灰色少女は愛を求めて   作:なよ竹

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評価ポイントが1000ptを超えさせていただきました。

予想よりもずっと早くずっと多く読んでくださる方々がいて、作者も驚きながら嬉しく思っております。
お気に入り登録、また評価をしてくださった方々。
そして読者の皆様に感謝を。


第五話 灰色少女とハロウィーン

 シアが最初に覚えている記憶は、痛みだ。

 腹を蹴り飛ばされたシアの軽い身体は面白いように地面を転がり、ようやく止まった直後、抗えない吐き気に胃の中身であった残飯を嘔吐する。腹の捩れるような痛みに、生理的に出てきた涙が視界をグチャグチャにした。

 

「……ごめん、なさい……ッ! ごめん、なさい……!」

 

 最近覚えたこの言葉を使えば暴力の時間が短くなる。

 それを知っていたからこそ、怒鳴り散らす魔法使いに繰り返し謝罪する。

 

 シアがなにか悪かったわけではない。

 酒癖の悪いこの魔法使いはウイスキーの瓶を片手に、ただただ理不尽に暴力を晒してるだけだ。

 しかし灰色の少女にとってはこれが日常のため理不尽だと想うことすらなく、いつ振るわれるかもわからない殴打と蹴りに怯えて身をすくませるのがいつものことである。

 亀のように丸まって縮こまり、身体にいくつもの痣ができようと、けして泣くまいと歯を食いしばった。

 それはシアに気高い精神があったからではない。

 泣いてしまうと、さらにひどい暴力を振るわれることを理解していただけだ。

 

 魔法使いはひとしきり衝動を発散させて満足したのか、うずくまるシアを一瞥してテントに戻った。

 主人たちは密猟を仕事としているため、娯楽のない森で野営することは珍しくない。

 

 シアはしばらく冷えた土を肌で感じていたが、脅威が去ったことを悟ると、ぐらつく身体を起こしてぎこちない動作で自分もテントのそばに戻る。

 近くにあった水瓶の水で口をゆすぎ、狩りに使う犬たちのもとで倒れこむようにして座った。

 テントに入ることは許されてない。よほどの寒さでない限り、シアは外に放り出されていた。

 虚ろなシアの変色した頬を、ドーベルマンが舌で舐める。

 

「……ん。あり、がとう」

『やめろ、礼を言うな。どうしてオレたち畜生が、人間のオマエを哀れまないといけないんだよ』

 

 ほかの犬たちもシアに寄り添い、肌寒い森の空気から彼女を守ろうとする。

 安心できるぬくもりだ。

 これがあるからこそシアは正気を保っていられたし、夜だけは至福の時間として眠りを享受できた。

 シアは抱きついたドーベルマンの首にほっぺたを押し付け、生物の温かさを一心に感じようとする。

 

「……眠くなってきた」

『お願いだから死ぬなよ?』

「あり、がとう」

『オマエさんのボキャブラリーの少なさに目眩を覚えるよ』

 

 それでも身を預けさせてくれるのだから、このドーベルマンは優しい。

 いつだってシアを助けてくれたのは人間以外の動物だ。

 動物はいい。嘘をつかないし、いつだって真っ直ぐで、そして裏切らない。

 

 逆に人間はワカラナイ。

 突拍子もなく痛めつけてくるし、この地獄から助けてやると約束したのにすぐに裏切る。

 何度も信じようとした。そのたびにシアを絶望のどん底に叩き落として、いつも高いところから笑うのだ。

 だからシアが信じられるのは動物だけ。

 優しい彼らにのみ、素の顔を見せることができる。

 

 ーーシアは、人間が嫌いだった。

 

 

 ◆

 

 

 目を開けると寮の自室だった。

 蛇寮は採光手段がほとんどないため、時計を見ずとも発光する石でおおよその時間を察することができる。

 窓枠に嵌ったそれらの光は微弱。

 それは早朝の証明であり、シアが運動に行く時間を示している。

 

「んっ」

 

 シアは涙で濡れた頬を拭った。

 大切な友人もいる夢だったが、できればもう見たくもない悪夢だ。

 

「……ダフネ」

 

 気を取り直すように、互いに抱きつく形で一緒に眠っていた相手の名を囁く。

 しかしダフネは反応することなく、シアと鼻先が触れそうな距離で、鋭利な美貌にとても無防備な寝顔を晒したままだ。

 鼻をつまんだって起きないだろうし、首に甘噛みしたって平気かもしれない。

 

