次に目を開いたとき、私は見慣れた風景の中にいました。
釜とソファ、テーブル。無人島のアトリエです。
これまで出たい出たいと思っていた場所ですが、おでかけの後ですと、なかなかどうして愛着がわくものです。
「おお、帰ったか」
これでアストリッドさんにも愛着がわくなら、少しは私のストレスも解消され――
「あれ? お客さんですか?」
声のした後方、玄関の方を見ると、アストリッドさんの他に見知らぬ人が二人いました。
メイドさんと執事さん? ぼんやりとした目の、小さな男の子と、女の子が一人ずつ。あまり人間味が感じられない、不思議な雰囲気を放つ子たちでした。
「見習いは初対面か。そういえば、いつも夜中に外で会っていたからな……仕方ないことか」
「子供と夜中に? それも外で? アストリッドさん、何か怪しいことでもしてたんですか?」
「なに、採取の指示をしていただけだ。食糧を与えていたりもしたが」
指示……こんな私くらいの子供に。
あっけらかんとアストリッドさんは言いますけど、結構可哀想なことをしているような。
「そんな犯罪者を見る目をするな。おい、自己紹介してやれ」
『了解です、グランドマスター』
アストリッドさんの指示に二人が声を揃えて応じます。頭を下げる仕草までぴったりです。この動きに、呼称、そして覇気のない目……。
「調教……」
「違う」
アストリッドさんにツッコミをされるとは思いませんでした。
「ホムたちはグランドマスターによって作られたホムンクルス」
「現在はグランドマスターのお手伝いをさせていただいています」
流れるように二人で自己紹介をします。
ほほう。ホムンクルスとな。それも美少年と美少女。
「アストリッドさん、ホムンクルスって作るの難しいですか?」
「見習いでは無理だ。諦めろ」
きっぱりと言われましたね。くそぅ、美少女ハーレムとかできると思ったのに。
「それで、ホムさん達に採取をさせていたんですよね? 何か作っているんですか?」
「うむ、いい質問だ。実はずっと密かに準備していたものがあってな……ついにその材料が集まったので、ホム達を招集したのだ」
「ずっと……」
確かアストリッドさんの話によると、ここを拠点にしたのは約八年前。怪我したあの人を助けて、その三年くらい後に私が海にどっぽんしたんですよね。
となると、短くて八年。長くてそれ以上の年月をかけたわけで。
「そんな珍しい材料なんですか?」
「天才の私が言うのもアレだが、それなりに苦労した」
『長い道のりでした』
ホムさん達もアストリッドさんに同意しています。
本当に長い時間をかけたみたいです。
「……何を作りたいんです?」
そこまでアストリッドさんが入れ込むなんて、よっぽどなことです。私は気になり、尋ねてみます。
「気にするな。それに、すぐ分かるようになる」
「なんか怪しいですね……。世界を滅ぼしたりしないでくださいよ?」
「はっはっは。あまり変なことを言うと、見習いから滅ぼすぞ」
「す、すみません」
本気でやりかねない。それに失礼なことを言ったのは私だ。即座に謝っておく。
「まぁ、私の我儘だ。見習いを巻き込むことはない」
「はぁ……」
珍しいですね。アストリッドさんが自分の行為を我儘なんて言うとは。
口調も心なしか暗いというか、自虐的ですし……。失礼な発言を、謝っただけで見逃すというのもらしくありません。
「それで、素材はとってきたか?」
「はい。しっかりやりましたよ」
渡せ、とアストリッドさんが私に手を出します。私はポーチから箱を取り出し、アストリッドさんの手に乗せました。
箱を開き、中を確認する彼女。満足げに笑うとアストリッドさんはポケットにしまった。
「よし……確かに確認した。ご苦労だったな、見習い」
「大した手間ではありませんでした。ところで、それには何が入っているんですか?」
ふと気になり、訊きます。アストリッドさんが私に頼んでまで欲しがったもの。それが何なのか。
「なんだ見てなかったのか? 思ったより好奇心のないやつだな」
「好奇心はあるんですが、その、悪いことかなと」
「見習いは本当に真面目人間だな。面白味がない」
自分でもたまに思いますけど、アストリッドさんに言われると複雑……。
「オルトガラクセンで見つかった歯車だ。調合で時の調整に使用――と言っても分からないだろうな」
腰に手を当て、気だるい感じで説明してくれるのですが、言われた通りさっぱりです。
まず場所らしき名称がどこだか分からないですし、時の調整云々もさっぱり。
「とにかく微調整に必要なわけだ。後は自分で調べろ」
「結局、そうなるんですよね」
嗚呼素晴らしき放任主義。面倒見る義理もないのですが。
苦笑する私。授業は期待できません。報酬を求めることにします。
「それで報酬の話ですが……」
「ああ。渡したトラベルゲートを使うといい」
アストリッドさんはそれはもう簡単に言いました。
「え? いいんですか? 貴重なんじゃ」
「初めからやるつもりだったから気にするな。あげられないような道具を渡して、何日かかってもいいなんて言わないだろう?」
――なるほど、違和感の原因はこれですか。
既に海を渡る手段を持っていたんですね、私は。それも実質無期限の手段を。
ゲートがあり、アストリッドさんは何日かかってもいいと言っていた。なのに私はくそ真面目に仕事をこなして……。
世界を知りたいとか言っていた人間の行動ではないです。
「凄まじく阿呆です、私……」
「はは、まさしくそうだな。だが私のプレゼントをいち早く受け取れるのだから、むしろ賢いと言えるかもしれない」
「プレゼント? ゲートですか?」
首を傾げる。
余った日にちを自由に使えるのですから有意義ではありますが、それほど得に感じません。
違う、とアストリッドさんは両手を広げ、誇らしげに告げます。
「このアトリエだ」
「はい?」
「このアトリエと、アランヤ村への固定ゲート。これを見習いに押し付け――与えよう」
『押し付け』言いましたよこの人。
なにやら怪しげな報酬ですね。しかし、アトリエと村へのゲートが貰える……響きは悪くありません。ギルドの依頼もこなしたいですし、拠点がもらえるのは大きなメリットな筈。
それに村へワープで行けるなら――言わずもがな。
「悪くない話ですけど、アストリッドさんはどうするんですか?」
「私は出ていく。目的のため最後の仕上げだ」
これまたあっさりと重大なことを……。
つまりこのアトリエが用なしになったから、私に押し付けようと。そういうわけですね。
寂しい気もします。けれども彼女を止める理由はありません。
ましてや、出ていく理由は目的のため。他人がどうこう言えるものではありません。
「分かりました。それでは好き勝手に利用させてもらいますよ?」
「ああ。看板はもう作ってある。ゲートも作成済みだ」
