01
「んー、やっぱり駄目でしたか」
最初に静まりかえった空間を破ったのは声だった。軽薄そうな声が、エコーを纏って響き渡る。
流し眼に声がした方を向くと、階段があった。今まで風香は女にばかり気を取られていたために気づくことがなかったのだが、今まで女が立っていた場所の後方には階段があった。そこに、一人の男が腰掛け、その上段に一人のスーツ姿にサングラスの男たちが立って、こちらを見下している。後ろの一人の男たちに見覚えがあった。風香を拉致した三人組の一人である。
だが、階段に座っている男は初めて見る男であった。
後ろに立つ男の安物のスーツとは一線を画する、栗色の、一目で高級とわかるスーツを着こなし、スーツのうえから灰色のフード付きのコートを着て、フードを被り頭髪を隠している男。
髪型と髪色はフードを被っているためにわからないが顔は面長、左目には眼帯が巻かれ、柔和な、本来であれば人を安心される笑みだが、この場所では不気味でしかない笑みを浮かべている。
風香を見つめながらフードをかぶった男は立ちあがり、階段を下りる。後ろにいるサングラスの男もついてくる。まるで従者のように、笑みを浮かべる男から離れずに。
「あと少しなんですが、いつも同じ所で失敗するんですよね」
やれやれと肩を竦めながら、風香に説明するように、倒れ事切れている女の傍まで近づくと無造作に女の右腕を掴み持ち上げようとする。が、死体となった女の肩から不穏な、何かが折れる音が響き、再び女は床に崩れ落ちる。
変わらずに笑みを浮かべ続ける男は女からもぎれた右腕を見て、ありゃりゃとあきれたように声を上げた。
「……まったく、ホムンクルスを提供してくれるのはありがたいですけどこんなに脆いもの渡されたってどうしようもありませんね。えっと、こういう場合なんていうのでしたっけ? 安物買いの銭失い? いや違うか、分かりますか? 神賀風香さん」
女を見つめながらあきれた口調で男は風香に尋ねた。
しかし、誘拐された時に風香の自由を奪われているために肯定も否定もできないと思いだしたのか、気まずい笑みに変える。
「……あ、すみません。気がきかなくて申し訳ない」
軽快な音が響く。
男はちぎれた腕を持っていない何も握っていない左腕を自らの頭上に掲げ、指を鳴らした。
すると、音がなった。何かが、質量のある貴金属類が外れ、地面に落ちた音が。
その音は自分の手から聞こえた。顔を向けると、地面に水晶のような透明で透き通った物質でてきている手錠が落ちている。
風香は、その時、確認できたという事実に気が付く。自分を束縛していた手錠が落ちていることを確認できた、事実に。
――今まで視線を下げることもできず、体は一切動かすことができなかったのに。
己の意思で肉体を動かすことができる。
その自体に幾分驚きながら両腕で上半身を起こす。負荷がかかってしまったせいで左肩が痛み、反射的に顔をしかめてしまったからなるべく無表情に、左肩の痛みなど無視し、いやあえて左肩を使役する。その左肩から痛みを発生させることで自己を正せ、律せるようにゆっくりとした所作で口枷を解いた。口枷は唯の布だ。結び目が幾分固く結ばれていたが、解くことは容易であった。
本当は立ちあがり、男の顔を正面から見返したかったが、足腰に力が入らず、いまだに足を縛る、手錠と同じ物質で構成された足枷がある。
だから座り込んだままだったが、男の顔を見上げるようにしかりと見ると、
「私の名前は蛭田風香ですよ、この誘拐魔! 犯罪者!」
一言、強い口調でさきほど、同意を求められたときの誤りを指摘、そのまま理不尽な事態を作り出した責任者に向かって罵倒した。
風香の心の中には強い怒りと不条理に対しての憤りが燃えあがっていた。
千切れた右腕をもったままの男は恐ろしかったが、それ以上に風香にとって最重要案件は名前、苗字を間違えられたことについて訂正を求めること。しかし、意思が自らの体に反映されない現状ではなんとも歯がゆい状態であったために自由になった際の第一声は決定していた。
