「根源に…」
凛はそう呟きながら、腰を抜かして情けなく座り込む男を見る。
『根源』とは、世界の全て、始まりであり、終わりであるもの、ある意味、世界を構成するそのものといえるものだ。
この世界の魔術師、橙子や凛が到達するべき目標、その目標に近いものが、目の前に座っていた。
ボロボロのTシャツに薄汚れたジーンズのズボンで。
凛は失望とも言える視線をくらげに向ける。
「この人が…?」
「『人』と表現してよいかは判断が難しいがな」
アーチャーはくらげを睨みつける。
「正しくは判断が難しいが、恐らくは根源に近い、『概念』のようなものが、人の皮を被ったような状態だろうな。もっと正確に知りたければ」
アーチャーはそう言いながら、不敵な笑みを浮かべる橙子をみる。
「あちらの魔術師に聞くといい。どうやら詳しいことを知っていそうだ」
橙子は口の端を持ち上げる。
「私はここに来るまでの間に色々と聞かせてもらったからな。恐らくは、その認識で間違いない」
「『世界の敵』ということで間違いないかな?」
「ふむ。そうだな、私たち『人間』からすればそうだろう」
「人にとって有害であることが分かれば、それ以上の答えは必要ないさ。人にとって、人が生きる場所こそが『世界』であるのだから」
アーチャーはそう言いながら、両手に持った剣にギリッと力を込める。
「待ってください!」
とその時、アーチャーとくらげの間に、琥珀が割り込み、両手を広げた。
「お話はよく分かりませんが、あなたがその剣で何をしようとしているかは分かります。お願いです、止めてください…」
縋るように、だがその眼差しはどことなく力が籠もっていた。
その琥珀を、アーチャーはじっと見つめる。
「お願いです…」
消え入るように呟くその声にも、抑えきれぬ何かをがあった。くらげはそんな琥珀を見て、先程までと様子が違っているように感じた。
琥珀の中で、深い感情に歪みが生まれたようにも見えた。
そこに、凛も割り込む。
「待ちなさい、アーチャー。私もまだよく分からないけど、その人への手出しは許さないわ」
「凛、許そうが許されまいが…」
「『令呪』を使ってでも止めるわ」
「むっ…」
『令呪』とは、聖杯を求め現界する英霊であるサーヴァントが、交換条件として背負わされるものである。マスターは、この令呪を使用した命令権を、サーヴァントに対して持つ。それは数回のみしか使用できず、さらに『聖杯戦争』において重要なキーであるため、おいそれと使用してはいけないものだ。
「凛、今起きている『異常現象』が何故起きているか分かるか?」
「それを調査しているんじゃない」
「これは『世界』が干渉しているんだ。そこの男をこの世界から排除するために」
「それは、『抑止力』ってこと?」
「そうだ。しかもかなり強引なやり口でな」
「なんでそんなことが…」
「分からないか?」
アーチャーの視線が、くらげを刺す。
「それだけそこの男が危険ってことだ。干渉できる最大限の力で、排除するために力を集めようとしているんだ。私や、そこの魔術師みたいな、な」
その言葉に橙子が返す。
「しかし、私たちが排除に動かなければ、次の『抑止力』がくる」
「そうだ。ここで仕留めておかねば、さらに危険なナニカがくる。そうなれば私たちにも危険がおよぶ。『世界』のため、私たちのため、一刻も早く…」
「それでもよ、アーチャー」
凛は、アーチャーの言葉に割り込む。
「それでも、起きてもいない危険のために、誰かを犠牲にすることは許さないわ」
「打つ手があるならば、打っておくべきだと思うが?」
「そうね。私も、『命は地球より重い』なんて言うつもりはないわ。けれど、それは最終手段よ。最善のために命を奪うなんて、私はそこまで非情にはなれないわ」
「…そうか」
アーチャーは、じっと凛を見つめると、しばらくして長いため息をついた。
「ならば仕方がない。できれば、見逃してもらえると助かるのだがな…」
アーチャーは凛を見たまま、そう言った。だが、それは凛に言った言葉ではなかった。
「よりにもよって、とんでもないものを引き当てたな」
橙子はそういうと、先程の通ってきた車道を見る。
切れかかった外灯が、チカチカと瞬くと、車道の真ん中に、ナニカが立っていた。
それは空の満月によくはえる、白いハイネックを着ていた。
歩くたびに揺れる妖艶な紫のタイトなロングスカートは、まるで暗闇のカーテンのようだ。その動きにに合わせるように、ショートカットの金髪が揺らめく。
それらだけを見ていれば、まるで人間の女のようである。
だが、そうではない。そうであるわけがない。
あのようなものが人間のわけがない。
その場からくっきりと抜き取られたかのように、禍々しいとも、恐ろしいとも言える紅い眼が、くらげを見ていた。
まるで、背骨の代わりに氷柱を刺し込まれたかのような悪寒が、くらげの体を駆け巡り、ガタガタと悲鳴でもあげるように震える。
それは体が発する警報だった。
ただ『逃げろ』と。脳よりも先に脊髄が反応している。だが、逃げようにも体が言うことをきかない。
助けを請うように周りを見渡すが、琥珀も、凛も、くらげと同じように震えていた。ただ唖然と、驚愕していた。
「びっくり人間展覧会でもやっているわけ? 随分とおかしなのが集まってるじゃない?」
その恐怖に似合わぬ柔らかな声に、くらげのからだがビクリと跳ねる。
「残念ながら『真祖』の方にはご遠慮頂いていてね」
その恐怖の中、アーチャーが軽口を返す。
「あら? お金ならそれなりにあるんだけどなぁ」
その声と同時に、橙子の隣に佇んでいた黒い猫のような何かが、正体不明の女に瞬時に飛びかかる。だが、女は何事もなく、その左手を振り上げて、その爪で引き千切った。
橙子が言う。
「それならば是非もない。まずはショーでも見てもらおう。演目は『不死身の猫』ってところか」
すると、引き千切られたと思われた猫が、跳び上がり、真上から女に襲いかかる。女はそれを右手を上げて振り払って切り裂く。だが、更に猫は跳び上がり、背後から、右側面から、真正面と見せかけて左側面からと幾度となく女に襲いかかる。
女はその全てを何事もなく切り裂き続けながら、
「なるほど。そのトランクケースね?」
と言った次の瞬間、女はいつの間にか橙子の目の前におり、そのトランクケースを引き裂いた。勢い余って吹き飛んだトランクケースは、少し離れた場所でバラバラになっていた。
中に入っていたであろう、レンズや機械が辺りに飛び散る。
「映写機? を利用した魔術…かしら?、なかなか面白いショーね」
女はそう言うと不敵に笑う。
「やれやれ、手持ちの中でもそこそこのやつなんだがな…」
橙子はそう言うと、両手を上に上げた。
「お手上げだ。後はそちらの御仁に任せよう」
その声で、女はアーチャーを見た。
アーチャーの隣では凛が震える体を抱えるように抑えていた。
「あ、アーチャー…、『真祖』って、冗談、じゃなくて…?」
「冗談で言うわけがないだろう。あれは生まれながらの吸血鬼、『星』《ガイア》が生み出した『真祖』だ。二つ名は様々あるが…」
アーチャーは、深いため息をつく。
それは決して息を抜いたわけではない。
「ここでは、『ガイアの抑止力』と呼ぶべきだろうな」
覚悟を決めるように迷いを吐ききったのだ。