一章
あれは数年前のこと。
日本の埼玉県で、いつものように平和に暮らしていた私はある日大海原に沈みました。
……。
ええ、こうして語っている私ですら意味が分かりません。海なし県の癖に何を言っているんだ馬鹿野郎と、今でも言ってやりたいです。
でも、確かに落っこちたのです。
理由は分かりません。目が覚めたら広い海の真ん中に私はいました。
何も考える暇もなく、私は寝惚けたまま海へぶくぶく。あわや出落ちというところで、彼女が現れました。
まさに奇跡。たまたま通りがかった彼女に救われ、私は命を救われたのです。
諦めずにもがいた努力が報われる、なんとも感動的な物語。私はあのときほど他人に感謝したことはないでしょう。
しかしまぁ、それが不運の始まりだとは誰も思いますまい……。
○
とある無人島。
物好きな『彼女』の小さなアトリエはそこに建てられていました。
見た目は一階建てで、至って普通な木製の家。しかし中は普通とは言えません。
色々とおかしなところはあるのですが、特にリビングが異様でした。
ソファ、机、簡単な台所、大量の本。ここまではいいです。しかし部屋の奥に置かれた大きな釜だけは、しばらく理解することができませんでした。
何年かここで過ごした今は、必要不可欠だと思ってますけど。
「すっかり寂しくなったものだ。なぁ、見習いよ」
さて。すっかり生活必需品となった釜の前に立ち、中をかき混ぜている私に彼女は声をかけました。
相変わらずの調子。けれど、ちょっと元気がないようにも聞こえました。
命を助けてもらった身で、無視はよろしくないでしょう。手を止めず、視線は参考書に向けたまま私は答えます。
「なんだかんだ言って、やっぱりいなくなると寂しがるんですね」
ハッ、と鼻で笑う音が後ろから聞こえました。
「正確には寂しがっていない。騒音でも聞こえなくなると、落ち着かなくなるだろう? それと同じだ」
騒音扱い……確かに、怪我してる割には元気な人でしたけど。
「にしても、見習い。随分と私に生意気を言うようになったものだな」
「生意気ではないですよ。あなた様でも寂しがるのかぁ、と単純に思っただけで――」
作業に集中しているのもあり、私は普段なら絶対にしない答えを適当に返します。
ちょうど材料を入れるタイミングだったのです。背後からよからぬ気配が近づいていることなんて、気づきませんでした。
「わっ!」
「はいぃ!?」
どぷっ、と。嫌な音を立てて材料の薬草が落ちます。
そこでようやく私は、すぐ後ろに彼女がいることに気づきました。
驚かすなんて、子供みたいなことを……。すぐさま振りかえろうとしますが、それを声が制止しました。
「かき混ぜたほうがいいぞ。タイミングはバッチリだからな」
「は、はいっ」
ぐおお、作業のせいで文句が言えない。
また爆発なんて勘弁したいですし……。苦悩する私の後ろ、クスクスと小さく笑う声がゆっくり遠ざかります。満足してくれたみたいです。
「ぐーるぐると……」
私はホッとして、調合を続けました。
○
で、完成しました。中和剤。
瓶の中には黄色のような、緑色のような液体が入っています。材料が適当な薬草ですし、品質は悪そう。これといって特性も見当たらない駄作です。
けれども、これが記念すべき初めての成功でした。私はテーブルに置いたそれを、上機嫌に眺めていました。
「数年ここにいて……今初めて成功か。上出来とは言い難いな」
対面に座る彼女――アストリッドさんは溜息を吐いた。
黒のロングヘア、眼鏡が似合うクールな顔立ち、と結構見た目は綺麗な彼女。しかし気まぐれで掴みどころがない性格をしており、愉快なシチュエーションを好むタイプの人間で……。ここ数年、その厄介さが身に染みて理解できるようになってきました。
彼女は海に沈んだ私を助けてくれた人で、親切にもこの家に住むことを許してくれた恩人です。
そこは素直に感謝したいのですが、性格やら、この島から私を出してくれないやらで、その感謝も日に日にレベルが落ちてきています。
「ならアストリッドさんが教えてくれませんか? やっぱり一人では限界が」
私は中和剤を手にし、お願いします。しかしアストリッドさんは即答。
「私の弟子はロロナ一人と決めている。本気で教わりたいなら、ロロナのところにでも行けばいい」
それはいつもと同じ返事でした。
錬金術士の見習いをしている私ですが、アストリッドさんに習っているわけではなく完全なる独学です。
しかしそれでは限界があり……中和剤で詰まる始末。
アストリッドさんに何度もお願いはしているのですが、中々首を縦に振ってくれません。
たまに帰ってきてはあの人の看病をして、私をからかってダラダラ。そして気がつくといなくなっている。神出鬼没で、そもそもこうして会話していること自体が珍しいのです。
「だったら、海を渡らせて下さい」
なので私も必死に食いつくのですが――
「勝手に渡ればいい」
効果なし。
まぁ、住む場所に生活できる環境、本を与えられているだけでも破格の対応なんですけどね……。
なんだかんだ言って私を助けてくれますし。食べ物くれたり、怪我したときは治療してくれたり。時々ですけど。代償も求められますけど。
これで更に何かを求めることは贅沢なのでしょうか。
「贅沢だ」
「心の中を読んだ上に断言しないで下さい」
そんな気になってしまいます。
肩を落としつっこみをする私。アストリッドさんはそれを見て、何故かにやりと笑いました。
「……仕方ない。では一つ頼みごとをするとしよう」
「えっ?」
耳を疑いました。
頼みごと。このタイミングでその単語が出たということは。
「まさか頼みごとをクリアしたら、錬金術を教えてくれるんですか!?」
「いや、海を渡る手段を与えよう」
ですよねー。
負担が少ない方を選択しますよね、アストリッドさんなら。
ですが錬金術を学ぼうとしていたのは、島から出て元の世界に帰る手段を探るため。海を渡ることができるなら、それだけで万々歳です。もしかしたらアストリッドさんの言うロロナさんにも会えるかもしれません。
「どうする?」
「やります! やらせて下さい!」
これは見逃すわけにはいかないチャンスです。元気よく挙手。
アストリッドさんは不敵に笑いました。
「それでいい。肝心の内容だが……ある素材を採取してほしい」
「素材?」
採るのが面倒な素材なのでしょうか。もしそうなると、かなり苦労しそうな予感が。
「これを城の人間に見せれば分かる。錬金術以外に価値がない物だ。すぐ渡してくれるだろう」
「は、はぁ」
何故それをわざわざ私に……?
