スイマー城の外観は、見違える程綺麗になっていた。ランドとガーランドという二大力自慢を中心に壊れた箇所の補修や配管の設置などを行い、さらに他の男性陣による細かな修復作業によって、往年の姿を取り戻す事に成功していたのだ。
勿論内部もリュウが城を離れた時とは大きく様変わりしており、床一つ取っても破損どころか汚れさえ見当たらない程手入れが行き届いている。在りし日の姿を容易に想像させるその城は、さぞ名のある王族が住んでいたのだろう荘厳なオーラを放っているのだった。
「俺の名はナギ・スプリングフィールド。かの有名な“紅き翼”のリーダー、“
そして現在その城の中では、リュウが連れて来た謎の少年と怪しい優男による自己紹介タイムの真っ最中。場所は城の二階に位置する会議用らしき大広間だ。そこでナギの余所行き用のキメ顔が、ズビシッと効果線付きで炸裂しているのだった。
「……」
片手を腰に当ててもう片方の手は立てた親指で自らを自慢げに指す。良く通る大きな声で堂々と名乗り上げたナギの顔を、リュウの仲間達は皆怪訝そうな目で見ている。そんな視線を真っ向から浴びながらも、リュウの感性なら恥ずかしくて言えそうもないセリフをさらっと口にしてのけたナギ。やはりその器は稀代の大物であると言えよう。ちなみにナギ以外誰も喋っていないので、しーんとやたら静かである。
「……なぁなぁリュウ、なんかノリ悪くねー?」
「いや、みんな多分驚いてるんだと思う……」
実際、皆が無言なのは苦笑いするリュウの言う通りであった。リュウを通して“紅き翼”に関しての情報はいくらか聞いていた“炎の吐息”のメンバーだが、まさかそのリーダーがリュウとさして変わらない子供であるとは誰も思っていなかったのだ。最初はてっきりリュウが仲の良い友達でも連れてきたのだろうと、本気でそう思った者も居るくらいである。
「まさか……本当にこんな年端も行かない少年だったなんて……」
そう呟いたゼノを中心とするトリニティの一行だけは悠久の風に所属していたため、“紅き翼”のリーダーが子供であるという話は知っていた。けれどこうしてその事実を目の当たりにして、以前に“紅き翼”が打ち立てた数々の実績のあり得なさと、目の前のお馬鹿そうなナギの雰囲気との間にある激しいギャップに打ちのめされ、言い知れぬ敗北感に襲われているのだった(モモは除く)。
「では続きまして……こほん。初めまして皆さん。私はアルビレオ・イマ。又の名をクウネル・サンダースと申します。どうぞ末永くよろしくお願いしますね」
「……」
ナギの自己主張が済んだと見るや、続けてアルも名乗りを上げる。いつものエセスマイルを浮かべたままで、聞いてもいないのに偽名までプラスというおまけ付きだ。ナギのなーんも考えてないおバカそうな印象とは違い、アルは正反対に何か腹に一物隠してそうな雰囲気を纏っている。その為か、やはり怪訝な視線を投げかけるリュウとボッシュ以外の面子である。
「あの……あなた達がリュウの“紅き翼”の仲間なの?」
そんな中から一人、おずおずといった風にリンプーが尋ねた。彼女にしては珍しく、どことなく縮こまった感じだ。
「おう、そうだぜ」
「今日来たのってもしかして……その……」
「ん?」
「リュウを取り返しに……とか……?」
そう言いながら、バツの悪そうな顔をリンプーはしていた。そもそもチームを立ち上げようと提案したのは自分だ。あの時は勢いでリュウをリーダーにしてしまったが、元のチームの人から見たらやっぱりいい気はしないだろうな、と、少々意外だがそんな風に考えていた。しかしナギはリンプーの言葉を、ふっと笑って否定する。
「あ、ちげーちげー。別にそういう訳じゃねーって」
「そうですねぇ。その辺りの経過については、後でリュウがじっくりと話してくれると思いますので、ご安心ください」
「……そうなの?」
「あ、その辺の話とかは全部俺に振るって訳ね……」
