真・恋姫†無双~怒気ッッ グラップラーのいる三国志ッッッ~ 作:クーロン
独歩の拳の形は、全ての指をすぼめクチバシ状にした形――
それがこめかみを叩いた。
鍛え抜かれた指先が皮膚を裂き、赤い血が流れ出す。
打った独歩も無事ではない。
息が切れ、顔や体が腫れぼったくなり、痣も出来ている。
木刀で打たれた痣だ。
横たわった春蘭を見下ろし、ぜいぜいと荒い呼吸をし、落ち着けてから、華琳の方を見た。
「終わっちまったなァ……。で、次に誰をよこすんだ?」
「誰も出さないわ」
「へェ……なら、このまま見送るってェのか。本当にそうするとは思わなかったぜ」
「出さないのは『止める気が無いから』じゃないのよ」
華琳はそう言い笑った。
「出さないのは、貴方を止めるのは春蘭一人で十分だと思っているからよ」
「そうかい。その割には倒れて動かねェじゃねえか」
「そんなの一言でなんとかなるわ」
華琳はそう言って息を吸った。
そして、それをまとめて吐き出すように、大声で叫んだ。
「春蘭! 立てっ!」
春蘭の指先がピクリと動く。
土を引っ掻き、地面に指のあとげ出来る。
独歩はその音に反応し、春蘭に視線を向けた。
「ねぇ……独歩。春蘭は強いのよ。独歩が勝つ姿が思い浮かばない程度には……ね」
ジャリジャリ、ガリガリと音を立て、春蘭の影が独歩の足元にまでかかる。
ゆっくりと、ユルユルと立ち上がったのだ。
だが、尋常な状態ではない。
眼が一度、独歩を睨んだかと思うとスグに上に行き、白目になった。
それがまた戻り、独歩を睨む。
「あああああ……あああああ~~」
言葉は出ない。
獣のような唸り声をあげるだけだ。
それが不気味だ。
両手が土塗れになっている。
左手からは指先から血が流れ、右手は巻いている布と巻きつけられている木刀、指先に土がついている。
痛みの感覚がないのだろうか。
右手の甲が折れているハズだ。
そうであるのに、地面を引っ掻いたのだ。
「手負いの虎かァ……」
――またやり合うとは思わなかった
独歩はそう思い、構えた。
壱
「華琳さま……」
「ん? どうしたのかしら、秋蘭」
「いえ……なんでもありません」
「止めて欲しい、って思っていた?」
「……多少は」
秋蘭は春蘭に視線を向けたまま言った。
春蘭は鬼気迫る表情で木刀を振っている。
独歩はそれをいなすが、その中から繰り出される拳が、蹴りが当たる。
「止められると思う?」
「無理でしょう」
「私もそう思うわ」
華琳の視線も闘いに向いている。
肉と肉。
骨と骨。
それらがぶつかり合う音が混ざって聞こえる。
その中に、打たれた時に出るくぐもった声が混ざっている。
「秋蘭。春蘭はこの闘いのためだけに、私の命令を無視したのよ」
「姉者がですか。……不思議です。驚いていますが……何故か、納得もしています」
「そう。で、これはそうして始まった闘いよ。止められるわけないじゃないの」
「ええ……分かってます。この闘いは……他人の手じゃ止められません。終わるときがあるとしたら……どちらかが敗けを認めた時……」
「もしくは、どちらかが死んだとき」
「……私も……そう思います」
弐
相手がどういう攻撃をしてくるか、どう受けるか。
そういうことへの思考が、春蘭の頭から、心から欠落していた。
様子を見る。
探りを入れる。
間合いを考える。
そういうことを一切しないのだ。
息を吸い、その息を吐かずに一気に前に出て殴り続ける。
死にもの狂いで。
真っ直ぐに。
殴り続ける。
叩き続ける。
サンドバック相手なら、誰でもできる。
それを人間相手にやるのだ。
その時点で、大抵の人間はできない。
だというのに、春蘭はそれを武神と言われた男にやっているのだ。
正気の沙汰ではない。
いや、狂っているのだろう。
自分の生命が火花のように消えるまで叩くのだ。
技術は無い。
速度やパワー、耐性といった天性のものだけで殴るのだ。
それの燃料は体内から出てくる何かだ。
恨み?
哀しみ?
対抗心?
