季節は巡って春が来た。春と言えばスキマおばさんの冬眠時期が終わる頃。しかし、スキマおばさんは僕の為と言って冬の間も無理矢理起きているのだが、そうすると唐突に恐ろしいタイミングで寝始めるので僕としては大人しく冬眠してくれた方がありがたい。最近では食べ始めた鍋に頭を突っ込むと言うのがあった。おばさんの出汁など誰得なのだろうか?
僕はそんなことがある度にスキマおばさんを引きずって布団まで運ばなくてはいけないので、まだ小学生である僕にはかなりの重労働だ。介護生活とはこんな感じなのだろうとそう思いながら、もう何年目にもなるこの行事に慣れた自分に少し嫌気が差したのは内緒だ。だがそれは置いておいて、冬が終わって覇気の戻り始めたスキマおばさんが桜を見に行こうと僕に言い出したのだ。
「とっておきの場所があるのよ」
そう自慢げに語るスキマおばさんは、彼女お得意のスキマ移動でそのとっておきの場所とやらに僕を連れて行った。そこは神社だった。主観ではあるが、普通に神社より少しだけ広い。そんな神社には人の気配は全く感じられないが、しかし誰もいないと言うわけではなさそうで、その証拠に視線から申し訳なさげに映る縁側は掃除されたばかりのようで、太陽の光を反射するほどに曇り一つ無かった。
「安心して。今日、ここの住人は私が追いやったから」
なんとも横暴だが、人目が好きではない僕としてはありがたい。それから僕たちは桜の下に小さな敷き布を引いて、その上に腰を降ろした。そこに並べられたのは色鮮やかに料理が陳列されている層と、黒一色に染められ今にも焦げだ臭いが漂って来そうな二つの層に別れた弁当箱だった。僕とスキマおばさんの二人で作った弁当だが、どちらがどちらを担当したのかは言うまでもない。全ての準備が整った時、ふとスキマおばさんは僕に一つの杯を渡した。その中には何もないようにさえ思える透明な液体が鎮座していた。
「……僕、未成年なんだけど」
僕はジト目で視線を向ける。
「ええ。でもここにそんな規則は存在しないわ。全ては幻想となり消えて行く。夢幻となってしまうのだから」
それを聞いた僕はそっと彼女から杯を受け取った。スキマおばさんはそれを満足そうに眺めた後、ゆったりと自分の杯を持ち上げた。
スキマおばさんは酒好きだ。
小学生である僕には勿論友達がいる。それはクラスメイトの中にもいるし、サッカースクールの中にもいる。だからと言うわけでもないが、僕は昔からある一つの疑問をスキマおばさんへと投げ掛けた。
「紫って友達いるの?」
僕は春休みの宿題をしている途中で、同じ机に座るスキマおばさんへと尋ねた。
「…………まるで私に友達がいないと思ってるような口ぶりね」
当たりだ。
「失礼ね。勿論いるわよ」
そう自信満々に返答する彼女は新学期、僕が小学校で使うであろう
「へぇ~意外。どんな人なの?」
「そうね。随分とおっとりとした娘よ。
「じゃあ偉い人なの?」
「う~ん、ちゃんと従者がいる所を見ると偉いんじゃないかしら?」
さすがは自称幻想郷の賢者。そんな人と友達(真実ならば)だとは。そんな感想を頭に浮かべた後、僕はちらりとスキマおばさんの手元を見た。
「ねぇ紫」
「何?」
「代わろうか?」
「…………余計なお世話よ」
それから春休みの明け、僕が学校に持って行った雑巾を見て、担任の先生が目を回し、気絶するのはまた別の話である。
スキマおばさんは頑固者だ。
僕がサッカースクールから帰ったある日、スキマおばさんがリビングで倒れていた。それは無様にそして見事に。訳を聞くと、どうやらソファーを動かそうとしてぎっくり腰になったらしい。
「若い人でもぎっくり腰になるのよ!そう!これはちょっとした事故よ!決して年をとったからではないわ!」
とは彼女の言い分だ。僕は呆れながらも慣れた手つきで彼女を引きずって布団に寝かす。それからスキマおばさんの横に座り、彼女の腰を丁寧に
「…………側にいてくれるの?」
「一応は僕の母親だからね」
「………………そう」
スキマおばさんは一言そう呟いた後、しばらく間を置いて、
「ならこっちに来てギュとさせて、それで治るわ」