そう言ってアストリッドさんは玄関へ歩いていきます。ホムさんたちも彼女についていく。
本当に行ってしまう。私は彼女の背中へ問いかけました。
「また会えますよね?」
私は何を言っているのでしょう。いつもならば笑顔で手を振ってお見送りする場面なのに。
「分からん。だがリーアが錬金術を続けていたならば……いつか会えるかもしれないな」
ドアが閉まります。アストリッドさんとホムさん達はアトリエの中にいません。
この世界で一番長く過ごしてきた空間にいるのは私一人のみ。
たった数日でここまで環境が変化することは、私にとって初めての経験でした。
「……そんなに寂しくはないかな」
自嘲し、振り向きます。
誰もいないベッド、椅子、空っぽの本棚。
ぽっかりと、言いようのない気持が胸を襲います。愛着は知らず知らずの内に持っていたようです。
ここから。そう思うことにしよう。
ここから私の生活ははじまるのです。
元の世界に戻れるか、アストリッドさんに会えるかは自分次第。
そう考えれば、私の未来は希望に満ち溢れている気がしました。
「頑張りますね」
とりあえず、今日は休もう。
のんびりと考えて、私はベッドへ横になりました。
するとすぐ耐えがたい眠気が襲ってきます。おぼろげになっていく私の意識。走馬灯のようにこれまでのことを思い返した私は、あることに気づきます。
「そういえば……初めて名前で呼んでくれたな」
まったく、あの人は最後の最後に……。
○
長く続けた習慣により、私は自然と目を開きます。それは朝の訪れを示していました。
ベッド横の窓からは眩しい光が注ぎ、鳥の鳴き声が耳に届きます。
「よく寝た……」
欠伸一つ出ない爽やかな目覚めです。
身体を伸ばしつつ立ち上がり、私はお風呂のある部屋に向かいました。昨日は身体を洗わずに寝てしまいましたし、まずは身支度です。
ちゃちゃっと水を浴び、髪を整えて着替えます。
服は……折角ですし、あれにしましょう。
下着姿でリビングへ。タンスを開いて『あれ』を取り出します。
錬金術士になるなら、と貰った服です。派手で嫌だったのですが、気合いを入れるため気分を変えるのもたまにはいいでしょう。
手早く着替えます。
カーディガンと黒と白のワンピース。その上からフード付きの赤いコートを羽織る。可愛いけど、スカートの丈が短いのが気になります。
鏡を見て苦笑。続いて丸く、大きなつばが周囲にある白い帽子を被ります。赤いリボンが可愛い品です。あとは膝までの白いソックスを穿いて、完成。
ワンピース、コート、帽子にフリルが付いており、ロロナさん以上に少女チックな感じ。
「……コスプレ?」
黒髪の私がこんな格好をしていると、とても違和感があります。いや、髪色など関係なく、日本人ならコスプレと感じるでしょう。この服装は。
魔女の少女版みたいな。露出が少ないのは幸いですが、なんともまぁいかがわしいことで。
「まぁいっか」
気にしないことにします。人の反応を見て、あまりに馬鹿にされるなら着替えるとしましょう。
さて、身支度も終わりましたし、日課と同時にゲートを確認しておきますか。
玄関の横、壁に立てかけられた釣竿を持ってアトリエから出ます。
「んー。今日もいい天気」
眩しい日差しが私を出迎えました。大海原の中心は今日も快晴です。
アトリエ周辺の草原を歩き、崖の近くへ。
無人島は海面からかなり高い位置にあります。嵐が来ても平気で沈まないレベルで、災害の心配も殆どありません。釣竿を垂らすには不便ですけども、致し方ないです。
しかしそれも心配ありません。ご飯の危機だと主張し、アストリッドさんの卓越した能力で階段を作ってもらいましたから。
崖の近く。十分な道幅のある螺旋状の階段を下っていきます。崖を削って作ったこの道は、錬金術で虫よけもしているので、安心して通ることができます。
……今考えると、これホムさん達が作らされた可能性がありますよね。アストリッドさんの性格的に。
この階段を作る途方もない作業――どれだけ時間と手間がかかったのやら。
「感謝、と」
ま、まぁどちらが作ったせよ感謝です。長い釣り糸が不要になったんですから。
少し歩くと薄暗い道から、太陽の光が届く場所に着きます。階段を下り、道を進んだ先にあるここは、船の乗り降りや釣りをするための場所です。
円形に削られた岩に座り、いざ釣り開始。餌は先日釣り上げた魚の切り身。
今日は記念すべき日。故に大物狙いです。
「そいやっ」
掛け声とともに海へ針を投入。ぽちゃんと気の抜ける音を立てて沈みます。カラフルな手作りの浮きが海に浮きました。
などどダジャレを仕込みつつ、持ってきた本を片手で開きます。
ロロナさんから貰った錬金術の本です。内容はとても簡単です。まず最初に書いてあるのは中和剤。私のような人向けと言っていたのが頷ける解説で、分かり易くまとめてあります。
時折『ぐるぐる』だとか、『パラパラ』とか書いてあるのが意味不明でしたが。
中和剤の他にはヒーリングサルヴ、手作りパイ、プレーンパイ、クラフト、ゼッテル、研磨剤、塩、小麦粉のレシピが書かれていました。
難しい参考書ばかり読んでいたせいか、どれも理解することはできました。ただ材料が足りないものもあるので、調合するためには採取をしなくてはいけません。
「もしかして、私って結構優秀なのかも……」
これで調合できたら、早くも初心者卒業ですかね。ふっふっふ。
ほくそ笑む私が読書の世界から帰還すると、釣竿にかかる力に気づきました。
ようやくご飯にありつける。素早く読書を止め、ポーチに本をしまいます。
昨日の昼過ぎから何も食べていなかったので、お腹はぺこぺこ。今まで恥ずかしいので気にしないことにしていましたが、何度お腹が鳴ったことか。お腹と背中がくっつきそうです。
なので、かかった獲物を逃がすなんてことはできません。
「これは中々」
浮きの沈み具合、引きの強さ。これらから予想するに、餌をいただいた魚は大物である可能性大です。
さて、ここは腕の見せ所ですね。魚さんの動きを予測して――
「とうっ!」
思い切り引っ張ります。ゲームとかでいう『ぶっぱ』です。
初心者なので腕力、釣竿の性能で勝負するのみです。それが果たして腕に分類されるのか。それは永遠に解明されない謎です。
「――っとと」
力技が功を奏したのか、魚らしきものが派手に海面から飛び出し、陸に着地します。べたっ、と気分が悪くなる音とともに。
引っ張った勢いで、私は後ろにあった石の椅子に着席。安堵の息を吐いて釣り上げたそれを見ます。
大きな魚でした。魚の知識はないため、それしか言えません。
サイズは50センチ程度。各種ヒレをそれとなくとり揃えており、魚、と聞けば大半の人間が思い浮かべるであろうポピュラーな形です。ええと、例えるならば……大きな鯵?
