてやるんですから、リセットなんて必要ないでしょう。タイムもです」
丁寧な口調なのに、どこか刺々しい。それもそうだ。先ほどの試合で部長が倒れているのだから、起こっているのが普通の反応だ。
だというのに、どうしてこの人は――――
「じゃあ、早く始めましょうよ」
こうも楽しそうに言うのだろう。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
くく、まんまと挑発に乗って試合を続けてきた。
強豪のプライドか、それとも満身か。さっきの試合の点数と残り時間で受けるとはやっぱり高藤は気に入らない。
「秋月朱は普通のオールラウンダーだ。最初のブイはこちらが確実に取れる。ショートカットしてきたところを、かにばさみで捕まえるか。水しぶきで動きを鈍くしたところで水上リフティングでもして遊んでやれ」
「ええ、あいつ、準レギュラーでしょう? 真藤は3分かかりましたから、あいつは2分で脳震盪起こしてやりますよ、くく」
先生の【要望】を聞き、スタートラインに入る。黒渕を男にしたようなヤツだな。髪も目の色も似ている。女みたいな華奢な体つきまでそっくりだ。まぁ、黒渕の場合、出てるところは出てるがな。こちらはもやしと表現した方が良いくらいだ。
「よろしく」
挨拶は返さない。マナー違反をすれば、その分挑発で引っかけやすくなるからだ。格下相手には特に効果覿面だ。
「部長さん倒れて怒ってんのう? でも、あれはそちらの部長さんが下手だったから気を失ったんだよう? ほら、反則って言おうとしても審判は何もいってきてないしー」
口角を上げて、揺さぶるしゃべり方で囁く。もちろん、審判にぎりぎり聞こえない声量でだ。
「まぁ、ばれなきゃ、反則じゃないもんね」
「よく分かってるじゃん。そうさ、お前、物分かりよくて助かるわ」
乗ってきたか? まぁ、こっちの話が耳に届いている時点である程度精神的な威圧は成功しているはずだ。
「ねぇ、運転免許で減点されないコツって知ってる?」
「はぁ? そんなのバレないように違反をする、それだけじゃねぇか?」
「なるほど」
納得するような言い方だ。気に入らない。
「まぁいいさ。壊してやるよ」
「あ、そうだ。反則したときは相手に加点するんじゃなく、反則した側の点を減点させるって方式でもいいですか?」
なんだ? そのルール。数え方が変わるだけで特に意味はない。無意味な変更だ。何がしたいか分からないが、そのくらいなら了承してやろう。
「いいだろう」
ようやく審判の準備が整う。さっきと同じ奴、目が節穴の女審判だ。
「それでは、位置について、セット!」
スタートダッシュの構えを取る。まず最初にこっちのペースを取る。残りの時間は7分。点差は2。どう考えてもこちらが優勢だ。しかし、止めというのは相手が死んだと思ってから刺すのが礼儀だ。ここで主導権を完全に握ってやる。
ホイッスルが鳴る。スタートダッシュで初速を稼ぎ、ラインを阻むように飛ぶ。
『真後ろについた。やってやれ』
「了、解♪」
先生の合図と共に、背中の浮き袋を動かす。通常なら面部連の膜に覆われている浮き袋だが、ジオキサン社製のボンドを塗ることでメンブレンの膜が阻害され、動かすことができるのだ。それを相手にぶつけることによって、相手のペースを乱してやる。
練習通り、背筋を曲げて浮き袋を動かす。浮き袋が膨らみ、ラインをふさぐ。
「ぐっ!」
そしてそのまま背面にいる秋月にぶつかった。衝撃でこちらは前に、秋月の方は反対側に飛ばされ、ファーストブイに叩きつけられる。やった成功だ。
「反則! 夢島1失点! 2ー1!」
スタート直後の接触による反則で1点減ったが、それでも1点差ある。バカだな。点数をリセットしていれば1点リードできたものを。
「あらら、ごめんね。機材のアクシデントだ。もう一回スタートからしよっか」
「構いませんよ」
動じていないとでも言いたげにこいつの言葉には変化らしきものがない。ムカつく。黒渕との試合を見た限りそこまで強いと感じない。こうなったら完膚なきまでに潰してやろう。心が折れてFCがしたくないって思えるようにな。
「たっぷり可愛がってやるよ」
「はい……じゃあ、このままシェパードで行きます」
通信の様子が聞こえる。相手は真藤だろう。だが、シェパード? 羊飼いだと?