他人に名前を間違えられる、という行為が風香の嫌う、最も嫌悪して無礼千万に値する行為だから、男が風香を神賀風香と呼んだ時、一瞬にして目の前の女性の遺体やこの瘴気が充満する部屋の恐ろしさなどが激しい憤りに燃やしつくされた。
そもそも、なぜ、自分はこんな目に合わなくちゃいけない? 人生は苦労と心配と苦痛、それと不条理の連続だというがあまりにも理不尽の度がすぎる。
だから罵りも加重し訂正を求める。
それについて、完全に想定を越えた反応であった為か男は何を言われたのか分からなそうに、怪訝な表情を浮かべ、風香の言葉を理解すると口の端を更につり上げ、一言。
「Hale die Klappe」
その一言を耳にした時、更に罵詈雑言を浴びせてやろうとしていた風香の喉から声がでることがなかった。息が漏れるが音が出ることがない。自らの喉に手をあてるが、どんなに大声をだそうとも呼吸音が漏れるだけだった。
男はそんな様子の風香を見て満足そうに頷き、後ろに控える従者に振り向きながら千切れた右手を渡すと同時に、
「エアスト、悪いけどあれも処分して」
そういって階段に上がり、また同じ位置に座りこむ。
エアストと呼ばれ、後ろに控えていた男は倒れた女を俵に担ぐと後ろに壁を抉る穴の一つに女を押し込めた。その際、力づくで押し込めたためにバランスを保っていた穴の中で、なにかがこぼれおち、それが風香の膝に当たって止まるまで転がる。
風香は転がったそれを見てしまった。
首だ。
その顔には見覚えがあった。その首が人であったと分かる箇所にはさきほどの女と同じ美の残滓ともいえるものがある。
だが、それはもはや人とは思えない、亡骸の一部であった。
処理もなにもされていない杜撰に廃棄されてから大分経過しているために顔の肉は所々腐って異臭を放っている。
あまりにも生々しい首。しかし、それの生々しさが逆に首というものに対して現実感が持てなかった。
と、その時、ごろり、と首が転がる。
それまで右側しかみえなかったが、左側の損傷は比べ物にならない。右頭部には髪がいささか抜けていたが、しかし、無事な箇所も多かった。しかし、左頭部は所々髪は肌ごと抜け落ち白骨が覗いている。
また、裂傷の跡がいくつもあり、特に左側の下あごの断面は切れ、そこから腐って落ちてしまっているためか、左上あごがまるで人体模型のように見て取れた。ただ違うのは、模型はこのような異臭を放たないこと。それと、損傷がないこと。
ふいに、瞳孔が開ききっていた左目と目があった。
右目は閉じられ、安らかに眠られていたように感じられた物の、左目の瞼は、瞼自体がなくなって半分ほど眼球を露出し抉れ、中の水晶体が見えていた。
その左目、壊れかけていた左目と目があう。
「……!!」
さきほどの怒気も不条理に対しての罵倒するだけの気概も失せていた。
喉から声がだせれば絶叫が響き渡ったことだろうが、風香には声を上げることもできない。
それから離れようとするが半身に力が入らない体ではそんな欲求すらも叶わない。
その首から顔を背けると、男が壁の穴に女の亡骸を詰める作業が目に映る。
この首が落ちてきた壁の虚には、その中には途中で折れ曲がった細長いものであったり、太いもの、などが詰められていた。まるで人の腕のように途中で何本かは折れ曲がり、サングラスをかけた男がその中に女をいれると女の細い左腕はその中の一本になる。
詰め込むと首のように落ちてはこなかったものの、それが虚の中からはみ出した。それもまぎれもなく人の腕であり、所々肉が欠落し、骨が見えていた。
風香は気づいてしまった。いや、どんな愚鈍な人物でも気づくだろう、この充満する瘴気の正体に
壁から漏れている異臭の原因は死体なのだ。このにおいは腐乱臭であり、無数に空いている穴につめ込められた遺体が腐ってそれが瘴気となっていることに。
一体どれほどの死体がこの部屋に、あの壁の中には詰まっているのか。
その事実に一瞬気が遠くなる。
しかし、気絶する暇も与えられなかった。視界に入ったのは死体を穴につめる男だけではなかったからだ。