身体の厚みもありますし、毒々しい感じはありません。食べるにはもってこいですね。
早速ご飯にするとしましょう。針を口から外し、魚の尾を持って帰路へつきます。
そういえば……どうやって食べましょう。いつものように塩焼きやからあげでもいいですけど、めでたい、記念といったらお刺身ですよね。しかし私はおろしかたを知りませんし……。
「――あ。その前にゲートですよ」
もっと大事なことを忘れていました。空腹で家出た途端に忘れるんですから、私は間抜けです。
魚を置いたら見に行くとしましょう。アランヤ村というのも気になりますし。
そんなことを思いながら歩いて、アトリエ前に到着。ドアを開こうとして……。
「わー、すごい。本当にアトリエだー」
手を止めました。
何故ですかって? アトリエの中から聞き覚えのない声がしたからですよ。
朗らかな幼女らしき声なので一瞬興奮しかけましたが、冷静に考えてみると恐怖を感じました。一番有り得ないことです。周りを海に囲まれた無人島に幼女がいるなんて。
少女の形をした幽霊なんて結構ありきたりですし、これもそういった類いかもしれません。モンスターが出るなら、幽霊も出て当然ですし。
「トトリのアトリエより小さいけど、一人用なのかな」
歩きまわっているのか、ぱたぱたと元気な足音が聞こえてきます。
幽霊はあんな派手に足音立てませんし……まさか本当に小さな女の子がここに?
いやでも、船はあそこになかったです。そうなると侵入口は……。
「あ、まさか」
思い当たりました。
アランヤ村という場所に作られたゲート。そこを通れば子供でも簡単に来れるのでは。
なるほど、そう考えれば自然です。子供は好奇心が強い生き物ですから。
納得。子供ですが相手は初めてのお客様。誠意を込めて対応しましょう。意気込みます。
さてと。中にお客様らしき人がいるとき、私はどうやって入るべきなんでしょう? いらっしゃいませは違うですよね。ううむ。
「……誰かいるんですか?」
結局思いつかなかったので普通の台詞です。
おそるおそる、といった様子を演じつつドアをゆっくり開く。それに気づいたのか、中から聞こえていた足音が止まりました。
「あ、リーア?」
声のイメージ通り、いやそれ以上に可愛い女の子がアトリエの中にいました。
髪の色は緑っぽい黄色。おさげがとても似合っていて、髪や首元、額のアクセサリーに付けられた蒼く光る宝石が彼女のキュートさ更にを高めています。
ロロナさん達に比べると、服装は幾分か民族っぽいです。アクセサリーもそうですが、服に金色で描かれた模様が特徴的ですね。
いやー、可愛いです。『子供』のいい意味を揃えたような少女ですよ。
「はい、リーアですけど……。お、お嬢ちゃん。どこから来たのかな?」
つい変態みたいな感じになってしまいましたが、仕方ありません。
可愛い幼女さんに、小首を傾げながら名前を呼ばれたのです。はあはあしない方が失礼と――いかん。私の悪いくせが出てますね。平常心平常心。
「外の光ってるところから。リーアのアトリエ、って書いてたから」
女の子は明るく返してくれます。やっぱりゲートから来たみたいですね。
安心しました。しっかり繋がってます。村側に看板があるみたいですし、ゲートを使って驚かれるということもなさそうです。
「そうですかー。お譲ちゃんの名前はなんていうんですか?」
「ピアニャだよ」
「ピアニャさんですか。よろしくお願いしますね。今日は何か用事でも?」
アトリエ、というだけで何もできないし、もし用事があるなら断っておかないといけません。
私が尋ねると、ピアニャさんはにっこりと笑いました。
「リーアと友達になりたくて!」
ぐおおお。今まで生きてて初めてですよ、こんな大歓迎できる友人は。
「むしろ私からお願いします! 末永くよろしくです」
「わーいっ。錬金術の友達が増えた」
嬉しそうに飛び跳ねるピアニャさん。そこに喜び以外の感情は見えず、彼女が本当に純粋無垢なのだと見て知れます。
本当に友達になりたくて来てくれたんですね。
――良かった。こんな可愛い子に何か頼まれて、できませんなんて言った日には……罪悪感で死ねますからね。しょんぼりした顔も可愛いでしょうけど。
ピアニャさんの笑顔に自然と笑みをこぼし、私は思い出します。
釣竿と魚を持ったままでした。
魚片手にあんなはあはあしていたなんて……斬新な試みです。
「えと、ピアニャさん。ご飯は食べました?」
「まだ食べてないよ」
それは良かった、と私は手にしていた魚を軽く上げます。
「じゃあ食べていきます? 朝から焼き魚は食べられますか?」
「うん! ごちそうになります」
たどたどしい敬語で、両手をまっすぐ挙げて頷くピアニャさん。
ああ、可愛いなぁ……。
子供を欲しがる人の気持ちが、14歳ながら痛いほど分かりました。
○
一時間程かけ、料理が完成しました。
二つに分けた焼き魚と、白いご飯。一般的な朝食ですが、魚のサイズもありボリュームは夕食すらも超越しています。カロリーも相応でしょう。
――まぁ私には足りないくらいなんですけどね。
料理をテーブルに並べ、私はピアニャさんに声をかけます。
「さて、食べましょうか」
「やった。ごはんごはん」
釣竿を眺めていた彼女はすぐさまテーブルの席に座る。そしてテーブルに手を付き、並べられた料理を見て目を輝かせました。
なんだか食いしん坊なペットを彷彿とさせます。
「食べていい?」
「はい。その前に……いただきます」
「いただきます」
手を合わせて食べはじめます。
ピアニャさんの分の魚は骨を丹念に抜きましたし、味付けも確認済み、毒見もしっかりしました。多分何も問題ない筈です。
と思っているのですが、心配です。ピアニャさんの方が気になり、食べずについ見てしまいます。
「どうですか?」
ピアニャさんが焼き魚を口へ入れました。
もぐもぐと行儀よく食べ、のみこみます。緊張の一瞬。しっかり口の中のものがなくなってから、ピアニャさんは言いました。
「美味しい! 焼いただけなのに!」
ホッと胸を撫で下ろします。
流石は塩焼き。無難で、新鮮な魚ならば一番旨味を感じられる偉大な調理法です。
「これ、リーアが釣ったの?」
「はい。釣竿で一本釣りですよ」
「へー、リーアすごい」
私でもすごいと思うくらいですからね。まさかこのサイズがあの釣竿にかかるとは。釣り上げてしまう自分にも驚きましたけど。
「ん、本当に美味しいです」
自作の箸で魚を一口。塩がしっかりきいており、魚の旨味を凝縮したような脂も感じられます。焼き魚といえばパサパサしているものですが、この魚は肉みたいな瑞々しさがあります。これは焼き魚にして正解でしたね。煮てもよさそうです。