 鎌首をもたげたのはちょっとした欲求だ。

 朝の海のように静かなダフネの寝息を聴きつつ、シアは己の手をダフネの寝巻きに滑り込ませる。

 どんなに高級な絹を使おうと再現できないであろう柔肌に、いまだ子供だということを象徴してそうな高い体温。背に指を這わせると、ダフネがくすぐったそうに身じろぎする。

 ダフネの細い肢体をより強く抱きしめながら、シアは自分が満足するまで温かさを感じていた。

 

「ダフネ、ダフネ。もう朝だよ」

 

 そしてシアは何事もなかったようにダフネの肩を揺すると、長いまつげに縁どられた碧眼に満面の笑みを向ける。

 

「おはよう、今日はハロウィーンだよ」

 

 寝ぼけた令嬢が応える前に、シアはすでにベッドを出ていた。

 今日から使われる暖炉の焚き火が、暖かい空気でその隙間を埋める。

 

 ハロウィーン。

 もともとは秋の収穫を祝い、悪霊などを追い出す宗教的な意味合いのある行事であったのだが、現代では特にアメリカ合衆国で民間行事として定着し、祝祭本来の宗教的な意味合いはほとんどなくなっている。

 それは古めかしいホグワーツでも同様らしく、この日ばかりは豪華なカボチャづくしの夕食が並べられると上級生たちが語っていた。

 

 まさしくそのとおりらしく、ホグワーツでは朝からパンプキンパイの焼ける香りが廊下まで漂ってきて、生徒たちの胃までダイレクトに揺さぶりをかけてくる。

 その最初の被害者であろうシアなど、涎を垂らさなかったことが不思議なくらいだ。

 

「これはテロだね。食が欲の仲間なのも納得だよ」

「大丈夫かい、シア? そんなんじゃ夕食のときに卒倒しそうだ」

「せめて食べ終わってからノックアウトされたいね」

 

 柔軟体操のためセドリックに背を押してもらいながら、シアがそんなジョークを飛ばす。

 そろそろ寒さが目立ってきたのもあり、ジャージの上にさらに重ね着して走るようになる頃だ。

 これがさらに時日が経てば、この運動場も雪に覆われることになるだろう。そうしたら魔法で雪を溶かし、踏み固め、変わらずシアは走るだろうが、時間が短くなるのはいただけない。

 

 冬は不思議なものだ。

 空気がシンと静まり返り、気だるいような、物哀しいような、言葉にできない寂しさを感じられる。

 それが早朝ともなればなおさらで、一層敏感な動物たちが森で身動きせずじっとするものだから、こうして森の近くだと世界に自分だけしかいないような錯覚に囚われる。

 

 少しでも冷たい空気を肺に入れないために、二人は自然と細くゆっくり息を吐き出す。

 セドリックとはあまり会話しないようになっていたが、沈黙の支配する空気もシアは好きだった。

 それからいつものようにダフネと授業を受け、さあ夕食だ、と意気込んだときだ。

 チョーカーになっていたハーレクインがなにかに気づいた。

 

『ご主人、なんか声が聞こえますよ。ほら、列車で叫んでた茶髪の』

「ハーマイオニー?」

『これは……泣いてますねえ。いやあ、あの娘さんも泣けるとは意外や意外』

 

 魔法薬学の授業が終わって大広間へ向かおうとして、女子トイレの脇を歩いていた最中のこと。

 もうすでに窓の外では日が落ちている。

 午前中のうちにハーマイオニーがトイレで泣いているという噂を耳にしたが、まさか今頃まで泣き続けていたのだろうか。

 

「ダフネ、ちょっとトイレに行ってくるよ」

「そう?」

 

 なにかに気づいてただろうが、ダフネはそのまま大広間へと歩いて行った。

 それを見送ってからシアがトイレに入ると、やはり生徒たちは大広間に集っているのかがらんどうで、唯一閉まっている個室がやけに目立つ。

 シアも前情報がなければ、聞こえてくるすすり泣きがホグワーツの怪談かと思っただろう。

 

「ハーマイオニー」

「……シア?」

 

 ノックをすると、洟をすすりながらトイレのハーマイオニーさんが反応した。

 

「もうすぐ夕食が始まるよ。絶品のカボチャ料理を逃すなんて、それこそもったいないと思わないかい?」

「……悪いけど、あっちに行って」

「お昼も食べてないんだろう。女の子が食事を抜くなんてしたらダメだよ」

「――いいから!!」

 