「セット!」
ホイッスルが鳴る。同じ展開になれば相手は警戒してスピードを落とす。それを見越して、俺はスタート直後、先ほどと同じようにラインを塞ぐように跳び始めようと動いた。
しかし――――
「は、速い!?」
スタートダッシュの直後の動きが先ほどとまるで違った。風を切る音が耳を響かせ、前方の秋月の姿は小さくなっていく。秋月はロケットスタートと呼ぶにふさわしい豪速でファーストラインを駆けていた。
スピーダー寄りの設定で初速が若干遅くなっているとはいえ、加速に乗ってきた俺よりも少しだけ速い。まさか設定を変えたのか?
加速が付いてから、少し追いつき、相手の後ろを取る。
(なぜだ……追い越せない!)
最高速まで達しているのに、【相手を追い越そうとすると一定の距離まで離される】。まるでスピードを合わせられているかのように、相対距離が変わらない。
『ポイント秋月! 2ー2!』
セカンドブイを先に取られ追いつかれる。だが、試合は始まったばかりだ。セカンドブイに触れた秋月が反動を利用して上昇し、停止する。こちらは、セカンドブイの反動をそのまま加速に使って、サードブイを狙う。その反動のせいでセカンドブイが大きく揺れる。
十分の加速を得ようとしたが、ブイが大きく揺れていたせいで反動を活かしきれない。
「くっ! っそ!」
『上から来るぞっ! 後ろに回避!』
加速に手間取っていた所でセコンドからの指示が飛ぶ。とっさにスピードを殺して急制動を掛け、後ろに体重を移動させる。目の前に秋月の朱いコントレイルが描かれ、間一髪で避ける。
「惜しい」
進むか、横に回避していれば、間違いなくブツカっていた。T字の姿勢で突っ込んできやがった。相手の軌道を読もうとコントレイルを目で追う。コントレイルは下から反転して、背中の方で左右を描き、そして――――
こっちに向かって描かれていた。
「コントレイルの軌道だけで相手の動きを読むな」
背中からの声と共に、衝撃が走る。背後に回ったコントレイルを見たとき、サードブイに対して背を向けていた。その状態で、背中をタッチされたため、セカンドブイの方へ弾かれる。
これで、2ー3だ。
ここであえて、バランスを崩したまま、セカンドブイに近づく。相手にとっては追加得点のこれ以上ないチャンスだ。寄ってきたところで、セカンドブイと俺でサンドイッチにしてやる。
「もう一点」
食いついてきた。
『今だ!』
セコンドの合図と共に、方向転換を行い、追撃を避けようとする。しかし、目の前に広がっていたのは体を丸めた秋月の姿だった。
(フェイント!?)
このタイミングでフェイントを行うなど通常のプレイを知っている奴ならしない。俺のような、通常プレイの定石を利用している選手にとってもこの動きは完全な予想外だった。
「あなた。ラフプレイ、下手ですね」
秋月のその姿勢がエアキックターンの構えだと分かったのはその直後だ。目の前が朱く染まる。一体何が起こった。【奴のコントレイルと同じ色の光】が網膜を焼き、こちらの視界を奪った。
「これが、コントレイルアタックです」
声のした上空を見上げ、眩しい視界を何とか見ようとする。
『バカ! 何を見上げている。相手は真正面だ!』
「なに!?」
声が届ききる前に、首当たりのメンブレンを弾かれ、真後ろに飛ばされる。セカンドブイと接触し、さらにバランスを崩される。
(こいつ、セカンドブイに当たるようにわざと弾きやがったな!?)