もう一人、さきほどまで階段に座っていた男が視界に入る。階段に腰をおろしていたはずの男は風香の傍に立って、にやにやと気味の悪い笑みを浮かべこちらを見下ろしている。
その笑みを見ただけで、最初から男がこの事態を仕組んだのだと風香は覚った。理由なんてものは無い。ただ男の笑みがひどく癪にさわったが、何ができるわけではない。
笑みを絶やすことなく更に男は再び風香に近づく。
「沈黙は金なり、この国のことわざですよね? 風香さんは誘拐されてる身の上なのですからおとなしくしてくれるか、もしくは、僕の言ったことに対してはJeかNeinのどちらかでお願いします」
しゃがみ視線を風香に合わせると、にこやかに改めて風香の身の上を説明する。
沈黙は金、微妙に意味が違うと指摘したいが変化なく声がでない。
男は転がっていた首と左手で掴むと、それをおもむろに風香に見えるように持ち上げた。
「じゃないと」
男が掴んでいた首が燃えあがった。
唐突に、火の気などなかったはずなのに首は緑色の炎に包まれる。
残っていた毛髪や皮膚を焦がし、熔けてゆく。生物が焼けていく臭い。腐敗臭と焦げていく臭が混ざり合って、そのにおいが鼻孔に入るだけで吐き気がする。
首の肉も血管、骨すらもドロドロに溶け、まるで液体のように、床に流れ落ち、床に触れた途端それは気化していく。
10秒もたたずに首は燃え尽きた。何も残らずに、首はこの世から消え失せた。
「こんなふうになっちゃいますよ?」
左目を眼帯で覆った男がほほ笑む。首をもっていた左手を掲げたまま、ほほ笑む。
いや、ずっと変わらずにほほ笑んでいたからその顔に何の変化もない。
表情筋に何の変化もなく、笑いながらも何かしらの脅威―殺意であったり嫌悪であったり、または無関心を捉えさせるものなのだが、男は心底楽しそうに、子供のように無垢な純真無垢なほほ笑みだった。
それが風香には恐ろしく、背筋が改めて凍りつく。首を燃やしたことよりも男のほほ笑みの方が恐ろしい。しかし、また反骨の心は健全で、男を、現状を作り出した原因である男を恨む気骨も一切折れていないが、それとは別に男が恐ろしく感じる。
「ああ、あと誘拐魔は頂けない、誘拐魔は頂けませんね、まるで僕が犯罪者みたいじゃないですか」
人をさらっておいて言うセリフじゃない。
けれど、男はそんなことは関係ない。そもそも、この事件と自分は何も関与していないかのように、さも不愉快だと言わんばかりに顔をゆがめた。しかしすぐにまた軽薄な、ある者を不快にさせ、ある者を苛立たせ、ある者には殺意を抱かせるほほ笑みに戻った。
「名前が有るのです。ですからそちらを……」
そこまでしゃべると男が停止した。笑みも、動作も全てが停止。再生器具の一時停止ボタンを押したように
「そうか、そうだった、僕はまだ名乗ってなかったですね。こりゃまた失礼しました」
芝居がかった大げさな動作で天田を下げ、立ちあがって再び芝居がかかり仰々しく移動する。部屋を照らしている不気味な緑光で照らされた部屋の中央に立ち、左手を右肩にあて、
「僕はムトウ モトテルと申します」
ムトウ モトテルと名乗った男は優雅に一礼
「ムトウといっても武勇の“ぶ”に藤の花の“ふじ”ではなく、“無”い“刀”と書いてムトウ、元々の“もと”に“照”らすと書いてモトテルと読みます」
寒気のする白々しい、一目で本心からの笑みではないと分かる笑みを浮かべたまま嗤い続けていた。
「以後よろしくお願いしますね、風香さん」
なんて白々しい、以後もこれからもないと睨みつけるが、その視線はすでに風香に向いていない。風香からして左側の壁に注がれていた。
つられて風香もそちらに横眼で視界に収めると、そこには一人の人間が、力なく座りこんでいた。
違った。
左腕の掌に杭が打ち込まれている。そのために立ちあがることも倒れることもできないのだろう。口枷がはめられ、苦悶の声を上げることもできずにいた。
しかし、その人は項垂れることはせず、ぎりぎりと、射殺さんばかりの眼光で睨みつけていた。
その顔を見た時、風香は思わず思考が停止してしまった。
