「なぁ……〇〇、海っていうのはな、お母さんなんだぞ」
「お母……さん?」
「あぁ、いつもはすべてを包み込んでくれるかのように広く優しい……けど時々すごく恐ろしく荒々しくなるんだ」
「へぇ~」
「お前のお母さんもな、海になったんだぞ」
「そうなの?」
「あぁ、いつも〇〇のことを……優しく見守ってくれてるんだ。 だからいい子でいないと、お母さんが怒って海が大荒れになるんだぞ」
「ぼ、僕っ! いい子になるよっ!」
「よしっ、流石は俺の息子だ」
太陽が暮れ始め、いつもの青い海がオレンジ色に変わる時間。
そんな時間に、堤防から伸びる二つの影があった……その二つの影は遠くまで伸びている。そして遠くで交わった。
そんな二つの影は、太陽が沈むまで……ずっと堤防から伸び続けていた。
**
冬の寒さが収まり始め、春の暖かい日差しが差し込み始める今日この頃、こんな場所のこんな暑い時には、かき氷やらアイスクリームやらを口いっぱいに頬張るのが一番だろう。しかし、今自分がいるこの状況では、そんなことも出来るはずがない。
「もっと声をださんかぁ!」
『サーイエッサー!』
「キビキビ走らんかぁ!」
『サーイエッサー!』
「お前達の全力がそんなものならこの学校からから立ち去れぇ! 今までの努力もなかったことになるがなぁ!」
『サーノーサー!』
なぜか……俺達は今、大量の重りを体に纏い……チキチキ耐久マラソンの真っ最中だからだ。マラソンと言っても、娯楽で行うマラソンとは違い、俺達が行っているのは海軍に所属しているものが行う訓練なのだ。もう何時間経ったかは忘れてしまったが、それくらいには走らされている。
「ぜぇ……ぜぇ……くそぅ、なんたってこんな暑いところでこんなことしないといけないんだこの野郎っ!」
「仕方ないだろ……あの海軍で有名な閻魔様が決めたことなんだからよ」
「それだって流石にこりゃあねぇだろっ!あの閻魔様は地獄行きしか言わねぇんだよっ、室内で夏気分を味わえるとか言われたのによっ! 夏といえばなんだっ! 海だろっ! 水着姿の女だろっ! こんなところで何時間もマラソンとかマジキチすぎるわっ!」
俺の隣で海だの女だの言っているのは、俺がいるこの海軍訓練学校で会った同期の男、橋波 拓。有名な海軍のお偉いさんの息子で、本人は海軍に入るつもりは全くなかったものの、父親に無理やり入れさせられてしまったらしい。
「まぁ……今更そんな事言ったってどうにもならないだろ? 無駄話が聞かれたら時間が追加になるだけだ」
「だけどよぉ……なんだって卒業の祝い行事がマラソンなんだよ。女は室内ビーチでバカンスなんだろ?」
「そうらしいな、羨ましい限りだよ」
「あの鬼閻魔め……俺達を卒業させる前に殺すつもりなんじゃねぇか?」
「かもな……まぁ、もしそうなら、あのクソジジイの思惑にハマってやるのは御免だな」
俺がそういうと、拓はニヤリと笑って頷いた。
「オーケイ兄弟。最後にあのクソジジイに一泡吹かせてやろうぜ」
「ああっ!」
そういうわけで、俺と拓は……この海軍訓練学校の閻魔様に、卒業前の大喧嘩をしかけることにした。
「でも何をするにしても……」
「あぁ……」
『このマラソンから無事に生きて帰らねぇと……喧嘩どころじゃねぇよな』
そんなわけで俺達は、このイカレたマラソンをそれから数時間、続けることになったのだった。
**
マラソンが終わった時には既にもう日が暮れていて、俺達はすぐに次の日に迫った卒業式の準備をすることになった。
そんな中、俺達はいち早く準備を済ませ、寮一階の俺の部屋に拓を呼んだ。
「で……兄弟、作戦はどうする」
「そうだな……せっかくだ。 最後にドンパチやって終わろうぜ?」
「そりゃあいい、けどよ? 実弾なんて使ったらそれこそ今までの地獄のような日々が水の泡になっちまうぜ?」
「俺もそこまで馬鹿じゃねぇよ、拓。 この訓練学校に入った時、あのクソジジイに言われたこと……覚えてないか?」
「ん……? なんだっけかなぁ……」
顎に手をやり、首を傾げる拓を見た後……部屋のタンスを開いた。そこには拳銃やらなにやらの武器がいくつも入っていた。
「この訓練学校で支給された模造品を使った反乱なら、いつでも来い……ってな」
「おぉ……そういやそうだったな。 この訓練学校が始まった時は、あのおっさんのやり方が気に食わなくて何人もの生徒が反乱を起こしたが、すぐに返り討ちにされて、ここ数年じゃあまったく反乱なんてなかったけどな」
そう、拓の言う通りだった。だから俺は、もう既に反乱を諦めた生徒の模造品を、片っ端から貰っていたのだ。いつかのドンパチのために。
「だから……最後に起こしてやるのさ。卒業を祝しての最高の反乱をな」
「そりゃあいい……流石は兄弟、いや……出雲 真弥だな」
「褒めるなよ、照れるぜ」
そうして俺達二人は、部屋に篭って作戦を練り始めたのだった。その日の夜は星も月も輝いて、まるで俺達を応援してくれているかのようだった。
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ここはとある一室。ガタイのいい男と……一人の女の姿がここにはあった。
「私達の次の提督は決まったのですか?」
「まぁそう焦るな、お前さん達も……今までの奴等とは違うほうがいいだろう?」
「当たり前です……今までは貧乏くじばかりでしたが……今度こそはまともな人をお願いします。 そうでなければ……私達は、もうもちません」
「わかっている……その件に関してはすまないことをした思っているよ」
「いえ……仕方がありません、人は仮面をつけて演じる……それを人が見極めるのは難しいですから」
「そう言われると、人間としては頭が痛いな」
ガタイのいい男は苦笑しながら言う。女の方は表情を変えない。
「そんなことよりも……次の提督を誰にするのかは……目星はついているのですか?」
「あぁ……それは付いているとも……この男だ」
「この人……ですか」
男が机の上に出した書類には、顔写真と名前などが書かれていた。
そしてその書類に書かれている名は……
「出雲真弥……」
女が呟いた言葉は、その室内に空気のように溶けていった。