アストリッドさんの台詞を聞くに、楽勝だとしか思えません。好都合ですが、逆にそれが気になりました。
「というわけで依頼内容のメモと……貴重な道具だ」
アストリッドさんは懐から一枚の紙と、なにやら不思議なものを取り出しました。布――でしょうか。丸まったそれはどう見ても貴重な道具には思えません。
「なんですか? これは」
「トラベルゲート、というものに改良を加えたものだ。これを使えば、この家かアーランドの街に出るように作られている」
「ワープですか」
なるほど、貴重な品です。しかし錬金術はそんなものまで作ってしまうのですか……。
別世界だとは知ってましたが、地球の常識は通用しなそうです。
「ああ。これを使ってアーランドの街にある城で目的の品を採取してくれ。それができたら、海を越える手段をやろう」
「わかりました。それくらいならできそうです」
おつかいレベルですね。
それくらいできなくて、錬金術士見習いは名乗れません。
テーブルに置かれた紙と布を手にし、私は意気込むように力強く頷きました。
「頼んだぞ。私はゆっくり眠っている。何日かかっても構わない……」
対して、私の初仕事だというのにアストリッドさんはやる気なし。欠伸混じりに見送りの言葉をかけてくれます。
どうでもよさそう……。
アストリッドさんの姿を見て、私のやる気が削がれるのは避けたい。私は早速立ちあがると準備を始めます。
ポーチに紙、布を詰めて準備完了。他に入れられるものはありません。
……寂しいですし、中和剤も入れておきますか。何かの役に立つかもしれません。
「じゃあアストリッドさん、行ってきますね」
布を使う前に一応声をかけておきます。すると意外にも反応がありました。
「ああ。おお、そうだ。私の名前は出さないようにな」
「……なんでですか?」
「私は別にいいが、見習い自身が大変な目に遭う」
なんだかすごく怖くなってきましたよ。誰かに追われているとか、指名手配されているとか、この人なら有り得なくはないです。
用心しておこう。心に決めて、ポーチから布を取り出します。
縛っている紐を解き、布を床に広げる。するとどうでしょう。普通の布かと思われていたそれが光を放ち、不思議な文字を描きはじめたのです。
まさに魔法の道具、といったところ。不安はありますが、好奇心の方が勝り、私はゲートへと足を踏み入れました。
刹那。視界を光が覆い、私は目を閉じました。
○
光が治まるのを感じ、目を開きます。
私は目を疑いました。周囲には何もない原っぱが続くばかり。一面に広がる草原が、私を出迎えています。
広い。広いですが、ここがアーランドの街なのでしょうか。ここが街だとしたら、世界中が街になりそうなんですけど。
「そんなわけないですよね……」
ゲートを回収。
苦笑し、周囲をよく見回す。アストリッドさんのことです。目的地が大雑把に設定さえていても何ら不思議ではありません。
目をこらしてみれば、はるか彼方に城壁のようなものが見えました。もしかしたら、あれがアーランドの街かもしれませんね。歩いて……一時間くらいかかりますね。
無人島は数分で行き来できる広さでしたし、久しぶりの運動です。
伸びを一つ。テンション高めにスキップして歩いていきます。数年無人島にいた私は、最早『広い』というだけで嬉しくなる、なんだか末期な状態でした。
それにしても。街が城壁らしきものに囲まれているなんて、相当古い時代みたいですね。錬金術が実在している時点でファンタジーなのは理解していましたが、地球にいた私からしたら本当に信じられないことです。
アストリッドさんは何も教えてくれなかったですし、今回は世界を知る良い機会にもなるかもしれませんね。せめて自分のいる世界がどんな感じなのかくらいは知りたいものです。
「可愛い子がいるといいなぁ――あれ?」
ご機嫌に歩く私の前方。なにかが転がってくるのが見えてきました。
青くて、液体のような感じで……あ、なんか目みたいなものも見えます。もの凄い勢いで転がってくるそれは、よくいうスライムのようなものでした。
嗚呼、ファンタジー。そして回避が間に合わない。
「あいたっ!」
見事に轢かれました。
そりゃローリング体当たりが迫っているのに、のんびり観察していたらそうなりますよ。避けようと思った時には手遅れでした。
青くてぷにぷにしたそれは私に体当たりをぶちかまし、跳ねかえって地面に着地します。やはりスライムらしき何かです。目や口は可愛らしいのですが、なんとも不気味というか。流石モンスター。
「いつつ……」
私は服に付いた汚れを払いながら立ち上がります。
あれだけの勢いがあって、それほど痛くなかったのは幸いでした。叩かれた腹部より、むしろ尻餅をついたお尻の方が痛かったです。
スライムというものは弱いと相場が決まっております。このぷにぷにした物体も雑魚なのでしょう。攻撃力は皆無に等しいです。
となれば。
ふっふふ。数年無人島生活で溜まりに溜まったストレス(夕食抜きに相当)を晴らすときがやってきたというわけですね。
私は握り拳を作って笑みを浮かべます。ぷにぷにさんが怯えたように見えたのは気のせいでしょう。
「いきます! 錬金ナッコウ!」
説明しましょう! 錬金ナッコウとは錬金釜をかき混ぜ続けた者のみにできるただのパンチである!