なぜならその顔をよく知っている。
深く刻まれた皺、70を過ぎていてもまったく手を加えていないというのに、依然として黒の部分が多く所々に白髪が混ざる髪、そして、幾分が憔悴していたがそれでも衰えることなく風香以上に鋭い視線の老人、その男の名前は……
「それと神賀源蔵さん」
神賀源蔵、しんがげんぞう シンガゲンゾウ
風香に聞き覚えはあるもなにも、風香の祖父の名前である。
笑みを浮かべる男を祖父、源蔵は声を出せず、されど殺意のこもったまなざしを向け続けていた。
02
男――無刀 元照はそんな源蔵をみて、ぱちり、と指を鳴らす。
それだけで源蔵を壁に縫い付けていた左掌に打ち込まれた杭が床に落ちた。
しかし、倒れない。支えでもあった杭が抜け落ちたというのに、源蔵は倒れなかった。否、倒れられなかった。なぜならすぐ闇の中から二人の男が現れ、片方の腕を一人づつ源蔵の両腕は掴まれ、そのまま持って支えていたからだ。
源蔵の腕を持つ、二人の男に見覚えはあった。風香をさらった三人の内、この場にはいなくなった二人の男である。
そのまま、男たちは源蔵を壁際から部屋の中央に立つ無刀の元へと運ぶ。
源蔵はされるがままの状態で、風香を運んだ時のように男たちは無思慮、無配慮であった。源蔵の力が入らなくなってしまった両足は床を引きずっている。
引きずられる源蔵の、口枷をはめられながらも苦悶の声が部屋に響き渡った。
しかし、その光景に風香は無意識のうちに眉をひそめてしまう。
そのことに気がつき、優先すべきは苦手とはいえ己の唯一の身内、祖父の身を案じることだと、そのことを恥じたが、どうしようもない違和感が生じたからだ。
風香は現状に、祖父に違和感を持つが何に違和感を持ったのか理解できない。ただ何かが違う、本来ならばこうなるわけがない、と己の世界と現実の世界にあまりにも齟齬が生じている。
濃藍な着物を源蔵は身に纏っている。
源蔵は外出の際は着物を着ている習慣があったが、風香と同じように外出時で拉致され、そのままの状態で壁に杭で掌ごと固定されていたらしい。
と、その時になってようやく気がつく。
祖父が引きずられ、通った後には筋ができている。真っ赤な血の跡が。
そして、祖父の両足があらぬ方向へ向いていることに
風香の脳裏によみがえるのは、先ほど源蔵の左掌に刺されていた杭、その傷から血を流し続ける祖父
そのことから導き出される答えなどたやすかった。源蔵は、この男たちから拷問を受けていたのだろう。
そして風香は先ほどの違和感にも合点がいった。祖父は我慢強い。滅多なことでは痛みによって悲鳴などあげることはない。しかし、その祖父が苦悶の声を上げた、その違和感であったことに。
「いやはや全く貴方に似て意固地なお孫さんですね、神賀源蔵さん」
そんな源蔵を目の前にしても無刀は気にしている様子は一切なかった。
「何も死ねって命令してるんじゃないんですよ……ただ教えてほしいだけですよ、我々は……冬木の聖杯に、更に言うならばサーヴァントの召喚方法について、ね」
だが、祖父である源蔵は額から脂汗を流し、右腕が肘から先があらぬ方向に折れ曲がっていながらも、睨みつけていた。よく見てみると、額の皮膚がきれ、流れ出た血が右目に流れ込み片目を赤く染めている。
無刀は、円状に輝く光の外周をなぞるように歩き始める。
無刀は話しを始めた。風香からしてみれば聞いたこともないような、突拍子もない裏側の世界、かつて母が話した神賀家の暗部についての物語を。
03
「魔術師の中でも屈指の名門だった神賀家はかつて、外部からある魔術儀式の開催地である冬木の御三家、間桐を援助し、その助力の代わりとして儀式に参加するシード権を得ていた」
魔術、なにも知らぬまま言葉を聞いていたならば風香は正直あきれていただろう。
何を語りだすのか、よりもよって魔術。
風香にとってこれまでの人生からしてみれば、空想の産物。そんなものはあり得ない。
なぜなら、そんなものを現実で使える人間など見たことも聞いたこともないからだ。
一笑していただろう。
だが、
