真・恋姫†無双~怒気ッッ グラップラーのいる三国志ッッッ~ 作:クーロン
合肥城は炎に包まれていた。
積み上げられた穀物が燃えている。
穀物の外側では真っ赤な炎が激しく燃え、内側では高温のまま燻っている。
少し動かして空気が入れば、一気に燃え上がるのだろう。
魏軍はこれを放置するわけにはいかない。
水をかけ、鎮火しようとした。
だが、それは焼け石に水というやつだった。
カブト一杯分のかけられた水は、炎にあてられると一気に蒸発してしまう。
「敵襲! 敵襲!」
さっきからこの声が響く。
だが、敵の姿は見えない。
いるはずだ。
それでも見えない。
魏兵は暗がりで人の姿を見たら、それを切った。
だが、斬ったそれは味方であった。
それがそこらかしこで起こる。
「まずは火だ! 火を……」
突如声が消えた。
声を上げていた兵は男に口を押えられ、首にナイフを突き立てられていた。
ガイアはこうして、既に十人は葬っていた。
動きに淀みは無い。ためらいもない。
――背中をおさえられるような下手はしない
突如消えた声を不審に思ったのか、人が集団で来る。
声の種類からして五人組ぐらいか。
ガイアは息絶えた兵を開放し、そこから姿を消した。
兵士は倒れている仲間を見つけ、そこに駆け寄った。
死んでいるというのは傍目からなら明らかだ。
兵士達自身にも。
それでも寄ってしまうのは何故なのか。
兵士達の意識は死体に向いている。
ガイアはその隙を逃さない。
持っていたナイフ三本を三人の首に向かって投げる。
短い断末魔。
一人はナイフを直に突き立てられ殺された。
そこで最後の一人はガイアに気づいた。
視線がガイアに向いた瞬間、ナイフの刃先が飛んだ。
ガイアが使っていたのはスペツナズナイフだ。
最後の一人は斬りかかる前に、声をあげる前に死んでいった。
ガイアは近くに誰もいないのを確認してから、スペツナズナイフの刃先を柄にもどした。
スプリングの抵抗力が腕に伝わり、少し押し込んでカチリとなった。
そうしてから、ガイアの後ろから誰かが近づいてきた。
小柄で褐色の肌の女性だ。
明命である。
「戦果は十分です。引きましょう」
明命が小声で言った。
ガイアは無言で頷き、二人揃ってそこから姿を消した。
合肥城ではその後も火が燃え続けていた。
壱
「華琳様。西涼からと合肥城から、報告があります」
曹魏の孫呉侵攻軍本陣。
華琳はそこで桂花から報告を受けた。
ひざまずく桂花の傍らには二つの書簡がある。
合肥からの書簡と西涼からのものである。
「西涼からは平定したという報告でしょう? ……合肥からは」
「はい。なんでも、奇襲を受けて兵糧が全焼したとのことです」
「ふぅん……敵はそこに目をつけた、か……」
華琳に驚いた風はない。
ありうることが起こった。
そういう感じの対応だ。
「今、長江での戦はどう?」
「水軍の質が違いすぎます。さらに敵船は多く、将も多いです。この状況で水軍戦で勝つのは、敵大将を暗殺でもしない限り、不可能かと」
「そう」
華琳は素っ気なく答えた。
自覚はしていた事だ。
将については特にだ。
長坂橋での戦い。
あれで魏軍の将は数人負傷し、後方で療養している。
春蘭、凪、流琉。
独歩も療養している。
独歩に将才、少なくとも軍略の才はない、と華琳は思っている。
だが、人を纏めるのは上手い。
そういうことに関しては、華琳は独歩を陣に置くことを悪いことだとは思っていない。
今、それらがいない。
指揮をしている主将は秋蘭に霞、季衣ぐらいだ。
華琳も前線で指揮をしたが、兵は思い通りには動けない。
「……ここは退くべきね」
「それがよろしいかと。今回の戦では魏呉の領土の線引きが出来たと考えましょう」
桂花は華琳の意見に賛同した。
「ただ退く、というワケではない……ということは分かるわね?」
「はい」
「追撃に来るのなら、そのまま決戦にいく備えもしとくよう、諸将に通達を」
「ただちに準備します」
桂花はそう言い、外にいる華琳の近衛兵に連絡事項を伝え、他の将の陣へと走らせた。
華琳はその背を見ながら、水軍をどうするのか考えていた。
――この練度では勝負にならない。でも、水軍が孫呉に立ち向かえる程になるまでの時間もない
江南の人間は船に慣れ親しんでいる。
それに対し河北の人間は馬に慣れていても、船には不慣れだ。
生まれ育った環境での差は大きい。
追いつくのは至難だ。
水軍戦を避けようにも、どこかで長江を渡る必要がある。
