真・恋姫†無双~怒気ッッ グラップラーのいる三国志ッッッ~   作:クーロン

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叫び

 許昌の城内――

 華琳は、そこでとある報告を受けた。

 愚地克巳の不在、という報告である。そして、王座の間に武官の重臣全員が集められた。

 華琳からの通知を受け、三人が驚いた顔をした。

 凪、真桜、沙和の三人であった。

 

「どうしたのかしら? やけに驚いた顔をしてるじゃない」

「いえ……克巳さん、腰が引けてましたから」

 

 凪が言った。

 抑揚も無く、冷たい声だった。

 

「……何があったのか、なんて聞かないわ」

 

 華琳は一瞬だけ思案顔になり、言った。三人の様子から、何かを察したようだ。

 ――人選を失敗したか

 華琳はそう思った。

 愚地克巳が愚地独歩の養子、ということは知っている。他の面々と比べ、独歩との付き合いは長く深い。

 だからこそ、仇である恋と闘いやすい役職につけた。

 独歩が斬られた、という報告で、一番怒りを覚えたのは克巳だろう。そして、独歩の空手道団体を継ぐ人間だ。

 だからこそ、警備隊をまとめ上げ、独歩の仇をとりにいくだろう。

 そう考えていた。

 だからこそ、人選を失敗したと思った。

 ――克巳は私が考えていたことの、真逆をした

 そう思った。

 

「克巳は警備隊から外した方が、良いかもしれないわね」

「私もそう思います」

「克巳の野郎ォ、随分な言われようじゃねェか」

 

 凪が答えた時だった。

 王座の間の入り口から、声がした。愚地独歩の声だった。

 

「独歩! ケガをしているから寝ていろ、と言ったではないか!」

「春蘭よォ……オイラは老人じゃねェんだ。寝ているばっかじゃ、身体がダメになっちまう。足に関しては無事なんだからよォ」

 

 独歩は両手に包帯を巻かれ、鼻の軟骨を折られているが、それ以外は骨に問題はない。

 歩くことは十分に出来る体力がある。

 そうであるため、ずっと寝ているのは気分が悪かった。

 

「で、独歩は何しに来たのかしら? 私も寝ていなさい、と言ったハズよ」

「克巳のことで来た、に決まっているじゃねえか」

「擁護しに来た……ってワケじゃないんでしょ?」

「当たり前だろうが。アイツだってガキじゃねェんだ」

「なら、何を言いに来たのかしら」

 

 華琳が言った。

 

「邪魔すんなってことよ」

「邪魔……?」

 

 凪が怪訝な目をして言った。

 

「オウ。アイツは()りてぇヤツと()り合っているんだよ」

「それは誰でしょうか?」

「言わなきゃ分からねえか?」

 

 独歩はズイ、と凪によって言った。

 そして、一歩だけ下がって華琳の方を向いた。

 

「ま、克巳を警備隊を外すってのは賛成だ。あくまで一時な。ケガしてるかもしれねェからよォ」

「独歩、何をしているか知っているみたいね」

「当たり前じゃねえか。だけど、場所までは知らねえぜ」

 

 独歩は楽しそうに言った。声のトーンは明るかった。

 それが、次の瞬間には一変した。

 

「探してえなら探しゃあイイ……けどよ、()り合っているのを、止めてみやがれ。止めるようなヤツがいたら……ちぃっとオシオキするかもしれねェ」

 

 言い方には、どこか愛敬がある。

 だが、怖い声だった。どこか、凄みというものがあった。

 

「拳が壊されているんじゃなかったの?」

「足があるじゃねえか。ついでに言えばよ、頭もある」

「……ということよ。克巳のケガを考えたら、探す必要があるわ。だけど、とめたら怒られるわよ。全員、それを念頭に置き、探してきなさい」

 

 華琳は静かに言った。

 

「まぁ、克巳が街の中をブラブラ歩いているようなら、一発ブッ叩いてもいいぜ」

 

 独歩はさっきの雰囲気を誤魔化すように言った。

 それだからこそ、より静かな威圧感というものが感じられた。

 

   壱

 

「はぁ……今夜は、ゆっくり寝れると思っていたんやけどなぁ……克巳は、何しでかしてくれとんねん」

「夜更かしってお肌に悪いの」

「仕方ないだろう。華琳様の御命令だ」

 