風香は横目で融解し、首が床に落ちた途端消え去った場所を見る。それと、最初に傷つき死んだ美しい女の亡きがらが押し込められている壁の穴も
さきほどの女が行った行為や瞬時に燃やしつくされた首、あれが異常な物であることは風香も理解していた、いや、異常、通常ありえない行為であるとは、それが魔術というものであると、いや、魔術が現実のものであると如実に立証していた。
「その魔術儀式とは、アラヤの守護者となった者たち、すなわち英霊を降臨させ殺し合う“戦争”を行い、勝者が得るものは唯一つ、どのような奇跡すらも現実とする“聖杯”――“聖杯戦争”のシード権をね
しかし、それは第三次聖杯戦争までの話」
無刀は笑みを変える。嘲笑うような、皮肉ったような、人を食ったような笑みに変えた。
「第三次聖杯戦争の前哨戦に神賀の当主が破れ、いや違うか、前哨戦を作り出すきっかけを作ってしまった」
その話がどのようなものか風香には理解できなかったが、祖父の表情が険しくなっていくことでいい感情を持ち合わせていないことをわかる。
「本来ならば魔術師にとって絶対遵守の最大戒律――“神秘の流出”を、正確に言えば聖杯戦争を帝国陸軍に漏洩させるという大失態を演じ、しかもその前哨戦でもある帝都での戦いでは早々に敗北。
ゆえにその後の戦中の混乱に紛れての魔術教会から粛清、他の魔術師たちによる討伐、よってお家断絶、という最悪の結果を免れはしたもののお抱えしていた主要な魔術師は全滅、資産は殆ど没収され没落、間桐に対してそれまでの援助を行うこともできず、第四次、五次には不参加」
最も、そんな魔術師の面汚しである家を間桐家が参加を認めるはずがないと思いますがね、と付け加えた。
魔術儀式、聖杯戦争、まるで何も知らない風香にも説明するように男はしゃべるが、風香には半分も理解できていない。だが、自分の家が侮辱されていることは無刀と祖父の表情からも察することができた。
「ですが、そんな没落した家でもなにかしら伝書の類は持ち合わせているでしょう?」
そう言いながら源蔵に近づくと屈み、にっこりと笑みを作りながら語りかける。
「再度にわたってお願いします。それをね、渡していただきたいんですよ。それを頂ければ源蔵さんを治療しますよ? いえ解放いたしましょう」
そういって、無刀はもう一度指を鳴らした。
と、今度は源蔵にはめられていた口枷が外れる。
「……ふうううう………」
口枷は外された源蔵は一度息を吐き出す。
ゆっくりと、源蔵は顔をあげ、正面から無刀を見据えると、無刀の頬に何かが当たった。
自らの頬に無刀は手をやり見てみると、源蔵の唾であった。
今度は源蔵が口角をつり上げ笑みを作って腹の底から嗤った。
となりに立つ男が源蔵のあらぬ方に折れ曲がった右腕の肘関節を更に痛めつけるようにするが、それでも嗤い続けた。
ひとしきり嗤った後、更にあざけり嗤うように、
「……何度も言っているだろうが、そんなものは残っていない。それに冬木の戦争はもう二度と起こらん。知った所で無駄だ」
その言葉に無刀の笑みが消え、僅かながらに眉をひそめた。
源蔵は汗だくになりながら、痛みに耐えながらも気丈であり、屈していないかのように叫んだ。
「無知な貴様に教えてやる。14年前に御三家のひとつであった家が聖杯は解体した。貴様らが何をしようとしているのか知らんが召喚などできるわけがなかろう」
してやったり、という顔で源蔵は語る。
この行為に何の意味もない、時間と労力の無駄だ、といわんばかりのように、愚か者と論外に語っていた。だが、無刀は思い切りため息をつき、今度は相手を心底見下すように
「そんなことは知っていますよ。そもそも貴方も参加された17年前の冬木での異変に間桐の同盟者として貴方が参戦したってことも知っています。
それに、何か勘違いされているようなので、私達はなにも冬木で召喚するというわけじゃないです」
一瞬その言葉を受け、源蔵は呆けたようだったが、その意味を理解すると、今度は怪訝そうに
「……ならば、新しい聖杯か? 霊地にでも新しく聖杯降臨の儀を取り行うとでもいうのか? もしくは聖杯の復活でも執り行うつもりか?」
