真・恋姫†無双~怒気ッッ グラップラーのいる三国志ッッッ~ 作:クーロン
恋が桃香の本拠地に入ってから七日。
音々音が、一つの情報を恋に持って来た。
「恋殿! 面白いことを聞きましたぞ!」
「……?」
恋は音々音の言葉に動じることなく、首をかしげた。
恋の眼がじっと音々音を覗き込む。
「恋殿が虎牢関から去った後、洛陽でも戦いがあったというのです!」
「……詠が戦った……」
「違うのですっ! たった一人と袁紹、袁術の軍が戦ったというのです!」
「そう……?」
「ええ! しかも、その人がこの街にいるとのことです!」
「ふぅん……」
恋は最初、そこまで気が向いたワケではなかった。
一人で敵軍を相手にする、ということは自分が既にやったことがある。
だが、それだけではダメだと思った。それだけでは勇次郎に勝てないことが分かっている。
何を持って、敵軍と立ち回ったのか、が重要だった。
自分のように、勘と身体能力なのか。それとも、経験と技術を持ってなのか。
自分と同じ要素であるなら、闘う意味がないと思う。
身体能力で自分が敗けるのは、範馬勇次郎だけだと思った。
しかし、それでも強いというなら、一目見てみたい。
そして、どういう強さで立ち回ったのか知りたいとも思った。
技なら闘う価値がある。自分の知らない技なら、価値がある。
恋はそう考えた。
そして、ついでに付け加えるというのなら、恋は月と詠のことを思い出していた。
恋と音々音自身は二人の行方を知らないが、最後まで一緒に戦っていた花山なら、二人の行方、もしくは最期を知っているかもしれないと考えた。
知っているなら聞きたいとも思った。
「……どこ?」
「どこ、というのは……?」
「ソイツに居場所……どこ?」
「はい! そこでしたら、スグに案内が出来るのですっ!」
音々音は恋の役に立てたのが嬉しいのだろう。
笑顔を浮かべ、意気揚々と恋の前を歩いて、とある家に向かった。
その家は武骨な家だった。
周囲には刺青を入れた男や、身体のどこかに傷をもった男が、たむろしている。
「……ここ?」
「はい! ここにいる花山薫というのが強いとのことです!」
「……そう」
恋は短く答え、戟を片手に家の玄関に向かった。
だが、周りでたむろしていた男達がそれに反応し、恋の前に立った。
「何の用だ」
「見慣れねえな……名前、言ってもらおうか」
いかつい男達だった。
左の男は頭の毛を剃り落とし、右腕に刺青を入れてある。
右の男は巨漢であった。二メートル近くあるだろうか。もしかしたら、超えているのかもしれない。
「……どけ」
恋は小さな声で言った。
暴力を己の拠り所にする人間にとって、相手の戦力の即時把握と分析は必要不可欠なことだ。
彼我の圧倒的戦力差を感じ、ぞくり、と男達の背に寒気が走った。
それと同時に、一歩だけ後ずさった。
その瞬間、恋は堂々と玄関に向かって歩き出していた。
止めようとしても、もう遅い。
恋の服の襟を掴もうとする男たちの手も届かなかった。
その間を、恋はするりと抜けていった。
そして、扉に手をかけた。
鍵はかかっていない。
扉はスルリと開き、恋は無造作に踏み込んだ。
玄関から入ってスグの部屋にいたのは、白い服を着た男だ。
その男は、椅子に腰をかけ、煙管を吸っていた。
眼鏡をかけ、右頬には大きな刀傷がある。
――この男……
恋はこの男が花山薫だ、と
花山は恋を見はしたが、声をかけようとしなかった。
恋の存在を意に介していない風であった。
まるで、獅子が蚊トンボに興味を持たないように。
「……花山薫?」
「ああ……」
二人の会話は静かだった。
だが、どこかに踏み込んでしまえば、一気に爆発してしまいそうな危うさというのもある。
気が付けば、この部屋は、空気にパリパリとした静電気が張り詰めているような空間になっていた。
「月と詠……知ってる?」
「知らねえな」
花山がそう言うと、恋は
ふぅん
とだけ言った。
恋にとっては、花山薫がとぼけていようがいまいが、どっちでも良かった。
気が付けば、月と詠の行方なんてことは、花山薫に話しかける建前になっていた。