 よく響く声がトイレで反響して、弱々しく消えた。

 彼女の叫びは、追い詰められたもの特有のやけっぱちさがある。

 

『どうします、ご主人。これじゃあにっちもさっちもいきませんよ』

「ん、そうだね。……ねえ、ハーマイオニー。よかったら教えてくれないかい? どうしてキミは泣いてるのか」

「…………」

「それじゃあ、これでどうだい? ただ、胸の内を聞かせてくれるだけでいい。いまの詰まってどうしようもない感情を吐いてみれば、それだけで楽になれたりするんだよ。大丈夫。ここであったことは誰にも言わないさ」

 

 しばらくすると、ためらいがちに扉が開けられる。

 諦めて背を向けかけたシアは、その隙間から泣きはらして赤くなった瞳を見た。

 

「……さっきのこと、ごめんなさい。それは、どれくらいのお菓子でやってくれるの?」

「そうだね、蛙チョコ一個でどうだい」

「安くない?」

「案外それくらいのものさ、キミの悩みは」

 

 道化のように大げさなジェスチャーが面白かったのか、ハーマイオニーが呆れたようにかすかに笑った。

 しかしトイレのハーマイオニーさんは止めたくないらしく、トイレの狭い個室で二人は対面することにした。

 

「それで、なにがあったんだい?」

 

 シアは閉じた扉に背をあずけながら、ことの経緯を便器のフタの上に座るハーマイオニーに尋ねる。

 躊躇うこと数秒。

 ハーマイオニーはポツリポツリと、雨上がりの屋根から水滴を落とすように語りだした。

 

「……今日、わたしたちのクラスで浮遊呪文について学んだの」

 

 一連のことをまとめると、失敗するロンの呪文をハーマイオニーが直そうとしたものの、言い方がキツかったらしく、授業が終わってからこう言われたことを耳にしたらしい。

 

「――だから、誰だってあいつには我慢できないって言うんだ。まったく悪夢みたいなやつさ」

 

 それからハーマイオニーはどうしていいかわからなくなり、泣きながら逃げるようにトイレに隠れたらしい。

 かなり溜め込んでいたのだろう。

 そこからさらに、ホグワーツより前の学校でも同じようなことがあったことを語りだす。

 

 自分は親と同じように歯医者になるのだと、そのためだけに勉強を続けていたらしい。ハーマイオニーは瞬く間に秀才として褒められるようになり、自分でもできたのだから他人でもできると、友人たちにも教え始めるようになった。しかしそれを続けるたびに疎遠になり、いつしかハーマイオニーは一人で勉強することが多くなったという。

 

 ハーマイオニーは友人に自分を強要し続けていた。一人ぼっちになった原因に気づいたときにはすでに周囲にはだれもおらず、かといって少女にできることといったら勉強だけ。だからがむしゃらに知識を学んだ。だが、手に入れたものといえば大人の賞賛だけで、本当に欲しかった友人は手に入れられなかったという結果に終わるだけだった。

 

 すべてをリセットするためにホグワーツに来たのに、また同じ過ちを繰り返すのだと怯えたようだ。

 そういった親にも相談できなかったことを洗いざらいハーマイオニーが吐露した。

 

 開心術で様子を見ながら誘導したとはいえ、まさかここまで語ってくれるとは思ってもみなかった。

 あまりにも不用心すぎやしないだろうか。

 聞き始めた本人であるシアがそう思ってしまうほどだ。

 

「まあ、だいたいわかったよ」

 

 話し疲れたハーマイオニーが回復するのを見計らい、シアが口を開いた。

 

「どっちが悪いのか、それはワタシにも判断がつかない」

 

 ハーマイオニーが身を震わせるようにうなずく。

 それで、とシアが変わらぬ口調で尋ねた。

 

「キミは、どうしたいんだい?」

 

 シアが決めたのは話を聞くことだけで、解決策を思いつくことではない。

 このままハーマイオニーが勉強漬けの毎日を送ろうと、ロンと仲直りしようと、どうでもいい(・・・・・・)

 気になったから首を突っ込んだだけなのだ。

 十分に話を理解して満足したため、シアにはここにいる目的がなくなった。

 ハーマイオニーが震える口でなんとか言葉を紡ぐ。

 

「……仲直り、して。友達も、つくりたい」

 

