アインハルトは走っていた。
くらげが出ていってから、それほど時間はたっていない。行き先が分からないけれど、くらげが大通りや表通りを好まず、路地裏や裏通りを好むと言うのであれば、ある程度の予測ができた。
開発された中心街側ではない方へ、そして身を隠せそうな雑多な、また開発が進んでいない方へ向かって走る。
そしてアインハルトは、その古いビルが雑多に立ち並ぶ路地裏で、くらげを見つけた。
「あの! く、くらげさん!」
くらげは重い足を止めて、振り返る。その目は変わらず淀んでいる。アインハルトは、少しばかり上がった息を整えて、向かい合う。
「先ほどは、すみませんでした」
くらげは、何を謝られているのか分らず、ぐらり、と首を傾ける。
「あなたの努力が何を意味するのか、知りませんでした。知らなければ、許されることではないと思います。本当にすみませんでした」
くらげはその言葉を頭の中で反芻する。恐らく、なのはやフェイトが自分のスキルについて、アインハルトに教えたのであろうと、理解した。
『子供の宝箱』《ガラクタコレクション》について話したことはなかったような気がしたが、別にくらげが秘密にしていることではないため、まあいいか、と考えるのをやめた。
「気に、しないで」
くらげは一言そう言うと、踵を返そうとしたが、
「待って!」
アインハルトがそれを止めた。
「私に、何かできることが」
「無い」
アインハルトの言葉の途中で、くらげは不要と断じた。
その突き放すような言葉に、アインハルトはたじろぐが、踏み留まる。
「でも、あの」
「僕に近づかないで」
完全な拒絶。
しかし、アインハルトにはその感情が、少し理解できた。それはアインハルトにも経験があった。
ただ強くなろうと、自分で自分を追い詰めていた。誰にも『理解できるわけがない』と、拒絶した。
けれど違った。違っていた。志は違えど、強くなりたいと、同じように生きる誰かがいた。同じように頑張っている、誰かがいた。決して一人ではなかった。
それ故に救われた。
アインハルトは知っている。
一人ではないと言うことが、どれだけ救われるのか。
くらげが他人を近づけさせない理由は、想像がつく。
その理由が思いやる気持ちだということにも、想像がつく。
だが、くらげを説得する言葉を、アインハルトは知らない。
過去の自分がそうだったように、その思想が簡単に曲がらないことを知っているからだ。
アインハルトは、拳を握りしめる。
言葉を繋げられずに、口を真一文字に結ぶ。
それを見て、くらげは、ふっと息をもらす。その顔には微かな笑みさえ浮かんでいるように見える。
「僕のことを思ってくれる人がいる」
それは独り言のようで、
「僕のことを案じてくれる人がいる」
独り言ではなく、
「それだけで十分」
アインハルトに向けられた言葉だった。
その人間らしい感情を見て、アインハルトはその時初めて、くらげが人間であることを認識できた気がした。
人間らしい感情があるのであれば、救われたいと願うことは当然である。
そうして、アインハルトは気づいた。
先ほど現れた直後の、もがき苦しむ様子は、なのはとフェイトに助けを求めていたのだと。けれど、それよりも二人の幸せを祈ったのだと。
そうであるならば、アインハルトがそうであったように、誰かととも歩み、救われて欲しいと、アインハルトは願う。
しかし、それにはくらげの体質や能力が邪魔をする。
アインハルトは俯き、思考する。
いい考えなどない。それでも一緒にいれば、きっと、
「『幻は突然に』《フェイクイリュージョン》」
だが、その思考を、抑揚のない、生気のない声が中断させた。
アインハルトが、はっ、と顔を上げると、目の前の路地裏が、ぎっしりと木々で埋まっていた。当然、目の前のくらげの姿など見えない。
アインハルトは、唖然としながらもその木々に触ろうと手を伸ばしたが、手が木を素通りしたとき、驚愕した。