 三人組みが歩いていた。微妙な速度で歩いていた。

 真桜、沙和、凪の三人だ。

 溜息とアクビ混じりの呼吸音が三人からする。

 命令だから探してはいるが、気は乗らない。そんな態度がありありとしている。

 その証拠として、聞き耳はたてながらも、真っ直ぐ、入り組んだ路地裏に入らないように歩いている。

 一応、入らない理由もある。

 月が雲に隠れている夜である、という理由だ。

 下手に暗がりの路地裏に入り、不意打ちでもされたら、ひとたまりもないという理由である。

 その理屈で、わざわざ面倒な目をみて探すのを三人は避けた。

 誰かが提案したわけでもない。自然とそうなった。

 だからこその偶然だった。

 行く先は城壁の方へと真っ直ぐ向かっていた。

 

「オエアアアアアアッッ!」

 

 獣じみた叫び声だった。

 女性の声だろうか。

 三人にとって、一度か二度は聞いたような声だったが、聞き覚えはない。

 

「来いやァ……親友ッッ!」

 

 鋭い叫び声だった。

 男性の声だ。

 三人にとって、聞き覚えがある声だった。

 

「……克巳……さん?」

「うっわ……面倒な時に面倒なトコに来てもうたわ」

「しかも……はァ……」

 

 沙和は溜息を吐いた。

 そして、真桜と見合って話し始めた。

 

「狼煙あげちゃ……」

「そら、アカンやろ。それで下手して戦いを終わらせたら、独歩はんから蹴り飛ばされるか、頭突きやで」

「だよねぇ……そんなことやられたら、沙和じゃ死んじゃうの」

「ウチもや。全力でブッ叩かれて生きてみせるなんて、春蘭様や霞様ぐらいやないと無理やで」

「だけど……呂布の矛先がこっち向いたら……」

「……間違いなく死ねるで」

「だよね……。凪ちゃ~ん? さっきから、どうしたの? 全然、話さないの」

「…………」

「凪、何ボサッとしとんねん。ちと、ウチ等の話に加わって……凪?」

 

 真桜は凪の方を向いた。

 そして、何度か声をかけたが、凪は二人の方を見ようともしなかった。

 口が半開きにし、城壁の上の闘いを見ていた。魅入られていた。

 

「見えなかった……」

「凪ちゃん?」

 

 沙和が声をかけても、同じ態度であった。

 凪の眼には、城壁の上の二人の姿しか見えなかった。

 それ以外は何であっても、気にもとめなかった。

 

「――――」

 

 凪は、一瞬だけ自分の呼吸音が聞こえた。

 震えた音だった。

 見てしまった、と思っている。

 同時に、見えなかった、とも思っている。

 大きく足を広げ、放たれる拳。

 それは放たれる、から、放たれたに一瞬で変わった。

 拳が当たる、が、当たったに一瞬で変わった。

 そうなるのを見た。

 だが、その結果になるまでが、見えなかった。

 “当てる”という過程を、吹き飛ばしてしまったかのようだ。

 “当たる”というのも、赤毛の少女がくの字に折れ曲がるのを見て、それでようやく分かったのだ。

 

「スゴイ……」

 