それだけじゃ表現しきれない。
これだけが燃料なのか。
もっと少ないのか。
一撃一撃のたびに、春蘭の身体が揺れる。
打つ時も、打たれる時も。
戦う死体はこのようなものだろう。
苦しまない、痛がらない。
意識はないのだから、気を失うこともない。
死んでいるのだから、疲れることもない。
並の人間であれば、心が折れる。
いや、それ以前に見栄も外聞もなく、遁走するのだろう。
独歩は下がらなかった。
狂気混じりの乱打の中、攻めを受け、いなし、拳を打ちこんだ。
それでも、生きているからには、疲れがくる。
――仕方ねえ……楽にしてやるぜ
独歩はそう思い、右の手刀を作った。
斬るのではない。突くのでもない。
独歩は手刀を横にし、春蘭に左耳を叩いた。
「
克巳の声が響いた。
それを見た人間は皆、息をのんだ。
風摩殺にではない。
問題は次の連撃――
独歩は右手で春蘭の服の襟を掴み、頭を胸元に寄せたのだ。
止めるためか?
否!
左の鶴嘴拳が、つむじの辺りに置かれ、嘴が開く。
「六波返し……ッッ 頭蓋骨ってのは、三枚の骨に分かれてんだ……。生まれる時、一枚だけだと出辛いからな……。成長すると固くなって脳を守るが、それでもヒビは残っている。……親父はそれをこじ開けた」
春蘭の顔中の穴から、鮮血が溢れた。
これで終わらない。
襟を放した右手の形は、奇妙な形をしていた。
開いているような、拳のような。
もし、これを例えるのなら――菩薩の手。
「親父……やめろ……」
「……決着ね」
異形の拳が、春蘭の胸に打ちこまれる。
菩薩拳――
愚地流空手の奥義だ。
「胸骨が逝った……」
克巳がつぶやいた。
だが、これでも優しい言い方だろう。
胸への強打は、命を脅かすのだから。
独歩は右手を引くと落ちていき、その場に胡坐をかいた。
息は切れていて、汗が額から垂れ落ちてくる。
「だいぶブッ叩かれちまったぜ……」
ぜいぜいと息を吐きながら、独歩は俯いてつぶやいた。
それと同時に、ゲブッ、と誰かが何かを吐いた。
独歩の頭の上に、十何滴か液体がかかった。
かすかに鉄の臭いがする。
この臭いは知っている。
「独歩……そういうことか……勉強に……なった……」
低い声だった。
血が喉に絡み、枯れている声だ。
それでも、誰の声か分かった。
「本当に……やるのなら……本気で……最高の手で……」
ひゅん、と音がした。
春蘭が座っている独歩の脳天を目がけて、木刀を落としたのだ。
木刀に打たれ、その勢いのまま、独歩の頭が地面に激突した。
これでは終わらない。
春蘭の右足が高く昇っていったのだ。
軸足の左足が浮きそうな勢いで上がる。
そして、それを勢いよく落とした。
後頭部に。
踵落とし――
グジッ
と、嫌な音がした。
「喧嘩の……最中に……何を休んで……いる」
春蘭の息は絶え絶えだ。
それでも蘇生し、立っている。
独歩はうつ伏せに倒れ、頭のある所から血が溢れ出している。
数秒の間。
独歩は両手をつき、ゆっくりと立ち上がった。
起き上がった時には、低い鼻が折れ曲がっていた。
独歩は左手で鼻を掴み、二度三度、ペキペキと鼻を戻した。
そして、片穴ずつ抑え、一気に息を吐いた。
ゼラチン質のようにドロドロとした、膿のようにどす黒い血が鼻から出て来た。
「まだ……やらせてくれるってェのか……」
「ぬかせ……ここからだ……」
春蘭はそう言い、木刀を構え直した。
参
さっきまでぼやけていた視界が晴れた。
さっきの一撃で澄んだのだ。
それとも、激痛がそうさせたのか。
分からない。
それは理解する必要もないことだ。
一呼吸。
激痛。
ああ……本当に胸の骨が折れている。
これでやるのか?
これでいい。
戦場に万全はない。
だから、これでいい。
「なんだ春蘭よォ……来ねえのか」
「ああ……立っているので……やっとだからな」
「なら、終わりで良いだろうが……」
「それはヤダ」
私がそう言うと、独歩は溜息を吐いた。
どうしようもないワガママを聞いた人みたいだ。
「仕方ねェなぁ……。ならよォ……こっちから行くぜ」
独歩はそう言い、流れるように前へ出た。
拳!