白米との組み合わせもいいですし……嗚呼、幸せ。空腹が満たされる至福の時です。
目の前には可愛らしい女の子がいますし、言うことなしです。
「――そういえばピアニャさん。他に錬金術の友達がいるんですか?」
ふと思い出したので尋ねます。
『錬金術の友達が増えた』。さっき彼女が言っていたことです。増えた、ということは他の錬金術士を知っているかもしれません。
もしくは、彼女自身が錬金術士なのか……。
「うん。トトリとロロナ」
まぁ、大体予想通りの言葉が返ってきました。
ロロナさんとトトリさんの名前が揃って出てくるところを考えると、やはり錬金術士はマイナーなのかもしれません。
「そうですか……。トトリさんは錬金術得意なのですか?」
「トトリはすごい錬金術士だよ。ピアニャが作れないものも簡単につくっちゃうの」
「ですがロロナさんよりは下、ですよね」
「先生だから」
こくりと頷くピアニャさん。
先生……そういうことですか。本の監修を恥ずかしがるわけです。
つまりロロナさんとトトリさんは師弟関係だと。
うーん、世界は狭いですね。
「ピアニャさんはどうなんですか? 錬金術に興味があるみたいですけど」
「ピアニャ? ピアニャはフラムまで作ったよ。リーアは?」
ん? まずい。フラムってなんですか。
まさかピアニャさん、私よりすごい錬金術士なんですか? ど、どうしよう。中和剤とか言って笑われたら。年齢は私より低そうなのに、腕前で負けるなんて恥ずかしい。
ここは『金』とかドヤ顔で言――
「ちゅ、中和剤のみです……初心者です」
――えるわけがありません。
顔を背けつつ私は答えます。幼女には正直に生きたいのです。
「そうなの? リーアすごいね。初心者なのに自分のアトリエがあって」
押し付けられたようなものですけどね……うふふ。
嘘を言っているわけでもないのに、ピアニャさんのまっすぐな目が胸に刺さります。
「しょーらいゆうぼうなんだよ、多分」
「あはは……ありがとうございます」
どっちかと言えば、ピアニャさんの方が有望なんじゃないですかね。
ピアニャさんに負けてられません。これから頑張りましょう。本気で覚悟を改めつつ食事を続ける。
すると不意に、アトリエのドアが勢いよく開きました。
「――ピアニャちゃん!」
これまた見知らぬ人でした。
長く、黒に近い茶色の髪。胸に青い石のペンダントをしており、服は緑色のシャツと白っぽいスカート。服装は地味ですが、スタイルがよく顔立ちはまさに美少女という感じ。
そんな美少女さんは物凄く焦った表情でピアニャさんの名前を呼び、アトリエへ駆けこんできました。
「……」
なんか嫌な予感がするなぁ、と私は魚を頬張りながら他人事のように思うのでした。
「ちぇちー。おはよう」
「ピアニャちゃん! よかった元気そうで……」
私なんかいないかのようにピアニャさんへ一直線。ちぇちーさんはピアニャさんの保護者みたいです。
ピアニャさんの無事を確認し、心底安心した様子でちぇちーさんが胸を撫で下ろします。
うう、罪悪感が……そりゃ心配しますよね。こんな可愛い子です。一分でもいなくなったら警察に連絡したくなりそうです。
「あなたがリーアさんですか?」
ちぇちーさんが私の方を向きました。その目は少し鋭いです。敵意まではいきませんが、僅かな怒りが窺い知れます。
「は、はい。リーアです」
「……ピアニャちゃんのことは楽しそうですし、お礼を言います」
そう言って頭を下げるちぇちーさん。
意外です。すっかりピアニャさんを拘束したとか怒られるかと思っていたのですが。
ぽかんとする私へ、彼女は続けます。
「ですが、私達の家の前に無許可であんなものを作ったことはちょっと……」
「あんなもの?」
はて。私は覚えがありませんし、なんでしょう?
アストリッドさんが作ったのかな。でもあの人は本気で怒られるようなことを、見ず知らずの人にする筈は……。
「ゲートと看板です!」
「――分かりました。ちょっと待って下さい」
なにやってんだあの人!
村に繋いだとか言ってたから、てっきり空き地とかに配置したと思ったのに! まさか人様の敷地に設置するとは……。
思わずタイムを要求してしまいましたが、考えても解決策は思いつきません。溜息を吐き、私は答えます。
「全て私の師匠がやったことなので知りません」
地球の得意技、責任逃れです。
事実なのですから仕方ありません。
「……本当ですか?」
笑顔ですさまじい圧力をかけてくるちぇちーさん。
どことなくギルドの小さい女の子を彷彿とさせますが、威圧感が比べものになりません。あちらがゼロなら、ちぇちーさんは十を超えそうです。
「なら、説明してください。納得できる理由で」
――恨みますよ、アストリッドさん。
心の中で呟きます。
この後、私はちぇちーさんへこれまでの事情をおどおどしながら語ることになりました。
その間もピアニャさんは食事を続けており……とても居心地が悪かったのは言うまでもありません。
怒られているところに、無関係の人間がいる。それだけで怒られている人は心苦しいものです。
夕食の際、試験について怒られたときもこんな気持ちだったと、よく覚えています。勉強したと弁解する私を見る弟の視線が痛いこと痛いこと。
その関心が夕食に向いていることは見ていてよく分かるのですが、話を聞かれていると思っただけでダメージは避けられません。そういうものです。
今回もそんな感じです。
ピアニャさんは魚に夢中なのですが、時折私に視線を向けてきて……死にたくなります。私が。
「つまりリーアさんはアトリエを受け取ったけど、ゲートの場所は知らなかった、ということですね?」
「はい……その通りです」
それでも頑張って説明すること数分。
アストリッドさんの名前を伏せ、頼みごとから現在に至るまでを説明することに成功しました。
私が本当に何も知らないと分かってくれたのか、ちぇちーさんから放たれていた威圧する感じはなくなっています。
「そうですか……。なら、仕方ないですね」
釈然としない顔をしながらも、一応は信じてくれたみたいです。
ちぇちーさんが物分かりのいい人で助かりました。
「じゃあ一度だけゲートを移動できないか試してくれませんか? 結構邪魔で」
「はい。勿論です」
それくらいなら。何もできなそうですけど。
私は急いで朝食を平らげ、ピアニャさん、ちぇちーさんと共に外へ向かいました。
○
ゲートはアトリエから前方、行き止まりに繋がる曲がりくねった道の先にありました。
見た目は立派な石の台座がです。四角形のそれから、不思議な光によって魔法陣が浮きあがっていました。