技名、そして解説をしながら、ぷにぷにさんに接近。拳が届く範囲に入ると、捻った腰を使いながら投球のように拳を振りおろしました。
拳は綺麗に命中。手ごたえはありませんが、確かに殴ってやりました。
「ぷにっ! ぷにに」
しかし倒れる気配はありません。むしろ元気よく鳴き、身体を左右に揺らしています。
それは誰かに呼び掛けているようで……すごく嫌な予感がしました。
『ぷに? ぷーにっ』
数秒後に予感的中。どこからともなく大勢のぷにぷにさんが現れます。
青いのだけでなく、緑や黄色のぷにぷにさんもちらほらと。青と比べて、震え方に威厳を感じます。
つ、強そう……。とても装備なしでは勝てそうにない敵なんですけど。
「ここは逃げの一手です!」
人生引き際も大切です。私は後ろに走り出そうとして――足を止めました。
後ろにも、というか私の周りにぷにぷにが大勢集まっており、とても逃げられそうにありません。
人生とは気づかない内に詰んでいるものです。私は遠い目をして笑います。
『ぷにに!』
まさに知恵の勝利。華麗に逆転劇を決めたぷにぷにさんは、勝鬨を上げようと勇んで鳴き声を上げます。
が、彼は次の瞬間真っ二つに両断されていました。
『ぷに!?』
ぷにぷにさんたちに動揺が走ります。何が起きたのか、私もさっぱり分かりません。
まさか、と言うようにぷにぷにさん達は私を見ますが、困惑している私を見て違うと分かった様です。
――いったい何が?
周囲を見回す私。その間も、ぷにぷにさんたちは次々と切られていきます。まるでカマイタチ。次は私が切られるのではと内心ひやひやです。
「――大丈夫?」
動くこともできずに見守っていると、不意に声がかけられました。
女性の声です。私は素早くそちらへ顔を向けます。剣を二本持った女性がチラッと見え、そしてまた消えました。は、速い。
ポカンとする私。そのすぐ後、私の近くへ誰かが着地しました。
「――よっと。もう大丈夫よ。安心して」
チラッと見えた女性です。二本の剣を構えると、彼女は私へ声をかけます。
綺麗な方でした。茶色の短い髪はさらさらで、身体は細くスレンダーな体型。年齢はさっぱり分かりませんが、いっても二十代後半くらいに見えます。
二本の剣、コート、ブーツ、これらから予想するに、旅人なのでしょう。見た目からして強そうです。
「は、はい。ありがとうございます」
「どういたしまして。ちょっと待ってて。すぐ片づけるから」
小粋にウインクなどし、女性は目に見えないほどの速度で走り出します。
ぷにぷにさん達がスパスパと撃破されて全滅するまで、そう時間はかかりませんでした。
○
「私はエスティ・エアハルト。一応アーランドの……公務員? みたいな仕事をしてるわ」
何故そこで疑問文になるかは分かりませんが、エスティさんは敵を全滅させると自己紹介してくれました。
剣を納め、フレンドリーに私へ声をかけてくれます。
「こ、公務員であんな人間離れした動きをするんですか……?」
ありがとう、と言う前にそんな疑問が口から出ました。
残像が見える攻撃を見たら、そりゃ誰だって驚きます。
「鍛えてるから。もっとすごい人もいるし、そう珍しいことでもないわ」
「まじですか」
しかしエスティさんは笑顔でそんなことを言います。この世界では鍛えれば残像が出せるんですか。……下手したら必殺技とか出てくるかもしれませんね。
「さて、あなたの名前を聞かせてくれない?」
「あ、はい。すみません」
すっかり忘れていました。促され、私は頭を深く下げると名乗ります。
「私は松原 理亞。『リーア』とアスト――げふん。人々から呼ばれています。先程はありがとうございました」
危ない危ない。アストリッドさんの名前を出してしまうところでした。
「どういたしまして。リーアちゃん、ね。どうしてこんな場所に一人でいたの?」
「それは、ある物を探しにアーランドの街へ行きたくて」
「そうなの? 度胸あるというか、無謀というか……武器も持たないで徒歩は危ないわよ?」
エスティさんが感心した顔をします。無論悪い意味の感心です。
私もあんな魔物がいるなら、武器の一つや二つ用意したのですが……。あのグータラ眼鏡を恨まざるを得ませんね。教えてくれてもいいのに。
「次からは気をつけなさい。今回は私が通ったからよかったけど」
「はい……ですよね」
いやー、私は何人命の恩人をつくるのやら。こんなことしていてはいつまでも人に迷惑かけますし、気をつけないといけませんね。
「素直でよろしい。さて、じゃあ私についてきなさい」
「一緒に行ってくれるんですか?」
「ええ。一人だと危ないわよ?」
当然のように頷いてくれます。なんと親切な……助けた見返りに労働を要求してきたりしないんですね。
私は感動しながら、エスティさんの横を歩きます。
「それにしても、リーアちゃんは一人で出ていってなにも言われなかったの?」
「そ、それはですね。何も言わないというか、何も聞かなかったといいますか」
なんて言ったらいいやら。この世界についてすら知らないのですから、外が危険だと知りませんでした。なので自ら突っ込んでいったと言っても過言では……。
あまりアストリッドさんのせいにするのも情けないですし、ここは世間知らずな馬鹿が飛び出したことにしておきましょう。うん。
「頼みごとだけ聞いて飛び出してきちゃいました! あはは」
「笑いごとじゃないわよ? あなたみたいな人が外を歩いてアーランドの街に行くなら、せめて護衛くらいつけないと」
護衛? 仲間ってことかな。私、この世界に知り合いなんて二人しかいないですし、縁のない話です。
「そこできょとんとされると、すごく不安になる……。リーアちゃん? 街の外が危ないことは知ってるわよね?」
「知りませんでした。今まで一度も外に出なかったので」
エスティさんが絶句しました。綺麗に笑顔のままで硬直しましたよ。
「……本当に?」
「はい、本当に。家から半径500メートル以上出たことないです」
「そ、そう……大事に育てられたのね」