 友達。

 ネビルも言っていたが、そんなにいいものなのだろうか。

 このままハーマイオニーがロンとでも友達になったところで、衝突せずにすむ未来が見えない。

 人間同士の親愛など、いつだって脆いのだから。

 

「――――」

 

 こうして話を聞いてあげたのもネビルの時と同じであったが、他寮に信頼できるツテを作り、いざという時に情報を得るためだ。

 けして、ハーマイオニーを心配したからではなかった。

 だがこうまでして、彼女はその友人にどれだけ応えてくれるのだろう。

 それがちょっとだけ気になった。

 

 シアは計算で彩られていた灰色の目を一度閉じ、再び開いた時には優しげな微笑みを浮かべる。

 本に書かれていたように親愛というものがどれだけ強固なのか、シアはたしかめてみようと思った。

 

「うん、キミならできると思うよ」

 

 そう言って、羽毛で包むようにハーマイオニーを抱きしめる。

 

「ロンは女の子のキミにプライドを傷つけられたから、ついひどいことを言っちゃっただけさ。今日のはただの嫉妬、彼も今頃はキミに悪いことをしたと思ってるはずだよ」

 

 開心術で読み取ったハーマイオニーの心から一番言って欲しいことを考察し、優しく背を撫でながら耳元で囁いていた。

 言葉を重ねるたびに、ハーマイオニーの心にあった棘を気づかれぬよう抜いていく。

 

「だけどキミもキミで、一度失敗して原因がわかってるのに同じことを繰り返したんだ。我の強い完璧主義を曲げられなかったのも問題だろう。だけどね、これで二度目なんだ。人生を変えたいなら、まず自分を変えるんだよ。……大丈夫さ、ああ、キミならできる」

 

 目をまっすぐに見つめられて、ハーマイオニーはどう思っただろう。

 答えは、シアの温かな言葉の数々に信頼を抱き始めている。

 辛い環境の最中、それらはきっと乾いた砂漠で見つけた水よりも美味になるのだ。

 それを開心術でつぶさに観察しながら、ハーマイオニーの心に水のように声を染み渡らせた。

 

「すぐには駄目でも、ハーマイオニー、キミの隣にはワタシがいてあげるよ。……うん、安心していいさ。ここまでキミはワタシに語ってくれたんだ。だったら、信頼に報いるのは当然だろう?」

「……シア」

「ああ、ワタシはマグルの友達のように薄情じゃないさ。辛いこと、悲しいことがあっても、ちゃんと受け止めてあげるよ。今日みたいにいつだって。それに――」

 

 そこで、シアが満面の笑みをつくった。

 

「キミはワタシと友達になりたいんだろう?」

 

 胸のなかですすり泣くハーマイオニーの頭を愛おしげな手つきで撫でながら、シアは冷めた目でそれを見下ろしていた。

 

『ご主人、なにかいるぞ……!』

 

 ハーレクインが警告したのは、それから一緒に大広間に戻ろうと個室を出た時である。

 だれか、ではなく、なにか。

 人間ならざる存在を示唆するその言葉に、シアはすぐさま頭を切り替えた。

 

「どうしたの?」

「わからない。でも、静かに。おそらく外にでも変なものが……」

 

 シアが言葉を途切れさせたのは、強烈な異臭が鼻をついたからだ。

 人間が不快に感じるような匂いの素を一週間ごっちゃにし、そこにさらに腐った牛乳やスネイプの髪の油、クィレルのターバンを混ぜ込んだ、そんな凄まじい汚臭。

 ぶぁ、ぶぁ、と。

 動物語り(ディルマウス)を持つシアでさえ、本当にその通りにしか聞こえないような知性もない鳴き声。

 これはシアも知っている。

 養父に連れてってもらった際の、ガード魔ン職業訓練所で偶然見たことのある調教前の怪物。

 トロールだ。

 

「…………」

 

 シアは静かにするようハーマイオニーにジェスチャーを送り、一緒になって息を潜めながら扉から離れていく。

 なぜホグワーツにトロールがいるのか。

 警備のためならば通達が届いているだろうし、野生でなければここまで臭くない。

 

 だが、考えるのはあとだ。

 どうにかしてトロールをやり過ごさなくてはならない。

 こういった生物の恐ろしさは力でも、巨体でもなく……馬鹿なことだ。いくらシアが動物語り(ディルマウス)でも、言葉が通じない魔法生物は脅威でしかない。

 シアは身を隠すために行動に移そうとしたが――。

 

