シェパ―ド。意味は羊飼い。
動物世界で圧倒的弱者の位置に存在する羊を管理する者。羊の追われると逃げる本能を逆手にとって誘導させるように、相手を誘導する。相手を弱者だと決め込んで行う酷く傲慢で醜い戦術。
これを使うのは相手をいたぶる事が好きな奴だけだと決めていた。この戦術を使った時点で僕はその相手と同じく【相手をいたぶることが好きな人間である】ことを肯定してしまう。
ならば、せめて使う相手だけは決めてかかる。それが僕にできる唯一の良心だ。シェパ―ドを実感してあのプレイから足を洗ってもらいたいと思った。でも、そんなのはただの言い訳かもしれない。
「秋月君、大丈夫かい?」
さっきの試合、やはり僕は【楽しんでいた】。相手をいたぶることにだ。理性的に受け入れられず、シェパ―ドを使った後は自己嫌悪と罪悪感に襲われてしまう。
堂ヶ浦の人たちが帰った後。緊張が解け、僕は椅子に座り込んでいた。
「……はい」
僕はあいつ等とは違う、はずだ。でも、やっていることは同じじゃないのか。地元を離れてここに来たのは逃げるため。逃げた先で僕は――――あいつ等と同じ事をしているんじゃないのか。
「……前から疑問に思っていたんだ。入部したときの初対戦でギリギリ引き分けに持ち込んだり、市ノ瀬君の自己紹介の時、『自分も同じだ』って助け船を出したこと。堂ヶ浦との試合運び。僕にはどうも【衝突を避けようと行動している】ように見えるんだ。そう思うと、君は去年の夏の怪我も一人で無理を続けていたように感じる、君はもしかして……」
「……っ!」
バレた。
「…………秋月君。君は過去に一体何があったんだい?」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
―5月上旬のある日―
「うーん、やっと着きましたね。ここがニッポンですか?」
イリーナが手を空に伸ばす。その様子は起き抜けの猫みたい。
「イリーナ、長旅で疲れてない?」
「ええ私はノープログレムです。沙希こそ体が固まってしまいませんでしたか」
イギリスから日本までは13時間弱。イリーナがいい席を取っていてくれたから、思ったより疲れていない。
「ううん。私は平気」
「沙希。私の目は誤魔化せませんよ?」
イリーナが意地悪っぽく笑った。うん。心配してくれることに遠慮するのはよくないのかもしれない。
「……実はちょっと」
肩がこり始めていた。トレーニングで減量をしているのに、最近また大きくなってしまった。イギリスだとそこまで気にならなかったけど、日本に着いてから他の人たちの視線が集まっているようで気になる。まるで、珍しいものでも見るみたい。
「あら、それはいけませんね。ホテルに着いたらさっそくマッサージをしないと」
「……うん」
日本に着いた、といっても到着するのはまだ少し先。四島列島まではヘリで行くことになっている。入学はゴールデンウィークが終わってからだ。この連休はオフでお休みにしている。というのも――――
「さぁ! せっかく異国の地に来たのです。初日はたっぷり観光とご当地グルメを巡り巡ることにしましょう!」
イリーナのたっての希望でここ仇州の名物を謳歌することになっていた。
「それにしても、ニッポンの方はみんなお頭を剃ってはいないのですね?」
「それは100年くらい前の人たちで、今の人たちはそういうことはしない」
「じゃあ、キモノというものもないのですか?」
「行事で着ることはあるけど、ほとんどは洋服」
あ、イリーナの膝が崩れた。
「イベントだなんて……体験サービスや、観光イベントではなく私はファッションや日常として楽しみたかったんです。日常……当たり前こそが本物なのですから」
「えと、旅館……ホテルに着いたら浴衣があったはずだからそれ着よう?」