 気が付けば、凪はそう口にしていた。

 凪の目に映っているのは、凄惨な光景だ。凄惨な闘いだ。

 克巳の左腕は、肘があらぬ方向へと曲がっている。鼻からは大量に出血している。

 恋とて同じだ。鼻からの血は、その服を赤く染めている。

 闘いの中で、顔面に拳が当たったのだろうか。眼が塞がり、目尻からも血が出ている。口からも血が出ている。

 そういう状況でありながら、二人は殴り合っている。

 気の弱い人間ならスグに、目をそむけてしまう闘いが、そこにはあった。

 ――美しいな……

 何故か、凪は二人の闘いを、そう思った。

 二人の姿が神々しくすら見えた。

 ――あの闘いは禁じ手、なんてものは存在していない闘いだ。戦場以上に、禁じ手というものが存在しない闘いだ。

 凪はそう思っている。

 もし、仮にルールというものが存在するのなら、それは闘っている愚地克巳の中に、恋の中にしか存在しない。

 それは、濡れた和紙よりも脆い。簡単に引き裂けるルールだ。

 克巳は恋の眼を突いていない。噛みつきをしていない。

 他にもえげつない技は幾つもあるが、筆頭はその二つだろう。

 眼に関しては、突く必要はない。こするだけでも十分すぎる効果をあげる。

 それだけで相手を、ひるませることが出来る。

 眼に指を突っ込んで、眼球をほじくり出さないでも、攻撃としては十分だ。

 突っ込まずに、こするだけでも、相手の視力を永遠に奪うことも出来る。

 それでも、していない。

 噛みつきも、出血が致命傷となる個所を狙えば、それで相手に勝てる。

 首筋の左右二箇所の頸動脈。

 上腕の内側、左右二箇所の上腕動脈。

 手首の左右二箇所の尺骨動脈。

 太ももの内側、左右二箇所の大腿動脈。

 計八箇所。

 それらの血管を噛み千切れば、それで勝利は舞い込んでくる。

 恋は武器を握っていない。

 武器はすぐ近くに落ちている。拾おう、と思えばすぐに拾える。

 そして、それを振り回すだけでも、素手の克巳には大きな脅威になる。

 それで人体のどこかを適当に斬れば、戦意を失くせる。

 場所によっては、一撃必殺にもなる。

 克巳の死をもって、闘いを終わらせられる。

 それで勝利となる。

 恋は、金玉を蹴り上げていない。

 金玉は男性にとって、最大の急所である。

 一発。

 ただの蹴り上げ一発で、相手を悶絶させ得る。

 無論、それを防ぐための技術も存在する。

 腹筋の操作で、金玉を腹に引き上げる、琉球空手の技であるコツカケがその代表だ。

 それでもやる価値はある。

 だけど、両者はそれをやっていない。

 それは自分が、そこまでして勝とうとは、思っていないからかもしれない。

 だが……それをやらねば、敗けるという闘いになれば……!

 ――やる。必ず、やる

 凪はそう思った。

 思うと同時に疑問がわいた。

 ――何故、自分にそれが分かるのか

 凪は自問する。

 ぞくり

 太い震えが凪の中に走った。

 同じだからだ、と凪は結論付けた。

 凪は太い震えの中で、花山薫を思い出していた。

 ――アレに勝つため、自分は何をした?

 手段を選ぶ余裕はなかった。

 最後の最後――自分の片足を犠牲に、頭部に渾身の氣弾をぶち込んだのだ。

 憶えているのはそれだけだった。

 その記憶のおかげで、自分もあの二人と同じ人種だと分かった。

 ――私も勝つために手段を選ばなかった

 だから、この闘いが分かるのだ。

 

「かぁッッ!」

 

 克巳が叫び、右手で殴った。

 

「しィィっ!」

 

 恋はそれをいなし、肉薄した。

 ――やるのか!? 眼を潰すのか!?

 凪は思った。

 えげつない技を使う、使わない。そんなものは自由だ。

 やりたければやればいい話だ。

 向こうが先に眼を狙って攻撃したから。だから敗けた。

 向こうが先に金玉を狙って攻撃したから。だから敗けた。

 向こうが先に噛みつきなんて攻撃をしたから。だから敗けた。

 汚いヤツだ。汚い技を使いやがって。そんなことをされなければ、自分が勝っていた。

 それほど、みっともない言葉はない。

 自分の禁じ手を、相手にも要求する。そんなみっともない考えは、両方とも持ち合わせていないだろう。いないに決まっている。

 これはそういう闘いなのだ。

 自分の中に眼を突いてはいけない、なんて決め事が無ければ眼を突く。

 噛みついてはいけない、なんて決め事が無ければ噛みつく。

 そういう闘いだ、と凪は想っている。

 恋の手が、克巳の顔に向かっていく。

 ――眼だ!

 凪は反射的にそう思った。

 だが、その一撃を阻むものがあった。

 

「ひィあぁッッッ!!」

 