「げ、幻覚…?」
そのとき、アインハルトは、なのはの言葉を思い出した。
『くらげ君は、色々な能力を持ってるから』
これがくらげの仕業であれば、その理由は明確だ。
「くらげさん!」
その問いかけに応じる声は、当然ながら無い。
アインハルトは慌てるが、幻覚とは言え、周りの木々が邪魔で探せない。むしろ幻覚だからこそ、邪魔な木々を手で退かすことが出来ない。
どうにか手を伸ばしながら、前に進むがそんな進み方でくらげに追いつけるわけがない、
その幻覚がようやく消えたとき、そこにくらげの姿はなかった。
「どうして、そこまで…」
その問いかけに答える声は、ない。
アインハルトは目を閉じて、深く息を吐くと、目を開いた。
そこに落胆や弱々しさなどは皆無だった。
アインハルトはノーヴェに通信機で連絡を取り、何も言わずに帰ったことを謝った。そして、まだ一緒にいた、なのはとフェイトに代わってもらう。
「すみません。止められませんでした」
「『それは大丈夫だよ。ちゃんとお話しできた?』」
なのはの言葉を、自分自身に問いかけてみる。
「…はい、一応。ですが…」
まだ、自分の心にわだかまりがある。
けれど、それはきっと言葉では伝わらない。
『言葉が届かないことだってある。そのときは行動で示せば』
なのはの言葉が、後押しする。
「いえ、大丈夫です」
「『そう、よかった』」
フェイトの言葉に、アインハルトは「はい」と頷いた。
その後、少しばかりやり取りをして通信を切ると、アインハルトは、その足でくらげを探しはじめた。
一度見失った、それがなんだと、そう言わんばかりに走り出した。アインハルトは普段走り込んでいる。その程度、ロードワークの一環である。
その目はくらげに向けられている。
だから、いつもであれば気がつくとその気配に、気が付かなかった。その路地裏で、誰かが、ニヤリと笑った。
次の日。
休日であったため、午前中からいつものメンバーで集まる話になっていた。
アインハルトは早く目が覚めてしまったため、かなり早めに昨日いた室内運動施設に来ていた。昨日とは違い、大人数が運動できるほどの広さの場所で、準備運動をしていた。
結局、あの後、くらげを見つけることはできなかった。だがまだアインハルトは諦めていない。その目は、まだ力強い。
と、そこへノーヴェが入っていた。心なしか、目線がきつい。
「アインハルト」
その声にも、緊迫感がある。
アインハルトは、何事か分からない。
「ノーヴェさん、おはようございます。今日は随分早いですね」
「お前、昨日の夜、何してた」
「えっと、昨日は少し疲れてしまったので、早めに寝てしまったのですが…」
「そうか…」
ノーヴェは、そう言うと黙り込み、考え出す。
「あの…?」
アインハルトがそう声をかけると、ノーヴェはアインハルトの目をしっかりと見据えて話し始めた。
「私はお前を疑っていない。むしろ、お前が誰かに利用された可能性の方が高いと思っている。洗脳か、記憶操作か…」
「えっと」
「あれはまるで私たちと出会う前のお前のようだった。今ほど技が洗練されていないし、私のことも知らなかった」
「何のお話しを…」
「だから、取り押さえられなかったが、迎撃は難しくなかった。私はお前の癖を知っているからな。前に襲われたときとは状況が違う」
「…」
端々に現れる、詰問するかのような言葉が、アインハルトは口をつぐませた。
一体誰に『襲われ』、『迎撃』したというのか。
「アインハルト、落ち着いて聞いてくれ」
ノーヴェは、アインハルトの両肩に手を置いて言う。
「私は、昨日お前に襲われた」
アインハルトの顔に戸惑いが浮かぶ。その言葉を反芻するが、やはり意味がわからない。そんなことしていないはずだと、訴えようとした時、ノーヴェの次の言葉でアインハルトは、更に戸惑うことになった。
「『覇王』を名乗るお前に」