突然、声をかけられたくらげは思わず体をすくめた。先程までの緊張感のせいで、いつも以上に警戒心が高くなっている。
その様子を見て、着物姿の女性は口に手をあてて、「あっ」と声を上げて言った。
「ごめんなさい。驚かせるつもりはなかったんです。あの、大丈夫、ですか?」
そのゆったりとした口調が、くらげの緊張を幾分か和らげ、くらげは体の力が抜けて、長いため息をついた。
「いえ、あの、だ、大丈夫です」
実際、くらげは怪我をしているわけではない。だが、精神的に追い詰められていたため、かなりの疲労は溜まっており、その顔色は良くなく、汗だくであった。
着物姿の女性は、そんなくらげの様子を見て、少し怒ったよくに顔をしかめる。
「大丈夫じゃない人は、皆そう言うんです」
そして、そう言うとくらげへ手を差し伸べる。
その差し出された手を見て、くらげは「あぁ…」と息を漏らし、涙ぐむ。あまりの状況の落差に、くらげは目の前の女性が天使のように見えた。
「あの、ごめんなさい。本当に大丈夫です、一人で立てます」
と言ってくらげは立ち上がる。
だが、疲労のせいか、ふらついてしまう。
その様子を見て、女性はまた顔をしかめる。
「ほら、ふらついてるじゃないですか」
そう言って再度差し出された手を、くらげは握ることができない。『劣化』させてしまうからである。
だからくらげは、
「いえ、本当に平気なので…」
と言って草むらからふらつく足で出ると、目の前のベンチに座り込んだ。
と、その女性も同じように、自然とくらげの隣に座る。くらげが驚いて隣を見ると、女性はニコリ、と笑った。
その優しげな笑顔に、くらげは顔を赤くする。
だが、女性はくらげを見つめると、不思議そうな顔をしたまま、首をかしげた。
「あの、何処かでお会いしましたか?」
だが、くらげは次元移動したばかりである。誰かと顔を合わせたとすれば、先程の二人だけだ。
「いえ、会ってはいないと、思うんですけど…」
くらげは、そう答えながらも自分も同じような感情があることにあることに気づいた。恐らくは、何らかのスキルが関係していると予想できたが、それが何なのかは分からなかった。
くらげが考え込んでいると、女性が吹き出す。
「なんだか、私、ナンパしているみたいですね」
そう言われて、くらげは顔を赤くする。
「な、な、な」
「いえいえ、冗談ですよ?」
女性はそう言って笑い、くらげはまた顔を赤らめた。
その笑顔は、その女性に酷く似合っていた。けれど、くらげは、その笑顔に何か違和感を感じて、じっと見つめる。
「あの、そんなに見つめられると穴が空いちゃいます」
どうやら、くらげは女性をまじまじと見つめていたらしい。
「あ、いえ! ごめんなさい!」
くらげは慌てて目を逸らす。
「見られて減るものではありませんから大丈夫ですよ」
くらげは恥ずかしくなり、しばらく俯きながら考える。やはりその笑顔には違和感があった。どこかと見たような、そんな気がしていた。
「先程見たときは、真っ青な顔をしてらっしゃいましたが、今は大丈夫そうですね」
女性のその言葉に、くらげは「吸血鬼らしい女性と剣を構えたシスターに追われていて」と答えようかと思ったが、到底信じられるような内容では無かったので、口をつぐんだ。
「では、私はこれで失礼しますね」
女性はそう言ってベンチに手をかけて立ち上がると、手を前で合わせて、僅かにお辞儀をした。
と、くらげは、その女性の指から血が流れていることに気づいた。ポタポタと流れる血の量からして、浅くない怪我だと思われる。
目線をベンチに戻すと、女性が手をかけていた場所の一部が、鋭利に捲れ上がっていた。そして、少し血がついていた。
「あ! あの、傷が!」
くらげは声を上げる。女性は首を傾げたが、くらげの目線を追って、自分の指を見た。そして、その手を自分の目線の高さに上げて、ポタポタと落ちる血液を眺める。
「あら、何処かに引っ掛けてしまったみたいですね」
そして、まるで他人事のようにそういった。
だが、その指の傷は短いものの、深めに切れている。痛みが無いわけはなかった。
「あの、痛くないんですか?」
くらげの問いかけに女性は笑う。
「痛いですよ、もちろん」
女性は平然とそう答える。
その様子と、ポタポタと滴り落ちる血液が、あまりに不自然で、くらげを不安にさせる。
「こういうときはですね、『自分の体じゃない』って、『人形』だと思えばいいんです」
女性は懐からハンカチを取り出して、怪我をした指に今日にまきつけながらそう言う。
「自分の体じゃないなら、痛いとは思わないじゃないですか」
女性はそう言って、くらげに笑いかける。
くらげは、その女性のあり方が『おかしい』と思った。だが、それをただおかしいとは何故か思えず、
「そう、ですね…」
そう、肯定の言葉を返した。
女性はキョトン、とした顔をしたが、直ぐにいつもの笑顔で、
「では、私はこれで」
と言ってくらげに会釈をして振り返ったが、
「志貴、さん」
そう言って立ち止まった。
女性がそう言った先には一人の男が立っていた。中肉中背で、童顔で背も高くないため、かなり若く見えるが、恐らくは高校生かと思われた。
「志貴…さん?」
再度そう呼ばれた男は瞬き一つせずに、知り合いであるはずの女性ではなく、くらげを見つめ、その右手にはナイフが握られている
そして次の瞬間、くらげの目の前で、ガキリッ! と金属がぶつかり合う音がした。
驚いて尻もちをつくくらげの前には、志貴と呼ばれた男が振り下ろすナイフを、同じくナイフで受けた誰かがいた。
着物の上から赤い革ジャンを来たその誰かは、笑みを浮かべて言う。
「手練の殺人鬼に、…おいおい、もう一人は異質にも程があるな。これだから夜の散歩はやめられない」
くらげを見るその眼は獲物を狩る猛禽類のように鋭く、くらげは両者が敵であるという事実に、泣き出しそうだった。
全然更新ペース戻りませんでした。
ごめんなさい。