こうしてまた一つリュウに説明責任が増えるのだった。そんなこんなでナギとアルは自分達が来た理由だけを簡潔に話した。自分らはリュウが作ったというチームの顔ぶれが気になって見に来ただけであると。それを聞いてリンプーはホッと胸を撫で下ろし、その後はざっくばらんな質疑応答のお時間と相成った。持ち前の明るさと馬鹿っぽさのおかげでナギは勿論、胡散臭いけど悪い人間ではないと理解を得られたアルも同様に、リュウの仲間達と少しずつ打ち解けていった。
「ねぇねぇ、貴方達ってさ、すんごい強いんでしょ?」
「まぁな!」
「ふむ……良い機会だ。話に聞く実力……是非拝見させて頂きたいが宜しいか?」
「おう、いいぜ」
と、リュウ以外の“紅き翼”メンバーの強さに興味を持つガーランドが申し出た。当然ナギはそれを軽ーく承諾。城の前にて、巨躯の鰐男対赤毛の子供と言う一見すると理不尽そうな勝負が始まる。そしてナギは自身の持つ莫大な魔力と実力を惜しげもなく披露し、リュウとボッシュ以外の炎の吐息のメンバーは又もや言葉を失うのだった。
*
そうこうしているとあっという間に時間は過ぎて夕暮れ時となる。ナギとアルを含む全員から期待の言葉を掛けられたリュウは厨房へと向かっていた。俺一応リーダーなんだけどなぁと表面上は文句を言いつつも、「お前の料理が食いたいんだよ」とリクエストされて微妙に目尻の下がったニヤニヤ顔で、テクテクと歩いていく。厨房ではもう火も水道も使えるようになっており、一通りの調理は可能と聞いたので足取り自体は重くない。
「よーし俺気合入れて作っちゃうぞー」
「相棒も煽てりゃ木に登るってか」
「何か言った?」
「いーや。豪勢なモン頼むぜ相棒」
フォウルの空間で余った食材を沢山貰ったから、量的には十分だし何を作ろうかと献立を考えるリュウ。まだちょっと慣れていない城の中を彷徨いながらも、何とか厨房へと辿り着く。そしてその中へと一歩進んで……見慣れた小さな背中が三つそこに居る事に気が付いた。そう言えば外には居なかったし、どこ行ったのかと思えばこれである。
「…………。君ら何してんの?」
「あ、リュウのヒト!」
「いい所に帰ってきてくれたよぅ!」
「いきなりで申し訳ないけどお願いがあるよぅ!」
「……?」
この妖精達にも人に“申し訳ない”と思うような殊勝な心があったんだ、と中々に失礼な事を考えつつ、リュウは彼女らの手元に目をやった。そこにはコンロがあり、フライパンがあり、良くわからない黒い塊がその上に乗っている。
「……何それ」
「これはその……」
「練習してたのよぅ」
「そ、そうよぅ! そんな事より、私達にお料理教えて欲しいのよぅ」
「料理……? なんで?」
かなり予想外な言葉が妖精達から飛び出た事で、リュウはちょっとポカンとした。その様子に妖精達は、三人揃って小さな溜め息を付いてから話し出す。何でもリュウが城を離れた直後辺りから、増えに増えていく一般妖精達の間に良からぬ不満が溜まりだしていたらしい。何かと事情聴取してみれば、以前リュウが振舞ってくれたような“美味しいご飯”を毎日食べたいという直球ドストレートなモノであった。
「……それで?」
「それでその……」
「あたし達お料理全然出来ないし……」
「一応自分達で頑張ってはみたのよぅ……でも……」
最初は「リュウのヒトみたいな料理なんて出来ないから我慢してくれ」と何とか抑えてはいたものの、つい先日とうとう一般妖精達は「美味しい物を食べさせてくれないならストライキ起こす!」と労働者の権利を激しく主張してきたらしい。これ以上は暴動に発展しかねないと悟った妖精リーダー達は仕方なく、こうして必死に自分達で作れないかと試行錯誤していた……というのが事のあらましである。
「うーん……なるほど……わかった、いいよ」
「ホント!?」
「いいの!?」
「まぁそう言う事ならね」
何とも妖精達の社会も楽そうに見えて中々大変なんだな、と理解を示す。それだけでなく、今までは嫌々仕事していた妖精達が、きっかけはどうあれ能動的に自分から教えて欲しいと頼んできたという事実にリュウは心を動かされていた。以前なら料理を“作ってくれ”と言ってきていただろうに、今の頼みは“作り方を教えろ”だ。それならば、協力する事に何ら目くじらを立てる事もない。