「……浴衣?」
「日本のパジャマ。もちろんこれも着物」
「パジャマ……。着物の……!」
イリーナのこだわりに当てはまったみたいだ。ぱぁっと顔を輝かせて立ち上がる。
「沙希! そうと決まれば夜までに仇州のニッポン料理を堪能しましょう! ホテルのオンセンを満喫するには全力を尽くせと教えられましたから!」
異国の地の文化を前にはしゃぐイリーナを見て、イギリスに着たときの自分もこんな感じだったのかなって思う私だった。
「この揚げ物、とてもおいしいです! さすがニッポン。料理の味付けや調理法は我が国よりも先を行っています! これは……もしやカエルの肉?」
「鶏の唐揚げ。イリーナ、今の日本人はカエルを食べない」
「そうなのですか? それにしても生の魚を食べるなんて日本人は愉快です。先ほどのフグはとてもおいしかった。今度シェフに捌いてもらいましょう」
「フグは毒があるから、ちゃんと資格のある人に捌いてもらった方がいい」
すっかり日本の食文化が気に入ったみたいだ。自分の事をほめられているみたいで私は嬉しくなる。
「永崎は過去ニッポンとの唯一の窓口! ワオ! 木でできた建物なんて、風情ある日本の風景です!」
「江戸時代。日本は鎖国をして他の国と接点を持たないようにしていたの」
「それはどうして?」
どうして。だろう。確か、異国の宗教が入ってきて国で反乱が起こり始めてたから。
「多分、自分の知らないモノに触れるのが、怖かったんだと思う」
「ふふ、昔の日本は愚かですね」
イリーナの返事が、私の胸の内に引っかかる。新しいモノに踏み込むこと。未知のことには不安が駆り立てられて、怖い。踏み込む事ができなくて、内に籠もっていた子供の姿が映る。
「……そう、だね」
「? 沙希、どうしましたか?」
「ううん、なんでもない」
イリーナの笑顔が写る。この楽しい時間をダメにしちゃいけない。私はイリーナの元に走った。
―夕方―
「楽しかったですね、ニッポンは面白いところです。沙希はどうですか? 久しぶりの日本は」
「うん。イリーナが楽しそうだったから、私も楽しかった」
ホテルの部屋で、イリーナの浴衣の着付けをしながら、今日の事を思い出しあう。
「それにしても、本当にこれで合っているのですか? 少しひらひら過ぎでは?」
実は、私にもよくわからない。だって仕方ない。こっちに住んでいても着物を着る機会なんてあまりなかった。それに私自身不器用なところがあるから、自信がなかった。
「た、多分大丈夫」
「うーん。沙希がそういうなら構いませんが」
右の袖を上に、帯は後ろ。上から上着を羽織って完成。下着は付けて良かったっけ。イリーナの場合、イギリスの人のせいか他の人よりも胸が大きくて、谷間になった部分が見え隠れしているけど。
イリーナと一緒に椅子に腰掛ける。
「ええ、もうすぐですね。私たちの晴れ舞台」
FCの話だ。
「……はい」
FCの話をするときの私とイリーナは単なる友人じゃない。選手とセコンド。信頼しあう二人で一人の仲となる。お互いに敬語になるのは気持ちの切り替えをするためだ。
「空がまだ朱いですね。5月になりましたから、日が射す時間も増えてくるでしょう」
「はい」
窓ガラス越しに写る朱い空は私が昔見た空と同じ色をしていた。昼の蒼は無限の色。夕日の朱は刹那の色。私たちは無限の可能性を求めて飛ぶ。
「思い出しますか? 空に興味を抱いた日のことを」
お昼のどこまでも無限に続くかと思えた蒼。生まれ故郷の四島列島で空に目覚めた日のこと。
翠色のコントレイルを描く綺麗な子。綺麗な姿勢と、別次元の強さ。憧れた各務葵という選手の唯一の教え子。あの頃の私は空を飛ぶこともできなくて、綺麗に空を飛ぶあの子は別の世界の人間のように思えた。正直、絶対に届かない、そう諦めていた。