 ドザッ、と。土嚢(どのう)でも落としたような音が背後から響いた。

 見ると、扉一枚を隔てた場所にナニがいるのか理解したのだろうハーマイオニーが、知識ゆえに怯えて教科書のたくさん詰まったカバンを落としているではないか。

 

「ハーマイオニー、奥に。――早く!!」

 

 時間が惜しいとばかり、シアが物体移動の呪文でハーマイオニーをトイレの奥に離させる。

 シアの腰ほどもある指で扉が押され、開いた場所から四メートルはあろう汚らしい灰色の皮膚の巨獣が現れた。

 逃げることは不可能。扉の前のトロールが邪魔だ。

 ならば、どうする。

 シアはすでに抜いていた杖を握り直した。

 

「……止まってくれないか?」

 

 ダメもとでシアが言葉を発したが、トロールは理解できぬとばかり目をしばたかせると、粗末な棍棒を振り下ろしてきた。

 猫のような身のこなしでシアは飛びのき、直後、彼女のいた石製の床が粉砕される。

 

「エクスペリアームス! 武器よ去れ!」

 

 間髪入れずにシアが放った武装解除呪文が棍棒にぶち当たり、洗面台を砕きながら壁に突き刺さった。

 トロールは突如なくなった武器に呆然としている。

 次に意識を起動させる前に、シアが次なる呪文を使った。

 

「テリア! 穴よ!」

 

 落とし穴の呪文だ。

 半径三メートルはありそうな空洞にトロールは落下し、そこで慌てたように手足をばたつかせる。

 

「インカーセラス! 縛れ!」

 

 シアは杖先から出した幾多ものロープでトロールを拘束すると、即座に変身術も併用し、ロープを鉄の鎖に変化させた。

 それから流れるように麻痺呪文を動けぬトロールの目に向けて放ち、見事撃ち当てる。

 麻痺呪文が効いたのか、トロールが脱力するように大人しくなった。

 ここまでが闇祓いの安心安全、対トロールマニュアルである。

 

 トロールの対処法、いや、魔法生物全般の対処法だが、それはなにもさせないことに尽きる。いかに相手が強力な攻撃手段を持っていようと、使えなければ意味がない。不可能ならば、攻撃をできるだけ避ける。次いで防ぐことが続くように、消極的であればあるほど有利に進むのだ。

 まさかマッド‐アイの講釈を一年目で実行するとはシアも思ってもみなかった。

 

「ハーマイオニー、早く外へ!」

 

 しかし相手は腐っても力自慢のトロールだ。

 シアの麻痺呪文もいつまで保つかわからず、すぐに物体移動の呪文で今度はハーマイオニーを扉へと着陸させた。

 

「ま、まってシア! 扉が、扉が開かないの!」

「鍵開け呪文!」

「えっ、あっ、アロホモ――」

「――アロホモーラ!」

 

 ハーマイオニーより先に、外にいただれかが呪文を使ったらしい。

 扉が開くとそこには、なぜか頬に紅葉マークのついたハリーとロン、そして、杖を持ったダフネがいる。彼女の綺麗に結っている髪は乱れ、急いでここまで走ったらしい風体だった。

 もしかしたら、ダフネはシアを心配して来てくれたのだろうか。

 ダフネの不可解な行動に疑問を持っていたのが仇になったらしい。

 鎖が、爆発する。

 

「ッ!? プロテゴ!」

 

 せめてもう二、三発は失神呪文をかましておくべきだったのか、予想よりも早くトロールの意識が回復したようだ。

 ここで経験の差が出てくるのは勘弁願いたい。

 なんとか破片として飛んできた鉄屑を盾の呪文で防ぐが、起き上がろうとするトロールの目玉に再び失神呪文を当てられるほどシアの技量は上達していない。それ以外の場所だと、魔法耐性のある分厚い皮膚で効かないのだ。

 ハリーたちがハーマイオニーを保護するのを視界に収め、シアはトロールの二つ目の対処法を試みた。

 

「ロコモーター、棍棒!」

 

 壁になかば埋まっていた棍棒が浮き上がり、トロールの頭めがけて流星のごとく撃ち放たれた。

 

 

 ◆

 

 

 よく焼けたパンプキンパイを食べると、ふわりとした甘さが口の中に広がる。

 ダフネは一人フォークを動かしつつ、何気なく大広間の扉を見やった。

 

「ん? ダフネ、今日はあんた一人?」

 

