真・恋姫†無双~怒気ッッ グラップラーのいる三国志ッッッ~   作:クーロン

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無限血闘

 呼吸の中に、血の臭いがある。

 鼻から出ている。

 口の中にも、血が流れている。

 それがどうした。

 その程度で止まる闘いじゃない。

 刃牙はそう思っている。

 恋はそう思っている。

 

「しゅっ」

 

 恋は熱い炎のような息を吐いた。

 それと同時に走りだし、刃牙の目の前で、くるりと恋の身体が反転した。

 後ろ回し蹴り――

 大気を削ぐような恋の後ろ回し蹴りが、鋭い弧を描いて跳ね上がった。

 強烈な威力を持った踵が、刃牙の頭部を襲う。

 刃牙は下がらなかった。

 下がらずに、前へ出た。

 頭は腕でブロックしている。

 そのブロックに当たったのは、腿だった。

 蹴りでは足の根本には勢いがないため、踵でくらうよりは、ずっとダメージが小さい。

 それでも、恋の体重で出来る衝撃が、刃牙の腕にもろに乗った。

 もろには乗ったが、妙な感覚を恋は感じた。

 刃牙が、まだ立っている――

 そんな感覚ではない。

 もっと冷たい感覚だった。

 恋は自分の耳の後ろから、風の音を聞いた。

 その時、脊椎のど真ん中。その中の中。その奥の奥に、とてつもなく冷たい刃が突き刺さったような寒気がした。

 恋は大気に頭突きでもするかのように、頭を倒した。

 逃げるための動きだった。

 逃げ切れない。

 刃牙の腕が、恋の首に蔦のように絡まっていく。

 裸絞め――

 恋が後ろ回し蹴りで背中を見せた隙に、刃牙は恋の細い首に腕をまわし、絞めているのだ。

 恋の背中に、グッと体重がかかる。

 刃牙がおぶさるようにして、恋の首に体重をかけていた。

 

「緩めないぜ……」

 

 刃牙は恋の耳元にささやいた。

 しかし、恋にはその言葉は届かない。

 刃牙がしている絞め技が、恋の耳にフタをしていた。

 刃牙がしていた絞めは、カタカナではチョークスリーパーと呼ばれる技だ。

 スリーパーホールドが、技術によって相手の頸動脈を絞め、安らかに気絶させるのに対し、チョークスリーパーは力で喉を絞める。

 すると、激痛が喉を襲う。

 柔道の試合において、その痛みで大抵はタップするのだ。

 そして今、恋の喉には突き刺さるような激痛があった。

 

「がっ! がっ!」

 

 ゴリゴリと熱い塊が恋の喉にある。

 恋はそれを吐き出そうとするが、刃牙の腕は緩まない。

 刃牙の腕を首から外そうと必死に足掻くが、喉の痛みが消えない。

 恋の口の端からは、プツプツと白い泡が出てきていた。

 激痛と酸欠で、恋の頭の中に白く深い霧がかかる。

 その中で、恋はさっきの木を見つけた。

 初撃のタックルで、刃牙を押しつぶそうとした木であった。

 成功率、なんてことを考える頭脳は生きていなかった。

 恋は何も考えず、細胞が命ずるままに動いた。

 木に向かって全力で走り、右足でその幹を蹴った。

 同時に、左足は地面を蹴る。

 その一撃で、木の幹にはヒビが入り、地面はえぐれた。

 背面跳び――

 恋は背中を地面に向け、跳んだ。

 当然、身体は重力で地面へと落ちていく。

 落ちていく中、恋は腕を胸の前にあげた。

 そして、地面に落ちていくのと同時に、肘を刃牙に向かって振り落とした。

 刃牙は腕を外して、逃げた。

 恋は身体が軽くなるのを感じ、落とす肘を開き受身に変えた。

 手のひらに、衝撃があった。

 恋はスグに起き上がろうとしたが、既に刃牙が恋を見下ろしていた。

 夢中になって、両腕で頭部を守った。

 だが、いつまで経っても衝撃なんてものは来ない。

 恋の中に、さらに猛々しい炎がたぎった。

 