あ、なんか自分で理由作って納得してます。
「――分かったわ。だからこんな無鉄砲なことをしたのね」
「まぁそうですね」
ファンタジー具合が思ったより高かった。ただそれだけのことです。
けろりと答える私。エスティさんはとても困った表情をしています。
「相当世間知らずみたいだけど、帰りは大丈夫? なんなら、私が護衛につくわよ?」
「いえ、帰りは大丈夫です」
帰りはおそらく魔物に襲われたりしないです。あるとすれば、無人島付近の海にどっぽんですね。
流石にそれはないと信じたいですが、なんとも言えません。
「そう? 危ないと思ったらすぐ逃げるのよ。ここらの敵はそれでなんとかなるから」
「ですね……」
頷きます。見極めは大切ですね。今度仲間呼ぶような動きをしたら、疾走するとしましょう。
「モンスター、かぁ」
ここは地球ではない。早く常識を身につけておかないと。
私は帰りたいとも思わず、そんなことを自然に考えていました。
○
着きました。アーランドの街です。
やはり城壁に囲まれた場所がそうでした。石で舗装された道や、橋。大小様々な家が立ち並んでいる街並みはまさしく圧巻です。無人島とは比べ物になりません。
エスティさんの話しによれば、ここが『アーランド共和国』の中心であるとのこと。国の中で最大の都市であるアーランドの街は、その名に違わぬ活気で溢れています。
人が多いこと多いこと。流石は都市。
「はあぁ……なんか凄過ぎて言葉になりません」
「ふふ、私も少し前に帰ってきたばかりだから、気持ちはよく分かるわ」
田舎者丸出しできょろきょろする私。エスティさんは苦笑を浮かべていました。
「さて……」
街の門をくぐり、橋で一度立ち止ります。
街に着いたら護衛も終わり。名残惜しいですが、彼女とはここでお別れです。
「私も用事があるからさよならだけど……大丈夫?」
「はい。目的地なら見た目で分かりますから」
ここからでもお城はしっかり見えます。迷う要素がないです。
「無茶はしないようにね。困ったらお城に行けば誰かしら助けてくれるから。遠慮しないで頼りなさい」
「あ、はい。すみませんエスティさん。助けてもらった上にこんな親切にしてもらって」
「気にしない気にしない。人生の先輩――いや、お姉さんとして当然のことよ」
何故言い換えたのでしょう。
首を傾げる私へ。エスティさんは笑いかけます。
「じゃあね、リーアちゃん。また会いましょ」
そして街の中へと去っていきました。
街の喧騒の中、橋には私一人。ちょっと寂しいのは気のせいではない筈です。
私は溜息を吐いて、近くにあるベンチへ腰掛けました。
「アーランド共和国、アーランドの街……ううむ」
エスティさんの話から、大体状況は理解できました。
ここはアーランドと呼ばれている地。魔法や錬金術が当然のように存在し、モンスターや異なる文明の機械すら出現する、人々の冒険心をくすぐる世界なのです。
「なんじゃそりゃ、と」
小さな声で突っ込みます。
何の突拍子もなく沈没し、魔法の世界へようこそ。喜ばしいですが納得はできません。
ここはなんとしても海を渡る手段を手に入れ、世界を知るべきですね。そこに私がこの世界へきた理由もある筈。
そうと決まればさっさと城に行きましょう。私は意気揚々とベンチから降りて歩き出します。
このとき私は何か違和感を覚えたのですが……まだその原因に気づくことはありませんでした。
○
街に入ったときもそうなのですが、お城もあっさりと入ることができました。
というか、入り口に誰も立っていませんでした。『共和国』、と名乗っているからでしょうか。王様がいなくなったお城は、一般人にも開放されているようです。
ぴかぴかの床に、綺麗な絨毯。高級感漂う城内には様々な人達がいました。エスティさんのような冒険者風の方、特徴のない民間人、商人らしリュックを背負った人等、年齢から性別までバラバラです。
「ほへぁ……」
思わず変な声が出ます。まさかお城にこんな人がいるなんて。
……っと。いけない。私は採取にきたんです。とりあえず、受付に行きますか。
周囲を確認。受付らしい場所は一つしかありません。私はポーチからメモを出すと、その前へ行きます。
「あの」
「はい。何か御用ですか?」
小さな女の子が丁寧な口調で返事を返してくれました。ええと、カウンターの中にいるのは見えましたけど……まさか。
「あの、受付ですよね」
「そうですよ? どういたしましたか?」
まさかの受付だった!
えー、でも一応ここはお城で、今は何になっているかは分かりませんが、共和国でも重要な機能を果たしている場な筈。そのお城の受付をこんな小さな子が任されているなんて……この世界では子供を働かせることが当たり前なんですか!? な、なんておそろしい……。
「……お嬢さんは何歳ですか?」
「あぁん?」
あれ? もっと恐ろしい声が聞こえたような。
見れば、笑顔を浮かべていた女の子が表情はそのまま、こめかみをひくひくさせていました。
姿はとても可愛らしいのに、言いようのない威圧感が場を支配します。
「何がいいたいのかしら? 正直に言ってみなさい」
ゴゴゴゴなんて擬音が聞こえてきそう。返答次第では死ぬ。命の危険を感じ、私は話を逸らすことに決めました。
「い、いえっ、なんでもないです! これを探していまして!」
メモを受付のカウンターに乗せます。
小さな女の子は殺気を鎮め、そちらへと視線を移します。命の危機は去りました。
最初から余計なこと訊かないでこうしていればよかった。
「うん? これは……ああ、そういうこと。でもあんたがねぇ……まぁ、ものは試しか」
「ええと、あります?」
「ええ、あるわよ。まだ誰も受けに来てないし」
いつの間にか敬語を止め、気さくに頷く女の子。私はホッと安心します。
「そうですか。まだ誰も受けて……え?」
受けていない。
えと、なんですかね、この嫌な響きは。まるで依頼のように言うんですね。あはは。
「え、って受けてに来たんでしょ? 依頼よね?」
くそぅっ! やっぱりだ!
