東方蛇狐録~超古代に転生した俺のハードライフな冒険記~ 作:キメラテックパチスロ屋
『人類の夢の一つ、月面旅行がついに一般人も可能に!』
『来月には日本の旅行会社各社からツアー開始』
行き交う人の足取りも重い、地上の私鉄の駅前にそんな号外が飛び交った。
スポーツニュース以外では珍しい明るいニュースに、いつもならすぐゴミ箱行きの号外も、今回ばかりは皆鞄の中に仕舞っている。
号外の記事の内容に興味があってと言う事もあるが、それ以上に記事の写真が気になる人も少なくないだろう。
そんな膨大な宇宙の写真が大きく貼られている新聞を手に持ち、宇佐見蓮子は待ち合わせの大学構内のカフェテラスに、足を進めていた。
♦︎
「『なお、今回もまた有人火星探査は見送れた』だってさ」
「火星なんてどうでもいいだろ。ちょうど目の前に天然記念生物がいるんだし。そんなことよりも、この記事だ」
俺は、今回蓮子が持ち出した記事の、大きくピックアップされた一面を指差す。
今は7月。
二人がいつものカラーの夏服版を着ている中、俺は相変わらず黒いシャツに紺色のフード付きパーカーを羽織るという格好だ。
眩しい日差しに、思わず目を閉じたくなるが、それをなんとか我慢しているメリーが答えた。
「うん。目の前の天然記念生物さんの目には、月面がどう映るのか知りたいしね」
「待ってメリー。どうして二人はサラッと私をディスるの? 蓮子さん泣いちゃうよ?」
「んなもん、『ここは月面です』って映るんじゃねえのか?」
「お願い、私を無視しないで!」
「とは言っても……今回も蓮子が原因なんだし」
今回の待ち合わせ、蓮子はあろうことか30分遅刻しやがったのだ。
お前はヨーロッパのラテン系の人間か!? と叫びたくなる。
もっとも、ここまで遅れてくるのは、ラテン系でも今時は珍しいのだが。
「まあいいわ。話は戻るけど、じゃあ時間はどうなるのよ?」
「私の目はJSTしか見られないのよ。UTCは能力外。そもそも、月面でも地球と同じ時間を使うのって変よね」
「なんだ、引き算すらできないのか。お前の能力は」
「案外使えない能力ね」
「だからもう私をいじめるのはやめて! 蓮子さんのライフはもうゼロよ!」
まあ、蓮子をいじるのはここまでにしとこうか。
俺はメリーとそうアイコンタクトで語った。
彼女も了承したようで、蓮子を含めて、次の秘封倶楽部の活動の話へと話題を移した。
「で、いつ行くの? 月面旅行」
「メリーは気が早いわね。まあきっと混むだろうし、早いうちに予約だけは済ませておきたいわね」
「夏休みとかは滅茶苦茶混みそうだし、暑そうだから少しズラして秋にしない?」
「月や宇宙が暑いって事は無いと思うけど、同感ね。秋の方が良いわ。日本的で。どうせなら今年の中秋の名月に行きましょうよ」
二人はそうやって、夢を膨らませながら次の活動の予定を立てていく。
だが、その夢も泡になって散りそうだ。
「お前ら。月面旅行ツアーの料金分かってるのか? 約1億ドル(120億円)だぞ?」
「「……ふぇっ?」」
「そんな間抜けヅラされてもな……ほれ、ここに書いてあるだろ?」
俺は記事の端に書いてあった、利用者の予定金額を指差す。
ったく、何が一般人でも可能だよ。
あれなのか? これはノアの方舟のようなもので、貧相で貧乏な一般人は来るなって遠回しに言ってるのか?