「バキィっ!」

 

 恋は叫んだ。

 たまらず、叫んだ。

 屈辱的な怒りが、恋の胸の中に生まれていた。

 あの状況で、顔面なりアゴなりを踏み抜けば、そこで決着はつく。

 だが、刃牙はしなかった。

 それが、たまらなかった。

 

「きゃおらぁっ!」

 

 刃牙は恋が立ち上がるのと同時に、攻撃を叩きこんだ。

 拳。

 拳。

 足。

 膝。

 肘。

 拳。

 足。

 恋はその全てをはじいた。

 いなし、かわし、打つ。

 腕で受け、膝で受け、拳を放つ。

 その動きは、中国武術に似ていた。

 

   壱

 

「むぅ……ッッ」

 

 烈海王がうなった。

 

「中国武術の理合か。烈海王よ、盗まれたな」

 

 範馬勇次郎は闘いに眼を向けたまま言った。

 烈海王は何とも言わなかった。

 

「いなすのも、打つのも中国武術か……」

「そうなの?」

 

 愛紗がつぶやくように言った。

 桃香はそれを疑問に思い、聞いた。

 

「はい。刃牙さんの全ての攻撃に対し、威力が乗る前に殺しています。打つ箇所も、手首や腿、二の腕など、といった……威力がない部分です」

「さらに、呂布が狙う箇所も急所……」

 

 烈海王が言った。

 

「呂布が狙ったのは、頭部であれば――天倒、人中、舌根、天迎、神庭、牙顎、村雨。胴であれば――水月、金的、秘中、雁上、伏兎、胸尖、章門、天突、稲妻といった箇所です。いずれも急所。それを寸分と違わず、打ち込んでいます。中国武術の打ち方で……」

「元々の強さに加え、未来の技術か……随分と厄介な敵ですな」

「ああ……」

 

 星は自分の頬に手を添えて言った。

 愛紗もそう思っているのか、感情のこもった声で呟いた。

 

「くだらねえ」

 

 だが、勇次郎は笑みを浮かべながら、そう言った。

 

「格闘技ってぇのは、(よえ)(もん)が、(つえ)え者と張り合うための技だ……」

 

 花山薫が言った。

 

「呂布には元来の強さがある以上、小細工する権利はねぇ……」

 

 花山薫はそう言い、頬をかいた。

 

「技術など、弱者の創意工夫に過ぎんッッ 多数の技術を学ぶなど、己の強さを卑下するだけのことッッッ 恋は強さのあり方を違えたわッッッ!」

 

 範馬勇次郎は髪を逆立たせ、言った。

 

   弐

 

 スゲェな……。

 流石だよ、三国最強。

 流石だよ、俺達の大先輩。

 親父とあれ程にまで、マトモに張り合っただけはある。

 強い。

 でも、間違いなく、親父よりは下だ。

 だけど範馬刃牙とならどうだ!!?

 上……? 下……? それとも同じ!?

 どっちなんだろうな……。

 比べあおう。

 範馬刃牙と呂布奉先を。

 全部を最大限に使って、根こそぎ比べあおう。

 俺とお前……一体、どっちが上!?

 どっちの方がより強い!?

 やることなんて、それだけなんだ。

 来る。

 拳。

 拳。

 足。

 どれも、急所を狙ってきている。

 殺すつもりでいるんだろうな……。

 それでいいんだよ。それでいい。

 眼。

 人中。

 金的。

 こうも……。

 こうも、思ったところ狙ってくるなんてね……。

 

「バカにしてんじゃねェよ……先輩……」

 

 拳。

 拳。

 足。

 その全てを払い、相手に残ったのは、隙だらけのアゴ。

 そこへアッパーカットを……。

 どうだい……呂布……?