 おそらく一年生女子ではもっともいい体躯であろうミリセント・ブルストロードが、皿にローストビーフをよそいながらシアがいないことに気づく。

 ダフネは視線を皿に戻し、そっけなく言った。

 

「……べつに、一日中ずっと一緒ってわけじゃないわよ」

「あっはっは、じゃあ二十三時間は一緒だってことだなあ」

「そんなこと」

 

 ないわけではない。

 寝るときも一緒なのだから、そういった日があることもたしかだ。

 

「いやいや怒んなって、あんたが誰かといるのは珍しかったからさ。それで? あのチビはあんたのおメガネにでも適ったのかい?」

「そうかもしれないわね」

「……ほぉ?」

 

 ミリセントは興味深そうな顔をしたが、しばらく思考する様子を見せると、すぐに肉にかぶりついた。

 ダフネもそれ以上はなにも言わず、だれとも話さずに夕食の続きに取り掛かる。

 

 ダフネはあまり他人とつるまない。

 相手の目が、嫌いだから。

 グリーングラス家の長女。貿易商大手の令嬢。宝石を霞ませる美貌の少女。

 他人にはそう見えていることを、幼いながらダフネは悟っていた。

 だれも内面(ダフネ)を見てくれない。

 欲に濡れた目が映しているのは大層な肩書きだけのハリボテであり、それさえあればダフネでなくてもよかった。どれだけ頑張って結果を出そうと、それはすべてグリーングラスという家名に吸われてしまう。

 

 かつてはそれで良いと思っていた。

 道化であることを自覚して、“親友”を持ったことがある。

 その結果……ほとんど他人を信用できなくなったが。

 

 だから、なにも気にせず接してくれるシアと一緒にいるのだろう。

 たとえシアが自分をどうとも思っていなくとも、彼女の前だけならば普通の少女として振る舞えるのだから。

 シアの言葉で例えるのなら、ギブ・アンド・テイクの関係である。

 

「トロールがぁ! 地下室に! 侵入して……お知らせ、しなくてはと、思っ、て」

 

 突如、大広間の扉を蹴破るようにして入ってきたクィレルが声を絞り出す。

 なんとか教師としての役目を果たしたのはさすがだろう。

 彼は言い終えると、その場で昇天するようにして白目を向いて気絶した。

 

 ダフネは小さく舌打ちして大広間を見渡す。

 魔法界生まれの生徒は悲鳴を上げ、マグル生まれの生徒もただ事ではない空気を察する。

 ――だがシアがいない。

 その時、ダンブルドアが魔法で爆竹を鳴らすことで、半狂乱の大広間を強引に静かにした。

 

「まず生徒諸君、落ち着くんじゃ。各寮の監督生は、それぞれの生徒たちを引き連れて寮へ戻りなさい」

 

 地下室に出たならば帰り道にも出くわすかもしれない。

 ダフネは付き添う可能性のあるスネイプを探すが、鍵鼻の教授はまるで夜闇に溶けたかのようにテーブルから姿を消していた。

 蛇寮の生徒たちの流れからはずれ、ダフネはマクゴナガルの元へと駆ける。

 

「先生」

「ミス・グリーングラス!? どうしたのですか、貴女も寮へ戻らなければ……」

「シアが、いないんです」

 

 ダフネの言葉にぐっと眉を寄せるマクゴナガル。

 

「どこへ行ったか知っていますか?」

「……地下牢の、トロールが出たあたりのトイレです」

「わかりました。私たちがすぐ行きますから、貴女は寮生を追って戻りなさい」

 

 ダフネは自分の領分を弁えている。

 自分に出来ることはここまでで、あとは教師たちの仕事だ。

 歯噛みしつつもそう判断し、大広間から走って飛び出したダフネだが、最後尾の寮生の姿を捉えた頃になって、見覚えのある黒猫が地下回廊の奥から走ってきた。

 

「ハーレクイン……?」

「ニャウン」

 

 抱き上げようとすると、川の魚のようにするりと腕から抜け出してしまう。 

 そして道化者(ハーレクイン)は長い尻尾を先導棒のように振り、ゆるりと身を翻した。

 

「……私についてこいってこと?」

「ニャウン」

 

 常日頃からシアのチョーカーに化けて一緒にいる頭のいい黒猫が、なぜトロールのいるであろう道からやって来たのか。

 

「私に死ねってことかしら」

 

 多少教養があるところで、ただの一年生であるダフネになにを期待しているのだろう。

 

「ニャウン」

 