光は絶えず1メートル程上へ、円形に渦巻いて上昇。移動するぞ、という雰囲気をひしひしと感じます。
私が携帯しているタイプとは違いますね。とても動かせる大きさではありません。それに、心なしか地面と同化しているような。
「これは無理かもしれません」
とはいえ、何もしないわけにはいきません。駄目元で台座を押してみます。
しかしびくともしない。動かなければ、隠し階段が現れたりもしません。
蹴ったりもしますが、やはり反応なし。
これは力技でどうにかなる問題じゃないですね。
「す、すみません……無理です。今度師匠に会ったら言っときますので、それでなんとか」
「仕方ないですね。まぁ、ピアニャちゃんにお友達ができたと考えれば……」
「リーアといつでも会えるの、ピアニャ嬉しいよ」
いい人達で有り難いことです。ショバ代とか請求されたらどうなっていたことか。
――にしても、アストリッドさんは何を考えているんですかね。人様の家にゲートと看板を作るなんて。ところかまわず迷惑かける人じゃない……と思いたいんですが、また会えたら追求しときましょう。
まさか、ちぇちーさん宅にゲートを作る理由が? いや、ないでしょう。多分。
「あ、そうだ。私はツェツィーリア・ヘルモルトです。これからよろしくお願いします」
「こ、こちらこそ。迷惑をかけさせてもらいます……すみません」
頭を下げ合う私達。現在進行形で迷惑をかけているのに、こんな丁寧な挨拶をしてくれるなんて。この人とも仲良くなれるといいなぁ。
それと、ちぇちーさんじゃないんですね。
ぺこぺこと頭を下げる私に、ツェツィさんは笑いかけました。
「もう気にしないでください。それに、錬金術士の人には慣れてますから」
何故か遠い目をしています。なんだろう。家が火事になったような哀愁を感じます。
「よかったらトトリちゃんとも仲良くしてあげてください。ピアニャちゃん、ご飯のお礼は?」
うん? トトリちゃん? まさか。
「リーア、ごちそうさまでした」
「じゃあ私達は帰りますね。いつでも遊びに来てください。歓迎しますから」
質問する間もなく二人はゲートで帰ってしまいました。
初対面ですし、長居は悪いと思ったのでしょうか。やたら素早い動きです。勝手にゲートを作った以上、嫌われた可能性も否めませんが。
……さて。ゲートがどこに繋がっているかは分かりましたし、準備をしてから村へ参るとしましょう。
まずは挨拶ですよね。村の住人の方々と良好な人間関係を結べるよう努力いたしましょう。
外を歩くなら護衛も考えないといけないですし、武器だって必要です。やるべきことは多くあります。
「しばらくイベント続きですね」
可愛い子との出会いとか期待してもよさそうです。
○
ゲートを通って一瞬。問題なくアランヤ村に到着しました。
私の前方に見えるのはオレンジ色をした屋根の家や、広場らしき場所、埠頭に停まっている船。海沿いに広がっているアランヤ村の一部です。
私が立っているのは高台のようで、ちょうどそれらを見下ろすことができます。
のどかな風景です。活気は感じませんが、生活するならこれくらいがちょうどいいでしょう。
潮の香りが鼻に入り、長年無人島暮らしをしていた私は無性に落ち着きます。
「ここがアランヤ村……」
中々いいんじゃないですか? 安い値段でいい魚が手に入りそうです。
「あ、リーア!」
ぼんやり遠目に観光すること数分。不意にピアニャさんの声が聞こえます。
後ろです。振り返ると、笑顔のピアニャさんがいて――その後方に比較的大きな家が一軒見えました。
正確には二軒でしょうか。普通の家の隣に、小さなもう一つの家がくっついています。ドアも付いており、看板らしき物も見えました。
……見事に家の前にゲートが作られてますね。
家の場所を確認して、文句が出ても仕方ないと痛感しました。
私がいるのは崖沿いの場所。そこはツェツィさん宅の斜め前で、歩いていて踏む、なんてことはなさそうですが、とてもゲートが目立ちます。光ってるし、大きいし。
アストリッドさんは何を考えてここに作ったんですかね。
「おはようございます、ピアニャさん。また会いましたね」
返事をする。ピアニャさんの笑顔が明るさを増しました。
「うん、さっきぶり。村に行くの?」
「挨拶しに回ろうかと思いまして。ピアニャさんもどうですか? 案内してくれると……」
「ごめんなさい。ピアニャ、約束あるからいけない」
私の近くに来た彼女は、申し訳なさそうに目を伏せます。
うぐぅ。ピアニャさんがいたら、和やかに挨拶できると思ったのですが。
「それは仕方ないですね。ではまた今度遊びましょう」
強要する必要はありません。これまで自分の力で生きてきた自分です。挨拶くらいできなくては困ります。
ピアニャさんの頭を撫でて、私は歩き出しました。
「頑張ってね、リーア」
背中からかかる声に、手を挙げて答えます。
ピアニャさんの声援があれば百人力ですとも。
女の子の応援へニヒルに返す私。気分はダンディな主人公です。
とりあえず広場に向かいましょう。そこに村の重要な機関が集まっているはず。
主人公らしいといえばらしい安易な発想で、私は道を下っていきました。
○
それほど時間がかからずに広場へ到着しました。
シンボルらしき巨大な錨が中心に置かれたその場所は、思ったより多く人がいました。活気もアーランドの街ほどではありませんが感じられます。
「何かないのでしょうか」
例えば、人が集まる場所とか。
広場に並んだ店らしき家を順番に見ていきます。
なんてことはない普通の店が並んでますね。アトリエは見当たりませんし、『男の武具屋』なんて興味を誘われるお店もありません。
『パメラ屋さん アランヤ支店』というのは気になりましたが、後回しにしておきましょう。多分名前だけの普通な店でしょうし。
「……何もないですね」
どうしましょ。『バー・ゲラルド』は酒場でしょうし、私には縁がありません。パメラ屋さんしか行けるところがありませんね。
ここは恥ずかしいですが、誰かに聞いてみますか。適当な方に……あ、なんか酒場の横に立っている人がいますね。
服装は地味ですが、結構強そうな剣を腰に差しています。顔立ちはやんちゃな少年といった感じ。明るそうで、人がよさそうな顔をしています。あの人に聞いてみましょう。
「あの、ちょっといいですか?」
「ん? ああ、いいぞ。何か用か?」
おお、イメージ通りの返答。
初対面の私に対して、怖気づきもせず対応してくれます。
「私、今日この村……らしき場所に住むことになったのですが、行くべきところとかありません?」
「なんだそれ」
やんちゃさんが訝しげな顔をしました。