 って、聞くまでも無いか……。

 グラリ、と呂布が仰向けに傾いていく。

 ダウン。

 瞳孔は……開いている。

 

「…………」

 

 立てよ、呂布。

 こんなのでは終わらない。

 まだ、本番にもなっちゃいない。

 親父に勝とうとしている以上は、こんなもんじゃない。

 やっとエンジンが温まってきたところだ。

 起き上がってこい。眼を開け。

 起き上がれないのなら、手を貸したっていい。

 そう……。

 呂布が、眼を開く。

 呂布の眼に光が戻る。

 

「まだヤレるか?」

 

 俺がそう聞くと、呂布はスグに立ち上がった。

 まだ、どこか眼が虚ろだ。

 それでもいい。

 ヤレるんだったら、それでもいい。

 来い。

 その眼のままでも……。

 

 ひゅっ!

 

 と、呂布の喉が鳴った。

 拳と蹴りが、立て続けに襲ってくる。

 ダウンから起きたてだっていうのに……タフだな、ホンット。

 しかも、さっきより速さも増してやがる……ッッ 威力もッ!

 頭部、腹部、胸部、鎖骨、首……。

 さっきよりは狙いが粗い。

 だからこそ、分かりづらい。

 半分をいなし、半分は次々と当たる。

 皮膚の下の肉が潰れて、内出血しているのが分かる……。

 でも、呂布(そっち)の拳も、キツクなっているだろ……?

 狙う場所を選んでいないのだから、身体の固い所を殴ってしまう。

 ほら……守っている肘を殴った。

 もう、手の中の骨が熱くなっているハズ。

 それでも、止まらない。例え、折れても殴り続けるんだろう。

 俺もそうするだろうし。

 多分これは、そういう闘いなんだ。

 根こそぎ比べあう以上、お互いの命も比べあうんだ。

 今までの人生も全て……。

 体力も、精神も、技術も、速さも、根性も、悦びも、哀しみも比べあうんだ……ッッッ

 でも、それだけじゃない……。

 上手く言おうと思っても、それは口に出来ない。

 だけど、他に比べるものもあると知っている……ッッ

 相手から命をも()ろうとし、自分の命をも差し出す……。

 ホンモノの覚悟を持って比べあうんだッッ

 やっぱり、こっからだよね……。

 本番ってのは、こっからッッッ

 

   参

 

 疾。顎。打。倒。失。覚。力。無。行。「ひゅっ!」打。打。拳。打。足。打。膝。打。打。肘。掌。「はぁ」痛。痛。打。蹴。「ふぅ」勝。敗。膝。肘。離。追。打。拳。蹴。武器。無。闘。「しゃっ」「ぐむっ」血。打。打。受。防。蹴。金的。当。隙。打。倒。逃。踵。めじっ。血。踵。落。汗。打。疲。逃。離。追。立。蹴。顔面。受。血。鼻。折。「カァッッッ!」打。受。血。打。蹴。足。掌。上段。拳。下段。足。中段。膝。打。叩「あぎィっ」

 打。

 打。

 打。

 拳。

 足。

 膝。

 肘。

 頭。

 蹴。

 

「はぁっ!」

「かぁッ!」

 

 蹴。

 拳。

 足。

 肘。

 膝。

 ごしゃっ

 みちっ

 打。打。拳。受。蹴。防。踵。上。腕。痛。頭。血。蹴。避。空。打。飛。追。蹴。下。打。「くふっ」打蹴受痛掌肘拳膝足拳拳離寄離寄離寄離寄蹴打打打「ちっ」「ふふん」蹴情哀怒怒疾組首逃蹴膝肘首血受汗打打打拳蹴掌打打殴殴殺殺殺殺殺殺殺殺殺哀殺殺殺殺殺殺殺殺殺打殺殺殺殺殺殺殺殺殺犬殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺恨殺殺殺殺殺殺殺殺好殺殺殺殴殴殴殴殴殴蹴蹴打打打打拳拳拳刃打打哀捨音々月詠霞華雄全勝敗勇次郎敗ヤダ悲打打蹴悦闘まだ敗けてない虎牢関風痛醒打蹴膝肘ゴメン落月捨音々闘独歩克巳花山烈刃牙苦悦楽倒打打蹴肘拳犬犬血流死あああああ憎哀打当闘蹴拳打受当蹴打頭打蹴打拳技力当風血汗神夢打勝遠まだ拳闘叩鬼魔顎蹴足肘膝掌骨肉魂捧闘夜殺殺情敵哀刃牙打殴蹴肘膝蹴打打打打殴殴殴殴殴殴血殺殺殺殺殺血殴打蹴拳肘膝…………