恋は会話など頭に入らないまま、値踏みするかのように花山薫の肢体を凝視し、どういう人間なのかを観察した。
明らかに技で闘う人間ではなかった。花山薫は自分の身体能力で闘う人間だと思った。
だが、それには勘というのが不可欠だ、とも恋は思っている。
それも野生動物が危機を察するような、鋭い勘が。
その勘がこの男にあるか、というと疑問だ。身体に傷を負い過ぎている。
野生動物のような勘は、まずないだろう。
ならば、どうやって闘ったのか。
――拳……と、身体……
それか。それだけか。それだけだろう。それだけで闘ったのだろう。
――恋と同じで、どこか違う……
そんな印象を受けた。
恋はその事を理解すると同時に、自分と花山薫のどこが違うのか、ということを考え始めていた。
それを知る方法は、たったの一つだ。
「…………」
「ふしゅっ!」
花山薫が無言で煙管を、口元からはなして、机の上に置いた。
その瞬間、恋のしなやかな足が、床から跳ね上がった。恋の右足は高く上がり、左足は地面を蹴った。
右足の甲が花山薫の左のこめかみに当たった。
文句のない手応えだった。足には当たった感触がしっかりと残っている。
花山薫がかけていた眼鏡は壁へと飛んでいき、衝突した。
レンズが割れ砕ける音が部屋に響いた。
それは恋の蹴りの威力を証明するものだった。
レンズが割れる音の中、花山薫が立ち上がった。
ぬうっという感じであった。
両眼はしっかりと、上から恋を睨みつけていた。
あの一撃でも、ダメージはないらしい。
そして、後ろへと足を振りかぶり、恋に向かって真っすぐに蹴りが来た。
恋は両腕で、それを受けた。
なんたる衝撃。
恋は両足で床を蹴り、後ろへ飛び退いた。
飛び退いて衝撃を逃がしたが、それでもビリビリとした痛みが骨に残っていた。
恋は嬉しんだ。
強いのだ。この男――花山薫というのが、本当に強いのだ。
力で勝負すれば敗ける、というのがこの一撃で分かった。
「力……強い」
「…………」
恋が言った一言に、花山薫は何の反応も示さなかった。
そのことが、さも当然であるかのようだった。
恋は二度、軽く跳ねてリズムをとった。
「しゅっ!」
鋭い息が恋の唇から出た。それと同時に、右手にある戟の刃が煌めく。
その刃が花山薫の服を切り裂き、じわりと赤い血が服を染めていく。
花山薫は一瞬、切れた場所に目をやった。
そして、ズボンの裾に手をかけた。
「――――」
恋は何も言わず、その光景を見ていた。
花山薫はそのまま、ズボンの裾を引き上げると、着ていた服が、メリメリと悲鳴をあげる。
ズボンと上着が前後に真っ二つになる。服は、ズタズタの布になっていた。
服の下に隠されていた肉体は、恋を唖然とさせた。フンドシを身につけただけの肉体がだ。
分厚い筋肉の上に、いくつもの
線の疵は刀か――いずれにしろ、鋭い刃物によるものだ。そして、弾痕。
それは花山薫という人間が、今までどんな生を送ってきたのか、どれ程の修羅場を潜り抜けて来たのかを物語っていた。
――スゴイ……
恋はそうとだけ思った。
その傷へのいくつもの感想が、頭の中を飛び交っている。
美しい、と思った。
醜い、とも思った。
可哀想とも思った。
様々な感情をひっくるめて、スゴイとしか思えなかった。
恋の身体が熱くなっていく。細胞から、ぶつぶつと熱が出ているのだ。
まるで、発情しているようであった。武人の魂が発情しているのだ。
恋はこの男を、自分の力で叩き潰したいと思った。
「っ!」
突如、腹に何かの爆発が起きた。
爆発したかのような痛みが恋の腹に起こった。
蹴りだった。
技術もへったくれもないヤクザキックだ。
だが、威力は絶大。
恋の身体は地面から引っこ抜かれたかのように、両脚が地面から浮いた。
いつの間にか、恋は花山薫を見下ろしていた。
そして、背中に衝撃。
恋は信じられなかった。
蹴りの一発で、自分が浮き、天井に叩きつけられたのだ。
未知の力に吹き飛ばされた、という説明の方がよっぽど納得がいく。
天井の板が破壊される音がした。
そして、恋は床へと落ちていった。