――どうやって水軍戦で勝つか
華琳は一人、それを考えていた。
考えはまとまらない。
華琳はそれを仕方のないことと思い、地べたの書簡を手に取った。
手に取ったのは西涼からのものだ。
大方予想通りだ。
――ジャックは役に立ったみたいね
そんなことを考え、書簡の先に目を通していく。
馬騰の話に移っていく。
城を制圧したときには、既に亡くなっていた。
そして、胸には拳の跡があり――
目を通していきながら、華琳は震え、歯を噛みしめていた。
こんなことをやる、できる人間は一人しかいない。
おおよそ最強である暗殺法。
武器を持たず、丸腰で正面から。
それがやられていたことが分かったのだ。
今、華琳の身体を支配しているのは怒りか恐怖なのか、彼女自身にも分かっていない。
ワケのわからない感情が書簡に向き、竹の書簡は音をたてて壊れた。
弐
奇襲成功。
この報に孫呉の士気は上がった。
水軍戦では勝っている。
勝機はある。
雪蓮も笑みを浮かべる中で、冥琳は苦い顔をしていた。
長江に面している孫呉の水軍基地。
冥琳、雪蓮、渋川剛気はそこの司令室にいた。
「雪蓮。追撃はしかけるなよ」
冥琳が言った。
雪蓮は一瞬、どういうことかと考えた。
退却しながら戦う、というのは困難を極める。
相手に大きな損害を与えるまたとない好機だ。
「……まあ、そうね。余力がなくなって退くわけじゃない。退路に伏兵を置いてあると考えるべきね。おじいちゃん、私にもお茶ちょーだい」
雪蓮はそう言い、椅子に腰かけて卓に向かっている渋川に声をかけた。
「湯呑は手元にあるじゃろう」
「えー入れてくれないの? ケチ」
「ケチじゃよ」
「仕方ないわね。自分で淹れるわ」
雪蓮はそう言い、近くにある椅子に腰をかけて、手元の湯呑をとった。
急須の茶は冷えている。
雪蓮は注いだ茶を一気に飲み、湯呑を卓の上に置いた。
「じゃあ、魏軍の動きを見て、ある程度退いたところで私たちも退却……それでいい?」
「ああ」
冥琳は短く答えて、長江の側の窓から外を覗いた。
自軍の軍船が手前を埋め、その向こうに濁った川の流れ。
――次は……
冥琳は外を眺めながら考えていた。
――次はあの程度の軍勢では済まないだろう。
軍事力で見たら魏が圧倒的に上なのだ。
異常な数で押されたら、勝ち目はない。
知略で押し返しても数に押され続けたら、いつかは負ける。
どうするか。
冥琳はそれを考えていた。
その時――扉を誰かがノックした。
三人の視線が扉に向く。
「鎬です。冥琳さんはいらっしゃいますか」
「ああ。すぐに出る」
外からしたのは鎬紅葉の声だった。
冥琳は返事をして、部屋から出た。
扉のスグ外に鎬紅葉は立っていた。
「何用か」
「負傷兵の治療が終わったので、それの報告を」
「……そうか。雪蓮に伝えておく」
――わざわざ来て、言うまでのことじゃないだろう
冥琳は思った。
近くの将に言っておけば、済む話だ。
ならなぜ来たのか。
それを言われなければ分からないほど、冥琳の頭は鈍っていない。
冥琳は逃げるように、扉へ手を伸ばした。
「待ってください」
冥琳はそう言い扉に手をかけようとしたが、紅葉はそれを制した。
「言いたいことはこれだけじゃありません」
「……」
「心当たりはあるでしょう」
「ああ……話しづらい事ですから、別室に行きましょう」
冥琳の口調が医者相手に敬語になった。
そう言ってから冥琳はメガネを一度とって、手元で拭いた。
かけ直し、冥琳の方が先になって司令部を出る。
そして適当な陣に入り、紅葉の方に振り返った。
「病のことだろう」
「ええ」
冥琳はあっさりと言った。
紅葉も隠すようなことなく言った。
「以前、私が冥琳さんに言ったこと……覚えていますか」
「どうするのか、だろう? 治すのか、死ぬのか」
「ええ。そして次に聞く時が最後とも」
冥琳は溜息を吐いた。
「もう決めないとならないのか」
「ええ」
「……」
「相談はせず、この場で貴女ご自身の意思で決めてください」
「普通、よく相談して決めろと言うんじゃないのか」
「相談したら貴女は治療の道を選ばないでしょう。雪蓮が心配だ、蓮華様が、軍の内政の仕事があると言って」
「だろうな」
冥琳はそう言うと、わずかに笑みを浮かべた。
それは一瞬だ。
すぐに引き締めた表情になり、口を動かした。
声は出ない。
「決められませんか」
「……」
「これ以上待てば、私の手では治せなくなります。