何とか体勢を立て直したが、その頃にはすでに間合いを詰められていた。次にバランスを崩されれば、間違いなく連続失点される。
体を捻って、逃れるしかない。無我夢中で伸びてくる手から逃れようとする。
『何やってるの!? そっちは……』
ピーッ! ホイッスルがなる。
『逆走! 夢島1ポイント失点! 1ー3!』
「な、んだとぉ……?」
自分が踏み入れた場所を見る。そこはファーストライン。ブイをタッチしてから前のラインに引き返す行為は反則だが、納得がいかなかった。
「待てよ! 今俺はこいつに弾かれてラインに入れられたんだ! この場合不可抗力だろうが!!」
試合を一度止めさせて、審判に抗議をしにいく。メンブレンさえなければ胸ぐらを掴んでいるところだ。そうでなくても、メンブレンの反発で驚かせてやろうかと思っている。
「いえ。秋月さんが弾いたのはあくまでもセカンドラインの上である内周の部分です。その後の追撃を逃れるために、あなたはファーストブイに入ってきました。証拠の映像も確認しますか?」
用意されていた練習用の俯瞰カメラで確認する。体勢を立て直した俺が追撃を逃れようとして自分からファーストラインに入ってくる部分が撮影されていた。これでは抗議することができない。
「審判が見てて、カメラにも残ってるんだ。文句はないよね」
「んだよっ、それ……」
「それでは、もう一度同じ位置から始めます、始め!」
(くそ……どうなってやがる)
納得はできない。だが、一旦試合を止めたおかげで体勢を立て直すことができた。ブイも近くにあるし、海面まで持って行けば、かにばさみができる。
――なのに相手は決定的な隙を見せても間合いに入るギリギリの所で、入ってこない。がら空きの背中を晒しても、相手の下を飛んでも、後一歩と言うところで引き返す。警戒されているのだろう。
(ちっ。くそチキン野郎が)
「おいおい、さっきから踏み込みが甘いぜ? 1点2点のリードで満足かよ? こっちも舐められたもんだ」
「じゃあ、付き合ってあげるよ。反則で0点にさせちゃうのは可哀想だけどね」
がら空きの背中に秋月が迷わず、突っ込んでくる。タッチする気だ。袖の浮き袋を動かし、真藤の時のようにインカムを弾きにかかる。しかし――
「おっと」
膨らんだ浮き袋ごと腕で真下へと弾かれ、体勢を崩される。浮き袋が振るように叩かれたことで、メンブレンを阻害するボンドの効力がなくなる。突然のメンブレンの変化に、完全にバランスを崩してしまった。
「くそっ!」
すぐさま、体の末端に力が入れられ、大きく弾かれる。直後、またしてもセカンドブイに激突する。回る視界を止めればすぐそこに秋月が迫り、反射的に回避行動に移る。
「逆走! 夢島失点! 0ー3」
まただ。前のラインに逃げ込むように攻められ、反則をとられる。
ラフプレイを仕掛けても、仕掛けなくても結果は変わらないと言うことか。完全にラフプレイに対して対策されている。
こいつを突破しなければこのジレンマは続く。
攻めに入っても出だしの動きを読まれて先回りされる。スイシーダを仕掛けようにも相手の方が高い位置にいる上、反応が速くて仕掛けられない。
(くそ、干物みたいに軽い体しやがって……)
下を潜り抜けようとすれば、後ろに張り付かれる。
(しつけぇ!)
外周は特に堅い。抜こうとしてもことごとく弾かれる。
そして――――内周。威圧してくるように逃げ道を奪われていき、気が付けば前のラインに逃げてしまっている。
(なん、でだ……)
ペースを掴むためのラフプレイなのに、流れが掴めない。それどころか読むことすらできなくなっている。
時間がたつにつれ、どんどん追いつめられていく。
『夢島1ポイント失点! -4対6!』
ブイ付近でドッグファイトをしていると、いつの間にか前のラインに誘導されていた。羊飼いが犬を使って羊を誘導させるように、気が付けば反対のラインに入ってしまっている。ショートカットも2つ先のラインに向かう角度で行わないとすぐに弾かれるか、間に合わない。そして、ショートカットすれば2点の差が開く。
出口の先に、確実に罠が待っているのだ。
『な、なんで……』
セコンドの先生が重い声を出す。
「は、はは……」
なんだ。これは。俺の知っているFCじゃない。
おれのしっているFCは相手の反則を得点源にするスポーツだったか。
おれのいましているものはいったい――――なんなんだ。
こうなったら、かにばさみだ。反則をとられようが、この一発を当てれば相手に肉体的、精神的なダメージを与えられる。そうすれば、ペースを取り戻せる。
「うらぁ!」
接近に視線を右に向けフェイント。その状態から自然な体運びでかにばさみを仕掛ける。完璧。完全に入った。そう確信できるタイミングだった。
