リュウとエヴァンジェリンが塔の外へ出て行った後、部屋に残ったのはディースとボッシュ、そしてチャチャゼロである。ディースは良い話し相手だった二人が居なくなってしまったので、ぐでーっとテーブルに突っ伏していた。
「暇ねぇ〜」
「姉さんよぉ、相棒とあの嬢ちゃんの戦いは見に行かねーのかい?」
「何もさぁ、こんな場所で戦わなくてもいいじゃない。興味ないわねぇ」
欲望にはそれなりに正直に。生来自堕落一直線なディース。エヴァンジェリンのように、力を測りたいからという理由で戦いをふっかけるような真似は好かないのだ。
「そうかい。じゃあ俺っちは見物してこようかねぇ」
「ソレヨリオ前、俺ト遊バネーカ? ナカナカ刻ミ甲斐ガアリソウダ」
「けっ、俺っちにゃ人形と遊ぶ趣味はねぇよ」
チャチャゼロからの物騒なデートのお誘いを蹴り、ボッシュはリュウ達を追って客室から出ていこうとしている。そうすると後に残るのはグダグダしているディースだけだ。なのでチャチャゼロは、暇つぶしにディースにこんな事を言い出した。
「詰マラネェナァ。アアソウダ。でぃーすハ、昔ノアレカラ料理ノ方ハ上達シタノカ?」
「お、おい人形てめ、余計な事を言うんじゃ……」
不吉な単語を耳にしたボッシュが咄嗟に止めようとするがもう遅い。チャチャゼロの言葉にディースはきらりと鋭い反応を示した。ガバっと上体を起こし、不敵な笑みを見せる。
「それはあたしに対する挑戦って事ね? いいわよチャチャゼロ。この数百年、毎日のように研鑚を積んできたあたしの料理の腕前、とくと見るがいいわ! キッチンに案内しなさい!」
「ホホウ、ソイツハ楽シミダナ」
「……俺っちどうなっても知らねぇぞ」
こうして、表で行われている異種族魔法格闘戦の裏で、プライドを掛けた静かなる料理勝負が始まろうとしていた。
~エヴァの塔中腹、キッチン~
「さてチャチャゼロ。この冷蔵庫の中身全部使っていいのよね?」
「構ワネェヨ」
「よしよし。で、お題は? 何かリクエストはないの?」
「ソウダナ、俺ハ食エナイガ“スパゲティナポリタン”ッテノガイイ。血ヲブチマケタヨーダカラナ」
「ふふん、スパゲティね。簡単じゃない。見てなさい。腰抜かす程のすんばらしいスパゲティに仕上げて見せるわ!」
エプロンを着て、分不相応なコック帽を被り、包丁片手にグッと拳を握り締めるディース。見た目は普通だがこれより先、チャチャゼロは驚異の展開を目の当たりにする……。
その一、材料集め
「ふんふーん……あ、あった! これよねパスタ! うんうん、小麦のいい匂いがするわ」
「ドー見テモ“ウドン”ダケドナソレ」
「何よ。同じ小麦じゃない。何が問題なのさ」
「……」
戸棚を漁り、一番手前にあったという理由でその袋の中身を使うことに決めるディース。使用されている素材が同じなら、出来上がる味も食感もほとんど同じ筈。なるほど、全く無理のない理論である。
「後は……っと……あ、あったこれこれ。ナポリタンと言えばトマトよねトマト!」
「ソレハ熟シタ柿ダゾ」
「何言ってんのよ、よく見なさい。ホラ色も形も同じでしょ。これはトマトなの。私が今そう決めたの」
「……」
冷蔵庫の野菜室から取り出したのは、ディース曰くトマト。ナポリタンを作る上での必要材料の選出において、この判断は誰もが頷く正解だ。何しろトマトも果物であるし、柿も果物だ。色も見た目もそっくりならば、味だって同じはず。先程のパスタと同様、一分の隙も見当たらない完璧な理論である。
「んーとあとは……色合い的に緑も欲しいわね……ってあれ? これってキュウリ? 何か萎びてるけど……」
「ソレハ御主人ノ好キナ漬物ダナ」
「ふーん、よくわからないけど、キティが好きならきっと美味しいのよね? それならこれも入れちゃいましょう」
「……」
一見すると不可思議に思えるチョイスだが、そこにもディースの思慮の深さが垣間見える。あのエヴァンジェリンが好んで食する物であるなら、スパゲティに混ぜればさらなる味の昇華が期待できるだろう。ディースの目に狂いなし。数百年積み重ねた経験は伊達ではないのだ。
「そうそう、キノコも必要よね! えっとキノコキノコ……と……あった!」
「見事ナ紫色ダナ」
「大丈夫、前に図鑑で見たことある気がするわ。確か毒じゃなかった筈よ。あたしの記憶が確かなら」
「……」
見るからに毒々しい紫色なのは、毒と思わせて外敵から身を守るための正当な進化である。ディースは一目でそのキノコの正体までをも見破ったのだ。食材選びに進化論まで持ち出してくるとは流石は稀代の大魔道士。その分析力には脱帽せざるを得ない。
「さて、まぁこんだけあれば大丈夫でしょ。そんじゃ張り切っていってみましょー!」
その二、調理
「ナポリタンはね、パスタを茹でてる間に絡めるソースを作っておくのがコツなのよ」
「ホー」
「じゃあまずはパスタを茹でてっと……」