そんな暗い思いをしていた頃。初めて空に連れて行ってくれた子と出会った。空の色が今と同じ朱になるくらいまで飛び続けたあの日。乾ききりそうになった空への思いがこみ上げてきて私は空への思いを、強く持った。それからイリーナと出会ったんだ。イリーナが立派な翼を私に与えてくれた。だから私はイリーナのために飛ぶ。
「はい。私たちは絶対に、負けない」
「ええ、それでは温泉に行きましょう。もうすぐ四島へと行く準備を整えなければいけません」
連休が終われば、本格的に練習ばかりになる。束の間のひとときを今は楽しもう。
――ただ
「きゃぁっ!」
「イリーナ、大丈夫?」
イリーナが浴衣の裾に躓いて怪我をしないかということだけが心配だ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
誰もいない夜の練習場。人目がないことを確認して僕はグラシュを履く。
「バランサー解除」
真藤先輩は結局、あの後追求しなかった。どうしてか分からない。ただ、それで何もなくなった訳じゃない。僕の中にはもやりとした不安が残っていた。
ここに着たのは不快なその靄を抜くため。ただ飛ぶだけだと発散できない。
いつも通りの浮遊感の後、全身を襲う渦のような力。嵐にでも巻き込まれたような衝撃。これらを制した先にあるのがグラシュの頂点。かつてないほどの加速とスピ―ド、そして自在に動く旋回だ。
紺色の夜空に朱のコントレイルを描く。
自己嫌悪に陥ったときはいつもこうしていた。本気で空を飛ぶことだけに集中できる。他の事なんて考えなくていいからだ。そうすれば、雑な思考も、不快な感情も、忘れられる。
(まるで、麻薬だな)
一通り飛んで、地上に降りる。汗を吸ったシャツが海風に煽られて少々寒い。このままだと風邪を引く。誰もいないことをいいことに、その場でジャージに着替える。
直後後ろからパシャリというシャッター音が聞こえた。
「…………」
空耳であってほしい。
チラリと音源を辿ると一本松の陰からはみ出す金髪の髪が見えた。
「…………ッス」
どうやら隠れ通す気、らしい。
「みーたーなー!」
「わぁぁぁああああッス!」
1分後。
「久奈浜学院一年、マスコミ志望の保坂実ッス!」
子猫のように捕まった女の子は敬礼の形を取りながら名乗りを上げた。
「どうして、久奈浜の子がここにいるんだ?」
「やだなー。自分、マスコミ志望なんで、強豪高藤への潜入取材を……」
「素直でよろしい」
「あり? 怒らないんスか?」
男の裸に需要はないから別にいい。言い訳してたらカメラを没収してたけど。
「やんちゃができるのは学生の時だけだからね」
「うーん。特定の女子にあげれば喜びそうな引き締まった体してるんスけどねー」
「やめれ」
そういう人たちの存在は認めるけど、こちらにその視線を向けないで。
「あーそうです! 自分、真藤一成選手から高藤取材の許可を頂いてまして、よろしければここで少し取材してもいいッスか?」
「唐突だね」
「情報収集は勢いと雰囲気というのが自分のウリっす!」
勢いで雰囲気をぶち壊しているのが現実だ。
「……じゃあさっきの写真を削除するのを条件に入れて」
「了解ッス! 自分も盗撮で信頼を失いたくないんで!」
一言余計だ。
「じゃあ、盗撮バラされたくなかったら今すぐさっきの写真削除しやがれ☆」
「柔らかな微笑みと口調でキツいことをいう人ですねー。ちなみに、自分、情報と等価交換というのやっているッス! こちらの情報で欲しいモノがあったら同じくらいの情報で取り引きしてるッス!」
「あこぎな商売……」
「金銭のやり取りはしてないんでかなり良心的ッス」
いや、それでもかなり反社会的だ。もしや、四島列島七不思議「黒歴史を握る美人保健教師」の情報源はこの子か?