働かざる者食うべからず。目的の品を手に入れるには、依頼という名の労働をこなさなければならないようです。
あの眼鏡さん……なにがすぐ渡してくれる、ですか。
正直、騙された感しかしませんが、むしろ何もないとは思ってなかったので、依頼の説明を聞くことにします。
何かを持ってこい、とかならできそうですし。
「はいこれ。色々書いてあるから、しっかりやりなさいよ」
「……あの、説明を聞いてから判断してはダメですか」
「ふふ、なに甘えたこと言ってんの」
笑顔が怖いっ。まだ根にもってますねこの人!
とてもノーと言えない雰囲気に戦慄しつつ、手渡された一枚の紙に目を通します。メモは返してもらいました。
ふむふむ。依頼名は『素材渡します』。内容はサンライズ食堂で素材を渡す、とのこと。
「なんですか? このいかがわしい依頼は」
簡単過ぎて逆に行きたくなくなるんですけど。
「知らないわよ。匿名で出された依頼だから。けど集まるのは食堂だし、そんなに怪しいものでもないわ。と思いなさい」
適当な調子で女の子は言います。匿名、ですか。更に怪しい。
できれば関わりたくないです。けれど――
「……分かりました。とりあえず行ってみます」
これも海を渡るため。頑張りましょう。えんやこらです。
紙をポーチにしまい、頭を下げます。
「ありがとうございました」
「いいのよ、仕事だから。あんたも仕事頑張りなさい」
「はい! 頑張って食堂行ってきます!」
敬礼。踵を返し、私は城の出口を目指します。
あんな小さいのに、仕事の手際はいいんですね……見習わないと。
「さぁ、食堂にレッツゴーです」
小さくガッツポーズ。
見ていてください、グータラ眼鏡……げふん。アストリッドさん!
○
城を出て職人通りと呼ばれる道を歩いていると、食堂はすぐに見つかりました。
お昼過ぎの現在。窓から窺える店内には食事をしているお客さんがいます。中々盛況のようです。
雰囲気もよさそう。いい匂いが漂ってきますし……。
おっと、いけない。私は流れそうになるよだれを抑えつつ、観察を続けます。
店先にある看板には、今日の日替わりメニューやおすすめなどが書かれています。細かな配慮です。
ええと、一番安いランチが500コールですか。この世界の通貨は『コール』らしいです。1コール何円なのかな。これでは安いのか分かりませんね。
「普通以上のレストランです」
観察を終え、ここはいかがわしい取引には向かないと判断しました。通りに面した目立つ立地ですし、なによりも健全な雰囲気です。犯罪なんて絶対に起きそうもない。
「大丈夫ですね」
頷いて、私は店内に入りました。
外に漂っていた香りが強くなります。
ランプで照らされた店内は外で見た通り雰囲気もよく、料理の賑やかな音、人々の会話、食器の奏でる音が心地よい音楽のように私の耳へはいってきました。
これはこれは。ここで食事ができたら、さぞかし幸せな気分になれることでしょう。
「いらっしゃい」
横から声がかかります。そちらへ振り向くと厨房を兼ねたカウンターに端整な顔立ちをした男性がいました。
赤いタイ、丈夫そうな素材の白い服、黒いズボン。男性はどうやらコックさんみたいです。爽やかで、どこか少年の面影を感じさせる……イケメンです。アイドルだとか言っても驚きませんね。
彼は顔立ちに似合った爽やかな笑顔を浮かべます。
「どうした? 好きなところに座ってくれ」
「あの、私依頼を受けにきたんですけど……」
依頼? と一度首を傾げる爽やかな男性。しかしすぐ合点がいったのか、手で店の奥を示します。
「いやー助かった。ありがとな、依頼を受けてくれて。依頼主ならあそこだ」
助かった、とは一体……。
「あそこですね。ありがとうござ――」
示されるがままに身体を向け、私は言葉に詰まりました。
依頼主と思われる方が、店の奥から私を見ていたのです。それは別にどうでもいいことなのですが、その方の顔が怖いこと怖いこと。殺気にも似た鋭い空気を放つ彼の周囲だけ、店内の雰囲気が違って見えます。
黒いロングコートを着ており、一見冒険者にも見えますが……あれは何人かやっている人の目です。彼のすぐ横の壁に、恐ろしく大きい剣が立てかけられてますし。
「ええと、あの方まさか怒ってます?」
「あー、そうかもな。けどお前には怒らないから安心しろ」
「安心できない……」
うう。私に怒らないなら、怒ってないと言ってくれてもいいじゃないですか。
正直者な爽やかコックさんに肩を落とす。怖いけど、ここまで来て帰るわけにはいきません。勇気を振り絞って近づいていきます。
「こ、こんにちは。依頼を受けたリーアと申します」
できる限りのスマイル。ひきつっているかもしれませんが、きちんとした笑顔を浮かべる余裕もありませんでした。
盛大におどおどしながら挨拶する私。すると鋭い視線を向けていた男性が、急に席を立ちました。
「よく来てくれた。私はステルケンブルク・クラナッハ。ステルクと――大丈夫か?」
「だ、大丈夫です……」
び、びっくりした。いきなり立つから、意識が飛びかけました。テーブルに付いた手を離します。
一応悪い人ではなさそうです。私の心配をしてくれてますし。
「す、ステルクさんですね。よろしくお願いします」
「……。ああ、よろしく。とりあえず座ってくれ」
そう言って、ステルクさんは椅子に座りなおしました。言われた通り、私も彼の向かい側に座ります。
一瞬ステルクさんが悲しい表情をしたような気が……。気のせい、ですよね。
目を瞬かせる私へ、ステルクさんはまず尋ねました。
「君は、誰かに言われてここに来たのか?」
「え? いえ、違いますけど。珍しいものが手に入ると聞いて、自ら受けました」
アストリッドさんは名前を出さない方がいいと言っていましたし、ここは首を横に振ります。
しかし何故こんなことを訊くのでしょうか。
「そうか……錬金術以外では無価値だと書いたのだがな。失敗したか」
「私が来たらまずい依頼だったんですか?」
「いや、そういうわけではない。ただ」
ステルクさんが少々慌てた様子で首を横に振ります。そして訂正しようとするのですが、何故か途中で言葉が途切れました。
「ただ?」
「ただ……知人に頼まれて特定の個人への罠を張っていたのでな。ベタな手の方が逆にかかるかもしれない、と」
錬金術にしか価値のない素材で罠ということは、錬金術士に対しての罠である可能性が高い。
アストリッドさんは名前を出すな、とまるで追われているような発言をした。
……あれれー。私なんでこんなドキドキしているんだろう?