木刀で受ける。
みしり、と音がした。
知ったことか。
もう、やるしかないのだ。
勝つために。
勝ちたいから。
無論、これはやっちゃいけない、という考えはあった。
それはどうなった?
受けられた。
眼突きに金的。
あんなにも簡単に受けられたではないか。
もう、いいのだろう。
全力でどこを狙っても。
独歩はそれに対処し、最高の一撃を返してくる。
気持ちのいい話だ。
殴り合わない稽古よりも、断然こっちがいい。
向かい合って全力で闘うのが気持ちいい。
容赦はしない。
加減もしない。
幼い子が親の身体を信じ、全力で叩くように――
私も独歩を信じ、全力で叩くのだ。
「かぁぁああああああああああ!」
叫んだ。
無心。
闘い。
熱。
肆
熾烈な闘いであった。
宿敵同士が闘っているかのような。
そうでありながら、親子喧嘩のような。
春蘭は身体に全てを預けていた。
どう受けるか、攻めるか、なんてのは肉体が考えてくれる。
そう思うと、不思議と身体が動いた。
疲労の上に疲労が塗られている。
苦痛の上に苦痛が塗られている。
疲労の上に苦痛が塗られている。
苦痛の上に疲労が塗られている。
そんなになって、ズルズルになっていた身体の底から、澄んだ泉の水のように、綺麗な体力がコンコンと湧いてくるのだ。
何時間でも闘えそうだった。
それでも終わりは近いのだろう。
独歩はそう思った。
春蘭はそう思った。
もう日が暮れる。
始まった時はどうだったか?
もう、両者とも覚えていない。
ただ闘いの記憶だけが、余りにもリアルに生き残っている。
独歩の右拳が、刃物のように春蘭の喉に迫った。
春蘭の木刀の柄が、斬撃よりも鋭く、独歩の喉に迫った。
だが、相手の攻撃がある。
その攻撃で逸れた。
喉への攻撃がアゴに。
カツン。
そんな優しい音だった。
それで、二人の膝が折れた。
仰向けには倒れない。
前へ。
骨と骨、肉と肉同士がぶつかり合う鈍い音がした。
独歩と春蘭の額がぶつかり合ったのだ。
そして鍔迫り合いのように額をくっつけたまま、押し合う。
額の肉が裂け、血が落ちる。
ぜいぜいと同じような呼吸をする。
流れ落ちる血は誰の血か。
吐いた息は誰の息か。
「なんだ……独歩……もう疲れたのか……」
「バカ言え……まだ疲れちゃいねェ……オメェを休ませてやってんだ……」
「それなら要らん……まだ私は……大丈夫だ……」
「そんな状態で……大丈夫もクソも……ねェだろうが……」
「なら……そっちの方が私に……体重を乗せてるのは……何故だ……?」
「オメェもだろうが……」
ぜいぜいと荒い息の中で会話する。
互いに限界も近い。
それでも負けん気からか、強がり、相手の上に行こうとする。
そして、そのための体力が溢れてくる。
ずるりと互いの頭が動く。
額に流れる血で滑ったのだ。
互いに前のめりになり、胸で支え合う。
そして少しの間、呼吸をしてから独歩が言った。
「もう……終わらせるかァ……」
「ああ……それがいい……」
そう言うと同時に、二人は互いの足に力をこめた。
二人の声が重なる。
掛け声だった。
独歩は右の手刀。
春蘭は木刀での一撃。
それぞれの一撃――
それは、互いの眼帯を切り裂いた。
二人の眼帯がハラリと空に舞い、重なって地面に落ちる。
「何でェ……オメェも眼、塞いだのか……」
「ああ……指を突っ込まれたら困るからな……」
眼帯の下の春蘭の眼孔は、目蓋が縫い合わされていた。
柔術では裸の人間を投げる技術が存在する。
その手段は口や目に指を引っ掛け投げる、というものだ。
そこに片目をぽっかりと空けたまま、挑む。
それがどれほど危険なことか春蘭は理解していた。
だからこそ縫い合わせて塞いだのだ。
だが、六波返しで噴き出た血が、塞がれたその下から出てきている。
真っ赤な血が心拍を知らせるようにドクッドクッと溢れてくる。
「しゃぁっ!」
春蘭が木刀を大上段に上げ、独歩に迫った。
会話をこれ以上する気はなかった。
必要なのは決着だけだ。
春蘭はそう思った。
決着だけが――
伍
誰から聞いた話だったか。
覚えていない。夢の話だったかもしれない。
東方の地に武神がいる――
虎を素手で屠り、その手刀は木材をも断ち切る。
誰の話だったか。
私は木刀を振り続けた。
勝つためだ。
勝ちたいからだ。
「かぁああああっ!」
声と共に振る。
独歩の手がそれを迎え撃つ。
構うものか。
振り切る。
止めさせない。
突如、木刀が軽くなった。
元から軽いが、さらに軽くなった。
カラン
そんな音がした。
ああ、そうか……そういうことか……。
独歩の手は手刀だった。
やられた……。
独歩の手刀が私の木刀を切り裂いたのだ。
むなしく呼吸の音だけがする。
そうか……もう、これは使えない。
私は右手に固定されている木刀の柄を掴み、引き抜いた。
「くむぅ……」
ビリビリと右手が痛む。
痛むな。
もう……いないのだ。
作戦も――戦略も――武器も――何もない。
全てを肉体に委ねる。
どんな時でも一緒にいた“おまえ”を信じる……。
「じぇぁああああっ!」
飛び掛かる。
右拳。
痛みは無い。
淡雪のように消えた。
自分の頭がどうにかなってしまったのか。
それでもいい。
勝てるのなら……!