「……ふぅ」
冥琳は息を吐いた。
「……すまん。今は結論を出せん。少なくとも曹魏を何とかするまでは治療は受けないつもりでいる」
「……そうですか。それもまた道です」
「すまんな」
紅葉は落胆したように言った。
「薬についてはどうします? これからも飲み続けますか」
「無論だ」
「では、それは引き続き送り続けます」
「頼む」
冥琳はそうとだけ言い、紅葉に背を向けて陣幕から出ていった。
司令部に戻るついでに周りを見る。
兵の様子は落ち着いている。
魏を相手取ってこの様子だ。
いいことだ、と冥琳は思った。
兵糧庫も見に行く。
麻袋が積まれている。
この中身は全部兵糧だ。
余裕はある。
今は、だ。
――次に余裕はあるのか
そう考えると、冥琳は焦りを感じた。
自分が孫呉にとって重要な人間であると理解している。
死んではならない。
分かっている。
欠けてはならない。
それも分かっている。
思えば休む、などという選択肢など最初からなかったのだ。
できることは一つだけ。
やれること全部やり、死ぬ。
――それしかない
問題はただ一つ。
それまで身体が持つのか、ということだけだ。
薬で症状の進行を遅らせても、いつかはダメになる時が来る。
その時が全部終わってからであって欲しい。
冥琳はそう願って兵糧庫をあとにした。
兵糧庫から出ると、小柄な和服の老人がそこに立っていた。
「渋川老。いかがなさいましたか」
「いやぁ……冥琳嬢が出てってから、随分と戻るのが遅いと思ってのぉ」
「探しに来たというわけですか。ご心配させて申し訳ありません。兵糧の量を見てました」
「そうですかそうですか」
「ええ。では戻りましょう」
「そういえば冥琳嬢」
「なんでしょうか」
渋川は思い出すように言った。
冥琳の踏み出しかけていた足が止まる。
「なんとなく表情が変わったの。何か、腹をきめなさったか」
「……ええ」
冥琳の身体、症状のことは渋川も知っている。
そのことを言っているのだろうと冥琳はすぐに察した。
「何というか……こう長生きしていれば、色々と人生あるもんで……。今こうしていることなど、ちょっと長生きしているだけでは経験できんことじゃ」
「そうでしょう」
「だが、良いことばかりじゃねぇ。若い人の死に目なんてのは何度見たことか……」
「……」
「残されるのは辛いもので……」
「……歩みを止めて治療に専念せよ、とでも」
「そうは言っとらん。どうするかは冥琳嬢の決めること。ワシが言いたいことは、残されるのは辛いってだけのことよ」
「ええ、雪蓮を見てたから分かります。雪蓮も御先代が亡くなった時、辛そうでした」
「それが分かっとるのならええよ」
「いいのですか」
「ええよええよ」
渋川は明るい声でそう言い、さっさと立ち去ってしまった。
――渋川老の言いたいことは分かっている
遺される者がどう思うのか。
だが、それを考えていたらいつまで経っても逝けない。
冥琳はそう思った。
仮にだ。
――もし仮に、治療のために前線を退き、その間に呉が滅べばどうなるのか
冥琳はそのことを考えた。
もし治ったとしても呉がないのであれば意味はない。
選べる道はない。
自分が死ぬ前に一戦で魏の国力を削るのだ。
冥琳の頭にあるのはそのことだけだ。
――魏は欲を見せている。一戦で潰せる機会はある
そう考えながら、冥琳は歩いていた。
「冥琳」
後ろから声がした。
聞き覚えのある声だ。
冥琳は振り返った。
「雪蓮。何しに来たんだ」
「……」
「用はない、とか言わないでくれよ」
「言わないわよ」
雪蓮はそう言ったが、すぐに黙ってしまった。
冥琳が笑みを浮かべた。
「……紅葉からの話、どうしたの」
「ああ。断った」
「受けなさい」
「……」
「治療を受けなさい」
雪蓮の目は真剣そのものだ。
「本気か?」
「当たり前じゃない」
「治るかわからんぞ。分の悪い賭けをするより、曹魏との次戦のため……」
「つべこべ言わずに治療を受けなさい」
「……強引だな」
「強引にもなるわよ。冥琳に早死にしてもらいたくないんだから」
「私がいなくて何とかなるか?」
「なるわよ」
「雪蓮の仕事が倍以上になるぞ」
「一向に構わない話ね」
「酒を飲む時間も無くなるぞ」
「……ま、仕方ないか。紅葉には早めに治してくれ、って言っておくわ」
雪蓮はそう言い笑みを見せた。
冥琳は溜息を吐いてから、その笑みに答えた。
参
敗北とはこういうものか。
汚れた民。
