霧雨魔理沙という少女は凡人である。
それはくらげのような特異的な能力などではなく、紛れもなく、普遍的な意味での凡人である。
ただの人間として生まれ、絶え間ない努力の結果、どうにか普通の魔法使いになった凡人である。
だが、そんな彼女の周りは異質な天才か、驚異的な化け物かどちらかであることが多い。
何故そのような状態になったか。
それは彼女の好奇心のためであったり、気後れしない性格のためであったり、危険に突っ込んでいくスタイルであるためである。
だから、
「そんな状態でどうするつもりなの?」
顔や腕を赤く腫れあがらせて、ボロボロの服で、それでも笑いながら対戦相手を見つめる魔理沙の姿というのは、珍しくもないことなのであった。
「スペルカードを3枚も使った奴のセリフじゃないぜ!」
「あなた、もうグレイズってレベルじゃないわよ? 擦り避けは技術点だけど、あなたのはただ避けきれてないだけじゃない…」
「いいや、私が言い張る限り、これはグレイズだ!」
「はあ…」
3枚使われたスペルカードによって発生した弾幕は、恐ろしい数と暴力を辺りに撒き散らし、端によけていたくらげにも被害が及ぶほどだった。
だが、傷だらけであるのは魔理沙とくらげだけであり、本棚や本には何の被害も発生していなかった。
つまり、パチュリーは弾幕で魔理沙を攻撃しつつも、周りの本棚などに影響が出ないように守っていたのである。
魔理沙が必死に避けた弾幕は、パチュリーにとってはお遊び程度のものだった。
パチュリーはもう一度ため息をつく。
「そのまま帰れば、見逃してあげるわよ? 無関係な人間を傷つける趣味はないわ」
「おっと、私は同じ幻想郷に住む、同じ魔法使いだというのに、無関係とはちゃんちゃら可笑しいな」
「同じ…、ね」
周りの空気がチリチリと焦げるような音を立てる。
「その程度で、私と同じ魔法使い、ですって…?」
次の瞬間、図書館全体が何の前触れもなく、炎に包まれた。あまりの唐突さに、くらげは幻覚かとも思ったが、その強烈な熱さがそれを否定させる。
「いいわ、少しだけ本気で戦ってあげる」
そうして、パチュリーの目の前に浮かび上がったものは、スペルカードのような何かであった。
それは、スペルカードと断定するには情報が足りなすぎた。
そこにあったものは、まるで太陽を凝縮したかのような眩い輝きと、灼熱地獄のようにあたりを蒸発させる何かだった。
「後悔して死になさい」
パチュリーは、ゆっくりと手を差し出して宣言した。
「『日符』《ロイヤルフレア》」
その宣言とともに現れたのは、赤黒い球体であった。
ただの球体であればどれだけ良かったか。
その直径1メートルほどの球体は、まるで灼熱を圧縮したかのように高熱を発し、さらにはグツグツと煮えたぎるそれは、マグマのようだった。そして、それは1つだけではなかった。
その球体は、数えることも億劫なほど、その図書館を埋め尽くすように浮かんでいた。そして、規則正しい整列しながら、速度を上げつつ魔理沙に向かって進み始めた。
「おいおい、まじかよ…」
傷だらけで危険に突き進む魔理沙が、引きつった笑顔で、唖然とその光景を眺める。
そして、一つ軽くため息をつくと、腰が抜けて本棚の隅に座り込んだ、くらげに向き直った。
「悪いな、巻き込んじまって。なんか、ちょっと楽しかったからさ。まあ、くらげはあの怖い魔法使いの言うことを聞いて、ここから出ればいいから」
「な、にを言って…」
くらげは、その言葉の意味が理解できないほど、子供ではなかった。魔理沙に近づく赤黒い球体で、どうなるかぐらい分かる。魔理沙が、何を言いたいかくらい分かる。
「私の悪い癖なんだ。強い奴がいると、つい煽っちゃうんだ。多分、対等になりたいんだろうな」
球体と魔理沙の距離が詰まる。
だが、魔理沙は笑う。灼熱の中で、マグマが煮えたぎる球体に囲まれてなお、その笑顔だけが異質に映る。
こんなところに来なければよかったとか、あんなこと言わなければよかったとか、そんな後悔は微塵も感じさせない。
諦めではない。そこには満足感すら漂っていた。
それは、くらげには到底理解できないことだった。
「じゃあな!」
そして、その死を内包する球体が魔理沙に直撃する瞬間、くらげの中に後悔や懺悔に似た、何かが弾けた。
「『浮いた先から落ちる』《フワフワグラビティ》!」
くらげのその叫びと同時に、魔理沙に直撃するはずであった弾幕の一つがぴたりと、止まる。
『浮いた先から落ちる』《フワフワグラビティ》は、博麗霊夢の『空を飛ぶ程度の能力』の劣化スキルである。
人や物を、ちょっとその場に浮かせることができる。だが、それを動かすことはできない。
くらげはその制限を逆手に取ったのだ。動かせないから、動いていたものも、動きは止まる。
だが、未だ魔理沙が危険地帯にいることに変わりはない。
くらげは続いて叫ぶ。
「『幻は突然に』《フェイクイリュージョン》」
次の瞬間、図書館の中は、異常現象か発生した。
室内であるのに太陽が照りつけ、月がその光を受けて輝き、床には土が敷き詰められ、炎が猛り、大雨が降り始め、樹木が乱立し、隕石が落下していた。
『幻は突然に』《フェイクイリュージョン》は、パチュリー・ノーレッジの『火+水+木+金+土+日+月を操る程度の能力』の劣化スキルである。その属性に応じた幻を少しだけ見せることができる。
今回は出し惜しみなく、全属性分を使用している。
「なっ!」
パチュリーは、その状況に集中力を欠かれたか、魔理沙を取り囲んでいた球体は跡形もなく消え去った。
魔理沙は唖然としていた。
自らが助かったことよりも、周りの現象に驚いていたようだった。
近くの樹木に触ろうとするが、その手はそれをすり抜けた。
「幻…か?」
魔理沙が他に手を伸ばそうとしたとき、それらは何もなかったかのように消え去った。
静寂が辺りを包む。
それを破ったのは魔理沙だった。
「すごいな…」
魔理沙はキラキラとした目で、くらげを見ていた。
「くらげ! すごいな!」
「いや…、ただの幻だから…」
「それでもすごいぜ!」
一方、パチュリーからは表情がなくなっていた。
「あなた…、私の能力を何らかの方法で写し取った…のね?」
ビクリと、くらげの体が震える。
「私の魔力の痕跡がある…、しかも、その属性の多様さは、まるで私の魔法そのものだわ…」
パチュリーの目が細まる。
「あなたも、そのまま帰すわけには行かなくなったわね…」
くらげは、その殺意に身を凍らせた。