そんなお願いをしてきた。僕は一つ溜め息を吐いて、スキマおばさんの正面に周り、横向きに寝転がった彼女の腕に割り込む形で潜り込んだ。衣服越しに伝わる温もりが、胸から響く鼓動が僕の体内に染み渡る。
「ふふっ」
僕の頭を胸に抱え込んだ彼女から小さな笑みが溢れる。
「……何の笑い?」
「ゆ~え~つ~」
難しい言葉で僕にはその意味は分からなかったが、何やら嬉しそうなのでそっと黙って彼女の腕に抱かれ続けた。
それからスキマおばさんのぎっくり腰が治って一週間。またもや彼女はぎっくり腰と言う、もはや呪いにさえ思える事態を抱えるのだが、
「違うの!これは未確認生命体による攻撃よ!」
とは彼女の言い分である。
スキマおばさんは年寄りだ。
新学期明け、小学生に待ち受けているのは遠足と言う、もはやよく聞き慣れた行事だ。それは最終学年の僕にも例外無く訪れる。
「ちゃんとお弁当は持った?ハンカチは?」
「持ってるよ」
とスキマおばさんと玄関でそんなやり取りをしばらくした後、僕は学校に行き、そこからバスを経由してとある山にたどり着いた。決められたスケジュールに従い、友人と談笑しながら順調に頂上との距離が縮める。そしてちょうど太陽が真上に昇った頃、僕たちはお昼の休憩に入った。そこは激しく川が流れる見晴らしのいい場所だった。僕は友達と木陰のあるスペースを陣取った後、昼食をとるために弁当箱を開けた。するとそこにはーー
ーー見慣れたスキマおばさんの顔があった。
僕は過去最高速の反射神経で弁当箱を閉じた。どうしたのかと友達に訝しみの視線を向けられたが、今はそれどころではない。まさか弁当箱を開けたらスキマ越しに覗かせた母親の顔が現れるなど思いもしなかった。僕は友達に一言言ってから、川岸に向かいそれから再び弁当箱を開けて中を見る。そこには変わらず笑顔で僕を見るスキマおばさんの顔があった。
「…………紫、何してるの?」
「ふふっ、貴方が心配だったのよ。はいお弁当」
そうして僕の手に収まっている弁当箱から真っ白な手が延びて一つの風呂敷を差し出してきた。
「……………………………。」
僕は無言でそれを受け取った後ーー
ーースキマおばさんが入っている弁当箱を川へと突っ込んだ。
「透?何してってギャャャャャ!」
ちなみに受け取った弁当箱の中身は全て真っ黒だった。
スキマおばさんはストーカーだ。
僕の家、いわば八雲家は新聞をとっている。毎日届けられる新聞をスキマおばさんは決まって昼の落ち着いた時間帯に読む。大体、三十分ほどかけて読み終えた新聞は、やがて窓磨きや靴の湿気を取るために使われる。それが印刷された活字たちが役目を終えた先に向かう墓場だった。一度だけそんな新聞の話題になったことがある。
「新聞なんてろくなものではないわ。偽造や誇張なんて当たり前。貴方も騙されないようにね」
まるで言い聞かせるような彼女の口ぶりに僕は頷く形で了承した。
「幻想郷にも『
僕はスキマおばさんにここまで言わせるその『
スキマおばさんはマスコミに厳しい。
「紫って威厳がないよね」
それは布団の中で溢した僕の本音だった。そんなうっかり事をしでかしたのは、寝むる直前に僕の気持ちが緩んでいたからかもしれない。
「……あらそう?」
「うん。なんかオレオレ詐欺に引っ掛かりそう」
僕の素直な感想に不満を覚えたのか、紫は仰向けにしていた姿勢を横たわるように変えて、ブスッとした目で僕を見てきた。
「そんなことはないわ。私、幻想郷ではカリスマ的な格好いいイメージなんだから」
「ハッ」
あり得ない妄言を思わず鼻で笑い飛ばした。
「なっ!今貴方、鼻で笑ったわね!お仕置きよ!」
「いにゃ!」
スキマおばさんはそう言って僕を力強く抱き締めてきた。そんな
スキマおばさんは嘘つきだ。
『幻想郷』と言う言葉は僕に馴染みがあった。それはスキマおばさんがよくその土地について話してくれるからだ。その話を聞いているうちに、僕はその土地『幻想郷』に興味を持っていた。幼少期から母親から聞かされているのだ。興味を持たないと言う方がおかしな話だ。だから僕は夏休みと言う長期休暇にこう切り出した。
「幻想郷をこの目で見たい」
スキマおばさんはしばらく悩んだもののそれを了承し、優しい顔で僕へと提案した。