 来ないなら来なくていい。ハーレクインは金色の瞳を細めると、とっとこ奥へと走っていく。

 それを、わずかに悩んだ末にダフネが叫ぶことで呼び止めた。

 

「待って! シアはまだ生きてるのよね?」

「ニャーゴ」

 

 もちろんだ。

 そう言わんばかりの猫の態度に、純血一族のはしくれとして冷静に脳内で計算する。

 教師たちが来るのはあと数分もない。スネイプさえ認めたらしいこの頭のいい黒猫が、まさか無意味にダフネを誘うはずもない。

 それにここで見捨てれば、そのことがハーレクインを介してシアに伝わるだろう。

 ……まだ、あの少女は手放したくない。

 自分の打算にどうしようもない不快感を覚えるものの、時間は一分一秒でも欲しかった。

 

「……わかったわよ、連れてって!」

 

 我が意を得たりとばかりに走り出すハーレクインを追っているうちに、見えてきたのはシアとわかれたトイレだった。吐きそうなほどひどい臭いがする。おそらくシアたちのいる内部にトロールが侵入したのだ。

 しかし、扉は固く閉ざされていた。

 それをやったらしい二人のグリフィンドール生が、息を荒げて走ってきたダフネに顔をしかめる。

 

「……ッ、どきなさい!」

「ダメだよ、鍵なんて開けたら! なかにはトロールがいるんだ!」

「そうだ! それに、スリザリンの言うことなんて聞けるもんか!」

 

 粉砕音が扉越しに三人を震わせた。

 

「邪魔よ、早く! なかに人がいるの!」

「そう言ってなにかたくらんでんじゃないのか!?」

「――ッ! ハーレクイン!」

 

 飛び上がった黒猫が頑丈な手袋に変わり、ダフネの繊細な手を保護する。

 廊下に破裂音が三度響いた。

 ハリー・ポッターに一発。赤毛のノッポに二発。

 ビンタで少年たちを物理的に黙らせたダフネは、即座に抜き出した杖を扉に向けた。

 

「アロホモーラ!」

 

 扉から転がり出てきたのはハーマイオニーだ。

 その奥にはシアがいる。トロールと対峙して無力化していたが、復活した怪物を棍棒で昏倒させ、地響きを立てる敵に念入りに失神呪文をかけている。

 

「……倒したの?」

「まあ、なんとかね。お義父さんとかなら二つの呪文だけで退治できたんだろうけど……やっぱり、知識があっても使うのはまだまだだよ」

 

 シアはいまだに警戒を解かずトロールに杖を向けている。

 しかし自分に完璧を強要する少女はまだ結果に不満なのか、トロールを倒したというのに顔を歪めていた。

 

「シア!」

「ああ、ハーマイオニー。大丈夫だよ。うん、それより先に……あの人たちだね」

 

 怪我がないか技術もないだろうに身体に触れてくるハーマイオニーをシアが落ち着かせ、慌ただしい足音とともにマクゴナガルを先頭として、スネイプ、クィレルがやってきた。

 スネイプはトロールの状態を確認し、彼がうなずいたのを見てマクゴナガルも取り出した杖を仕舞うと、腰を抜かしたクィレルを置いて、ダフネたちのそばに靴音を響かせながら近づいてきた。

 しかし前者二人が表面上は冷静でも、烈火のごとく怒っているのは明白だ。

 

「一体全体、あなたがたはどういうおつもりですかッ! ……殺されなかっただけ運がよかった。寮にいるべきあなたたちが、どうしてここにいるんですか?」

 

 マクゴナガルの説教を聞き流しながら、ダフネはこっそりとシアに耳打ちされる。

 

「ねえ、ダフネ。キミはどうしてここに来たんだい」

「それは……」

 

 ダフネは手袋を嵌めていた右手をあげようとして、そこには自分の素肌しか見えないことに気づく。

 黒い水先案内人はいつの間にやら消えていた。

 

「キミは実に馬鹿だな。この行動は軽率としか言えないし、キミがここまで頭の悪い行動をするとは思ってなかった。トイレなら寮内にもあるだろう。わざわざこんな場所まで来るほど切羽詰っても――イタイッ!?」

「痛くしたのよ馬鹿っ」

 

 シアの白い額にデコピンした。割と強めに。

 ダフネの指も痛くなったが、その痛みさえ怒りに変わっていくようだ。

 何事にも無頓着とはいえ、無感情というわけではないのである。

 