いやまぁ、自分でもおかしいと分かりますよ? けどあのアトリエの場所をどうやって説明すればいいのか、私には見当がつきません。
しょうがないです。通じないことを前提に長文でお話しましょう。
「信じてもらえないかもしれないですけど、高台にワープするゲートを設置しまして。私の家はそのゲートの先になっているのです」
「ワープ? ゲート……おお! そっか」
……通じた? 納得するように手を叩きましたけど。
「それって錬金術だろ? トトリがまた何か作ったんだな」
楽しそうに言うやんちゃさん。
またトトリさんですか。さっきもツェツィさんが言ってましたし、やはりあの高台の家が……。
「いえ、やったのは私の師匠です」
「そうなのか。けど錬金術なんだろ? あ、ということはお前も……」
「はい。錬金術士です」
やっぱりか、とやんちゃさんが笑います。
「通りでひらひらした服を着てると思ったんだ」
この世界では、錬金術士とひらひらはイコールだという式が成り立っているみたいです。
錬金術がやりづらくなると思うんですけどね。
――はっ。ちょっと待って下さい。ひらひらの式が成り立つならば、あの方も……。
「トトリさんもひらひらなんですか?」
「おう。お前よりすごいかもな」
なるほど、楽しみが増えました。ぐへへ。
「あれ? お前トトリと会ってないのか? 高台にはトトリの家があるんだぜ」
トトリさんの服を知らない。つまりは彼女に会っていない。
それを疑問に思ったようで、やんちゃさんは尋ねます。
「ええと、実は……」
かくかくしかじか。軽くこれまでの経緯を語ります。
アトリエを押しつけられた翌日、ピアニャさんが来て、ツェツィさんに怒られ――
「というわけで、トトリさんはあの家にと思ってたのですが、迷惑かけた手前とても気まずくて。まずは村にと思った次第です」
「師匠ひどいな」
普通そう思いますよね。やんちゃさんの感想に救われた気がします。
確認しない私も悪かったですけども。
「けどツェツィさんは気にしないって言ったんだろ? なら気にしないで行けばいいじゃん」
「流石にそれは。明日辺り行こうかと思ってますけど」
「心配性だなぁ」
あはは……パパッと行ければいいんですけどね。
言葉ではなく常識を気にしてしまう辺り、私は真面目ではなく小心者なのかもしれません。
「えと、それで行くべきところとかは……」
「錬金術士なら、この店には顔だして損はないと思うぜ」
そう言ってやんちゃさんは隣の店、酒場を指差しました。
「酒場、ですよね。錬金術に酒を使うんですか?」
「いや、依頼が……あー、詳しいことは行けば分かる」
後頭部を掻き、ニッと笑います。
酒場で依頼? 仲間を集める、とかはゲームでよく聞きますけど、依頼は初めて聞いたかも。
「分かりました。とりあえず行ってみます」
頭を下げてお礼を言います。さて、酒場に突入です。
「ちょっと待った。名前を教えてくれないか?」
歩き出そうとした私の肩にやんちゃさんが手を置きます。
あ、自己紹介がまだでしたね。
「リーアです。リーア・マツバラ」
「リーアか。オレはジーノ。冒険者だ。これからよろしくな」
「はい、こちらこそ」
冒険者……先輩ですね。
私が頭を下げ、挨拶は終わり。ジーノさんへ一言言うと、私は酒場へ入りました。
○
落ち着いた雰囲気のお店です。
酒場のドアを開いて中へ入ると、そこは別世界と言うべき空気を漂わせていました。
広く、ゆとりのある店内。石造りな店の外見と違い、中は木造のイメージを前面に出しています。
店内に数組置かれたテーブルと椅子。奥にはカウンターがあり、そのどれもが木でできていました。カウンター上部の柱には操舵輪が掛けられていて……なんだか店全体が船のよう。
「わー。バーですよ、おしゃれバー」
それも隠れ家的な。お客さんもそれほどいませんし、静かで雰囲気は完璧です。
先程ダンディにヒロイン(幼女)と別れた私にはぴったりな感じですな。ふふふ。
「いらっしゃいませ」
カウンターに立つ男性が私に声をかけました。
ほほう、ダンディなお方です。シャツと蝶ネクタイ、サスペンダー、そして口髭。体格がよく、酒場のマスターという単語を体現しているかのような男性です。声も渋めでよろしい。
ほぼ無人の店内を歩き、私はマスターさんへ話しかけます。
「あの、私今日からこの村……の近くに住むことになったリーアと申します」
「村の近くに? そうか」
マスターさんの視線が真っ直ぐ私へ。彼は下から上へじっくりと見て、一言。
「錬金術士かね?」
本当ね、錬金術士は服装で認識されているのかと。
「あ、はい。そうですけど……やっぱり服装ですか?」
「ああ。あと杖があれば確定だったな」
「だから疑問文だったんですね」
納得です。
一般的な錬金術士はひらひらに加えて、杖を持っているみたいですね。杖……何に使うのかな。
「それで、錬金術士ならここに行ったほうがいいと言われまして。何かあるんですか?」
「そうだな。アトリエの知名度があるなら、必要ないかもしれないが。冒険者免許は持っているか?」
「あ、はい。持ってますよ」
ポーチから免許を取り出します。
ランクは1。ポイントの欄らしき場所は0で美しく染まっています。綺麗な初期の状態です。
「それなら話は早い。一言で言えば、ここでアーランドの依頼を受けることができるんだ」
「依頼を?」
「ああ。ポイントについては聞いただろう?」
「全然です。ランクが上がると行動範囲が増える、くらいの説明で」
「そうなのか? じゃあ俺が説明するか」
マスターさんは何も知らない私へ、細かく説明をしてくれます。
例えば地図に書かれた場所へ向かう、モンスターを倒す等。そのような冒険者らしい行動をとるとポイントが溜まっていき、ポイントが一定値を越えるとアーランドのギルドでランクアップができる。
要約すると、こんな感じのお話でした。
依頼関係のポイントも多く、高ランクを目指すためには必要不可欠となるらしいです。お金稼ぎにもなりますが、冒険の妨げにならない程度に受けるのが重要なのだとか。
「――と、こんな感じだ。分かったか?」
「よく分かりました。ありがとうございます」
頭を下げます。
クーデリアさんが何故説明しなかったかは分かりませんが、マスターさんが話してくれましたし、結果オーライとしますか。
「どういたしまして。早速依頼を受けるか? 討伐、調達、調合などあるが」
そう言ってマスターさんは紙を数枚取り出します。
カウンターに置かれたそれには、依頼の詳細ついて書かれていました。目標、期限、報酬などこれを読めば大体のことは把握できそうです。
早速読んでみます。