だが――――相手の足が俺の右足を蹴り、重心が一気に傾く。それを直そうとして用意していた右手を無意識に回して姿勢を直す。そのせいでかにばさみができない。完全にかにばさみを見切られた上で冷静に対処された。
『試合終了! 勝者! 高藤学園!』
試合終了の合図も、審判の声もどうでもよくなっていた。
見上げた空は朱く染まり始めていた。それは見下ろしてくる少年の眼と同じ色だ。
「あ、あ……」
その日、ラフプレイを推奨していた自分たちは、反則を誘発されて負けた。
「というわけです。今回の合同合宿の話はなかったことにしていただきたい」
「……ええ」
完全な敗北を前に、俺たちは何も言うことができなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「いやー、あの2年の人すごかったよねー! ウチの先輩のラフプレイに全然動じなかったもんね」
「反則で負けたようなもんだよね。これで少しはあのブラックな練習から解放されればいいんだけど」
「そうだね」
練習試合が終わり、着替えるために武道館に案内された私と睦月ちゃんと深雪ちゃん。
さっきの試合の意見を交えつつ、着替えを終える。
「あの人あれで、準レギュラーなんでしょ? じゃあ、レギュラーの人たちってどれだけ強いのよ」
そういわれると気になる。私は天井につり下げられていた一枚の写真に気づいた。
「これって、この部の集合写真?」
4枚の額縁からなる大きな写真が飾られていた。部員の人数が100人を越す高藤学園では集合写真すら、分割して別々の額に収めないといけないのか。
「あ、真藤さんだ! こっちは副部長の佐藤さん! 前に雑誌で表紙飾ってた人だ!」
睦月ちゃんが声を大きく上げる。どうやらこの写真はマネージャーと各学年ごとのメンバーで分けられているようだ。3年の真ん中には真藤一成さんが、2年生の真ん中には佐藤麗子さん。真ん中付近に写る人はその代で一番実力のある人物を指しているのだろう。
「……え?」
1年生の写真に写る人物を見て、私の体が固まる。さっきまで生きていた体が石にでもなったように堅く、冷たくなっていくのを感じた。
なんで、どうして。あなたがそこにいるの。
そこに写る笑顔は昔と変わっていない。それなのに、私にはヒドく遠いものに感じられた。
追いついてきていると思っていた。だというのに、現実は遙か先を歩いていた。
(そんな……じゃあ、私の今までって一体……)
「あ、ブッチ。この一年の子、レギュラー候補なんだって。すごいよねー」
ゴトリ、私の中で何かがズレた音がした。
準レギュラー相手に圧倒された。あの子はそんな相手の上を行っていた。じゃあ、私は今一体どこを飛んでいるって言うの。
強くなりたい。
「私は……」
何をしてでも、強くなりたい。
結いでいた髪留めを外す。あの子とお揃いの髪留め。希望だと信じていたその品を見て、怒りが沸く。握り潰すように私は髪留めに力を込めた。
<裏話および補足>
ラフプレイ…浮袋への細工を始め、無茶なスイシーダ、水しぶきによる審判の視界遮断及び相手の動き封じ。そして相手を挟み込む、かにばさみ(ムササビやブイへの貼り付け)。補足しておくと夢島はスイシーダ後すぐに真藤に接近できています。これは真藤や黒渕のような綺麗なスイシーダではないからです。綺麗にスイシーダを決めると使い手は反動を利用して上に飛ばされます。夢島の場合、海面近くだったというのや、追撃を仕掛けるため、通常より若干弱めにはじき、上昇しないようにしたからです。
真藤の敗北…本来なら夢島を圧倒できるほど実力に差があるのですが、ラフプレイのオンパレードにより、実力を出し切れないまま敗北という形にしました。大会だと乾と真藤だけ段違いの強さと表現されていましたのでこのような形になりました。
コントレイルアタック…元ネタはもちろんドラマCDの乾&イリーナ。遠くの観客が目に捉えられるくらいの光なら目くらましにも使えるだろうと考えました。理屈は至って簡単、相手の目の前に反重子のプリズムが当たるように飛ぶだけ(タイミングがえぐいくらい難しい)。イリーナ「コントレイルアタックです(ドヤ顔)」
シェパード…バードケージとスモールパッケージホールドの中間の位置にあるような技。状況的に作り出すことが難しいが、ハマれば相手の精神がガリガリ削られる。相手に反則をさせて点数を取る邪道的な戦法。ルールにある前のラインに戻るのは反則というのは第2話の説明から。
黒渕の闇落ち…原作裏を意識して書いているので当然と言っちゃ当然の展開なんですよね。今回の場合主人公が黒渕を闇落ちさせた原因ともいえます。
夢島くんがうざく書けていれば光栄です。