「じゃあ、今から晩飯作るから、とりあえず最初は見学してて」
「あ、ちょっと待ってよぅ」
「?」
リュウがエプロンを取り出して装着していると、それに妖精の一人が待ったを掛けてから、どこからかホイッスルを取り出した。そしてそれを、城中に響き渡るように思いっきり吹き鳴らす。リュウは思わず耳を塞いだ。
「っ!? ……いきなり何を……っておぅわっ!?」
ズドドドド、という音は彼女達が浮いているせいか聞こえなかったが、そんな音が錯覚として聞こえたような気がリュウはした。何故なら笛の音を合図として、わらわらと大量の妖精達が厨房に押し寄せて来たからだ。
「みーんな教えて欲しいみたいなのよぅ!」
「よろしくお願いするよぅ!」
「……」
リュウが城を離れている間にも、彼女らはさらなる速度で増殖していたらしい。厨房のスペース半分以上を埋め尽くす大量の妖精達がそこに集っていた。まさか料理を教えて欲しいと思っている妖精がこんなに居るとは。物凄い数の瞳に凝視され、流石のリュウもプレッシャーを感じざるを得ない。
「うーわ何これすっげぇやり辛いんですけど……」
「ま、教えてやるって自分で言った事だぁな。頑張れ相棒」
「……」
リュウの一挙手一投足を見逃すまいと、真剣な眼差しを向ける妖精達。食への凄まじい執念ぶりを間近で感じつつ、リュウは自分の言動を少しだけ後悔しながら、大人しく夕食の下拵えに取り掛かるのだった。
*
何だかんだで終始賑やかだった夕食も終わり、ナギとアルは一泊したら帰るという事なのでその日はスイマー城に泊まる事になった。城にはまだ大量に空き部屋があるので、特にその辺に問題はない。
「ここが俺専用の部屋……?」
「スゲェ。一流ホテルもビックリじゃねぇかこいつぁ……」
そしてリュウとボッシュは自分用に割り振られた部屋に着き、中に入って素直に賞賛の言葉を述べた。狭くなく、かといって広すぎずの間取り。上階にあるから恐らく日当たりも良好だろう。置かれている家具もまた、シンプルだが質のいい物ばかりだ。お茶とお菓子のセットや歯ブラシ等のアメニティグッズまで配備されており、それぞれに趣味の良さが伺える。
「これ全部ゼノさん達が……?」
「つってたなぁ。流石にこういう気配りは俺っち達にゃ出来ねぇ……」
小物の手配に関しては、みなトリニティの女性陣が行ったと夕食時に聞いている。後できっちりお礼の言葉を伝えようかと思うリュウである。
「おー、ふかふかだ」
ボフッとベッドに飛び込み、その柔らかで肌触りのいい感触をリュウは確かめた。フォウルの空間では寝床は適当に敷いた毛布くらいしかなかったので、久しぶりにいい夢が見れそうだ。
「おほ、これは俺っちの寝床って事でいいんだよな!」
リュウが飛び込んだベッドの傍ら。小物置き用のテーブル台の上には小さな籠があり、その中にクッションが置かれていた。ちゃんとしたボッシュ用のベッドである。ひゃほーとテンションアゲアゲで、リュウとボッシュはお互いにボフボフと寝床の使用感を確かめる。
「……」
少しして話が途切れ、ゴロリと仰向けに寝転がってリュウは石造りの天井を見た。全くの自由な時間というのも久しぶりな気がする。なので、自分のこれからの事に自然と思考が向いたのだ。今やらなければならない事は何か。そもそもの自分の目的は何だったか。
「……」
まず、とにかくこれからこの魔法世界で起こるであろう戦争を止める、というのがリュウの中の大前提としてある……筈だった。しかし近頃、その考えが微妙に揺らいできている事をリュウは実感として覚えている。
……何故なら、魔法世界は平和だからだ。
これまで魔法世界の全て……とまでは言わないが、それなりに色々な地域を回ってわかった事がある。個々の街の中や地域的な問題は確かにあった。しかしそれらが世界全体を二つに割るほどの争いの元かと言うと……そうは思えないものばかりなのだ。