 凪は城壁の下から見ていた。凪だけでなく、真桜と沙和も見ていた。

 言葉を忘れ、見ていた。

 愚地克巳の左足が跳ね上がり、恋の右のコメカミを叩く瞬間を――

 それは地面の底から湧いてくるようであった。

 白い道着が、水鳥の羽のようにも見えた。

 泥の一滴もくっついていない、純白の水鳥だ。

 美しい蹴りだった。

 ふわり、と水鳥が優雅に飛び立つような速度の左足の蹴りだ。

 それは拳足での打撃を専門とする凪が、今まで見た蹴りの中で、最も美しい曲線(ライン)を描き、恋のコメカミに吸い寄せられていった。

 ――こんな事があるのか……

 凪は思った。

 めったに見られる光景(シーン)じゃないだろう。

 闘いの中に、こういう光景があるのだ。

 計算して出せるものではない。狙って出せるものではない。

 お互いがギリギリの闘いの中で、全力を尽くし合い、技を殺し合い、闘いというものに真摯になって、その中で生まれるような一撃だった。

 克巳の蹴りを阻むものは存在しなかった。

 たった一撃。克巳のその一撃は、恋のコメカミを叩き、頭の中の脳は、あたかもピンボールのように頭蓋骨と何度も衝突を繰り返した。

 そして――

 ふわり……

 と、恋の眼から光が消え、拳を固めたままで、うつ伏せに倒れていった。

 

   弐

 

 凄惨なはずの闘いであった。

 凄絶なはずの闘いであった。

 たとえ、骨が折れても闘うのだ。相手が武器を持っていようが闘うのだ。

 これはそういう闘いだ。

 音々音は、間近でその闘いを見ていた。

 声を忘れ、圧倒されていた。

 魂と魂がぶつかり合い、せめぎ合い、ゴリゴリと音をたてた。

 その音が爆音として聞こえるような気すらしてしまう。

 

「オエアアアアアアッッ!」

 

 恋は前傾姿勢で突進してきた。

 克巳は股を大きく開いた姿勢で立っていた。

 右の拳をグッと固め、恋を睨んだ。

 恋が何をしようと考えているのか、どこを狙おうと考えているのか。

 そんなことは、克巳にとって大したことではなかった。

 ――(コイツ)を思いっきり叩き込む……ッッッ

 克巳はそのことだけを考えていた。

 まだ。まだ。まだ。

 ――どれだけ待てば、コイツは間合いに入るのか

 克巳はそう感じた。

 恋が克巳に突っ込んでくるまで、時間としては、コンマ一秒。

 感じたとは言えない時間。

 実際にはそんな間だったが、克巳にはそう感じた。

 来る!

 ――来た!  間合いッッ  狙い  顔面ッッッ!    腕ッッ 守り……     腹ッッッ

 克巳の思考は断片的であった。

 思考、というほどの過程ではない。瞬時の閃きであった。

 閃きの時間は、色を見せられ、それが何色なのか、理解する程度の時間と同じ程度である。

 そう思う時には、足で発生した力は、すでに右肘にまで到達していた。

 肉体の動きそのものが、克巳の思考であった。

 炸裂――

 恋は反応できなかった。

 拳が来る、ということは知っていた。事実、腹には力をこめ、守りを固めていた。

 それでも反応できなかった。

 拳を避けるとか、いなすとかの行動をとれなかった。

 覚悟は出来ていた。

 それで、気絶という事態は避けられた。しかし、ダメージは甚大であった。

 ひざから力が抜け、頭だけが前にいく。

 

「ああああああっ!」

 

 何度目か。今夜で何度目か。

 恋は叫んだ。

 ひざから抜けた力を引き戻すため。克巳に一撃加える力を出し切るため。

 恋の右拳が動いた。

 鉤打ち。

 フックを、克巳の左腕にやろうとしている動きだ。

 壊れた左腕に当たらなくても、脇腹を突き刺そうとしている。

 拳。

 刺さった。

 恋の鉤打ちが克巳の腕に刺さった。

 痛。

 激痛が克巳の腕から全身に回っていく。

 だが、ひるみはしない。

 克巳の顔の真下には、恋の頭があった。

 足は広げているため、ひざは使えない。だが、右肘がある。

 克巳は、真下に、恋の後頭部に肘を落とした。

 跳。

 恋は右に跳び、それを避けた。

 克巳の肘が、恋の左耳をかする。

 掴。

 恋が両手を伸ばし、克巳の左肘を掴みにいった。

 痛。

 克巳の全身に、再び激痛が走る。

 だが、それはもう知っている痛みだ。覚悟していた痛みだ。

 噛。

 恋は口を大きく開け、克巳の首筋へと顔をもってきた。

 歯には血が絡み、ヌラヌラとしている。

 捕。

 克巳は恋の背に右腕をまわし、捕えた。

 逃げられないように、捕えた。

 蹴。

 ひざでの蹴りだ。

 それが、恋の下腹部に入った。膀胱がある辺りだ。

 一般人が受けようものなら、その一撃で膀胱が破裂し、小便が体の中に撒き散らされるだろう。

 受。

 恋は避けなかった。避けられなかった。

 その一撃を受けてから、恋は両手を克巳の胸に当て、思い切り押した。

 離。

 克巳はよろけ、一歩だけ下がった。

 それと同時に、恋も距離をとった。

 走。

 すぐに、恋は克巳に向かって走りだした。

 拳。

 克巳が打った。

 足。

 恋が蹴った。

 そして二人が拳足の間合いに入った。

 足。

 拳。

 肘。

 足。

 拳。

 拳。

 膝。

 拳。

 目まぐるしい攻防が、至近距離で繰り広げられていた。

 