 

「恋殿ォ~!」

「ねね……?」

「よそ見してんじゃねえよ」

 

 打。

 刃牙の拳が、恋の腹を貫いた。

 激痛がする。

 だが、いい。いい激痛だった。

 この一撃と、さっきの叫び。

 それが恋に何かを取り戻させた。

 

   肆

 

「恋殿ォ~!」

 

 闘いを見ていたギャラリーの背から、声がした。

 

「チッ……お前等が来ねえよう、根回ししていたんだがな……」

 

 花山薫が言った。

 

「そこまでしてボク達に隠そうとしていたんだ」

「ああ……見せるようなもんじゃねェ」

「こらぁ! デカブツ! さっさと退くのですっ!」

「ねねちゃん。ダメだよ、そんな言い方しちゃ……」

 

 来たのは、恋の元々の仲間、月、詠、音々音であった。

 花山薫は三人を一瞥したが、スグにまた、闘いへと視線を向けた。

 音々音は全身の力で花山薫を押していたが、花山薫は動かない。

 

「黙って見てな……」

 

 花山薫は音々音を見下ろし、小さな声で言った。

 だが、どこかドスがきいていた。

 音々音は一瞬、電流が全身に走ったかのように、ビクリとした。

 

「あの喧嘩終わらせる権利は、オメェには無え……」

「五月蠅いのです! 恋殿が……っ!」

「……あとにしな」

 

 花山薫はそう言い、山のように音々音の前に立ちふさがった。

 誰であれ、一対一の喧嘩の邪魔はさせない――

 喧嘩師、花山薫の計らいであった。

 音々音は駄々をこねるように、花山薫の足を叩いた。

 殴り、蹴り。

 花山薫にとっては、確かに煩わしくはあるが、痛いほどではない。

 耐えろ、と言われれば、ずっと耐えられるだろう。

 

「ねね。止めなさい」

 

 詠がそう言い、音々音の肩を引いた。

 その力で、音々音は花山薫に拳も足も届かない距離をとってしまったが、それでも拳を振り続けた。

 

「これだけの面子がいて、この闘いを止めていないのよ。もう……誰にも止められないわよ」

 

 音々音は泣き顔だった。

 そして、泣き顔のまま、ダラリと腕を下げた。

 

   伍

 

 拳で、蹴りで、火花が散る。

 刃牙と恋は、文字通り全てを比べあっていた。

 手に入れたモノも。捨てたモノも。

 そして、その結晶体である強さそのものも。

 だが、それらは全て道具に過ぎない。

 何を捨ててきたのだとしても、何を拾ってきたのだとしても。

 それらは、強さや闘いに必要なモノを燃やすための燃料に過ぎない。

 恋はそれが尽きかけていた。

 体力はもう無いだろう。

 何度も限界が見えてきた。だが、その度にどこからか、瑞々しい新鮮な体力が湧き出た。

 何度も、何度も。

 だが、もうそれも来なくなっている。

 脳のシワを作る体力も、肛門のシワの間に隠れている体力も、毛の先の先にある体力も使いきった。

 もう、一撃で決めないと、それで倒れてしまうと思った。

 

「はぁっ!」

 

 その中で、恋は殴り合いの最中に、股を大きく広げた。

 そして、思い切り突いた。

 音速拳――

 それを、かわされた。

 