陸
声が、聞こえたような気がした。
「楽しいじゃねェか」
確かに聞こえた。
いや、これは声なのだろうか。
蹴りか拳だったのではないか。
そうだろう。
言葉。
心。
声。
それが拳足で届く。
こういうことなのだろう。
闘って会話する。
それはこういうことなのだろう。
「楽しいな」
と、拳が言っている。
笑っている。
独歩が血塗れの笑顔でいる。
自分も血塗れの笑顔でいる。
殴り合っている。
殴り合っている。
考える間も無いハズだ。
お互いにムキになって、ありったけで、相手をブッ倒そうとしているのに、笑顔だ。
「面白いじゃねェか」
「面白いな」
何故、今、闘っているのか。
それは事実か?
闘っているのか?
違う。
話をしているのだ。
手は抜かない。抜いてなどいられない。
休めない。
勝ちてェなァ。
勝ちたいな。
だが、この時間も大切なもんじゃねえか。
そうか、そう思うのか。
オメェは思わねェのか。
私も、そう思う。
目の前にある肉体は、どれほど耐えてきたのだろう。どれほど捨ててきたのだろう。
この唯一の場所に来るために何をしてきたのか。
私はそれに胸を張って向き合えるのか?
張れてるか?
当たりめえだろうが。こんだけやり合っているんだ。
そうか。
もう過去もしがらみも関係ねェんだよ。
ああ……そうだな。重要なのは、目の前の闘いだけだ。
もったいねェなァ。
もったいないな。
もうよォ……。
もう……。
終わっちまうぜ。
終わってしまうな。
ああ。
ああ。
まだ続いたらいいのに。
私はそう思った。
だが、そうではいられない。
そうではいられないのだ。
物事に終わりがあるように、闘いには決着がある。
私はそれを先延ばしにしてきた。
もう延ばせない。
ため続けた決着のツケを払うのだ。
両拳を動かす。
当たる。
独歩の顔が切れ、血が流れる。
目蓋が腫れ、蛇の舌よりも目が細くなる。
蹴り。
きた。
避ける。
消えた。
当たる。
チカチカと目の前が明るくなり、暗くなる。
今は昼か? 夜か?
拳。
蹴り。
今度は私だ。
拳は偽だ。
本命は蹴り。
膝へ。
直蹴り。
足の裏から、ミシリという感覚がした。
衝撃。
コメカミを何かが殴り抜けた。
拳が――
声をあげた。
あげなければ、このまま気絶していた。
まけていた。
必死になって、目を瞑ったまま、私は独歩の頭を掴んだ。
「かぁぁあああっ!」
何度言われただろうか。
誰から言われただろうか。
頭を使え――
結局、使い方はこれしかない。
思い切り頭を振りかぶり、打つ。
頭突き。
当たった瞬間に火花が散った。
白い。
もう一発。
衝撃。
鼻に。
独歩 額 私 鼻 受 。
も 、意識
一発。
漆
もう、ここからは記憶に無い。
気が付けば屋内にいた。
屋内と言うのは分かる。
だが、どこかは分からない。
身体に残った痛みだけが、あの闘いが現実であったと教えてくれた。