Fate/kaliya 正義の味方と桜の味方【完結】   作:faker00

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番外編
久宇舞弥


 

 

 

「さて──」

 

 彼女は、あまり自分から喋らない女性だった。

 それは例えるならば、まるで無機質な機械のように。

 話せと言えば充分に話せる、自らの感情を他者に伝える方法も心得ている。決してコミュニケーション能力が無いと言うわけではない。

 ただ、言葉を発する必要がなければ、世の中の女性の大半とは違い、無駄に口を開きお喋りをしたりすることが無いというだけ。

 

 だからこそ、彼女が口を開くということは何かしらの意図があるということである。

 そして今回はその意図が、10年以上の付き合いの中で、この世の中の誰よりも理解している筈の疲れて眠る愛娘を腕に抱く男(切嗣)にも、其の一瞬だけ理解できなかった。

 ただ、それだけの事である。

 

 

「舞弥──?」

 

 ドイツで降雪量が多い地域は、比較的南部地方に固まっている。

 その中で日本への直行便の飛行機が飛んでいるのはこのミュンヘンからのみである。

 今や跡形もなく、文字通り吹き飛んだアインツベルンの屋敷はもっと雪が深い。数時間のドライブを終え、疲れきった雁夜と、自らの意思でイリヤの世話役を全うすべく付き従う事を選んだセラとリーゼリットは既に搭乗手続きを終え、姿が見えなくなっている。

 父の腕にしがみつくようにして眠ってしまったイリヤスフィールは勘定にいれないとして、切嗣と二人で話せるタイミングを見計らっていたのか。

 既に戻ることのできないゲートを彼との間に挟んで、久宇舞弥は柔らかく微笑んだ。

 

 

「どうしたんだ舞弥? 早く君もこっちへ──」

 

「ふふ、分かっているのでしょう? 切嗣」

 

 少し困惑したような表情を浮かべた切嗣に、舞弥は笑みを消さないままに現実を突き付けた。

 これが一般人ならば、その笑みを額面通りに受け取り、幸せな勘違いを続けられたかもしれない。

 だが、切嗣にはそれが出来なかった。困惑したのは彼女の次の行動を分かってしまったから。その手を伸ばしたのは彼女の事を掴めないと分かっていて尚動かずにはいられなかったから。

 そのどちらかさえ理解できていなかったなら、こんなにも真正面から受け入れざるを得なくはならず、どこかふわふわとしたまま終われただろうに。

 

「君は──」

 

「私は衛宮切嗣という殺人者、戦闘機械をより円滑に動かす為の部品でしかない」

 

「──!」

 

 淡々とした声。光や温度を一切感じさせないその冷たさは、紛争地帯で切嗣がまだ少女であった舞弥を拾い、自らの補助用具として扱い始めたあの日から今まで全く変わらない。

 それなのに、まるで初めて聞いたような衝撃が身体の芯を貫いたのは何故だろうか。

 切嗣は、その答えを自ら口にすることは出来なかった。

 

「 今の貴方(父親)久宇舞弥(殺戮の右腕)は必要ありません。必要なのは、穏やかな日常。そして、その日常において私は不純物であり、足枷にしかなり得ない。道具の役目はここで終わりです」

 

 そんな切嗣の心中を見抜いているかのように、舞弥は一太刀で核心を貫く。

 それは他ならぬ切嗣には、何があろうと否定の出来ない絶対であった。

 

 

 久宇舞弥という人間は、彼女として生まれたその時より衛宮切嗣の補助用具であり、逆に言えばそれ以外の何物でもなかった。

 彼女には何もない。趣味もなければ仕事もない。家族や友人と言った当たり前のものも。それどころか"彼女自身"を確立するアイデンティティ足り得るものが何一つないのだ。

 その名前ですら切嗣に与えられた機能の一つ以上の意味を為すことはない。

 本来有していただろう人間性など、とうの昔に死んでいる。

 だからこそ切嗣は彼女を選んだのだ。

 それを考えれば、舞弥がこの結論に辿り着くのは不可思議でも何でもなく、寧ろ当然の事だと、切嗣は己の唇を噛んだ。

 イリヤを救い出した事で完全に気が抜けていた。だからこんな簡単なことにまで、今の今まで気付かないなどという失対を侵してしまった。

 

 

「その葛藤は、半分正解で半分間違いだ。レディに気をとられていたのは確かでしょう。だがそれだけではない。その程度で"気付かない"程、かつての貴方は鈍感にはなれない」

 

「流石だね。僕の考えることはお見通しということか」

 

「ええ、貴方の考えにリンクするのは、私の基本性能の根幹です。切嗣、貴方は弱くなった」

 