「勝てないぜ……そんなんじゃあ……」

 

 刃牙の声が恋に聞こえた。

 その一言で、一気に身体の熱が上がる。残り少ない燃料をガンガンと消費していく。

 蹴り。拳。肘。膝。拳。蹴り。

 全て、かわされた。

 そして、その隙を縫うように、刃牙の蹴りが、地面から鞭のように跳ね上がった。

 こめかみに、衝撃。

 恋は辛うじて腕でガードしたが、それでも身体がよろけていった。

 倒れる、と恋は直感した。

 何か掴まないと、倒れてそのまま起き上がれなくなる。

 それ程に深刻であった。

 恋はすがった。必死ですがった。

 ワラでもいい。蜘蛛の糸でもいい。何なら、薄っぺらい紙でもいい。

 目の前にある物、何にでもすがった。

 だが、目の前には何もない。

 あったのは自分の中にあった。

 千切れるほどの猛々しい力が、恋の中にいた。

 跳ねている。狂ったように暴れている。

 千切れそうだ。

 自分の腕が、足が、肉体が、細胞のことごとくが。

 自分の肉の中の中、奥の奥から、凶暴な力がミリミリと出ようとしているではないか。

 ちぎれる。

 ちぎれる。

 その凶暴な力を――獣を抑えている鎖が。

 恋は、その圧倒的な力に身を預けてしまいたくなった。

 恐怖。

 これが出てきたら、自分はどうなってしまうのか?

 何をするのか?

 この獣は一体、何をするのか?

 暴れ出す肉体を精神で止められるのか。

 打。

 ――やめろ、刃牙……

 恋は一瞬、そう思った。

 この獣が出てきたら、どういう保証もできない。生きて帰る保証も、このまま無事に生きていける保証も。

 だが、その考えは一瞬で彼方へと飛び去って行った。

 ――あ……

 出そうとしているのは、恋ではない。刃牙だ。

 刃牙の一撃一撃で、獣が成長しているのだ。

 刃牙の一撃一撃で、獣が解き放たれようとしているのだ。

 ぎし……。

 ぎしぎし……。

 恋の中に、いつの間にか巣食っていた。

 戦の中でか? 敗北した時か? 闘いの中でか? それとも生まれた時にか?

 分からない。

 だが、その獣はいつの間にか住み着き、巨大に成長していた。

 恋の肉体は、もうもたない。

 この獣を抑え切れる力はない。

 構わない。

 もう、構うことじゃない。

 これはそういう闘いのハズだ。

 根こそぎ比べあう闘いのハズだ。

 ――これも恋……恋自身……

 恋はそう思っている。

 そうである以上、使うことへの文句は聞かない。

 恋の中に、底に暗い欲望の火が燃えている。

 それを燃やしてしまえ。燃やして闘ってしまえ。

 人が、自分がどんなに凶暴になれるのか、見てみたい。見せてやりたい。

 使ってしまえ。

 相手が死んでも、それは闘いの結果の一つに過ぎない。相手の人生が捻じ曲がっても、それは闘いの結果に過ぎない。

 自分もだ。

 自分が死んでも、それは闘いの結果の一つに過ぎない。自分の人生が捻じ曲がっても、それは闘いの結果に過ぎない。

 覚悟はある。なら、なおさら使ってもいい。

 恋はそう思った。

 獣を繋ぎ止めている鎖から、ぶちぶちと音がする。

 その音を、刃牙の蹴りが、恋の脳味噌から弾き出した。

 ほとんど、あらゆる思考や感情も、ひっくるめて全て――

 恋は恍惚の顔を浮かべた。

 セックスでも浮かべないような、恍惚の表情。

 解き放たれた。

 鎖が切れたのだ。

 

 ぶつん…………

 

   陸

 

「あひゃららららららららっ!」

「いよいよ……本番……?」

 