「…………のよ」

「ん?」

「心配して、それで、急いで駆けつけたのよッ! ……死なれたら寝覚めが悪いでしょ」

 

 これは本心だった。察しの悪いシアにはこれだけ言わねば伝わらない。

 だが、こんな小っ恥ずかしいセリフを吐いて素面でいれるほど、ダフネは豪放磊落(ごうほうらいらく)ではない。

 白い頬がちょっとだけ赤くなっている。

 シアは穿つように灰色の瞳でダフネの碧眼を見つめ、最後に小さく、ごめんと呟いた。

 その様は飼い主に叱られた犬のようで、ダフネの喉から出かかっていた幾多もの小言も立ちどころに消えてしまう。有言実行を突き進むシアに似合わぬ困惑の色があったのも理由のひとつだ。

 

「まったく、ミス・グリーングラスが伝えてくれなければ、あなたたちは危ないところだったのですよ? せめて黙らずに……」

「先生」

 

 まだ説教を続けるほど相当お冠なマクゴナガルに、ハーマイオニーが口を出した。

 

「全部、わたしが悪いんです。教科書で読んで、それで、トロールでもわたしなら倒せると思って、探してて。でも偶然、大広間に行く途中だったシアがいなかったら、わたし、なにもできずに死んでました。そのせいで心配をかけて、ハリーとロン、それにダフネが来てくれたんです」

 

 それは違うと言おうとしたシアの脚をダフネが踏みつける。

 

「……キミはワタシがいたから来てくれたんじゃないのか?」

 

 また脚を踏むと、シアが今度こそ押し黙った。

 なぜ林檎から木から落ちたのかを考察するニュートンのように、しきりに首をひねっている。

 

「ミス・マルシアン? このトロールは、あなたが一人で退治したのですか?」

「トイレで遭遇したのですが、状況からして逃げることも応援を呼ぶこともできず、やむなく戦闘に持ち込みました」

 

 マクゴナガルは驚いたように目を見開くものの、破壊痕の残るトイレを見回して、すぐに厳格な教師としての仮面を被った。

 次に見たのはハリーとロン、そしてダフネだ。

 

「……ですが、学生がトロールに立ち向かうなど危険極まりない。もしミス・マルシアンがいなければ、代わりに対峙していたのはあなた方でしょう。グリフィンドールから十五点、スリザリンから十点減点です」

 

 シアの減点は戒めのためだろう。

 もう少し視野を広げていれば、交戦を避けることも可能だったのかもしれないのだから。

 

「友を心配し、窮地に駆けつけようとした姿勢は素晴らしいものです。よって、グリフィンドールの二人にそれぞれ十点。スリザリンには合わせて三十点与えることにします」

 

 ハリーたちは驚きと喜びの声を上げる。

 ハーマイオニーはともかく、ほかの二人は何もやってないのだが、心身ともに疲れ果てたダフネには指摘する気も失せていた。

 それを横目に、スリザリンの少女たちにスネイプが声をかけた。

 

「寮でパーティの続きが行われているが……どうやらマルシアンは軽傷とはいえ、治癒が必要だろう。グリーングラス、やんちゃなご友人の面倒は最後まで見たまえ。それが我輩からの罰だ」

「……はい」

 

 予想していたため、渋々ダフネが了承する。これぐらいで済んでよかったと肩をなで下ろすべきか。

 医務室へ行くかたわら、二人は情報交換をした。

 

「死ぬかもしれなかったのに、ワタシに助ける価値なんてあるのかい?」

「次に同じことを訊いたなら、あなたもビンタで黙らせるわよ」

「怖い怖い。……そっか、そうなんだ」

 

 心を見られた気がしたため、まっすぐに向けられる視線から顔を逸らす。

 

「まあ、ワタシの場合は採算に合うのか微妙だけど、学期末までに結果をたしかめようかな」

「どういうこと?」

「さぁて、それは時が来るまでは、ね」

 

 マダム・ポンフリーからお小言と一緒に頬に湿布をもらい、ようやく談話室までたどり着いた。

 石壁が開くと、わざわざ二人が来るまで料理には手をつけず、寮生たちが待ちきれんばかりの笑顔で迎えてくれた。

 これはなにがあったか語らないといけない。

 そんな予感とともに、シアは最後にこぼした。

 

「そうすれば、キミの気持ちもわかるのかな」

 

 クラッカーの音に掻き消えた言葉は、ダフネの耳に届くことはなかった。

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