 その言葉は尤もだと、切嗣は肯定した。

 冬の城でイリヤを抱いたあの日から、衛宮切嗣という機械には綻びが生じ初めていた。

 その綻びは日を追うごとに亀裂を増し、そして今日、完全に瓦解したのだから。

 自分という人間を捨て機械に撤することなど2度と出来はしないだろう。その事を一番分かっていたのは切嗣自身だった。

 

 

「そんな貴方では、私が側にいるだけで時に罪悪感を覚えるでしょう。私はただの忌むべき過去の残骸だ。そして私はそれを望まない」

 

 一つたりとも否定など出来やしない。

 それはこの先、そう遠くない未来に訪れる必然だ。

 

「でも……それじゃあ君は──」

 

「貴方はやはり優しいのですね」

 

 弱々しく紡がれた切嗣の言葉は、早々に引き取られた。

 

「心配することはない。私はただ、元に戻るだけです。衛宮切嗣の右腕と言う役割、色から無色に戻るだけ」

 

 何事もなげに舞弥はそう言う。

 

 それがどういう意味なのか、本当の意味で分かる人物は彼女本人を含めても、この世に誰一人としていないではないだろうか?という思いが切嗣を締め付ける。

 あのタイミングであれば、彼女はまだ何色にでも染まれた筈。だがそれを、自らの道具という二度と上書きの利かないそれに染めてしまったのは他ならぬ自分自身である。

 そして、その色から脱け出すというのなら、彼女の言葉通りにするしかない。

 だがそれは──

 

「君は……これからどうするつもりなんだ?」

 

「──」

 

 ここにきて初めて舞弥が言葉に詰まったように顎に手をやる。

 否定するわけでも、肯定するわけでもない。

 考えていなかったのか、目を背けていたのか、どちらもだろうと切嗣は視線を落とす。

 それは当たり前だ。彼女に人としての役割を与えず、外の世界を視界に入れさせなかったは誰だ。

 

 

「どうしましょうか。私には自分などというものはないし、今更作ろうとも思わない」

 

 舞弥も同じ思いだったのだろう。

 そう言うと小首を傾げる。その素直すぎる姿に切嗣の罪悪感は更に増していく。

 その段階は、今腕に抱く、齢7つのイリヤですらとうに通り越している人としてのステップである。

 彼女には、致命的な何かが欠落しているのは否定しようがない。

 

「そうか──」

 

 なら、最後に自分がするべきはなんだ?

 切嗣は大きく息を吐き出す。彼女を止める術などなければ、資格もない。

 決められることがあるとするならそれは、如何にして送り出すか。それだけである。

 

「分かった。ならこれが僕、衛宮切嗣から久宇舞弥への最後の"指示"だ」

 

「聞きましょう、切嗣」

 

 舞弥の瞳から色が消える。

 それは決してネガティブな事ではない。彼女を彼女という一個人足らしめる"仮初めの"アイデンティティを前面に出すだけの事である。

 そして、この顔を表に出すのはこれが最期になるのだろう。

 ほんの一瞬、郷愁のような感情が全身を駆け抜けた。

 

「──死ぬな」

 

「それだけですか?」

 

「ああ、それだけだ」

 

 拍子抜けしたように眉を潜めた舞弥に対し、切嗣は表情一つ変えずに頷く。

 この二人の間におちゃらけや、冗談という類いのものは存在しない。明確な答えが一度あれば、それが真実。

 だからこそ訪れた沈黙は、数秒間に及んだ。

 

 

 

「……分かりました。それでは切嗣。さようなら、これからは幸せに」

 

「ああ──」

 

 真意が伝わったのかどうかは定かではない。

 それだけ言うと、何の未練もないかのように舞弥はくるっと後ろへ振り返り、そのまま歩き去っていく。

 

 そんな彼女とは対称的に、切嗣はその後ろ姿を、人混みに紛れて消えるその瞬間まで、微動だすることなく見つめていた。

 

 

 

 ──それから十年、切嗣と"彼女"が出会うことは、ただの一度としてなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──────

 

 

 

「──またあの日の夢ですか」

 

 我ながら何度も何度も良く飽きもせず同じ夢を見るものだと、まだ覚醒仕切らずぼーっと宙に浮いているかのようにふわふわしている思考の中で彼女は呆れまじりに天井を仰いだ。

 どうやら昨夜はホテルのカーテンを閉めるのを忘れていたらしい。

 思わず瞼を閉じてしまう程鋭く刺すように部屋の中の入り込むオレンジの陽射しと、まだ時間が朝早くである事を主張するように数字の5を形取るデジタル画面にそう理解する。

 

 これはいくらなんでも早すぎる。

 