「ちなみにその個人とは?」
「アストリッドという名の錬金術士だ。君も名前くらいは聞いたことがあるだろう」
「あ、あはは……はい、知ってます」
そ、そういうことですか! トラップをかわすために私を使ったんですね!
ステルクさんが入店した私に目を光らせていた理由も理解できました!
「だがこうなっては君に品を渡すしかなさそうだ」
懐を漁るステルクさん。依然として鋭い目のまま、彼は小さな木の箱を取り出しました。
「これが約束の素材だ。君が錬金術士か知らないが、有効活用してくれると嬉しい」
「あ、ありがとうございます」
手渡しで受け取ります。箱をポーチへしっかり保存。これでアストリッドさんの依頼は完了です。
「これで依頼は終了だ。さて。ロロナくんに報告しなくてはな……」
「私も一応ギルドに――え?」
ロロナくん? はて。聞き覚えのある名前ですよ。確か……あ! アストリッドさんの弟子!
「ろ、ロロナさんがいるんですか!?」
「どうした? いきなり大声を出して」
席を立とうとしていたステルクさんが、きょとんとします。
錬金術を教えてくれるかもしれないロロナさん。彼女に会えるかもしれないと分かり、依頼のことなんて私の頭から吹っ飛んでいきました。
「ロロナくんなら、この通りのアトリエにいる。すぐ近くだが……」
「本当ですか! よーし、ちょっと行ってきます! 素材ありがとうございました!」
そんな近くにアトリエがあったなんて! これは行かない手はありません。
戸惑うステルクさんにお礼を言って、急いで食堂を出ます。
「お、おいっ。少し落ち着い――」
ステルクさんの宥める声なんて気にせず、私は駆けました。
錬金術をマスターできれば私の可能性も広がる筈。そのためにも、ロロナさんに会って話を。あわよくば弟子入りも……。
ロロナさんに会うのは何年も待ち望んでいたことです。私は興奮を治める術を知りませんでした。
○
「失礼します!」
ステルクさんの言う通り、ロロナさんのアトリエは食堂から出てすぐの場所にありました。
少々ひび割れも見えますが、頑丈そうで可愛らしい外観をした家です。
看板を確認、アトリエの観察を短く終え、私は早速中へ突入しました。
「ロロナさんは……あれ?」
中は無人島のアトリエと大して変わりません。
釜があり、おかしなものもある。私の知る一般的なアトリエです。
きょろきょろしながら描写をする私。しかしロロナさんが見当たらず、首を傾げました。
留守でしょうか。ステルクさんはここにいると言っていたのですが。
しばらく諦めずに探し、ついに出直しを覚悟したとき。アトリエのドアがノックされました。
「はい?」
疑問形の返事を返す私。
家主でないのは重々承知していましたが、つい口から出てしまいました。『あら?』みたいなノリです。
「失礼する。……やはり既にいたか」
ノブを捻り、入ってきたのはステルクさんでした。彼は不法侵入を果たした私を見て嘆息をもらします。
「まぁいい。ロロナくんは?」
「それがいないんです。勢いで入ってしまったんですが、留守なのでしょうか?」
「……アトリエの前で待つべきだったか」
謀らずも不法侵入の仲間が一人増えました。
ステルクさんは憂鬱そうに呟き、踵を返す。アトリエからのとんずらを試みているようです。私もそれに便乗しようと足を上げました。
「むにゃ……」
と同時に典型的な寝言が聞こえてきました。
幸せそうで、気も間も抜けている声。ステルクさんが出す声とは思えません。もし彼が言っていたなら、私は即座にゲートを使用しようと思います。
「今のは?」
「何故怯えた様子で私を見る。……考えられるのは一つしかないな」
心外だというように溜息を吐き、ステルクさんはアトリエの入り口から横方向に進んでいきます。すっかり見落としていましたが、そこにはソファがあり――
「眠い……」
その上で女性がぐっすりと眠っていました。
ピンク色でセミロングの髪。フリルの付いたシャツとスカート、そしてマント。全体的にピンクで、少女チックな人です。幸せそうな寝顔は少女そのものですが。
彼女がロロナさん、なんですよね。アストリッドさんが自慢げに語っていた特徴とも一致しますし。
ただ、眠っているのに眠いとはいかがなものか。
「おい」
ステルクさんは彼女に近づき、軽く肩を揺さぶりました。
短く、ぶっきらぼうな感じの台詞ですが、何故だか優しさを感じさせます。仲がよろしいみたいです。
「ふえ? あ、ステルクさん」
「寝ているところを起こしてしまってすまない。君に会いたいという子がいてな」
「え、私に? わわっ、ありがとうステルクさん。起こしてくれて。急いで準備しないと」
飛び起きるロロナさん。思ったよりも子供っぽい口調で言い、彼女は自分のぼさぼさになった髪を手で撫でつけながらきょろきょろします。
「帽子、帽子……あ。あった」
それからソファの近くに落ちていた帽子をかぶり、
「お客さんなんて久しぶりだからしっかりしないと――あ」
立ち上がろうとしたところで、私と目が合いました。
ロロナさんはフリーズし、機械のようにぎこちなくステルクさんへ顔を向けます。
「ステルクさん。あの人が……?」
「ああ。君の客だ」
「わああ! やっぱりー! ちょ、ちょっと待ってて下さい! 準備! 準備するから!」
「……外に出よう」
「は、はい。そうですね」
可哀想なくらい慌てるロロナさんを見かね、私達は一旦退散することにしました。
○
「ステルクさーん、もうお客さん入れて大丈夫ですよ」
そんな台詞が聞こえてきたのは、外に出て十分くらい経った頃でした。
僅かに開いたアトリエの窓から、ぼそぼそと聞こえるロロナさんの声。私は苦笑を浮かべました。
内緒話のように小さな声で言っているけど、私にもばっちり聞こえてます。
「すまないな。どうやら久しぶりの客で張り切っているらしい」
外に出てから聞いたことですが、ロロナさんはしばらく外出続きで、アトリエを留守にすることが多かったようです。それで、アトリエに行ってもどうせいないだろうと思われ、仕事があまりこなくなったとか。
なので張り切る理由も分からなくはないのですが。
「私別に仕事を頼みに来たわけでは……」
「説明不足とはいえ、勝手に感違いしたことだ。君が気にすることはない。それに、ただ会いに来ただけでも喜ぶだろうから問題はないだろう」
何故だろう。私の中でロロナさんの精神年齢がどんどん下がっていくんですけど。
「まあ、問題無いってことですね。失礼します」
ステルクさんを信じて進むことにしましょう。私はドアを開いて中に入ろうとします。
「いらっしゃいませ! ロロナのアトリエへようこそ!」
すると、髪や服を整え、見事な笑顔を浮かべたロロナさんが立っていました。
すごい。先程の慌てっぷりが嘘みたいな再登場です。けど演技くさい!
