さて、熊谷真尋とはどういった人物なのか。箒は思案する。
身内贔屓も入るが、人外の域にある技を持つ父と、その友人達。そんな彼らを片手間で張り倒し、人の極致に至る肉体。そして、おおよそ傷付ける術があるのか怪しい精神。
語る者が居るなら、〝ブリュンヒルデ〟織斑千冬と並ぶ、この星が産んだ理不尽と語るだろう。
「婆様じゃないのー?」
「そうよー、婆様じゃないのよー」
「じゃあ誰?」
「真琴のお母さんよー」
「母様の母様……、……大母様?」
その星が産んだ理不尽の胸に、ラウラが埋まった。目にも止まらぬ速度で、真尋が抱き締め、その胸にラウラが埋まった。
「もう、なにこの子。カワイイ……!」
何というか、スゴい光景だなと、箒は思う。背丈は娘の真琴の方だが、胸囲は母の真尋が勝る。
つまり、真琴でも埋まらなかったラウラが、真尋だと埋まるのだ。
んもんも言って、バタバタもがくラウラを、真尋は満面の笑みで抱き締める。
「本当、なにこの可愛さ……!」
「うももも……」
抱き締める真尋、もがくラウラ。じたばたと足掻いて、真尋の胸から顔を出す。
「ぷへ……」
「あらあらあら、もう、本当にうちの子にしちゃおうかしら」
ラウラを取り戻そうと、真琴が手を伸ばすが、何故かどういう動きなのか、その手はラウラどころか、真尋にすら届かない。
ただラウラを抱き締めて、愛でているだけにしか見えないのに、一体どういう動きだ。箒は疑問するが、相手は熊谷真尋。こちらの常識は通用しない。
「御義母様、そろそろ」
「あら、そうね。じゃあ、晩御飯にしましょう」
抱いていたラウラを、気づけば真琴に預け、真尋は盆に硝子の器を乗せて、ポーズまで決めていた。
意味が分からない。
「今日は暑いから素麺よ。めんつゆは和風、中華風ね。あ、薬味も色々あるわよー」
氷水に浮かぶ素麺に満たされた器、更に各種薬味が乗った盆を持ちながら、その場でくるりと回る。
ただそれだけなのだが、山と盛られた薬味はおろか、氷水にめんつゆすら、器から一滴も溢れていない。
昔に箒が聞いたところ本人曰く、熊谷なら出来て当たり前らしいが、真琴が同じ様な事が出来ていたところを見た事が無い。
「錦糸玉子にきゅうり、葱、生姜、山葵、海苔、椎茸の甘煮、あ、紫蘇に胡麻。中華風は叉焼、煮玉子、メンマにキクラゲ、変わり種に小エビ、胡麻油に辣油はどうかしら?」
テーブルに積まれていく量は、明らかに四人分ではない。まさしく山となった素麺が、大量の薬味と共に、テーブルを占拠する様は圧巻だが、熊谷家では当たり前の光景だ。
「それで? 学校はどうなの? この子ったら、また本の中に埋もれて過ごしてない?」
「…母…さん…ちょっと……」
「あなたは昔から、何かあったらお父さんに、新しい本をねだって……。せっかくの私譲りの体も、宝の持ち腐れに、箒さんがいなかったら、どうなっていたか」
「ははは、御義母様。真琴なら心配無用です。私にラウラ、他にも真琴を一人にする者が居ない」
フォークで素麺を手繰り、口に運ぶラウラの頭を撫でれば、きょとんとした顔でラウラが見上げる。
器には叉焼とキクラゲ、どうやらラウラが選んだのは、中華風というよりは、醤油ベースの冷やし中華のタレ。
だが、味は醤油が強いので素麺によく合う。
小エビに叉焼に玉子、薬味の山にラウラもご機嫌でフォークを手繰っていく。
箒も鰹出汁ベースのめんつゆに、葱に海苔生姜に椎茸と入れ、素麺を束と箸で掴み取り、勢いよく啜る。
「箒、スゴいな」
まだ麺を上手く啜れないラウラが、箒に憧れに似た視線を向ける。真似をして素麺を啜るが、どうにも上手くいかず、結局フォークでスパゲッティの様に手繰る。
中々上手くいかないラウラを、微笑みながら箒は次の素麺へと、箸を伸ばす。だが、見れば素麺の山が一つ消えている。
「あのね、真琴。あなたがお父さん似で、そういうのが苦手なのは分かるわ。けど、それならそれなりの道を選びなさい」
「う……でも…選ばれ……たから…」
「真琴、あなたのやりたい事をやりなさいな」
真面目な話をしながら、素麺の山が見る見る間に減っていく。というより、消えていく。
あっという間に、空になった器。そして、再び満たされる大量の素麺。白い山が盛られては削られ、削られては盛られを繰り返し、山が尽きる気配が無い。
「あなたの人生、やりたい様にちゃんと生きなさいな。それはそうと、あなたが居ると減りが早くて助かるわー。ほら、頂き物の素麺二箱目よー」
真面目な話をしながら、箸は止めない。熊谷家は代々健啖家で、中でも真尋真琴親子は飛び抜けているらしい。
箒が次は紫蘇でもと、薬味皿に箸を伸ばす。その間にも、素麺の山は削られていく。
「そう言えば、そろそろ学園祭に、何とかってレースでしょ? 大丈夫なの?」
素麺を追加しながら真尋が問えば、真尋が頷く。まあ、大丈夫だろうと、箒も同様に頷く。
何があっても、何時もの通りに騒ぐだけだ。
「大丈夫です。何時も通りですよ」
「あら、そうなの?」
「そう……」
真尋は少し思案した様子で、新しく入れ直しためんつゆに山葵を落とす。
嘘を吐いても益はない。事実、事故が起きた等の話は聞いていない。ならば、子を信じるのも親の役目か。
「なら、今度見に行きましょう」
「…え……」
「あらあら、真琴。何か見られたら困るものでもあるの? あるのね?」
「…な…何……で確定……」
「あなたの親だからよー」
不純異性交遊は、この娘の性格から有り得ない。では同性は、まあ、箒の性格上有り得ない。
食費は学園持ちだとすると、隠しそうな事は一つだ。
「真琴、あなた今週だけで何冊買ったの?」
さっと、顔ごと目を逸らす真琴。さて、この反応の場合は、一冊二冊ではない。箒を見れば、くつくつと笑いを堪えている。
この反応は成る程、つまり十はいっている。
「真琴?」
「…………」
震えだした。この本好きは、一体誰の影響だろうか。間違いなく、夫の影響。
さてさて、どうするか。
「母様、いっぱい本買ってた」
「…ラ……ラウラ……」
「リュックいっぱいに買ってた。私も買った」
まさかのラウラの裏切りに、真琴が慌て出す。
「あらあら、真琴。本を買ってもいいけど、買いすぎるなって、言ったわよね?」
「…うぅ……」
きょとんとした顔で見上げるラウラ、とうとう限界がきたのか吹き出す箒。
震えながら、真琴が臨戦態勢に入る。しかし、抵抗は無意味で、瞬時に無力化される。
「さて、真琴。正直に言いなさい、何冊買ったの?」
「ううぅ……」
「十? いや、二十ね。買いすぎよ」
デコピンの音が響き渡る、そんな夕食だった。