「かぁッッ!」

 

 克巳は叫び、右拳を突きだした。

 

「しィィっ!」

 

 恋は口から鋭い息を吐き、間合いを詰めた。

 同時に、左腕で克巳の右を払った。

 それならいい。それだけならいい。

 問題は、そのために使った技術(わざ)だ。

 廻し受け――

 空手家である愚地克巳が見紛うハズもなく……。

 まぎれもない、空手の技だった。

 同時に、恋の右手が克巳の顔にのびる。

 掌じゃない。

 指を一本だけ突き出していた。

 顔に対して、指を立てる。もう、何をするかなどは明白だ。

 眼突き――

 克巳は顔を右へと動かし、避ける。

 

「ひィあぁッッッ!!」

 

 同時に、左足が動いた。

 蹴る、と考えていたワケではない。身体が勝手に動いたのだ。

 それは克巳が、右へと顔を動かした時の勢いも乗せ、恋の右のこめかみを叩いた。

 恋の眼から、光が消える。

 そして、物言わずに、前へ出て来た勢いのまま、倒れた。

 

   参

 

 克巳はうつ伏せになった恋を見下ろしたまま、深呼吸をした。

 一回、二回、三回。

 それだけ吸って、少しだけ鼓動が落ち着いた。

 そして、背を向けて階段を降りはじめた。

 階段を踊り場前の段を、半分くらい降りたところで、下にいた三人に気付いた。

 

「ハハ……見てたのか」

 

 克巳が言った。

 三人は無言だった。

 何か、言うべきことがあるとは思っている。

 それでも、何も言えなかった。

 

「上で呂布が寝てるから、おまえらに任せた。狼煙でも上げれば、他のヤツも来るだろ。……俺は、医者に左肘を治してもらう」

 

 そこまで克巳は言い、もう一段下の段に足をかけようとした時だった。

 ぬらり……

 と城壁の上に影が出来た。

 

「しゅる……ふしゅる……」

 

 呼吸音が妖しい。

 血に飢えた獣の呼吸音だ。

 闘いのみを求める修羅の呼吸音だ。

 

「克巳さん! まだ終わっていませんっ!」

 

 凪は震える喉を抑え、辛うじて大声で叫んだ。

 だが、その時には既に影が動き出していた。

 

「おきゃあっ!」

 

 武器を持っている影は、奇声をあげて克巳に飛び掛かった。

 

「けぇあッッッ!」

 

 克巳は振り向きながら、右の拳を振り抜いた。

 裏拳だ。

 当たった。打ち抜いた。

 克巳の裏拳は、恋の右わきを打ち、恋は階段に背中から叩きつけられた。

 背中が濡れていた。

 克巳の背中が濡れていた。

 なんだ?

 なんだ、これは?

 生温かく、ぬるぬるしている。

 そして、それは背中を伝い、道着を濡らし、尻まで真っ直ぐに、たれ落ちていった。

 背が痛い。痛くて、くすぐったい。

 血の臭いが、ツンと克巳の鼻を刺した。

 それが、克巳の動きを止めた。

 停止とは言えない停止。

 躊躇とは言えない躊躇。

 存在しないも同然の時間であった。

 だが、止まったのは事実だ。

 その隙間を突くように、恋は戟を振った。

 

「勇次郎!」

 

 叫んだ。

 恋は叫んだ。

 叫んだ時には、戟の石突きで克巳の腹を、突き刺すように殴り抜いた。

 

「呼ォッッ!」

 

 克巳はとっさに、三戦の型をとっていた。

 呼吸のコントロールによって完成される三戦は、ありとあらゆる打撃に耐えると言われている。

 あくまで、打撃に。

 恋は戟を半回転し、刃を克巳に向けた。

 振った。

 血が飛んだ。

 

「勇次郎!」

 