元凶かもと思っていたヘラス帝国内にも、キナ臭い話は今の所聞いた事が無い。まだ行った事のないオスティアだとかも、伝え聞く限り全くの平和だ。特に人間と亜人の仲が悪い地域、などという場所もない。戦争の火種がどこにもないのである。こうなると、もう自分の考えを改めるしかないのだろうかとリュウは思う。そもそも本当に戦争なんて起きるのだろうか。根拠になっているのは自分の昔の記憶だが、考えてみれば全くその通りになるという保障はどこにもないのだ。
「……」
「どした相棒黙りこくって」
「ちょっと考え事」
“完全なる世界”という組織が、この世界のどこかに存在している事は確実だろう。だがその組織がどこにあり、どうやってここから世界に戦乱の渦を巻き起こそうというのか。リュウには皆目見当がつかない。いや、それ以前に彼らは本当に戦争を起こす気でいるのだろうか。リュウが実際に知っているのは、あのドラグニールでのバルバロイの件だけだ。情報は相変わらず手に入りそうもないから、考えを裏付ける物的証拠が一つも無い。
「……」
記憶を頼るのも怪しくなってきたかなと思うリュウだが、しかしどちらにしてもまだ時間はある筈。少なくとも今のまま世界が進むなら、それほど心配しなくても良いのではと少し楽観方面に軌道修正して、リュウは保留と結論付けた。そうして次に持ち上がった案件は、あの人を操る腕輪の事だ。
「……ボッシュ」
「あん?」
「モモさんと合同で作る機械……どれくらいで出来そう?」
「時間はそう掛からねぇと思うが……具体的にはちょっとまだわからねぇな」
「そう」
一応明日から、モモとボッシュがあの腕輪を探す為の装置を作り始めるとの事だ。取り敢えずそれの完成待ち、という事になる。尤もこれはリュウが自分で勝手に始めた事なので、特に期限なんかは設けられていない。一応悠久の風本部にも報告くらいはしておくべきか、と予定に組み込みつつ。
「うーんそうするとやっぱり……」
そして目下最大の問題事と言えば、自分の立場と所属団体についてだろう。“紅き翼”の一員で、“炎の吐息”のリーダーとなってしまった。よく考えたらこんな二足の草鞋をしてていいのか? とリュウは悩む。悠久の風にもしもそういうのはダメです、みたいな規定とかがあったらどうしよう、とも。そしてついでに言えば、もう一つ考える事がある。それはチーム全体の方向性についてだ。
「ボッシュ」
「んあ?」
「俺らってさ、まず何をするべきかね」
「そうだなぁ……」
“紅き翼”にはナギの掲げた“人助け”という高尚な目的があるが、“炎の吐息”には特にそういったモノはない。楽しいから集まる、というのもわからないでもないが、それだけというのも味気ないとリュウは思う。要は何か目的が欲しいのだ。今上げるとしたら“強くなる事”が候補に上がるだろうか。
「うーん……こっちでもさ、“人助け”を理念にするのはどうかな」
「いいんじゃねぇか? 修業して得た強さってなぁ、他人様の為に使うもんだと俺っちは思うね」
「…………」
「なんでぇその沈黙は」
「いや……お前ってさ、ホントにフェレット?」
「おうとも。チャキチャキのフェレットだぜ」
何だかしれっと良い事を言うボッシュにリュウは驚きを覚えつつ、その言葉には賛同する。早速明日にでもミーティングを開いて、リュウは皆にこの事を伝えてみようかと思案した。ナギからの要望であるメンバーのパワーアップに関しては、フォウルの空間でハルフィールが口走った事が探すヒントになりそうだ。これから主にリュウがやる事としては、それが最優先だろうか。
「そういや相棒、どれにすんだ?」
「どれって……何が?」
「夕飯ん時ナギっ子が言ってたじゃねぇか。相棒のアレをよ」
「あー……いやそれを俺に決めろっていうの?」