駅で大切にしまわれていたこの号外も、今ごろ大半の人間が事実にたどり着き、ゴミ箱へと新聞を投げ入れているだろう。
そんな風に心の中で文句を言い続けていると、メリーたちは気分を変えるため、蓮子お得意の物理学の話をしていた。
とはいえ、物理は俺の苦手分野なので内容はあまりよく理解できないが。
「うん。ここのカフェは構内でもオシャレで美味しいわね。それで、蓮子、なんで物理学は終焉を迎えているの?」
「うん。一言で言うと、観測するコストが大きすぎるからよ」
「俺たちが月面ツアーに行けない理由と一緒だな」
「あら、うまいことを言うわね楼夢君」
皮肉に満ちた俺の言葉に、メリーが賛同する。
当たり前だが、月面ツアーに行けないのを残念に思っているのは俺だけではないみたいだ。
いや、その気持ちはむしろ俺以上に大きいだろう。
その後、蓮子が再び物理学の話を語り始めた。
物理学が終焉を迎えている理由の一つである、コストが高くなった理由を話しているようだ。
なんでも、小さい物体を分離させるのに掛かるエネルギーは、小さければ小さいほど大きくなるらしい。
分子より原子、原子より核子、核子よりクオークというように。
こうしてどんどんと小さくしていくと、無尽蔵にエネルギーが必要になっていくことになる。
すると究極まで行き着くと、宇宙最大のエネルギーを使っても分離できない小さい物体に当たってしまう。
この物体がこの世界の最小構成物質だと言えることになる。
以上の結論から言うと、もう物理学はとっくに最小の世界まで辿り着いて、次を目指している。
ここから先は観測出来ないから、殆ど哲学の世界になってるらしい。
そんな話をBGMに店のスライドパッドを操作し、緑茶のお代わりを注文しておく。
メリーも何か注文したようで、スライドパッドを手慣れた手つきで操作していた。
やがて、空き缶のような形状のロボットが、緑茶と新作のケーキを持ってきた。
「あら、実物よりも美味しそうね。このケーキの最小単位は合成卵と合成イチゴね」
……うん、その二つの物質については何も突っ込まないぞ。
というのも、彼女の言ったことは本当のことだからだ。
実際に合成●●というのは、この時代では珍しくない。
とはいえ、山奥育ちの俺は、未だ慣れることはないが。
と、そんなことを考えていると、蓮子がまた物理学の話を続けた。
さすがのメリーも、蓮子ほど詳しくないので、うんざりしてきたようだ。
そうして、蓮子のお喋りな口が止まったのは、30分後のことだった。
「もう。蓮子に物理の話なんて振るんじゃなかったわよ。一人で話し続けるんだから」
「全くだ。おまけに俺の苦手分野の一つなんだぞ? 少しは聞いてる身にもなりやがれってんだ」
「ごめんごめん。私の専門だからね。それにしても、このケーキ美味しいね」
「話を誤魔化すなってんだ……ったく」
メリーと同じケーキを頼んだ蓮子は、それにかぶりつき、食レポでもしてるかのように美味しそうな顔をする。
……そんなに美味いのか、それ?
手の中のスライドパッドには【ミックス野菜ケーキマックス】という名前と、ピーマンらしき物体Xやらが大量に投入された、謎の物体が表示されていた。
「はあ、宇宙には魅力があるわね……」
ふと、蓮子が呟いた。
「どうしたの? ため息なんてついちゃって。まるで地上には魅力がないとでも言うの?」
蓮子はおもむろに顔を上げ、空を見つめた。
微量の霊力が発生してる辺り、どうやら能力を使っているようだ。
「16時30分。宵の明星が見えたわ。地上にはもう不思議がほとんどないからね」
「あくまで表の地上は、だけどな」
「蓮子ぐらいこの世界の仕掛けが全て見えていると、もう心に虚無主義が顔を出し始めてくるのね」
メリーが冗談で可哀想なものを見る目をすると、蓮子がジト目で睨んできた。
蓮子は続ける。
「だからこそ、メリーの目が羨ましいのよ。不思議な世界がいっぱい見えて。ついでに言うと月面の結界の切れ目も見てもらいたかったわ」
「ツアーが安かったら、ね?」
「ああ。ツアーが安かったら、な?」
「……なんかその返事で月に行く気がなくなってきたわよ……」
まあ、そりゃそうなるわ。
俺たちのやる気のない返事に、メリーはガクッとうなだれると、背もたれにドサっと背をつけた。
でもと、蓮子はその体勢のまま付け足す。
「月にも忘れ去られた世界が隠されているよ。兎が不老不死の薬を搗き、太陽に棲む三本足の鳥を眺めながら、月面ツアーで騒ぐ人間を憂えているのよ。その世界を見られるのはメリー、貴方しか居ないわ」
急に真剣な表情になった蓮子に、俺たちはいっしゅん呆然とする。
だがすぐに元の表情へと変わったメリーが、微笑んだ。