「……普通にした方がいいと思うが」
「えー!? な、なんで!?」
私もステルクさんに同意見です。
「うう……イメージよく、って思ってたのに。あ、お客さんはここに座ってて下さい。ステルクさんも」
一瞬落ち込んでいたロロナさんでしたが、すぐ立ち直りました。ぱっと表情を変えてソファを指差し、慌ただしく走っていきます。
「元気な人ですね」
「『すぎる』が付いてもいいと思っている」
とか言いながら、ステルクさんは少し笑った――気がします。顔が怖くて変化が読み取りずらいですが、多分笑いました。
「はいどうぞ。……今日は、何の御用ですか?」
しばらくすると、ロロナさんがトレイを持って現れました。
ティーカップを私とステルクさんに渡し、メモを見ながらたどたどしく尋ねます。
あのメモに接客のことが書いてあるようです。これまでどうやってお客さんに対応してきたのか、すごく気になりました。
「ええと、敬語とか気にしなくて大丈夫ですよ。それに私はお客ですけど、仕事を頼みに来たわけではないですし」
カップの中身を一口飲みつつ答えます。
入っていたのは普通の紅茶でした。いい香りで、すっきりした味わいの中にほのかな甘みもあります。すごく落ち着く味。
「あれ? でもステルクさんは……仕事なんて一言も言ってない」
言いながら気づいたようです。ロロナさんはがっくりと肩を落としました。
「早とちりだな」
「あああ。ステルクさんそんなこと言わないで下さいー」
やっぱり仲がいいみたいですね。顔を赤くさせるロロナさんを鑑賞しつつ、ぼんやり思う。
いや、ただ仲がいいだけではないかもしれません。もしかしたら二人は付き合っていたり……はないかな。ロロナさん敬語だし。
「じゃあ、何の用できたのかな?」
改めて、という感じで咳払いしロロナさんが尋ねた。
ちなみに、顔はまだ赤いです。からかいたくなる気持ちを抑え、私は言いました。
「実は錬金術を教えてもらいたくて来ました」
「え……本当に!?」
途端にロロナさんが目を輝かせます。すごく嬉しそう。アストリッドさんとは正反対な反応です。
これなら何も問題なく錬金術を教えてもらえそうですね。
「君は錬金術士になりたいのか?」
まるで珍しいとでも言いたげな台詞。ステルクさんは横目で私を見ます。
錬金術士って珍しいんですかね。みんななりたがる職業、みたいな認識でしたが。
「はい。今は一応見習いと名乗らせてもらってます」
「見習い? 何か調合したことはあるのかな?」
「中和剤を一回だけ。レシピを見て自分でやりました」
ポーチから中和剤の入った瓶を取り出します。
ロロナさんはそれを見て嬉しそうに頷いた後、明るく言い放ちました。
「なるほどー。じゃあ私に教えられることはレシピに関してくらいだね」
「ですね。……はい?」
ついナチュラルに肯定してしまいましたが、今、なんと?
「えーと、お名前は?」
「リーアですけど……」
「リーアちゃん! 君はもう錬金術士だよ!」
断言されました。なんということでしょう。
「えぇ!? でも私、中和剤以外作れなくて――」
「初めは誰だってそうだよ。でも折角来てくれたから……はいこれ!」
ロロナさんが本棚から一冊の本を取り出し、私に差し出します。
分厚い本でした。黒い革の表紙は新品同様にぴかぴかで、中の紙も綺麗な白色をしています。
困惑しながらも、私はそれを受け取る。
「ありがたいですけど――ちょっと待って下さい。中和剤を作れるだけで錬金術士なんですか?」
「うん。あとはレシピを読んで、その通りに作るだけだよ。大丈夫。中和剤は基本だから、それが調合できるなら他もできる! ……ハズ」
アストリッドさんからセンスが重要になる技術だと聞きましたが、まさかこんなアバウトだとは。なるほど、珍しそうな目で見られるわけです。
もしかしたら錬金術士自体少ないのでは?
もう自分で極めていくしかないんですね。精々誰かからアドバイスを貰うくらいで、後は本人の努力と……。
仕方ありません。やる気はあるので、やれるだけやる。それだけです。
意気込み、貰った本を開いてみます。
表紙を捲り、1ページ目。パラパラと目を通す程度に読んでいきます。
錬金術のレシピ本でした。初歩的なものなのか、工程が少なく、私でも理解できる程度の易しい内容です。
「これは……貰ってもいいんですか?」
私が尋ねると、ロロナさんはにっこり笑いました。
「うん、私からのプレゼント。それはリーアちゃんみたいな子のために書いたんだから」
「書いた? 君がか?」
ステルクさんが私にも分かるくらい目を張って驚きました。
すごく失礼なリアクションに見えるんですけど、どういう意味でしょう?