だが、恋は宙で体勢を整え、猫のように足からフワリと落ちていった。
「組長ォッッ! 何事ですか!?」
「女ァッ! ここに何しに来やがッたッッッ!」
恋が地に着いてから戟を構えると、隣の部屋から大声がした。
そして、この部屋へと流れ込んでくる。
入ってきたのは十人ぐらいだろうか。恋にとっては、ものの数ではない。
「闘い……花山と闘いに……来た」
「……下がってな」
恋の言葉に対し、入ってきた男達は敵愾心を見せた。
が、花山は彼らを一言で制し、恋の前に歩み寄った。
無造作な歩みだった。
警戒している風ではない。
打ち込むなら打ってこい――
そう言わんばかりだった。
弐
奇遇であった。まったくの偶然だった。
二人の作戦というのは、まったく同じだった。
作戦はあるといえば、ある。無いといえば、無い。そんな作戦だ。
前へ出る。そして、真っ向から。
それが作戦だった。
前へ出る。前へ出る。
蹴り。ローキックだった。恋が放った。
花山はどういう動作もしなかった。
そのまま受けた。
拳。上半身をひねってから放つ、単純な拳だった。
軌道は見えている。
恋は頭をかがめ、それを避けた。
同時に戟を左手に持ち替え、股を大きく開いた。
そして、足に力を生んだ。それは体内の関節で連結し、加速していく。
「しぃァッ」
気を吐き、右拳を一発。
刺さった。
花山薫の眼が揺れた。
だが、次には花山の拳が来た。
重い一撃だった。
耐え切れなかった。
恋は受けきれず、力ずくで床と平行に吹き飛ばされた。
恋の身体が、再び宙に浮いた。
浮いていたのは、一秒の半分にも満たない時間だった。
それでも、恋には無限の時間のように感じた。
そして、壁に叩きつけられてようやく止まったのだ。
「くむぅっ」
恋は壁に叩きつけられ、うめいた。
ヒドイ一撃だった。
背中からの衝撃で、肺の空気が逃げ出し、呼吸が出来なくなっていた。
花山は止まらない。
一気に恋のところへ走り寄り、恋の服の襟を掴んだ。
そして、玄関に向かって投げつけた。
ビッ
という布が切れる音を恋が聞いたのと同時に、頭から何かに叩きつけられた。
玄関の扉だった。
玄関は叩きつけられる恋に耐え切れなかった。割れた硝子と折れた材木が周囲に散らばる。
「なんだ!?」
「抗争が始まったってのか!?」
「ホンチャンだァ~ッッ!」
周囲にいた人間が、玄関から投げ出された恋の姿を見て騒ぎ立てる。
恋は背中から地面に着くと同時に、二度後転し、玄関から距離をとった。
「恋殿!」
「……ねね。離れて」
恋は音々音に背を向けたまま言った。
恋の眼は真っ直ぐと玄関を睨んでいる。
一息だけ吸った。
ぬぅっ
と、花山が玄関をくぐって出て来た。
花山の姿を見るや否や、周辺のギャラリーは湧き上がった。
「はぁっ!」
恋は一気に花山の近くに走り寄った。
途中、一発だけ花山の拳が放たれた。
恋はダッキングしてそれを避けた。耳元にブンという音が届いた。
もし、顔面に当たりでもしたら、脳髄が飛び出るのではないか、と思わせるような音だった。
「こあぁっ!」
恋は吼えながら、左の前蹴りを繰り出した。
それで、股間を蹴り上げる。
急所を打てば、花山の動きが一瞬だけ止まる。
――ここだ!
恋はそう思った。
右足で水月を蹴ると同時に、踏む。
そこを足場に、一気に駆け上がる。
それは、愚地克巳が恋に対してやった技であった。まるで、愚地克巳をそのまま恋に入れ替えたかのように、その技は決まった。
蹴りこんだ水月を踏み台にして、肩へ登っての蹴り――
だが、それは皮肉にも――愚地克巳が花山薫にやった技でもある。
一度、経験してしまっている以上、同じように仕掛けては効果をなさない。
技の最後に恋が空中から全体重をかけての、顔面への肘打ちをしようとした時、横からあの音がした。
ブン
恋の耳にたしかに聞こえた。
だが、守りに移る余裕はなかった。
体重がのった一撃ではなかった。ただ、腕力だけで放たれた一撃。
それが恋の脇腹に当たった。
腕だけのパンチで、恋は吹き飛ばされた。
なんという男だろうか。
――威力が違い過ぎる……っ!