 刃牙は恋の様子を見て、そうつぶやいた。

 こっから。こっから、まだヤルのだ。

 そして今、ここに到り――全てを比べあうことが出来る。

 力速技(つよさ)を比べることが出来る。

 体力、精神、技術、鍛錬、才能。そして経験でも、不幸でも、個性でも、人格でも比べあう。

 そこら辺に転がっていた石の記憶だってもいい。

 そんなものですら比べあうのだ。

 

「らあっ!」

 

 恋が叫び、動いた。

 蹴りが飛んでくる。

 ロー。

 刃牙は受けた。

 だが、反撃にまでは移れなかった。

 恋がスグに打ってきたのだ。

 防がれる、なんてことは知ったことじゃない。カウンターも知ったことじゃない。

 そう、言わんばかりの攻めだった。

 肘を落とす。

 拳を落とす。

 蹴りあげる。

 手刀を落とす。

 刃牙はそれを受けた。

 さばいて、弾く。

 知ったことか。

 恋は構わず、思い切り刃牙の顎を打ち抜いた。

 アッパーカット――

 並みの人間であれば、この一撃で意識を持っていかれるどころか、勢いで首が外れるかもしれない。

 そんな一撃であった。

 

「その程度……?」

 

 恋はつぶやくように言った。

 そして、崩れている刃牙の身体をめがけ、思い切り蹴り抜いた。

 刃牙の腹に、恋の踵が突き刺さる。

 だが、その蹴りの痛みを刃牙は感じなかった。

 まるで、腹がごっそりと無くなってしまったかのようだった。

 大きな穴が、刃牙の腹にある。

 数瞬の時間――それは、激痛への覚悟の時間。

 神が与えもうた、確かな猶予……。

 数瞬の時間遅れて、刃牙の腹に激痛が来た。

 爆弾を腹の中で爆発させられたような苦しみ。

 だが、それなら耐えられないことはない。

 結局は痛みなのだ。

 だが、その蹴りでの後遺症は、それだけではなかった。

 呼吸ができなかった。

 内臓の全てを、無理やり押しつぶされているような感覚……。

 

「がァァァァ……」

 

 刃牙は胃液を吐いた。

 あの一撃で、胃液が逃げ出そうとしていたのだ。

 腹を押しつぶされ、中身が出ようとしている。

 胃液を吐く、その時間。

 恋がそれを見逃すハズがない。

 うずくまって胃液を吐く刃牙を、思い切り踏んだ。

 頭部。

 恋の足の下で、骨が潰れるような音がした。

 その音を聞いて、恋は笑みを浮かべた。

 だが、緩めない。

 

「かあああっ!」

 

 踏み続ける。

 

「しゃあああっ!」

 

 恋は後頭部に踵を落とし続けた。

 

「しゃああああッッッ!」

 

 三回踏み抜き、恋は刃牙に背を向けた。

 そして、叫んだ。

 

「勇次郎ォォォォ!」

 

 次はお前だ。

 恋は、そう言わんばかりに叫んだ。

 

「フフ……ここまで食い下がるとは……」

 

 勇次郎はそう言い、笑んだ。

 だが、足を踏み出そうとしない。

 それどころか、闘おうという意志すら無いように見えた。

 

「随分と気が早いじゃねぇか、恋よ。刃牙の身体に色濃く流れる範馬の血……この程度で断ち切り得ると思うなッッッ!」

 

 勇次郎が言う。

 だが、恋はそんな言葉を気にせず、勇次郎の方へと踏み出そうとした。

 その時だった。

 

「なに勝手に終わらせようとしてんだよ……」

 

 恋の後ろから声がした。

 

「続きだぜ」

 

 振り向くと、ソコには範馬刃牙が立っていた。

 恋はその事実に一瞬だけ戸惑ったが、スグに戸惑いを切り替えた。

 

「しゃっ!」

「しゃっ!」

 

 闘いが肉体を超えていく。

 肉体が精神を超えていく。

 精神が闘いを超えていく……。

 熱。

 血。

 それすら、闘いが超えていく。

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