だがその問いに、無刀は再び柔和な笑みを浮かべる。
「それは御想像にお任せいたします。しかし、我々の目的はあくまでも聖杯という魔術儀式に関する知識、ということだけは明言しておきますし、何も貴方がたの命を奪うということではないと宣言しておきますよ、それの証拠にほら」
そういって、無刀の隣にたっていたエアストと呼ばれた男が一枚の羊皮紙を無刀に渡す。
渡された紙を広げ、源蔵に見せつけた。
「自己強制証明
ぽつり、その用紙をみて源蔵は呟く。
ギアスセルフ・スクロール。
風香にはその羊皮紙の意味も用途も分からなかったが、魔術師であれば知っているもの。
陰謀と策謀が渦巻く魔術師の世界において自らに、魂に枷をはめ、その用紙に書かれている文言に対しての絶対順守を課す。魔術師同士の契約においての最終手段ともいうべき物であった。
源蔵の見た羊皮紙には要約するとこう書かれていた。
『神賀源蔵は無刀元照に対し、神賀家が所有する聖杯戦争の英霊召喚に関する書物を全て提出すること。無刀元照はその対価に神賀源蔵とその孫――蛭田風香の命は助ける。風香の記憶も改ざんし、これまでと変わらずに生活できるように最大限の努力をする』、と
だが、その契約に対して源蔵は渋る。なぜなら、
「……最初から言っている。知っていることは全て話した、そのような伝書の類は持ち合わせていない」
確かにセルフギアス・スクロールは強力であり、それを破れば命を危険にさらすほどの物であるが、逆を言えばこの文言以外に順守する必要はない。
つまり、神賀家が伝書を所有していない場合、源蔵は無刀に渡したくても渡せず、契約は履行されない、契約を破棄したわけでもないのに、契約が完遂されることがないのだ。
だからこそ、無刀にも源蔵と風香の命を守る必要などどこにもなくなる。
だからこそ、源蔵は言うしかなった。
この男は、無刀は神賀がどれほど衰退しているのか理解していない、いまだに力が残っているのだと思い違いをしている。
その証拠に没落していないと話したが、神賀は没落している、否魔術師としてすべてが失われている。財も才も殆どが粛清の際に失われた。確かに幾分かは残っていた物の、それは雀の涙ほどしか残っていなかった。かつて、神賀家を魔術師として再建しようとした源蔵にはそれがいやというほどわかっている。だからこそ、17年前の間桐家に助力を求められた際にお家再興の望みをかけて参陣、という無茶までしたのだ。
結果として源蔵は己の魔術回路の大半と家に残されていた魔術礼装の全てを失い、あの17年前の凍てつくような雪空の日に神賀は魔術の家として潰えた。
この無刀といわれた男も魔術師としての格は高いものではない。否、下級だろう。神賀の現状すら理解していないのだから
項垂れながらも言葉を搾り出すように源蔵はいい、その言葉を聞くと無刀はそうか、それは残念だといわんばかりに肩をすくめ、大げさにため息をつくと、
「……渡す気がないのか、それとも本当にないのか私には判断がつきませんが、すみませんがそれでは対価を頂いていないのに品物を払うわけにはいきません」
もう興味がなくなったかのように、無刀は立ち上がった。協力が得られなかった、それが心底残念だ、と言わんばかりの表情で立ち上がる。
この様子を源蔵は歯がゆい思いでみるしかない。現状、孫と己の命をこの魔術師が握っているのだから。
「では、どうする?」
無刀は源蔵に、神賀に対して求めるものが不可能だと理解はしたのだろう、だからこそ別な物を求められると源蔵は、己と孫がどうなるのかを尋ねる。
その処遇に対して無刀は一言述べる。源蔵にとって処刑にひとしい言葉を。
「決まってますよ、お孫さんに召喚をしてもらうことになります」
残念だという顔から一転、それまでと相も変わらず愉快そうに、心底楽しくてたまらないように無刀は笑いながら言った。
いかがでしたでしょうか? 神賀家に対してかなりオリジナル設定が強くなってしまいました。
ご意見ご感想をお待ちしております。