花山薫――なんという男だろうか。
どこまでも強烈で、どこまでもシンプルで、どこまでも太くて、そして強い。
恋はどんな技術や理論も、この男の力の前では、小賢しいものになってしまうように感じた。そんなものは、粉微塵に砕け散ってしまう。
さらに、恋と花山薫の間には、大きな体重差があった。体重差が一撃一撃の威力に、大きな差を作っていた。
恋と花山薫が同じ威力の攻撃が出来たとしても、恋の方は体重が軽く、受けきっても吹き飛ばされてしまうのだ。重い花山は、地面に両足をつけたまま、受けきってしまう。
そうなると、総合的な力では、勝負にならない。
恋にとって、花山薫の力は、暴風雨のようであった。
暴風雨にさらされた時、人は一体何が出来るというのだ。
精々、過ぎ去るまで耐えるだけだ。
それでも恋は嵐の中心から逃げなかった。
力で勝てない以上、技と速さで競えばいいと判断したのだ。
両手で武器を握り、タンタン、と軽く跳ねながらリズムを刻む。
そして、走った。
花山の肉体を一つ斬れば、バックステップ。
花山の急所を一つ打てば、バックステップ。
まるで、ヒットアンドアウェイを基本とするアウトボクサーのような闘い方であった。
それでも花山薫の拳が、蹴りが恋を襲う。
恋は最後一歩に寄れない。
花山はあと一歩で逃げられる。
お互い、相手にイイ一撃を与えられないでいた。
「ケンカだッッ」
「あ……赤毛とフンドシのオバケが闘ってるよ」
「スンゲェ~~ッ!」
「花山のケンカだッッッ」
ギャラリーはさらに多く集まってくる。
それは円状に二人を取り囲んでいた。
――ん……これなら……
恋はそれを確認し、今までの戦法を止めた。
ギャラリーに囲まれたこの状況――これなら、どこに吹っ飛ばされても、誰かがクッションになる。
壁にぶつけられない、という保証が出来たのだ。
「かぁッ!」
恋は叫んだ。
叫んで、走った。それは捨て身の突進であった。
花山の拳をかいくぐり、恋は股を大きく開いた。
そして、もう一度、右手で戟を握り、左拳でマッハ突きを放った。
手応えはあった。
花山の水月へと刺さったのだ。
そして、引き抜こうとした時だ。
恋の左腕が捕まったのだ。
凄まじい力であった。
恋の左腕が、風船のように膨らんだ。
ぞくり
恋は骨の芯から震えが走った。
「ひぃぃぃぃっ!」
恋はこの情けなく震えた声が、自分の声だと分からなかった。
他人事のように聞こえていた。
だが、身体は他人事に感じていなかった。
右腕は、素早く戟を短く掴んでいた。
そして、振った。
ぞぶり
という肉と骨を一緒に斬る、恋にとってはよく知った感触があった。
恋は左腕が楽になったと感じた。圧はあるが、内側から膨らむ感触は消えた。
何かが空へと上がり、影をつくる。
ごとり
と音をたて、何かが落ちてきた。
同時に、恋の左手の袖を生温かい水が濡らしていく。
その水からは、恋にとってはよく知った臭いがした。
「手首がねェッッッ!」
「右の手首ッッ!」
「ヒィッッ 血がァッッ!」
「花山の……ッッ!」
「ヒィィィィッッ!」
「イヤァァァッ!」
ギャラリーが騒ぐ。
恋はそこで何があったのか理解した。
自分が、花山薫の右手首を切り落としたのだ、と。
手首には出血が致命傷となる血管――尺骨動脈が通っている。カミソリでのリストカットでさえ死に至る箇所だ。
そこを切った以上、止血をするにしても、もう花山薫が闘える時間は短い。
「……恋の勝ち」
参
バリバリと多くのバイクの音がする。
そして、そこに集まる人間は男女問わずに特攻服に身を包んでいた。
彼らが暴走族と呼ばれる集団であることは明らかだ。
「前崎……テメェ……喧嘩したそうじゃねェか……」
紫の特攻服に身を包んだ男が煙草を吸いながら言った。
頭にはネジリハチマキをし、足袋を履いている。
暴走族――
「スンマセン……ちっと、頭にきて」
前崎が頭を下げ、言った。
「アホウッッ!」
柴千春は怒鳴りながら、前崎の顔面を蹴った。
前崎の鼻は曲がり、血が流れ出した。
柴千春はそれを意に介さず言った。
「喧嘩のこと言ってんじゃねえッッッ! 俺が言いてえのは刃物を使ったってェことだッッッッ!」
前崎は柴千春の足元にうずくまり、うめき声をあげていた。
それを、柴千春は髪の毛を鷲掴みにして、顔を引きづりあげた。
「