青ぷに討伐、アードラ討伐、ヒーリングサルヴ調合、マジックグラス調達。細かいは細かいのですが、一通りみても『難易度』というものが分かりません。青ぷにやアードラは避けた方がいいと分かるのですけど。
「材料を集めに近くへ出かけようかと思ってたんですけど、何かいい依頼はあります?」
ここは質問してみることにしました。
「そうだな……。武器は何か持っているか?」
「持ってません」
「まずそれからだな」
即答です。溜息を吐きながら即座に答えましたよ。
「リーア。武器なしではどれも危険すぎる。どこかで武器を手に入れた方がいい」
「やっぱりですか……」
どうしましょ。アーランドの街に行くには、一時間危険地帯を歩かないといけませんし、この村に武器屋があるとも思えません。ここはエスティさんに護衛を――って、ここにいないでしょうし。
あれこれと思案する私。
というか、アーランドの街に行ってもお金がないんですよね。世知辛いものです。
「そうだ。トトリを頼ってみたらどうだ?」
「トトリさん?」
マスターさんの提案に、私は苦い顔をします。
そりゃトトリさんは先輩です。錬金術士が使うような武器防具を少しは持っているでしょう。しかしまだ会ったこともない彼女を頼るなんて、とてもできません。情けなくなります。
「ああ。アトリエにいるだろう」
「いや、しかしですね、会ったこともない人から頼られたら、トトリさんも迷惑じゃ……」
「多分大丈夫だ。後輩、それも錬金術の仲間となれば、彼女も喜ぶだろう。この前なんて素材について話せる人が少ない、とか嘆いていたぞ」
それは私もついていけるか分からないんですが。
……まぁ、お金がない今、ヘタなプライドは命取りですかね。
たまには情けないくらい人を頼ってみますか。
「分かりました。ではトトリさんを頼ってみます」
「そうするといい。困ったときはお互い様ってやつだ」
礼を言ってマスターさんへ頭を下げます。
錬金術士のトトリさん。よく名前を聞く彼女は、一体どんな人なんでしょうか。
できれば、ロロナさんみたいにぽわーっとしてる人がいいなぁ、なんて考えたり。
○
んなわけで、戻ってきました、アトリエに。
ふふ、我ながら中々破天荒な再開です。季語がないところに趣があるというか。
……。
「はぁ。トトリさんを頼る……」
溜息。いくら盛り上がろうと句を読んでも、この気分が晴れることはありません。
ツェツィさん宅を前にして、私は憂鬱な気分で立ち尽くしておりました。
何年か前とはいえ、私はばりばり都会派な少女。顔を知らぬ誰かを頼るなど、したこともありません。
なんでしょうね……頼ることが恥ずかしいことではないと分かっているんですけど、どうにも気が進まないというか。やりたくないというか。
簡単に言えば、私が小心者ということでしょう。ええ、間違いありません。
「ここは流れに身を任せる……そうしましょう」
自分が生活するため。恥は捨てる。これが一番です。
いつも通り馬鹿で愉快にいきましょう。
私は覚悟を決め、ドアノブに手をかけました。
ドアが二つあるので迷いましたが、とりあえず大きな方から入ってみようと思います。
「し、失礼します……」
元気はありませんが突入しました。
ノックを数回。ドアを開いて中の様子を窺います。
リビングのようでした。テーブルが置いてあり、その奥には暖炉、無人島の家よりしっかりした台所が見えます。
台所にはツェツィさんが立っていて――僅かに見えた光景から、温かな雰囲気が窺い知れました。
「お姉ちゃーん、ご飯まだー?」
私に気づいていないのか、中からそんな声が聞こえてきます。
声を出した人の姿が見えませんが、可愛らしいながらとてもダルっとした声です。だらけきってます。
「まだよー。大人しく待っててね――あ、リーアさん」
ダルっとした方に返答しようとしたのでしょう。振り向いたツェツィさんと目が合います。
ちょっと遅れて、家の中からガタッと物音が立ちました。
「だ、誰か来てたのっ?」
「早速来てくれたんですね。入って大丈夫ですよ」
「あ、はい。お邪魔します」
「好きなところに座ってください」
怒っていたり、嫌われている気配はありませんね。
お言葉に甘えて家の中に入ります。席は入り口の近くをセレクト。
ふむ、中の大部分を見てもイメージはちっとも変わりません。よく整理整頓されているお宅です。
まず部屋を観察。そして目的の錬金術士さんらしき方へ視線を落とします。
「あなたがリーアさんですか?」
本当にひらひらした女の子がおりました。
青とピンクのワンピースみたいな服を着ていて、ピラピラしたリボンのようなものが床近くまで垂れています。
頭にかぶっている傾斜のついたカチューシャは、一見するとナースキャップのよう。しかしなんとなく錬金術士らしい模様が。
なるほど、服装で判断されるのも分かります。個性的ですもの。スカートなんて透けてますよ、見せるタイプですよ、けしからん。
純粋そうで、大人しそうながらまっすぐな目をした方です。ツェツィさんに似て顔立ちはとても整っています。
けれど……なんでですかね。心なしか彼女の方が大人に見えるんです。
いや、見た目は明らかにツェツィさんが大人なんですけど。胸も背丈も。
「あの……」
トトリさんだと思わしき女の子が不安げに私を見ます。
はっ。またぼんやりしてしまいました。
「はいっ、リーアですよ。あなたはトトリさんですか?」
こくりと頷きました。やはりトトリさんだったようです。
「トトゥーリア・ヘルモルトです。トトリって呼んでください」
「ヘルモルト……お二人は姉妹ですか?」
親子でも違和感はないのですが、もし間違っていたら失礼極まりないので姉妹と尋ねておきます。
「トトリちゃんが妹で、私が姉です。トトリちゃんが18歳よね?」
「うん」
18……だと。
どう見ても十代前半くらいにしか見えないんですけど、私より4歳上だとは。低身長で美少女なのは羨ましいですね。
「意外ですか?」
「いえ、そんなことは。少し思いましたけど」
正直に答えるとトトリさんが苦笑しました。顔に出ていたみたいです。
「ふふ、意外よね。今も『おねえちゃーん』ってだらけてたトトリちゃんが、そんな歳なんて普通思わないもの」
「お、お姉ちゃん! 聞いてないかもしれないのに!」
トトリさんが赤面します。料理中で背中を向けたままですが、ツェツィさんは笑いをこらえているように見えました。
トトリさんはやや視線を泳がせ、
「……リーアさんは錬金術士らしいですね」
話を綺麗に逸らしました。可愛らしい人です。
「ええ。先日中和剤を完成させたばかりですから、トトリさんが先輩になりますね」
「そうですね……」
あれ? なんでそこで複雑そうな表情?