とにかく、この子に情報を伝えるのは実に危ない――――――
――――けど、面白そうだ。
「それじゃあ、早速取材をさせて貰うッス。最初に自己紹介と一言お願いします」
「自己紹介はいいよ。悪目立ちするの嫌いなんだ」
他人に名前を知られる事に対して敏感になるのはこの際仕方ないか。
「ほえ? できれば名前だけでも教えて欲しいんですが」
「じゃあ、秋月朱」
「秋月、朱選手……じゃあ早速、今度の久奈浜との合同合宿について、どのように思いますか?」
「他の部員ともども、初めての交流相手なのでどんな選手がいるのか楽しみにしています」
市ノ瀬さんに聞かれた後に考えた模範解答である。
「なんか、無難すぎる回答ですね」
だよね。
「えーと、じゃあ秋月選手が一目置いている選手を教えてください」
一気に興味をなくしたような言い方になった。なるほど、面白味のある回答が欲しいのか。
「各務葵の愛弟子、かな」
「な、なな何ですか!? その情報!」
おお。食いついた食いついた。
「え? 知らないの?」
ジラす。案の定、血気盛んな目を向けてきた。
「そんな情報今まで聞いてないッス! 自分、各務先生が選手だったことは知っていましたが」
「じゃあこの情報かなりレアなんだなー。教えない方がいっかなー」
「うわぁー! 是非少しでいいんで教えて欲しいッス! お願いしまッス!」
慌てふためいてこっちに関心を寄せる。この好奇心を押さえられない顔を見るのが実に心地よい。
性格悪いな。
まぁ、彼の実名だけは伏せておこう。せめてもの情けだ。
「今となっては名前も忘れたけど、当時その子は『飛翔姫』と呼ばれていたよ」
「飛翔姫……空を飛ぶお姫様……姫ってことは女の子だったんですか?」
「長い髪と綺麗な顔立ち。男でも女でも可愛い部類にはいるんじゃないかな。圧倒的な実力で、優勝トロフィーを総なめしていた麒麟児。なのにある日、伝説のまま突然引退したんだ」
嘘は言っていない。断じてお姫様が女の子だとは一言たりとも言っていない。
「ほえー! 自分たちと同じ世代にそんな凄腕の人がいたとは」
「当時FCをする選手は誰もがその子に憧れていたといってもいいくらいだったよ」
「へぇー! じゃあ秋月選手も憧れていたんですか?」
「まぁね。他を寄せ付けない圧倒的な速さと複雑な戦術を可能にする技術。新しい世界を切り開いているという言葉がぴったりの子だったからね」
話している人物とはもうすぐ再会ができそうなのは秘密だ。
その後も取材は少しだけ続いた。
次の日。
「ふぁあ~」
「先輩、寝不足ですか?」
「うーん、まぁそんなところ」
先方の学校がこちらに向かっているという連絡が入ったので部員たちが集まって出迎えの準備をしている。
「今日の合宿が楽しみで眠れなかったという所でしょうか?」
「うーん、まぁそんなところ」
麗子院さんだ。
「全く、しゃっきとしてください! これから先方の学校の方がくるのですから、ほら今の内に『佐藤水産朝のカルシウムセット』で頭を覚ましてください」
「うーん。まぁそんなところ」
…………。
「……この人寝てますわ!」
「条件反射で同じ返事ばかりしてます!」
「頭より先に目を覚まさせないと!」
肩を掴む感触と一緒に前後にガクガク振られ、ようやく意識が戻る。
「おはよう、ございます」
「まったく、はい。牛乳とトビウオの煮干しですわ」
「ああ、ありがとう」
「佐藤院先輩がお姉さん状態に……」
うん。目が覚めた。貰ったモノを一通り食べ終えて、麗子院さんに感謝のお祈りをする。
「まだ、寝ぼけているようですわね……」
「トビウオは四島列島の血であり肉。つまりアゴダシを作る佐藤グル―プの商品を食すると言うことは四島列島の住民となる第一歩なのです」
「そ、その発想はありませんでしたわ! なるほど、我が佐藤グル―プは四島の方にとっては肉そのもの! それを元に新たな商品を……」
「佐藤院先輩、秋月先輩、学校の方お見えになったみたいですよ」
市ノ瀬さんの言葉で茶番を終える。
降りてきた7人の姿が見えた。
先頭に立つ男。やはり見間違えることはない。
彼はこの世界に帰ってきたのだ。
<裏話および補足>
今回は原作前の話の伏線回収回。
最終回で乾とイリーナのファンが増えてくれると信じていたので少し早いですが登場させました。イリーナのはしゃぎっぷりはドラマCDを参考にしてます。
飛翔姫…原作での日向晶也の異名。説明今更。
お気に入り数が120を超えていてビックリしました。
登録していただいた方。感想、応援をくださった方。様々な評価をくださった方。
皆様ありがとうございます。この場を借りてお礼申し上げます。
蒼の彼方のフォーリズム -TWEI-の発表、うれしい限りでございます。
公式乾ルートキタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!とはしゃいでいました。
さて、この作品は今まで通りの予定で続けさせていただきます。その経緯などは割烹の方に記させてもらいましたので興味のある方はそちらをご覧ください。
未熟者ですが、これからもこの作品を書き続けていきますので改めてよろしくお願いします。
楽しんでいただけるよう頑張ります。