 叫んだ。

 凄まじい表情であった。

 喜び、怒り、哀しみ、楽しさ。その内のどれかで、出来る表情ではない。それらを混ぜて出来る表情でもない。狂気、呪い。そんなもので出来る表情でもない。

 どうやったら出来るのか、まるで分らない。

 その表情のまま、戟で克巳を斬った。

 

「勇次郎ォ!」

 

 時に、柄で殴りつけた。

 急所を殴った。折れた肘を殴った。

 血が恋の足にも、顔にもとんだ。

 恋の眼だけでなく、唇までもが吊り上がっていた。

 可愛らしい年相応の少女の顔が消え失せ、鬼の容貌(かお)になっている。

 赤い髪にも血が付き、それを振り乱しながら叫んでいた。

 

「ゆうじろお!」

 

 叫んだ。

 恋は叫びながら、戟で殴り、斬り続けた。

 

「ゆうじろおおお!」

 

 克巳の足から力が抜け、ひざから崩れ落ちていく。

 肉が、ぶるぶると震えている。

 

「……敗けない……っ! 恋は……敗けない……!! 絶対……敗けない……っ!!」

 

 恋の頬に涙が伝う。

 それは顔に着いた血を巻き込み、赤い滴となって胸に落ちた。

 そして、キッと下にいた三人を睨みつけた。

 

「次は私達……というわけか!」

「真桜ちゃん! 狼煙は上げて……!」

「もうとっくのとうにやったわ!」

「……やらない」

 

 恋はそう言い、克巳を両手で掴んで、三人に向かって投げつけた。

 

「お前たちとは……やらない……。ねね、次に行こ」

 

 恋はそう言い、階段を登っていく。

 そして、音々音を背負うと、城壁を外に向かって飛び降りた。

 数瞬――

 そして、走り去る足音が聞こえた。

 

「痛ぅ~。呂布はホンマに逃げたんか!?」

「多分……一応、足音が聞こえた」

「それより、克巳さんをどうするか、なの」

「……脈はある。止血して、城まで運ぶぞ」

 

 凪はそう言い、服の布を切った。

 そして、それを包帯代わりに克巳の傷口に巻いた。

 

   肆

 

「……そう」

 

 華琳は凪、真桜、沙和の三人から報告を受け、つぶやいた。

 

「ってことはよォ、アイツはどっかに行っちまった、っていうことだよなァ?」

 

 華琳の隣に立っている独歩が言った。

 

「はい。独歩殿と克巳さんのカタキを討てず申し訳……」

「ちげェ。いつ、オイラがオメェ等にカタキ討ちなんざ、頼んだってんだよォ」

 

 独歩はそう言い、ニヤリと笑みを浮かべた。

 

「こちとら、空手家の命とも言うべき拳をアイツに壊されたんだ。アイツはオイラがぶちのめす。死ぬまで追い詰めるぜ」

「独歩。まだケガは治っていないハズよ」

「関係ねェよ。人間生きてりゃ、ケガもするし病気もする。それでも()る時にはやるってェことだ」

「……そう」

 

 華琳は少しさびしそうに言った。

 そして、意を決したように言った。

 

「ねぇ、独歩。実は今、華佗を探しているのよ」

「たしか……ソイツは医者だったか?」

「ええ。独歩には秘密にしておくつもりだったのだけど。で、行くのは、その治療を独歩と克巳が受けてからにしなさい」

「俺としちゃあよォ、さっさと追いかけてえんだけどなァ。居場所が分かりづらくなっちまう」

「あの……すいません」

 

 凪がひかえめに言った。

 

「おう、どうしたってんだ」

「手掛かりになるか分かりませんが……」

 

 凪はそう言ってから、独歩に恋の様子を話した。

 

「勇次郎……かァ。やっぱそこだよなァ……それで一つ、二つに絞れるぜ」

「……二つ?」

「オウ。刃牙かジャック……そのどっちかは、確実に狙われるってェことだ。で、ソイツ等の居場所は分かる」

「……なるほど、ね」

 

 華琳が言う。

 そして、独歩は笑みを浮かべた。




今回で、ストーリー的には鬼神辻斬り編が折り返しになり、次回から徐州を舞台に闘うことになります。話数的には折り返しにはならないんだろうな……

つまり、花山さんに烈さん、刃牙とかの闘いになります。で、刃牙とやれば来るのは……
一応、鬼神辻斬り編のゴールが見えてきたのかなぁ?
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