顔には疲労の色が濃く浮かんでいる。
泥にまみれた身体は汚れて異臭を放ち、服はボロボロだ。
桃香は馬にまたがり、それを見ていた。
愛紗はその隣で武器を持ったまま、馬に乗っている。
「……みんな疲れてるね」
「ええ……」
二人も同様だ。
髪の毛が汗でかたまり、サラサラだった髪がゴワゴワしている。
身体を洗う時間などない。
二人の体にもはねた泥、血がついている。
「ですが……そろそろ荊州を越えて益州に入ります。あと少しです。あまり悲観的にならないでください」
「うん……分かってる」
「では、私はそろそろ星と交代して周囲の警備をしてきます」
「うん……私はここで鈴々ちゃんたちや、刃牙君たちを待ってる」
桃香はそう言い、愛紗が離れてからもう一度民を見た。
民はうめきながらも歩き続けている。
そのうめき声に混ざって男の声が聞こえてきた気がした。
――言ったこっちゃねェ……
嘲りが混ざっている。
――言っただろうが。敗北すりゃあ、蚊トンボだってよ……
敗北に価値などない。
そう言ったのは誰だったか。
桃香はそれに噛みついた。
負けても何か、得るものはあると。
結果はどうだ。
失った。
天下への足掛かりとなるはずの領土と、政策を実行に移し国力を増大させるための金。
わずかに残っているのは桃香を慕う民と兵力。
得たものは?
……。
きっと、これが勇次郎の言っていた敗北なのだろう。
みじめさだけが残る。
桃香はそんなことを考えていた。
その考えの中に恋の姿が混ざる。
修羅のようになって刃牙と闘っていた姿が混ざる。
あれはもがいていたのではないか。
この苦しみから必死で。
桃香の胸の中で黒い蛇のような感情がうごめいた。
綺麗ではない感情が混ざり合ったもの。
それを吐き出すわけにはいかない。
少なくとも、ここでは。
桃香は手をグッと握って、しんがりの帰りを待っていた。
結果として、この日は帰らなかった。
ゆっくりと進みながら荊州を越え、益州の諷陵に入った。
そのころには、さらに人が減っていた。
愛紗と彼女に従う兵は、北から来たという一団に向かっていった。
民は倒れていった。
目的地が近くなった時が、一番倒れやすい。
それを助ける余力もなかった。
目に入る人を助けても、倒れる人は止まらない。
半分死んでいるような状態で益州の諷陵に入った。
最初にやるべきことは諷陵に入ったことの正当性を劉璋に訴えることだ。
それは朱里と雛里が進めてくれていた。
桃香は城壁に立って、しんがりが戻ってくるのを待った。
だが、なかなか戻ってこない。
同時にまどろんできた。
城に入ったことへの安心感。
極度の疲労。
仕方のないことだろう。
桃香は目をこすり、肌をつねり、それに耐えたが限界が来た。
気付けば目の前は真っ暗だ。
「なにやってんの、桃香」
ゆさゆさと誰かが桃香をゆすった。
「んぇ……刃牙君?」
「そうだけど? ……さっきから皆が探してるぜ。戻ろう」
「あ……待って!」
刃牙はそう言い、桃香に背を向けた。
桃香は急いで起きて、刃牙を引き留めた。
「何?」
「ねえ、刃牙君って負けたこと、ある?」
「……あるけど、それが?」
「で……それで、すっごい悔しくなったことは?」
「あるよ。ユリーとやって敗けたときはそうだった」
「それって……いつのこと?」
「13歳」
桃香は聞いておいて、少し自己嫌悪した。
刃牙はその歳で敗北を知っていて、自分は今まで知らなかったのだ。
「……刃牙君。刃牙君のお父さんが言っていたこと、今なら何となくわかるの。負けたら蚊トンボって」
「親父の言いそうなことだ」
「自分の望み、ワガママを通したいなら強くなるしかないんだって」
「……」
「刃牙君。範馬勇次郎の代わりに、刃牙君が見てて。私はまだ蚊トンボじゃない。力をつけてワガママを叶えるところを」
刃牙はふぅんと言い、頭をかいた。
「わかった。いいよ」
刃牙はそう言った。
そして、城壁の下から桃香を呼ぶ声がした。
烈海王と愛紗、鈴々の声だ。
「あ! そういえば、刃牙君がここにいるってことは、もうみんな帰ってきたの!?」
「気付くの遅いって」
桃香は急いで城壁の階段に向かい降りはじめた。
だが、半分降りたところで刃牙の方を振り返った。
「約束、わすれないでよね」
桃香はそうとだけ言い、また階段を降りはじめた。
曹魏侵攻編はここで終わり、次回からは蜀漢建国編で話を進めていきたいと思います。
これからもよろしくお願いいたします