「ですが……千春さん。オレはアンタみてぇには根性張れねえ。世界チャンプと真っ向からやり合ったアンタみてぇには……。それに、素手でも敗けちゃあ、仕舞いじゃねえですか」
前崎がそこまで言った時だった。
折れた鼻に再び衝撃がきた。
柴千春が鼻に向かって頭突きをしたのだ。
「性根がなっちゃいねえ」
痛みで悶絶する前崎を見下ろしながら、柴千春が言った。
「武器を使うヤツってェのは負い目を負う。自分はこの喧嘩でなに1つ負い目はねェッ! その気負いッ! その自負心こそが、拳に力を呼び勝ち目を呼ぶんだッッ! 刃物じゃ勝ち目を呼び込みゃしねぇんだよッッッ」
肆
「組長ォッッ!」
街中に男の大声が響いた。
ギャラリーが悲鳴をあげて逃げ惑う中、その声は通っていた。
「……冷やしておけ」
「う……うすッ」
花山薫は恋を見ながら、一言だけ言った。
その口調からは動揺といったものは感じられない。
花山薫は止血点である脇を抑えない。そのため、手首からは血が溢れ出している。
このままでは失血死も時間の問題だ。
だが――花山薫は両手を上へとあげた。
闘うつもりなのだ。まだ、ケンカを続けるつもりなのだ。
「え……?」
恋は戸惑った。
花山薫はこのままでは死ぬ、ということは彼女も分かっている。いや、きっちりとした治療を行っても死ぬ可能性がある。
それでも、闘おうとする姿勢に戦慄したのだ。
花山薫は踏み出し、恋の顔を殴った。
それも――斬られた右手でだ。
拳と比べ、ダメージはない。
ただ、恋の鼻と口に血が入り、その臭いが脳を突くだけだ。
それでも、精神的なダメージは絶大だった。絶対的有利、もしくは確信していた勝利をひっくり返すような一撃は相手へ大きな精神ダメージを与えるのだ。
――恐いっ! こわいこわいこわいっ!
こんな漢――いや、人間は見たことがなかった。手首を切り落とされ、なお闘う漢など。
だが、相手は花山薫だ。花山薫なのだ。
花山薫は恋の襟巻を掴むと、また右手で殴り抜いた。
「ガァっ!」
恋はうめき声をあげ、膝から崩れ落ちた。
身体はガタガタと震えている。
花山薫は恋の襟巻を掴み、無理やり引き上げた。
「まだやるかい…………」
「ひっ……」
恋はおびえた声をあげた。
手にした武器は、ただの棒きれのようにしか感じない。
再び、恋の鼻の中で血の臭いがした。
殴られ、吹き飛ばされる身体。
背中に衝撃。家の壁に叩きつけられたのだ。
そして、うつ伏せに地面へと落ちていった。
うつ伏せになった恋は縮こまり、震えていた。
だが、その恋を花山薫は引き上げた。
「まだやるかい……」
「あ……あ……」
殴り飛ばされる。
もう、恋は生きた心地がしなかった。
「まだやるかい」
それでもだ。
それでも、恋は闘うことを
天下無双と呼ばれていた誇り。自分の強さへの自信。
それらが、土壇場で火を噴いた。
「へあっ!」
立ち上がり、恋は叫んだ。
「へあああああああああっ!」
恋は叫びながら、花山薫の心臓を狙って戟の切っ先で突いた。
だが、戟の刃の根本は、あと少しで胸を刺すというところで、花山薫の左手に捕まった。
「くぅっ!」
恋は力ずくで押した。
あと少しで刺せるのだ。あと少しで殺せるのだ。あと少しで勝てるのだ。
渾身の力をこめ、体力の一滴も使い切るつもりで押した。
それでも動かない。少しも戟が動かないのだ。
花山薫には理屈や常識、人智を超えた、ある種神懸り的な力が宿っていた。
それが何故か、恋はまるで分からない。
ただ分かることは――ここの力比べに敗けたら、そのまま自分が敗けるということだ。
そして――突如、花山薫の手から力が抜けた。
――よし!
恋は反射的に切っ先で花山薫の胸を突いた。
だが、手応えが無い。肉を貫き、骨を斬る感触が無い。
恋は気付いた。
戟の切っ先がないことに。戟の切っ先が花山薫の左手にあることに。
戟の刃元が花山薫の握力に敗け、へし折れたのだ。
「まだやるか……」
戟の刃を捨て、花山薫が迫る。
血は止まっていない。
普通なら激痛が襲い、立っていられないハズだ。
普通なら血が足りなくて、朦朧としているハズだ。
だが、この場合は花山薫だ。
恋は花山薫が何と言っているのか、耳に届かなかった。
カチカチと歯が鳴っている音だけが、その耳に届いた。
書いていったら、いつの間にかこんなことに。
武器という絶対有利条件をなくした恋! 手首からの血で時間が無い花山薫! 最初は闘いの温度が低めだったのに、どんどん上げていくなァ……花山さんは。