鍋にたっぷりの水を注ぎ、火に掛けて沸騰させる。誰もが苦戦し失敗しまくるであろう難しい手順を、何ら無駄なく行うディース。さりげない動作にも培ってきた経験が活かされているのだ。
(流石ニ湯ニウドンヲブチ込ムダケダカラナ……)
「そうそう、お湯には塩を一つまみ入れるのが常識ね!」
「ア」
「何よ、そのアって」
「イヤ……今入レタソレハ砂糖ノ瓶ダゾ」
なんということか。天才料理人ディース痛恨のミス発覚。どうも砂糖と塩を間違えて入れてしまったらしい。熟練の料理人でさえ幾度となく引っかかるであろうこの憎い落とし穴に、流石のディース様もうっかり嵌ってしまったようだ。
「う……ま、まぁ大丈夫。こっちの瓶はちゃんと塩みたいだから、多めに入れて誤魔化しましょう」
「……」
ザバッと一摘みどころか計量カップ一杯の塩を投入するディース。甘さをより強い塩辛さで誤魔化す。何という冷静で的確な判断力か。こんな超技術を真似出来る料理人は、世界でも数えるくらいしかいないだろう。
「さてそしたら茹でてる間に、さっき切った材料を炒めて……ってあら? 油がないわね」
「切ラシテルンジャネーカ?」
「ふふん、でも大丈夫。この大魔道士ディース様は、空気中から“あぶら”を合成する魔法を会得しているのよ。ん〜……はぁっ!」
「……」
自前で油を生成出来る。料理に欠かす事の出来ない素材を自分の手で生み出せるというその魔術的な技法には、どんな料亭の総料理長だろうと感服するしかない。そう、例えその結果生み出された油の量が桁違いだろうとも、何一つ問題はないのである。
「油ガふらいぱんノ半分以上ヲ埋メテルナ」
「……大丈夫よ。ちょっとくらい油分多めの方が美味しいって聞くし。じゃあ火も着いたし、パスタを茹でてる間にちゃっちゃと炒めちゃいましょー」
あくまでうどんをパスタと言い張るこの強引さ。今の若者には足りない力強さだ。是非とも見習う必要があるだろう。そして、炒めるどころか油の中に埋没している各種具材達。侮っては行けない。優雅に泳がせるこれこそ、ディース流料理術の真髄なのだ。
「コレハ揚ゲ物ッテ言ウンジャネーノカ?」
「な、何言ってんのよ炒めてるに決まってんじゃない。…………さ、さーて、いい感じの色になってきたわねぇ」
「マァ俺ハ食エナイカライイケドナ」
そして本人曰くいい感じに具を炒めた所で、取り出したのは先程潰しておいたトマト(仮)。やはりナポリタンの主役といえばその情熱的な赤さを引き出すトマトだ。彼女の選択に何一つ間違いはない。あるはずがないのだ。
「んじゃあここに、潰したトマトを投入〜」
「ヤケニ甘ソウナ匂イダナ」
「そうね〜確かに。じゃあしょうがない、も少し塩を入れましょう。ドバっとね」
「……」
繰り返すが彼女の選択に間違いはない。火を消すのに最適なのは水を掛ける事であるように、甘さを消すには塩辛さを持ってすれば容易いのだ。全く持って涙が出るほど正しい選択だ。
「さーてここで隠し味。こんなこともあろうかと、この前手に入れた特製のスパイスがあるのよここに」
「ホー?」
ここからが、ディース流料理術の門外不出の奥義。決して目を逸らしてはならない。その挙動の一つ一つに刮目するべし。
「じゃーん、“ファイアスパイス”〜。これでちょっとピリ辛な大人の味を表現できちゃうってわけよ」
「オイソノ、瓶ノ横ノ文字ハ……」
「も、一気にドバっといっちゃいましょっか!」
蓋を開け、ディース曰く隠し味の瓶の中身を油の中にぶちまける。豪快さにより油は真紅に染まり、気のせいか強烈な光を発し始めて……
「あ」
「ア」
……その時、平和だった筈の調理場に、爆音が轟いた。
それはあまりにも無慈悲で、あまりにも残酷な結末だった。ディースが全身全霊を傾けた珠玉の料理は、あろうことか轟音と共に炭と化し、その全てが漆黒の結晶“おこげ”へと成り果ててしまったのである。
我々はこの尊い犠牲を決して忘れてはいけない。世の中には必ず守らなければならないルールというものがあり、それは例え大魔道士と言えども決して破ることは出来ないのだという事を。
注意書きというルールを蔑ろにしたディースがこのような結果になってしまった事は、非常に残念ではあるが半ば当然とも言えるかも知れない。だから、今は感謝しよう。我々はこれでまた一つ、大事な事を学び取ることが出来たのだから。
この悲劇をご覧の皆様も、是非肝に銘じておいて欲しい。「火気厳禁」「爆発物注意」と書かれているものは、決して隠し味に使ってはならないということを。そして、彼女のあまりにも見事過ぎて言葉も出ない料理の過程に対し、思ったその思いを。決して忘れてはならないのだ。
「無茶しやがって……骨は拾ってやるぜ人形よ……」
ボッシュが見事な敬礼を送る空には、グッと親指を立てるチャチャゼロの幻が浮かんでいたという。
※ファイアスパイス……敵全体にパダーマと同等の効果