ボッシュが言っているのは、リュウの“二つ名”についてだ。夕飯時にナギが「そろそろリュウにも二つ名欲しいよな! カッコいいヤツを俺達で考えようぜ!」と異様に盛り上がっていたのだ。その場はお茶を濁して切り抜けたリュウだが、内心では非常に焦った。何しろ珍妙な呼び名を付けられでもしたら、恥ずかしくて表を歩けなくなってしまう。
「俺にはまだ早いよ。ていうかどんなのだろうとナギみたく堂々と名乗るのは無理。恥ずかし過ぎ」
「そうかぁ? 案外相棒ならノリノリでポーズ取って名乗ったりしそうな気もするがなぁ」
「お前俺を何だと……」
と、大まかにリュウの脳内でこれからに対する整理が付いた頃、コンコンと部屋に軽いノックの音が響いた。
「あ、はーい」
「失礼しますよ」
ガチャリとドアを開けて顔を見せたのは、銀髪メガネのゼノだ。さっきこの部屋の内装等でお礼をしなきゃと考えていたので、タイミングとしてはちょうど良い。
「あ、ゼノさん丁度良かった。なんか色々と手配してくれたみたいで、ありがとうございます」
「おう、色々悪ぃなぁ。寝心地抜群だぜこいつぁよ」
「それは……喜んで貰えたようで何よりです……」
「?」
「その……もう少し早く帰って来てくれれば…………いえ、今はそれを言っても仕方ありません」
「どうかしたんですか?」
妙な態度に何が言いたいのかよくわからない、とリュウが首を捻ると、ゼノは片手に持っていた紙の束を差し出した。何枚もが折り重なっていてかなり分厚い。何だろうと思ってそれを受け取り、リュウはパラパラ捲ってみる。そこには一枚一枚全てに、何かの文字列と数字が書かれていた。さてこの紙の束は一体何を表しているのか。徐々にリュウの頭に嫌な予感が込み上げてきて、額にはうっすらと汗が浮かびだしている。
「あの……これは……その、一体……何でしょうか?」
「この城の修繕に掛かった費用と雑費、その他諸々の請求書です」
「え゛」
ピシリとリュウは固まった。なるべく考えないようにしていたが、まぁ当然と言えば当然の話だ。これだけ至れり尽くせりな城の整備をするのに、金が掛からない訳がないのである。そしてその請求先がどこに行くかと言えば、曲がりなりにもリーダーをやってるリュウの所だ。責任者の立場とはつまりはそういう事であるからして、コレばかりからは逃げられない。
「最後の一枚に、合計額が書かれています」
「……。何これ……え……うそ……」
ゼノに言われてペラリと紙を捲り、その一番最後の用紙に書かれた数字を見た事で、リュウは髪の色だけでなく顔色までサッと青くなった。まさに“血の気が引く”とはこの事か。
「は、はちじゅうさんまんはっせんはっぴゃくろくじゅういちドラクマ……」
そこには838861ドラクマという金額がでかでかと書かれていた。どれだけ目をこすり、桁を数え直してもその数字は変わらない。手が震えを起こし、何だか目眩がするような。こういう時って本当に気分が悪くなるものなんだと、リュウはある意味冷静に自己分析していた。
「今は、この城そのものを担保に借金という形で借りています。あと一週間ほどで返済できなければ利子が膨れ上がり……返せなければ最終的に、ここを明け渡す事になります」
「えええぇぇ!?」
ゼノからの無情な言葉を聞いたリュウの顔色は、今度は蒼白から土気色へと変化していた。どれだけ修業しようが強くなろうが、この問題に対しては一切意味を成さない。とにもかくにも……“金”。予想外の角度からの、それこそ致命的な一大事の発生である。
「……」
「とにかく、今日はもう遅いですから、この事は明日話し合いましょう。では……」
「……」
そう言ってバタンとドアからゼノが出ていった後、リュウは口から魂が抜けかけたような表情のまま、ポフッと力なくベッドに体を横たえた。
「ボッシュ」
「……」
「助けて」
「……」
「寝たふりすんな」
返事をしようとしない薄情な相棒に恨み事を述べつつ、恐る恐る受け取った請求書の束に再び目を通すリュウ。ペラリペラリと機械的なリズムで紙を捲る音が木霊すリュウの部屋。折角のふかふかベッドであるのに、その日リュウはほとんど眠る事が出来なかったそうな。