「じゃあ一緒にいきましょうか」
しかしそれは僕の望んだものではなかった。だから口を開いて異を唱える。
「一人で見て回りたいんだ」
僕のその言葉を聞いたスキマおばさんは、一瞬だけ目を見開いてから目尻に皺を寄せて、いつもより低い声で僕を
「駄目よ。貴方には話したかもしれないけど幻想郷は『幻想』を生かすために創られた場所。だからあそこでの人間の役割はその糧となること。そんな場所に貴方を一人で行かせられないわ。ましてや貴方はまだ小学生六年生。下手をしたら一瞬で死ぬわよ」
普段とは違う雰囲気が彼女の周囲に纏う。一気に空気が重くなり、息をするのが苦しくなる。それは一つの土地を管理する大妖怪の姿。そして子供を叱る一人の母親の姿だった。だけどここで引き下がる訳にはいかなかった。
なぜなら幻想郷は『紫が僕よりも愛している場所』かもしれないからだ。
「…………大丈夫だよ紫。だって僕は『幻想郷の賢者 八雲紫』の一人息子なんだから」
食い下がるものかと発した僕のその言葉を聞いて、紫は呆気に取られたように口をポカンと開け、それから目を細めて僕を見た。
「………………ふぅ、全く」
彼女は何やらボソリと呟いた後にスキマから取り出した扇子を開いて顔を隠した。そうしてそのまま空いた片方の手を僕の頭に置いた。
「………………分かったわ。可愛い子には旅をさせろと言うものね」
そして次の瞬間、体の中に何やら熱いものが生まれるのを感じた。突然の出来事に混乱していると彼女は僕を落ち着かせるように、そのまま頭を一撫でしてから手を離した。
「昔、高名な退魔師は自分より格下の妖怪を使役していた。これはその応用よ。
今、貴方は私と対等な契約を結んだ人間。私の力の約九十パーセントを引き出せるわ。これならたとえ吸血鬼やヘタな神が襲って来ようが十分に対処できるはずよ」
それから紫は顔から扇子を外して微笑んだ。
「
そう言って彼女は自身の横に大きなスキマを作った。それは僕の旅の入り口だと、言われなくても分かる。きっとこの先には僕の母親が大切にしている場所がある。やっとそこに行けるんだ。
「行ってくるよ
「ええ、いってらっしゃい。私の
それから僕はスキマへと消えた。
スキマおばさんはやっぱり僕の母親だ。
紫は既に何も無くなったその場所を見つめる。その目はどこか遠くを覗き込んでいるように感じられる。
「まさかこの歳で屈指の大妖怪である私が出した、本気の脅しにも屈しないなんてね。我が子ながら末恐ろしいわ全く」
紫は一つ溜め息を吐いて手に持っていた扇子をスキマの中へと放り込む。
「…………いえ違うわね」
紫は少しだけ空いた空間を見た後、先程発した自身の言葉を否定した。
「流石は貴方の子と言うべきかしらーー」
ーーねぇ霊夢。
紫は既にこの世にいない人物へとそう尋ねる。当たり前ながら、それに対する言葉は返ってこない。ただ風が障害物に当たり、かすれる音が耳に届くだけだ。そこで紫の口が歪んで曲がった。
「…………透にこんな表情は見せられないわね、やっぱり」
またもや紫は溜め息を吐いて、それからあの時の事を思い出す。それは博麗の任を全うした霊夢が、誰も知らない山奥で一人の子を生んだ時の事だ。
「…………はぁはぁ、名前は『
「霊夢!ちょっと霊夢!しっかりしなさい!」
「…………ねぇ紫。この子は貴方が育てて。父親も死んでしまったこの子には親が必要なの」
「ちょっと、霊夢!」
「お願い紫。貴方が、貴方が
いつの間にか閉じていた目をゆっくりと開ける。未だに自分の
「ほんと貴方に似て博麗の巫女らしい子に育ったわよ」
紫はこれからどんどん霊夢に似ていく透の姿を見て、彼女に嫉妬をするだろう。
「でも、それでも今のあの子の母親はーー」
スキマおばさんは
・幻想郷の住人は紫以外、霊夢に子供がいることを知りません。
説明不足な気がしたので一応書きました。
『おまけ』
「ち、ちょっと紫様!急に料理なんか練習し始めて、何があったんですか!?」
「黙りなさい藍!いつか『お母さんの料理おいしい!毎日食べたい!』って言わせてみせるんだから!あっ鍋が爆発した……」
「紫様ぁぁぁあぁぁああぁぁ!?」