私が後輩だと嫌なのかな……。
「どうしました?」
「な、なんでもないです。えと、その、リーアさんは何歳ですか?」
うん? 何故年齢が。
「14歳ですけど」
『14!?』
ツェツィさん、トトリさんの声が綺麗に重なりました。
「え、それじゃあトトリちゃんより年下なの?」
「お姉ちゃんと同じくらいの後輩なんて、複雑だと思ってたのに」
そうですか。私は結構な歳に見られていたわけですか。
考えてみれば、酒場では普通に接客されてました。この世界の成人になる年齢が低いのかと思いましたが……なるほどです。
「あ。ごめんなさい! リーアさん身長高くて大人っぽいから、つい」
「まぁ、師匠にも言われたことなので気にしてません」
ぺこぺこ頭を下げるトトリさんを宥めます。
アストリッドさんにも、怪我していたあの方にも言われたことです。
身長は高くて胸がでかい。おかっぱ頭にキリッとした目、そして敬語。私にはそれらの大人びて見える要素が数多くある、と。
錬金術士としては邪道だとも言われましたね。見た目でそこまで言われるとは思いませんでした。
「敬語とかも気にしなくていいですよ。私は子供なので。リーアちゃんって呼んで下さいっ」
「う、うん、リーアちゃん」
引いてますねコレ。ウインクは痛いですかやっぱり。
引きつった笑みを浮かべるトトリさん。彼女は咳払いする私を見て、何かに気づいたようでした。
「そういえばリーアちゃん、杖持ってないね」
おお、そうでした。すっかり紹介に気をとられてましたね。
「そうなんですよ。私、長らく島で過ごしまして。武器という物を持ってないのです」
「島? でも海を渡るなら武器が――あ、ゲートから来たんだっけ」
「はい。そんな状態で飛んできたから、モンスターがいることすら知らなかった次第です」
答えつつ、先輩へ期待を込めた眼差しを送ります。
優しそうな彼女のこと。きっと私の望む言葉をかけてくれる筈。
「そうなんだ。使わないのが少しあるけど……要る?」
「要ります。是非ください」
期待通りです。私は立ち上がると頭を下げます。
「じゃあちょっと待ってて。今持ってくるから」
トトリさんが小走りで去っていきました。
リビング横のドアを開いて、どこかへ行きます。隣の部屋ですかね。
「トトリちゃん嬉しそうね」
食器をテーブルへ置いたツェツィさんが、開きっぱなしになったドアを見ながら言いました。
「ツェツィさんも嬉しそうですけど」
「そうね。私も嬉しいかも」
『かも』と言いながら、彼女は娘の成長を喜ぶ母親のような表情をしていました。
「前まで頼りなかったのに、昔では信じれないようなすごいことをして……今は後輩の面倒も見てるんだもの」
言ってることも母親みたいですね。
「信じられないこととは――」
「リーアちゃん、持ってきたよ」
台詞の途中でトトリさんが帰ってきました。
どこか張り切った様子の彼女は、一本の杖を手に握っています。
「試しにハゲルさんと考えて作ったものなんだけど、どうかな」
「そうですね……」
差し出されたそれを受け取り、私は考える。
長さは1メートル超え。先端と尾の部分に小さな金の装飾があり、棒の部分は赤い金属で形成。形状的には杖というより棒です。
魔力の類いより、攻撃力の増加が望めそう。
見た感じ、攻撃力上昇、速度上昇、還元、属性攻撃一つ……といったところでしょうか。特性は中々。それに高品質です。金属の艶が美しい。
「いいと思います。けど本当に貰っちゃっていいんですか?」
「うん。私は違うのを持ってるから」
きっとこれよりいい杖なんでしょうね。魔力だけでなく、体力とかも上がっちゃうお得なやつに違いないです。
「それに、あげといてなんだけど、その杖ってあまり錬金術士向けじゃないんだ。釜はかき混ぜやすいけど、何故か物理にだけ特化しちゃって」
やっぱりですか。
少々落胆しますが、まぁこの方が私に合っているかもしれません。錬金術の合間にトレーニングもさせられてましたし。筋力ならちょっとは自信あります。
「ごめんね? 今こんな杖しかないの」
「謝らないで下さい。この杖で嬉しいですから。ありがとうございます」
棒術は憧れです。
この杖でモンスターをバッタバッタ倒してみせると誓いましょう。
なんか錬金術士として間違ってる気がしてなりませんけども。
申し訳なさそうにするトトリさんへ、私は心の底からお礼を言います。
彼女は照れ笑いを浮かべた後に小さな声で言いました。
「……どういたしまして」
人を抱き締めたいと本気で思ったのは、久しぶりでした。
○
トトリさんが遅めの朝食をとるということで、迷惑をかけないために、ヘルモルト家から退散しました。
外に出た私が向かったのは件の酒場。
武器を手に入れましたし、今度こそ依頼を受けられる筈。
と、勇んでカウンターのマスターさんに話かけたのですが。
「一人では不安だな。護衛をつけたほうがいい」
年齢を告げたことが裏目に出て、武器以外の心配をさせてしまいました。
歳相応に扱ってほしいという乙女心が仇になるとは……。
「ひとりでは駄目ですか? 私、まだ友達や知り合いが2桁もいないんですが、それで護衛というのもおかしな話じゃありません?」
「それもそうだな。――おい、メルヴィア」
入り口近くを見て、誰かの名前を呼ぶマスターさん。
はて。店に誰かいましたっけ。一人女性はいましたけど……。
「はいはい、なに? ゲラルドさん」
その女性がこちらにやって来ました。
水着のような露出度の高い服を着た、背も胸も大きな女性です。日焼けした肌が健康的で、喋り方や顔立ちからは元気な印象を受けます。
名前はメルヴィアさんと言うらしいですね。
「この子の旅についてやってくれないか?」
「旅に? 別にいいけど、あたしよりトトリやジーノの方が……ああ、免許の更新か」
「え? 更新ですか?」
冒険者免許は永久に使えると言っていましたし、何の免許なんでしょう。
首を傾げる私へ、メルヴィアさんは伸びをしながら説明します。
「ええ。今新規で冒険者になる人には永久資格を与えているけど、トトリ達のときには期限つきだったのよ。明日は永久の免許を貰うための更新日なの」
「なるほど、そういうわけですか」
それなら出歩くわけにはいきませんね。
マスター……ゲラルドさんがメルヴィアさんを最初に呼んだのも納得できます。
「あたしでいいなら一緒に行くわよ。ごちそう食べ損ねるのはちょっと痛いけど」
「はい、お願いします。一回外を調べてみたいんです」
頭を下げます。メルヴィアさんはニコッと笑いました。
「ん、了解。じゃあ早速行こうかしら。依頼は受けた?」
あ、そうでした。お金とかポイントを稼いでおかないと。
慌てて青ぷに討伐の依頼と、たるリス討伐依頼を受ける手続きを済ませます。期限は約一ヶ月先。多分達成できる筈です。
「――これで討伐後は、ここかアーランドの街で報告ができる。どうしても無理なときは依頼をキャンセルすることもできるから、覚えておくといい」
「はい。分かりました」
頷きます。が、私はおそらくキャンセルなんてしないと思いました。
キャンセルしたら、クーデリアさんに何を言われるか分かったものじゃありません。
「それとこれも渡しておこう。おそらく貰っていないだろう?」
ゲラルドさんが何かをカウンターから取り出し、私へ差し出します。
綺麗に折りたたまれているそれは、地図でした。アランヤ村やアーランドの街をはじめとして、各地の地名や入場可能なランクが一枚の大きな紙に記してあります。
開いた地図を畳み、ポーチへ投入。頭を下げてお礼を申し上げます。
「便利ですね。タダで貰っていいんでしょうか?」
「支給品だからな。お金を取ったら叱られてしまう」
「……地図は必需品ですものね」
それを渡さないなんて、クーデリアさんは結構抜けてるのかもしれません。
――さて。これで準備は終わった筈です。仲間もできたことですし、順風満帆といったところでしょう。
ゲラルドさんに一言挨拶し、私とメルヴィアさんは早速村の外へ向かいました。