「う……実は殆どトトリちゃんに手直しされました。紙が勿体ないとか言われて」
さらに失礼なこと言われてました。トトリちゃんって誰ですかね。
「つまり君が執筆、トトリくんが監修というわけか」
「恥ずかしいけど、その逆でも間違ってません……あはは」
得意げな顔をしていたロロナさんが、すっかり肩を落としています。
トトリさん、という方も錬金術士みたいですね。それもおそらく、ロロナさんより後輩なのでしょう。
「それでも、有り難いことには変わりありません。ロロナさん、ありがとうございます。私、頑張って立派な錬金術士になりますね」
今後の方針、それに良い本をいただけました。床に立ち、感謝を込めてしっかり頭を下げます。
「リーアちゃん……うん! 分からないことがあったら、いつでも相談にのるから! 頑張ってね!」
良かった。元気を出してくれたみたいです。
些か単純な気もしなくはないですが、やはり女性には笑っていてほしいものです。
私は再度頭を下げます。今度は浅く、会釈程度に。
「はい。よろしくお願いします、先輩」
「せ、先輩……」
何故そこで感動するんですか。
単純以前に、この人からは天然のかおりがプンプンします。
本当にアストリッドさんの弟子なんでしょうか。数日で餌食になりそうな、のほほんとした人ですけど。
……あ。アストリッドさんといえば。
「そういえば依頼の話をしてませんよね」
「む。そうだった」
紅茶を呑み終えたステルクさんが反応しました。
「依頼? リーアちゃん、ステルクさんに何か頼んだの?」
「いや違う。罠の件だ。やはりあいつはかからなかった」
「あ、もしかしてリーアちゃんが依頼に? そっかぁ。残念だけど、リーアちゃんにならあげちゃうっ」
「あ、ありがとうございます」
私からアストリッドさんに渡るんですけどねー。うふふ。
「ステルクさん、わざわざ付き合ってくれてありがとうございます」
「なに、食堂にいるだけだ。君も交代してくれたし、それほど辛くない。それに……私よりも食堂にお礼を言ったほうがいいかもしれないな」
「あぁ……何日もコーヒーと紅茶だけで居座っちゃいましたしね」
二人揃って溜息を吐きます。
だから助かったとか言ってたんですね、コックさん。
しかしそれほど迷惑をかけてまで罠を張るなんて……アストリッドさんは何をしたのやら。後で問い詰めなくては。
「――さて。では私はそろそろ失礼しようと思うのだが……」
ステルクさんの視線が私に向きます。
多分、エスティさんみたいに心配しているんですね。私は武器らしき物を持っていないし。
「私もギルドに報告して帰ります。ちなみに安全に帰る手段は見つけているので、安心してください」
「……そうか。しっかりしているな、君は」
「うん。リーアちゃんはいい錬金術士になるよ、絶対」
罪悪感がわきますね……。嘘ついてるから物凄く。
私は紅茶を飲み干し、ごちそうさまと一言。ロロナさんにカップを手渡し、ソファから降りました。
「ではまた。お二人とも、今日はお世話になりました」
頭を下げて足早にアトリエから出ていきます。
今更ですが、これ以上嘘をつくのは嫌でした。
いっそ正直に話すという選択肢もあるのですが……やめましょう。嘘も暴露も私は苦手です。
馬鹿をするなら得意なんですけどね。
○
冒険者ギルドに戻ると、入り口をくぐった途端、小さな女の子の声が聞こえてきました。
「あ! あんた、依頼できたの?」
顔を覚えられていたようです。周囲の目を気にしながらカウンターの前へ。
声を抑えて主張します。
「あの、そんな大きな声で話されると恥ずかしいんですけど」
「いいじゃない。で、ちゃんとやった? 逃げたりしてないわよね?」
悪びれなく言い、機嫌よさそうに笑う女の子。
私は頷いて返します。
「達成です。きちんとやったので報告しに来ました」
「ん、感心感心。ところで、あんたの名前は?」
またえらく脈絡のない質問ですね。
「リーアですけど」
「フルネームで」
「リーア・マツバラです」
「リーア・マツバラ、と。珍しい名前ね」
別世界の名前ですしね。
……ところで、なんでこんな質問をしてくるんでしょうか。
私は女の子を見る。視線を僅かに下げた彼女は、いつの間にか何かにペンを走らせていました。
カード、みたいなものです。
「何してるんですか?」
「今気づいたの? 折角だから、冒険者免許を発行しようと思ってね。歳は大丈夫そうだし、ずっと使えるから、遠慮なく受け取りなさい」
「冒険者免許? まぁ、タダならいいですけど……」
資格は大事ですし、貰えるなら貰っておきましょうか。
「無料だから安心しなさい。本当は依頼の前に発行するべきだったんだけど、うっかりしてたわ。……はい、できた」
女の子がカードを差し出します。
数字と名前、ランクが記されており、思ったよりもしっかりした免許です。私はそれをポーチに入れ、お礼を言いました。
「ありがとうございます。これはどんな効果があるんですか?」
「ギルドの依頼を受けられたり、ランクによっては危険な場所にも立ち入ることができるわ」
「なるほど……重要ですね」
最重要アイテムに分類されます。
海に出られるようになったら、当面の目標はランクアップになりそうです。
「大事だから失くさないようにするのよ?」
「分かりました。感謝します。ええと……」
「クーデリア。呼び捨てで構わないわよ、リーア」
可愛らしい笑顔を浮かべて言います。
気のいい方ですね。受付が天職だと言えるかもしれません。
「いえ、クーデリアさんで。ありがとうございました、クーデリアさん」
「真面目ねぇ。どういたしまして。免許、無駄にしないようにしなさいよ」
無論です。私は笑顔で頷き、お城を後にしました。
報告も終わり。これで後は帰るだけです。小走りで職人通りに出て、狭い路地へ入ります。
周囲を確認。――よし、誰もいません。
ポーチからトラベルゲートを取り出し、その中へ。
「海に落ちませんように」
祈りを捧げると同時に、私の視界は白で覆われました。