「……そうね。人間が集まって開拓し切るまでには行ってみたいわね」
「そうと決まれば、準備しないとね」
「月の都を見たければ、まず月の都についてもっと勉強すればいいのかなぁ。大昔から忘れ去られている太古の月を。物語の中の煌びやかな月の都を。狂気の象徴である月を。そう、知識が境界の切れ目を明確にするからね」
また怪しげなモードに入ったメリー。
だが、俺たちにはまずやるべきことがある。
「いや、まずはバイトからだろ。ツアーの旅費を稼ぐための」
「……あ」
俺の一言で、見事に二人は静まり返った。
なんだかお通夜みたいに暗くなったな。
そんな中、二人は突然叫んだ。
「「働きたくないでござるぅ!!」」
♦︎
日も暮れて夕食の時間も近いというのに、二人は新作のケーキを平らげた後、ようやくカフェテリアを後にした。
まったく、甘いものは別腹と言うが、女性の胃袋はどうなってんだか。
そもそも、あの謎のケーキ? が甘いのかは知らないが。
この大学では、構内の店なら全て学生カードで清算が出来る。毎月纏めて学費として払うのである。
お金を管理するコストも減り、レジも混雑せず、さらに学生も手軽に買い物が出来て(親が学費を払うから)売り上げも伸びている。
もちろん、俺の場合は別で、自腹なのだが。
そして親が金を払うお陰で、この二人のように予想以上に出費が嵩むことも少なくない。
俺たちは大学を出た後、夕方の空の下を、適当にブラブラと歩いていた。
「月には不老不死の薬があるらしいよ」
ふと、蓮子が思い出したように言った。
こいつ、裏の月に詳しすぎだろ……。
唯一月に行ったことがあるらしい俺の先祖の手記にもそう書かれていたので、事実なのだろう。
もっとも、その製作者がもう月にはいないらしく、制作不能になってるらしいが。
「へえ、不老不死、ねぇ。物理の終焉を迎えて虚無に支配されている蓮子には不要でしょ?」
「誰が虚無主義よ。私は生きる力でいっぱいよ。今も宇宙のことで興奮して、夜もグッスリなんだから」
「いやグッスリなのかよ」
普通は興奮すると眠れないのだが、蓮子レベルにたどり着くと常識が反対になるらしい。
「じゃあ不老不死の薬が手に入ったら、二人は使う?」
メリーの唐突なその質問に、蓮子がいち早く答えた。
「不老不死の薬? 勿論、使うわよ。物語なんかでは不老不死は辛い物だとされているのは何故だか判る? アレはみんな欲深さへの戒めと権力者への反抗を謳っているだけよ。でもそれが反対に、不老不死の薬の実在性を裏付けの憑拠になっているわ。不老不死は、死が無くなるんじゃなくて、生と死の境界が無くなって生きても死んでも居ない状態になるだけよ。
まさに【
蓮子は相変わらず、不思議を追い求めるつもりのようだ。
だが俺は、
「じゃあ、楼夢君は?」
「いや、使わねえよ」
迷わず、はっきりとそう答えた。
二人は不思議そうに俺を見ている。どうやら理由を知りたいらしい。
「言っただろ。俺は人間をやめてまで、命にはこだわらないと。それに……」
「それに?」
蓮子が俺の顔を覗き込むように見つめる。
できれば言いたくはないんだが、この雰囲気は許してくれそうにないようだ。
「それに……俺だけ長生きしても、お前らが死んだら虚しいだろうが」
頭をかき、顔を背けながら、呟くように、そう小さく答えた。
すると次に顔を恐る恐る向けた時、二人の顔は赤く染まっていた。
「お、思わぬところから不意打ちが来たね……恐るべき、楼夢君の天然」
「……」
「……メリーが恥ずかしさのあまり気を失ってる……」
その後、蓮子の見事な秘技【テレビ叩き直し】によって、メリーは意識を取り戻した。
♦︎
結局、さまよう俺たちが行き着いた場所は、大学の設備である噴水がある池の辺りにあるベンチに腰掛けた。
既に月が顔を出しており、湖にはクレーターのない平らな満月が浮かんでいる。
ふと、となりに座っているメリーを見る。
その瞳には微量の霊力が発生していた。
彼女には、水に映った月の結界の向こう側の姿が見えていた。
その月を見て、彼女に名案が浮かんだらしい。
「ねえ、月面ツアーが高くて行けないのなら、何か別の方法で月に行けないか考えてみない?」
「そうだね。それしかないよ。でも、どうやって?」
「例えば……こんな風に」
メリーは靴を脱ぎ、素足になると、月が映る池へと足を進めーー水の上を歩いた。
彼女が乗っても水は揺れず、細波の一つも立たない。
「メリー……まさか……」
「そう。水に映る月の境界を越えれば、月にたどり着けるはずよ」
彼女はそう言って、俺たちの方へと振り向き、手を差し出した。
そしてにっこりと笑うと、
「さあ、秘封倶楽部、活動開始よ」