 手を組んで1つ大きく伸びをすると、半ば無理矢理にでも目を覚ますべく立ち上がりベットから降りると、机の上に几帳面に畳まれたバスタオルを手にシャワールームへと歩を進める。

 くぐもったような鈍い水の音だけが部屋の中の響くなか、先程タオルを手に取った際に触れていたのか、机の端でゆらゆらとバランスをとっていたパスポートが静かに床へと落下した。

 

 衝撃で、日本国の文字が書かれた表紙が開く。

 無機質な彼女は当時も、今も、全く変わらないように見える。

 その下に書かれた名前は──久宇舞弥

 

 

 

 

 

 

「次はどこへいこうか……」

 

 別に、その名前に対して拘りが合った訳でもなんでもない。

 ただ、そのまま使うのが、最も効率的だっただけ。

 

 アジアの発展途上国にありがちな、人がごった返す市場の中を舞弥は歩く。

 食事はホテルのルームサービスで済ませた。

 "彼"と別れてすぐ後は、違うことを試してみようかという気持ちにもなり、このような場所にも敢えて積極的に脚を運んだこともあったが……良い結果が得られたのは衛生面が整った欧米の先進国の一部くらいだったと、日本ではあまり見ない積極的な客引きを流暢な英語でかわしながら溜め息をつく。

 

 あれからもう10年近くの月日が経っていた。

 

 彼女はこの10年、一度として引き金を引いてはいない。凡そ人生の全てを過ごした戦場は、彼女にとって別段価値のある場所ではなかった。

 息子を探すことも考えはしたが、大して愛着もなければ思いもなく、もしも幸せに過ごしていた場合邪魔にしかならないと選択肢から省いた。

 そうなると望むべく行き場は無く、早々に行き詰まった彼女が選んだのはあての無い放浪であった。

 幸いにして、裏稼業で稼ぐだけ稼いで完全に放置していた彼女の口座資金は今も変わらず潤沢の一言である。

先ずは手頃なヨーロッパ各国、そこからアメリカへ飛び、南米からアフリカ、そして中東からロシアを経てじわじわと南下する。

 そんなルートを、多少の違いこそあれど、もう何周したか舞弥自身分からない。

 

 

 

 ──このあたりの国々には、私の望むスイーツと言う概念がないのが残念と言わざるを得ない。

 

 

 そんな中、これまで自分でも気付かなかった趣味を見付けられたのは、はっきり言って有意義だとは言えないこの日々の中での数少ない収穫だと舞弥は自負していた。

 

 それが、スイーツ巡りである。

 これまでは全くの盲点だったこの趣味は、基本的に灰色の彼女の日常に彩りをもたらす重要なターニングポイントであった。

 とある北欧の国で洋菓子バイキングに赴いた際に、このような場所なら幾らでも居られるのではないか?

 と、ふと考えた際には、そのような俗物的な考えが自分にも出来たのかと思わず笑ってしまったものだ。

 だが残念ながら、今自分がいるのは灼熱うだる東南アジアの某国だ。

 こんなところに生クリームが主役になるスイーツでも置こうものなら、数分にして原型すら留めなくなるに違いない。

 

 

 

「決めました。今日夜の便でこの国を発ちましょう。出来ることならスイーツの文化がある国へ」

 

 いつの間にやら喧騒は遠く、回りには田んぼしかないのどかな田舎道へと出ていた。

 車通りが全く無いことを確認すると舞弥は背負っていたリュックから、丸め込んでいた世界地図を取り出し道に広げる。

 

 

「ここ数回この地域近辺ばかりでしたからね……そろそろ別のところへ……!」

 

 そうして道端の小石を1つ掴むと、手の中でコロコロと回す。

 あまりにあてのない道程に、少しでも刺激が欲しいと彼女は数年前から1つのルールを追加していた。

 それは行き先を、このように広げた地図に石を落とし、その石が止まった国へ行く、というものである。

 当然のことながら、海の地点に止まった場合はやり直しだ。

 

 

「ほ……!」

 

 もはや習慣じみたそれを、いつもと同じように行う。 

 ふわりと浮かび上がった小石は地図上で跳ねる。そうして止まったその場所に、舞弥は思わず目を細めた。

 

 

「ああ、そう言えばここは初めてですね。回りを海に囲まれているので当たる率が低く、加えて陸路で経由することもないので当たり前と言えば当たり前かもしれませんが」

 

 拡げた地図を仕舞うと、もといた道をまたのんびりと、青空を眺めながら舞弥は歩き出す。

 

 

 ──空港に何か土産になるようなスイーツはあるでしょうか?

 

 

 そんな、硝煙や血の匂いとはかけ離れたことを考えながら、のんびりと。

 

 

 

 

 





しばらくは自分のテンポで番外編を書いていくスタンスにしようかと

それではまた!
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